その34.若菜 上        ヒカル 40

 

9.サン・ブリュー貴婦人出産。紫上とサン・ブリュー上の親睦

 

年が改まって新年を迎えました。ヴィランドリー城に里帰りしているサン・ブリュー貴婦人の出産が近づいてきたので、正月上旬から修法を不断にさせました。教会や礼拝堂での祈祷もまた、数え切れないほどでした。

ヒカルは若い頃に、夕霧の出産時に葵夫人が急死するという、忌まわしい体験をしていましたから、お産はひどく恐ろしいもののように思いしみていました。紫上などがそのような様子を見せていないのが物足りなく張り合いがないものの、一方では出産を嬉しく感じていました。それにしてもサン・ブリュー姫はまだ華奢な年頃なので、前々から「どうなることか」と案じていました。

 

二月に入ってから並々ならぬ容態になって、苦しむようになりましたので、ヒカルも紫上も誰もが不安がっていました。占星術師たちも「居場所を変えてお大事にされなければ」と進言しますので、「城外に移すのも不安だし」と考えて、サン・ブリュー上の町にある中の別館に移しました。二つの大きな別館を結んでいる回廊に修法用の檀を隙間なくを塗り固め、優れた修験者たちを集めて大声を上げて祈願させました。実母のサン・ブリュー上にとっては、娘の出産で自分の運勢もはっきりすることにもなりますから、並々ならない看護ぶりでした。

 

 あの祖母の修道女は、もうこの頃はすっかり呆けた老女になっているはずですが、こうして孫の出産の様子を拝見できるのは夢のような心地がして、いつの間にか寄って来て世話をしています。今まで、サン・ブリュー上はずっと娘に付き添っていたものの、娘が誕生した当時の経緯などをまともに話そうともしなかったのですが、祖母修道女は嬉しさを堪えることができず、孫に近寄って、声を震わせながら古い話を語りました。サン・ブリュー姫は始めのうちは「妙にうるさそうな人だな」と見守っていましたが、「そのような祖母が存在する」ということだけはうすうす聞いていましたから、親しみをこめて相手にしました。

 

サン・ブリュー姫が誕生した当時のこと。ヒカルがサン・ブリューの浦にやって来た頃の有様。「もう、いよいよ」とヒカルがロワールへ戻った折りには、誰も誰もが途方に暮れて「これ限りだ。ここまでのご縁に過ぎなかったのだ」と嘆いたこと。姫君の存在が自分やサン・ブリュー上の命運を救い上げてくれたことの有難さ、などなどを老修道女は涙をぽろぽろ流しながら、語り続けました。

「こうした哀れ深い昔の話を聞かせてくれなかったなら、自分の身の上をはっきり知らないままで終わってしまうところだった」とサン・ブリュー姫は感じて涙をこぼしました。

心中では「自分の身分は、我が物顔に振る舞えるような身分ではなかったのに、紫上の養育が威光をつけてくれたお蔭で、人々からも悪くはない尊敬を受けるようになったのだ。今まで自分の身はこの上もない者だと思い込んで、王室仕えでも他の人たちを見下して、すっかり思い上がって来てしまったのだ。世間の人は内心では、そんな私を批判していたことだろう」と思い知りました。 

元々、実母は少し劣った家柄の出自であることは承知していましたが、生まれた場所がそんな遠い地であったことなどは知らずにいました。「あまりにおっとりと育てられたせいなのだろうが、不思議なほどぼんやりしていたのだ。祖父の修道僧が今は隠者のようになって、人間離れをした生活をしているのも気の毒なことだ」などと、あれこれ思い乱れてしまいました。

 

サン・ブリュー貴婦人が物思いに沈んでいるところに、実母がやって来ました。日中の祈祷であちらこちらから修道僧たちが参集して、大声を出して祈りをあげていますので、サン・ブリュー貴婦人の側で仕えている者は特におらず、祖母の修道女だけが得意顔ですぐ側に座っていました。

「まあ、見苦しい。小ぶりの衝立でも引き寄せてください。風などが吹き騒いで、自然と隙間から見られてしまうでしょうに。まるで付きっきりのお医者さんのように振る舞っておいでですが、もう歳を過ぎていますから」などとサン・ブリュー上は当惑していました。

