その19.薄雲     (ヒカル 30歳~31歳) 

 

4.太政大臣と藤壺女院の他界とヒカルの愁嘆

 

 イングランド王国との和平交渉を試みた「金布の野」の結果に失望した一行がパリに戻った時、アンジェの太政大臣死去の急報が待ち受けていました。政治の重責を担い、誰もが一目を置く人物でしたから、冷泉王を始めとする王宮人の嘆きようはひとかどではありません。しばらく引退していた間でも世間の注目を集めていたほどの人物でしたから、多くの人が悲しみにくれました。内大臣のヒカルも非常に残念でした。これまでは「内政も外政も一切のことを任せていたからこそ、自分も暇があったのに」と心細く、これからの政務での繁忙を考えると歎息してしまいます。

 

 満十三歳を過ぎた冷泉王は、年齢よりもずっと大人びていますので、天下の政治を少しづつ任せても支障がないようになってはいるものの、とりたてて後見をする者はヒカルの他は見当りません。

「後見役を誰かに譲って、静かに隠棲する本意も叶えられなくなった」ことを思うと、太政大臣の死がこの上もなく惜しい気がします。ヒカルは葬送や法要なども、太政大臣の子供や孫たちに劣らないほど、細やかにお世話しました。

 

 その年は一体全体に世相が騒がしくなるような気配です。公的な事でも何かを告知する前兆がしきりにあって、穏やかではありません。「金布の野」が終った後、イングランド王はカール五世とカレーの東にあるグラヴリン(Gravelines)で会談した知らせが入ったのも不安をつのらせます。

「天空にも通常と違う月・日・星の光りが見える。雲のたたずまいも異様だ」と世間の人々が驚く現象が多く、複数の占星術師が提出する文書にも、怪しく尋常ではない事柄が多く混じっていました。その中には、内大臣だけが「厄介なことだ」と内心、思い当たることも含まれていました。

 

 春先から病に臥していた藤壺女院は苦しみが続いていましたが、七月に入ると次第に重くなってしまいましたので、王さまは見舞いに訪れました。桐壺院に死別した時は、まだ四歳と幼かったので深くは感じなかったのですが、今回はひどく心痛している様子でしたから、母の女院も非常に悲しく感じます。

 女院は「今年は必ずめぐり合わせが悪い年になる」と予見はしていましたが、それほどひどい容態でもなかったので、「死後が近いことを知り顔に振舞うのは、周りの者にいやな思いをさせ、大袈裟に心配させてしまう」と気兼ねをしてしまい、病気平癒の祈祷などもわざと普段と違う風にはさせませんでした。

「いずれ王城に上がって、ゆっくりと昔話でも語りたいと思いながらも、すっきりした気分の折が少なくなったのが悔しく、うっとうしいままに日が過ぎていきます」と弱々しく王さまに話します。女院は三十六歳になっていました。まだずっと若く、今が盛りに見える様子なので、「惜しく、悲しいことだ」と王さまは女院を見つめています。

「身を慎むべきお歳で、晴れ晴れとした気分になれずに月日を送っておられますのを案じておりました。祈祷なども普段よりしっかりとおさせにならなかったのでしょうか」と王さまはすごく悔しがっています。つい最近になってから慌てて病気治癒の修法や何やかやを行わせていました。王さまに随行して来た内大臣もこの月頃、いつもの気悩みであろう、と油断していたことを深く反省しました。

 

 王さまの身では滞在に限りがありますので、ほどなく王宮に戻らねばなりませんが、悲しいことが多くあります。女院はひどく苦しがって、はっきりと物を話すことができません。心の内で我が身を振り返ってみると、「自分は高貴な身で生まれ、並ぶ人がいないほどのこの世の栄華も得た。胸中に際限もない物思いはあったにせよ、とにかくも人よりは勝った身であった」と思わずにはいられません。それでも故院が夢にでもヒカルと自分の不義を気付かずにおられたのを、さすがに心苦しく感じました。「こればかりは後ろめたいことで、自分が他界した後も、じくじくしたわだかまりになってしまうだろう」との思いが残ってしまう心地がします。

 

 内大臣は公的な見地から見ても、こうした身分が高い方々の中でも、太政大臣に引き続いて女院も亡くなろうとしているのを人知れず思い嘆いています。人が知り得ない女院への思慕はこれまた限りなく、祈祷などで行き届かない点はありません。長い年月、心に封印してきた恋心すら、今一度、告げることができないでいたのを無念に思って、ヒカルは内カーテンの近くへ寄って行って、女院の容態などをしかるべき人々に尋ねてみます。お側に仕える侍女たちが残らず侍っていて、細々と様子を説明します。

「このところ、お加減がお悪いのに、片時も休まずに勤業に精をお出しになられまして、その疲れが積もったせいかひどく衰弱されました。もうこの頃は果物類さえ口にされることもなくなって、回復される見込みもなくなっております」と侍女の多くが泣いたり嘆いたりしています。

「故桐壺院の遺言を守って冷泉王の後見をしてくださっていることを、長い間感謝している気持ちは多々あります。何かにつけ、そんな格別な気持ちをお伝えようと思いながら、そのままになっていたのが今になって悲しく悔しくて」と女院がかすかな声で話すのをほのかに聞くと、返答をすることもできずに涙をこぼしている様子は痛々しいほどです。

 

「自分はどうしてこんなに気弱なのか」とヒカルは人目が気になるものの、昔からのご様子は、二人の秘密な関係を抜きにしても、世間一般の人から見てもめったにないほどもったいない御方でしたが、思い通りにならないことなので、この世に引きとめようもできず、言いようもない悲しみに限りはありません。

「はかばかしいことはできない身ではありますが、ずっと以前から王さまの後見をすべき事柄を果たそうと、自分の気がつく限りは努力をしてまいりました。太政大臣がお隠れになってから、世の中が慌しくなったように感じます。貴女までがこんなご容態になられてしまって、何事も取り乱してしまっているばかりなのに、私自身すら、この世に生きていることが残り少ない気がします」と話しているうちに、灯火が消え入るように果ててしまいましたので、言い甲斐もなく悲しい事を思い嘆きます。

 

「賢く尊い御方」と知られた人の中でも、人柄なども世の人々にとっても広く慈悲深い御方でした。格式が高い家に生まれたことをかさに来て、人に迷惑をかけてしまうことも自然に生じてしまうものですが、女院はそのような人に難儀をさせてしまう行為もいささかもなく、人々が奉仕しようとすることでも、世間の人を苦しませるようなことは差しとどめておられました。寄進など教会への功徳でも、勧められるままに派手に物珍しげにする人などは、昔の賢人の時代にも随分といましたが、女院はそうしたことはせずに、ただ元からの宝物とか、定まった年給や爵位手当て、所有地からの収入の中から、差支えがない程度でしたが、誠実に心深い気持ちをこめて施しましたので、さほど分別もない修験者などまでその死を惜しみました。

 葬送の折も、世間に知れ渡り、「悲しい」と思わない人はいません。王宮人も皆、喪服を着て黒一色となり、何とも物の見映えがしない夏の暮れとなりました。

 

 ヒカルはシュノンソーの庭の桜の木を見つめながら、十二年前のブロワ城での花の宴の時を思い出しています。

(歌)草深い野辺に立つ桜の花よ あなたに心があるなら 来春だけは 墨色に染めた花を咲かせえて欲しい

と、よく知られた歌を独り言のように口ずさんでいます。人に見咎められてしまうのを避けるように、シャペルに終日籠もって泣き暮らします。

 夕日が花やかに射して、シェール川の対岸の森の木々をあざやかに照らします。何も目にとまらない折柄でしたが、薄くたなびく雲が鈍色なので、大層身に沁みて悲しくなります。

(歌)入り日が射す 森の木々にたなびく薄雲は 悲しみにくれる私の喪服の色に 似せているのだろうか

聞く人が誰もいないシャペルでしたから、何の甲斐もありません。

 

 

5.僧都秘密を告白、ヒカル帝意を拝辞

 

 追悼ミサなども過ぎて静けさが戻って来ると、王さまは心細い思いが増していきます。藤壺女院の母親の時代から引き続き、代々の祈祷の担当僧として仕えていた尊師がおりました。故女院もこの上もなく親しい人物と思っていましたので、王さまも厚い待遇をして、いかめしい祈願の多くも依頼した、世に賢い尊師でした。歳は七十歳くらいで、今はパリの北にあるロヨモン(Royaumont)僧院に籠もっていましたが、女院の葬送関連でロワールに出向いていたのを呼び寄せて、いつも伺候させていました。

「ここしばらくは、やはり以前のように王さまのお側で仕えてください」と内大臣も勧めますので、「今はもう夜の伺候などはとても勤めきれない」と尊師は困惑したものの、「有り難い仰せ事でもあるし、亡くなられた女院のお志にも感謝して」と王さまに侍っています。

 

 ある静かな明け方、近くにいる者がいないか、あるいは退出していた時に、尊師は老人らしい咳払いをしながら、王さまに世間話などを奏上していました。そのついでに「誠に申し上げにくいことですが、ご存知でないままでいると、かえって罪にも当たってしまわれるのではないか、と躊躇していることが多くございます。中でも、お知らせしないと罪がさらに重くなって、天の眼が恐ろしく思われるような事柄がございます。自分の心の内に閉じ込めたまま命を終えてしまったなら、王さまにとっても何の益がありましょう。神さまからも『心汚いやつ』と思われてしまいます」と切り出しながら、あとを言い出しかねています。

 

「何事なのか。尊師でもこの世に恨みが残ってしまうと案じていることがあるのだろうか。僧侶は聖なる存在であると言うものの、あるまじき非道な嫉みも深くて不快になることがある」と王さまは思いながら、「尊師とは私が幼い時から分け隔てはない、と思っていたのだが。そんな風に隠し事を残していたとは心外だ」と続けます。

「恐れ多いことでございます。私は聖人が秘伝として諌めた真言の深い道ですら、隠しとどめることなく伝授いたしました。まして心に隠し残していることなど、何がございましょう。この件は王さまの過去と未来にとって大事なことでございます。物故された桐壺院と女院、ただ今、国務を担っておられる内大臣にとっても、隠し立てをしておりますと、かえってよくない噂が漏れ出てしまいましょう。これを申し上げて、こんな老僧の身に禍がふりかかったとしても、何の悔いもありません。天からのお告げもありましたので、あえて奏上することにいたしました」。

 

「王さまがお腹の中におられた時から、亡くなられた女院が深く憂慮されることがありまして、私に祈祷を託されたことがありました。詳細は、僧侶の立場では理解できませんでしたが。行き違いが生じて、内大臣が不当な罪をこうむられた時、女院はいよいよ恐怖を覚えられて、重ねて祈祷を仰せつけられました。それを聞かれた内大臣はそれに加えた祈祷をさらに増やすように仰せられ、王さまが即位されるまで勤め続けたことがございました。私が承った仔細と申しますのは」と詳しく奏上するのを聞いた王さまは「浅ましく、恐ろしくも悲しくもある」と様々に心が乱れてしまいます。

 

 しばらくの間、王さまからの返事がないので、尊師は「自分から進んで秘密を奏上したことをけしからぬことと思われたのだろう」と恐縮して、そっと退出しようとしましたが王さまが引き止めました。

「このことを何も知らずに過していたなら、後の世にまで罪を受けるところであった。尊師が今まで隠しておられたのが、かえって気になるほどだ。このことを知っていて、世間に洩らしてしまうような者はいるだろうか」と問いました。

「いえ、私と女院の付き人ブランシュより他には、この件を窺い知った者はおりません。逆にそうだからこそ、非常に恐ろしくもあります。このところ、しきりに天変がお告げを知らせ、世の中が静かではないのはその印でございます。王さまがまだ幼く、物の分別がつかなかったうちはともかく、ようやく成人される歳になられて物事の判断がつくようになりましたので、天が罪の咎を示しているのです。これはすべて王さまの親の代から始まったことなのです。何の罪なのかをご存知ないことは恐ろしいことです。ずっと外部に洩らさないまま忘れ消そうとしておりましたが、腹をくくって口に出した次第です」と涙をこぼしながら尊師が語っていくうちに夜が明け、尊師は退出しました。

 

 王さまは悪夢のような恐ろしい話を聞いて、色々と思い乱れてしまいます。故桐壺院に対して後ろめたい思いがしますし、実の父と知った内大臣が臣下として自分に仕えているのが悲しく、かたじけないことだ、とあれやこれや思い悩んで、日が高くなるまで寝室から出ませんでした。

「しかじか」と知らせを受けたヒカルは驚いて王宮に上がりました。ヒカルの顔を見るにつけても、王さまは一塩忍び難い思いがして涙を流しますが、ヒカルは「亡くなった女院のことを夜となく昼となく追慕されている頃合いだからなのだろう」と想像しました。

 

 その日、朝顔の父の式部卿の逝去が奏上されましたので、王さまはいよいよ世の中が騒がしくなって来たことを痛感しました。こうした状況になったので、ヒカルはシュノンソーには戻らずに王城で伺候していました。カール五世がシャルマーニュ大帝ゆかりの地であるエクス・ラ・シャペル(Aix La ChapelleAachen)で神聖ローマ皇帝の戴冠式を挙げる頃でしたが、スペインからエクスに向う途上でイングランド王夫妻と会談した知らせが入っていました。同時に王が不在となったスペインで、カール五世が引き連れて来たフランドルの官僚の横行や皇帝選挙時に国庫から巨額の資金を持ち出したこと、納得できない新課税に不満をつのらせた「コムネロスの反乱」が勃発したことも知りました。「反乱勢力と結びつけば、カール五世の足元を撹乱することができるだろう、それにはどうすべきか」など対策を模索します。

 

 王さまはヒカルとしんみりと話をしているついでに、「金布の野で改めて感じたことだが、まだ未熟な私にはヘンリー八世やカール五世と伍していくのは荷が重すぎるし、王としても不適格ではないか。いつも何となく心細く、気分がすぐれない心地がしている。世の中も穏やかではなくなって来て、すべてが慌しくなって来た。亡くなった女院の期待もあったから、王位を退くことを控えていたが、今は気軽で閑散な身になって絵画三昧の日々を送って行きたいのだが」と打ち明けました。

「そんなことはあるまじきことです。国際情勢が平穏ではないとしましても、必ずしも政道がまっすぐなのか、歪んでしまったのか、には結びつきません。賢王が治めていた世でもよからぬことはございました。聖人の時代であっても不当な混乱が生じてしまうのは、ギリシャ・ローマの時代にも例がありますし、我が国でも同様です。まして歳相応の方々の寿命が尽きてしまうのは思い嘆くことでもありません」などとヒカルは多くの事例を上げて説得していきますが、その片端でも語り伝えるのは気が引けますので省略します。

 

 王さまは通常よりも黒い喪服を着て地味な姿は確かにヒカルと違う所はありません。王さま自身、常々鏡に映る自分の顔を見ながら気付いていたことですが、尊師から秘密を聞いた後は、一層ヒカルの顔を仔細に見ながら、ひときわ格別な感慨にふけります。

「どうにかして、この秘密を知ったことを匂わせたい」と思うものの、さすがに「体裁が悪いことだ」と内大臣が困惑してしまうことなので、若い心なりに気が引けて、容易には切り出すことができず、ただ普通の世間話などをいつもより懐かしげに話します。威儀を正した姿勢で王さまが話すので、賢明なヒカルは「これまでの様子と異なっていて、奇妙だ」と感じましたが、「尊師がそこまではっきりと秘密を語った」とは思いもよりませんでした。

 

 王さまはブランシュに詳細を尋ねてみたい思いもしますが、「今になって、『母親の女院がひた隠しにしていたことを知ってしまった』とブランシュに思われたくもない。ただ内大臣には、何とかしてそれとなくほのめかしながら、『これまでの歴史にもこうした事例があったのか』と尋ねてみたい」と思うものの、そうした機会は全くありません。

 意を強めて王宮の書庫にひんぱんに通って様々な書物を読んでみると、イタリアでは公然でも内密でもみだりがましい事例が多くありました。しかしフランスではこれと言って目立つような事例はありません。たとえあったにしても、こうした秘密事を伝え残そうということもないのでしょう。王籍を離れて臣籍に下り、納言、大臣になった後に、再び王籍に戻って王位についた例は幾つかありました。内大臣の人柄がよく、賢明であることを口実にして、「そういった風に王位を譲ってしまおうか」などと思いをはせます。

 

 秋の役人人事で内々で太政大臣に任命することを決めた際に、王さまはヒカルを呼んで、王位を譲る意向があることをもらしましたが、内大臣は大層恥じ入り、恐ろしくも感じて、そんなことはありえない由を説明しました。

「故桐壺院のお気持ちで、多くの子供がいる中でも、とりわけ私を寵愛してくれましたが、私に王位を譲ることなど、お考えになることはありませんでした。故院のお心に背いて、どうして及びもつかない地位に上ることができましょう。ただただ、故院が定められたように臣下として王朝に仕え、今少し歳をとりましたら、静かな勤業生活に籠もりたいと考えております」と、常に口にしている言葉を変えずに答えましたので、王さまはとても口惜しく思います。

 

 太政大臣に任命される内定を受けたものの、「今しばらくは内大臣のままで」とヒカルは保留にしましたが、扱いは一段階上がって、王宮に馬車で出入りすることが許されました。それでも王さまは物足りず、せめて王籍に戻ることを説得するのですが、「自分を除くと、王さまの後見をする者は誰もいない。権中納言のアントワンが大納言に昇進して右大将も兼任するようになったが、アントワンがもう一段上がった段階ですべてのことを譲って、その後はとにかく静かな余生を送ろう」とヒカルは考えていました。

「なぜ王さまが王位を譲る気になったのだろうか」とあれこれ思いをめぐらせます。譲位は故女院にとっても残念なことですし、近頃、王さまがこんなふうに思い悩んでいるのを見るとかたじけない思いがします。

 

「それにしても一体、誰があの秘密を洩らしてしまったのだろう」と不思議に思います。

 ブランシュは室長が交替した裁縫室に後任として移り、専用の部屋をもらっていました。ヒカルはブランシュを尋ねていって、「もしやあの一件を何かのついでに露ほどでも洩らしてしまったことがあるか」と詰問しましたが、「まさか私が。亡くなられた女院は『王さまの耳に入ってしまうのは容易ならないことだ』と思われていました。その一方で『真実を知らないと罪を背負ったままの人生になってしまう』と嘆いてもおりました」と返答しました。それにつけても、並々ならぬ女院の思慮深い様子などをヒカルは尽きることなく恋い慕います。

 

 

 

                        著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata