その34.若菜 上         ヒカル 3839

 

3.第三王女の裳着と、ヒカルの朱雀院出家見舞と承諾

 

  その年が暮れていきますが、朱雀院の病は一向に快方に向かわないので、何事も気ぜわしい中で決心して、第三王女の裳着の式を急がせました。過去にも未来にも例がないような盛大になる模様なので、大変な騒ぎになっていました。 

スリー城内の東北にある柏館の西面が飾り立てられ、垂れ布や仕切りを始めとして、あえてフランス製の綾や錦は使わずに、イタリアの妃の居室の飾りを模して端麗に豪華に、輝くばかりに整えさせました。

 

ドレスの腰結び役には、前もって太政大臣に依頼していました。アントワンは物事を大袈裟に考えてしまう人なので、依頼をためらっていましたが、以前から朱雀院の言葉に背くことはなかったので承諾しました。加えて左と右の大臣、その他の高官なども差し障りがある者も何とかやりくりして参列していました。王族の親王が八人、王宮人は言うに及ばず、王さまや王太子に仕える者たちも残らず集まりましたので、盛大な儀式になりました。

「こうした朱雀院の催しごとも今回が最後になるであろう」と冷泉王や安梨王太子を始めとして、「おいとわしいことだ」と考えたのか、倉庫所や収納庫にある舶来の品々が数多く贈られていました。ヴィンランドリー城からの贈り物も度を越していました。朱雀院からの返礼品や人々への祝儀、腰結びの役を務めた太政大臣への引き出物などもヒカルが献上したものでした。

 

秋好王妃からも装束や櫛箱を特別に用意をさせ、かって王宮に上がる際にヒカルが贈った整髪用具も趣があるように作り変えていましたが、さすがに元の感じも失わせずに、それと分かるように見せていました。当日の夕刻にそうした品々を届けました。使いはヴィンランドリー城にも出仕している、王妃付きの官位五位の役人で、「これらの品々を姫君へ言いながら渡しましたが、その中に歌が詠まれていました。

(歌)髪に挿したまま 昔から今に至りましたので 玉のような小櫛も 古びてしまいました

 そうした品々を朱雀院が見て、しみじみと思い至ることがありました。

「幸せになるためのあやかり物も悪くはないだろう」と考えて、自分の持ち物を譲ったのだろう」。

確かに櫛は晴れがましいものでしたので、秋好王妃がまだ独身でいた昔の感情はあえてさしおいて、朱雀院は返礼の歌を詠みました。

(返歌)貴女に引き続いて 姫君の幸福を見たいものです 万世を告げる 黄楊(つげ)の小櫛が 古くなるまで

 

朱雀院は、非常に気分が悪いのを我慢しながら急いだ裳着の儀式が終わった三日後に、修道士の髪形に変えました。普通の人の身でも、いよいよと修道士の姿に姿を変えてしまうのは悲しいことですから、まして朱雀院の貴婦人たちは悲しげに思い惑っていました。朧月夜は院の側にぴったり離れずにいながら、ひどく思い詰めて沈み切っていますので、慰めようがありません。

「自分の子に対する愛は限りがあるが、こんなにも愛した人と別れるのは堪えがたいことだ」と朱雀院は心を乱して、決心が鈍ってしまいそうでした。

何とか椅子に寄り掛かると、修道院長を始めとして授戒を務める司教三人がついて修道服に着替えましたが、世俗から別れる作法ですから悲しみは言いようがありません。悟り澄ました聖職者たちなどでも今日ばかりは涙を止めることができません。まして女官や貴婦人がた、城内の男や女が身分の上から下まで泣きよどんでいます。

「こうした落ち着かない所ではなく、いつかは静寂な場所に籠りたいとする本意が遅れてしまったのは、ただもう、あの幼い第三王女に引っ張られてしまったからだ」と朱雀院は言い訳をしました。王宮を始めとして、見舞いがあちこちから頻繁に届いたのは申すまでもありません。

 

ヒカルは「少し気分がよくなられたようです」と聞いたので、スリー城に見舞いに行きました。准太上王に任命されて、与えられる封地などは普通に譲位した王さまと同じような待遇を受けるようになっていますが、本当の太上王の儀式のように我が物顔に振る舞うことはありません。世人がヒカルの処遇に対して敬意を払う態度は並々ではありませんが、ことさら簡略にして、いつものように仰々しくない馬車を使い、高官などもしかるべき人たちに限ってお供につけました。

待ち構えていた朱雀院はこの上もなく喜んで、病苦を我慢して対面しました。格式ばった形にはせずに、ただ病室に座席を据えて招き入れました。

 

修道士の髪形に変わってしまった有様を見て、ヒカルは過ぎ去ったこと、これからの行方を考えると悲しみを止め難い思いをして、涙をすぐには止めることができません。

「故桐壷院とお別れした頃から世の中の無常を思い知り、ずっと世を捨てる覚悟を深く決意して来たのですが、気が弱いためにためらってばかりいました。到々ご覧のような姿になられた貴殿に遅れをとってしまった不甲斐なさを恥ずかしく思っております。自分の身としてはとりたてるほどのこともないと、世を捨て去ることを思い起こすことは度々ありましたが、いざとなると見捨てることができないことが多く出てきてしまって」とヒカルは話しながら、慰め難い思いでいました。

 

 朱雀院も何となく心細い思いになって、気持ちを強く持つこともできずに涙ぐみながら、過去や現在の話しを大層弱々しそうに話しました。

「自分の命は今日か明日かと感じながら、何とか生きながらえて来ました。気が緩んでしまうと、世を捨てるという深い決意の一端すら果たすことができなくなってしまうと思い起こして実行しました。修道院に入ったところで残された寿命が少なければ、修道の志を果たすことはできなくなりますが、仮にでも静かな生活に入って、せめてお祈りだけでも、と考えています。何もできない身の上ですが、この世に生きながらえているのは、ただこうした願いに引き留められているからだ、と分かっていないわけではありません。今まで勤行を怠っていたのが神に申し訳なくて」と決断するまでの経緯を詳しく話しました。

 

 そのついでに朱雀院は「姫宮たちをうち捨てていくのが心苦しいのですが、四人の中でも他に頼んでおく者がいない第三王女のことを特に案じています」と言いながら、直接には切り出せないでいる様子をヒカルは気の毒そうに見やりました。心中でも、第三王女についてさすがに気にかけるようになっていましたので、聞き流してしまうことはできません。

「確かに王族の身分の者は、普通の身分の者よりも親身になって世話をする後見役がいないと、不都合なことになります。幸いなことに安梨王太子がおられ、『末世の世を担う大層賢明な待望される君』と世間の頼み所として期待されております。まして父親の方から『この件について』とお話になれば、一事としておろそかにはされないはずです。ですから先行きのことを思い悩まれることはありません。

 とは言うものの、物事には限りもあります。王位につかれて世の中の政治を意のままに果たして行くとなると、姉妹の身の上のことをどこまで際立った面倒を見るかは難しくなりましょう。ですから総じて内親王のために、あれこれと誠意ある後見をしてもらうには、それ相応の約束を交わして、逃れることができない任務として面倒を見てくれる守り役をつけれるなら、安心できるというものです。それでも後々に対する懸念が残っているのなら、『この人物なら』と思う人を選んで、内々にでも預かってもらうことを決めておかれた方が良いでしょう」ともヒカルは話しました。

 

「私もそのように思いよることもありますが、それも難しいことです。古い事例を調べても、今をときめく王であったとしても、王女の結婚となると、何とか人を選んで後見をさせた類が多くありました。まして私のように、いよいよ世俗を離れる間際になって仰々しく思い悩むべきでもありません。とは言いつつ、捨てる中にも捨て去り難いことがあって、あれこれと思い煩っているうちに病が重くなってしまいました。またと取り返すことができない月日が過ぎて行き、気ばかりが焦るだけでした。

 恐縮な頼みですが、『このまだあどけない内親王を一人、特別に育んでいただき、しかるべき良縁を念頭に入れて預かっていただけないだろうか』ということをお願いしたかったのです。貴殿の息子の権中納言がまだ独身でいた時分に、こちらから進んで申し出ればよかった。太政大臣に先を越されて、妬ましく感じている」と告げました。

 

「息子の権中納言は誠実という点では姫君によく仕えることでしょうが、何分にもまだ未熟者ですから分別が足りません。恐れ入りますが、私が真心をこめて第三王女の後見をさせていただくなら、貴殿の許におられた時とさして変わりなく暮らせていけることと存じます。ただ私も生い先も短いので、中途でお世話ができないようになってしまうのではないか、との懸念があるのが心苦しいのです」と答えて、ヒカルは朱雀院の申し入れを引き受けました。

夜に入ってから、朱雀院の人たちや客人の高官たちも皆、朱雀院の面前で豪勢ではないものの、優美な味わいがある修道院料理が供されました。朱雀院の席には修道院で使われる沈香の木の膳と鉢など、今までとは変わった器が置かれていますので、会席に集まった人々は涙をぬぐっていました。しみじみした場面などもありましたが、煩わしくなるので省略します。

 

 夜が更けてから、ヒカルは帰宅しました。朱雀院は参会者に次々と心づけの品々を渡し、管理長の藤納言が見送りました。主人役の朱雀院は今日降った雪の寒さの上にひどい風邪が加わって、気分が混乱するのが悩ましかったのですが、第三姫君の引き取り手が決まったので、安心していました。

反対にヒカルは何となく気が重くて、あれこれと思い乱れていました。紫上もかねてから、そうした相談事があるとうっすらと聞いていたものの、「そんなことはないだろう。前斎院の朝顔さまとも懇意にしていると聞いてはいたが、特別な思いを遂げずに終わったようだし」と感じていたので、「そんな噂も耳にしますが」と夫に尋ねることもなく、気にかけてはいないようです。

そうした紫上がいじらしいので、「今度の件を知ったら、どう思うことだろう。自分の紫上に対する思いは露ほども変わっていないし、第三王女を引き取ることになれば、かえって紫上への思いはさらに深まることだろう。しかし紫上がそれを見極めてくれるまでは、私のことをどんなに疑うことか」と心中、穏やかではありません。ことに近年はお互いに分け隔てを置くこともなく、深く契り合う仲になっていますので、少しの間でも隠し事をしてしまうのは鬱陶しく、その夜は帰邸してすぐに就寝しました。

 

翌日も雪が降って、空模様も物悲しい中、ヒカルは紫上と過ぎ去った日々や今後の話をしみじみと語り合いました。

「朱雀院の病が悪化したので、お見舞いに伺ったが、身につまされて胸を打たれことが多くあった。第三王女の身がひどく気になっておられるようで、これこれしかじかの依頼があったが、気の毒になって断ることが出来なかった。これについて世間は大袈裟に言い触らすことだろう。今の歳になって若い女性を迎え入れるなど、興ざめなことだと思っていたから、朱雀院が人づてに意向をほのめかされた折りは、何とか逃げ申した。それでも昨日、対面してみると、哀れ深い親心を語り続けるので、打ち捨てておくこともできなくなって、断りきれずになってしまった。

 そこで朱雀院がロヨーモン修道院へ移られた後、第三王女をこちらに迎え入れることになってしまった。あなたは味気ないことを、と思われるだろう。それでもどんなに辛いことが起きても、あなたへの思いは決して変わらないから安心していてください。むしろ第三王女の方がこの城に来ることを心苦しく感じるであろうが、失礼にあたらないように迎え入れてください。この城に住むどの婦人も穏やかに過ごして欲しいから」とヒカルは告げました。

 

 紫上は取るに足らないちょっとしたヒカルの慰め事すら、気に食わないことに思って気に病んでしまう性分でしたから、「どういった反応を示すのか」とヒカルは心配でしたが、紫上は平静な態度でした。

「父親としてのたってのご依頼なのでしょう。私などが何で邪心を持つべきでしょうか。相手のお方が『不愉快で仕方ない』と私のことを咎めないのでしたら、私は安心してお迎えします。三宮の母君は私の叔母にあたりますから、私を人並みな者の中に数えてくれましょう」とへりくだった返答をしました。

 

「そんなにあっさり承諾されてしまうと、どうしたわけで、と逆に後ろめたい気もしてしまう。それでもせめてそのように考えて承諾してくれ、私のことも相手のことも心得て温かく対応してくれるなら、私は一層あなたを尊重します。中傷する者がいても耳を傾けなさんな。世の人が口に出すものはすべて、誰が言い出したのかも分からぬまま、自然と人間関係などの事実が歪められてしまい、思いも寄らない事件が起きたりするものです。胸の中におさめて、成り行きに任せるのが良いのです。早まって大騒ぎをして、つまらない嫉妬などはしないでください」と丁寧に説明しました。

 

 紫上は心中でも「今回のことは空から降ってきたような出来事で、主人も逃れ難い思いで承諾せざるをえなかったのだから、私も憎たらしいことは言わないようにしよう。私の気持ちを気にしたり、私の諫めに従うといったものではなく、自分の本心から発した恋愛でもないのだから。今回のことは堰き止めようにも堰き止めようがないことなのだから、みっともなく塞ぎ込んでいる様子が世間に漏れてはいけない。父の式部卿の正妻がいつも私を呪うようなことを話していて、ことにあの味気ない玉鬘とヒゲ黒大将の結婚の際には、私に対して見当違いな逆恨みをしていた。今回の話を聞きつけたら、どんなに小気味がよいことだ、と思うに違いない」などと穏やかな性格の紫上といっても、心の片隅ではこのくらいの思案はあったことでしょう。

「夫の浮気性はいくら何でも今は問題がない、と安心しきって過ごして来たことを世間の人に笑われてしまうことだろう」といった気持ちも胸の底では確かにくずぶり続けていましたが、上辺では紫上はおっとりと振る舞っていました。

 

 

4.ヒカルの四十賀を祝う玉鬘の若菜贈呈

 

 年が改まって新年を迎えました。朱雀院は第三王女がヴィランドリー城へ移る準備を急がせましたが、第三王女に思いを寄せていた男たちは大層口惜しがって嘆いていました。王宮でも冷泉王の意向で、第三王女を貴婦人として迎え入れる話を進めていましたが、ヒカルとの話を知って思いとどめました。

 それとは別に、ヒカルは今年、数えで四十歳になりますので、王宮としても捨てておくことはできず、公式の儀式として準備を進めているのが、世間の評判となっていました。しかし昔からヒカルは煩わしいことが多い、大袈裟な儀式は嫌っていましたから、すべて辞退していました。

 

 二月二十三日は野外に出て小松を引き抜いたり、若草を摘んで長寿を祝う行事の日でしたが、ヒゲ黒左大将の正夫人で女官長でもある玉鬘が、長寿を願う早春の若葉を届けに訪れて来ました。事前にそんな様子は漏らさずに、至極ひそかに準備していたことなので、ヒカルにとっては急なことでしたが、拒むことはできません。玉鬘の一行はこっそりと訪れようとしたのですが、さすがに勢いがあるヒゲ黒大将家のことですから、ヴィランドリー城を訪れる際の従者の列は大したものでした。

 南の本館の西側の離れに席が設けられました。屏風や間切り用の幕を始めとして、新品の物で飾られました。儀式ばった麗々しいヒカル用の椅子などは用意されていませんが、四十歳を祝って四十枚のカーペットとクッションや長椅子などが置かれていました。こうした美麗な品々もヒゲ黒大将家が用意したものでした。

 螺鈿をはめ込んだ戸棚が二つ、衣装箱四つが置かれて、夏と冬用の衣装、香壺、薬箱、筆記用具箱、洗髪用の銀器、整髪道具箱などの物も美をきわめていました。飾り物台は熱帯産の香木や暗赤色の堅い木で造られ、珍しい紋様が彫られていました。台に置かれた金銀の細工物も色の使い方が巧みで、当世風の趣がありました。こうした品々は風雅の嗜みが深く、才気もある玉鬘が手配したもので、目新しい工夫もされていましたが、全体としてはあまり仰々しくならないような配慮がされていました。

 

話はすぐに広まって、式部卿、蛍兵部卿、太政大臣一家なども訪れて来ました。ヒカルは離れの式場に出向く前に玉鬘と対面しました。内心では過去の思い出など、様々な思いがあったことでしょう。ヒカルはまだ若々しく清らかに見えるので、こうした四十歳の賀などは数え違いではないのか、と思えるほど艶っぽく、とても玉鬘の養父らしく見えません。

玉鬘は結婚して三年を隔てて久しぶりに対面するので、とても恥ずかしい気がするものの、特に遠慮することもなく、ヒカルと話を交わしました。非常に可愛い二人の息子も紹介しました。「立て続けて産んだので、お見せするのは」と玉鬘は躊躇したのですが、「せめてこの機会にお見せしよう」とヒゲ黒大将が言い張りました。まだ幼い二人は同じように髪を左右に振り分け、あどけない上着を着せられていました。

 

「段々と歳をとっていくが、自分自身は格別気にはしていない。単純に昔のままの若々しい気持ちを改めようともしていない。それでも、こうした幼な児を見ると、行く末の準備をしなければならない歳になったのだ、と気恥ずかしく思う時もある。息子の中納言もいつの間にか子供が出来たようだが、大袈裟になってしまうのを疎んじているのか、まだ見せてくれていない。誰よりも先に四十の賀を見越して祝ってくれた本日であるが、やはり寂しい気がする。もう少しの間は老いを忘れていたかった」とヒカルは話しました。

 女官長はそれ相応に歳を重ね、貫禄もついて見るからに立派になっていました。

(歌)若葉が芽ぐむ 野辺の小松のような幼な子をひきつれて 育ててくれた元の岩根の ご繁栄を 祈りに参りました

と、強いて母親らしい口調で詠みました。

 ヒカルは沈の木の折敷四つに盛られた若菜を形ばかりつまんで食してみました。

(返歌)小松の原の 行く末が長い子供たちにあやかって 私も野辺の若葉を摘んで 長生きをしよう

と、杯を取ってそんな歌を詠んでから、上官たちが大勢集まっている南館の外座敷の席に座りました。

 

 紫上の父である式部卿は出席辛く思いましたが、案内があって、ヒカルとは親しかるべき義父の仲なのに、思いやりがないように見えてしまうのは都合が悪いことから、日が高くなった頃に訪れました。ヒゲ黒大将が玉鬘の夫として得意げな顔をして、我が物顔に振る舞っているのを式部卿は良い気持ちがしませんが、先妻の息子たちは父方も祖父方も、どちらから言っても縁続きなので、式場での雑用を務めていました。

 中納言の夕霧を筆頭に、家柄が高い若い役人が枝に結んだ料理を詰めた籠四十枝、折り櫃四十個を取り次いでヒカルに献上しました。鉢が回されて若菜スープが供されました。ヒカルの前には、沈香木の四脚の台四つと、好ましい当世風の器が置かれました。

 

朱雀院の病が引き続き平癒していませんから、楽人などは呼ばれていません。笛など楽器類は玉鬘の実父の太政大臣が手配をしていました。太政大臣は「世の中で、今日の祝賀より珍しくめでたいものはないだろう」と言いながら、前もって優れた音色を出してみせようと考えていたようで、忍びやかに演奏会が始まりました。

各人が思い思いに楽器を選んで行きましたが、フランス式ハープは太政大臣が第一に秘蔵しているものでした。そのハープを名手の太政大臣が心をこめて弾き鳴らす音色に及ぶものを弾き鳴らせるものだろうか、と皆が躊躇していましたので、ヒカルは太政大臣の長男の衛門督の柏木を指名しました。柏木は固く辞退したものの、いざ弾き始めてみると、中々どうして父親に劣らないくらい非常に見事に弾きました。

「何事でも、名手の跡継ぎと言われながら、ここまで芸を引き継ぐのは難しいものだが」と聴衆は心が引かれ、しんみりと感動しました。曲の調子に従って奏法の型が決まっている曲や、定まった奏法が譜面に書かれているイタリア伝来の曲は、弾き方の工夫も明確ですが、ただ心にまかせるままに賑やかに搔き鳴らしていくのは、きちんと音が調整されていると、ひとえに面白く怪しいまでに響き渡ります。父の太政大臣はハーブの弦を非常に緩く張り、調子も大層低くして、余韻を多く含ませながら弾き鳴らしますが、柏木はただただ陽気に調子を高くして、甘美に愛らしく弾きますので、親王たちは「これほどまでとは聞いていなかった」と驚いていました。

 

通常のハープは蛍兵部卿が弾きました。このハープは王宮の宝物庫に保管されている代物でした。名器として代々受け継がれてきましたが、故桐壷院の代の末期に第一王女が好んだことから譲渡されたものでしたが、太政大臣が今日の催しのために懇願して借用してきた、ということです。その話を聞いて、ヒカルは桐壷院の時代をしみじみ恋しく思い出しました。蛍兵部卿は酔い泣きを抑えることができませんが、桐壷院の時代を思い起こしているヒカルの気配を感じ取って、ハープをヒカルに譲りました。ヒカルはしみじみとした物悲しさの思いのまま、珍しい曲を一曲だけ弾きましたが、その夜は儀式ばった仰々しさもなく、この上もなく楽しい遊宴となりました。

 

階下に呼び出された若い王宮人の唱歌隊が美声の限りを尽くしながら、明るめの長調から物悲しい短調へと切り替えて行きました。夜が更けて行くにつれて、演奏される曲はくだけた親しみのあるものに移って行き、(歌)青柳を糸にして撚って 黒歌鳥が編んだという笠は 梅の花笠だ と催馬楽の「青柳」が歌われだすと、本当にねぐらの黒歌鳥も驚いてしまいそうなほど、とても面白くなりました。今夜の主催者は玉鬘夫妻でしたが、ヒカルは個人的な気持ちとして特別に用意された心づけを皆に配りました。

 

ヒカルは明け方に帰って行く玉鬘にも贈り物を渡しました。

「こうした具合に、世を捨てたように暮らしているので、月日が過ぎていくのも分からなくなっているのに、あえて私の歳を思い出させてくれたのは、老いが迫って来たようで心細くなる。老いが進んでいるかを確認しに、時々はこの城にお越しください。このように老いに入って、窮屈な身分のもなったので、思いのままに対面できないのが非常に口惜しい」などとヒカルは悲しかったこと、楽しかったことを思い出すことがなくもなかったので、玉鬘がほんの少し顔を出して、このように慌ただしく帰っていくのが物足りなく、名残惜しく感じていました。

女官長の玉鬘も、実父の太政大臣は通り一遍の親とだけ感じているだけで、歳月が立つにつれて、すっかり身が落ち着いていくにつけても、ヒカルの有難く細やかな心映えは一通りではない思いでいました。

 

 

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