その35.若菜 下     

 

12.朧月夜の出家と、山桜上への教訓      ヒカル 四十六歳

 

 ヒカルはいまだに朧月夜のことを忘れずにいました。あの後ろめたい自分の行動の罪を自覚しながらも、相手の朧月夜も自制心が弱く、少し軽率だったのではないか、と思ったりもしていました。朧月夜が望んでいた修道女にとうとうなった、と聞いて、ヒカルは大層しみじみとして、残念なことだと動揺して、「せめて『今ようやく本意を遂げます』といったくらいはなぜ知らせてくれなかったのだ」と恨みながらも見舞いの手紙を書きました。

(歌)私がサン・マロの浦で 藻塩を垂らして涙に沈んだのは 誰ではなく貴女のせいです 

   修道女になられたことを 他人事として聞き流すことはできません

「人生の無常さを様々に味わい尽くしながらも、今までぐずぐずしてしまって、貴女に遅れてしまったのは残念なことです。私を見捨てたとしても、天国へ行く祈りの中で、真っ先に私を思い出して祈ってくだされば、感慨無量です」などと長文をしたためました。

 

 朧月夜は「修道女になることは前々から思い立っていたのに、ヒカル様の反対に引きずられてしまった。そんなことを口に出して話すべきでもないので、ただ胸中でしみじみ、昔からの辛い間柄はさすがに浅くはなかった縁であったことを悟った」などと、あれこれと思い出していました。「もうこれからはやり取りを交し合うことはなく、最後の手紙を」と考えたので、念入りに心をこめて返信を書きましたが、中々見事な筆跡でした。

「世の中の無常は私一人の身にだけ、と存じていましたが、『私に先を越されてしまった』とおっしゃるのは、なぜでしょうか」。

(歌)サン・ブリューの浦にまで行かれて 海士のような暮らしをされたお方が 

   修道女になった私に遅れをとったのは どうしてでしょうか

「天国へ行く祈りで貴方を漏らしたりはしません。いかがでしょう」と濃い青鈍の紙を香木の枝に挿してありました。いつものことですが、度を越した達筆で、今もなお昔に変らぬ見事さでした。

 

 シュノンソー城にいた時で、朧月夜との関係は紛れもなく絶えてしまったことなので、ヒカルは紫上に手紙を見せました。

「何だか手厳しくやりこまれてしまった。全く気に食わない手紙だ。心細い世の中を様々によく見て来たように書いてある。それでも総じて、取るに足らないことを言い交したり、季節の移り変わりに応じた情趣を感じ取って、風情を見逃さずに色恋を離れて睦び合い、手紙を交し合うことができる女性は、斎院を務めた朝顔とこの朧月夜だけが生き残っているが、それなのに二人とも修道女になってしまった。朝顔などは熱心に勤行に励んで、余念なく行いに専念している。これまで多くの女性の様子を見聞きして来た中で、深い分別を備えながら、それでいて心優しさがある点では、朝顔に匹敵する女性はいなかった。

 何はともわれ、女の子を育て上げることは非常に難しい作業だ。人の運命なんて眼には見えないもので、親の思うようにはならない。もちろん、育て上げるまでの親の心遣いはやはり大切なことは言うまでもない。とは言っても、私は大勢の娘を得て苦労するめぐり合わせではなかったが。まだ歳が若かった頃は『物足りないことだ。何人も子供たちがいてくれたら』と嘆いた折々があった。そうした意味もあるので、サン・ブリュー王妃の第一王女は心を入れて育て上げてください。王妃はまだ物事の分別を深く知っているほどでもないし、王宮の用事に追われて多忙なので、何かにつけ心もとない点がある。王女たちは、できる限り人から非難を受けないようにしながら、気楽に世の中を過ごしていけるように、先行きが不安にならない躾をしてあげて欲しい。あれやこれやと、何とか夫を見つけることができる普通の女性なら、自然と夫に助けられて行くだろうが」とヒカルが話しました。

「第一王女にしっかりしたお世話ができないとしても、この世に永らえている限りはお世話をしようと考えていますが、さて、どうなることか」と紫上はやはり我が身が心細げで、朝顔たちのように自分の思い通りに、差し障りなく勤行が出来る人たちを羨ましく思っていました。

 

「修道女になる衣装などを朧月夜はまだ準備出来ていないだろうから、こちらで用意してあげよう。頭巾(ウインブル)などはどうやって作るのだろうか、その指図をしてください。一揃いは花散里に頼むことにしよう。きちんとした法服めいてしまうと面白みはなく、見た目も陰気くさくなってしまうのから、その点を配慮して、優雅に作ってください」などと頼みました。紫夫人は青鈍色の一揃いを作らせました。王宮の制作所の者を呼んで、修道女向けの内々の道具類の作成も始めさせました。クッション・貴賓席・屏風・カーテンなどの作成も特別に念を入れて、内密に急がせました。

 こうしたように、ロヨーモン修道院での若菜の賀は延期となっていて、秋の予定だったのが、九月は夕霧大将の母の忌み月なので夕霧が音楽所を取り仕切るのに都合が悪く、十月は朱雀院の母后が物故した月に当たるので、十一月に予定されたものの、山桜上の具合がすぐれないため、さらに延期となってしまいました。その間に柏木夫人の落葉上は、十月のうちにロヨーモン修道院へ行って、若葉の賀を実施しました。義父に当たるアントワンが力を入れて、盛大で且つ細々とした立派な儀式を行いました。その機会に、柏木も気力を奮い立たせて出席しました。それでもまだ気分がすぐれず、柏木は相変わらず病人のように日を送っていました。

 

山桜上は引き続き、「肩身が狭くて、困ったことだ」と思い嘆いているせいでしょうか、妊娠の月が重なっていくにつれて苦しそうにしています。ヒカルは「不倫での妊娠は不愉快だ」と感じてはいるものの、大層可憐な姿で弱々しそうにしている様子を見かねて、山桜上の住まいに行きましたが、山桜上の様子を見て、「どうなることか」と心配になって、あれこれと案じました。女楽で始まった今年は紫上の病、山桜上の懐妊などに向けた祈祷に紛れて、忙しい年になってしまいました。

ロヨーモン修道院の朱雀院も山桜上の懐妊を知って、「愛おしく恋しい」と逢いたがっていました。ヒカルが久しく山桜上と出逢うことがあまりないように報告する者もいたので、「どういうことなのか」と胸が騒いで、今更ながら恨めしく思いました。紫上が患っている頃は「依然として看病にかかりきりになっておられる」と聞いても、心中は穏やかではなかったのですが、「回復した後もまだヴィランドリー城に戻って来られていない」というのは、その間に何か不都合なことが起きたのではないか。自分が納得しないまま、性質の悪いお付きの者の仕業で、何かが起きたのではないだろうか。王宮辺りなどでも、風流な手紙をやり取りする仲の人たちの間では、けしからぬ醜聞を立てたりする例も聞くことだし」とすら思いやったりします。浮世の細々としたことは思い捨ててしまった身でありながら、やはり親子の愛情は捨てがたいので、朱雀院は山桜上に情愛がこもった手紙を送りましたが、たまたまヒカルが居合わせていて、その手紙を読んでしまいました。

 

「これといった用件もないので、度々は手紙を出せなかったうちに、何となく年月が過ぎていくのが気掛かりです。具合が悪いことを詳しく聞いてからは、祈りを唱えている時にも気にかかってならない。お加減はいかがですか。夫婦仲が寂しくて意に満たないようなことがあったとしても、我慢して暮らしてください。不満げな素振りなどを、少しでも心得顔に仄めかしたりするのは、まことに品性が悪いことですよ」などと諭していました。

 手紙を読んだヒカルは朱雀院の心配が気の毒で心が痛んで、「例の内輪の不始末を知っているはずはないのだから、私の不甲斐なさが期待していた通りではないと不満なのだろう」と思い続けました。

「この手紙の返信はどのように書きますか。心苦しくなってしまうような手紙に、私こそ、とても辛くなってしまった。思いもよらなかったことで、貴女にとやかく言うことがあったとしても、『粗略に扱っている』と人が見咎めるようなことはしていない、と思っていますよ。それにしても誰が朱雀院に告げたのだろう」と話しますが、恥じらいながら背を向いている山桜上の姿は大層可愛らしげでした。ひどく面やつれして塞ぎ込んでいますが、非常に上品で美しくもありました。

 

「朱雀院は貴女がまだ子供っぽい気性を承知しているからこそ、後ろめたさもあって心配されているのだ、ということを推察できるので、今後も万事につけて気を付けてください。こんなことまで言いたくはない、と思うものの、朱雀院が『私が自分の期待に背いている』と話されているのが不本意です。せめて貴女だけにでも説明しておきたいのです。分別が足りず、ただ人の話す通りだけで判断しがちの貴女の性格では、私の話はただ愚かで薄情だと思うか、あるいはまた、今は盛りの歳を過ぎて初老に入った私のことを侮って、飽き飽きしてしまったと思っているらしいのも、あれこれ残念にもいまいましくも感じてしまう。

 貴女との婚姻は朱雀院が修道院にお入りになる前に、冷静に考えて決められたことです。この老いに入った者を誰やらと同じだ、と見なして、あまり軽んじてはいけません。以前から修道士になる深い志がありながら、宗教心への意識が不十分な女性たち皆に先を越されて、とても歯がゆい思いが多くあります。私の本心は修道の道に入ることに何らの思い迷いはありませんが、朱雀院が『今こそ』と修道院に入る後の世話役として、私に託されたお心持にしみじみ共鳴したので、朱雀院に続いて私までが追いかけるように同じ修道の道に入って、貴女を見捨ててしまうと、さぞかしがっかりされることだろうと考えて、自重して来たわけです。

 これまで気にかかっていた人たちも、今は私が修道の道に入る妨げにはなっていません。サン・ブリュー王妃にしても、将来のことまでは分かりませんが、子供たちが大勢誕生してきていますから、私の存命中は問題はない、と見受けられます。その他の女性たちは、誰も彼もが各人の状況に応じて、私と一緒に修道の道に入るのも惜しくはない年齢になっていますから、段々と気持ちが楽になっています。朱雀院の寿命もそう長くはないでしょう。次第に病が重くなられて、何となく心細そうにされているので、今更、思いもされなかった噂を耳に入れて、心労をさせてはいけませんよ。現世におられる間は、安心して心配するほどのことはありませんが、後の世の修道の妨げになってしまったなら、その罪障はとても恐ろしいことになります」と、ヒカルは直接には柏木との密事についてだとは、はっきりと言いませんが、しんみりと語り続けました。

 

 山桜上は涙ばかりを流し続けるだけで、正体もない様子で沈みきっていましたが、ヒカルも思わずもらい泣きをしてしまいました。

「他人がこんな説教を話しているのを聞くと歯がゆくなって、年寄りのおせっかいに過ぎないと感じていたのに、そんなことを自分が言うようになってしまった。さぞかし『不愉快な年寄りだ、厄介でうるさい者だ』と思っているのだろう」とヒカルは恥ずかしくなりながら、インク壺を引き寄せ自分で紙を用意して、返信を書かせようとしましたが、山桜上は手を震わせて書くことができません。

「あの男からの細やかな手紙への返信なら、こんなに渋ることもなく書くのだろう」と想像すると、ヒカルは憎さが増して、一切の愛情も覚めてしまいそうになりましたが、それでも文案などを教えながら書かせました。

「朱雀院の若菜の賀の実施ですが、貴女の姉の落葉上が先月、格別に立派な賀を催されたと聞きましたが、引けを取るまいと年寄りの妻の身ですぐにしゃしゃり出るのは差し障りがあるとも考えました。今月は私の父の桐壷院が亡くなった忌月となる。年の末になると、ひどく物騒がしくなってしまう。ましてこの身重の姿では、待ち受けておられる朱雀院も見苦しいと感じることでしょう。そうと言っても、そう無暗に引き延ばすこともできない。まあ、くよくよしないで、ひどくやつれしてしまったのを回復させなさい」などと、ヒカルはさすがにいたわしいと見やりました。

 

 ヒカルは何かにつけて、風雅な催し事がある際には、必ず柏木を側に呼んで相談相手にしていましたが、今回の若菜の賀の実施では、全然そのようなことはしませんでした。「奇妙なことだ、と他人は感じることだろう」と思うものの、柏木に出逢って、相手から「間抜け者」と見られてしまうのが恥に思うし、逆に「柏木の顔を見てしまうと、自分も平静ではいられないだろう」と思い返すので、このところ柏木が自分に会いに来なくても、とやかく言うことはありません。

 世間一般の人たちは「衛門督は引き続き加減が悪いようだし、ヒカル殿の方も今年は遊宴などの催しがない年になったから」とだけ思っていましたが、夕霧大将だけは「きっと何かの事情があるに違いない。女好きの柏木のことだから、私が感じ取ったように、山桜上の住まいに忍び込んでしまったのではないだろうか」との思いつきもわきましたが、まさか山桜上との密事が本当に露呈してしまった、とまでは思いも寄りませんでした。

 

 

13.朱雀院の若菜の賀に向けた試楽、柏木病悩

 

 十二月に入って、若葉の賀は十日過ぎと決まりました。舞の練習や何やかやで、ヴィランドリー城は大騒ぎとなりました。紫上はまだヴィランドリー城に戻っていませんでしたが、試楽が行われると聞いて、じっとしていられなくなって戻って来ました。サン・ブリュー王妃もヴィランドリー城に下がっていました。三番目の子は王子でしたが、王子や王女が次々にとても愛らしいので、ヒカルは明け暮れ孫たちの遊び相手をしながら、長生きをした甲斐があったと、嬉しく思わずにいられません。

 試楽には、黒ヒゲ右大臣夫人の玉鬘もやって来ました。夕霧大将が花散里の町で楽器の調整も兼ねて、明け暮れ非公式な練習をしていましたから、花散里は試楽には出ていかないことにしました。

 それにしても柏木をこうした試楽の機会に除外してしまうのは、見栄えがしないし物足りない事でもあるし、人々も「妙だな」と不審がるだろうから、とヒカルは試楽に来るように使いを出しましたが、柏木は病が重い理由で、欠席を伝えました。とは言っても、はっきりどこが苦しい、といった病でもなさそうなので、「何か気になっていることがあるのだろうか」と心苦しく思って、再度使いを送ってみました。

 父のアントワンも「どうして辞退したのだ。すねているようにヒカル殿にも思われてしまうではないか。大した病でもないようだから、無理をしてでも出掛けなさい」とせき立てますし、ヒカルが重ねて使いを寄こして誘うので、「辛いことだ」と思いながら、出掛けました。

 

 まだ高官たちが集まっていない時分でしたが、ヒカルはいつものように自室の内カーテンの中に入れ、外カーテンを閉めて対面しました。柏木は実に痩せに痩せ、青ざめていました。大騒ぎをして陽気な点では普段でも弟たちに圧倒されながら、様子ありげに落ち着いていますが、今日は一層静かに控えている様子は、王女たちの側に婿として並んでも、何ら遜色することはありません。それでも「今回の一件については、柏木と山桜上のどちらも、思慮がなかった罪はとても許しがたい」と柏木をじっと見つめながら、上辺は平静を装って、親しみ深く話しかけました。

「どうということもなく随分久しい間、対面しなかったね。このところ病人の看病で気ぜわしく、山桜上が朱雀院の若菜の賀に向けて勤めるはずであった法事も滞ってしまったが、年も押し迫って来たので、これ以上は延期も出来ず、形だけでも朱雀院に精進料理を差し上げようと考えた。祝賀というと、仰々しくなってしまうようだが、我が一族に誕生した子供たちの数が多くなったのを、是非とも朱雀院にご覧に入れようと思って、舞などの練習を始めさせた。せめて子供たちの舞だけでも試してみたいと考えて、『誰が子供たちの調子をきちんと合わせてくれるだろうか』と思案してみると、貴殿の顔が浮かんで、長い間顔を見せてくれなかった恨みも忘れてしまった」と話すヒカルの様子は、何のこだわりもないように見受けられました。

 

 それでも柏木はますます居心地が悪くなって、顔色が変わって行くような気がしながら、すぐに返答することもできないでいました。

「このところ奥様方が病気になられていることを伺って、案じておりましたが、私も春頃から毎年患ってしまう脚気がひどくなってしまい、しっかり立ち歩くこともできず、長引いて行くにつれて衰弱してしまい、王宮へも上がれないまま、世間と縁が没交渉になったように引き籠っておりました。今年は朱雀院の若菜の賀の年となったので、父も『誰よりも念を入れて、お祝いしなければならない』と申しておりました。『太政大臣の冠をはずし、専用馬車も惜しまずに官職を退いた身で祝賀を主宰すると中途半端なものになってしまう。お前はまだ中納言で身分は低いが、朱雀院に対する深い思いは私と同様であろう。その心持をご覧にいれなさい』と促しもしましたので、落葉上が主宰する若菜の賀には、妻を補佐する意味もあって、重い病の身を堪えて加わりました。朱雀院はますます閑寂に行い澄ましておられるようなので、盛大な儀式を待望しておられるようには見えませんでした。ですから、何事も地味にされて、もの静かに話をされたい、という朱雀院のご意思をかなえてお上げになることが宜しいのではないでしょうか」と柏木が話しましたが、ヒカルは盛大だったと聞く若菜の賀を、落葉上の発案ではなく父アントワンの主導のように説明するのを「うまく言いくるめた」と感じました。

 

「私もそう思って、賀の儀式は簡略にする予定だが、世間の人は浅薄だと見るかもしれない。とは言っても、物が分かっている人なら、『なるほど』と同意してくれるだろう。夕霧大将は政治・行政の面ではようやく一人前になってくれたようだが、こうした風流めいた方面は、元々得意ではないようだ。朱雀院はどのような事でも不得手なものはないようだが、ことに音楽の方面には関心が高く、とても堪能な腕前なので、世俗の世界を捨て去ったようにしながらも、さすがに今の方が静かに音色を聴かれるのではないか、と余計に気を使っている。

 舞をする童子たちの準備や心構えを、夕霧大将と一緒によく指導して欲しい。教師というものは、芸には達者だが、教えることになるとさっぱり役に立たないことがあるからね」などとヒカルが親しそうに頼むのが嬉しくなるものの、やはりその場にいるのが辛く身の縮む思いがして、口数も少なめで、「ちょっとでも早く引き下がりたい」と思うので、いつものように細々と話すこともせずに、やっとの思いで室から下がることが出来ました。

 

 柏木は東にある花散里の町へ行って、夕霧大将が用意した楽人や舞人の衣装などに助言をしました。すでに夕霧はできる限りの配慮をしていましたが、柏木の助言でさらに細やかな心遣いが加わったのは、さすがに造詣が深い人物だったからでした。今日は試楽の日でしたが、「婦人方が見物に来るので、見甲斐がないようにしてはいけない」と言って、祝賀の当日は赤白のねずみ色の衣の上に赤紫染めの長衣を着せることにして、今日は青色の衣の上に暗紅色の上衣を着せていました。楽人三十人は今日は白の上衣を着ていました。

 南東にある釣殿に続く回廊を演奏場にして、築山の南側から楽人が現れ、「霞に遊ぶ隠者」という楽曲を演奏しました。ちらちらと雪が舞ってきて、さながら(歌)まだ冬ではあるが 春が近いので 隣家との境の垣根から 梅の花が散っている といったように、見ごたえのある梅の花が微笑みかけているようでした。

 

ヒカルは控えの間のカーテンの内側にいましたが、式部卿と黒ヒゲ右大臣だけが側にいて、二人より身分が下の高官たちは敷かれたカーペットに着席していました。改まった日ではないので、饗応の料理などは手短なものでした。

 右大臣の四男、夕霧大将の三男、兵部卿の孫二人の四人が「新年の祝い歌」を舞いました。四人ともまだ幼く小さいのですが、とても可愛げでした。いずれも高貴な家の子でしたから、器量も良く、着飾っている姿も気品高く見えました。また夕霧の愛人で副女官長エレーヌの二番目の息子で花散里が引き取った男児、式部卿の息子で、以前は官位四位の兵衛の督と呼ばれ、今は官位三位の中納言となっている者の息子二人が「王鹿」を、右大臣の三男が「王陵」、夕霧の長男がフランドルの二人舞いを一人で舞いました。引き続いて、一族の子供や大人たちが「天下泰平の祝い歌」、「春を迎える歓び」などといった舞を披露しました。

 日が暮れると、ヒカルは控えの間のカーテンを開けさせて、興に乗って行きましたが、孫たちはとても可愛い容姿で、世にも珍しい手を尽くして舞いました。師匠たちがそれぞれ、手を尽くして教え込んだのでしょうか、子供たちは自分たちの才覚を加味して、めったにはないように舞いますので、ヒカルはどの孫もとても可愛いと感動しました。年老いた上官たちも皆、涙を流していました。式部卿は孫が舞うのを見ながら、鼻を赤くして涙で袖を濡らしていました。

 

 ヒカルは「歳を取っていくと、酔い泣きの癖は止め難くなってしまうが、柏木が内心では老いていく私に対してあざ笑っているようで、気後れがしてしまう。と言っても、若さなど、少しの間に過ぎない。年月はさかさまには進まないし、誰も老いを免れることはできない」と思いながら、柏木を見やりました。

 柏木は他の誰とも違って、本心から気が塞いでいて、実際に気分がすぐれないので、せっかくの催しも眼に入らない気分でいました。ヒカルはあえて柏木を指名して、わざと酔ったふりをしながら、「老いは誰でも免れないものだ」と冗談ぽく話しますと、柏木はますます胸騒ぎがしてしまい、盃が廻って来ても頭痛が襲った感じがして、飲んだふりをして紛らわせようとしました。それを見咎めたヒカルは、盃を持たせたまま、何度も酒を強いました。柏木はいたたまれない思いで、困っている様子は、普通の人と違って、優雅なようにも、奇妙な感じのようにも見えました。

 内心では自分に対して相当怒っているヒカルの意地の悪さを感じ取った柏木は、心が混乱してしまって堪え難くなり、試楽が終わらないうちに中途で帰途につきましたが、ひどく苦しくなってしまいました。

「いつものような大した深酔いでもないのに、どうしてこんな不快な気分になってしまったのだろう。ヒカル様の前では、慎ましくしていようと気を張っていたために、上気してしまったせいなのだろうか。そこまで怖気づく自分ではなかった積りだったが、不甲斐ないことだ」と自分自身、思わずにはいられません。一時的な悪酔いの苦しさではなかったわけです。

 

 ル・リヴォ城に戻った後、次第に病が重くなって行きました。父アントワンも母も泡を食って、「離れていては不安だから」と柏木をソーミュール城に引き取ることにしましたが、妻の落葉上が悲しがっている様子を見て、とても気の毒になりました。何事もなく過ごしていた頃は、のんきに当てにならない期待をして、格別深い愛情もかけませんでしたが、「今が永遠の別れとなる門出になるだろう」と思うと、さすがにしみじみ悲しくなって、「後に残されて、どれだけ嘆くことになるのだろう」と面目ないとも、いじらしくも思いました。

 落葉上の母ル・リヴォー夫人もひどく嘆いて、「世間の通例では、親は親として、やはり別格に位置するもので、夫婦の仲はどういった時でも離れ離れにならないのが普通です。こうして別れてしまうことになると、回復されるまで、あれこれ気を揉みながら過ごしていくことになります。もうしばらくこちらで養生されてください」と病床の側にカーテンだけを仕切って看病しました。

「もっともなことです。取るに足らない身で、分不相応な縁組をなまじ許していただいた証しとして長生きをし、甲斐性がない身であるものの、少しは人並みに出世するところをご覧になっていただこうと考えておりました。こんな情けない容態になってしまい、私の深い志すら見ていただくことが出来なくなった、と思いながら、もう助からない気持ちがするにつけても、死ぬも死ねない思いをしています」などと、お互いに涙を流し合いながら、すぐにはソーミュール城に移らずにいました。

 

 そのため柏木の母は気を揉んで、「どうして、まず親に顔を見せようと思ってくれないのだろう。私は少しでも気分が悪く心細くなった時は、大勢いる子供たちの中でも、とりわけ貴方に会いたくなり、頼りに思っているのに。だから、こんなに不安なのです」と恨んでいましたが、それももっともなことでした。

「自分は長男として生まれたせいか、特別に手塩をかけて育ててくれた。今でもなお、大切にしてくれて、しばらくの間でも会わないと心配させてしまう。もう自分はこれ限りだという気がしてならないので、顔を見せないことは罪深く、気が晴れない。『今はもはやこれまで』と危篤の知らせを受けたら、こっそりソーミュール城に来て、私を見守ってください。必ずもう一度、対面することができましょう。妙にぼんやりして、いい加減な性格なので、何かにつけて粗略な扱いをすると思われたこともあっただろう、と後悔しています。こんなに命がはかないものとは気づかず、もっと末長く一緒にとばかり考えていたのに」と言いながら、柏木は泣く泣くソーミュール城へ移って行きました。

 後に残された落葉上は、言いようもなく恋焦がれましたが、待ち受けていたソーミュール城では、万事に全力を尽くしました。とは言っても、すぐに重態になってしまう様子ではなく、段々と食欲が減退していって、ちょっとしたオレンジなどの果物にも手をつけないようになって、ただ何となく冥界に引き込まれて行くように見えました。

 

 何しろ、当代の優秀な高官と見なされている人物でしたから、世間も惜しがって残念がりましたので、見舞いに訪れない人はおりません。王宮からも朱雀院からも頻繁に見舞いの使いを寄こして、ひどく惜しみ案じますので、ますます両親は悲しみにくれました。

 ヒカルも「まことに残念なことだ」と嘆いて、アントワンに度々、ねんごろな見舞いの手紙を送りました。まして夕霧大将はとても親密な仲でしたから、病床を訪れてひどく嘆いていました。

 結局、朱雀院の若菜の賀は、十二月二十五日に決まりました。このような時代の有能な高官である柏木が重病で患い、親兄弟や多くの親族、身分の高い人たちが嘆き心配している状況の中で実施するのは相応しくないようですが、年初から支障が次々に相次いで延び延びとなってしまい、このまま中止とすることもできないので、やむを得ないことでした。ヒカルは山桜上の胸中をいたわしく察して、かねてからの計画のように、五十の教会とロヨーモン修道院で祈祷をさせました。

 

 

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