その24.胡蝶   (ヒカル 35歳)

         

1.紫上の町での舟楽と歌舞  

   

 四月二十三日過ぎの頃、ヴィランドリー城の春の町の様子は普段よりも、ことに匂いの限りを尽くして咲く花々の色や鳥の声が、まだ盛りを過ぎていないのが珍しく思われます。築山の木立ち、大池の中島の辺り、一層濃くなった芝生の風情など、「若い人々は遠くからちらっと眺めるだけではじれったくなるだけだろう」と感じたヒカルは、造らせていたベネツィア風のゴンドラ舟を急いで飾らせて大池に浮かべ、最初の日は王宮の音楽・舞踊室の人たちを招いて舟楽をさせました。王族や高官の人たちなど大勢が見物に参上しました。

 梅壺王妃もこの頃は秋の町に里帰りしていましたので、紫上は昨秋、王妃が「春待つ園は」と挑発してきた返事をするのは「今だ」と感じました。太政大臣も「何とかこの花の盛りを秋好きの王妃にも見せたいものだ」と思って招きましたが、王妃の身分では公式な名目なしでは気軽に出掛けて、花見をすることなどはできませんので、若い侍女たちの中でこうした風趣を好む者を小舟に乗せて南の町に行かせました。秋の町の池は築山を境にして南町の大池と運河でつながっていました。侍女たちに混じって虹バラも小舟に乗りましたが、テームズ川を漕いで行く母国の光景と思い較べながら、はしゃいでいました。

 

 大池の東に臨むテラス舎に南町の若い侍女を集めました。ベニス風の装いをした二艘のゴンドラのうち、一艘の船首には水中を自在に泳ぐ竜の頭、もう一艘の船首には風に乗って飛ぶ鳥を飾っています。梶や棹を取る童子も皆、イタリア風に髪を左右に分けています。

 大池の中へ漕ぎ出したゴンドラに乗るのが初体験の侍女などは、本当に外国に来た心地がして、つくづく面白いことだ、と興じています。ゴンドラを中島の入り江の岩陰に漕ぎ寄せると、何と言うこともない立石のたたずまいすら、まるで絵に描いたように見えます。霞が立ち込める、あちらこちらの梢の花々は錦を張り巡らしたようで、観客のいる方がはるばると見渡され、色濃くなった柳が枝を垂らし、花々も何とも言えない匂いを放っています。余所では盛りを過ぎた桜も今が盛りと微笑んでいて、回廊をめぐる藤の花も色合い細やかに薄紫色の蕾を開き始めています。それ以上に池の水に影を映している、大鉢に入ったミモザの花は、岸辺に咲き零れるほど真っ盛りです。水鳥のつがいが離れずに遊んでいます。細枝をくわえて飛び交うオシドリが波の綾に紋様を描く動きなど、何かの図案に写し取りたいくらいなので、ゴンドラに乗った侍女たちは斧の柄が朽ちていくまで、いつまでも眺めていたい思いでその日を過しました。

 

(歌)風が吹くと 波までが花が咲いたように ミモザの黄金色を映して美しく 

   これがあの名高いプロヴァンス地方のミモザ岬ではないかと疑ったりします

(歌)この春の御殿の池は ローヌ川の川瀬にまで続いているのでしょうか 岸のミモザが見事に咲いて 

   水底までも咲いているように見えます

(歌)不老不死の ティタン(タイタン)たちが住む地を尋ねる必要もありません この舟の中で楽しみを極めましょう

(歌)春の日のうららかな中を のどかに棹をさして行く舟よ 棹から落ちる雫までが 花のように美しく散ります

などというように、他愛無いことを思い思いに言い交わしながら、若い侍女たちが行く先も帰るべき所も忘れて、心を奪われているのも無理がない水上の眺めでした。

 

 暮れかかる頃、「王城」というイタリアの舞踊曲がとても面白く聞えてきましたが、ゴンドラはテラスに漕ぎ寄せられ、侍女たちはしぶしぶ陸に上がりました。テラス舎のしつらえはいたって簡略な造りでしたが洒落ていて、紫上に仕える若い侍女たちが「誰にも負けやしない」とばかり意匠を凝らした衣裳や見目形は、花を撒き散らした錦にも劣らないように見受けます。

