その17.絵合(えあわせ)   (ヒカル 30歳) 

 

4.藤壺女院の絵合

 

 藤壺女院も王城に滞在していた頃で、集まっている作品をご覧になっていると、ほってはおけなくなって勤行も怠りがちに見入ってしまいます。女官たちがめいめいに議論し合っているのを聞いて、左方と右方の二組に分けてみます。

 左方の梅壺側には女官の女官の侍従お付きの少将、右方のアンジェリク側には女官の大貳、お付きの中将、お付きの兵衛が揃いました。いずれも今の世間から心憎いほどの有識者として認知されており、思い思いに言い争っているのを興味深く聞いています。

 

 藤壺女院はまず、梅壺側の「ローランの歌(Le Chanson de Rolannd)」とアンジェリク側の「恋するローラン(Roland Furieux)」を競い合わせます。偶然にもシャルマーニュ大王の十二勇将(パラディン)の筆頭で、大王の甥ローランを主人公にしていますが、「ローランの歌」は十一世紀に書かれたフランス最古の叙事詩、「恋するローラン」は数年前にイタリアで発表されたばかりの新作で、新旧のローラン対決ともなりました。

 左方は「ローランの歌」について「サラセン人の西ヨーロッパ侵攻を防ぎ、討ち死にしたローランの英雄ぶりは騎士道物語の原形を作りました。角笛オリアンと聖剣デュランダルも象徴的です」と強調しますが、右方は「もう陳腐化してしまったお話しです」とあっさり片付けてしまいます。

 絵はムーラン先生詞書はゴチック詩派の詩人の手によるものです。装丁は羊皮紙を使い、表紙は赤紫、表紙裏は薄地の模様入りの織り布を貼り、背表紙は東インド産の赤朱色の堅木を使った、無難な体裁でした。

 

 続いて、右方の「恋するローラン」の論戦に入りました。右方が「これこそ騎士道小説の最新作でありましょう。多神教徒の恋人アンジェリクの救出で世界中を放浪していくローランは、新大陸発見にわく現代を具象化している斬新さがあります」とまくし立てます。装丁は白い色紙を使い、青の表紙、背表紙には黄色の玉石をちりばめています。絵は新鋭のジャン・クルエ(Jean Clouet)、詞書は小押韻派の詩人によりますが、現代風の派手さがあって目も輝くばかりに見えます。左方からの反論は特にありません。

 

 次に左方の「ランスロあるいは荷車の騎士(Lancelot ou le chevalier à la charlotte)」、右方の「巨人モルガンテ(Morgante)」の論争になりましたがまたもや決着がつきません。前者は十二世紀のアーサー王伝説の騎士の、後者は1483年にイタリアで執筆された作品でローランの従者となったモルガンテの冒険を描いています。この回も古典ものと新作ものの対決となりました。今度も右方は面白そうに賑やかで、王宮の模様から始めて、最近の有様を描いているのが楽しげで、見所が勝っています。

 

 左方の女官の平が「敵国の捕囚となったアーサー王のゲニエーブル(Guenièvre)王妃に恋するランスロが救出しようとする犠牲的精神こそ、まさに騎士道の象徴で古典文学の華でございます。

(歌)ランスロの深い心をたどろうともせずに 単純に古臭い物語ときめつけて 貶し捨ててしまうことができましょうか

世にありふれた言葉巧みな恋愛小説ときめつけて、ランスロの名を汚してよいものでしょうか」と挑発しますと、右方の女官の大貳が反論します。

「ローランの従者となった巨人モルガンの冒険談。これこそアフリカ、新大陸など地球冒険の時代に叶った新しい騎士道文学でございます。アーサー王伝説などもはや古臭くて」

(歌)地球的な規模で行動する巨人モルガンの眼から見ると ランスロの救出劇なんて ちっぽけなものにすぎません

 

 すると藤壺女院が口を挟んで「モルガンの規模の雄大さは捨て難いとは思いますが、アーサー王とランスロの名を汚してはなりませんよ」と言いながら、詠みました。

(歌)ちょっと見では 古臭く思えましょうが 十二世紀のフランスが誇る名作を おとしめることはできないでしょう

 

 

5.御前の絵合と、サン・マロの絵日記

 

 こうした具合に女たちが入り乱れて言い争いをしますので、一絵ごとに多くの言葉が費やされて、すらすらと進みません。思慮の浅い若い侍女たちは死ぬほど見たがっているものの、王さま付きの侍女も女院付きの侍女も片端すら絵を見ることができないほど、貴重品扱いとなっています。

