その31.真木柱             ヒカル  37

 

8.ヒカル、玉鬘と思慕の贈答。王さまが玉鬘に消息

 

 冷泉王帰還後の騒ぎも一段落して、四月になりました。ヒゲ黒大将が強引に自邸に引き入れたことを、ヒカルは「何とも無愛想な仕打ちをする。こうまではっきり行動するとは思っていなかったから、油断をさせられてしまったことが妬ましい」と体裁も悪く、心にひっかからない折りもなく、始終玉鬘を恋しく思い出していました。

「運命などと言うものは軽く見てはいけないものだが、自分の玉鬘への思いやりの度が過ぎていたから、このように誰のせいでもなく物思いをしてしまうのだろう」と寝ても覚めても面影を思い浮かべていました。

 

「大将のような風流気が少なく、陽気な性格でもない人物に連れ添っているのだから、ちょっとした戯れごとも慎まねばならない」とつまらなく思って、手紙を送るのを我慢していました。雨がひどく降って所在がない頃は、退屈を紛らわす場所として玉鬘の住まいへ行って、あれこれ語り合った様子などが目に浮かんで来たので、たまらなく恋しくなって手紙を書きました。

 手紙はこっそりとミモザの許に差し出しましたが、「ミモザが何と思うだろうか」が気にかかるので、何事も詳しくは続けず、ただ思いついた事柄だけを書きました。

(歌)春雨が降って のどかな日が続きますが 馴染み親しんだ者のことを どのように思い出しておられるでしょう

「退屈なものだから、恨めしく思い出すことが多いのですが、それをどうやってお聞かせしたらよいのだろう」などと書いてありました。

 ミモザは人がいない間に、こっそりとヒカルの手紙を見せますと、玉鬘は涙を流しました。日が経つにつれて、胸中で思い出さずにはいられないヒカル様なのに、正面きって「恋しくて、何とかお逢いしたい」などとは言えない仮りの父親ですから、「おっしゃるように、どうやったら対面が叶うだろう」と悲しくなってしまいました。ヴィランドリー城にいた頃は、ヒカルが時々煩わしい気配を見せるのが好きになれず、それをミモザにも話さずに心の中で案じ続けていました。ところがミモザはうすうす感じ取っていましたから、「実際はどんな仲だったのだろう」といまだに腑に落ちないでいました。

 

 返信には「差し上げるのも気が引けますが、このままでは心もとないので」と書いてありました。

(歌)物思いをしながら 軒の雫に 袖を濡らしておりますが 貴方さまのことを どうして忘れずにいられましょうか

「月日が経っていくにつれ、おっしゃるとおり所在なさが募っていきます。恐れ多くも」と礼儀正しく書いてありました。

 ヒカルは手紙を引き広げて、涙のような雨だれがこぼれ出す思いがしました。「人が見たら体裁が悪いように感じるであろう」と平静を装いますが、胸が一杯になる心地がしました。その昔、朱雀院の母后である紫陽花王太后がむきになって、ヒカルに逢わせまいと朧月夜を閉じ込めてしまった時のことを思い出しましたが、今回は眼前に直面している出来事ですから、普通とは言えないやるせなさでした。

 

「色好みの男は自ら求めて物思いが絶えないものである。もうこの歳でもあるし、今は何につけても心を乱すことはしまい。自分には似つかわしくない恋の相手に過ぎないのだから」と悲しみを薄めようと、ハープを掻き鳴らしましたが、玉鬘が弾くなつかしい爪音を思い出さずにはいられませんでした。

 フランス調でしっとりと掻き鳴らし、(歌)オシドリやコガモ 鴨さえやって来る原の池の 玉藻の根を刈ってはいけない 生え継いでいくのだから また 生え継いでいくのだから と歌いすさびますが、恋しい人にこの光景を見せたなら、きっとたまらなく感動してしまうことでしょう。

 

 冷泉王もほのかに見た玉鬘の器量や様子に心から惹かれてしまいました。

(歌)紅のドレスの裾を引いて去って行った あの人の姿を 立っては思い 座っても思い出す という歌は耳馴れない古い歌ですが、王さまの口癖になって物思いにふけっていました。

 王さまは時々こっそりと手紙を玉鬘に送っていました。玉鬘は自分の身の不運が辛く悲観している頃でしたから、王さまからの慰みの言葉も不似合いに感じて、打ち解けた返信も出さずにいました。その一方でヒカルの有り難い心配りをしみじみ思い沁みて、忘れることができません。

 

 五月になって、ヴィランドリー城の前庭の藤やジュネ(えにしだ。Genêt)の花がきれいな夕映えを見るにつけても、真っ先に見甲斐があった玉鬘の容姿だけを思い出すので、春の町の庭をうち捨てて、玉鬘が住んでいた夏の町の西の対へ行って、庭を眺めていました。ポプラ材で作った低い垣根に自然にもたれかかっているジュネの風情が眼を楽しませす。

(歌)思ってはいても 恋しいとは言わない クチナシ色に 服を染めて着て見よう クチナシ色に染めて 

   恋しいと言い終えた後に 思い悩めばよい と通俗歌を口ずさんでから、

(歌)思いがけなく 貴女との仲が離れてしまった 口には出さないが ジュネの花のような 貴女をひそかに 

   恋い慕っている

と詠んだ後に、(歌)夕暮れの野辺に鳴く 鳥の顔に似た 貴女の面影が忘れられない といった通俗歌も口ずさんでみたものの、聞いてくれる人は誰もおりません。やはり、こうやって玉鬘とかけ離れてしまったことを、今になって思い知りました。誠に妙な気紛心でした。

 

 アヒルの卵が沢山あるのを見つけたので、レモンの果実のように見せかけて、なにげない風に玉鬘に贈りました。付けた手紙が「あまり人目についてしまったら」と配慮して、そっけなく「お逢いできない月日が重なってしまい、思いもしなかったお仕打ちだ、と恨んでもいますが、貴女の意向だけではないように耳にしますので、特別なことがない限り、お目にかかるのは難しいのだ、と残念に思っています」など、父親めかして書いてありました。

(歌)せっかく私の邸で孵ったヒナが見えなくなった 一体どの人の手の中に入ったのだろう

「何もそこまで厳重にしなくとも、と面白くありません」などとも書いてありました。

 

 ヒゲ黒も手紙を読みましたが、笑いながら「女というものは実の親の家にも、そう気軽に出掛けて行って親と出逢う、というものではなく、適当な機会もなしにするべきではありません。まして実の親でもない太政大臣が時々、諦めきれずに恨み言を言われなんて」とぶつぶつ呟きますので、玉鬘は「憎たらしいことを言う」と聞いていました。

 玉鬘が「返信をうまく書けない」と書き辛そうにしていると、「それなら私が代りに書こう」と言うので、玉鬘ははらはらする思いでいました。

(歌)日陰のような巣の隅に育った 数にも入らないアヒルの子を どこに隠したりしましょうか

「ご機嫌がお悪いようなのに驚きました。風流ぶっておられるような」と書いてありました。

 返信を受け取ったヒカルは「この大将がこんな冗談めいた歌を詠むのをこれまで聞いたことがない。珍しいことだ」と笑いはしたものの、心中では「ヒゲ黒が玉鬘を自分のものだ」と独り占めしてしまったことを「大層憎いことだ」と感じていました。

 

 あの正夫人は月日が経つに従って、「浅ましい結果になってしまった」と思い沈みながら、ますます放心状態にいました。ヒゲ黒大将は今も一家に対して一通りの面倒は見ています。どんなことにもこまめに気をつけて、子ども達を変わらずに大事にしていましたので、前夫人としてもどうしても縁を切ってしまうわけには行かず、日常生活については以前と同じように世話になっていました。

 ヒゲ黒は一人娘をたまらなく恋しがっていましたが、母親側は逢わせる気は少しもありません。まだ十三歳の真木柱は、周りの誰もが父親を許さずに恨んでいて、父親との間をますます遠ざけるようにしていますので、内心では心細く悲しんでいました。ヴィルサヴァン城からボールガール城への距離は十数キロメートルほどと近いこともあって、弟二人はいつもボールガール城へ行き来していますから、自然と女官長の様子などを姉に話したりします。

「私たちにも優しく可愛がってくれます」、「毎日、面白そうなことをして暮らしていますよ」などと言うのが羨ましく、「こうやって気ままに振舞える男児の身に、なぜ生まれてこなかったのだろう」と嘆いていました。男にとっても女にとっても不思議と人を思い悩ませる女官長でした。

 

 

9.ヒカルとヘンリー八世のハンプトンコート調印と虹バラの帰国

 

 カール五世が率いる神聖ローマ帝国とスペイン王国への対抗策として、フランス王国は昨年十二月にオスマン・トルコ帝国との連合化を実現しましたが、五月二十二日にフランスに加えてローマ教皇、ヴェニス共和国、フィレンツェ共和国、さらに驚くことに帝国の後盾でスフォルツア家が復帰したミラノ公国までが参画した「コニャック連盟(Ligue de Cognac)」が成立しました。それだけカール五世への敵愾心が強まっている、ということでしょう。六月に入ると、ブルゴーニュ地方内の複数の自治体がフランス王国内に留まることを宣言しました。

 

 コニャック連盟には参加しなかったイングランド王国も、やはりカール五世に対する警戒心が強まっているのか、対カール五世でフランスと共同戦線を結ぶ方向で話し合いが進み、八月初旬にロンドンで条約が締結されることが内定しました。イングランド側は締結式に冷泉王が出席することを望みましたが、捕虜生活から帰還してまもなくで健康状態も不安定であることを理由に、代ってヒカル自身が締結式に向うことになりました。

 ヒカルがフランス国外に出ることは初めてでしたが、イングランド国王の参謀として重きをなしているトーマス・モアに出会える可能性もあることから、ヒカルは快諾しました。イングランドとの水面下での交渉で一役かった虹バラがヒカルの通訳として同伴するのも心強いことでしたが、虹バラはそれを機にフランス留学を終えて帰国することが決まりました。ヒカルが六年前の金布の野でヘンリー八世と出会った際に、フランス王宮への留学が決まった虹バラは二十五歳になっていました。

 

 ヒカル一行は英仏百年戦争の開始以来、フランス侵攻の橋頭堡としてイングランドが死守しているカレー(Calais)に入り、イングランド軍の船でドーバー海峡を渡り、カンターベリーに入りました。翌日、大聖堂を詣でた後、テームズ川を遡上してグリニッジ宮に到着しましたが、驚くことに出迎えた高官はヒカルより十一歳年上のトーマス・モアでした。モアとの出逢いを切望するヒカルの意を汲んだ虹バラの配慮だったのでしょう。

 ヘンリー八世が待ち構えているハンプトン王宮までの船中、ヒカルは夢中でモアと語り合い、通過するウエストミンスター寺院にも気付かなかったほどでした。ヒカルの質問は神聖ローマ帝国とスペイン王国を治め、イングランド王妃キャサリン・オブ・アラゴンの甥でもあるカール五世に対するイングランド側の見解、といった政治動向ではなく、ロッテルダムの尊師とマルチン・ルターの方向の違いについて、モアの個人的な意見をさぐることでした。

「あくまでローマ教皇を尊重しつつ、ローマ教会内での刷新化を進めるのが筋道でしょう。ルターの方向は西ヨーロッパを波乱へと導くものです」と穏やかですが明晰な回答でした。ネーデルランドの白菊総督とほぼ同じ意見でしたが、「高尚なユマニストの立場はこうあるべきなのだ」とヒカルは納得しました。

 

 赤レンガ作りのハンプトン宮殿に着くと、螺旋状など意匠を凝らした煙突群が眼に入りました。笑顔で迎えたヘンリー八世は小太りになって貫禄がついていました。金布の野の思い出を語りながら、通訳をするフランス流の洗練さに磨かれた二十代半ばの虹バラを注視していました。

 調印式の後の遊宴会では、カール五世の叔母でもあるキャサリン・オブ・アラゴン王妃と十歳になった一人娘のメアリー王女の姿も見えました。ヘンリー八世はふいにヒカルに「フランスの山中に男の子を生ませる薬草がある、と聞いているが、もし本当なら是非とも入手したいのだが」と耳打ちしました。自分の後継者として、よほど王子を欲しがっているのでしょう。

 ヒカルがイングランドから戻った後、八月二十八日、スレイマン皇帝が率いるオスマン・トルコ軍がハンガリー軍を撃破した知らせが入りました。トルコ軍がオーストリア国境間近に迫るのは時間の問題となりましたが、東西からの帝国・スペイン王国包囲網が強固なものになって来ました。

 

 

10.玉鬘の出産。ヒヤシンス君、夕霧に懸想

 

 同じ年の十一月に、とても愛らしい男児すら誕生したので、ヒゲ黒大将は「願っていた通りのめでたさだ」と玉鬘を大切にかしずくことに限りはありません。そうした様子は筆者が語らなくとも察しがつきましょう。実父の内大臣も「自然と望みどおりの運命になってくれた」と喜んでいます。

 赤子の容貌はヒゲ黒が格別に大切にしている長男と次男と較べても見劣りはしません。頭中将の柏木は今では親しみのある姉君として女官長と仲良くしていますが、そうと言いつつ当初の玉鬘への思いは残っていました。赤子の可愛い顔を見るにつけ、「王宮に上がって王さまに愛されていたなら、本人にとっても私ども一族にとっても都合のよいことになっていたのだが。王さまはまだ王子ができていないことを嘆かれているのだから、赤子が王さまの子であったなら、どんなにか一族の名誉になったことだろう」と、柏木は余計なことまで思いついて話していました。

 玉鬘は女官長としての公務に関しては、それ相応の指示を出すものの、王宮に上がることは次第に止めていきましたが、それもやむをえないことでした。

 

 例の内大臣の娘で女官長を希望しているヒヤシンスは、いつもの性癖に加えて「オスマン・トルコとの連合化に一役かった」との自負もあってなのか、近頃妙に色っぽくなって、そわそわしながら男を誘うような仕草をするようになっていますので、アンジェリク貴婦人ももてあまして、「そのうち浮ついたことをしでかすのではないか」と、ともすると胸が潰れる思いでいます。

 内大臣も「今はもう、人前に出ないようにしなさい」と釘を刺しますが、聞き入れることはなく、人中にしゃしゃり出てきます。どうした折りにか、王宮人の多くの中でも評判の高い者たちばかりで、アンジェリク貴婦人の室にやって来て管弦を始め、くつろいだ感じの拍子もうち添えて楽しみました。秋の夕刻のどことなく風情があるところに、宰相中将の夕霧も立ち寄って、いつもと違ってすっかり打ち解けて冗談まで言いますので、侍女たちは珍しがりながら「やはりどの人より抜きん出ていますね」と褒めています。

 

 するとヒヤシンスが侍女たちの中を押し分けて出て来ました。「まあ、嫌なこと」、「これはまあ、どうするつもり」と引き込めようとしますが、ヒヤシンスはきっと睨みつけて胸を張っていますから、侍女たちは煩わしくなって、「軽はずみなことを言い出すのではないか」と突っつき合っています。するとヒヤシンスは世にも珍しいほど真面目な夕霧を指して、「この人です、この人」とはしゃいで、騒ぎたてる声は懸念していた通りでした。

 人々は苦りきっていますが、ヒヤシンスは非常にはっきりした声で歌)沖に浮ぶ船が 寄る所がなくて波に漂っているなら 私が棹をさして近づいていきますから どこへ寄りたいのか教えてください(歌)運河を漕ぐ 屋根なし小舟のように いつまでも同じ人を恋い続けている というのも といった歌もありますね。失礼かもしれませんが」と言いますので、夕霧はひどく不審に感じつつ、「アンジェリク貴婦人の周りにはこんなぶしつけなことを言う者はいないはずだが」と思いをめぐらすうちに、「ああ、この人が噂になっている女性か」とおかしくなりました。

(歌)寄る所もなく 風にもてあそばれている船乗りでも 自分の思ってもいない所に 磯伝いに行くことはない  

と、厳しくたしなめた、ということです。

 

 

 

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