その50巻 東屋    (カオル 二十五歳)

 

1.左近少将を姫君の婿にと母の待望

 中央山塊(マッシー・サントラル)に踏み入って、その女性を見てみたい気持ちがあるものの、山端の繁みまで、無闇に思い詰めてしまうのは人聞きも軽々しく、気恥ずかしくもあるので、カオルは思い留まって、手紙すら送ることはしないでいました。ただ、ベネディクトを通じて、姫君の母君に自分が話した希望の模様などを、度々ほのめかしてもらったのですが、母君の方は「カオル様が本気で娘に心を寄せている」とは思いもしないので、ただ「それほどまで娘のことを知りたがっているのだ」と興味深く感じながらも、目下のところ、カオル様は世にもめったにない様子をされておられると聞くので、「私どもがそれ相応の境遇でありさえしたなら」とあれこれ思いをはせるだけでした。

 知事の子供たちは、亡くなった前妻との子供が大勢いましたし、後妻の母君との間に出来た娘たちを大切に扱っていました。まだ幼い娘たちが次々に五、六人もいましたが、順繰りにあれこれ養育しながらも、母君の連れ子を疎んじる様子を示すので、母君はいつも辛いことだと知事を恨みながら、「何とかして姫君を引き立てて、晴れがましい様子に人から見えるようにしたい」と明け暮れ思いをはせていました。姫君の顔や容姿が世間並みで、知事との間に出来た娘たちと区別をしなくとも構わないのであれば、何もこんなにまで苦しく、気をもむことはないだろう。ところが他の娘たちと同様とは見えない世の中で、比べようもないほどいたわしく面目ない育ちをして来たので、改めて心苦しい思いをしていました。

 

「知事には多くの娘がいる」と聞いて言い寄って来る、さして身分が高くもない男たちが大勢いました。前妻の娘の二、三人は皆、それぞれ縁付けて一人前にさせていました。「今は連れ子の姫君を望むようにさせて上げよう」と母君は明け暮れ面倒を見て、この上もなく大切に扱っていました。

 知事も賤しい生まれの人ではありません。官位三位以上の家柄で、一族などにも卑しげな人たちはおらず、人徳が高い人もいましたから、それ相応に気位が高く、邸内も堂々として、何となく立派に暮らしていましたが。しかし風流ぶっているわりには、おかしいほど荒っぽく田舎臭いところがありました。若い頃からそういった南仏の辺鄙な世界に埋もれて年月を過ごしたせいか、声などもほどほどに南仏訛りが強く、ものを言うのにも少し濁声なので、都の名門の辺りはひどく厄介で面倒なものとして、遠ざかっていました。とは言っても、それなりに抜け目がない気持ちもあって、心を引くようなハープや笛の道には縁遠いものの、弓は大層上手にひきました。

 地方官の平凡な邸ではあるものの、知事の財力に引き寄せられて、美しい侍女たちも集まっていて、衣装や仕草をきちんと整えて、三組に分かれた下手な歌詠み会や物語りなどの遊びを夜通しするなど、際立って見苦しい遊びを好んで暮らしていました。

 姫君に思いを寄せる貴公子たちは「才気がたけている」、「器量も素晴らしいだろう」など、愛しい者と言い合って全力を傾けている中に、左近少将と言って、二十二か三ほどの年齢の者で、気配りがあり物静かで、学才という方面では人から認められているものの、際立った当世風なことは出来ないのでしょう、通っていく女性なども絶えていたのが、とても熱心に姫君に言い寄って来ました。

 母君は言い寄って来る多くの男たちの中で、「この少将は人柄も感じが良い。気心も安定していて、女性への配慮も承知しているし、品性も良い。この男より勝った身分の者はやはり自分たちのような者を相手にはしてくれないであろう」と思って、少将からの恋文を姫君に取り次いで、しかるべき折々には愛らしい返事などをさせました。自分だけの心の内では、「知事がどんなに姫君を疎んじたとしても、私は命を懸けて守り立てて行こう。少将も姫君の顔や容姿を眼にしたなら、よもやいい加減に思うことはないだろう」と思い立って、「婚姻は八月頃」と約束して、身の回りの道具を用意しました。

 

