その4匂(ニオイ)宮卿     

 

1.  ヒカル亡き後    (カオル九歳~十二歳)

 

(スコットランド王国の継承者メアリー・スチュアートがフランス王宮入り)

 クレピーの和平で神聖ローマ帝国との第四次戦役が終了した翌年、カオルが満九歳を迎えた後に、ヒカルが世を去りました。世間の人々は「もっと長生きされて欲しかった」とヒカルを哀惜しながらも、「帝国との関係が小休止となって、ここしばらくは平穏な日々が継続していくことだろう」と楽観視する人も多くいました。

 こうした中で、フランス王宮は第四次戦役の最中に、帝国側に組みして参戦したイギリス軍がカレーを拠点に攻め込み占拠したままになっているブローニュ(Boulogne sur Mer)奪還の機会を窺っていました。折よくスコットランド軍がイングランド軍に勝利を上げた報が入った五か月後、フランス海軍がセーヌ川河口ル・アーブルの北サンタンドレス(Sainte Andresse)戦でイングランド海軍に勝利しました。これに乗じて、イングランドへの上陸も狙いながら、アントワンの次男でアンジュ―公ロランが指揮するフランス軍がブローニュ包囲を開始し、アンドル条約(Traité d’Andres.)の締結によりフランスが200ECUでブローニュを取り戻すこととなりました。これにより軍人としてのロランの評価が高まりました。

 

 健康が悪化しているイングランドのヘンリー八世は、戦死したジャック五世王の未亡人であるロランの実妹シャルロットが摂政をするスコットランドとの併合がもたついていることから、跡継ぎのエドワード六世王太子とスコットランド王国の継承者であるシャルロットの娘メアリー・スチュアート王女との結婚を画策していました。結婚が成立すれば、王女がスコットランド王国を持参して来ることになりますから、戦わずにイングランド王国はスコットランド王国を併合できます。

 そんな皮算用をめぐらせている最中にヘンリー八世は急逝してしまい、十歳間近のエドワード六世が即位しました。新王の実母シーモアの兄サマセット侯爵(エドワード・シーモア)が摂政を務めることになり、カトリック派とプロテスタント派の対立が激化しているスコットランドへの攻撃を早々にイングランド軍に指示しました。ピンキー・クルー(Pinkie Cleugh)の戦いでイングランド軍が勝利をおさめたことから、サマセット公は中断となっていたエドワード六世とメアリー・スチュアートの縁談話をスコットランド王国に迫りました。摂政を務める母シャルロットは、兄ロランなどを介してフランス王宮と連絡を取り合いながら、エドワード六世との婚姻を拒否して、五歳半のメアリー・スチュアートを将来の王妃候補としフランス王宮へ預けることにしました。

 

 クレピーの和平から四年が経過した年の四月、安梨王はフランス王国が占有を容認されたイタリアの南東部ピエモン地方に入り、八月に中心都市トリノに進み、治安が維持されているかを確認してから九月にリヨンに戻りました。王宮に戻ると、ロランからスコットランドから王宮入りしてまもない姪メアリー・スチュアートを紹介されました。十月には、カール五世のフランス通過を容認したものの、見事に裏切られてしまって面目を失い、第四次戦役の前に元帥の座を追われてしまった夕霧を元帥に復帰させました。王さまの腹積もりとしては、ブローニュ奪還で軍人としての評判を高めたロランと夕霧をライバルとして競い合わせることにより、フランス軍の緊張感を高めて行く狙いがあったのでしょう。

 

(第一回トリエント公会議の開始とマルチン・ルターの死)

 ドイツ諸州でのカトリックとプロテスタントの争いが激化する中、ローマ教皇はカール五世の要請を受ける形で、カトリック教会内部の刷新化を目的とするトリエント(トレント)公会議を開始しました。公会議は宗教改革運動の生みの親と言えるマルチン・ルターが提唱して来たものでしたが、それを見届けたかのように、ルターは開始から二か月後に亡くなりました。ドイツでの両派の抗争はシュマルガルデン(Schmalkalden)戦争へと高まって行く中で、伝染病の流行で第一回トリエント公会議は中断となってしまいました。

 ローマ教皇が新大陸に加えて布教を奨励している東アジアでは、インドや周辺国で産出される香料などの利権をめぐってのオスマン・トルコとポルトガルの争いが頻発していましたが、そうした最中、イエズス会のフランソワ・ザビエルがインドのゴアからマラッカ海峡を越えてインドネシア諸島に入りました。同じ頃、ポルトガルと日本との交易も始まりました。

 

2.ヒカル亡き後のヴィランドリー城と婦人たちの動静    (カオル十三歳)

 ヒカルが隠れた後、ヒカルのまばゆい輝きに並び立つことができる人物を、子供や孫たちに見出すことは難しいことでした。譲位をした冷泉院に触れることは恐れ多いことですが、満十四歳になる安梨王の第三王子と、同じヴィランドリー城で生まれ育った満十三歳になる山桜上の男君の二人は、それぞれ「いずれは美男になる」との評判が立っていました、二人とも確かに並々ならぬ容姿でしたが、ヒカルの眩さにはほど遠いようです。

 ただ世の中の一般的な人間としては、結構なことに二人とも気品が高く、あでやかな様子をしています。その上、王家の血筋を引き継いでいるので、二人に対する世間の人々の態度や様子は幼少期のヒカルに対する評判や接し方より、やや勝っていて、実態以上にこの上もなく立派に見られていました。

 

 第三王子は紫上が心をこめて育て上げたこともあるので、今もシュノンソー城に住んでいました。安梨王もサン・ブリュー王妃も病弱な第一王子のフィリップ王太子を特別な存在として大事にしていましたが、第三王子をとても寵愛していたのでアンボワーズ城内に住まいを持たせていました。しかし当人はやはり気楽なシュノンソー城が住みやすいと感じていました。成人式を挙げてからは兵部卿と呼ばれるようになりました。

 第一王女エリザベトはヴィランドリー城の、紫上の住まいだった南の町の東の対の部屋に、内装を昔のまま改めもしないで、朝夕、祖母の紫上を恋偲んでいます。第二王子マルクもヴィランドリー城の本殿を時々の息抜き場所にしながら、王城では梅壺の間を住まいにして夕霧の第二女君シャンタルを夫人に迎えています。マルク王子は次の王太子と見なされているので、臣下たちの信望も格別に重々しく、人柄も堅実でしっかりしていました。

 

 元帥に復帰した夕霧にはとても大勢の女君がいました。夕霧の第一女君アリアンはフィリップ王太子に嫁いで、競い合う女性もいない状況にいます。とはいうものの王太子は目下のところ、スコットランドから王宮に入ってきた、一世代下のメアリ・スチュアートを自分の妹を手に入れたかのように可愛がるようになっていました。

 「夕霧の他の女君たちも、順々に王子たちに嫁いでいくのだろう」と世間の人も考え、サン・ブリュー王妃も同じように話していますが、第三王子の兵部卿はそうとは考えていません。「自分の本心から湧いてこない縁談などは面白くない」と思っている様子です。夕霧大臣も「そう判で押したようになってしまっても」と差し控えていながらも、「もし王宮からそういった意向があったなら、拒むこともない」という顔つきで、娘たちの面倒を大事にしていました夕霧と愛人エレーヌの娘である第六女君フローラは、「我こそは」と少しでも思いのぼせている親王たちや上官たちの気がもめる存在となっていました。

 

 ヴィランドリー城に様々な形で集っていた婦人たちは、泣く泣く自分の終の棲家にそれぞれ散って行きました。花散里と呼ばれた婦人はシセー城を譲り受けて住むようになりました。山桜上はランブイエ城に移っています。サン・ブリュー王妃はずっと王宮にばかり暮らしていますからヴィランドリー城は寂しく、人も少なくなっています。

 夕霧大臣は「他人事であっても、昔の例を見聞きしても、在世中に丹精をこめて造り上げた邸が本人の死後に顧みられることもなく打ち捨てられてしまい、世の中の栄枯盛衰を非情にさらけ出してしまうのはとても悲しく、はかなさを感じさせてしまう。せめて自分の在世中はこの城を荒廃させず、付近の大通りなども人影が絶えないようにしておこう」と判断して、落葉上をヴィランドリー城の東北の町に移ってもらい、アゼイ・ル・リドー城とヴィランドリー城の間を一晩おきに月に十五日づつ几帳面に寝泊りするようにしました。

 

こうした具合で、造り磨かれたシュノンソー城も、ヴィランドリー城の「春の御殿」として世に鳴り響いた玉の台も、「サン・ブリュー王妃の子供たちのためだけになってしまった」ようにも見えましたが、こうした中でサン・ブリュー上は孫である幾人もの王子や王女の世話をしながら暮らしていました。

