源氏物語フランス・ルネサンス版

  

「ロワールのヒカル・ゲンジ」と「セーヌのカオル・ゲンジ」の趣旨

 

 

 「源氏物語フランス・ルネサンス版」プロジェクトは、一言で言いますと、紫式部の源氏物語を16世紀前半のフランス・ロワール地方、16世紀半ばのパリ・イールドフランスに移植・翻案する試みです。基本テーマは「罪と愛」となります。

 

 着想したのは40数年前、初めてフランスのロワール地方に住み始めた頃です。古事記を再読して「邪馬台国は吉備、敵国の狗奴国は大和」と気づいたのは16年前(注:2016年時点)のことですから、それよりずっと以前から暖めている構想です。

 

 それまではフランス文化について深くは知らなかったのですが、ロワールのブロワ城、アンボワーズ城やロワール渓谷の風景をめぐりながら源氏物語の世界によく似ていることに驚きました。

 

 17世紀のルイ14世の時代にラファイエット夫人が、16 世紀半ばのアンリ2世の宮廷を舞台に描いた「クレーヴの奥方」(1678年)は源氏物語の世界と相似していることが、古くから指摘されています。ラファイエット夫人より600年あまりも前の日本の女性が「クレーヴの奥方」よりもスケールが大きな近代小説を先に書いていた、ということは日本の大きな財産です。サムライ文化は儒教にもとづいた男性文化ですが、それ以前に女性が主役の宮廷文化が日本に存在したことを世界の多くの方は気づいていないのが現状です。

 

 源氏物語は近代小説の先駆けをした世界的な古典として、英訳、仏訳など主要言語で翻訳され、知日家や専門家には評価されていますが、残念ながら日本と中国の文化の違いがよく分からない欧米諸国などの一般の人はその存在をほとんど知らず、その名を知っている人がいても「フジヤマ・ゲイシャの延長」か「中国の後宮かイスラムのハーレム」と混同している人がほとんどです。源氏物語をルネサンス時代のフランスに移植してみたら、サムライ文化よりも古くから存在する日本人の感性の豊かさ、知性の高さや人生観が世界の人々により理解され、源氏物語がより普遍的、世界的な小説として親しまれるようになるのではないだろうか。いつか移植に挑んでみたいと常々、思いをはせていました。

 

 舞台は15世紀末から16世紀半ばにかけてのロワール地方とパリ地方です。英仏百年戦争(13381453年)の後半、フランスの王室は首都パリからロワール地方に疎開していました。英仏百年戦争が終わり、国内が平穏となった後、アンボワーズ城に宮廷を構えていたシャルル8世(在位1483年~1498年)はイタリアに遠征して、イタリア戦争が始まります。シャルル8世の後、王さまはルイ12世、フランソワ1世と続きますが、イタリアのルネサンスを積極的にフランスに取り入れ、イタリアから美術・工芸家を招き、フランス・ルネサンスが始まります。レオナルド・ダヴィンチも晩年、アンボワーズに招かれ、フィレンツェの財閥メディチ家のカトリーヌ・メディチがフランソワ1世を継いだアンリ2世の正后となります。

 

 その時代は、大航海時代の始まりで、西ヨーロッパの隆盛はこの時代から始まります。それまでオスマン・トルコを中心に栄えていたイスラム社会よりも文化度が低かった西ヨーロッパ諸国が現代に繋がる土台を形成していく時代です。同時にドイツ・オーストリア、スペインとオランダ・ベルギー、イタリア南部を支配するハプスブルグ家とフランス、イングランドの勢力争いが高まります。ローマ・カトリック教会の腐敗に反抗して、新教が勃興し宗教戦争も始まります。

 フランスのフランソワ1世、イギリスのヘンリー8世、オーストリア・ドイツ・ベネルックスとスペイン、イタリア南部、さらに新大陸に跨る大帝国を率いたカール5世、オスマン・トルコのスレイマン1世の四英傑が覇を競い合った時代です。

 

 こうした文化開明と社会変動の中で、紫式部が宮廷の女官として生きていたなら、どう観察し、描いたでしょうか。

 

 予定通り進行していくなら、日本の浮世絵が19世紀後半からの「印象主義」に影響を与えたように、「ゲンジイズム」という「第二の印象主義とジャポニズム」の風を吹かしていけたら、と構想しています。