 

 女性たちの騒ぎようを聞きつけて、ヒカル大臣が入って来ました。こうやって、てんでに争い騒いでいる模様を面白く思って、「同じことなら王さまの面前で、この勝負の決着をつけよう」と言いだしました。かねてから「こういう事もあろうか」と考えていましたので、特別なものは選り残していたのですが、思うところがあってその中にサン・マロとサン・ブリューの二巻を加えてみます。

 アントワンも負けてはいませんが、こうしたこともあってか、巷では面白い画集や絵を集めることが流行します。

「今になって、新しく描かせるのは不本意だ。すでに持っているものだけで済まそう」とヒカルは提案しますが、アントワンは人には知らせずに、特別の部屋に画家を招いて描かせます。

 

 朱雀院もそうした噂を聞きつけて、手持ちの絵を梅壺へ贈ります。王宮の一年にわたる儀式で、面白く興趣がある光景を昔の名人たちがとりどりに描いたものに、桐壺王の父王が自ら絵の趣旨を書いたものや、さらに自分の在位中の出来事を描かせた画集の中に、梅壺がランスに下った日の謁見の間での儀式が心に深く刻まれていましたから、その光景を描くように詳しい注文を出しました。コラン・ダミアン(Colin d'Amiens)が担当しましたが、非常に見事に仕上がりましたので、贈り物の中に加えました。優雅な透かし彫りをした沈香の箱の上に乗せた、同じ誂えの飾りつけはとても現代風です。

 

 挨拶は口上だけにして、院にも伺候している官位四位の左近衛府の中将を使いとして遣りました。謁見の間に前斎宮を乗せた御輿が着いた際のおごそかで荘重な画面に

(歌)今はもう 王宮の外にいる身だが あの当時の貴女への心持ちは 今でも忘れずにいる

とだけ書いてありました。

 返礼をしないのは恐れ多いことなので、梅壺は苦しい思いをしながら、謁見の間の儀式の日につけていた簪(かんざし)の端を少し折って、

(歌)王宮の中は 昔とすっかり変わってしまった気がして 神に仕えた斎宮時代が 今になって恋しくなっています

と書いて、ベネチア製の薄藍色の紙に包んで渡しました。お使いへの俸禄なども大層優美なものを差し上げました。

 

 朱雀院は梅壺の返信を読んで「限りなく悲しい」と感じ、在位中の頃を取り戻したい気持ちになりました。梅壺と自分を引き離してしまったヒカル内大臣に対しても「ひどい仕打ちだ」と思われたことでしょう。これも過去に母太后と自分がヒカルにしたことへの報いなのでしょうか。

 朱雀院が保有する絵の多くは母の紫陽花王太后から引き継いだものでしたが、朱雀院とスリー城に住んでいる朧月夜を仲介してアンジェリクへも贈られました。朧月夜もこういった絵画の趣味は人一倍勝れていますので、姪のアンジェリクのために興味を引きそうな作品を集めています。

 

 絵較べ試合の日取りが決まると、急なようでしたが王室の西側の大広間にちょっとした風流めいたしつらいがなされ、左方と右方の絵が持ち込まれます。女官や侍女の詰め所に臨時の王座が設けられ、招待者が北と南に分かれて着席します。王宮人たちは大広間を挟んだ控えの間の前に敷かれた板敷きに、それぞれ応援する側に陣取りました。

 

 左方は東インド産の朱色の堅木で作った箱に画集を入れています。置き台の脚は熱帯アジア産の濃褐色の木をブドウ蔓状に彫り込んでいます。置き台を覆う布はブドウ色染めのイタリア製の薄手の模様織りで、置き台の上にイタリア製の厚手の模様織り錦が敷かれています。側に控える童子は六人で、赤色の表衣の上に桜色のコートを羽織り、表衣の下のシャツは藤色重ねの織物でした。姿や心構えなど一通りではありません。

 

 右方は熱帯産の香木で作った箱で、置き台は香木の若木の軽く白い材質を使い、置き台を覆う布はフランドル製の青丹色の厚手の模様織り錦で、錦が外れないように結んだ組紐や置き台の脚の彫り込みの趣向などは花やかな現代風です。童子は青色の表衣の上に柳色のコート、表衣の下は黄色のシャツでした。

 

