その29.行幸           (ヒカル35歳~36歳)

 

5.ヒカル、内大臣と昔語りし、玉鬘をほのめかす

 

 久しぶりの二人だけの対面に、ヒカルも昔のことを自然に思い出しました。二人が離れている時は、他愛がないことでも競争心を起こしたりしますが、差し向かいで話すと、お互いに若い頃のしみじみとしたことの数々が思い出されて、あの当時のように隔てなく、昔や今のことなど積もる話で日が暮れて行き、しきりに酒杯を交わしました。

「すぐにこちらに伺いもせず、申し訳なかった。大宮からのお呼び出しがなかったので、来るのを遠慮していたのですが、来なかったらお叱りを受けるところでした」とアントワンが言うと、「お叱りを受けるのはこちらの方です。お怒りと思うことが多くありますから」などとヒカルが意味ありげに答えますので、内大臣は「やはり娘と夕霧の件か」と感じて、煩わしくてかしこまった様子でいました。

 

「昔から公けごとも私ごとも心の分け隔てもなく、大小のことを相談し合い、いずれ左右の翼を並べて王宮の補佐役を務めよう、と思っていました。しかしこの歳になってから、当初考えていた本意とは違うことも時々出て参りました。でもそれは内々の私事に過ぎず、本来の志しには少しも変わりはありません。いつともなく年齢が加わっていくにつれ、昔のことが恋しくなっていますが、対面していただくことも稀になっております。何事にも限りがありますから、面倒な振る舞いだと思われるでしょうが、旧知の親しい間柄なのですから、ご威勢を少し控えていただいて、訪ねて来てはくださらないか、と恨んでしまう折々もあります」とヒカルが切り出しました。

「確かに昔は気安く、奇妙なほど不都合なことになるまで馴染みあい、心の隔てもないお付き合いをいたしました。王宮に仕え始めた頃は、羽を並べるような数には入りませんでしたが、嬉しいお引き立てをいただくようになりました。はかばかしくもない身で、ここまでの地位に昇り王宮に仕えていることを考えると、そのご恩を思い知らずにいられません。歳を重ねていきますと、なるほど自然と怠慢になることばかりが多くなっていきます」などとアントワンは詫びますが、そのついでにヒカルは雨夜の品定めでアントワンが語った女性の落とし児の話をほのめかしました。

 

「非常に感慨深い、珍しいことですな」と内大臣はまず涙を浮かべました。

「その当時から、どうなっているのか、と行方を捜していたことは、その昔、心配するあまり何かの折りに貴殿にも漏らしたことがあります。今では、少しは人並みにもなりましたので、自分の子供だとはっきりしている者たちが、あちらこちらにうろうろしているのは体裁が悪く、見苦しいと見きわめまして、そういった者を幾人も拾い集めてしんみりとしていたりするのですが、そんな折りに真っ先に思い出すのは、今話された母子のことでした」と話すうちに、昔の雨夜の談義で色々と女の品定めをしたことをふと思い出して、二人は泣いたり笑ったりしながら、打ち解けていきました。

 

 夜が大層更けたので、二人はそれぞれ自邸に戻ることにしました。

「こうして二人きりで会うと、随分と久しくなった昔のことを思い出して、青春の頃が恋しく忍び難くなって、自邸に戻る気にもなれない」とめったに気弱にならないヒカルも、酔い泣きのように湿っぽくなっていました。

 大宮は言うまでもなく亡くなった娘の葵君のことを思い出しながら、若い頃に勝るヒカルの有り様や威勢を間近に見て、悲しみが尽きない思いでした。ヒカルとの別れを惜しんで、しおしおと泣く修道女姿は実に格別な風情でした。

 せっかくの機会でしたが、ヒカルは夕霧の件は切り出さずにいました。内心では「この件に関しては内大臣は心遣いに欠ける」と不満を抱きながらも、「あえて口出しをするのは、体裁が悪いことになるし」と思い留まっているわけです。一方の内大臣はヒカルの方から切り出してくる気配がないので、自分の方から出過ぎたことを言い出すのは難しかったのですが、さすがに胸につかえがある気持ちでした。

