その28.野分             (ヒカル35歳)

 

5.サン・ブリュー上の庭。ヒカルの玉鬘愛撫を夕霧が盗視

 

 ヒカルは秋好王妃の町からそのまま北に向かって、サン・ブリュー上の町を訪ねると、しっかりした職員などは見当たらず、物馴れた下仕えの者たちが、草花の中に入って手入れをしています。童女たちは裾が短い中着姿ではしゃぎながら、サン・ブリュー上が心をこめて植えたリンドウや朝顔が、他の草花に絡みついて散乱している中から選り出しているようです。

 サン・ブリュー上は物悲しさを感じるままに、チェンバロ(ハープシーコード)を弾きながら窓辺近くにいましたが、ヒカルのお供の先払いの声がしたので、着馴れてくつろいだ普段着姿でいたのを、急いで重ね着を引き出して、人を迎えるけじめをつけたのは、さすがな心がけでした。

 ところがヒカルは玄関先に座って、昨日の風の騒ぎの見舞いを言っただけで、冷淡にも立ち去って行きましたので、サン・ブリュー上は気落ちしてしまいました。

(歌)辛い我が身一つでは 荻の葉を騒がす 風の音でも ただ何となしに 染み入る心地がするのに

とサン・ブリュー上は独り言を漏らしました。

 

 北東の町の玉鬘が住む西の対に行くと、恐怖でまんじりともせずに一夜を過したせいなのか、寝過ごしていて、今ようやく鏡を見ているところでした。

 ヒカルは先払い人に「仰々しい声は出すな」と注意していたので、大した物音もたてずに住まいに入りました。屏風なども皆、たたまれて隅に寄せられ乱雑になっていましたが、陽が花やかに射し入る中に、くっきりと物清げな様子で玉鬘が座っていました。

 ヒカルは近くに寄って、大風の見舞いにかこつけて例のように恋心の厄介な冗談を囁きますので、「いつもよりひどく堪え難い」と困った玉鬘は「こういった情けないことでしたら、昨夜の風に吹かれてどこかへさ迷い出るべきでした」と機嫌を悪くしました。

 ヒカルは楽しそうに笑って、「風に乗ってさ迷い出る、というのは軽々しいことですね。大方、どこかに落ち着く先があるのでしょう。段々と私から離れていこうとする気持ちが増しているのだね。もっともなことだが」と言うので、「確かに、思ったままを口にしてしまった」と本人も感じたのか、おかしそうに微笑んでいる色艶や顔つきをしています。ホオヅキの実のようにふっくらとしていて、ふりかかる髪の隙間から見える肌が艶っぽく感じます。眼元がにこやか過ぎるのがそれほど上品には見えませんが、その他は少しも難点がありません。

 

 外で待機している中将は、父大臣が大層細やかに話している間に、「何とか、この異腹の姉の容貌をよく見てみたい」と普段から願っていましたから、隅の間の内カーテンは衝立が添えてあるのに、きちんと閉まっておらずに乱れたままなので、カーテンの端をそっと引き上げてみると、さえぎる物が片付けられていて奥の部屋がとてもよく見えました。すると父大臣が玉鬘と戯れ合っている光景が見えたので、奇妙に感じました。

「親子だから、というものの、幼くもない自分の娘を懐から離さずに馴れ馴れしくしているとは」と眼を見張りました。「見つけられてはしまいか」と恐い気もしますが、その奇妙な光景に好奇心が増して、なおも注視していますと、柱の蔭で少し横を向いている玉鬘を引き寄せた拍子に、長い髪が波を打ちながら顔にはらはらと降りかかっています。

 玉鬘は「困ったこと」と当惑している気配ですが、それでも穏やかな様子をしながらヒカルに寄り掛かっていますので、よほど親密な仲なのでしょう。

 

「それにしても、ひどいことだ。一体どういうことなのだろうか。父上は思いも寄らず隅におけない性分もあるから、子供の頃から手許に置かずにいたので、思いが募って添い合っているのだろうが、気色が悪い」と思うと、自分までが気恥かしくなりました。

「姉弟と言っても、少し縁遠い異腹であることを考えると、女君の器量だと何だか心得違いを起こしてしまうことだろう」とも感じたりします。

「昨日目撃した紫上の気配には劣っているが、見ている者が微笑んでしまう様子は同じくらい、と言えなくもない」とマンサク(万作)の黄色い花が咲き乱れる盛りに、露がかかる夕映えの風景をふと思い浮かべました。早春の花のマンサクは今の季節には合わないものの、やはりそんな感じがします。花は美しくとも限りがあって、不揃いに花びらが散った雄しべや雌しべも混ざっているものですが、玉鬘の見目形はたとえるものがないほどです。

 

 二人の近くに誰も侍ってはおらず、とても細やかにささやき、語り合っていましたが、どうしたわけか、ヒカルが真顔になって立ち上がりました。

(歌)それほどまで言われると 吹き乱れる風のせいで 女郎花が萎れてしまう気分になってしまいます

と玉鬘が詠んだ歌ははっきりとは聞き取れませんでしたが、その歌をヒカルが繰り返し誦しているのをほのかに聞くと、憎たらしい気がしつつも、面白そうなので最後まで見届けたかったのですが、「間近で聞いていた、と気付かれないうちに」と考えて、その場を去りました。

(返歌)下葉の露のような私になびいてくれるなら 荒い風でも 女郎花が萎れることはないだろうに

あのしだれ柳をご覧なさい」などと、ヒカルの返歌が聞えたのは、夕霧の聞き間違いだったのでしょうが、あまり外聞がよい言葉ではありません。

 

 

6.花散里の裁縫と染色

 

 ヒカルはその後、東の対の花散里を訪れました。今朝の肌寒さで思い立ったのでしょうか、裁縫を担当する老女たちが大勢集まっていて、細長い櫃らしき物に刺繍糸を引きかけて整えている若い侍女たちもいました。赤みがかった黄色の落葉色で清らかに染めた薄織りの絹布や類ないほど光沢を出した流行色のサテン布などが散らばっていました。

「中将の長衣用ですか。せっかく仕上げても、今年は王宮の秋草の宴は中止となるでしょう。こんなに吹き荒れては実施は無理だからね。興ざめな秋になってしまった」と言いながら、何用なのか、様々な色合いの布を大層きれいに集めているのを見て、「こうした方面では南の町の夫人に劣らない」と思いました。

 最近摘み取った野草を使って赤みがかった灰藍色に染めた糸を使った、上着用の花模様の綾は非常に好ましい色合いでした。

「中将にはこういったものを着せたらよいね。若い人々の上着として見た目がよいからね」といったようなことを話してから去って行きました。

 

 

7.夕霧、サン・ブリュー姫の部屋で手紙を書く

 

 気疲れがする婦人たちの見舞いをするヒカルのお供で歩きながら、夕霧は書きたい手紙があるのに、中途半端な気持ちのまま時間が過ぎていく中、サン・ブリュー姫の部屋に寄りました。

「姫君はまだ寝室におりますよ。風に怯えてしまって、今朝はまだ起き上がっていません」と乳母が伝えました。

「物騒な大嵐でしたので、こちらで宿直をしようと思いましたが、アンジェの大宮が非常に恐がっていることだろう、と心配になって、アンジェへ行きました。雛人形の家は無事でしたか」と尋ねますと、侍女たちは笑いながら、「扇の風が吹いただけで大騒ぎをされますからね。すんでのところで吹き倒れそうでした。本当に雛人形の家の扱いには気が滅入ります」と答えました。

 

「何か適当な紙がありませんか。それと侍女用のインク壺も」と所望したので、書棚から紙束を取り出してインク壺の蓋に置いて差し出しました。

「いやいや、これは立派すぎて恐縮です」と言ったものの、姫君の実母の身分を考慮すると、それほど気にすることもない心地がしたので、夕霧は手紙を書き出しました。

 紙は薄い紫色でした。インクを丹念にふくませ、羽ペンの先を吟味しつつ、念を入れて書きながら一息ついている様子は見甲斐があります。しかし手紙は妙に型通りで、あまり感心できない詠み方でした。

(歌)風が騒ぎ 激しい村雲に難儀した夕刻でも 貴女のことは少しも忘れませんでした

 

 夕霧は風に吹きされた萱(かや)の枝に手紙をつけましたので、侍女たちは、「エーモンの四人の息子(Quatre Fils Aymon)」の登場人物は紙と同じ色の枝を選んでいますよ」と助言しました。

「そうした色合いの見分けといった風流なことは思い至らなかった。どこの野辺の花を選んだらよいかも分からないし」と、そんな忠告をする侍女たちには言葉少めで、打ち解けた態度も見せずに、大層生真面目で品がよい貴公子ぶりでした。

 さらにもう一通書き足して、官位六位の手下に渡しますと、見映えがよい童子とこうした方面に物馴れたお付きへ手渡しながら何事かをささやいて出て行かせましたので、若い侍女たちは「どこのお方へだろう」と興味津々で知りたがっていました。

 

 

8.サン・ブリュー姫の容姿、夕霧の大宮慰問

 

「サン・ブリュー姫がこちらに来られる」と言って侍女たちはざわついて、内カーテンの引き直しなどをします。

 いつもは覗き見などに関心を持たない性分でしたが、昨日から見て来た美しい花のような女性たちの容貌と思い較べたい気持ちになって、夕霧は無理やりよろい戸のカーテンに半身を包んで、衝立の隙間から見ると、姫君がちょうど物陰から居間に入るのをちらっと目撃できました。ところが侍女たちが大勢行き来するので、はっきり見定めができないので、もどかしくなります。

 薄色のドレスを着て、髪はまだドレスの裾にまで長く伸びてはいませんが、髪の先が末広がりになっていて、まだ細く小さな七歳の身体つきが可愛らしくも、いじらしくも見えます。

 

「一昨年頃までは、たまに顔を合わせることがあったが、この二年間で随分と成長している。盛りの年頃になったら、どんなに美しくなるだろう」と思います。

「紫上を赤紫の山桜、玉鬘を黄金色のマンサクにたとえるなら、姫君は薄紫の藤の花と言うべきだろうか。小高い木に寄り掛かって咲く藤の花が風になびく匂いはこんなものなのだろう」と想像しました。

「義母や異腹の姉妹たちと、思いのままに明け暮れ出逢うことができないものだろうか。本来なら、そうあってもおかしくはないが、はっきりと隔てを置いて仕切られているのは辛いことだ」などと思うと、真面目な人柄でも、何かを憧れる落ち着かない気持ちになりました。

 

 夕霧が再びアンジェ城に行くと、大宮はもの静かに勤業をしていました。ここにも若い侍女が仕えていますが、物腰や気配、服装などは、ヴィランドリー城の今が盛りの婦人たちの住まいとは似るべくもありません。見目形の良い老侍女たちが大宮に合わせるように、在俗の修道女になって黒い衣裳に身をやつしているのは、こうした場所に相応しい気はしますが、物悲しくもあります。

 すると珍しく内大臣も訪ねて来ましたので、明かりを灯して、物静かに会話をしますが、「孫の雲井雁と長いこと逢えないのが心外です」と大宮はただひたすら涙を流しました。

「いやいや、近いうちにこちらに伺わせます。残念ながら、自分から塞ぎ込んで弱っております。正直のところ、女の子は持つべきではありませんね。何につけても心配ばかりさせられます」などと、いまだに雲井雁と夕霧騒動のわだかまりが解けていない様子で話しますので、大宮は情けなくなって、それ以上は尋ねません。

 内大臣はそのついでに「最近、非常に思わしくない娘が出現して困りはてています」と愚痴をこぼしながら苦笑をしました。

「そんなことは不思議でもありません。貴方の娘という名がある以上、おとなしくないわけがありませんから」と大宮が皮肉ると、「それもそうですが、体裁が悪くて難儀しております。そのうちお目にかけましょう」と内大臣が答えたようです。

 

 

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