 夕霧はヴィランドリー城で暮らしていた婦人たちに対して、亡き父がのぞんでいたままに、義理の母たちとして昔通りに仕えていましたが、「紫上がこうした婦人方のように存命されていたなら、どんなにか誠意を尽くしてお世話したことだろう。結局のところ、自分の志をいささかも見知ってもらう機会もなしに過ぎてしまった」と口惜しく、いつも物足りなく思い出していました。

 世の中の人で、ヒカルを恋い慕わない者はなく、何事につけても世の中はただ火を消したようになっていて、「何をするにしても張り合いがなくなった」と嘆かない折りがありません。ましてヴィランドリー城でヒカルに仕えていた人たち、婦人たちや王族の者などは申すまでもなく、ヒカルの物故は無論のこと、あの紫上の面影を追慕しながら、何かにつけて二人のことを思い出さない時はありません。春の花の盛りはなるほど長くはないものの、その印象は深く心に刻まれる、ということでしょう。

 

 

3.カオル(薫)とニオイ兵部卿の特徴の比較対照   (カオル十三歳)

 山桜上の若君はヒカルが世話を託した通りに、冷泉院は公けにはできないものの、腹違いの弟であることもあって、とりわけ眼をかけていました。秋好后も自分に子供がおらず、心細い思いをしていることから、「この若君が自分の老後の見守り役になってくれたら」と期待していることもあったので、成人式などもフォンテーヌブロー城で実施されました。満十三歳になっている若宮は、二月には官位五位の侍従になりました。秋には官位四位の右近衛の中将に昇格して、「なぜそんなにやきもきして急がせているのか」と思わせるほど、大人への道を進ませています。

 冷泉院は自分が住む本殿の近くの対にカオルの間を設けて、自ら部屋飾りなども指図して、若い侍女や童女、下仕えまで器量などが勝れた者を選んで、姫君にかしずく以上の眩い生活が送れるように整えていました。それに加えて、自分や秋好后が召し使っている侍女たちの中で容貌が良く上品で難がない者は皆、カオルの間に移して、ひたすらカオルが住みやすく、過ごしやすくと、まるでわざとらしい玩具品のように思っています。

 院には故アントワンの娘アンジェリクが産んだ一人娘ジゼルがいて、大切にしていましたが、カオルに対しての扱いもジゼルに劣ることはありません。ことに秋好后のカオルに対する寵愛は年月と共に増して行く気配すらあるので、「何もそこまでしなくとも」と思わせるほどでした。

 

 ランブイエ城のカオルの母、山桜上は今はもっぱら勤行だけを心静かに行っていて、月ごとの祈祷年に二回の福音書八講、折々の尊い行事をしながら、暇もなく過ごしています。カオルが出入りするのを、自分の親に逢うように頼りにしているのも愛おしいことです。カオルは冷泉院からも王宮からも始終呼び出され、フィリップ王太子や王子たちの親しい遊び相手にもなっているので、暇がなくて苦しいほどで、「どうすれば一つの身を幾つかに分けることができるだろうか」と嘆くほどでした。

(自分は罪の子とのカオルの自覚)

 カオルは自分の素性について、幼い頃にぼんやりと聞いたことがあり、今でも折々気になって、もっとよく知りたいとは思いながらも、詳細を問える人もおりません。「その件をちらっとでも知っている」と母に感じられてしまうのも心苦しいことですが、心の中では気になっています。

「一体、どういうことなのだろう。何の因果があって、こうした厄介な疑いを抱えて生まれて来たのであろう。ギリシャ神話ではヘラクレスは我が身に問いて、ゼウスの子であることを悟ったというが、自分もそんな智慧を得たいものだ」と独り言を漏らしたりします。

(歌)自分がどうやって生まれて来たのか 誰に尋ねたら良いのだろう 自分の出生も終りも分からない 

   身の上なのだろうか

と問いかけたところで、答えてくれる人もいません。

 どうかすると自分の身に原罪のような潜在意識があるような心地がするのも、ただならないことで、物悲しいことばかりを思いめぐらしながら、「母上はどれほどの道心を起こして、まだ若い盛りの姿を変えて急に修道女になってしまったのだろう。これにはきっと、思いも寄らない不本意な事が生じて、世の中を厭んでしまう思いに至ったからなのだろう。端の人も確かに漏れ聞いて、知らないはずはない。やはり隠しておかねばならない事情があるので、私に事情を告げる人がいないのだろう」と思っています。

「母上は明け暮れ勤行に励んでいるようだが、確固とした信念を持たない女性の発心ぐらいでは、修行の功を積んで明白に神の救いの道に入ることは難しいことだ。女性には五つの障害がある、ということも気掛かりだから、この私が母の志を援けて、同じことなら來世への願いだけでも叶えさせてあげたい」と考えています。

「その亡くなってしまったという人物も、罪の思いに悶えながら死んでしまったのではないか」などと推し量ってみると、「生まれ変わってでも対面してみたい」との思いがつのっていて、成人式を挙げるのも気が進まなかったのですが、辞退しきれませんでした。何となく世間から大事にされて、眩しいまでの華やかな日々を送っていても、心中は一向に面白くなく沈んでいました。

 

 王宮の安梨王も山桜上が異母妹という縁からカオルには眼をかけ、大層愛おしい者と思っていますし、サン・ブリュー王妃もカオルが小さい時分から、自分の王子たちと同じヴィランドリー城で一緒に生い立ち、遊び仲間になっていたので、その頃と同じ態度を改めずにいました。王妃はヒカルが「歳をとってから生まれた子なので、大人になるまで見てやることができないことが心苦しい」といつも話していたことを思い出しながら、並々ならぬ思いでカオルに接していました。夕霧右大臣も自分の息子たち以上に、カオルのことを気にかけて大事に扱っていました。

 その昔、ヒカル君と呼ばれたカオルの父は、桐壷王から比類のない愛情をもらいながら、それを妬む人も多く、母方の後見者もいない有様でしたが、思慮深く如才なく世の中を切り抜けつつ、並ぶ者もない輝かしい資質を目立たないように隠していました。サン・マロへの島流しという、世が乱れそうになった事件が起きた時も、無事にやり過ごしました。後の世に向けた勤行も手を抜くこともなく、何事においてもさりげなく、悠々と生涯を送りました。

 それに引き替え、カオルはまだ若いうちから声望があり過ぎ、自負心も高く持っています。「本当に何かの因縁があって、この世の人間として作り出されたのではないか。神か聖人が人間の身体に宿ったのではないか」と見えるところがありました。顔や容貌もどこと言って「人より勝り、何て美しいのか」と見えるところはないものの、ただ大層優美で、近づき難く考え深そうに見える気配が人と違っている点でした。

 

 身体から発してくる薫りの香ばしさは、この世のものと思えないほどで、立ち居振る舞いから生じる香りは追い風に乗って、怪しいほど遠く隔たった、本当に百歩の距離を越えて薫って行く感じがします。カオルのような高貴な身分の者なら誰でも、風采を構わずに普段着のまま人中に出ることはなく、「自分は誰よりも勝っている」とあれこれ身を繕い、用意するものなのに、カオルの場合は自分が嫌になるまで匂うので、忍び歩きをしようと物陰にいても、はっきりこの人と分かる匂いは隠しようがありません。こうしたことから面倒になって、めったに香りを身につけたりはしないでいますが、イタリア製の櫃に納められている衣服に染み込んだ数々の芳香がカオルの匂いに加わってしまいます。

 庭先の梅の花がカオルの袖にちょっと触れただけで、(歌)匂って来る香りは 君を思わせる梅の花なので 枝から滴る雫に 服が濡れてしまう と春雨の雫に濡れるのも厭わずに、自分の身に染み込ませてみたいと望む人が多くいます。(歌)秋の野に 誰のものかと判明しない衣服から匂う香りで 薄紫の蘭の花の薫りもかき消されてしまう というものの、やさしい追い風の中でカオルが蘭の花を折ると、蘭の薫りは一段と引き立てられます。

 

 そんな具合に、とても怪しいほど(歌)梅の花に ちょっと立ち寄っただけで 人がすぐに気付くほど 香りが染み込んでしまう といった持ち主でしたから、兵部卿は他のことよりもこの点で負けてはいられない、と思っています。わざわざ色々な薫物を焚き染めたり、調合したりするのを朝夕の日課にしています。前庭でも春は梅の花園を眺め、秋には世間の人が色を愛でるパステル(大青たいせい)や小牡鹿が自分の妻にするという萩の露などにはほとんど眼を移すこともなく、皆が老いを忘れるという菊や、衰えて行く蘭、何の見栄えもしない野バラなどといった薫りがあるものは、すっかり霜枯れになってしまう頃まで珍重して、捨てないでおくといった具合に、ことさらめいて香りを愛でる思いをあえて好んでいます。こんな風なので、「優雅さが少し行き過ぎて、風流な方向に傾いてしまっている」と世間の人は思い込んでいます。祖父のヒカルは兵部卿のように、一風変わったことに凝ってしまうことはなかったのですが。

 

 

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