 童子たちが皆で王座の前に画集を並べます。王さまに仕える侍女たちはドレスの色を前後で違えています。王さまのお召しでヒカルとアントワンが入場しました。ミラノ大画伯も興味深い面持ちで顧問挌として招かれています。その日、ヒカルの弟の帥(そち)の宮も王宮に上がっていました。帥の宮も芸術方面では奥深い趣味があって、絵を好んでいましたから、ヒカルが内々に勧めたのでしょうか、公式のお召しというのではなく、王宮に居合わせていたのを王さまの仰せがあったから、という形にして出席しています。ミラノ大画伯に審判を頼まれましたが、やんわりと拒まれたので、帥の宮が判定役を務めることになりました。

 

 なるほど並々とは言えない、入念に描かれた絵が多いので、優劣を判定するのが全然できません。例の四季を描いた作品も、昔の名人たちが興味を抱かせる画題を選んで、達者な筆で描き出した風情はたとえようもなく優れて見えますが、紙や羊皮紙には寸法に限りがあって、山水の豊かな情景を充分に描きつ尽くせないものですから、ただ筆先の技巧や人の趣向の好みに合わせて描かれています。奥深さに欠ける新しい絵も古画に劣らず、心を惹かせる華やかさがあり、「なるほど興味深い」と感じさせるようなところは古い画よりも勝っているものもありますから、優劣が決め難く、今日はどちらの議論も聞き応えがあるものが多くありました。

 女官や侍女用の食事所のカーテンを開けて、女院も観戦しています。ヒカルは「女院は絵がお好きで鑑賞力も深いから」と床しい思いがしますが、判者の判断が心もとないような折々、時々、女院が適切な言葉をはさむのも望ましい限りです。

 

 勝敗が決しないまま、夜に入りました。老齢のミラノ大画伯はすでに退席していました。左方が一番勝ち越している最後の番になって、左方はヒカルのサン・マロの画集を披露しましたので、アントワンの胸が騒ぎます。右方も心積もりをしていて最後の画集に特別に優れたものを選んでいたのですが、ヒカルのような並々ならぬ腕前を持つ者が、心の限り思いを澄ましてじっくりと描きあげた風景はたとえようもありません。判者の帥の宮を始めとして皆、感涙を止めることが出来ません。

 ヒカルがブルターニュを彷徨していた当時、「気の毒な。悲しいことだ」との思いをしていたものの、実際の光景や感傷の様子が目の前のように見え、その地の有様、名も知らない浦々や磯があますところなく描き現わされていました。説明文はフランス語に所々ラテン語が混ざっていて、正式な詳しい日記ではありませんが、身に沁みる歌も書き入れてあって心が惹かれます。誰もが異議を挟みません。それまで見てきた他の様々な絵の面白さを皆忘れて、ヒカルの絵にしんみりと引きつけられてしましました。ヒカルの画集にすべてが圧倒されて、左方の勝利となりました。

 

 

6.絵合の後宴と無常感

 

 夜明けが近づいて来た時分にヒカルは何となくしんみりした気分になって、酒盃を傾けながら、帥の宮と昔話を交わしました。

「私は幼い頃から学問に身を入れてはいたのですが、故院は少しは私に学才があると見てとったのでしょうか、あえて語ったことがありました。

『学問というものは世間で非常に重んじられているせいであろうか、奥義まで深めていこうとする人を見てみると、長寿と幸福の双方を兼ね備えることができた者はいたって少ない。高い身分に生まれるか、そうでなくとも人に劣らないと自負している者は、必ずしも学問の道を奥深く修得しない方がよい』と諭されました。

 故院は学問以外の政治の道や芸能ごとを学ばさせてくれましたので、そうした方面では劣っているわけではないものの、そうとりたてて『これだ』という得意分野はできませんでした。ただ絵を描くことだけは、つまらない芸事かもしれませんが、不思議と何とか心行くまで描いてみたいということが折々ありました。思いがけなく、さすらいの身になってブルターニュの四方の海の深みに接して、思い残すことなく極めてみようと思い立ったのですが、筆が及ぶ所には限界があって、思い通りには描ききれませんでした。人に見せる機会もなく、人に見せるべきでもないと考えていました。こんな物好きな絵を後世の人はどう評価すろだろう」と弟に語りました。

 