 

「今夜はソーミュールまでお供をして同道すべきでしょうが、急なことだと大騒ぎになるかもしれません。今日のお礼はまた改めて伺うことにします」とヒカルが切り出しますと、「そうですね、母の病状も良くなったように見えますから、申し上げる日を間違えずに必ずアンジェ城にお越しください」とアントワンは約束しました。

 二人が邸内から機嫌よさそうに出て来たので、城内はたちまち活気ある空気に変わりました。貴公子たちやお供の人々は「一体、何事があったのだろう。珍しい対面の後、大層ご機嫌が良いと言うことは」、「ヒカル殿が太政大臣に昇格された際、内政を内大臣に譲られたことがあったが、今回も何かの譲渡があったのだろうか」と勘違いする者がいましたが、誰も玉鬘についてだった、とは思い至りませんでした。

 

 ソーミュール城に戻った内大臣は、早速に玉鬘のことが気掛かりになって、出逢いが待ち遠しくなりましたが、「そう早々と引き取って父親ぶるのもおかしなことだ。ヒカルが捜し当てた当初のことを考えると、定めしすっぱり手離すことはないだろう。ヴィランドリー城に住む高貴な婦人たちに遠慮して、新しい愛人として扱うことはなかろうが、中途半端にしておくのは煩わしく、世間の噂も考えて、こうやって私の実子であることを明かしたのだろう」と考えると残念になりますが、「それでも当人の傷になることはあるまい。故意にヒカルと縁を結ばせたとしても、世間体が悪いことでもない。仮に玉鬘を王宮の勤めに出そう、と計画しているとすると、アンジェリク貴婦人なども不快に感じるであろう」と思いながら、「どちらにせよ太政大臣が予定している方針に従うしかあるまい」とあれこれ思いをめぐらせました。

 

 

6.玉鬘の裳着と方々の祝儀、末摘花の歌評

 

 玉鬘の正装の儀式について、ヒカルから内大臣に話があったのは二月初めのことで、冷泉王がイタリアから凱旋帰国をする前に済ませておこう、ということになりました。

 二月は十六日が吉日に当たる、ということで、占星術師も「近いうちでは、この日以外は吉日はありません」と報告しますし、玉鬘の祖母となる大宮の具合も良さそうなので、ヒカルは準備を急ぎました。

 例のように玉鬘の住まいを訪れて、内大臣に真実を打ち明けた模様を仔細に話し、実父と出逢う式の当日になすべき心得を教えました。「その慈愛のお気持ちは実の父親以上だ」と玉鬘は有り難いと思いながらも、実の父と出逢えることで嬉しくなりました。

 

 そうした後、ヒカルは息子の中将にも、真実と自分の本心を内々に告げました。

「不思議な様子も目撃したが、もっともなことだったのだ」と夕霧は嵐の日の光景にも合点がいきました。あの思うようにいかないソーミュール城の人の有り様より美しかったことを素直に思い出して、「なぜ思いを寄せなかったのだろう」と自分が愚かだった気分がしました。けれども「五歳以上も年上の女性に対して、あるまじきねじけた心持ちだ」と思い直すのは、有り難いほどの真面目ぶりです。

 

 儀式の当日になって、アンジェの大宮からこっそりと使いがありました。急な作業だったでしょうが、櫛箱などしかるべき物を大層きれいに整えて、付いていた手紙には「お逢いしたいのですが、縁起が悪い修道女の身ですから、本日は遠慮しました。それでも私の長寿だけはあやかっていただく、ということで」とありました。

「貴女の悲しい身の上と私の孫であることを伺いましたが、それ以上のことは貴女のお気持ちに従いましょう」。

(歌)どちら側から言いましても 美しい化粧箱のような貴女は 私にとって切っても切れない孫に当たりますね

と、震える手で古風な字体で書かれていました。

 同席していたヒカルはあれこれと指図をしていましたが、大宮の手紙を読みました。

「古風な文面ですが、おいたわしい筆跡ですね。昔はもっとお上手でしたが、歳をとるに従って筆跡も奇妙に老いていくものですね。お気の毒なほど手が震えていますね」と読み返しながら、「よくよく『美しい化粧箱』にこだわっています。わずか三行の中に他の言葉を添えていませんが、それなりに苦労されたのでしょう」とそっと笑いました。

 

 秋好王妃からは、白い衣裳やイタリア製のドレス、髪上げの道具など、二つとない立派なもので、地中海産の薫り物は特別に匂い深い物が贈られました。ヴィランドリー城の女性方も皆、気を使って衣裳や侍女たちの必要品として櫛や扇までとりどりに贈りました。それぞれ劣りも勝るもしない品々で、どの品も心をこめて競い合っていますので、見事な品々に見えました。

 シセイ城に住む女性たちも、こうした急ぎの儀式の実施を耳にしたものの、「お祝いを申すべきほどの分際でもないから」と差し控えることにしました。ところが王族の末摘花は妙に折り目正しく、こうした祝い事の挨拶を見逃すことができない、昔気質な性格でしたから、「この急ぎの式をよそ事では済まされようか」と思ってか、型通りに贈り物を送って来ました。まさに哀れむべき志しと言えましょうが、青鈍色の細長ドレス、落栗色というのか何なのか、昔の人が好んだ裏地付きのスカート一式、紫色の白っぽく見える霰(あられ)模様の上着を結構な衣裳箱に入れ、麗々しく上包みをかけています。

 手紙には「お見知りいただく数にも入らない身でおこがましいのですが、こうした折にはじっとしていられません。とてもつまらない物ですが、侍女たちにでも与えてください」とおっとりと書かれていました。

 

 手紙を見たヒカルは「何て浅ましいことを。例のように」と恥じ入って、顔を赤くしました。

「妙に旧弊な人なのですよ。いつもは遠慮がちの人なのだから、引き籠ったままでいてくれたなら。さすがに恥かしい」と言いながら、玉鬘に「とにかく返事は出しなさい。体裁が悪いと思うでしょうが、父親のコンピエーニュ卿が非常に愛された末娘ですから、常人並に扱うのは心苦しいからね」と話しました。贈ってきた上着の袂に、例のようにいつもと同じような歌が入っていました。

(歌)貴女のイタリアのドレスの袂にはなれないと思うと 私自身が恨めしく思います

 昔も下手な筆跡でしたが、むやみやたらに字が縮み、深く彫り込んだように強く固く書いてありました。ヒカルは不快ではあるものの、おかしさを堪えかねて、「この歌を詠むまで、さぞかし苦心をしたことだろう。昔だったら、侍従スザンヌのような救い手がいたのに、今は誰もいないから、さぞかし難儀したことだろう」ととても気の毒に思ったりしました。

「そうだ。忙しいが、私が返事を書くことにする」と言って、「不思議と人が思いつきそうにもないことをされますが、そうあっては欲しくないことです」と憎らしげに書き出しました。

(歌)イタリアのドレス、再びイタリアのドレス、 イタリアのドレス、返す返すイタリアのドレス

と詠んで、「あの人はひどく真面目ぶりながら、『イタリアのドレス』という言葉をとりわけ使いたがるので、私もそれに順じましたよ」と玉鬘に見せてみます。

 玉鬘は大袈裟に笑って、「お気の毒に。そんなにからかうなんて」と当惑していますが、ヒカルはそんな他愛もないことをよくしました。

 

 内大臣はヒカルから玉鬘の正装儀式の介添え役を頼まれた時は、そんなに気乗りがしませんでしたが、自分の娘だと知った後は「いつの日になるのか」と待ち遠しくなって、式の当日は早目にヴィランドリー城に行きました。

 儀式はしきたり通りの限度を越えて、珍しいほど行き届いていました

「これもひとえに太政大臣の心尽くしのお蔭だ」とアントワンは感じて、かたじけなく思いながらも、風変わりなことだな、とも感じずにはいられませんでした。

 内大臣は夜十時に玉鬘の室に設けられた式場へ案内されました。式場の飾りつけは申すまでもなく、内大臣の席は二つとないほどの華美なしつらえで、数々のご馳走が運ばれました。普通の式場よりも灯火は少し明るめにされていて、気を利かせたもてなしぶりでした。娘の玉鬘をじっくり見てみたい思いでしたが、その晩は不用意なことはできません。介添えをする際はさすがに堪えかねない様子でした。

 

 主人役のヒカルがアントワンに「玉鬘のことも含め、これまでの経緯はまだ公けにしていませんので、今宵は通常の作法に留めておいてください。事情を知らない人たちの手前、やはり普通の作法に従っていますから」と耳打ちしました。

「本当に何とも申し上げる言葉もない」と言いながら、酒杯を交わしますが、内大臣は「言葉に尽くせないご親切は世の中に例がないほどだ」とヒカルに感謝しながらも、「今まで隠しておられた恨みを言い添えずにはいられませんよ」と愚痴ったりもしました。

(歌)玉のような裳を着るまで 磯に隠れていた 海女の心が恨めしい

と、内大臣は玉鬘に向けて歌を詠みましたが、堪えきれずに涙で袖を濡らしていました。

 玉鬘は式場に集まっている高貴な方々に気が引けて、実の父への返歌ができません。そこで、ヒカルが代って返歌をしました。

(歌)寄る辺もなく こんな渚に身を寄せて 漁師も捜しそうにもない 藻屑と思っておりました

「何ともぶしつけな恨み言ですね」と返しましたので、内大臣は「確かにもっともなこと」としか答えようがないまま、式場を出ました。

 

 式場の外では親王たちを始め、多くの来賓が集まっていました。玉鬘に求愛した者たちも多く混じっていましたが、式の介添え人を内大臣が務めたことを「どういうわけなのか」といぶかしがっていました。内大臣の長男の柏木中将は玉鬘は腹違いの姉であった真相をぼんやりとは知っていたので、姉弟の関係であったことを知らずに思いを寄せたことを塩辛く思い出しながらも、肉親が増えたことを嬉しくも思っています。冷泉王に従ってイタリア遠征中の弟ロランにその旨を手紙で伝えたところ、「思いを打ち明けずによかった」との返信がありました。

 

 人々が「いつもとは違った太政大臣の物好きからなのだろう」、「秋好王妃のように養女の扱いをするのだろうか」と言い合っているのを感じ取ったヒカルはアントワンに「とにかくしばらくの間は注意を払って、世間のそしりを受けないようにしましょう。何事においても、気楽な身分の人なら、無作法なことをしてもともかく許されましょうが、様々な人が貴方にも私にも色々とうるさく言ってきて、常人よりも面倒なことになりましょう。とにかく角が立たないようにして、玉鬘の存在が次第に人目に馴れていくようにしていくのが良いでしょう」と話しますと、アントワンは「そのお考えに従いましょう。こうまで娘をいとしんでくれ、養育してくださったのは前々からの宿命があったからでしょう」と返答しました。

 式典後は贈り物などは無論のこと、引出物や俸禄には身分に応じた慣習があるので限りがありますが、それに加えて、またとないほどの品々が授けられました。大宮の病の影響もあって、管弦など花やかな遊宴はなしでした。

 

 

7.蛍兵部卿の玉鬘懇望、ヒヤシンス君の女官長願望

 

 蛍兵部卿は「玉鬘はもう正装の儀を済ませたのだから、とやかく言う差障りはないでしょう」と懸命に結婚を熱望しますが、ヒカルは「王宮からの要望をお断りしたものの、再度要請があったので、ともかく女官長として出仕させることにします。其の上でその他のことを検討してみます」と返答しました。

 父の内大臣は「ほのかな灯火で見たものの、どうにかしてはっきりと娘を見てみたい。不充分な容貌であったら、太政大臣もあそこまで大事にすることはないだろう」とますます気になって恋しくなり、今になって「夢占いは本当だった」と合点がいきました。

 

 内大臣は娘のアンジェリク貴婦人にだけは詳細を打ち明けました。周囲の者には「しばらくの間、世間の噂に上らないようにしなさい」と口止めをさせていましたが、口さがないのが世の中の人たちです。自然と言い散らされて、段々世間に知れて行きました。

 あの手に負えないヒヤシンス君も聞きつけました。アンジェリク貴婦人の部屋に兄弟の柏木中将やフェリックスがいる中にしゃしゃり出て、「内大臣は娘さんを見つけられた、ということで誠におめでたいことです。それにしてもどうして内大臣と太政大臣のお二人に大事にされるのでしょう。その娘さんも母親の身分が低い、と聞きますのに」と無遠慮に話しますので、アンジェリクは「困ったことを」と思いながら、何も言わずにいます。

 

「お二人が大事に扱われるのは、そのなりの仔細があるからでしょう。一体、誰から聞いて、そんなことを出し抜けに言うのです。おしゃべりな侍女たちが聞き耳をたてているのに」と柏木中将が釘を刺しました。

「そうおっしゃいますが、すべてを聞いてしまいましたよ。女官長になられるということですね。私があえてこちらに仕えてみようと決めたのは、いずれはそうした見返りがあることを期待したからです。それだからこそ、普通の侍女たちがしないことまでして仕えております。それなのにアンジェリク様は薄情でおられます」と恨んでいますが、皆は笑い合いました。

「女官長の席に空きがあったら、私こそなってみたいものです。あなたがなりたいなんて、望み過ぎというものですよ」と柏木中将が言うと、腹をたてたヒヤシンスは「ご立派な兄姉の皆様の中に、数にも入らない人間が混じり込むことはなかったのですね。それもこれも、中将殿が悪いのです。おせっかいにも賢ぶって私をソーミュール城に迎え入れたのに、馬鹿にして嘲笑するなんて。これではなまじっかな者はこの城でやっていけません。困った、困った」と徐々に後ろに下りながらも、睨みつけています。憎げはありませんが、意地悪そうに目尻を吊り上げています。そう名指しされた柏木中将は「確かに自分の失錯だった」と恥じながら、真面目顔をして黙っています。

 

 代ってフェリックスが「おっしゃる通り、あなたは懸命に仕えておられるので、アンジェリク様もおろそかに思ってはいませんよ。心を静めてじっと念じていれば、硬い岩でも木っ端微塵になることがあるのですから、願いごとが叶う時もあるでしょう」と笑いながら慰めました。

 柏木中将は「オリンポス山の岩戸に引き籠っていらっしゃい。その方が無難ですよ」と言って部屋から出て行きますので、ヒヤシンスは「この方々までが皆、すげなくされますが、ただアンジェリク様だけが哀れに思っていてくださるので、仕えているのです」と言いながら、大層こまめにかいがいしく、下女や女童などさえ我慢できない雑用まで走り歩いて、精一杯勤めていきます。とは言うものの、「どうぞ私を女官長に推薦してください」とアンジェリクを責め立てますので、「浅ましいことを。何を考えて、そんなことを言うのだろう」と呆れて、アンジェリクはものも言わずにいます。

 

 内大臣もヒヤシンスの大望を聞いて爆笑しました。アンジェリクの部屋を訪ねたついでに、「ヒヤシンスはどこにおりますか、こちらにいらっしゃい」と呼び出したので、ヒヤシンスは「はいはい」とはきはき答えながら出て来ました。

「本当にアンジェリクによく仕えてくれている様子だね。王宮に仕えても、立派に勤め上げてくれるだろう。女官長になりたいと、なぜもっと早く私に知らせなかったのかね」と真面目くさって話しますと、ヒヤシンスはひどく嬉しがって、「そうお願いしてみたかったのですが、アンジェリク様自らが言ってくださるだろう、と胸に手をあてながら仕えておりました。ところが別の人が女官長になると聞いて、私は夢で金持ちになっただけなのだ、という気がしました。きっと悪い夢を見ていたのでしょう」とあっけらかんとはきはきと答えました。

 内大臣は噴出しそうになるのを我慢して、「何とも、物事をはっきり言わない妙な癖を持っているね。もし私に言ってくれていたら、誰よりも先に王さまに進言したのに。太政大臣の娘さんがどんなに身分が高い女性であったとしても、私が王さまに切にお願いしたら、お聞き届けにならないはずがなかったのに。今からでも請願書をきちんと美辞麗句で書いて提出なさい。心がこもった長詩であったなら、ご覧になって捨て去ることはないでしょう。冷泉王は風流深いお方だからね」とうまく宥め騙しましたが、人の親としては思いやりがなく、ひどい仕打ちでした。

 

 内大臣の言葉をまともに信じたヒヤシンスは「フランス風の長詩は何とか綴ることはできますが、きちんとした請願書は父上が用意してくださり、私は一言二言付け添えるということにして、お情けに縋ります」と両手をすり合わせました。

 衝立の後ろなどで聞いていた侍女は死にそうになるほど笑いますし、堪えられない者は外に抜け出してほっと息をつきました。アンジェリク貴婦人も顔を赤らめて、「何とも見苦しいことを」と思っています。内大臣も「気分がむしゃむしゃする時はヒヤシンス君を見ると気が紛れる」と笑い話にしていますが、世間の人々は「ご自分の恥かしさを誤魔化そうとしている」など、あれこれ言っていました。

 

 

8.パヴィアの敗北冷泉王が捕虜に

 

 そうした折り、「パヴィアでフランス軍が大敗し、冷泉王が捕虜になってしまった」との、とんでもない悲報が王宮に飛び込んで来ました。

 パヴィアに駐屯するフランス軍の本隊は、冷泉王が率いる遠征軍の合流で士気がさらに高まりました。「冷泉王がミラノ入城を果たされた後、ロワールへの凱旋だ」と早くも祝杯を上げる兵士もいました。

 年が開けた後、帝国軍はシャルル・ブルボン元帥に、カール五世の筆頭顧問であるフラマン人シュルル・ドゥ・ラノワが加わった新布陣での反撃を始めました。両者のにらみ合いは三週間ほど続きましたが、形勢としてはフランス軍が優勢な状況でした。

 

「敵はドイツ、ネーデルランド、スペイン、イタリアの混成軍だから統率に欠けている」、「昨年八月以来の農民戦争でドイツ兵はうかうかしてはいらいない状況だろう」などと、気の緩みや油断も出て来ました。さらにミラノ公国内の主要都市制圧に向けて兵力が分散した上に、帝国との前哨戦での負傷者も増えて来ました。加えて槍兵を主体としたスイス傭兵数千人が三か月間の雇用契約を終えて、さっさと帰国してしまって、兵力の低下は否めなくなってしまいましたが、ボニヴェ総帥の眼中には入らずにいました。

 

 ついに帝国軍はフランス軍の包囲網に風穴を開けることに成功し、形勢が逆転してしまいました。ベテラン将校たちは退却を進言しますが、総帥は将校たちの助言に憤慨するだけでした。冷泉王の凱旋だけを念頭に置く総帥は「王さまに不名誉な退却などはさせられない」との一点張りで、冷泉王を鼓舞します。内大臣の次男ロランも総帥側について煽り役に徹しました。

 決戦の火蓋が上がり、ボニヴェ総帥は先頭を切って敵陣に突入していきましたが、あえなく敵の刃に倒れ、将軍や士官の多くも血祭りに上げれらてしまいました。冷泉王の身を案じたロランは王さまの許に急ぎましたが、時すでに遅く、すでにイタリア人騎士の手で捕われの身となっていました。

 大敗後、煽り役をしたロランにも批判が浴びせられ、ロラン自身も「総帥と共に戦死した方がましだった」と悔みもしましたが、冷泉王への負い目感は古傷として後々まで残っていきました。

 

 

 

                著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata