その11.花散里   (ヒカル 24歳)

 

1.クレマチスの上と花散里

 

 人に知られないように、自ら求めて物思いをすることは、今に始まったことではありませんが、このように世間一般に関した事でも思い悩まねばならない事が次々に増えて行きます。何となく心細くなって世の中の事がおしなべて厭わしく思うようになっていくものの、出家をするとなるとさすがに残り惜しい足かせも多くありました。

 

 住み辛くなったロワールをしばらく離れて、新しい書籍の物色と気分転換を兼ねて、故桐壺院の貴婦人であったクレマチス(鉄線)の上が住むリヨンへ出向くことにしました。

 クレマチスの上は故院が第一回目のイタリア遠征時、リヨンに逗留した際に見初められて、遠征後にアンボワーズ王宮に招かれました。故院との間に子女は恵まれず、院が崩御した後は頼りない身の上になってしまいましたが、今はヒカル大将の心遣いで庇護を受けながら、リヨンに戻っていました。

 

 妹の三の君も付添いとしてアンボワーズに移り住みましたが、ヒカルは王宮辺りで、ちょっとした淡い恋情をかわし合った経緯がありました。関わりを持った女性を見捨てることはない、例の性分でしたから、さすがに忘れ去ってはいません。とはいうものの、愛人としての格別の扱いはしませんので、三の君は気を揉んでばかりいる境遇でした。この頃になって、何もかにも思い乱れることが多くなって、世の中の悲哀を味わっているうちに、ふと三の君のことを思い出して抑えきることができなくなったので、気ままに降る五月の空が珍しく晴れた雲の切れ間に、リヨンに向いました。

 

 

2.ヌヴェールの女

 

 さほどの従者を連れず、できるだけ簡素にして、先払いの者もつけず、目立たないように自邸を発ちました。 ヌヴェール(Nevers)の辺りにさしかかると、ささやかな家ですが、木立ちなどが風情ありげに茂っています。良い音色のスピネットをハープに合わせて賑やかに弾いています。

 

 耳に留まって、建物は門の近くにありましたから、馬車から顔を少し差し出して覗いてみますと、樫(かし)の大木の葉の匂いを追風が送ってきて、葵祭の頃を思い出しました。辺りの様子も何となく情緒があり、「そう言えば、たった一度だけ訪れたことがある女の家だ」と気付いて、胸がときめいてしまいます。「あれから久しい時が経ったけれど、私のことを覚えているだろうか」と気が引けるものの、通り過ぎてしまう気分にもならず、馬車を停めました。ちょうどその時、カササギが飛んで来て、「訪ねてみては」とそそのかすような声で啼きますので、馬車を引き返させて、例のようにコンスタンを邸内に遣わしました。

(歌)かってほのかに語り合った 家の垣根に カササギが引き返して来て 堪えきれずに 啼いています

 

 本館と覚しき建物の西側に侍女たちが集まっていました。聞き覚えがある声も混ざっていましたから、コンスタンは咳払いをして様子を窺ってから、ヒカルの伝言を伝えました。奉公しだして間もない若い者たちの気配がして、「どなたでしょうか」と訝っている様子です。

(返歌)カササギが啼く声は 昔訪れたカササギのようですが どのようなご用件なのか 五月の雨のように 

    はっきりとは分かりません

 

「わざと惚けているのだろう」とコンスタンは解釈して、「さようですか。お門違い」ということですか」と言いながら出て行きますのを、邸内にいる女主人は物足りなくも残念にも思います。すでに頼りにする男ができていたとするなら、こんな唐突な誘いは慎むべき事ですし、理にかなっていますが、さすがにヒカルは惜しい気がします。

「こうした身分の女としては、父親の赴任に付いてボルドーに移り住んだ、王宮の催事付きの舞姫が可憐だったなあ」とヒカルは真っ先に思い出しました。どんな状況にいようとも、女性のことを思わない間はなく、いつも何らかの女性に悩んでいます。ヒカルは年月を経ても、一度でも情をかけた女性のことを忘れることはないのですが、それが多くの女性たちの物思いの種になってしまいます。

 

 

3.花散里邸での昔語り

 

 リヨンの市街は北イタリアへの遠征軍が出発したばかりで、遠征軍の久しぶりの逗留で活気づいた余韻が残っていました。同じ年の二月にローマ教皇が他界し、三月になってフランスとの関係を強めているフィレンツェのメディチ家出自の枢機卿が新教皇に選出されましたので、「新教皇はフランス軍に対して、前教皇ほど敵愾心を燃やすことはないだろう。ミラノ公国の奪還も間近だ」と人々は期待を高めていました。

 

 ローヌ川支流のサオヌ(Saône)川畔のクレマチスの上の邸を訪れますと、想像していたように人影もなく静寂そのもので、寂しさが身に沁むようでした。

 まずクレマチスの上に挨拶をして昔話をしているうちに、夜が更けていきます。満月を過ぎた二十日目の月が射し上り出すと、丈がとても高い木立ちの下陰にある庭がいっそう小暗くなって、軒近くのオレンジの木が懐かしげな香りを送ってきます。歳はとりましたが、クレマチスの上の気配はあくまで嗜み深く、気品があって愛らしげです。

 

 故院の在世中は、それほど目立つような花やかな寵愛こそ受けませんでしたが、「気が置けず親しみが持てる御方と思し召しておられた」などと思い出すにつけても、昔の事が次々に思い浮かんで来て、涙がこぼれます。ヌヴェールの女の邸の垣根に飛んできたカササギと同じカササギなのでしょうか、同じ声で啼いています。「私を慕って追いかけて来たのだろうか」と思ってしまうのも風趣があります。

昔のことを語り合っているのを カササギはどのように知ったのだろうか という古歌を小声で口ずさんでみます。

 

(歌カササギも オレンジの香りをなつかしく思って オレンジの花が散るこの里を 訪ねて来て啼いています 

「故院がおられた昔のことが忘れられない時には、まずこちらに参るべきでした。お逢いしていると、気が紛れることも、悲しみが増してしまうこともあります。世の大方の人たちは、時の勢いに従っていきますので、昔話を語り合える人は少なくなっていきます。まして貴女様は私以上に所在無さを慰め難く思っておられることでしょう」と話したりします。

 すべてのことが、何ともせつない世の中になってしまい、物事をひどく悲観して思い続けている気配が一通りではありません。その人柄のせいなのでしょうか、一塩、同情を引きます。

(返歌)訪れる人もなく 荒れ果てた私の宿に 立ち寄ってくださったのは 軒端に咲く オレンジの花が 

    手引きとなったのですね

と返歌をするだけでしたが、「それだけの返しでも、人とは違う美点をお持ちだ」と他の女性たちと思い較べます。

 

 邸内の西側にある三の君の室に向かい、わざとらしくなく、目立たないように親しげに中を覗きこんでみます。珍しい訪れに加えて、世に見馴れないほどの美男子でしたから、三の君も日頃の恨めしさを忘れたことでしょう。例のように、何やかやと懐かしげに語りかけますが、口先だけのでまかせではないようです。仮初であっても、出逢いを持った女性は皆、並々の身分の者ではありませんので、それぞれの点で「何の取柄もない」と思わせる女はおりません。お互いに好意を抱いて、ヒカルも女も情を交わしながら夜を過しました。

 関係した女性たちの中には「途絶えがちなのがつまらない」と考えて、とかく気を変えて離れていく者もいますが、「それも無理もない」と悟っています。ヌヴェールの女もそんな風に心変わりをして、別の男を持った類なのでしょう。

 

 

4.フランス軍大敗とヒカルへの批判の嵐

 

 ヒカルがリヨンから戻って数日が過ぎた頃、北イタリアに入った遠征軍が大敗を屈してしまった悲報がブロワ王宮に入り、騒然となりました。

 満をじしてイタリア入りした遠征軍は、幸先よくまずジェノヴァ公国を落としましたが、続いてのミラノ公国攻略に向けてのミラノの東、ノヴァラ(Novara)での闘いで神聖同盟軍に打ちのめされてしまい、北部イタリア再制覇の野望は打ち砕かれてしまいました。

 

 さらに、フランス軍の敗北を待ち構えてたかのように、イングランド軍が自領のカレー(Calais)を拠点に北西部アルトワ(Artois)地方からパリを目指して駒を進めていきます。南西部ではスペインのアラゴン軍が親フランス側のナヴァル(Navarre)王国に攻め入りました。

 八月に入って、フランス軍はアルトワ地方のサントメール(Saint-Omer)近くのギヌガット(Guinegatte)でイングランド軍と激戦を交わしましたが、あえなく敗退しイギリス軍はピカルディー地方に入りました。フランス東部ではスイス軍がブルゴーニュ地方まで侵入し、ディジョンを支配下におさめてしまいます。フランスと同盟を結んでいるスコットワンド王国はフランス侵攻で手薄となった隙を突いてイギリス王国に侵入しましたが、フロデン・フィールド(Flodden Field)の戦いでイギリス軍に敗れた上に、スコットランド国王が戦死をとげてしまいました。

 

 弱り目に祟り目の窮地に追い込まれた王宮では、ヒカルに対する非難が増して行きます。

「確かに、日頃から太政大臣一派に反する不満分子を自邸に集めて、不穏な動きを見せていました」、「この苦境に乗じて反乱を起こして、冷泉王太子を王に祭り上げて自分が摂政をする野望を抱いている」、「リヨンに出掛けたのは神聖同盟側に王宮の内情を漏らすのが目的だった」などと、ここぞとばかりにヒカル批判の嵐が吹き荒れました。

 

 フランスにとって幸運だったことは、十二月に入って神聖同盟に加盟する各国の要求がぶつかり合ったことから、神聖同盟が空中分解の状況となってしまったことですが、イングランド軍はアルトワ地方とピカルディー地方に居座り続けます。さらにイングランド王ヘンリー八世の王妃はスペインのアラゴン王フェルナンド二世の王女でしたから、そのつながりを利して、ナヴァル王国に攻め込んだアラゴン軍と連携して、プランタジネット朝の故地の一部である、西南部のギュィエンヌ(Guyenne)への侵攻もイングランド王は目論んでいました。

 

 

 

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