「何の芸道でも気持ちがこもっていなかったなら、習得はできません。それぞれの道には師匠がいて、学んでいく道筋を教えてくれますので、度合いの深さ、浅さは分かりませんが、何とか真似をして痕跡を残すことができます。ところが筆を使うことと、チェスを打つことは不思議と天分の才に左右されます。さほど深くは習っていない愚かに見える者でも、相当の絵を描いたり、チェスを打つことがあります。それでも高貴な家の子弟の中には、やはり常人を抜きん出る人がいて、何事も好んで修得してしまうように見受けます。

 故院はお側にいる親王たちや内親王のいずれにも、てんでに様々な芸事を習わせました。その中でも貴方にとりたてて留意されて教え込まれました。その甲斐があって貴方は『詩文は申すまでもなく、それ以外の技芸ごとのうちでは、ハープを弾くことが第一に秀でている。次にフリュート、リュート、チェンバロ(ハープシコード)をも次々に修得した』と故院が語っておりました。

 世間の人もそう存じ上げていたのですが、『絵の方は筆の動くままの遊びにすぎない』と私も思っておりました。でもここまでとは予想だにしていませんでした。昔の淡彩画の名人たちでも、跡をくらませて逃げ出してしまうほどの腕前だとは、かえってけしからぬことです」と帥の宮はしどろもどろ気味に話して、酔い泣きとでも言うのでしょうか、故院の思い出を語りながら、しんみりとしています。

 

 二十日過ぎの月が射し出してきて、月光はまだ室内まで射し込んではきませんが、空一帯が明るくなる時刻でした。女官の仕事部屋から楽器類を取り寄せて、アントワンにハープを渡しますと、あれこれ言うものの、並みの人よりも巧みに掻き鳴らします。続いて帥の宮がチェンバロ、内大臣がハープ、リュートは付き人の少将が担当して、王宮人の中の優れた者を呼んで拍子をとらせます。中々、面白い合奏となりました。

 夜が明け放れていくにつれ、花の色も人々の姿もほのかに見え始め、鳥のさえずりも心地よい、すがすがしい朝ぼらけでした。女院から下賜品が渡されます。判者を勤めた帥の宮にはそれに重ねて衣服も賜わりました。ミラノ大画伯にも俸禄が贈られたのはもちろんのことです。

 

 巷ではしばらくの間、ヒカルの絵日記の評判で持ちきりでした。

「あの浦々の画集は女院にお渡しください」とヒカルが申し入れします。女院は絵日記の始めの画集や残りの巻々も見たがりましたが、「いずれ順繰りにお見せしましょう」と答えます。王さまも絵合わせに満足した様子でいたのを、ヒカルは嬉しく感じます。

 こうしたちょっとしたことでも、こんな具合にヒカルが梅壺を引き立てますので、アントワンは「王さまの寵愛は梅壺に圧倒されてしまいはしないか」と面白くありません。それでも娘は貴婦人として最初に上がったのだから、王さまも愛着があるようで、今も愛情を注いでいる様子を人知れず見聞きするのが頼もしく、「いくらなんでも」と見定めています。

 

  ヒカルは「王宮でのしかるべき公儀などで『この王さまの時代から始まった』と後世の人が言い伝えていく事例を作っていこう」と考えていますので、ほんの私的な出来事でしかないちょっとした遊びでも、珍しい趣向を凝らすなど、誠に盛んな時勢となっています。そうした中でも、内大臣はなおも世の中を無常に感じていて、「王さまがもう少し大人びいて来るのを見届けてから、やはり俗世界を離れていこう」と深く思い詰めでいるようです。

「昔の事例を見聞しても、歳若くして高位に昇り、世に抜け出た人でも長くは続かないものである。自分は今の時代に過分な待遇と地位を得た。途中で無官となって沈んでしまったが、その苦労もあったせいか、今日まで幸運が長続きしている。とは言え、今後の栄華がどうなるか不安である。これからは静かに引き籠って、後の世に向けた勤めをしながら寿命を延ばしたい」と思い、ル・ロワール河畔のラヴァルダン(Lavardin)の閑寂な土地を入手して、シャペルの建造やキリスト像、聖書や注釈書の準備を合わせて始めました。

 

 それでも「まだ幼いアンジェの若君やサン・ブリューの姫君は大事に育てねば」との思いもありますし、現実として、差し迫っている皇帝選挙の対応に追われていますので、すぐに世を捨て去ることは難しいようです。本心ではどう思っているのか、知るすべもありません。

 

 

 

 

              著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata