その6.末摘花     (ヒカル 17歳~18歳)

 

4.ヒカル、雪の朝、姫宮の鼻に驚く

 

 十一月に入って、あの紫草の藤壺につながりがある若紫を引き取ってからは、一心に慈愛することに没頭して、メイヤン夫人あたりにも通うことがなくなってしまいました。ましてや、あの荒れ果てたムーランの里は「可哀想に」と気になりながらも、億劫なこともあって何かをする気になりません。「どうにかして、あの羞恥心の強い御方の正体を見届けたい」という欲望もありましたが、特に格別なことはせずに時が過ぎて行きます。

 その一方で振り返って「よく見直してみると、良い所も出て来はしまいか。いつも薄闇の中でのぼんやりした手探りなので、不審な点を感じるのかもしれない。一度は本人の真顔をはっきりと見てみたいものだ」と思いながら、「逆にあまりにまざまざと見て幻滅を味わってしまったら」という不安もありました。

 

 パリへの行幸が一段落した十二月中旬の、皆がくつろいでいる宵口の時分に、ムーランの姫宮邸にヒカルはそっと入って、よろい戸の隙間から、中を覗いてみましたけれども、そんな所から姫宮本人を見ることはできません。間仕切り台の布地などがひどく破れかけていますが、長年の位置を変えないままにしているので見通しがきかず定かではないものの、四、五人ほどの侍女がいました。食卓の上に置かれた食器は青磁がかった舶来の品でしたが、古く汚れていて何の風情もなく、その上に盛られた貧弱な夕食を食べています。

 

 居間の隅の間では、ひどく寒そうな侍女がいて、白いドレスが言いようもなく煤けてしまっています。腰から下に礼服用の裳をつけていますが、その腰つきが不体裁です。今ではすたれつつありますが、食事の給仕をする際の宮家のしきたり通りに髪を掻き揚げて挿し櫛をしている額つきは「舞踊教習所や礼拝室の辺りにも、こんな恰好をした老女がいるな」とおかしくなります。こんな風な者まで、姫宮のお側近くで仕えていることは知りませんでした。

「ああ、なんて寒い年なのでしょう。長生きをしていると、こんな冬にも遭遇してしまうものですね」と涙をこぼす老女もいます。

「宮様がおいでになった時分に、なぜ私は辛いと不平を言っていたのでしょう。その頃よりもひどくなっていますのに生きていけるものですねとこぼしながら、今でも飛び立ちそうに両袖をばたばたさせながら震えている者もいます。

 

 侍女たちがあれこれ愚痴をこぼすのを聞いているのも辛気臭くなったヒカルはそこから立ち退いて、たった今、到着した振りをしてよろい戸を叩きました。

 慌てた侍女たちは「さあさあ」などと言い合いながら、灯火を明るくして、よろい戸を開けてヒカルを迎え入れました。若いスザンヌはトゥールの斎院の宿所となっているプレッシス(Plessis-les-Tours)城にも勤めていますので、その頃は不在でした。スザンヌを除く残りの者はみすぼらしく野暮ったいので、勝手が違う心地がします。

 先刻、老女が憂えていた雪がいよいよひどく降って来ました。荒れ模様の空からアリエール川下ろしの突風が吹き荒れて、灯火が消えてしまいましたが、つけ直そうとする者もおりません。

 

 ヒカルは魔物に襲われたムアン(Mehun sur Yèvre)城の夜を思い出しました。それでも荒廃した様子は劣りはしないものの、ムアン城よりも狭く、人の気配も少しはあるのが救いでした。

 すごく気味が悪く、寝つかれない気持ちがする夜の有り様でした。こうした夜は、かえって哀れみが増し情緒深くなって、心が惹かれてもよいはずでしたが、姫宮はぐずぐずしているだけで、何の愛想もありませんので、口惜しく思います。

 

 ようやく夜が明けて行く気配がしますので、ヒカルは寝室のよろい戸を自分で開けて、前庭に積もった雪を一瞥します。人が踏みしめた跡もなく、見渡す限り荒れ果てていて、ひどく寂寞としています。ふり捨てて去っていくのも可哀想なので、「夜明けの味わい深い空をご覧なさい。いつまでもよそよそしくされているお気持ちが苦しくてならない」と恨み言を述べます。まだほの暗い頃でしたが、雪の光りがヒカルの顔に映えて、ヒカルが清らかに若々しく見えるのを老女たちはにこにこしながら見やっています。

 

「早く、あちらにいらっしゃい。味気ないではありませんか。女性は素直でなければね」などと侍女が諭しますと、さすがに人の言う事には逆らわない性格でしたから、身づくろいをしてからにじり寄ってきました、その姿を見ないように、外の方を眺めるふりをしながら、横目でちらっと見てみます。

「さあ、どうであろう。打ち解けた時に見勝りをするところがあってくれれば嬉しいことだ」と思うことも、身勝手な望みなのです。

 

 思いがけず驚き、嬉しく感じたのは、見事なブロンドの髪でした。髪の恰好や肩へとかかっていく様は「美しくて見事」と自慢している女性達におさおさ劣らないくらいで、ドレスの裾にまで届きそうな長さでした。

 ところが期待以上のものはそれだけでした。まず座高が高く、あまりの胴長に「ああ、やっぱり」と胸が潰れてしまいました。その次に「何ともみっともない」と見えたものは、思わず目を奪われてしまう異様な鼻でした。まるで「紅花(末摘花)」を思わせます。呆れるほど高く伸びていて、先端は鷲鼻で垂れて、そこだけが寒さで赤く色づいているのがことのほかへんてこです。顔色は雪ですら恥じ入ってしまうほど白く真っ青で、額つきはおでこでとがっていました。それでいて、下膨れな顔立ちは全体がとても面長だからなのでしょう。痩せぎすで気の毒なほど刺々しく、肩の辺りは痛々しいほど肩骨がドレスの上からでも透けて見えます。

 

「何で、しっかりと見てしまったのだろう」と後悔するものの、あまりに珍しい容貌なので、 ついつい見らずにはいられません。着ている衣服までも詮索してしまうのははしたないようですが、昔の物語でもまず人の衣裳を語っていますので、それにならって記してみます。

 ピンク色が変色して白っぽくなったドレスの上に、紫色がすっかり黒ずんでしまったブラウスをはおり、非常に立派な芳しい匂いをたきしめた黒テンの毛皮の上着を着こんで居ます。古風な、由緒がありそうな貴族らしい衣裳ですが、二十代前半のまだ若い女性には不似合いで、ものものしすぎていて、ひどく異様です。それでも「この毛皮なしではさぞかし寒いことだろう」と見える顔色ですから、気の毒に見やります。

 

 ヒカルは何も話さずにいると、自分すら姫宮のように「無言の人」のようになった感じがします。気分を変えて「口を閉ざして黙りこくっているのを打ち破ってしまおう」とあれこれ話しかけてみますが、相も変らず、ひどくはにかむだけで、袖で口をおおってしまう仕草が時代遅れで野暮ったく、肘を張って練り歩く儀式官が思い浮かびます。ようやく作り笑いを見せようとしますが、何だか中途半端で、とってつけたようなのが可哀想にも感じて、早々に部屋を出ることにしました。

 

「どなたか頼りにする人がいないご境遇ですから、見初めてくれた男に親しみを感じて睦まじくしてくれると相手も満足するものですよ。私にまだ気を許していない表情をされるのは、こちらも辛いことです」などと姫君のせいにして、早めに屋敷を発って行く口実にします。

(歌)軒のツララは 朝日にあたって溶けていきましたが 地面に張った氷は なぜ溶けずにいるのでしょう

と、歌で語りかけますが、ただ「うふふ」と含み笑いをするだけで、とても返歌を詠みそうな様子もないのが気の毒にもなって、出口に向かいました。

 

 馬車を寄せている中門はとても歪んでよろよろになっていました。屋敷の敷地内の荒れ具合は夜の間はそれを知りながらも、何とか隠されている箇所が多かったのですが、朝になってみると、想像していた以上に淋しく荒んでいました。松にかかった雪だけが暖かそうにふっくらと積もっているのが、山里にいるような気にさせます。

 

「あの雨夜の品定めの時、主馬頭エリックが『葎(むぐら。雑草)の門』と表現していたのは、このような場所をさしているのだろう。実際にしみじみする程可憐な女性をこんな所に住まわせて、『苦労の多い恋』をしてみたいものだ。そうしたら、『自分が恋してはならない人を思う苦しみも紛れることだろう』と思われる住みかなのだが、今住んでいる主の有様では仕方ない」と残念に思います。「これが私でなかったら、とても辛抱をしないことだろう。私がこうして姫宮と馴れ親しむようになったのは、亡くなった父宮の『気掛かりでならない』という魂に導かれたからなのだろう」と感じます。

 

 雪に埋れたオレンジの木を随身に雪を払わせますと、それをうらやんだのか、松の枝が自力で起き上がって雪を払いました。こぼれていく雪が「松山の空を越える波のような」という歌の興趣に見えますが、「それほど深い教養がなくとも、一通りに受け答えができる人がいてくれたら」と思いながら眺めています。

 馬車を出す門はまだ開いていませんでした。お供の者が鍵の番人を捜しますと、ひどくよぼよぼな老人が出て来ました。娘なのか孫なのか、どっちつかずの大きさの女もついて来ました。着ている衣服が雪に映えて煤けたように見え、いかにも寒そうな面持ちですが、懐炉のような妙な物に炭火をほんの少し入れて、袖に包んでいます。老人が門を開けあぐねているので、女が手助けしようとするのですが、非常に手際が悪いのです。お供の者が駆け寄って、ようやく開けることができました。

(歌)老人の白髪頭に 積もった雪を見るにつけても 老人が雪で袖を濡らす以上に 今朝の私は落胆の涙で 

   袖を濡らしてしまう

と詠じます。それにつられて「若い女は着る服もなくて寒さに震え 老人は寒気が鼻の中にまで入って辛そうだ」というラテン語の古い詩を思い出しました。その詩に「鼻」が出て来るのに気付いて、鼻の先が赤色になってひどく寒そうに見えた姫宮の面影が浮び、つい微笑んでしましました。

「アントワンにあの鼻を見せたら、どんな言い回しをするだろうか。自分の行動を常に窺っている男だから、そのうち二人の仲も見つけられてしまうことだろう」と面倒臭い気分になりました。

 

 世間並みの、何も変った所がない平凡な女であったなら、思い捨てて関係を絶ってしまうこともできますが、姫宮の容姿をはっきりと見てしまった後は、かえって憐れんでしまう心が増して、色恋を別にしてしばしば訪れるようにしました。

 姫宮には黒テンの毛皮ではありませんが、絹・綾・綿の布地などを贈り、老女たちの着る物の類から、あの門番の老人の分まで、上下の隔てなく衣類を供してあげます。姫宮はそうした気配りのある世話を受けても恥かしいとは思わないようなので、ヒカルも気楽に「父宮の代りになって面倒をみてあげよう」という気になって、普通以上に立ち入った世話をします。

 あのポンセ(Poncé sur Loir)の館で見た、夕暮れの火影にしどけなくくつろいでいた空蝉はかなり見栄えがしない容貌をしていましたが、身のこなしかたの上品さで、醜さを隠してぼろを出さないようにしていました。姫宮は身分としては空蝉に劣る女ではありませんが、本当に女性というものは身分によるものではありません。「心ばせが素直で心憎いところがあった空蝉には、負けたままで終ってしまったな」となつかしく思い出しました。

 

「そういえば、ムーラン大公后に挨拶をしておかなくては失礼にあたる」と何度目かのムーラン行きの際に思い至りました。

 小高い丘にあるムーラン城を訪れると、城に隣接してあっと息を飲むような斬新で瀟洒な大邸宅に驚きました。イタリア・ルネサンスの粋を凝縮した意匠です。眼前には同じように純白の石灰岩を積み上げたノートルダム大聖堂が聳えています。いずれもムーラン公夫妻の自慢の成果です。

 

 桐壺王が一人前となるまで摂政役を担っていた公爵夫妻はムーランに戻ってから数年間は順風でしたが、後継ぎの一人息子が二十二歳の若さで他界してから、ブルボン公国の先行きに影が差し込み始めました。息子の死から五年後にムーラン公が崩御して一人娘が公国を継ぎ、桐壺王の実姉であるムーラン公后は大公后となりました。公国を継いだ一人娘は十四歳で従兄弟シャルル・ブルボンと結婚しましたが、大公后は義理の息子とそりが合わず、「左大臣が愛娘をヒカル殿に縁付ける前に、ヒカル殿と娘との結婚を取り決めておくべきだった」と後悔することもありました。

 

 ムーランは公国の首都とはいえ、狭い街でしたから、ヒカルがコンピエーニュ卿の末娘の許に通いだしたことはすぐに大公后の耳に入りました。

「美男子で好青年と持てはやされているヒカル殿があんなゲテモノを愛人にされるとは、人は思いも寄らないものですね」と呆れて、「娘と一緒にさせなくてよかった」と安堵してもいました。

 

 荒れ果てた姫宮邸とは正反対のぴかぴかに輝く大邸宅の客室に案内されたヒカルは、壁に掛けられた少女の肖像画に目がとまりました。賢そうな美少女でしたが、どことなく物憂げです。

「どこかでこの少女と出逢った覚えがある。大公后の一人娘の顔ではない。一体、誰だろう」と見入っていると、大公后がにこやかに入って来ました。心中ではヒカルと姫宮との仲を腹を抱えるほどおかしく思っていることなど、ヒカルは露とも知りません。

「大聖堂の三連祭壇画『栄光の聖母』をご覧になっていただけましたか。高名なムーラン先生の傑作中の傑作と評判になっておりますよ」。

 

 ヒカルは「長い間、ご無沙汰をいたしまして」などと型どおりの挨拶をした後、気にかかっている壁絵に掛かった肖像画をさして「この憂い顔の少女はどなたなのでしょう」と尋ねました。

「この御方が誰だかお分りになりませんの。あれだけ慕われておられましたのに。もっとも貴方はまだ幼かったから、はっきりとは憶えてはおられないのでしょう。

 この御方は、今はオーストリア皇女と呼ばれております、ブルゴーニュ・フランドル公国の白菊公女ですよ。この絵もムーラン先生がお描きになりました。

 白菊公女は十三歳でフランドルに帰還された二年後に、オーストリア国王で神聖ローマ帝国皇帝でもおられる父マキシミリアン皇帝とカスティリヤ王国とアラゴン王国との合併で誕生したスペイン王国の間で、子ども達の二重結婚の協定が結ばれました。皇帝の後継ぎとなる皇太子がスペイン王国の王女を娶り、妹の白菊皇女がスペイン王国の王太子に嫁ぐという形です。

 白菊公女は十七歳でスペインに渡り、王太子と結婚をされましたが、わずか半年後に王太子は病死してしまいました。その時、白菊さまは身ごもっておりまして、国王夫妻は王太子の忘れ形見の誕生を待ち望んだのですが、死産という悲しい結果になってしまいました。傷心の白菊さまは国王夫妻に慰留されて、しばらくスペインに留まった後、フランドルへ帰郷しました。

 父皇帝は白菊さまの再婚相手としてサヴォワ(Savoie)公国の公爵を選びました。サヴォワ公との夫婦仲は円満で、白菊さまは臣従たちに牛耳られて悪化していた公国の財政を立て直すなど統治者としても才覚を発揮されました。ところが再婚して三年が経ってから、夫君は狩猟先で供された生水にあたって、急死されてしまいました。スペイン王太子の死も、サヴォワ公の死も、フランスの陰謀だ」というとんでもないデマを流している人もいるようで、困ったことです。

 サヴォワ公の急逝と同じ年、白菊皇女の義姉にあたるファナ王女は母の死によりカスティリヤ王国の継承者となりました。ファナ王女の夫君で、白菊皇女の兄であるフィリップ(フェリペ)美公もカスティリヤ王国の共同統治者としてファナ王女に同伴して、フランドルからスペインに移住しました。夫妻は二男四女に恵まれましたが、フィリップ(フェリペ)美公はスペインに移住した二年後に生水にあたって二十八歳で急逝してしまい、それ以前から気がふれていたファナ王妃は発狂の身となってしまわれました。

 白菊皇女といい、母といい、兄といい、物の怪が執拗につきまとっているのでしょうか。白菊さまは物語にもないような、波乱万丈の運命を幼児の頃から背負わされてきて、『フランスの母』として可愛がった私としてはあまりにも不憫なので、この肖像画を毎日のように見ながら、幸せを祈っております。

 国際政治の駆け引きに振り回されて、弟王がブルターニュ公国の紫陽花公女と結婚することになって、白菊さまが宙に浮いてしまった際、貴方との結婚が検討されたのですが、父皇帝の拒否で頓挫してしまいました。『白菊さまと貴方が結ばれていたなら、どうなっていただろうか』とこの肖像画を見ながら、いつも思い浮かべております」。

 

 

5.末摘花、衣服をヒカルに贈る

 

 陰暦では年の暮れにあたる二月に入って、ヒカルは王宮の自分の宿直所である「桐壺の間」におりますと、エディットがやって来ました。整髪などの場合に使う女性で、色恋沙汰の関係はなく、気安い女なので、いつも冗談などを言い合ったりして使い慣れていますので、お召しがない時でも、何か話したいとこがあると、ヒカルを訪ねてきます。

 

「何だか妙なことがございます。申し上げないのも何ですので」と言って微笑んで、それ以上は話をしませんので、「何事だろう。私に隠し事をする必要はないだろうに」と仰せになりますと、「どういたしましょうか。自分の心配事でしたら、畏れ多くとも、真っ先にご相談に乗っていただくのですが、こればかりはとても話し辛くて」とひどくもったいぶります。

「いつものような思わせぶりだな」とヒカルは睨みつけます。

 

「あの姫宮からのお手紙ですよ」と言いながら、エディットは手紙を取り出しました。

「こんなことぐらいで、隠し立てをする必要もないではないか」と言いつつヒカルは手紙を受け取りましたが、エディットは胸が潰れそうな思いでした。

 厚ぼったいゴワゴワした羊皮紙で、匂いだけは深く薫きしめられていました。とにもかくにも苦心した労作のようでした。

(歌)あなたの冷たい御心が 恨めしいので 私の衣の袂は いつもこんな具合に 濡れてばかりいます

 

 この歌にヒカルが合点がいかずにいると、エディットは古めかしく重そうな衣箱の包みを差し出しました。

「これをどういたしましょうか。私もどうしようか、と頭を悩ませてしまいました。でも『新年のお召しに』と言って、わざわざ手配されたものをそっけなく突き返してしまうこともできません。私の一存で引っ込めておくのは姫君の御心を無視してしまうことにもなりますから、とにかくご覧になっていただこうと考えまして」と申します。

 

「引っ込めておくことはないだろう。『白衣の袖を枕にして、一緒に寝て干してくれる人もいない身』なのだから。姫宮の嬉しいお志を素直に受け取るよ」とヒカルは答えたものの、それ以上はものを言いません。心中では「それにしても、情けない歌の詠み方である。この程度が自作の限界なのだろうか。いつもは侍従スザンヌが手直しをしているのだろう。スザンヌの他には歌の詠み方を指導する教師もいないのだろう」と口に出す甲斐もないことを考えていました。

 それでも精魂こめて、この歌を作ったのだろうと想像すると、、「『まことに畏れ多い貴い歌』とは、こういうことを言うのであろう」と苦笑しながら、手紙を読み直していますので、エディットは恥かしくなって赤面してしまいます。

 

 衣箱を開けますと、今風の濃く黒ずんだ赤(臙脂)の色合いでしたが、とても我慢ができない程、艶(つや)のないプルポワン(上着)で、裏地も同色のひどくありふれた品らしいことが一見して分かります。

「興ざめをしてしまった」と思ったのか、ヒカルは手紙を広げながら、端の方に走り書きをしていますので、エディットは横目使いで読んでみます。

(歌)格別親しみを感じる 花でもないのに どうして色が赤黒い末摘花を 手に触れることになったのだろう

「色の濃い花には見えていたけれど」などと書き散らしていました。

 

 エディットは「ヒカル殿には姫宮を咎める理由があるのだろう」と思い合わせていくと、折々、月が射し込む夜に見た姫宮の赤い鼻に思い至って、おかしくなりました。

(歌)貴方の姫宮への愛情が 紅色に染めた衣のように薄くとも 一途に姫君をおけなしになって 

   悪い評判をお立てにならないで下さいね まったく気が揉める世の中だこと

と、エディットが物馴れた口調で、独り言のように詠みました。

 

 それを聞いたヒカルは、エディットの歌も大したことはないが、「せめてこのような通り一遍の機敏さを持っていてくれたなら」と返す返す、口惜しい思いをします。それでも身分が身分の御方ですから、「捨てられてしまった」という汚名を立てさせたくはない、との思いをさすがに抱きました。

 人々がやって来るざわめきがしましたので、「これは隠しておこう。常識のある人なら、こんなことはしないからね」とヒカルはそっけない言い方をします。

「どうしてご覧に入れてしまったのだろう。私ですら思慮が足りない感じになってしまった」とエディットはひどく恥かしい思いをしながら、桐壺の間を下っていきました。

 

 翌日、エディットが王室仕えをしていますと、ヒカルが女たちの詰め所を覗き込んで「ほら、昨日の返事だ。気になって、捨てておけないものだから」と言いながら、手紙を投げ出しました。周りにいる女官や侍女たちが「何事でしょう」と手紙の中味を知りたがります。

ちょうど紅梅の花のような鼻をした、アリエール川の乙女を捨てて」とヒカルが鼻歌を口ずさみながら立ち去っていきましたが、エディットは「何ともおかしいこと」と含み笑いをしてしまいます。事情を知らない女たちは「どうして独り笑いをされるのです」とエディットを口々に非難します。

「さあ、何ででしょう。『寒い霜の朝、皆さんの鼻の色合いが赤い練り絹のように見えたのでしょう。歌われていた鼻歌の面白かったこと」ととぼけますと、「それはあんまりな。私たちの中に色がついた鼻をしている者などおりませんよ。サーカスの赤鼻の道化師が交じっているわけでもないし」など分けも分からずに言い合っています。

 

 エディットがヒカルの手紙をムーランに送りますと、姫宮邸では女たちが寄り集まって拝見します。

(歌)逢わない夜が多いのに 二人の仲を隔ててしまう衣を 贈ってこられたのは 逢わない夜を

   ますます重ねていこう ということですか

白い紙に無造作に書き捨てていましたが、中々、意味深いものでした。

 

 晦日の夕方、エディットが姫宮邸に戻ってきて、先日の衣箱に「お返し」として、ヒカルから贈られた上下一揃いのドレス、薄い赤紫色の織物の布地、他にも黄のマンサク(万作)色など色々とを詰めたものを姫宮に差し出しました。

「先日、姫宮がヒカルに贈ったプルポワン(上着)の黒ずんだ赤(臙脂)の色合いが『悪い』とあてつけてのことなのでしょうか」といぶかる侍女もいましたが、「いえいえ、あの色は重々しさをかもしだすものですよ。見劣りがするはずはありません」と老いた侍女が独り決めしています。「姫君が差し上げた歌も、ことのほか筋が通っていて、しっかりしたお出来栄えでした。ヒカル殿の返歌は変に技巧的すぎて」などと口々に言い合っています。姫君も一方ならず大苦心をした歌でしたので、物に書き留めておくほどでした。

 

 陰暦の元旦が過ぎると、今年も謝肉祭のカーニバルがありますので、例のようにあちこちで稽古が始まり、賑やかにやかましくもなりましたが、ムーランの姫宮は寂しくしているだろうと可哀想に思って、元旦七日目の「邪気払いの行事」が終った後、王室を退って、そのまま自分の宿直所の桐壺の間に泊る風をよそおって、夜が更けてからムーランに出掛けました。

 屋敷の有様はこれまでと違って気配が活気づいて、世間並みの家のようになっていました。姫君も心なし少しは女らしさが出て来たようにも感じます。

「この調子で見違えるようになってくれたらなあ」とヒカルは願い続けました。

 

 一夜を過して、翌朝、日が射し出す頃にためらいがちに屋敷を発つことにしました。侍女が東の両開きの戸を押し開けますと、向うへと続く回廊に屋根がなく壊れかけていましたので、日脚がそのまま射し込んで、少し積もった雪に照り映えて奥の方まで室内が見渡せます。

 姫宮も奥から出て来て、ヒカルが上着などを着衣するのを見ながら長椅子にもたれていますが、美しいブロンドの髪がこぼれ出ているのが見事でした。「あの顔も美しく変っていたなら」と期待して、横格子の木戸を引き上げようとしますが、先日残らず見てしまって懲りていましたので、ずっと上まで上げずに、踏み台を乗せてもたせ掛けました。

 

 しどけなく乱れた髪の毛筋をつくろっていますと、侍女が非常に古ぼけた鏡台やイタリア製の櫛箱、髪上げの道具箱などを運んで来ました。きっと亡き父宮のものでしょうが、洒落ていて風流なものと見やります。

 姫宮の衣裳が「今日は人並み」と見えるのは、晦日にヒカルから贈られた衣箱に入っていた物を用いていたからです。ヒカルはそれに気付きはしませんでしたが、面白い紋様がついている、すぐ目に付く上着だけは見覚えがある気がしました。

 

「今年こそは、もっと声を聞かせてください。待ち遠しい黒歌鳥の初音はともかくとして、お気持ちが改まったところが楽しみです」と話しかけますと、「(歌)たくさんの鳥が さえずる春は 何事も新しくなるものの 私だけは年をとっていきます」と辛うじて震え声で誦じました。

「そう、それですよ。御年を召した証拠ですね」と楽しそうに笑いながら、「(歌)こんな山里にまで 雪を踏み分けて あなたにお会いするようになってから 期待してもいなかった 夢かと思うほどです」という古歌を口ずさみながら去っていくヒカルを見ながら、姫宮は横椅子に添い臥しています。口元をおおっている袖の隙間から、あの「末摘む鼻」がいかにも匂やかに突き出していました。振り返り様にそれを見てしまったヒカルは「全く見苦しいものだ」と口惜しく思います。

 

 

6.ヒカル、紫君と絵を描く

 

 シュノンソーに戻りますと、紫の君はまだ大人になりきらない美しげな可愛さで、「同じ紅色といっても、こんなに懐かしいものもあるのだ」と見惚れます。まだ祖母の喪中なので、無紋の桜色の細長ドレスをしなやかに着こなして、無心でいる姿はとても可憐でした。昔気質の祖母の躾の名残りで、化粧はまだしていなかったのですが、初めて化粧をさせますと、眉がくっきりと引き立って、美しく清々しくなりました。

 

「自分の心持ちではありながら、どうしてこうまで女性のことであれこれ苦労をしてしまうのだろう。すぐ側にこんな可憐な女性がいるのに」と反省しながら、いつものように一緒に人形遊びをします。

 紫の君は絵などを描いて彩色します。色々と上手に描き散らしていますが、ヒカルも描き添えていきます。ヒカルは髪が非常に長い女性を描いて鼻に紅をつけてみますと、絵ですら見るのが嫌な感じがします。鏡台に映っている自分の顔が大層清らかなのを見て、自分で紅花を鼻へ塗りつけてみると、どんなに良い顔でも赤い鼻が混じってしまうと見苦しくなってしまいます。姫君がそれを見て、ひどく笑いころげます。

「私がこんな不体裁な者になったら、どうしましょう」と尋ねますと、「嫌ですね」と言いつつ、「もしかしたら本当に染み付いてしまうのではないか」と気を揉んでいます。ヒカルは鼻を拭く真似をして、「どうしても白くなりません。つまらないいたずらをしてしまった。王さまがなんとおっしゃることでしょう」ととても真剣そうにこぼしますと、「とても可哀想」と同情して、近寄ってちり紙で紅を拭こうとします。「ちり紙を濡らす水差しの水と黒インクを間違えてはいけませんよ。赤インクなら我慢できますが」と戯れ合っている様子は、「とても睦まじい兄妹」に見えます。

 

 日が大層うららかなのに、いつとはなしに霞渡っている木々の梢が開花を待ち遠しそうにしている中、梅のつぼみがほころび出して微笑んでいるのが、目につきます。玄関口の階段の庇(ひさし)の脇の早咲きの紅梅はもう開花して色づいてきています。

(歌)梅の立ち枝の開花は なつかしいけれど 紅の花を見ると あの赤鼻を思い出して 

   わけもなく嫌な気分になってしまう いやはや何とも

と、わけもなく歎息してしまいます。

 

 若紫や末摘花といった方々の行く末はどうなることでしょうか。

 

 

 

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