その32.梅枝           (ヒカル 38歳)

 

4.王太子の元服と麗景殿の王室入り、サン・ブリュー姫君への冊子準備

 

 安梨王太子の成人式は三月二十日過ぎに実施されました。もう立派に大人らしくなっていますので、誰もが競い合うように、娘を貴婦人として王宮に上げることを心掛けています。その中でも太政大臣の熱意が強い様子が格別なので、「なまじっか競い合ってしまうのも」などと左大臣や左大将などが躊躇しているのをヒカルは耳にしました。

「それはもってのほかだ。王宮仕えの本来の趣旨は大勢いる貴婦人たちの中から寵愛を競い合う、というのがまっとうなことだ。際立って優れた姫君たちが引っ込んでしまったら、何の面白さもない」と言って、サン・ブリュー姫が王宮に上がるのを延期してしまいました。

「サン・ブリュー姫が上がってから、それに次ぐ形で」と静観していた人たちは、延期となった事情をあちこちで聞いたので、まず左大臣が三女を王宮に上げ、麗景殿と呼ばれるようになりました。サン・ブリュー姫には昔のヒカルの宿直所だった桐壺(淑景舎)を改装して用意されていましたが、王宮入りが延期になって王太子がじれったそうにしていますので、五月に上がることが決まりました。

 

 サン・ブリュー姫が携える調度類は前からある物に加えて、ヒカル自ら雛形や図案などを吟味し、それぞれの道で優れた名工を集めて入念に新たに作らせました。本箱に入れる冊子類には、いずれ手本になりそうなものを選びました。昔の類ない名筆家が世にその名を残した筆跡も多く含まれていました。

「何事につけても今は昔よりも劣り、浅くなっていく末世になっているが、フランス文字だけは現在の方が際限なく良くなっている。古い時代の筆跡は規則に添ってはいるものの、ゆったりした感じがあまりなく、一様に似通っている。最近になって、微妙に巧みなフランス文字を書く人が出現して来ている。私がフランス文字書きを身に入れて習っていた頃、ちょっとした手本を多く集めたことがあるが、その中でも秋好王妃の母メイヤン夫人が何気なくさらさらと走り書きした一行ばかりが、わざとらしくなく自然体で書かれていたのが、際立って勝れていたことを憶えている。

 実を言うと、そうしたこともあって、夫人と浮き名を流すようになってしまった。夫人はそれが悔しく、物思いに沈んでいたが、結果的には悔しいとは言えないことになったわけだ。思慮深い人だから、王妃の後見役をしている私を草葉の蔭からでも、見直されておられることだろう。秋好王妃の筆跡は細やかで綺麗に見えるが、才気は少ないね」とヒカルは紫上に小声でささやきました。

 

「亡くなった藤壺修道女の筆跡は大層表情に深みがあり、みずみずしく美しい趣があったが、弱点は花やかさが少ないことだった。朱雀院と一緒におられる元女官長の朧月夜こそ、今の時代で最も勝れた書き手と言えるが、奔放すぎる癖がある。ともかく朧月夜と前斎院の朝顔、それに貴女の三人こそが、今の書き手だろうね」とヒカルが認めますが、紫上は「そうした方々の数に入れていただけるのは恥かしい」と答えていました。

「そうひどく謙遜することはありませんよ。もの柔らかな筆づかいに親しみがあるところは格別です。しかしラテン文字の書き方が上達していくにつれて、フランス文字にしまりがない文字が混じるようになってしまうが」と話しながら、まだ無地の冊子なども加えることにして、立派な表紙や紐などを作らせました。

「蛍兵部卿や左衛門府官位四位の督などにも頼んでみよう。私も上下二帖の一揃いは書くことにする。あの方々は気色ばんで書くだろうが、それに負けないくらいに書きますよ」と自信ありげにに語りました。

 

 インクやペンの最上の物を選んで、ヒカルは目星をつけた方々に筆記を依頼しました。依頼を受けた人達は難儀なことと思って、辞退する者もいましたがねんごろに頼み直しました。フランドルの紙の薄物で非常に艶っぽい感じなものを選んで、「この紙で、物好きな若い連中を試してみよう」と、宰相の中将・夕霧、式部卿の長男の兵衛の督、内大臣殿の長男の頭中将・柏木などに、「思い思いに葦模様の文字や歌の趣旨を描いた絵の添え書きなどを書いてみなさい」と申しつけたので、皆それぞれに競い合いました。

 

 

5.蛍兵部卿の冊子持参と書評、武勲詩とフランソワ・ヴィヨンの詩の贈呈

 

 ヒカルはいつもの本館の離れに行って、書を書きました。花盛りが過ぎて、浅緑気味の空がのどやかな中、古い詩歌などに思いをはせながら、心ゆくまで崩し体、普通体、女性体などを見事に書き尽くして行きます。離れには仕える人を多くは置かず、侍女二、三人ばかりにインク壺などの用意をさせて、由緒ある古い詩集の中から、「こんなのはどうだろうか」と詩を選び出して、相談相手として役立ちそうな者だけを呼んでいました。

 離れのカーテンをすべて開けきって、机の上に冊子を載せ、端近くにくつろいだ姿で、羽根ペンの羽根を頬に触れさせながら、思いをめぐらせている様子は見飽きぬ美しさでした。白や赤などはっきりした色の紙では、筆を取り直して注意して書いている様子は、見識ある人が見たら、どんなに敬意を払ったことでしょう。

 

「蛍兵部卿がお越しになりました」と聞いて、驚いて上着を着込み、客向けの敷物を持ってこさせ、すぐに卿を迎え入れました。

 卿が非常に清らかな姿で石段を体裁よく上って来るのを、室内にいる侍女たちが覗き込んでいます。威儀を正して、互いに礼儀深く挨拶しあうのは大層高貴な光景でした。

「することもなく、引き籠っているのも苦しいと思ってしまうほどののどかな時分に、ちょうどよく来てくれました」とヒカルは歓迎しています。

 

 卿はヒカルが頼んだ冊子を持参して来ました。早速見てみると、大して上手な筆跡ではありませんが、ある種の才能があるのか、とても垢抜けた感じで書かれていました。詩もことさらめいて風変わりな古い詩を選んで、ラテン語は少なめに、わずか三行ばかりを感じよく書いていました。

 卿の冊子を見てヒカルは驚いたのか、「これほどまでとは思いもしなかった。私のペンを投げ捨てねばならないね」と悔しがると、卿は「上手な方々に混じって、臆面もなく書いてみましたが、それなりに書いてみた、と思っています」と冗談まじりに答えました。

 

 ヒカル自身が書いた冊子や依頼した先からすでに届いている冊子を隠すべきでもないので、書棚から取り出してヒカルはかわるがわる見せていきました。

 ひどくごわごわしたイタリア製の紙にヒカルがラテン文字を崩し体で書いたものを卿は「非常に勝れて美しい」と見ました。フランドル製のきめ細かく柔らかくなじみやすい、色などは派手ではないが優美な紙に、おっとりしたフランス文字を美麗に念を入れて書いたものは、「たとえるものがない」と見る側の涙すら、筆跡に沿って流れるような心地がして見飽きません。また色合いが花やかなフランスの官製の色紙に、筆にまかせてフランス文字の詩歌を乱れ書きにしたものは、尽きないほどの見所がありました。型にとらわれない自由自在な味わいに惹き付けられたので、残りの冊子に目移りがしません。

 

 左衛門府の督の筆跡は才気ばしり、賢そうなものだけ好んで書いていましたが、筆使いが垢抜けない印象を与え、技巧を加えた感じがします。詩歌などもわざとらしく選んでいます。

 女性たちが書いた冊子はまともに取り出すこともありません。まして朝顔のものなどは取り出しません。若い連中が書いた葦模様の文字の冊子は思い思いに書かれていて、ちょっとした面白さがありました。宰相中将・夕霧のものは水の勢いを豊かに描いて、乱れ生えた葦の姿などはセーヌ川河口の風景そのままで、詩歌の文字をあちらこちらに混ぜ込んでいます。すっきりした部分があったり、うって変わって文字の様子や石などのたたずまいをひどく厳しく好んで書いているページもありました。卿は「これは正視ができないほど立派です。随分と時間をかけたものでしょう」と興じていました。

 

 何事にも趣味が深く、風流がる親王ですから、気に入ったものはどこまでも賞美しました。その日は終日、書の話しだけで過ぎました。ヒカルは色々な色紙を継いだ巻物の手本を、古いものも新しいものも取り出して来ましたが、卿は自分が所蔵する手本類を息子の王補佐官に取りに行かせました。サン・ルイ王が武勲詩から選び出して書かせた四巻や、桐壺王の祖父王がイタリアの薄花色の紙をつないで、同じ色の濃い小さな模様を散らせた薄織り布の表紙、玉石の軸、五色の糸を組んだ平紐などで艶っぽく装丁したものには、フランソワ・ヴィヨンの詩を巻ごとに書風を変えさせながら、素晴らしく書き尽くさせています。二人は灯火を低い台に移して見ながら、「興味が尽きないね。この頃の人はただ一部分を抜き出して、気取って模倣しようとしているだけですな」とヒカルが感服していますので、結局、卿はこの二つをヒカルに寄贈しました。

「たとえ自分の娘がいたとしても、しっかりと見る眼を持っていなかったなら、こうしたものを伝えても仕方ありません。まして私には娘はいませんから、持っていても持ち腐れになってしまいますから」と卿は寄贈する理由を説明しました。その返礼にヒカルは卿の息子の王補佐官に、イタリアの書籍など手本になりそうなものを沈の木の箱に入れ、見事なフランドル笛を添えて贈りました。

 

 この頃、ヒカルはサン・ブリュー姫向けにフランス文字書きの選定をしていて、上中下の身分を問わずに世の名手と言われる書き手を尋ね出し、適当な者を選んで書かせていました。但し姫君向けの箱には、身分が低い者が書いたものは入れませんでした。意識してその人の品性や身分を見分けながら、冊子・巻物向けに整理してから、すべてに装丁をさせました。

 何から何まで珍しい宝物は他国の王宮でも得られないような品々でしたが、若い人たちも蛍兵部卿がヒカルに寄贈した武勲詩集とフランソワ・ヴィヨン詩集の二組の書物に引き付けられて、見たがる者が多くいました。絵画類も整理して選択しましたが、あのサン・マロの絵日記は「子孫代々に伝えたい」との思いがしたものの、「姫君がもう少し世の中を理解するようになってから」と考え直して、調度類の中には加えませんでした。

 

 

6.ヒカル、夕霧に教訓。アントワン、夕霧、雲井雁の心境

 

 内大臣アントワンはこうした仕度の騒ぎを他人事として聞きながら、「何かと気掛かりにはなるものの、張り合いがない」と感じていました。

 十七歳になる雲井雁は今が娘盛りの状態で、もったいないような美しさでしたが、所在なさげに塞ぎ込んでいるのが、内大臣にとってはこの上ない頭痛の種でした。相手の夕霧はこれまでと同じように平静な態度でした。今さらこちら側が弱気になって結婚を申し入れるのも人に笑われてしまいますから、夕霧が本気だった時に許していればよかったものを」と人知れず思い嘆いて、一方的に夕霧が悪いと責めることも出来ずにいました。

 

 内大臣が少し弱気になっている気配を夕霧は耳にしましたが、五年ほど前になる内大臣の辛らつな仕打ちをいまだに恨めしく思っていましたから、冷静な態度で押し静めていました。そうは言っても、他の女性に心を移すことは考えていません。

(歌)出逢ってみたところでと 逢わずにいることを試してみたが そんな戯れができないほど 恋しくなってしまう といった歌のように、本心から恋焦がれる折りもしばしばありましたが、「浅緑色を着る官位六位」と侮った雲居雁の乳母ポーリンたちに対して、官位三位の納言まで昇進したことを見せ付けるのだ」という気持ちを深く固めていました。

 

 ヒカルは夕霧がどっちつかずに、ふらふら身を固めない感じのままでいるのを案じて、「左大臣の娘のことを断念しているのなら、右大臣や王室担当親王などが娘との縁談をほのめかせているようだから、いずれかとの結婚を決めてしまいなさい」と忠告しますが、夕霧は返答もせずに恐縮した態度でいました。

「私はこうした恋愛ごとに関して桐壺王から忠告を受けたものの、それに従う気もなかったから、口出しは出せない。しかし今、思い合わせてみると、桐壺王の教えこそ、今の人にも通じる模範とすべきである。ずっと独り身でいると世間の人も『何か思惑があるのだろうか』と訝しがるだろう。変な縁に引きずられてしまって、とどのつまりはつまらない女性に落ち着いてしまうと、尻すぼみになってしまい、みっともない事になってしまう。

 いくら高い望みを抱いていても、物事には限りがあって思うようにいかないものだが、浮気心を起こしてはいけない。私は幼い頃から王宮で育ったため、思い通りに我が身を振舞うことができずにいて、窮屈だった。ちょっとした誤りを犯しても軽率の謗りを受けてしまうだろう、と包み隠しをしていたのに、それですら好色の咎を受けて、世間から非難されてしまった。

 まだ身分が低く、大した身でもないからと気を許して、気ままな行動をしてはいけない。自然と心が増長して来た時に思い静めてくれる存在がいないと、賢人でも女性関係のことで持ち崩してしまう例が昔からあるからね。あってはならないことに心を打ち込んでしまって、相手にも浮き名を流させ、自分も恨みを負ったりしたら、一生の足かせになってしまう。

 取り違えをして結婚した女性が自分の心に適わず、我慢しきれないほどの難点があったとしても、何とか見直すように気持ちを馴らすか、あるいは親の好意に免じるとか、もしくは親がいずに不充分であっても人柄に心配がない人なら、それを一つの取りえとして暮らしなさい。自分のためにも相手のためにも、結局、良い方向で見る深い配慮を持つべきです」などと、ヒカルは閑暇がある折りに、こうした気構えをしきりに言い聞かせました。

 

 こうしたヒカルの戒めにも沿って、夕霧は冗談にしても他の女性に心を移して行くのは罪作りなことで、自分の本意ではないと考えていました。雲井雁の方もこれまでよりさらに、父大臣が思い嘆いている気配に「恥かしく辛いことが多い身の上だこと」と思い沈んでいましたが、上辺はさりでなさを装って、おっとりと暮らしていました。

 夕霧は思いが募る折々に、しんみりと心をこめた手紙を雲井雁に送りました。雲井雁は

(歌)偽りと思うのだから 今さら 誰の誠実さを信じたらよいのだろう といった歌の気持ちになりながら、男馴れした女性なら無闇に相手の心を疑うこともありましょうが、しみじみした気持ちで夕霧からの手紙を読むことが多くありました。

 

「王室担当親王が娘さんと宰相中将との縁組を打診して、太政大臣もそのようにしようか、とお考えになっている」などとの噂を聞いて、内大臣は重ね重ね心配で、胸が塞がりました。雲井雁にそっと、「こういった噂を聞いた。心変わりをしてしまったのかね。太政大臣が口添えをして来た際に、私が強情を張ってしまったから、気を変えてしまったのだろう。気弱になって、こちらが折れてしまうのも、人に笑われてしまうし」などと、涙を浮かべながら話しますので、雲井雁は非常に恥かしく、何と言うこともなく涙がこぼれるのがきまり悪く、横を向いている姿は言いようもない可憐さでした。

 アントワンは「どうしたらよいものか。やはりこちら側から率先して、相手の気持ちを聞いてみようか」と煩悶しながら部屋を出ていきました。その余韻が残るまま、雲井雁は窓辺近くで外を眺めながら、「妙に気後れがして涙を流してしまう。父上は何と思われているのだろう」と思いにふけっていると、夕霧から手紙がありましたので、さすがにすぐ読んでみました。

(歌)貴女のつれないお心は 辛いこの世の並みの女性のようになって来ていますが 

   いつまでも貴女を忘れずにいる私は 並みの男と異なっているのでしょうか

と大層細やかに書いてありました。

 

「別の女性との縁談話があることを、気配だけでも匂わさないつれなさよ」と思い続けると悲しいのですが、雲井雁はすぐに返歌を書きました。

(歌)忘れられないとおっしゃりながら もうこれ限りと 私のことを忘れてしまうのは 貴方も並みの男のように 

   時流になびくお気持ちなのでしょう

とだけ書いてありますので、夕霧は「奇妙なことだ」と腑に落ちず、首をかしげていたようです。

 

 

 

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