「十分気をつけて振る舞っている」と祖母は思い込んでいますが、耄碌して耳も遠くなっていますので、「ああそうですか」と小首をかしげただけでした。実際、そう言うほどの年齢でもなく、六十五か六十六歳くらいでした。非常にこざっぱり、気品がある様子をしていましたが、目をきらきらさせながら泣きはらしている気配を見せながら、妙に昔を思い出している様子をサン・ブリュー上は気付いて、どきっとしてしまいました。

 

「古めかしい昔話を姫君にしてしまったのではないか。ありもしなかった記憶違いを取り混ぜながら、奇妙な昔話を話したのではないだろうか。姫君は夢のような思いをしたことだろう」と苦笑しながら姫君を見てみると、とてもみずみずしく優雅でいながらも、いつもよりひどく沈み込んで物思いにふけっているように見えました。

「我が子とも思えないほど、恐れ多く思っている姫君に、母が気にかかるような話をしたので、思い悩んでいるのだろうか。姫君の生い立ちなどは、正式に王太子の正后となってから打ち明けようと考えていたのに。自分の生い立ちに落胆して、将来への望みを捨ててしまうことはないだろうが、さぞかし幻滅してしまったことだろう」と気にかかりました。

 

祈祷が終わって修道僧たちが退出した後、サン・ブリュー上は姫君に近寄って、「せめてこんなものを」と菓子などを勧めながら、いたわりの言葉をかけました。その光景を見ている祖母修道女はただただ、立派で美しい孫娘を見つめながら、涙が止まりません。顔は笑っていて、口元などはみっともなく開けていて、涙ぐみながらべそをかいたように眉を寄せていました。「なんて不体裁な」とサン・ブリュー上が目配せをしますが、聞き入れようともせずにいました。

(歌)老いた浪が 長生きをした甲斐がある場面に出逢って 嬉し涙にくれている 

   誰がこの修道女を咎めたりしましょうか

「昔から、私のような年寄りは大目に見てもらえるものです」と告げました。

 

 姫君はインク壺箱に置かれた紙に書きました。

(歌)涙に濡れている 老いた修道女を道案内人にして 私が生まれた浜の邸を尋ねてみたい

 サン・ブリュー上も我慢ができずに、つい涙を流してしまいました。

(歌)世俗を捨てて サン・ブリューの浦に住む父も 子を思う心の闇は 晴れることもないでしょう

などとサン・ブリュー上は詠んで、涙を紛らせています。姫君は祖父と別れた暁のことなど、夢の中にでも思い出すことができないのを残念に思いました。   

 

三月十余日になって、サン・ブリュー貴婦人が無事に出産しました。それまでは大袈裟なほど騒ぎ立てられていましたが、大して苦しむこともなく出産でき、生まれた児は男児ですらあったので、何から何まで希望通りになってヒカルも一安心しました。

出産した場所は人目につきにくいサン・ブリュー上の北西の町で、手狭でした。出産後はおごそかな産養いなどの儀式が盛大に行われるようになります。北西の町は祖母修道女にとっては生き甲斐がある場所でしょうが、儀式映えがしないことから、赤児は南の町の姫君の住まいに移ることになりました。

 

紫上も赤児を見に訪れました。白い衣装を着て、まるで母親かのように赤子をしっかりと抱く様子は見栄えがします。本人は出産の経験がなく、他人の出産も見馴れてはいないので、赤児は非常に珍しく可愛く感じました。何かと手数がかかるのに、紫上が終始、赤児を抱き続けていますので、本当の祖母であるサン・ブリュー上は赤児は紫上に任せて、産湯の仕度などをしていました。

王太子の使者として副女官長エレーヌが訪れ産湯の儀式を担当しました。実母のサン・ブリュー上が湯殿に下りているのは気の毒のように見えますが、夕霧の愛人であるエレーヌは内輪の事情をうすうす承知していますから、「人柄に少し欠点がある人だったら、可哀想で見苦しくなってしまうが、こうした役割をきちんとこなす立派な方だ」と感心しました。この程度の儀式については、今さら書き立てることもないでしょう。

 

サン・ブリュー貴婦人本人は産後六日目に自分の住まいの本館の離れに戻りました。七日目の夜に、冷泉王から産養いの祝いがありました。王太子の父である朱雀院はすでに世俗を離れていますので、その代理として王宮の執務所から頭の弁である柏木の弟ロランが勅令を承って、これまでにない様子で祝いの儀式を務めました。秋好王妃も、祝い品の絹衣装など通常の公的な祝事以上に立派な品々を盛大に贈りました。親王たちも次から次へと、諸大臣の家々も目下の務めでもあるかのように、我も我もと華美を尽くして奉仕しました。

今回の出産ではヒカルも、このところの事例のように簡素にはせずに、この上もなく度を超すばかりの盛大さにしました。内輪の優美繊細で風雅な品々は後世に伝え記したいほどですが、あまりの多さに目を留めることができません。

 

 じきにヒカルも赤児を抱いてみました。

「夕霧大将は子供を多く儲けているのに、まだ逢わせてくれないのが恨んでいるが、それにしても、こんなに可愛い人が生まれてくれた」といつくしんでいるのは無理もありません。

若宮は日に日に、物を引き伸ばしていくように成長していきます。乳母などは気心が知れない者をすぐに採用することはせずに、すでに仕えている者の中から家柄も性格もすぐれた者ばかりを選びました。使用人の采配をするサン・ブリュー上の心構えが上品で気高くおおらかでありながら、しかるべき時には謙遜したり、我が物顔に振る舞ったりしないことを褒めない者はおりません。

紫夫人はサン・ブリュー上とは、改めて出逢って心を許し合うまでには至っていないと感じていましたが、若宮誕生のお蔭でとても仲良くなって、打ち捨ててはおけない人と見なすようになりました。紫上は幼児を可愛がる性格でしたから、厄除けの人形などを自分の手でせわしげに作る様子は、非常に若々しいものでした。若宮にかしづくように明け暮れ、一日を過ごしていました。

 

北西の町にいる老祖母は赤児をゆっくり拝見できないことを物足りない思いでいました。生半可、赤児を見ることが出来たなら、その後は恋しさに堪えかねて、命を落としかねえないことになったことでしょう。

 

 

10.入道隠遁の消息と、ヒカルサン・ブリュー姫君への誡め

 

あのサン・ブリューでも修道僧は孫の出産を伝え聞いて、俗界を捨てた聖者の心情としても嬉しく覚えました。

「こうとなれば、心おきなく俗界から離れて行くことが出来る」と弟子たちに宣言して、サン・ブリューの邸を教会にして、周辺の田畑のようなものは皆、その教会の所領として付けました。

「ブルターニュ半島の奥にあるダレー山脈Monts d’Arrés)の人も通わない深い山中に、かねてから所有している場所がある。そこに籠ってしまうと、その後は誰にも会えなくなってしまうことを考えると、まだ少し気にかかることが残っていたから、これまで引き延ばして来た。今は孫娘が男児を産んでくれたので、いくらなんでも」と弟子たちに語って、神や聖人の力を頼りとしてダレー山脈に移り住むことを決めました。

 

 ここ数年は、特別なことがない限り、ロワールへ使いを出すことはありませんでした。ロワールから派遣された使いが来た時だけ、妻の修道女宛に折り節のことを綴った手紙を託していましたが、いよいよ世俗を離れることになったので、そのけじめとして、サン・ブリュー上宛に手紙を書きました。

 

「この歳月、同じ世界に暮らしていたというものの、どういうわけか別の世界に生まれ変わったような思いをして来ました。必要でもない限りはあなたに便りをすることはしないままでおりました。ラテン語やフランス語の文を読むのには時間がかかり、祈りを怠るようになってしまう無益なものと考えて、こちらの消息を差し上げずにいました。

 人伝てに聞くと、姫君が王太子の御殿に上がられ、男児を出産された、ということで深くお喜びを申し上げます。私自身はつまらない修行僧の身で、今さらこの世界の栄達を願うこともありません。

これまでの長い年月の間、毎日六時の勤めでも、未練がましくただただ貴女のことを心にかけて、『天国のユリの花の上に往生したい』という願いをさしおいて、貴女の幸せを祈ってまいりました。

 

 貴女が生まれて来る年の二月の夜の夢のことです。私は世界の中央にある高山を右手にかかげていて、その山の左右から妃と王太子を象徴する月と日の光りが明るく射して、世の中を照らしておりました。私自身はその高山の山蔭に隠れていて、月と日の光りにあたることはありませんでした。月と日が射す高山が、この世の広い海に浮かび上がって治めていく中、私自身は小さな舟に乗って、西方をめざして漕ぎ出していく、といった内容でした。

 その夢がさめた翌朝から、とるに足らない身でありながらも希望が湧いてきました。もちろん内心では一体、何をあてにしてそんな大それた話を待ち望んでしまうのか、といった疑念はありましたが、ちょうどその頃、妻のお腹に貴女が宿りました。以来、世間にありふれた書籍を読んでも、聖書の教えを調べてみても、『夢は信じるもの』と多くが教えていました。

 

 道化戦争で敗者側になってしまった身で、有難くも貴女をお世話することになりましたが、何としても力が及ばない身の上を嘆きながら、このサン・ブリューの地に身を沈めて来ました。老いて行く波に翻弄されながら、もう二度と都のロワールへは戻るまいと決心して、この地で歳月を過ごして来ました。その間、我が娘の幸運を願いつつ、心を一つにして願文を立てました。運よく聖人が私の願いを聞き入れて下さり、貴女は私が願っていた通りに無事に幸せを得ました。

孫の姫君が国母となって、願いが叶ったあかつきには、モン・サンミシェルを始めとしてお礼参りをされてください。今さら何も疑うことはありません。長い間の私の唯一の願いが実現するようになりましたので、私もはるか西方のかなたにある天国に迎え入れてもらえるようです。今はただ、聖人がユリの花を持って迎えてくれるのを待つだけの身となりました。それが来る夕刻まで、(歌)都を遠く離れた国は 水も草木も清く良い所だ 俗事にうるさい都の朝廷のあたりは 水も濁って住まない方がよかろうぞ といった心境で、勤業に専念してまいります」。

(歌)光明が射し出る暁が近づいて来たので 今初めて 昔見た夢を語りました

と詠んだ後に、日付が記してありました。

 

「これから後は、私の寿命が尽きる月日を知ろうとは決してなさらないで下さい。昔からの慣習どおりの喪服を着て、身をやつすこともありません。我が身は聖人の変化だと思って、この老修道士のためにも、功徳を重ねてください。現世を楽しみながらも、のちの世のことを忘れてはなりません。願い通りに天国に来られるなら私との再会も実現できましょう。この世の境界の岸にまで来れば、すぐに再会できる、と考えていてください」と修道僧は長文の手紙を書きあげてから、あのモン・サンミシェルの聖堂に奉った多くの願文を沈木の箱に封じ込み、使い役の弟子の老僧に託しました。

 

 妻の修道女へは細々とは書かずに、ただ「今月十四日にサン・ブリューの礼拝堂を離れて、深い山中に入ります。とるに足らない私の身は狼や熊に施しましょう。あなたはこれからもこの世界に生きて、思う通りの幸せを待ち受けてください。いずれ光明な所で再会ができるでしょう」とだけありました。

 

祖母修道女はこの手紙を読んだ後、使いとして上がって来た弟子の高僧に夫の様子を尋ねました。

「この手紙を書かれた三日後に、あの人里離れたダレー山脈に移られました。私どもも見送って、山脈の麓まで付き添いましたが、そこで皆を帰らせて、弟子僧一人と童子二人だけをお伴にして山中に入って行きました。『もはやこれっきり』と在俗修道僧になられた折りは、『悲しみの極み』と考えられておられていたようなものの、まだまだ世俗への未練があったようです。長年、勤業の合間に柱に寄り掛かって搔き鳴らされていたフランス型ハープやリュートを取り寄せて、最後の掻き調べをされた後、神に暇乞いをされ、楽器類を礼拝堂に寄進されました。その他の品々の多くも寄進され、その残りは六十人余りいる弟子や仕えていた親しい者たちに、分相応に分配しました。それでも残った物はロワールの家族の所有物として送りました。『いよいよ』と引き籠り、遥かな山の雲と霞の中に入って行きましたが、空しく残された者の多くは悲嘆にくれました」などと伝えました。

この高僧もサン・ブリュー在家僧のお供をしてブルターニュに下り、今は老僧としてサン・ブリューに留まりながら、大層悲しく心細く思っていました。キリストの弟子の賢い聖者たちですら、キリストがゴルゴダの丘から天国に昇ることを信じていながらも、十字架の刑に処された折りの当惑は深いものであったのですから、まして祖母修道女が悲嘆にくれることに限りがありません。

 

サン・ブリュー上は南町の姫君の住まいにいましたが、「父修道僧から手紙が届いた」との連絡を受けて、人目に立たないようにして北西の町に戻りました。今は重々しく振る舞わざるをえなくなっていますから、よくよくのことがない限り祖母修道女と気軽に行き来することは難しくなっていましたが、「悲しい知らせが」と聞いて気にかかるので、こっそりと北西の町に戻ったわけです。

すると、母の修道女がひどく悲しそうにしていました。サン・ブリュー上は灯火を近くに引き寄せて、父からの手紙を読んでいくと、涙を堰き止めることができません。他人なら特に目を留めることがないことでも、何よりもまず、過ぎ去った昔のことを思い出して恋しさが募っていきました。「もはや再会もできず、永遠の別れになってしまうのだ」と悟ると、何と言ってよいのか分かりません。涙を堰き止めることは出来ませんが、自分が誕生する前に父が見た夢物語は、これから先の支えになると感じました。

「そういえば『父上は偏屈な気持ちで、私が人並みの人間ではないと浮かれているだけだ』とその頃は気をもんでいたが、実はそういったはかない夢を頼みにして、高い望みを抱いていたのだ」とようやく合点がいきました。

 

 しばらく躊躇していた母修道女が話しかけました。

「貴女のお蔭で嬉しくも晴れがましい目に会えたのは、身に余るほどの光栄と存じます。それまで悲しいこともうっとうしいことも数々ありました。取るに足らない身ではあるものの、長く住み馴れた都を捨てて、夫に従ってブルターニュの地に沈んでしまうことになりました。普通の人とは違った宿命なのだ、と信じ込みながら、生きている間に離れ離れになってしまう約束だった、とは思いもよらず、あの世に行ったら夫と同じユリの花に住むことになる、との望みを持ちながら歳月を送りました。

ところが突然、予期もしなかったことが起きて、捨てて来たロワールへ舞い戻って来ました。孫の姫君が男児を出産するという祝事を拝見して喜んではいるものの、その一方では夫と離れ離れになっていることが心配で悲しく、その思いが絶えることはありませんでした。結局、再会もできずに生き別れになってしまうことが残念でなりません。夫は在俗の修道僧になる以前から、人とは変わった性格で世の中をひがんでいましたが、私とは性分が合ったのか、若い時分からお互いを頼りにし合い、またとないほど信頼し、支え合って来ました。それなのに、どういった因果で、さして遠くにいるわけでもないのに、このままの別離となってしまうのでしょう」と語り続けて泣きべそをかいていました。

 

サン・ブリュー上もひどく泣きながら答えました。

「これから先、私が人より勝った生き方をしていくかどうかは分かりません。実の娘を実の娘と公言できない日陰の身ですから、どっちみち晴れがましい生き甲斐などはありもしないでしょう。そんな不安な状況の中で、気がかりな父上と別れてしまうことが残念でなりません。何事も父上のためを心がけて来ましたのに。定めがない世の中ですから、ああやって深い山中に籠り、そのまま消えて行かれるなんて、何の甲斐もありません」と二人は夜通し悲しい話を語り合って過ごしました。

 

「ヒカルさまは、私が昨日もサン・ブリュー姫に付き添っていたのをご承知ですから、私が急に消えてしまうようになるのは、軽率に思われてしまいます。私一人ならば何の心配もなさらないでしょうが、出産したばかりの姫君の事が気がかりで、自分勝手な振る舞いもできませんから」と言って、早朝に南の町へ戻りました。

「赤児はいかがでしょうか。何とかお目にかかることができませんか」と老修道女は涙を流しました。

「じきに拝見できますよ。サン・ブリュー姫もあなたのことをとても懐かしく思い出して、口にしていますよ。ヒカル様も何かのついでに『もし世の中が私の考えるように進むとすると、誕生した男児が王太子になる、といった予測はとんでもないことであろうが、祖母修道女がその時まで長生きをしてくれたら』と申されています。ヒカル様はどのようにお考えになってのことなのでしょうか」とサン・ブリュー上が告げますと、老修道女はにこにこして、「そうですね、そういうこともありますね。運命というものは様々、例がないものですからね」と喜びました。

 

サン・ブリュー上は父が託した木箱を付き人に持たせて、サン・ブリュー姫の住まいに戻ると、安梨王太子から早く戻って来るように、との催促状が届いていました。

「そのようにご要望されるのはもっともなことです。初めての男児が誕生したのですから、どんなに待ち遠しがっておられることでしょう」と紫上も話すので、内々で若宮を王宮に上げるように準備しました。

当のサン・ブリュー貴婦人は里帰りの許可が容易に下りなかったことに懲りて、こうしたついでに、もうしばらくヴィランドリー城に留まりたい思いでいました。まだ年端も行かない身で、出産という恐ろしい体験をしましたので、少し痩せ細って、大変艶っぽくなまめかしい様子でいます。

「このようにまだ身体を休ませる必要がありますから、こちらで静養を続けた方が」とサン・ブリュー上などは案じましたが、「こんな具合に面窶れしているのも、かえって気がひかれるものだから」とヒカルは言って、紫上の肩を持ちました。

 

紫上などが自室に戻って行って、ひっそりした夕刻、サン・ブリュー上は娘に近寄って、祖父修道僧が送った木箱を見せました。

「かねて私どもが願っているように、貴女が王太子の正后になるまでお見せしない方が良いと思いましたが、定めがない世界ですから気になりまして。ともかく何事でもご自分で判断できるようになるまでに、私の身にもしものことがあったりしたら、と考えたりもしまして。と申しても今の貴女から見ると、臨終の際に看取っていただけるほどの身分でもありませんが、私がまだしっかりしているうちに、ちょっとしたことを話しておくべきだ、と存じます。

この願文は、貴女の祖父修道僧が書かれたもので、読み辛く奇妙な筆跡ですが、読んでみてください。願文が入ったこの箱を手近な書棚などに保管されておいて、しかるべき折りに必ず眼を通して、聖地への巡礼などで、ここに書かれていることを果たしてください。但し親しくもない方々に漏らしてはいけませんよ。ここまで貴女の幸運を見届けましたので、私も世を背いて修道女になろうと考えていますから、何かにつけのんびりした心構えではいられません。

 それにしても紫上の志しをおろそかに思ってはなりませんよ。大層有難く貴女に接せられて、貴女への深い愛情を見ていますから、私よりも格段に勝っている上に、長生きもされることと感じています。元々、私は貴女の付き添いを控えた方が良い身分なので、貴女の養育は紫上におまかせしたのですが、長い間、こうまでのお世話をされることはないだろう、と世間並みな考えをしていました。今では、これから先のことも安心していますよ」などと色々なことを話しました。

 

サン・ブリュー貴婦人は涙ぐみながら聞き入っていました。母と娘の関係ですから、睦まじい会話をしても構わないのですが、母の方はいつも遠慮がちにして、控えめにかしこまっています。

祖父修道僧の手紙はひどく異様で力強く、愛敬もない筆跡で、年数がたって黄ばんでぶくぶくした羊皮紙五、六枚に、それでも良い香りを深く薫き染めて書かれていました。サン・ブリュー姫は読んでいくうちに「とても哀れ深い」と感じたのか、段々と額髪が涙で濡れて行く横顔が上品で艶っぽく見えました。

 

すると第三王女の住まいにいたヒカルが中廊下のドアを開けて、不意に入って来ました。願文を隠す余裕もないので、サン・ブリュー上は衝立を少し引き寄せて自分は隠れました。

「若宮は私に驚いて目を覚ましてしまいましたか。ちょっとした間でも恋しくなって」とヒカルが話しますと、サン・ブリュー姫は答えないままでいるので、代わってサン・ブリュー上が衝立の蔭から「赤児は紫上がお連れになりました」と返答しました。

「それはけしかんことだ。あちらは赤児を独り占めにして懐から放さないから、自分のせいなのに衣服を赤児の小水ですっかり濡らしてしまって、着替えばかりしているようだ。なぜそう軽々しく赤児を渡してしまうのかね。紫上の方からこちらに出向いてお世話すべきなのだが」と話しますとサン・ブリュー上が答えました。

「それはあまり思いやりがないお言葉ですよ。女児であったとしても、あちらが面倒を見てくださるなら結構なことなのに、まして限りなく尊いと言われる王家の男児をお世話してくださるのは安心できることです。ご冗談でも、そのように紫上を分け隔てしてしまうことを、さしでがましく話さないでください」。 

 

ヒカルは笑いながら、「ということはお世話は二人にまかせて、放っておいてくれ、ということだね。このところ、誰も誰もが私を除け者にして、『でしゃばったことを』などと言い合っているのは、おかしなことだ。あなたからして衝立の裏に隠れながら冷淡なことを言っている」と言って衝立を引き離すと、サン・ブリュー上は柱に寄り掛かりながら、清げな気品を浮かべながら恥ずかしそうにしていました。

 

父が託した木箱を慌てて隠すのも体裁が悪いので、そのまま置いていたのですが、「何の箱ですか。何か深い仔細があるようだ。思いを寄せている人が長い詩を詠んで、大事に封じ込んでいるような気がする」とヒカルが訝しがりました。

「まあ、そんなことをおっしゃるなんて。近頃は若返りをされたのか、時々、合点が行かないような冗談を言われますね」と微笑みながら答えたものの、何となく沈み込んでいる様子が顔色にも出ていますので、ヒカルは首をかしげました。

 

 面倒になったサン・ブリュー上は率直に事実を打ち明けました。

「あのサン・ブリューの草庵から、父僧が内々で行った祈祷の経巻や、まだ願ほどきがなされていない願文を入れた木箱が送られてきました。『ヒカル様にもお知らせする機会があったら、お見せしてください』とのことですが、今はそのついででもないので、開けないままでおりました」。

 

「なるほど、そんなしんみりした話であったのか」とヒカルは感じ入りました。

「私がサン・ブリューを離れた後、あなたの父はどれだけ勤業に励んで暮らしていたのだろう。長生きをされて、多くの歳月を積んだ功徳は少なくないことだろう。世の中には由緒ある家系の出身で、賢い高僧と言われる方々でも、世俗に染まって濁りが深くなったせいか、『賢い』と言っても限界があって、とてもあなたの父には及ばない。本当にあなたの父僧は悟りが深く、さすがと思える気概の持ち主だった。聖人ぶって世俗を離れた顔は見せないが、内心はすでに來世に行って住み着いておられるように見られました。まして今では、気にかかる足かせがなくなって、悟りの境地に入られたのだろう。気軽に動ける身であったなら、内密で再会してみたいものだ」。

 

「今はあのサン・ブリューの住まいを捨てて、鳥の声も聞こえない山奥に入った、と聞いています」と答えると、「となると、これは遺言なのだね。手紙のやり取りをしていましたか。老修道女はどう思われていますか。親子の間柄より、夫婦の仲にはまた違った契りが特別に付随しているからね」とヒカルは涙ぐみました。

「歳を積み重ねて、世の中の有様をあれこれと分かっていくにつれ、私だって妙に恋しく思い出させる人物なのだから、在家僧と深い契りを交わした仲の人であったなら、どんなに悲しいことだろう」とヒカルが語るのを聞いて、サン・ブリュー上はこのついでに父在家僧が見た夢の話も合点が行くのではないかと思いつきました。

 

「何とも奇妙なヘブライ文字のような筆跡ですが、お目に留まる箇所も混じっているのでは、と思いますのでお見せします。『今はこれ限り』と父とは別れ別れになってしまいましたが、まだまだ悲しみが残っております」と言いながら見苦しくはない体裁で泣きました。

在家僧の手紙を手にしたヒカルは「とてもしっかりしておられる。まだまだ耄碌はしていませんね。筆跡だけでなく、あらゆる方面で随分と博識な人でしたが、ただ一点、世の中を渡る処世術が欠けていました。在家僧の祖父大臣はジャンヌ・ダルクのオルレアン攻撃でも活躍されるなど、非常に賢明で誠意を尽くして国家に仕えてくれました。『ちょとした行き違いがあって、その報いで子孫が衰退してしまった』と言っている者もいますが、ともかく女系とは言うものの、『後裔が消えてしまった』とは言われずに済むようになったのは、やはり長年の在家僧の勤業の証しなのであろう」と涙を拭いながら、手紙の夢物語の箇所に目を留めていました。

 

「『在家僧は妙にひねくれていて、筋違いの高望みをしている』と人が批判し、また私自身も『島流しの身でありながら、かりそめにせよ娘との縁組を結ばせようとするなんて』と不審に思うこともあったが、姫君が誕生した時、あなたとの契りが深いことを思いしりました。それでも眼前には見えない遠い先のことは不明瞭のままだったが、在家僧はどういう思いでおられたのだろうか。この手紙を読んで、自分が見た夢を頼みにして、一徹して私を婿に望んだ理由が分かった。普通ではありえないひどい目にあってブルターニュに漂泊したのも、この姫君の誕生のために起きたことなのだ」と、在家僧が発起した願いはどういったものなのだろうかを知りたくなったヒカルは、心の中で祈りながら、願文が入った木箱を開けてみました。

 

 その後、ヒカルはサン・ブリュー姫に向かって語りました。

「私にも貴女に捧げる願文がありますので、そのうち、ご覧にいれましょう。これで貴女が誕生した経緯も知ったことでしょうが、あちらにおられる紫上の心映えをおろそかにしてはいけませんよ。親や兄弟といった元々からの関係で避けることのできない睦まじさよりも、血のつがらない他人がかりそめの情けをかけてくれ、一言でも好意の言葉を投げてくれるのも、ありきたりのことではありません。まして実の母が貴女の世話をするのを見守りながら、紫上は最初の気持ちを変えずに貴女のことを深く親密に思っています。

昔から知られる継母話の例でも『それでも継母は上辺だけ親切そうにしてくれるだけだ』と小賢しい推察をするのが利口なように見えたりします。逆に判断を誤って自分に対して、心中では歪んだ気持ちで接する継母でも、そうとは気づいていないふりをして、隠し立てもしないで接していると、次第に哀れみを感じて『どうしてこんな子に』と罪を感じて、思い直すこともあります。  

また、普通な昔の時代でも、誠実な人同士なら仲違いをしたとしても、双方に罪がない場合は自然と仲直りをすることもあります。さしたることでもないことに、刺々しく難癖をつけ、ありそうもなく継子を突き放したりする継母だと、打ち解けることが難しく、思いやりがないことをしたりします。

 

 多くの女性を知っているわけではないが、女心の様子や趣向を見ていると、身分に応じて様々に捨てがたい心遣いがあるものです。皆それぞれ、得意とする分野があって、取柄がない者はおりませんが、そうと言って取り立てて自分の妻にしたいと本気で選ぼうとすると、中々見当たらないものです。

でもそうした中で、本当に癖がなく良い女性は、貴女の継母の紫上だけですよ。この人こそ、穏やかで善良な女性と言うべきだ、と私は思っています。善良な女性と言っても、あまり節度に欠けて、頼み甲斐がない女性も残念なものです」とヒカルは紫上のことばかりを話しますが、側で聞いているサン・ブリュー上もヒカルの言葉に頷いていました。

 

 一呼吸を置いて、ヒカルはサン・ブリュー上の方に眼を向けて、「あなたこそ、物の道理を幾らかでも理解されています。紫上と仲良く睦び合って、同じ気持ちで姫君の後見をしてください」などとそれとなく告げました。

「そんなことを言われなくとも、紫上の有難いお気持ちを感じつつ、それを朝夕の口癖にしております。私を気に食わない者と思われて、お許しがなかったのなら、私にここまでお目をかけてくださることはなかったでしょう。痛み入るくらい、人並みに扱ってくださいますので、かえって面映ゆいくらいです。数にも入らない身で、まだ生き永らえておりますが、世評を聞くのも苦しく、気が引ける思いでおります。そんな私を紫上は何かとかばってくれたりしますので、何とか姫君のお世話を続けられております」とサン・ブリュー上が答えました。

 

「別段、あなたのことを思ってのことではないだろう。ただ自分が始終、姫君に付き添ってお世話をできないのが心もとないので、その代わりをあなたにしてもらっている、ということです。それにまた、あなたが図に乗って、姫君を取り仕切っているのは自分だ、といった態度を見せないので、何事も丸くおさまっているので、安心で嬉しく思っている。何ということでもないことでも状況を理解しないで、ひねくれてしまう人が交わってしまうと、はたの者までが迷惑をこうむってしまう。そうした点で、二人とも直してもらう点もなしに振る舞っているので安心していられる」と語った後、ヒカルは紫上の住まいへ向かいましたが、サン・ブリュー上は「やっぱり、ここまで謙遜をして来てよかった」と思い続けました。

 

「第三王女が輿入れして来た後、ヒカル様の紫上への格別な思いが増した印象を受ける。確かに人より優れ、こうまで何もかもが備わっている様子なので、それも道理であるし、結構なことである。第三王女に対しては、表向きは大切にされておられるようだが、訪ねて行くことがあまりないようなのはもったいないことでもある。『紫上と第三王女は従姉妹同士の親族であるが、第三王女の方が身分が高いのだから、おいたわしいことだ』といった蔭口を聞くにつけ、自分の運勢は大したものなのだ」ともサン・ブリュー上は感じました。

 高貴な王族の第三王女ですら、思うような待遇を受けていない中にあって、立ち交わっていける身分でもありませんので、今はこれ以上、とやかく言うこともありません。ただ山中に籠った父修道僧の暮らしぶりを思いやると、悲しく心細くなりました。

 

 祖母修道女も手紙にあった「教会への善行を尽くされ、天国で」という一文を励みとして、来世での再会を思いながら暮らしていました。

 

 

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