その9.葵     (ヒカル 21歳~22歳)

 

6.ヒカルの服喪と、左大臣家の愁嘆

 

 月日がいたずらに過ぎて行き、五十日祭の仕度をさせるものの、葵夫人の死は思いもよらなかったことなので、尽きることなく悲しみが湧いてきます。とるに足らない出来が悪い子供でも、親の身になれば我が子を思う気持ちは深いものです。まして大宮の悲しみはもっともなことです。それに又、娘は一人しかいないことを物足りなく感じていましたから、一人娘を失ったことは袖の上に置かれた玉が砕けてしまうよりも惜しい悲しみでした。

 ヒカル大将はシュノンソーへはほんの間も戻らず、哀愁の思いを深く嘆きながら勤行をまめに務めて日夜を過し、必要な所々には手紙だけを送っていました。メイヤン夫人へは、娘の斎宮が王宮の身を清める禁中の室に入りましたので、喪中の身で神聖な生活を乱してはいけない、という理由にかこつけて、手紙も送りません。

 

 これまでも世の中は「憂うるもの」と思い沁みていましたが、葵夫人の死でますます厭わしくなって、「先行きのことを考えてやらねばならない幼な児が誕生しなかったなら、出家を願い出ていることだろう」と思っているうちに、シュノンソーにいる姫君が寂しがっている有様が浮かんできます。夜はカーテンで仕切られた寝所で独り寝をします。室内に宿直の侍女たちが伺候していますが、情をかけることもなく、物寂しくしています。

(歌)四季の中でも 物悲しさが募る秋は 元気に暮らす人を見るだけでも 恋しくなってしまうのに

   自分の妻が 永遠の別れを告げてしまうとは

と、よく知られた歌を呟いていると寝覚めがちになりますので、声がよい僧を選んで聖書を読んでもらいますが、明け方になっていくと堪え難い気持ちになります。

 

「秋が深まり、哀しみを増幅させる風の音が身に沁みてしまう」と、不馴れな独り寝に寝付かれぬまま、朝ぼらけの霧がたちこめていく中、蕾がほころび出した菊の枝に濃い青灰色の紙に書き付けた手紙をつけたものを置いていった使い人がいました。「洒落たことをする」と手紙を見てみると、メイヤン夫人の筆跡でした。

「便りを差し上げずにおりましたが、私の胸中を察してくださっておられたでしょうか。

(歌)葵夫人が亡くなられたことを聞いて 悲しみで涙がこぼれます 夫人に先立たれて 

   さぞかし袖を濡らされていることと察します

朝の空の模様を見ていて、思い余って手紙を書きました」とあります。

 

「いつもより気を使って書かれた手紙だな」とさすがに捨て難い思いで読みながらも「とってつけたような、そっけない見舞い文だ」と不愉快になりました。そうかと言って「返信をしないのも気の毒であり、夫人の名を汚すことになってしまうし」とあれこれ思案します。

「亡くなった妻はいずれにしても、そうなるべき宿命であったとしても、どうしてメイヤン夫人の生霊をまざまざと見聞してしまったのだろう」と悔しくなって、自分自身としては夫人に対する思い込みを見直す気にはなりません。

 

「斎宮が身を清めている間だと憚りが多くなることだろうから」などと、しばらく考えあぐねていましたが、「わざわざ送って来てくれた手紙に返信しないのは情愛がなさすぎることになるだろう」と思い直して、灰色がかった紫の紙に、「長らくご無沙汰しております。思い忘れたわけではありませんが、喪中で謹慎中の身ですので、ご理解ください。

(歌)生き残った者も 死んで消えて行った者も 結局は同じ露となってしまう はかない世の中ですが 

   過去の出来事に執着されるのは つまらない事です

どうぞ恨み心をきれいに忘れ消してください。喪中の身の手紙をご覧になることはないかも知れないと考えて、手紙を書きませんでした」と返信しました。

 

 メイヤン夫人はリモージュ(Limoge)のサン・レオナール・ドゥ・ノブラ(Saint-Léonard-de-Noblat)に落ち着いていましたが、こっそりとヒカルの手紙を隠し読みしながら、それとなくほのめかしている文意から自分に潜む鬼心を見極めて、「やはり生霊となっていたのか」と悟ったのは辛いことです。

「やはり自分は限りなく罪深い身であったのだ。私が生霊となった噂を桐壺院も伝え聞いてしまったら、どう思われることだろう。夫だった故王太子は兄弟たちの中でも、同腹の弟ということもあって、とても睦まじい間柄で、遺児となる斎宮の行く末もねんごろに依頼されて他界したことから、『私が父親代りとしてお世話をして上げよう』などと気を使われて、『何なら王宮住みをされてみなさい』とまで度々勧めてくれましたが、『そこまでされては畏れ多い』と辞退申し上げたのに、意に反して年甲斐もない衝動にかられて、遂には浮名まで流してしまうことになった」と煩悶して、依然として気分がすぐれません。

 

 メイヤン夫人は見識が高く、洗練された趣向を持った貴婦人として、前々から世間の評判が高いことから、リモージュへも「今ふうの風雅を多く持ち込んだ」と、王宮人の中の風流好きな者は、夫人に仕える侍女たちも目当てにして、朝夕の露を踏み分けていくことを日課にしている」などという話を聞くと、ヒカル大将も「それもそうだろう。夫人は優雅な道をどこまでも身につけておられるから。もし世の中に厭き果ててランスへ下って行くことになると、随分寂しくなってしまうことだろう」と、さすがにしんみりとします。

 

 五十日祭は過ぎましたが、正確に死後五十日が過ぎる十一月中旬まではアンジェ城に引き籠もることにしました。イタリア北部の遠征先で妹の死を知り、ロワールに戻って来たばかりの三位中将アントワンは、不馴れな引き籠りで暇を持て余していることだろうと思いやって、自分の居所になったソーミュール(Saumur)城から始終やって来て、世間話などを含めた生真面目なことや、いつものように好色話を持ち出したりして慰めます。とりわけ、あの副女官長ニナの一件を持ち出して笑い草とします。「でも、可哀想すぎるではないか。あのお婆さんをそんなに軽んじてはいけませんよ」とヒカル大将は諌めながらも、自分でもおかしがっています。

 ムーランの末摘花邸での、あの晩冬の十六夜の月の宵のことや、パリへの行幸の楽人や舞人が発表された王宮で「隠し事が多いようだね」とヒカルを皮肉った秋の出来事など、その他にも様々な恋愛事をお互いに残らず懐古していきます。しまいには、世の中の無常を語り合って、揃い泣きなどもしてしまいます。

 

 時雨が降って、物哀しさがつのる日暮れ方、アントワン中将が喪中に着る上着とタイツの鈍色を薄めに替えて、見る側が気恥ずかしい思いをしてしまうほど、実戦帰りの凛々しさをあふれさせながら、やって来ました。

 ヒカルは西側の戸口の欄干にもたれて、霜枯れの前庭を眺めていました。風が荒々しく吹いて、時雨がはらはらと降るのが自分の涙と競い合っている心地がします。

「出逢いも別れも、双方とも夢のようだ。亡き妻の魂は雲となり雨となるが、その雲が今、どこにいるかが分からない」と独り言を口ずさみながら、頬杖をついています。その様子を、アントワンは「もし自分が女性で、夫を見捨てて死んでしまったしても、夫の様子を知りたくて、空中に魂を留めざるをえなくなるだろう」と色っぽい気持ちを抱きながら近くに寄ってきましたので、ヒカルはしどけなくくつろいだ姿のまま、敬意を示そうとしてガウンの帯を結び直します。ヒカルの方は、アントワンよりももう少し鈍色が濃い夏用のガウンの下にサテン織りのつやつやした紅色のシャツを着ています。地味な装いですが、見飽きない気持ちにさせます。

 

 アントワンもヒカルと同じように、とても悲しそうな眼差しで空を眺めます。

(歌) 聖山に住む神女は 朝に雲となり 夕べに雨となる と名詩が歌っているけれど 

   亡き妹が時雨を降らす空の浮雲は どこの方角だろうと じっと眺めてしまう

妹の魂の行方は分からないけれど」とアントワンが独り言のように歌います。

(返歌)亡き妻が雲になって 雨を降らしていますが あまりの時雨に空が暗すぎて 雲の行方が分かりません

と返歌をする様子に、妻の死を追慕する悲しみがはっきりと見て取れます。

 それに気付いたアントワンは「解せないこともあるものだ。これまで妹のことをさほど愛しいとは感じていない風で、桐壺院が訓戒をたれ、父の左大臣が心苦しいほどのもてなしをし、院の姉である母の大宮と血縁のつながりもあるなど、各人への気兼ねがあるがために、妹を振り捨てずに、嫌々ながら夫婦関係を続けているのだ、と同情しながら眺めてきた折々もあったのに、実際には正妻として重んじて格別な思いを抱いていてくれたのだ」と悟って、妹の死を口惜しく思いました。 

 

 左大臣邸は何事につけても、光りを失った気分に包まれて愁嘆していました。ヒカルはアントワン中将が帰った後に、霜で枯れた下草の中に、ゲンチアナ(Dentiana。リンドウ)や撫子などが咲いているのを折らせて、若君の乳母の宰相の君コレットを使いにして、大宮に歌を贈りました。

(歌)霜で草枯れた垣根に残された 撫子の花のような我が子を この秋に死に別れた人の 

   形見として思いやっております

 ヒカルが撫子に例えた赤児を大宮が見やると、無心ににこにこと笑っているのがとても可愛らしいのです。大宮は風に吹かれて舞い落ちる木の葉よりも脆い涙を一塩、堪えることができません。

(歌)垣根も荒れ果ててしまって 母に先立たれた撫子を 今も見やりますと 涙で袖が朽ちてしまいます

 

 ヒカルは所在なさを紛らすことができなくて、「今日のような哀れさをあの人ならきっと分ってくれるだろう」と推し量って、もう暗くなっていましたが、ユッセ(Ussé)城に住む朝顔宮に便りを送りました。

 ヒカルと朝顔の手紙でのやり取りはたまでしかありませんでしたが、もう古くからのことで馴れている侍女は躊躇もせずに朝顔に手紙を渡しました。空色をしたイタリア産の紙に

(歌)秋の物悲しさは 幾度も経験していますが とりわけこの夕暮れは 涙で袖を湿らせています 

時雨が降る時分はいつも」とありました。

「筆跡など心をこめて入念に書かれていて、いつもより見栄えがして、放ってはおけない程です」と侍女たちが感心し合い、自分自身でもそう感じましたので、「夫人を失った悲しみを思いやりながらも、遠慮しておりました。

(返歌)秋の霧が立つ頃 奥様に先立たれてしまったことを聞きまして 時雨の空を眺めながら 

    どうされておられるかと 案じておりました

とだけ、ほのかな筆跡で、思いなし心憎い手紙でした。何事につけても、人を前よりも高く評価することは世の中にはあまりないことですが、自分に冷たく当たる女性に惹かれてしまうのが、ヒカルの性癖でした。

「朝顔宮は自分につれなくしながらも、しかるべき折々の哀れさを見過ごさずに気遣ってくれるから、お互いに情愛を示し合うことができる。逆にあまりに親しくなって情がありすぎてしまうと、人目にもついて余計な欠点が出て来てしまう。シュノンソーの姫君はそんな具合には育てまい」と思います。

 

「若紫は退屈していて、私を恋しがっていることだろう」と忘れることはありませんが、女親がいない児を預かっているような気持ちもありますから、逢わないでいるからと言って、並みの愛人たちと違い、後ろめたくなったり、「私の事をどう思っているのだろう」とやきもきすることもないので、気が楽でした。

 

 日がとっぷりと暮れましたので、灯火を近くに寄せて、馴染んでいる侍女だけを集めて雑談をします。中納言の君ナデージュという侍女は、長年、ひっそり情人の関係を続けていましたが、服喪中は強いて情人として手を出さずにいます。ナデージュはそれを「亡くなった女主人に対する思いやり」と感じ入っていました。

 ヒカルは四方山の話を懐かしげに話しながら、「こうやって、このところずっと一緒に暮らしているのだから、誰も彼も見間違えをしないほど見慣れてしまっている。これから頻繁には顔を合わせないようになってしまうと、私のことが恋しくなってしまうことだろう。亡き妻については別の事としても、ちょっと考えてみるだけでも堪え難いことが多いものだ」と話しますと、皆さめざめと泣いて「故人について申し上げても甲斐はありませんが、ただただ胸が掻き乱される心地がいたします。それも仕方がないとしましても、ヒカル様がこちらの邸から離れて名残りがなくなり、どこかへ行かれてしまうのか、と思いますと」と最後まで話し終えることができません。

 

 ヒカルは「可哀想に」と皆を見渡しながら、「名残りがなくなってしまう、とはどういうことだろう。私をそんなに心の浅い人間と扱わないで欲しい。気長に見てくれる人なら分ってくれるだろう。とは言っても、命ははかないものだから、私もどうなることやら」と言いながら、灯火を見つめている目が潤んでいるのが、美しいほどです。亡き葵夫人がとりわけ可愛がっていた幼い女童が、親達もいないので、ひどく心細そうにしているのをもっともなことと見やって、「お前はこれからは私を頼りにするのですよ」と話しかけますと泣きじゃくります。小さめの中着を人よりも濃く染め、黒い下着に、赤みがかった橙色のスカートを着ている姿が可憐です。

 

「夫人を忘れられない人は、寂しいこともあるだろうが我慢されて、幼い子を見捨てずに、このままここにいてください。亡き妻の名残りがなくなっていく上に、あなた方まで去ってしまったなら、訪ねて来るよすがもなくなってしまう」などと、皆が末長く奉公してくれることを説くのですが、「そう言われるご本人の訪れが、亡き夫人の存命中よりもますます間遠になってしまうだろうに」と皆は心細い思いをします。

 左大臣は葵夫人に仕えた人々に、それぞれの身分と年功に応じて故人の愛用品や本当に形見になるような物などを改まった形にならないように気を使いながら、一同に分け与えます。

 

 死後五十日が過ぎた十一月中旬、ヒカルは「いつまでも、鬱々とここに籠もっているわけにもいかない」と思い立って、ショーモン城の桐壺院へ挨拶に出向くことにしました。馬車を準備させて、前駆を務める者たちが集まった時分に、別れの悲しみを承知しているかのように時雨が降り注ぎ、木の葉を散らす風が吹き荒れます。ヒカルに仕えてきた人々は心細さがさらに増して、少しは乾く間があった袖が再び湿っぽくなってしまいます。

「ショーモン城を訪問した後、そのままシュノンソーに戻ることにする」とヒカルが告げましたので、仕える人々は「シュノンソーでお待ちすることにしよう」と各自、アンジェ城を離れていきます。

 

 ヒカルのアンジェ城での滞在は今日が最後となるわけではありませんが、邸内はまたとないほどの物悲しさに包まれます。左大臣も大宮も今日の別れの様子を見て、悲しみを新たにします。

 ヒカルは大宮に書面で挨拶を送ります。「桐壺院が心配されて逢いたそうにされていますので、今日にでも伺ってみようと思います。仮初のこととしても、この邸を立ち去っていくとなると、『よくもまあ、今日まで生きてこられたことよ』と哀しみに掻き乱されてしまいます。お目にかかってしまいますと、さらに取り乱してしまいそうなので、そちらには伺わないことにします」と書いてありました。手紙を受け取った大宮は涙で目が見えなくなるほど一塩思い沈んで、返信もままなりません。

 左大臣がヒカルの所に渡って来ました。ヒカルが発って行くのが堪え難いように涙を流す顔に袖を当てたままです。その光景を見やる人々もとても悲しい思いをします。ヒカル大将も、世の中の様々な悲哀を思い浮かべてもらい泣きをしてしまいますが、その様子はしみじみと心深く、艶めいていました。

 左大臣はしばらくためらいながら、「歳をとりますと、さしたることがなくても涙もろくなってしまいます。まして涙が乾く間もないほど、思い惑う気持ちを鎮めることができません。それが人目についてしまうのも体裁が悪く、心弱いようにみえてしまいますので、桐壺院にも挨拶に伺うことが出来ません。何かのついでに、院にそのようにお伝えください。余命いくばくもない老いた身になって、愛娘にうち捨てられてしまったのが何とも辛いことです」と何とか心を押し殺そうとしながら語る様子はとても苦しそうでした。

 ヒカルは度々鼻をすすりながら「一方が死に、他方が生き残る、といった命の定めなさはよく承知していますが、その当事者となって感じる心の惑いはたとえようもありません。そのご様子を院に報告しますので、お察しになってくれることでしょう」と返答します。

 

「さあ、時雨が止みそうもありませんから、日が暮れないうちに」と出発をせかします。ヒカルが自室を見回してみると、間仕切りやカーテンの側の明け放たれた所などに、侍女三十人ほどが幾つかの塊を作って濃い目のものや薄めの喪服をめいめい着て、皆、ひどく心細そうににうち萎れながら集まっていますので、大層哀れに感じます。

 左大臣は「思い捨てることができないお子様がここにおりますから、何と申しても何かのついでにでも、こちらにお立ち寄りになることでしょう、などと私どもは慰めております。単純に思慮が浅い侍女などは『今日を限りにこの邸は思い捨てた過去の場所となってしまうのだろう』と悲観して、女主人と死に別れた悲しみよりも、時々お越しになられた際に親しく仕えさせていただいた歳月も名残りがなくなってしまうことを歎き悲しんでいますがそれももっともなことです。これまでもくつろいで長く滞在されることはございませんでしたが、『それでも最後には』と空頼みをしていたのですが、本当に心細い夕暮れになってしまいました」と言って、また涙を流しています。

「いえいえ、侍女たちの歎きは浅はかなことです。亡き妻も『そのうちには理解してくれるだろう』とのんびり構えていた頃は、自然とご無沙汰がちとなってしまう折々もありましたが、妻を失った今はのん気にしている場合ではありません。直にお分かりになりますよ」と言いながら出て行くヒカルを見送った後、左大臣はヒカルが暮らしていた部屋に入りますと、内装を始めとして、以前と変わった事もありませんので、本体が飛び立っていった蝉の抜け殻のような空しい気持ちになります。

 

 机の上にインク壺などを取り散らかせ、手習いをした後に捨てた紙を左大臣は手に取って、目をしばたたきさせながら読んでいるのを見て、若い侍女たちは悲しんでいながらも微笑みを浮かべる者もいます。

 書き捨てられた紙には、フランスやイタリアの哀れ深い名詩が書き散らされていました。フランス語とラテン語を色々、珍しい書体で書き混ぜています。「見事な筆跡だ」と左大臣は空を仰ぎ眺めながら、「これほどの方が他人になってしまうのが惜しい」と溜息をつきます。

「古びた枕と敷布を誰と共にしたのだろう」という詩が書かれた紙の端に

(歌)亡き妻と共に寝たベットを 離れ難い思いがする 妻の魂も さぞかし悲しい思いをしていることだろう

 また、「霜の花が白い」という詩が書かれた紙には 

(歌)貴女が亡くなって 塵が積もってしまったベットに 涙の露を払いながら 幾晩 独り寝をしたことだろう

とあり、先日、ヒカルが大宮に贈った撫子の花の残りが枯れて混じっていました。

 

 左大臣は書き捨てを大宮に見せて、「今さら言っても仕方がないが、こんなに悲しいことは世の中にあるだろうか。娘との親子の契りは長くはなく、こんなに心を惑わせてしまうように生まれてきた子だったのか、と思うと辛くてならない。これも前々からの約束事であったと、諦めようとしても日が経つにつれて、恋しさに堪え難くなってしまう。おまけにこのヒカル大将までが、今日を限りに他人となってしまうことは、どう考えてみても悲しくてならない。お越しが一日、二日となく、また時折りにしか訪れがなかった時も、たまらなく胸が痛い思いをしたが、これっきり朝夕の光りを失ってしまったら、どうして末長く生きていることができましょう」と我慢できずに声を出して涙を流しますので、御前に侍る年嵩(としかさ)の侍女たちもとても悲しくなって揃ってもらい泣きをしてしまう、そぞろ寒い夕暮れの情景となりました。

 

 若い侍女たちは所々に群れ集まって、自分たちのこれからを語り合っていました。「ヒカル殿がご希望されるように、若君のお世話をしながら、この悲しみを慰めていこうと思うものの、まだまだあまりに小さな忘れ形見ですからね」などと言う者もおりますし、各人思い思いに「ひとまず実家に戻ってから出直して来ます」などと言う者もいて、お互いに別れを惜しみあったり、それぞれもの哀しい事が多くありました。

 

 ヒカルがショーモン城を訪れますと、桐壺院は「ひどく面窶れをしたではないか。精進の毎日を送っていたからなのか」と心配そうに声をかけて、自室で食事を取らせるなど、何やかやと気遣いをする有様にしみじみともったいなく感じます。

 藤壺中宮の間を訪ねますと、侍女たちは珍しそうにヒカルを見つめます。中宮は付き人ブランシュを介して「大変なご不幸で、悲しい思いが尽きることはなく、時が経過しても忘れ去ることができないでしょうに、いかがですか」と伝聞しました。

「世の中が無常なことは、一応は思い知っていましたが、身近に経験してしまうと、厭わしい事が多くて思い乱れてしまいます。度々、お見舞いをいただき、それが慰めとなって今日まで生きてこられました」と答えたものの、何でもない時でさえ、常に藤壺に抱いている情念が寄り添ってきて、とても心苦しくなってしまいます。鈍色の下服の上に無地の上着を着て、喪中を示すストールを巻いたやつれ姿は、花やかな衣装よりもなまめかしさが漂っていました。

「四歳になった王太子にも、久しくお会いしていないのが心許ないことです」とブランシュに話しながら、夜が更けた頃、ショーモン城を去りました。                   

 

 

7.紫上の新枕と三日夜の祝い

 

 シュノンソーでは、東館を隅々まで磨きたてて、男も女も待ち受けていました。上級職の侍女たちも皆、はせ参じて来て、我も我もと綺麗に着飾り、化粧もしているのを見ると、ヒカルはアンジェの侍女たちが居並んで、沈み込んでいた光景を悲しく思い出しました。

 服を着替えてから、西館に渡ります。冬用の模様替えがすっきりと鮮やかに仕上がっています。美しい若い侍女や童女の身なり、姿も体裁よく整えられていて、「少納言セリーヌの采配が行き届いているのが心憎いほどだ」と眺めます。姫君もとても美しく着飾っています。

「しばらく逢わないうちに、すっかり大人らしくなられましたね」と閨のカーテンの小さな垂れ布を引き上げて、よく見ようとしますと、顔を横に向けて恥かしそうにしている様子に非の打ち所がありません。灯火に照らされた横顔や頭の恰好など、「本当に、心の限り慕っている、あの御方に見間違えるほど似て来ている」と感じて、とても嬉しくなります。

 

 側に近寄って不在中のことなどを話して、「沢山積もっている話をゆっくり聞かせてあげたいけれど、忌中で籠もっていた身で、あまり縁起がよいわけではありませんから、しばらく東館の方で休んでから参りましょう。これからはいつでもお会いできましょうから、うるさがられてしまうかも知れませんね」と話しかけているのを聞いて、セリーヌは嬉しく思いながらも、まだまだ不安にかられています。忍んで通う、身分が高い方々が大勢おりますので、姫君にとって厄介となる女性が入れ替わって登場して来るのではないか、と疑念を抱いていました。

 

 東館に戻って、中将の君サラに足などを揉ませた後、就寝しました。翌朝、アンジェの若君の乳母コレットへ便りを送りました。やがてコレットからしみじみした返信がありましたが、それを読むと悲しみが尽きません。所在なく物思いに沈みがちになって、ちょっとした忍び歩きも億劫で思い立つこともありません。姫君が何事も申し分なく、一人前の女性に成長して、夫婦として不似合いでもない年頃に達したように見えますので、それと匂わせるような色めいた事などを折々話したりしますが、その意味がとんと通じない様子です。

 

 退屈しのぎに、ただ西館へ行って姫君とチェッカー(西洋碁)を打ったり、トランプなどをしながら、日を送って行きますが、気性が利発で愛敬があり、何でもない遊戯ごとでも優れた素質を見せます。これまでの年月は男女の仲などは考えずに、単にあどけない者と感じるだけでしたが、今はもう抑え切れなくなってしまって、仕える侍女たちは気付かずにいましたが、とうとう夫婦としての契りを結びました。

 男君が早朝に起床したものの、女君が一向に起床しない朝がありました。侍女たちは「どうして起床されないのでしょう」、「気分がすぐれないのでしょうか」と言い合いながら心配します。ヒカルは東館へ戻ろうとしながら、筆記箱をカーテンの内に差し入れて、立ち去って行きました。

 

 若姫は人のいない間に何とか頭をもたげると、引き結んだ文が枕元にありました。なにげなく手紙を引き開けて見てみると、

(歌)幾夜もなく 一緒に共寝をして来ましたが 不思議に今までは 衣を中に隔てた間柄でしたね 

と、書き流したように書いてありました。

「そんなはしたない心を持っておられたのか」と想像だにしていませんでしたので、「なんで私はあんな嫌らしい料簡でいた御方を心底、頼りになる御方と思い込んできたのだろうか」と情けない思いをします。

 

 ヒカルは昼頃、西館に渡って、「ご気分が悪いということですが、具合はどうですか。今日はチェッカーも打たれないということで、寂しいですね」と中を覗くと、ますます夜具を引き被って臥しています。気をきかせて侍女たちが退いていきましたので、カーテンの中に入り、ベッドに寄り添って「どうして、こんな心配をさせる振る舞いをされるのですか。思いの外に、世話をやかせますね。皆がどうしたことかと不審に思うでしょうに」と夜具をめくりますと、姫君は汗だらけで、額髪もびっしょりと濡れていました。

 

「まあ、どうされました。これは大変なことだ」と色々機嫌をとるものの、本当に「とても辛い」と思っているようで、一言も返答をしません。内心では「侍女たちからヒカル様は自分の婿であると聞いてはいたものの、自分としては兄代りと信頼していて、共寝も自然なことと思っていた。それなのに、まさか、あんな嫌らしいことをしてくる人だとは」と裏切られた気持ちでたまりませんでした。

「分かりましたよ。もう逢わないことにしよう。こんなに恥かしい思いにさせるのだから」と怨じながら、置いていった筆記箱を開けてみましたが、返歌はありません。

「何とまあ、まだまだ子供っぽいままですね」と愛らしく思いながら、終日、側に付き添って慰め続けますが、機嫌を直さない様子がますます可愛いのです。

 

 その日は無病息災を願う聖パンを食べる日でした。まだ喪中のことですので、仰々しくはせずに、西館だけに風流な籐かごに幾色かの聖パンを詰めたものを運ばせていました。それを確認してから、ヒカルは南側の座敷に入って、コンスタンを呼び出しました。

「このパンを、これほど大盛りにはせずに、明日の夕暮れに持って来てくれ。今日は縁起がよくない日だからね」と微笑みながら命じる様子を見て、察しが良いコンスタンはふと、初夜三日目に食す祝いパンを意味していることに気付きました。最後まで話しを聞かずに「さようでございますか。愛敬始めのお祝いは吉日を選びませんとね。それで明日の祝いパンは幾つ揃えましょうか」と真面目くさって問いますと、「三日目の夜だから、この三分の一くらいでよいだろう」と答えますので、すっかり呑み込んで立ち去りました。「さすがに物馴れた男であるな」と感心します。コンスタンは誰にも言わずに、「自分の手でやろう」と決めて、自邸で三日目の祝いパンの飾りつけを作りました。

 

 ヒカルは姫君の機嫌取りに困惑しながらも、今回初めて盗んできた女性のような心地がするのがひどくおかしい気がして、「年頃、可愛いと思って来たが、今の気持ちに較べたら、片端にも及ばない。人の心というものは得て勝手なものだ。今では、一夜でも離れてしまったら、何ともやるせない事だ」と痛感しました。

 

 コンスタンは夜が更けてから、命じられた祝いパンをこっそりと持参しました。

「セリーヌは歳が行きすぎて、気恥ずかしい思いをしてしまうだろう」と思いやって、気を利かせてセリーヌの娘ブリジットを呼び出して、「これをそっと姫君の閨の中に差し入れなさい」と侍女たちに悟られないように、香壺用の箱にいれた祝いパンを手渡しました。

「これを間違いなく閨の枕元に差し出しなさい」と頼みますと、ブリジットは「妙なことを」といぶかしく思いながら、「私はまだ婀娜っぽいことなど修得してはいませんのに」と答えますので、「今夜は本当に『婀娜っぽい』という言葉を慎みなさい。よもや御前で使いはしないでしょうね」と念を押します。

 

 まだ若いブリジットは何の事やら理由が分からないまま、閨のカーテンから香壺箱を差し入れました。後はヒカルが要領よく祝いパンの説明をしたことでしょう。侍女たちはそれに気付きませんでしたが、翌朝、その箱が閨から下げられていましたので、身近に仕える人々は合点がいきました。皿などもいつの間に用意したのか、ワラビ手の脚が付いた見事なもので、祝いパンの飾りつけも格別に美しく風情ありげに盛られていました。

「ここまでしてくださるとは」とセリーヌは予期もしていませんでしたので、しみじみと有り難く、新婚初夜の作法を正しく踏んでくれた心遣いに感激して涙を流します。侍女たちは「それにしても内々におっしゃってくださっていたなら」、「コンスタンは何と思ったのでしょう」と囁きあっています。

 

 それから後はブロワ王宮やショーモンの桐壺院へ、ほんの少時間伺候している間でも、絶えずそわそわして、新妻の面影が恋しくてならず、「我ながら不思議な気持ちだ」と驚きます。通っている女性たちから恨めしげな手紙が来たりしますが、中には「愛おしくて逢いたい」と思わせるものもありましたが、「新妻の手枕に酔いしれて、一夜たりとも隔てることができない」と思い煩ってばかりいて、すっかり出不精になっています。喪中の悩ましい様子を装いつつ「世の中をとても憂いながら過しています。この憂いが晴れた頃にでもお逢いしましょう」とだけ返答しつつ毎日を過しています。

 

 ブロワ王宮での桜の宴とジアン城での藤の宴で契り合った朧月夜とヒカルの仲は、すぐに世間に知れ渡ってしまったことから、間近に迫っていた朧月夜の貴婦人としての王宮入りは延期となってしまいました。一年ほどして、朧月夜は貴婦人用の衣裳係として王宮の裁縫室に勤めるようになりましたが、ヒカルとの仲は続いていました。

 

 二人の関係を最も腹立たしく感じていたのは朱雀王の母である紫陽花王太后でした。王太后は朧月夜が幼い頃から目をかけて可愛がり、朱雀王も王太子時代から好意を寄せていたことから、ゆくゆくは朧月夜を貴婦人として王宮入りをさせ、頃合いを見て王妃にさせようと腹積もりをしていました。その予定もヒカルのお蔭で狂ってしまい、おまけに対ローマ教皇対策として、桐壺院はフィレンツェ共和国からメディチ家のアヤメ嬢を朱雀王の貴婦人として招き入れましたから、朱雀王太子が誕生して以来、抱いていたヒカルに対する警戒心は深い憎しみに変わり、いつかはヒカルに仕打ちをしようと、その好機を窺うようになっていました。

 

 紫陽花王太后は朧月夜が依然としてヒカル大将にばかり、思いを寄せているのを苦々しく思っています。朧月夜の父である右大臣が「こうなったら、重きを置かれていた正夫人が亡くなられたことでもあるし、ヒカル殿に娘を引き取ってもらっても口惜しくはない」などと話している、と聞くと憎しみがさらに高まって、「王室勤めと言っても、相当な地位に昇っていくのであれば、何も悪いことはないでしょう」と王宮勤めを奨励しています。

 

 ヒカルは朧月夜を月並みの女性とは思っていませんので、惜しい気もしますが、ただ目下のところ、新妻の他に目移りする気が湧きません。

「どうせ、短い人生なのだから、これからは新妻だけに思いを定めて行こう。他人の恨みを負ってしまって、メイヤン夫人の生霊のようなひどい目に会ってしまうのは、もう懲り懲りだ。そのメイヤン夫人はとても愛おしい方ではあるが、正夫人として頼りにしてしまうと遠慮がちになって、ゆったりした気持ちにはなれない。これまでのような関係を続けてくれ、しかるべき折節に話し相手になってくれるなら良いのだが」と、さすがにきっぱりと見限ってしまうことができません。

 

「新妻となった姫君は、今日まで世間の人が何者かを知らずにいるのも体裁が悪い。父宮の兵部卿にも報告をしなければ」と思い立って、あまりおおっぴらにはしないものの、成人を祝う裳着(もぎ)の儀式を、配下の者達に並々でなく立派に用意させます。

 ところが当の女君は、今になってもヒカルをひどく疎んでいます。「年頃、すべてヒカル様を信頼して、まつわりついてきたのは我ながら浅はかだった」と悔しい思いがして、はっきりと眼を合わせないにしています。ヒカルが冗談を言いかけても、気分が悪く、迷惑そうに感じて塞ぎこむなど、これまでとすっかり変わっています。そんな様子をヒカルはいじらしく思って、「これまで長い間、どれほど愛して上げたのかもしれないのに、打ち解けてくれないお気持ちとは心憂いことです」と恨み言を言っているうちに、陰暦の新年を迎えました。

 

 新年元日は桐壺院へ参賀に出向いた後、ブロワ王宮や冷泉王太子の館などへ参じます。その後にアンジェの左大臣邸を訪れました。

 左大臣は新年を迎えたことには無頓着で、家族たちと故人の思い出話を語り合っては「寂しくも悲しくも」と歎いているところへヒカルが訪れて来ましたので、悲しみをじっと抑えようとしているものの、堪え難いように見えます。ヒカルは年を越して重々しい風格が加わって、以前よりも立派に見えます。

 

 左大臣の館を出て、葵夫人と住んだ館に入りますと、仕える人々は珍しそうに拝見しながら、なつかしさで涙を我慢できません。愛児に目をやりますと、とても大きく成長して、にこにこ笑顔をたたえているのに胸を打たれます。目元や口つきが全く冷泉王太子とそっくりなので、これでは「両人の父親は同じではないかと、人に見咎められてしまうのでは」と不安になります。

 館内のしつらえは夫人が元気だった頃と変わっていません。衣服掛けの棹には、これまでのようにヒカルの衣裳が掛けられていましたが、葵夫人の衣裳が並んでいないのが見映えがしない印象を与えます。

 

 大宮から言付けが来ました。「新年なので、今日こそは昔を思い起こしてはいけないと我慢してきたのですが、貴方が来られて、辛抱の糸も切れてしまいました」。さらに加えて「以前からこちらで誂えております衣裳も、この幾月はひどい涙でかき曇ってしまっていますので、色合いなどが不出来かも知れないと思いますが、今日だけはこんな物でもお召しになってください」と、非常に丹精をこめて仕立てた衣裳一揃いを贈りました。

「是非とも今日、着ていただこう」という積もりで仕立てられた平服は、色合いも織り方も普通の品と違って、念入りに作られたものですから、ご厚意を無にしてはと思って着替えます。今日訪ねてこなかったら、さぞかし残念に思われたことであろう、とおいたわしく思います。

 

「私の訪れで『春がやって来た』と感じていただけるだろうと、こちらにやって参りましたが、思い出さずにはいられない事柄が多すぎて、ご挨拶にも伺うことができません。

(歌)何年来も 毎年 新年に伺い 新しい衣裳に着替えてきましたが 今日着てみると 涙が降ってしまう心地がします

何とも堪えることができずにおります」と衣裳のお礼の歌を大宮に送りました。

 すると大宮から返歌がありました。

(返歌)新年になったとは言いますものの 降ってくるものは 古ぼけてしまった母親の涙でございます

 本当に見逃すことができない歎きぶりでした。

 

 

8.ローマ教皇による神聖同盟の発足

 

 ローマ教皇がヴェネツィア共和国と同盟を結んだことに対抗して、桐壺院は対教皇・ヴェネツィア対策と軍資金の融資を目的として、ローマとヴェネツィアの中間に位置するフィレンツェ共和国に接近し、メディチ家のアヤメ嬢を貴婦人としてブロワ王宮に迎え入れ、アヤメの兄弟もブロワ王宮に伺候するようになりました。

 

 葵夫人の死で、ヒカルがアンジェ城に籠もっている間に、フランス軍はイタリア北部に遠征し、ボローニャ(Bologna)市の包囲に成功し、翌年五月にボローニャ市への入城を果たしました。フランス王国に鼻をあかされてしまった教皇は直ちに大胆な手を打ち、翌六月にヴェネツィア共和国に加えて、神聖ローマ帝国、スペイン王国、スイス傭兵が加盟する「神聖同盟」を発足させました。この包囲網に対して、フランスはオスマン・トルコ帝国との関係を強めて、地中海東部のシリアとエジプトとの交易権を取得しました。

 同年十一月になるとイングランド王国も神聖同盟に加盟しましたので、フランスはイギリスを牽制する目的で、スコットランド王国との連携を進めていきました。

 

 

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