 ちょっとした遊び道具を作らせても、格別にすぐれた意匠が面白い、漆塗りの上に金や銀箔や貝殻で丹念に細工をほどこした勝れ物は媛君向けに取り隠しておいて、それより劣ったものは「これが良いのでは」と知事に見せると、そうした物に見識がない知事は、どうということもない女性向けの身の回り品を限りない程、やたらと買い集めて、実の娘たちの部屋いっぱいに、娘たちの姿がかろうじて識別できるほど並べ立てました。

 実の娘たちのハープやリュートの教師として、王宮の教習所の楽人を迎えて習わせます。娘たちが曲の一節を覚えると、大袈裟に教師を拝んで喜び、身体が埋まるほどの俸禄を授けて、大はしゃぎをします。教師が調子の速い軽快な曲を教えて、風情がある夕暮などに教師と一緒に合奏を披露すると、涙を隠すこともせずにみっともない程褒めたたえます。楽器について少しは見識がある母君は、こうした光景を「とても見苦しい」と感じるので、さほど相手にしないのを、「実の娘たちを連れ子よりも見下しているのか」と知事はいつも恨んでいました。

 

 

2.姫君は知事の実子ではないと、左近少将が立腹

 そうこうしているうちに、その左近少将は約束した八月を待ちかねて、「同じことなら、もっと早く」と急ぎ立てますが、母君は自分だけの一存で婚姻を急ぐのも気が引けますし、少将の内心を知り難く思っていると、当初から少将の手紙の仲介役をしている人が来たので、相談しました。

「姫君には気になることが色々とあります。何か月前に少将殿から申し入れがあってから、しばらく経ちました。世間並みの人ではないので、お断りをするのは申し訳なく心苦しいので、婚姻を取り決めましたが、実のところ、姫君は父親がいない人なので、私一人で面倒を見ているのが気恥ずかしく、『うまく釣り合っていないように見られはしないか』とかねてから案じています。知事と私との間には娘たちが大勢いますが、世話をする父親がいるので、父親に任せておけばよいのですが、この姫君のことだけは、頼りない世の中を見るにつけても気が咎めて、ひどく心配なのです。相手の少将は物事が分かった人物のように聞いたので、あれこれと慎むべきことを忘れてしまっていました。婚姻後に少将が心変わりをしてしまったら、人に笑われて悲しいことになってしまいます」と告げました。

 

 そこで仲介人は少将の邸に行って、「しかじかこういったことで」と説明すると、少将は機嫌を悪くしてしまいました。

「知事の実の娘ではないということを、始めから聞いてはいなかった。同じようなことだが、人が聞いたら、程度が低い者を娶ったとの印象がするだろうし、知事の邸に出入りするにも都合が悪い。よくも事情を知らずに、浮ついたことを伝えたものだ」と腹を立てたので、気の毒になった仲介人が弁解しました。

「私も詳しいことは知りませんでした。私どもの女性たちが知っていることを聞いて、希望されている話をした次第です。『娘さんたちの中で、取り分け大事にされている姫君』とだけ聞いたので、きっと知事の娘さんに違いない、と思ったのです。知事が父親の違う子を持っている、と問いたり聞いたりはしませんでした。姫君の容姿も気立ても優れていること、母君が大層愛しがっていて、『晴れがましく、気品があるようにと大切に面倒を見ておられる』と聞いていたところに、貴殿が『どうかして、あの知事の娘たちのことを伝える人がいないだろうか』とおっしゃられたので、『こうした伝手があります』と取り計らった次第です。浮ついた話をしたわけではありません」と、ずる賢く口達者な仲介人が弁解しました。

「ああした知事の婿になって通って行くのを世間はあまり評価しないだろうが、現実的には咎められることはないだろう。知事が後継人として私を尊重してくれて、世間からの非難を打ち消してくれる例もある。とは言うものの、『知事の実の娘を娶ったのと同じことだ』と思い込んだとしても、世間の人は知事に取り入ろうとしているだけだ、と批判することになる。前妻の娘婿の某少納言やブルゴーニュ知事などが我が物顔で出入りしているのに、知事にもあまり相手にされずに交じって行くのは、ひどく面目がないことだ」と少将はもったいぶったように答えました。

 

 仲介人はおべっかい屋でひねくれ者なので、こうなってしまったことが口惜しく、少将と知事の双方が気の毒になったので、「本当に実の娘さんが欲しい、と思われますなら、まだ成人には達していないものの、そう伝えることにしましょう。該当する娘さんを知事は『姫君』と呼んで、とても愛しく感じております」と話しました。

「そうだねえ。しかし、最初に言い寄った人を差し置いて、また別の娘さんに申し入れをするのはおかしなことではないか。とは言うものの、私の本意は、あの知事が人柄も重々しく、穏やかな人物なので、後見をして欲しいと目算して思い立ったことなのだ。ひたすらに顔や容姿が勝った女性を願ってもいない。家柄が高く、優美な女性を願うなら、たやすく手に入れられる。そうではなく、もの寂しくうまく釣り合いも取れていない風流好みの人が、最後には立派でもなく、人からも人とは扱われない様子を見ていると、少しくらい人から非難されたとしても、世の中を平穏無事に過ごしていくことを願っている。そういった風に知事に話して、『そういうことなら』と許してくれる気配があるなら、確かにそれも悪いことではない」と少将が話しました。

 

 仲介人の妹は邸の西側にいる、連れ子の姫君に仕えていたので、少将からの手紙なども姫君への取次ぎを始めたわけですが、知事とはあまり面識がありませんでした。それでも仲介人は知事の面前に行かせて、「取り計らっていただきたいことがあります」と言わせました。

「時々、この邸に出入りしている者と聞いてはいるが、まだ面と向かって話もしたことがない男が、何を言いたいのだろう」と戸惑った表情を知事はしたものの、「左近少将につぃてのことで伺いました」と妹に言わせたので仲介人と面会しました。

 仲介人は言い辛そうな顔をして、知事の側近くに寄って行きました。

「この数か月、左近少将が奥様と手紙をやり取りして、奥様の承諾を得て、『八月のうちに』と婚姻の約束をしました。少将は吉日を選んで、『一刻も早く』と思っていたところ、『その姫君は確かに夫人の子ではあるが、知事の実の子供ではない』とある者が告げました。貴公子が連れ子のところに通うとなれば、世間は知事にへつらっているように思います。知事の婿となるような貴公子には、相手の父親がまるで自分の主君のように、心をこめて世話をし、手の上の玉のように思い込んで後見してくれることを期待して、そういったように振舞う男たちがいます。ところが連れ子であったなら、そうした望みは無理なことになるようで、あまり相手にされずに、他の婿より下に扱われて通うことになってしまう、と抜け目なく悪口を言う人たちが多くいるので、少将も目下のところ、思い悩んでおります。

『最初から、ただ際立った後継人として頼むに堪えうる家だと見込んで、縁談の手紙を送ったのだ。その上、連れ子がいるということも知らなかったのだから、最初の希望通りに、まだ成人していない実の娘さんが多くおられるということなので、非常に嬉しいのだが、その反応を見て来て欲しい』と少将が申されますので」と長々と話しました。

 

「そのような少将からの手紙を受け取っていることなど、詳しくは聞いていない。あの姫君を本当に実の娘と同じと思うべき者であるべきだが、年端もいかない子供たちが大勢いて、頼りにもならない身なのに、様々に持て余してしまうことがある。母君も『この姫君を実の娘たちとは思い分けるように』とすねたことを言って、ともかく姫君には口出しをさせないので、そういった婚姻の話はぼんやりとしか聞いていない。

 その少将という者が私を頼り所にしたいと思っている気持ちは知らなかった。しかし、少将にそのような意向があるのは、とても嬉しいことだ。とても愛おしく思っている女児がいる。大勢の娘たちの中で、『この子なら命に換えても』と思っているほどだ。その女児の婿にと言って来る男たちもいるが、今時の若い男たちは移り気なように聞いているので、かえって苦しい目にあってしまうのではないか、と婿を決めかねている。そいうわけで、何とかこの女児を安心が行くようにしたい、と明け暮れ、気に病んでいるが、その少将と言うのであるなら、少将の父君にあたる亡き大将殿にも、若い時分からお仕えしていたことがある。

 その頃に大将殿の息子を見たことがあるが、特別に優れた子なので、いつかは仕えてみたい、と気付いたものだ。しかしその後、遠く離れた南仏に引き続いて任官して月日が経って行ったので、気恥ずかしさも感じて、少将の邸を訪ねることがなかったのだが、少将が私の娘を所望する気持ちがあるとは。繰り返して言うことになるが、話されたように娘を差し上げることはたやすいことだが、ここ数か月の少将の姫君への思いを、この私が変えてしまったように、妻が思い込んでしまうのではないか、といったことが気にかかる」と知事が細やかに話しました。

 

 仲介人は「この調子なら、うまく話がうまく進むだろう」と嬉しくなりました。

「何やかやとありましょうが、さして気に掛けることはありません。少将のお気持ちでは、ただ知事お一人の許しを得たいと望んでいますので、『年端のいかない少女であったとしても、本当の父親が大切に思い定めて縁組をすることこそが、私の本意なのだ。まったくのところ、連れ子を所望するような浅はかな振舞いはすべきではない』とまで少将は話しております。

 少将は人柄が上品で、世間の評判も良い人物です。若い貴公子と申しても、色好みで上品ぶったところはなく、世の中の状況もよく知っており、領地もあちこちにあります。今のところはまだ徳望はないようですが、自然と重々しさも備えていく気配もあるようですし、普通の人間が『限りない富を持っている』と威張り散らしていることより勝っています。

 来年は官位四位に昇格するでしょう。今回の庶務長への抜擢も王さまご自身が言われたものです。王さまは少将に対して、『何事にかけても感じよく処理をしている者が、まだ定まった妻を持っていないとは。しかるべき女性を選んで、後継人を見つけなさい。自分がいるのだから、今日か明日にも官位三位以上に昇進させよう』とまで話されています。何事においても、ただこの少将だけが王さまに親しく仕えています。

 性質も大層優れていて、重々しい印象を与えています。折角ここまで婿候補のことを聞かれたのですから、決心されるのが良いのでは。その少将殿には我も我もと、『婿に迎えたい』とあちらこちらから申し入れがありますので、こちらで渋っておられるなら、少将は他の方に気持ちを移してしまうでしょう。ここまで私が話すのは知事のことを思ってのことです」とぺらぺらと美味しいことばかりを仲介人は言い続けましたが、驚くほど野暮ったい知事はにこにこしながら聞いていました。

 

「現時点での徳望など、はっきりしないことは話さないで欲しい。私が生きている限りは、少将をいただいて大切に仕えよう。じれったくなるほど満ち足りないと思ってくれても構わない。たとえ私の命が尽きてしまったとしても、後に残る宝物やあちこちにある領地を取り争おうとする者は誰一人としていない。子供は大勢いるが、この娘はとりわけ特別に思っている者なのだ。この娘を真心こめて可愛がってくれるなら、『大臣の地位を求めるのだ』と一念発起されて、『世にもない宝物を出し尽くされて』と望まれたとしても、当方に欠けるものはない。今の王さまがそれほどまで眼をかけておられるというのなら、後見をするのが待ち遠しい。それが少将のためにも、私の娘のためにも、幸せになることかも知れない」と大喜びで話しました。

 仲介人はとても嬉しくなって、妹にも「こんな風になった」とも話さず、母君の方にも寄り付かずに、知事が話したことを「とてもとても結構なめでたいことだ」と少将に伝えました。

「少し田舎臭い」と少将は感じたものの、悪い気もしないで笑いながら聞いていました。大臣の地位を得るための財物までも負担しようというのは、「あまりにも大袈裟な話だ」と耳に残りました。

「とは言うものの、あの母君にそうした話をして来たのだろうか。母君が連れ子のために格別な思いで進めて来たのに、当方が相手を差し違えてしまうと、ひねくれて素直でない者ととりなす人も出て来るだろう。どうしたものか」と少将がためらっていると、「いえいえ、母君もその娘さんをとても大切に思って、可愛がっておられます。ただ姫君の方が年恰好も大人びているのを心苦しいことに思って、そちらに振り向けようと話されただけです」と仲介人が弁解しました。

「仲介人はここ数か月、『母君はこの上なく並々ではなく大切にされている』と話して来たのに、打って変わってそんなことを言うのはどうしたものか」と思うものの、「やはり一時は『辛いことだ』と母君から思われ、人から少し悪く言われたとしても、長い目で見るなら見込みがある方を」と少将は全く抜け目なく腹を固めて、婚姻の日を取り換えずに、約束した日の夕暮れに知事の邸に通い始めました。

 

             

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