 あまり聞きなれないイタリアの楽曲なども奏でられます。踊り手なども念入りに選ばれていて、見物者を心ゆくまで楽しませるように技の限りを尽くしています。夜に入っても、ヒカルはまだ飽き足りない心地がして、前庭に篝火を灯らせて、階段の下の芝生に楽人を呼び、高官や王族たちも皆、弦楽器や管楽器を取り出して、とりどりに奏でます。専門の楽人たちも、ことに勝れた者が選ばれて、十二律の第六音で吹きたてると、階段の上で待ち構えていたハープの奏者が大層花やかに掻き立てます。風俗歌「ああ尊い」が歌われ出すと、何の分別もつかない卑しい身分の門番も「生きている甲斐がある」と、ぎっしり並んでいる馬や馬車の間に割り込んで、悦に入って聞き惚れています。

 

 空の色も物の音も、春の調べや響きは格別で、一段と勝っていることを人々は実感したことでしょう。人々は終夜、楽舞の遊びで明かしました。陰の調べから陽の調べに移って「春を喜ぶ」というイタリアの四人舞踊曲が添えられましたが、兵部卿が「青い柳」を繰り返し面白く歌いますので、主人役の太政大臣も声を添えました。

 夜が明けました。運河を隔てて饗宴の音色を聞き入っていた王妃は、「もう音色は聞けないのか」と朝ぼらけの鳥のさえずりを妬ましく聞きました。

 

 いつも春の光りが満ちたヴィランドリー城ですが、男どもが思いをよせる相手となる若い女性がいないことが物足りない、と思う人々もいました。そこへ玉鬘という姫君が登場して、難点がない様子でしたし、太政大臣も格別に大事に扱っている気配などが皆、世に知れ渡りました。ヒカルの思惑どおりに玉鬘に思いをかける人が多くいるようです。

「自分は大した人物だ」と思い上っている人の中には、玉鬘に仕える侍女に手蔓をつけて、気取りながら言葉をほのめかして言い寄る人もいましたし、どうしても言い出せずに内心で思いの炎を燃やしている若者もいたことでしょう。その中には内大臣アントワンの長男アンジェの中将なども、事情を知らずに恋心を抱いているようです。

 

 ヒカルの弟の兵部卿もまた、長年付き添っていた正夫人が亡くなって、ここ三年ばかりは独り住みをかこっていたので、今は何の遠慮なしに気色ばんでいます。今朝も随分酔ったふりをしながら、藤の花を頭にかざして、しなやかにはしゃいでいる様子はとてもおかしい光景です。太政大臣は「予想どおりになって来た」と内心でほくそ笑みながら、つとめて知らぬ顔をしています。酒杯が回って来ると、兵部卿はひどく苦しそうにして、「心に思っていることがなければ、とうに帰っていましたよ。酒はもう勘弁」と辞退してしまいます。

(歌)兄である貴方と縁故があるお方であればこそ この姫君を恋しているのです そのために淵に身を投げて 

   浮き名を流したとしても 悔むことはありません

と詠みながら、頭にかざしていた藤の花を添えて太政大臣に酒杯を回しました。

 ヒカルは大層微笑みながら詠みました。

(歌)淵に身を投げるべきであるかどうか 今年の春は彼女の側を離れずに 様子をご覧なさい

ヒカルがしきりに引き止めますので、兵部卿は立ち去ることができないまま、今朝の管弦の遊びもより一層面白く過ぎました。

 

 

2.秋好き王妃の聖典読書初日の演奏会と童子の舞

 

 今日は秋を好む王妃の四季ごとの聖典読書が始まる日でした。そのため、ヴィランドリー城を去らずに休憩所で過した後、昼用の礼服に着替えた人たちも多くいましたし、都合がつかない者は一旦、城を離れました。

 正午の頃、皆、王妃がいる秋の町に集まりました。太政大臣を始めとして全員が参列し、高官なども残らず出席しています。大概は太政大臣の権勢に引き立てられての出席でしたが、この上もなく高貴で堂々としたいでたちでした。

 

 春の町の紫上からの供養の志しとして、キリスト母子像に花が献じられます。献じる童女八人はとりわけ器量がよいものが選ばれ、鳥と蝶の衣裳に分けられています。鳥組は銀の花瓶に桜を、蝶組は金の花瓶にミモザを挿したものを持っています。同じ房と言っても、それぞれ見事で類ない匂いを放っているものが揃えられていました。

 童女八人は南町の境の築山から舟に乗って秋の町に入りましたが、池に入る頃に花瓶に挿した桜の花がちらちらと散っていきます。空はうららかに晴れ、霞の中から童女たちを乗せた舟が現れる光景は言いようもなく、優美に見えました。

 わざわざ平貼りのテントを移さず、回廊を仮の演奏場のようにして、楽者は折り畳み式の簡易椅子に座って奏でます。女童たちは正面階段に近寄って花を献じました。香炉と香を乗せた台を持って巡っていた人々が童女の花瓶を取り次いで、聖水器の側に供えました。

 

 ヒカルの息子の中将が紫上の手紙を持参しています。

(歌)下草に隠れて秋を待つ虫は 花園を飛び交う胡蝶ですら つまらないと見ているのでしょうか

「なるほど、昨秋に差し上げた紅葉の歌の返歌なのでしょう」とすぐに気付いた秋好き王妃は微笑みながら紫上の手紙を読みました。

 前日、南の町の大池で舟遊びを楽しんだ王妃の侍女たちは「本当に春の景色をけなすことはできません」とすっかり春の花に心を奪われていました。黒歌鳥がのどかに啼く声の中、「鳥の楽」が花やかに響き渡り、池の小鳥もそこはかとなく囀り続けていると、楽の調子が急に変わって終局となるのがこの上なく面白い。「蝶の楽」は蝶が軽やかに飛び立ちながら、咲き零れるミモザの花蔭に舞い出ていきます。

 

 王妃に仕える官位五位の被管職の亮を始めとして、しかるべき高官が王妃の心づけの品を童女たちに賜わります。鳥を演じた童女には桜色の細長のドレス、蝶を演じた童女にはミモザの黄金色のガウンが賜れました。前もって準備されていたのでしょう。楽の演奏者たちには白い単衣のガウンや巻いた絹布などが次々に賜れました。ヒカルの中将には藤色の細長のドレスを添えた女性向けの衣裳がかづけられました。

 

 秋好き王妃から春好きの紫上からの返信です。

「昨日は春の町から聞える音が羨ましくて泣きたいほどでした」。

(返歌)ミモザが咲く 築山の隔てがなかったなら 私も胡蝶に誘われてそちらへ伺ったことでしょう

 何事においても勝れた身分の方々にとっても、こうしたやり取りは不得手なのでしょうか、紫上の歌も王妃の返歌も十分な出来とは言えません。昨日の南町の饗宴を見物した王妃付きの侍女たちにも皆、紫上から意匠の面白い贈り物がされましたが、そんなことまで詳しく書くとくどくなってしまいます。

 ヴィランドリー城では明けても暮れても、こうした他愛のない遊びが頻繁に行われて心を慰めていましたから、仕える人たちも自然と何の心配もいらない気持ちになります。南の町と秋の町の間で、あちらにもこちらにもと手紙をやり取りするようになっています。

 

 

3.フランス軍、北部イタリアで苦戦し退却

 

 昨年九月にミラノ公国奪還をめざして北部イタリアに進撃したフランス軍を率いる総帥はボニヴェ(Bonnivet)閣下でした。総帥は神聖ローマ帝国が本格的にフランスへの攻撃を始めた二年ほど前、大西洋岸の低バスク地方のフォンタルビの戦いでスペイン軍を撃破したことで、一躍英雄視されるようになっていました。ヒカルがブルターニュ地方に流れ、サン・ブリューにまだ滞在していた頃、ミラノ公国奪還の命運を決したマリニャン(Marignan)の戦いで活躍し、敵側からも勇猛な騎士として畏怖もされているバヤール(Bayard)大将もフランス軍の先頭にいました。

 

 フランス軍は順調にミラノ公国に近づいたものの、帝国側に寝返ったシャルル・ブルボン元帥がフランス軍の戦法と弱点を帝国軍に教えたせいもあるのか、年を越えたあたりから、徐々に撤退を余儀なくされるはめとなり、その最中、頼みの綱のバヤール大将が瀕死の重傷をおってしまいました。勢いに乗る帝国軍は南フランスのプロヴァンス地方へ攻め込んで来る気配も示し始めました。

 

 巻き返しを謀るべく、内大臣アントワンを中心に作戦の練り直しが進められ、ヒカルも会議に参画していました。最前線の状況報告でエクス・アン・プロヴァンス駐在の武将一行がアンボワーズ王宮に上がって来ました。一行は手土産として、北フランスでは珍重な蛍の幼虫を携えて来ましたが、ヴィランドリー城に幼虫の飼育に適した場所がある、との理由でヒカルが幼虫を引き取りました。

 

 

 

               著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata