その41.幻     ヒカル 満51

 

1.ヒカルの懐旧の悲愁と孤独の感傷

 

 春の光りを見るにつけても、ひどく暗澹たる思いは変わらず、ヒカルは心の悲しみを改めることも出来ないでいました。年が変わり、例年のようにヴィランドリー城に新年の挨拶に訪れる人々は多いのですが、ヒカルは加減が悪いことを理由に内カーテンの中にばかり引き籠っていました。ただ弟の蛍兵部卿がやって来た時だけは、「内々の部屋で面会しよう」と伝えました。

(歌)私の邸には もはや花を賞美する人もいなくなったのに どうして春が訪ねて来るのだろうか

蛍兵部卿も涙ぐみながら返歌を詠みました。

(歌)蕾を吹き出して来た 梅の香りを求めて来た甲斐もなく 

   ありきたりの花見にやって来たとおっしゃるのですか

 蛍兵部卿が紅梅の下に歩み出ている様子にとても親しみが持て、紅梅を賞讃できる人はこの人以外に適した人はいないのだと見えました。花がわずかに開き出していて、今が見頃とばかりに匂っています。

 今年は管絃の遊宴もなく、例年とは違ったことが多くありました。長年、紫夫人に仕えていた侍女などは、黒染めの色の濃いものを着ていて、悲しみも慰め難く、紫上への思いから離れることが出来ずに恋い慕っています。

 

 ヒカルは婦人たちの住まいに渡ることは全くなく、仕えている者たちはヒカルが自分の住まいにだけ暮らしていることを慰めにして、親しく仕えていました。長年、本気で寵愛してきたわけではありませんが、時々は気をかけているように見なしていた侍女たちには、こうした中々の寂しい一人寝になってからは、かえってごくあっさりとした扱いをするようになっています。夜の宿直時にも誰かれとなく集まって来ますが、近くで仕えるのを遠ざけて伺候させていました。

 所在ないままに、ヒカルは侍女たちと昔の思い出話をする折々もありました。世俗の世界に未練がない修道心が深まっていくにつれ、朧月夜、朝顔や山桜上など、さほど長続きはしなかった女性との恋愛事の渦中で、紫上が自分を恨めしく感じている気配を時々見せていたことを思い出しました。

「どうして自分は朧月夜や朝顔と一時的な戯れをしたり、やむを得ない義理に迫られて心苦しくも山桜上を引き取ったにしても、なぜあのような仕打ちを紫夫人に見せつけてしまったのだろうか。どのような事にも上品に処理する心映えを夫人は持っていて、私の心底もよく承知していながら、私を怨みきるということはなかったものの、それぞれの場合に『一体どうなることだろう』と気を揉んでいたことを考えると、少しでも煩悶させてしまったことが気の毒で悔やまれる」と感じると、後悔の念が胸からあぶりだされてしまう思いがしました。そうした折りの事情を知っていて、今でもお側近くで仕える侍女たちの中には、当時の夫人の様子をぽつりぽつりと口に出す者もいました。

 

 山桜上がヴィランドリー城に移って来た時、その当座は決して顔色に出しませんでしたが、折りにふれ「味気ないことだ」と思っている様子が可哀想に見えました。中でも雪が降った夜明けに、山桜上の住まいから戻って来たヒカルが、ドアが開くまでたたずんで、自分の身が冷えきったように感じるほど激しく荒れる空模様の中で、紫上が大層なつかしげに穏やかに迎え入れてくれながらも、ひどく泣き濡らしていた袖を引き隠して、無理に紛らそうとしていた心構えなどを、ヒカルは一晩中、「夢にでも良いから、もう一度紫上の姿を見ることが出来るだろうか」と思い続けていました。

 夜明けに自室に下がっていく侍女でしょうか、「ひどく雪が積もってしまった」と言っている声をヒカルは聞きつけて、まさにあの時の気持ちをしながら、夫人が側にいなくなった寂しさが言いようもなく悲しいことでした。

(歌)辛いこの世から 姿を消してしまいたいと思いながら 心外にもまだ月日を過ごしているとは

 

 いつものように気持ちを紛らわせようと、手や顔を洗い清めてから勤行をしました。侍女たちが埋もれていた炭火を掻きおこして、ヒカルの側に火鉢を置きました。

ヒカルは侍女の中納言の君や中将の君などを側に呼んで話をしました。

「今夜の様子ではいつもより独り寝が寂しくなりそうだ。冷静に行いすましていかねばならない世の中なのだが、これまでつまらないことにあれこれと関わってきたことだ」と述懐しながら「自分までが世の中を捨ててしまったら、こうした侍女たちはどんなにか力を落として嘆き、いじらしくも愛おしいことにもなることだろう」などと見やっていました。目立たないように勤行をしながら聖書などを読んでいるヒカルの声を聞きながら、普通の場合でも涙を止めることができないでいるのに、まして紫上が亡くなった後は、(歌)涙がとめどなく流れ落ちて 袖の堰も止めることができない かのように、悲しそうに明け暮れながらヒカルを見やっている侍女たちの気持ちを痛切に感じました。

 

「現世の果報といった点では、不足と思うことなどほとんどない高貴な身分に生まれはしたが、それでも『他人よりも格別に不運な宿命にも巡りあったことだ』と始終思っている。これは自分の人生がはかなく、苦労の多いことを悟らせようと、キリストや天の神が授けた身の上であるからだろう。それを承知しながら、知らんふりをして生き永らえて来たのだから、こうして人生の終りに近づいてから並々ならない紫夫人の終焉を見るにつけ、自分の運命というものも、自分の心の極限もすっかり見つくして気が楽になった。

夫人が亡くなった今こそ、この世に露ほどの足かせもなくなった。このところ、このように紫上の存生中よりにも増して親しく顔を合わせて来た侍女たちと、『今はもう』と言いながら別れて行くのは、さらに一層辛い思いをすることであろう。まことに人生とははかないものであるが、私も思い切りが悪いことだ」と言いながら、眼を押し拭って隠そうとはするものの、ごまかし切れずにこぼれ落としているヒカルの涙を見守る侍女たちも、涙を堰き止めることが出来ないでいました。いよいよヒカルに見捨てられてしまう悲しみを、侍女の誰も誰もが口に出したい思いながらも、そうともいかずに、ただ咽び泣いています。

 

 こんな風にばかり嘆き明かしている早朝や、物思いに沈みながら過ごしている夕暮れなど、しんみとした折々には、普通の侍女とは見なしてはいなかった者たちを近くに呼んで、こういった話をしていました。

 中将の君と呼ばれている侍女は、まだ小さい時分から紫上に仕えて、ヒカルも見馴れていたのですが、ヒカルがこっそり手をかけたことがあったのでしょう、それを中将の君は紫上に対してきまりが悪く心苦しくて、ヒカルへの思いを表に漏れないようにしていました。紫上が亡くなった後は、ヒカルは中将の君を色めいた眼で見ることもなく、「夫人は他の侍女たちよりも中将の君を気に入っていた」と思い起こすにつけ、夫人の形見の意味で不憫な存在に思っていました。気立てや器量なども難がなく、紫上の墓に添うように植えられる松に思える感じがして、「並みの侍女たちよりも可愛く魅力がある」と感じていました。

 

 ヒカルはあまり親しくはない侍女たちには決して顔を見せません。親しくしていた上官や兄弟の王族たちが始終訪ねて来ますが、直に面会することはめったにありません。

「人に会っている間だけは、しっかりと心を押し静めて落ち着いていようと思いながらも、このところの呆けてしまったような様子を見せてしまったなら、見苦しい誤った解釈も混じって、後の世の人にあれこれ言われてしまい、末の代まで名折れになってしまうことだろう。ぼんやりして本心を失ってしまったから、人たちと会わないのだ、と言われてしまうことも同じことだが、やはり噂だけを聞いて、あれこれ一方的に推察されてしまうよりも、実際に取り乱した様子を見せてしまった方が、はるかに程度を越えて間が抜けていることだ」と思うので、息子の夕霧元帥などにさえ、内カーテンを隔てて対面します。

「傷心のあまりに人柄が変ってしまった、などと人が噂し合う期間だけは辛抱しておこう」とヒカルはじっと我慢しながら、憂いの世俗に背いて修道者になることはしないでいました。まれにサン・ブリュー上や花散里などの婦人たちがちょっと顔や姿を見せても、紫夫人を思い起こして堰き止めることも出来ずに涙の雨が落ちてしまうので、それがたまらなく辛いことから、どなたにも御無沙汰がちで過ごしていました。

 

 サン・ブリュー王妃は王宮に戻りましたが、第三王子をヒカルの寂しさの慰めとして、ヴィランドリー城に残していきました。「お祖母様がおっしゃったので」と第三王子が前庭の紅梅を特別大事に世話を焼いているので、「いじらしいことだ」とヒカルは眺めていました。

 三月になると、梅の木などが盛りになっていきますがまだまだ蕾のままで、梢が美しく一面に霞んでいるところに、紫夫人の形見の紅梅に黒歌鳥が花やかに鳴き出したので、ヒカルも庭先に出て眺めていました。

(歌)あの紅梅を植えた主がいなくなった宿に 知らない顔をしてやって来て 鳴いている黒歌鳥よ

と、口ずさみながら、溜息をついていました。

 

 

2.紫上遺愛の山桜と、ヒカルのサン・ブリュー上訪問

 

 春が深まっていくままに、庭の様子は紫上の存命中と変わりはないものの、花を賞美するわけでもなく、落ち着いた気分のないまま何事につけても胸が痛く感じるので、ヒカルはすべてが別世界のような、鳥の声も聞こえてこない山奥にますます心が引かれていきました。

 福寿草などが心地よさげに咲き乱れているのを見ても、無分別に涙が誘われてしまいそうになりました。他の花では、一重桜が散り、八重桜の花の盛りも過ぎて、山桜が開花し、その後に藤の花が色づいていきます。庭は早咲き遅咲きの花木をよくわきまえながら、色々の種類を植え込んでいますが、それぞれの花木は時期を忘れずに匂い満ちています。

 

「私の桜が咲いた。何とかして長く散らさずにしたい。木の周りに帳を立てて、布切れを垂らしておけば、風も吹き寄って来ないだろう」と第三王子は「よいことを思いついた」と考えて、自慢げに話す顔がとても可愛らしいので、ヒカルも微笑みました。

(歌)大空を覆うほどの袖があったらよいのになあ そうしたら春に咲く花を 風まかせに散らせることもないだろう と願望する人よりも、ずっと賢い思いつきだね」と言いながら、もっぱら第三王子ばかりを遊び相手にしていました。

「君と馴れ親しんでいるのも残り少なくなってしまった。寿命というものがあって、もうしばらくは持ちこたえたとしても、直に出会うことができなくなってしまう」とヒカルが例のように涙ぐむと、第三王子は「そんなことは嫌だ」と思って、「祖母様が語っていた縁起でもない話しを言うなんて」と伏し目になって、服の袖を引きまさぐりながら涙を紛らせていました。

 

 ヒカルは隅の間の欄干にもたれて、前庭やカーテンの中をも見渡しながら、ぼんやり眺めていました。侍女たちの中には、今も喪服を着替えずにいる者もいました。普段の服に着替えた者も、模様がある綾など派手なものは着ないでいました。ヒカル自身の上着も色は通常のものにしていますが、ことさらに目立たないようにしていて、無地なものを着ていました。自室の飾りつけなども質素に簡素にして、寂しく心細げにひっそりと過ごしていました。

(歌)いよいよ世俗を捨てることになると 亡き人が心をこめて造った春の庭も 

   すっかり荒れ果ててしまうのだろうか

と他人事ではなく、本心から悲しく思っていました。

 

 手持無沙汰もあったので、ヒカルはひさしぶりに山桜上の住まいを訪れました。第三王子も侍女に抱かれてやって来ていて、花の木を愛しがっていた気持ちなど忘れてしまって、こちらの山桜上の若君とあどけなく走り遊びまわっています。

 山桜上はキリスト像の前で聖書を読んでいました。それほど深く得心した宗教心でもありませんが、この世が恨めしくて心を乱すようなこともなく、穏やかな気持ちで勤行に専念して、その他のことには無関心でいるのをヒカルはとても羨ましく、「こうした浅い動機で修道の道に入った女性に遅れをとってしまった」と口惜しい思いがしました。

 祭壇に置かれた花に夕日が射しているのが大層美しく見えました。

 

「春に心を寄せていた紫上が亡くなって、花の色も情緒がないように見えてしまうが、それでも祭壇に供えると見栄えがする」と言って、春の町に咲く福寿草こそ、やはりめったに見られない花の様子をしている。花の房が随分と大きく見事なものだ。品の高さなどは考えてもいない花なのだろうが、派手で賑やかな点では中々興趣に富んでいる。植えた人物がいなくなった春とも知らない顔をして、例年よりも匂いを増しているのがせつないほどだ」とヒカルが話しました。

 山桜上は返答として、(歌)私が住む 光りが射さない谷では 春も無縁なので 咲いてすぐに散ってしまう心配などありません とよく知られた歌を何気なく詠みましたが、「何という歌を選んでしまうのか。他の表現の仕方もあるのに不快になってしまう」とヒカルは思うにつけても、「紫上なら、こうしたちょっとしたところでも。そんな表現はして欲しくはないとこちらが思っている点を踏み外すことはなかったのだが」と、紫夫人を引き取った、まだ子供ぽかった頃からの様子をあれやこれやと思い出しました。夫人にはまず、その折々で利発で才気があり、情感も豊かな気配が濃かったし、気立ても応対の仕方も言葉の選び方も良かった、と思い続けていくと、例のように涙もろくなってしまい、ふと涙をこぼしてしまうのが苦しいことでした。

 

 夕暮のはっきりとしない霞に風情がある頃、ヒカルはサン・ブリュー上の住まいへ行きました。久しい間、そんなに立ち寄ることはなかったので、サン・ブリュー上は思いも寄らず、急な訪れに驚いたものの、如才よく気配も奥床しく振る舞いました。

「やはり並みの女性より優れている」と感じながら、ヒカルは同時に「紫上はこういった仕草とは違った、格別にその場の情緒を解した立ち居振る舞いをしていたものだ」と二人を思い較べていると、紫上の面影が眼に浮かんで恋しくなり、悲しみばかりが募っていきます。「どうやって自分の心を慰めたら良いのだろうか」と思うと、その場の雰囲気と較べて苦しいことなので、あえてのんびりと昔の話をするに留めました。

 

「不憫だからと女性に心を留めて愛してしまうことは非常に悪い事だと昔から承知していたし、どういった方面でもすべてにおいて、この世に執着心が残らないように心がけて来た。世間の流れに沿った形で、空しく我が身が追放されてしまった頃などには、あれやこれやと思いを巡らせながら、自ら命を捨てる覚悟で野山の果てまでさすらったとしても、別段、何の差し障りもないと考えていた。晩年に入り、死期が近づいて来たが、あってはならない足かせにまといつかれていて、いまだに修道の道にも入らずに過ごしている。自分の気の弱さももどかしいことだ」などと、さほど紫上を失った一途な悲しみに言及はしないものの、サン・ブリュー上は「胸中の苦しみはさぞかし」といたわしく感じていました。

「世間の眼で見ると、それほど惜しくも思われないような人でも、心中の足かせは自然と多いものです。ですからどうして、そう安々と現世を思い捨てることができましょうか。そうした浅はかな思い付きは、かえって軽はずみにしてしまったもどかしさが後で起こって来て、なまじっか修道の道に入らなければよかった、と中途半端なことになってしまいます。修道の道に入ろうとの思いが鈍いようでおられるのが、結局のところ、道心を貫き通す意思が深まっていくと思われます。昔の例を聞いてみても、『何か心が動揺したり、自分の思いのままにならないことがあったりすると、世を疎んじてしまうきっかけになる』とか申しておりますが、そういうのも悪い事例に当たります。やはり今しばらくは心を落ち着かせて、お孫さんの王子たちが成人されて、王権が確実に揺るぎないものになる様子を見届けるまで、考えを乱さずにおられることが、私どもにとっては安心で嬉しいことです」などと思慮深く大人びたサン・ブリュー上の説明を聞いて、ヒカルは好感を持ちました。 

 

「王子たちが成人するまで待っているのが思慮深いというなら、浅薄な方がましなことだね」とヒカルは答えながら、青春時代から思っていたことを語り出しました。

「藤壺が亡くなった春のことだが、花の美しさを見ても、本当に(歌)深草の野辺の桜よ 心があるなら 今年ばかりは墨染の色で咲け という気がした。その理由は、世間一般の人たちから見ても素晴らしかった藤壺の姿を幼い頃から見ていたので、臨終の際の悲しみが誰よりも格別に深かったからであろう。自分の心に湧き上がって来る感情の中でも、悲しみは思いもよらないものであったりする。長い間連れ添った紫上に先立たれ、心を落ち着かせる手段もなく忘れ難いのは、単にこうした悲しみだけではない。少女の時代から自分が育て上げてきた様子や、一緒に歳を重ねていった末に、自分一人がうち捨てられてしまい、まだ存命している我が身も亡くなった紫上の身も、次々と思い出が浮かんでくる悲しさに堪え難くなった。すべての心を打つ感動も趣の深さも風流な面でも、幅広くあれこれ思いめぐらせていくと、悲しみが浅いとは言えなくなってくる」などと、夜更けになるまで昔や今の話を続けました。

 

 ヒカルが「このままここで夜を明かそうか」と迷いながらも去っていくのを見ながら、サン・ブリュー上も物足りなさを感じたことでしょう。ヒカル自身も「自分の心は妙な感じになってしまった」と自覚しながら、自分の住まいに戻ると夜中の間はいつもの勤行を続けて、昼間用の居間で仮寝をしました。

 ヒカルは翌朝、サン・ブリュー上に手紙を書きました。

(歌)昨夜は 貴女の所に泊まらずに 泣く泣く帰っていった この仮の世の中には 

   どこもかしこにも 永遠の住まいというものはないのだから

 サン・ブリュー上は、昨夜ヒカルが泊まっていかなかったことが恨めしかったのですが、このように別人になったように憔悴しきって苦しそうな様子に、自分のことは忘れて涙ぐんでしまいました。

(返歌)雁が下りていた池の水が涸れてしまってからは 水面に映った花の影すら 見ることができません

 いつもと変わらないサン・ブリュー上の味わいに富んだ書きぶりを見ながら、「紫上がサン・ブリュー上に対して、始めのうちは少し目障りな存在に思っていたのに、最後にはお互いに気配りをしあう仲になって、安心して頼りに出来る付き合いをしながらも、そうであるからと言って、紫上がまるっきり打ち解けることはなく、奥床しくあしらっていた気構えの側面までは気付いていなかったであろう」などと思い起こしました。

 たまらなく寂しくなった時は、ヒカルはこうした風に婦人たちをそっけなく訪ねる折々もありましたが、かってのように夜を共にすることは絶えていました。

 

 

3.花散里の慰問。ヒカルと夕霧、雨夜の対談

 

 夏の衣替えの季節が近づいて、夏の町の花散里がヒカルの夏衣装を届けました。

(歌)夏の衣装に着替える今日だけは 昔の思い出も涼むことでしょう

(返歌)羽衣のような薄い衣装に着替える今日からは 

    ますますはかない世の中を悲しく感じるようになってしまう

とヒカルは返歌を送りました。

 

 トゥールの聖ガティアン大聖堂の葵を祭る日、暇を持て余し気味の中で「今日は皆が見物に出掛けて楽しむことだろう」と言いながら、大聖堂の様子などを思いやりました。

「侍女などもさぞかし物足りない気持ちでいることだろう。何気なく実家に戻って、見物に行ったらよいだろう」などと話しました。

 中将の君が東の座敷でうたた寝をしているのを見て、歩み寄ってみると、大変小柄で可愛げな恰好で起き上がりました。頬の辺りが花やかに匂い立つ顔を隠しながら、少しほつれた髪が垂れ下がっている具合が大層美しく見えます。黄色味を帯びた紅色のスカート、黄みがかった橙色の中着の上の非常に濃い鈍色の黒い喪服などがしどけなく着崩れしているので、脱ぎ捨てていた単衣とショールを何とか引き掛けようとしました。ヒカルは、横に置かれていた葵の花を手に取ってみました。「この花は何と言うのかね。名前を忘れてしまった」と問いました。

(歌)古くなってしまった水に 水苔が生えてしまうように 私への愛情がなくなったとしても 

   今日人々が飾りに挿す 花の名すら忘れてしまうとは

と中将の君が恥じらいながら答えました。本当に愛おしい者だと思って、ヒカルが返歌を詠みました。

(歌)大概のことには 執着を捨ててしまったこの世ではあるが 貴女に逢うと 

   罪を犯してしまう気になってしまう

と、この侍女一人だけは側から手放すことはない様子でした。

 

 長雨の頃になると、ただ鬱陶しく雨を眺めながら暮らして行く他はない寂しさの中に、十幾日過ぎの月が雲間から花やかに射し出した珍しさに喜んでいると、夕霧元帥が訪ねて来ました。

 オレンジの白い花が月の光りの下に照らし出されて、追い風に乗って匂ってくる薫りが心地よく、(歌)カッコウよ 色が変わらないオレンジの花に止まって 千年も馴れ親しんでいる声を聞かせて欲しい といったような声も聞こえて来るのではないか、と期待していると、にわかに黒い雲が立ち昇って、意地が悪いことにどしゃぶりになってしまいました。雨と一緒にさっと吹いた風が燈籠の火を吹き消してしまったので、空まで真っ暗になってしまった心地がしました。「雨が窓を打つ音」といった珍しくもない古歌をヒカルが口ずさむのに適った折りでしたが、その声は(歌)一人で聞くには 悲しいカッコウの声 妻の家にも聞かせてやりたい といった歌の方が望ましいものでした。

 

「独り住みというのは、これといった変化はないけれど、妙に物寂しいものだ。いずれ深い山に住むようになるのだから、こうやって身をならしていくなら、この上もなく心が澄みきっていくことだろう」と言ってから、「こちらに菓子などを差し上げてくれ。男たちを集めてご馳走を出すほどでもないから」と命じました。

歌)大空は 恋しい人の形見なのだろうか どうして物思いをする度に 眺めてしまうのだろうか といったようなヒカルの寂しそうな様子を限りなくいたわしく感じた夕霧は「こうやっていつまでも紫上を恋焦がれていると、勤行をするにしても雑念を消すことは難しいだろう」と父上を見つめていました。「ほのかに見た紫上の面影ですら忘れられないのだから、ましてや父上の悲しみは当然なことだ」と、夕霧は自分が中心になって国内通過を容認したカール五世が裏切り始めていることに対する批判で、窮地に追い込まれている自分自身を忘れて同情しました。

「昨日か今日のことと存じておりましたが、紫上の一周忌もそろそろ近くなってまいりました。祭事はどういった風にされるお積りですか」と夕霧が尋ねると、「どれほどのことと言っても、世間並みのことと違ったことをしようとは考えていない。その際には紫夫人が作らせたままにしていた、『天国を描いたタピストリー』などを供養しようと思っている。写し書きをしていた聖典なども沢山あるが、某尊師が故人の意志をすべて詳細に聞いているので、新しく加えるべきことも含めて、尊師の意見に従うべきだろう」とヒカルは答えました。

 

「紫夫人は生前から特に心がけて、あの世での安楽のための仕度をされてはおられましたが、この世でのお二人のご縁は短いものであったと思えますから、せめて形見と言える子供を残されなかったのは残念なことです」と夕霧が話すと、「そういったことは紫上だけの問題ではない。私の婦人たちで長生きしている者でも、子作りの点では総じて少ないのだから、私自身に子作りの縁がなかったことが残念だ、ということだ。だからこそ、貴殿が家門を広げて欲しい」と答えました。

 どのようなことにつけても堪え性がなくなってしまった自分の心弱さが恥ずかしいので、過ぎ去ったことにはあまり触れないでいると、待ち望んでいたカッコウの声がかすかに聞こえて来ました。その声を聞く者にとっては、(歌)昔のことを話していると どのように知ったのか カッコウが、昔と同じ声で鳴く かのようなのでヒカルはただならぬ思いがしました。

(歌)亡き人を偲んでいる夕刻の 激しいにわか雨に濡れながら あの山のカッコウがやって来たのだ

と詠んだヒカルはますます悲しい眼差しで空を眺めました。

 それに合わせるように夕霧元帥が詠みました。

(歌)カッコウよ 冥途の鳥と言われる君に伝えよう オレンジの花は今が盛りだと

その場にいた侍女たちも歌を多く詠みましたが省略します。

 

 夕霧はそのままヒカルの住まいに泊まりました。父親の寂しい一人寝を気遣って、夕霧は時々泊まっていきますが、紫上の在世中の居間がさして遠く離れていないこともあって、あれこれと思い出すことが多くありました。

 非常に暑い時分に、ヒカルは涼しげな座敷に出て庭を眺めていると、池の蓮が盛りなのを見つけて、(歌)悲しみが 次から次へと湧いて来る我が身ではあるが それにも増して 堪えることを知らないのは この涙なのだ といった歌を思い出しました。何かに心を奪われたかのようにぼんやりしているうちに、日が暮れました。ナイチンゲールが花やかに鳴き出して、夕映えの撫子を一人で見ていると、本当に味気ないものでした。

(歌)所在なく泣き暮らしている夏の日に 恨み哀しいようなナイチンゲールの声がする

 コウモリがおびただしく飛び交い出すのを見るにつけても、(歌)夕べの邸に コウモリが飛び出してくると 憂いに沈んでしまう とよく知られた古い詩が出て来るのも、こうした寂しい方面ばかりが口癖になっているからでしょう。

(歌)夜が来たのを知って 飛び出してくるコウモリを見ても 悲しいことは 

   昼夜の区別すらつかない 私の思いだ

 

 

 

       著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata