その35.若菜 下     

    

6.山桜上(第三王女)のハープの稽古       ヒカル 四十五歳

 

 ロヨーモン(Royaumont)修道院に住む朱雀院は勤業に専心していて、王宮での政治事などに係わることはありません。春と秋に息子の安梨王が修道院を訪れる時にだけ、昔を思い出すこともありました。ただヒカルに嫁いだ第三王女の山桜上への心配だけは、捨て切ることができずにいます。表向きにはヒカルを後見として頼りにしているものの、腹違いの兄である安梨王が内々に注意を払ってくれることを頼んだりします。それもあってか、山桜上は、二位の位階を叙せられて封戸などが増えたので、その勢いが強まって、ますます花やかになりました。

 年月が経って行くにつれ、山桜上の威勢が勝っていくのを脇目で見ながら、紫上は「私の身はただヒカル殿が大事にして下さるお蔭で、他の婦人たちに負けないでいられるけれど、年を重ねていくうちに、その愛情も衰えて行くに違いない。そのような時にならない前に、修道女の身になってみたいのだが」と、絶えず思い続けていました。「けれど、ヒカル殿はこざかしい考えにすぎない、とおっしゃるだけだ」と遠慮して、はっきりと言い出すことができません。

 

 一方のヒカルは、安梨王までが妹の山桜上に特別の配慮をしていますから、自分が山桜上を粗略にしている、と王さまの耳に入ってしまうのは嫌なことなので、段々と山桜上の住まいに通うことが増え、紫上と一緒にいるのと半々づつのようになって行きました。

「そうなってしまうのは無理もないことだ」と紫上は思いながらも、「そうだから」と気安い気持ちではいられません。それでも上辺では、素知らぬ風を装って過ごしています。サン・ブリュー王妃が王太子の次に生んだ第一王女を紫上が預かって、養育するようにしてからは、王女の世話にかまっきりになって、ヒカルが不在の夜も寂しさを紛らせています。紫上はサン・ブリュー王妃の王子や王女を区別せずに、「可愛くて、愛しい」と思っていました。

 夏の町に住む花散里は、紫上が思い通りに孫たちの世話をしているのが羨ましくなって、夕霧大将の愛人エレーヌが生んだ二番目の男児を懇望して、養育を始めました。この男児は大層愛くるしく、性格も歳のわりに利発なので、ヒカルも可愛がっていました。

 かっては「自分の子供が少ない」とヒカルは歎いていましたが、孫たちが末広がりにあちらこちらで多くなっていきますので、今は孫たちを慈しんで、所在なさを慰めていました。

 

 ヒゲ黒右大臣は、以前よりもまして、ヒカルに親しく仕えています。正妻の玉鬘も今はすっかり落ち着き、貫禄がついていました。ヒカルが昔のような色めいた気配を示さないようになったせいもあってか、何かの折には玉鬘もヴィランドリー城を訪ねて、紫上とも対面して、望ましい睦まじさで対話をしています。

 山桜上だけは以前と同じように若々しくおっとりしていますが、ヒカルとしては、愛娘のサン・ブリュー姫が今では王宮の人となって、気に掛けることもなくなったことから、山桜上に非常に気を使い、まるで幼い娘のように面倒を見るようになっています。

 朱雀院から、「今はもう、いよいよ死期が近くなった心地がして、心細い思いがしている。もはや、この世のことなど顧みることはない、と覚悟はしているが、今一度、逢ってみたいと望んでいる。そうでないと、未練が残ってしまうかもしれない。大袈裟ではないようにして、修道院に訪ねて来てくれるなら」との知らせがありました。

「確かにもっともなことだ。朱雀院にそうした気持ちがなかったとしても、こちらの方から進んで山桜上を訪問させるべきだった。なのに、このように待ちかねておられたとは、心苦しいことである」と山桜上が朱雀院を訪ねて行くように、準備を始めました。

「それにしても、何のきっかけも、取り立てた趣向もなしに、ひっそりと行かせるのはどうであろうか。何らかのことをお見せしなければ」と、ヒカルは思案しました。

「朱雀院は来年に四十三歳となるが、山桜の主催で長寿を願う『若菜の賀』でお祝いしたら」と思いついて、様々な法服のことや、精進料理の手配など、何分、修道僧の身ですから、そうした点も配慮しながら、準備をさせて行きました。

 

朱雀院は昔も、管絃の遊びを好んでいましたから、舞人や楽人には格別に有能な者を選定しました。ヒゲ黒右大臣の息子二人、夕霧左大将の雲井雁とエレーヌの息子三人も選びました。また夕霧の息子で、まだ小さいものの、七歳以上の者は王宮仕えにしました。さらに兵部卿の成人式前の孫など、すべてのしかるべき親王たちの息子、名家の子供たちも皆、選出しました。王宮勤めの人たちの中で、見目形がよく、揃った舞を踊る優れ者を決めて、数々の舞を準備させました。並々ならない機会ということで、皆、懸命に練習を始めたので、それぞれの道の師匠や名人と評判の人たちは多忙になりました。

 山桜上は元々、父の朱雀院の手元でハープの稽古をしていましたが、まだ十四歳の若さで朱雀院の許を離れたので、朱雀院は気がかりに感じていて、「今度、修道院に来られる時は、ついでに娘のハープの音色を聞きたいものだ。いくら何でも、私が仕込んだハープだけは物にしてくれたであろう」と陰で話しているのが、王さまにも伝わりました。

「何と言っても、格別に上達したことであろう。父の朱雀院の前で奥義を披露する、ということなら、私も伺って聴いてみたいものだ」と安梨王が話しているのを、ヒカルは伝え聞いて、「年来、適当な機会がある場合に、ハープを教えて来た。確かに大体のことは上達しているが、お聞かせできるような深い味わいがる段階には達していない。何の準備もなしに朱雀院の許を訪れた機会に、『是非とも、聴かせて欲しい』と所望された場合、ひどく体裁が悪い結果になってしまったら」と気遣って、この頃になって、熱心にハープの稽古をつけてあげるようになりました。

 

 調べが異なる曲目を二つか三つ、面白いものの長くなる大曲類の場合では、四季に応じて響きを変え、寒暖の違いで調子を整えるなど、並大抵ではない技術の限りを、取り立てて教え込んで行きました。まだまだ心もとないようでもありましたが、段々と習得していき、非常に上手になっていきました。

「日中は人の出入りが繁くて、左手で弦を押したり揺らしたりする、微妙な動作をするには落ち着かない。夜になって静かな時にじっくり教える必要がある」と言って、その頃は、紫上にも了解してもらって、朝から晩まで教え込んで行きました。

 サン・ブリュー王妃にも紫上にもハープは教えたことはなかったのですが、「こうした折りに、めったに聴けない耳馴れない曲を弾くのではないか」とサン・ブリュー王妃も聴きたがって、「ほんのちょっとだけ」と特別にお暇をもらって、ヴィランドリー城に下がって来ました。すでに王子と王女の二人を産んでいましたが、またも懐妊の気配が見えて、四か月目に入っていました。「妊娠中は王宮での神事は遠慮すべき」とするしきたりも理由付けにして、退出することができました。

 十一月に入ってからは、「すぐに王城に戻って来るように」との催促がしきりにありましたが、滞在中の「こんなに面白い夜ごとの管絃の遊び」が羨ましく、「どうして私には教えてくれなかったのだろう」とヒカルを恨みました。

 

 人と違ってヒカルは冬の夜の月を好んでいますから、風情がある夜の雪の光りに、季節に合わせた曲などを弾き奏でます。仕える侍女たちの中で、少しこの方面に心得がある者に、ハープなどをとりどりに弾かせて楽しみました。年の暮れになると、紫上はサン・ブリュー王妃や王子たちの世話や仕度で多忙となってしまったので、「春のうららかになった夕べなどに、是非とも山桜上のハープの音を聞きたいものです」と言い続けているうちに、年が改まりました。

 

 

7.朱雀院の若菜の賀の準備と女楽       ヒカル 四十六歳

 

 朱雀院の「若菜の賀」は、まず王宮で執り行うことになり、そのものものしさとかち合ってしまうと具合が悪い、とヒカルは考えて、少し間隔を置いて、三月十日過ぎの開催としました。その下稽古で楽人や舞人などが始終、ヴィランドリー城にやって来るので、合奏が絶えません。

「紫上はいつも貴女のハープの音を聴きたがっているが、この城にいる婦人たちのチェンバロやリュートの音も合わせた女楽を試みてみたい。今の世の中で、上手などと言われる者でも、ここにいる婦人たちの心配りに勝ってはいない。きちんと指導を受けたことは私にはあまりないが、子供頃に『何事においても、何とかして知らないことはないようにしよう』と考えたので、世間にいる道々の師匠と言われるほどの者、また由緒ある名家のしかるべき人の伝えなどをも、あますところなく学んで試してみた。それでも、非常に深く感銘する、と思えるような者は存在しなかった。その当時の人たちに較べて、最近の若い者は、洒落こんで由緒ありげに気取ったりして、浅薄になっているようです。ましてハープを学ぶ人はあまりいなくなった、とも言います。貴女が弾くハープの音色ばかりは、ここまで伝えて来た人はほとんどいないでしょう」と褒めました。

「嬉しいこと。ようやく認めていただける程に上達した、と思います」と山桜上は無邪気そうに微笑みました。年齢は二十一か二になりますが、まだまだひどく未熟で、子供っぽい印象も与えますが、華奢ながら可愛く見えます。

「朱雀院にお会いしないまま、歳月が流れてしまったね。すっかり大人びた、と思われるように準備されて対面するのですよ」と、折りに触れてヒカルは諭しました。侍女たちも、「本当に、このような後見役がおられなかったら、まだまだ子供っぽいままでいる様子を隠すことができなかっただろう」と二人を見やっていました。

 

 二月二十日過ぎになると、空も緩めいて来て、なま暖かい風が吹いて、庭の梅のつぼみが盛んに吹き出して来ました。大抵の花木も皆、新芽を兆し出して、林が霞渡ります。

「月が変ると朱雀院の若葉の賀が間際となって、何かと物騒がしくなるだろう。そんな時分にハープの音の掻き合わせをすると、直前の試演のようになって、言い触らされてしまう。静かな今のうちに、女楽を試みてみよう」と言って、ヒカルは紫上を山桜上の住まいへ誘いました。

紫上の侍女たちも好奇心を駆り立てられて、「私も、私も」とお供を希望しますが、紫上は音楽の方面に疎い者は省いて、少し年長になっていますが、心得がある者だけを選んで、お供につけることにしました。女童として見目形が良い四人を選びました。赤色の表着に、桜色の重ね上着、薄紫色の織物の中着、浮紋の上に紅色を打ったスカートを着せて、容姿も態度も優れた者が選ばれています。

サン・ブリュー王妃の住まいも、部屋の飾りつけが一新されて晴れやかになり、侍女たちは競い合って着飾り、鮮やかなことは二つとない光景です。童女は青色の表着に、紫がかった赤色の上着、中着に黄色のイタリア製の模様を浮かせた絹織物を、揃いで着ています。サン・ブリュー上の童女は派手にはしないで、紅梅の重ね着が二人、桜色の重ね着が二人、青磁色ばかりで濃く薄く打ち目模様をした、何とも言えない中着を着せています。

山桜上側でも、女楽にこれだけの女性たちが集まって来るのを知って、童女の身なりだけは、格別な装いにさせました。青丹の表着に、柳色重ねの上着、葡萄色染の中着など、特別に好ましく、目新しいとかいったものではありませんが、全体の印象は立派で気品があるものでした。

 

 控えの間との中仕切りを取り外して、内カーテンだけを境目にして、中央の間にヒカルが座る席を設けました。

「今日の拍子合せの役に、童子たちを呼ぼう」とヒカルが指示して、玉鬘の最初の男児にバグパイプ、夕霧左大将の長男に横笛を持たせて、脇に座らせました。室内にはクッションが並べられて、ハープなど楽器類が置かれました。立派な紺地の袋などに入れられた秘蔵のハープなどが取り出され、サン・ブリュー上にはリュート、紫上にはフランス型ハープ、サン・ブリュー王妃にはチェンバロが渡されました。山桜上には「こうした大層な名器はまだ弾きこなせないだろう」と危うんで、ヒカルはいつも弾き馴らしたハープを配置しました。

「チェンバロは、弦が緩んでしまう、というわけではないが、やはり他の楽器と合わせた際の調子となると、鍵盤の位置がずれてしまうことがある。その点をよく留意して調整すべきだが、女性だとうまくできない。やはり夕霧大将を呼んだ方が良いだろう。笛を吹く奏者はまだごく子供にすぎないから、拍子をうまく合わせていけるのか、心もとない」とヒカルは笑って、「夕霧大将をここに」と呼びましたので、婦人たちはきまり悪く思って、気を引き締めています。

 

 リュートを弾くサン・ブリュー上を除いては、皆ヒカルの生徒たちなので、ヒカルも気がかりになって、「大将が聴くのだから、仕損じがないように」と心配していました。

「サン・ブリュー王妃は、いつも安梨王の前で披露する場合も、他の楽器との合奏で弾き鳴らしているので心配はないが、紫上が担当するフランス型ハープは、さほどのことがない調べであるが、定まった型がないので、中々、女性の手に負えないものだ。通常、ハープの音色は他の楽器と揃えて掻き合わせをしていくものだが、調子が狂ってしまう箇所もありやしないか」とヒカルは気がかりに思いました。

 急にヒカルから呼ばれた夕霧は、大層緊張して、「王さまの前で厳粛に改まって披露するよりも、今日の女楽の気遣いは特別なものになる」と感じたので、鮮やかな上着や香りが染み込んだ衣服の袖を充分に薫きしめていました。身づくりをして参上した時分には、すっかり日が暮れていました。

 

 趣深い黄昏時の空に、梅の花が昨年の雪を思い出させるほど、枝がたわるほど咲き乱れていました。緩やかに吹く風に乗った梅の花の香りが、内カーテンの内側の芳香と一緒に漂って、(歌)花の香りを 風と寄り添わして 黒歌鳥を誘い出す 道しるべにしている といった気配にさせてしまうように、室内には素晴らしい香りが漂いました。

 ヒカルは内カーテンの下からチェンバロの端を少し押し出して、「失礼なようだが、この弦の張り具合を調整して欲しい。こんな所に、よく知らない人を入れるわけにはいかないから」とヒカルが依頼すると、夕霧はかしこまってチェンバロを受け引き取りました。余裕がある夕霧は感じよく弦を調整して、別段、試し弾きもしないでいました。

「やはり一弾きぐらいはやってくれないと、興覚めだね」とヒカルが話すと、「とは申されますが、本日の女楽の遊び相手に交じるような腕前など、持ち合わせていないと感じます」と夕霧は思わせぶりに答えました。

「それもそうだろうが、『女楽の相手も出来ずに逃げ出してしまった』と人に噂されたら、不名誉になるだろうに」とヒカルは一笑しました。

 そこで夕霧は調子を合わせて、興をそそる程度に掻き合わせだけを弾いて、チェンバロを内カーテンに戻しました。ヒカルの孫らが大層美しい宿直姿で、笛を吹き合わせましたが、奏でた音は、まだ幼い感じではあるものの、先行きの上達が思いやられる素晴らしさでした。

 

 ハープなどの調整がすべて終わり、合奏が始まりました。どの婦人も優劣がつきませんが、その中でもサン・ブリュー上が弾くリュートが勝って上手で、年季が入った手さばきが澄み切っていて、興味深く聴こえました。紫上が奏でるフランス型ハープに夕霧大将も耳を傾けましたが、親しみが持てる愛敬づいた爪音で掻き返す音色が珍しく、今風で、その上、この道を専門とする名人たちがものものしく掻き立てる調べや調子に劣らず華やかなので、「フランス型ハープにもこうした手法があったのか」と夕霧は感嘆しました。深く辛苦して精進した成果が明白で面白いため、ヒカルも一安心して、紫上に有難い思いがしました。

 サン・ブリュー王妃のチェンバロは、他の楽器の音の合間々々にほのかに漏れ出る音柄で、美しく上品に聴こえます。山桜上のハープはまだ熟練はしていませんが、熱心に稽古をしている最中ですから、危なげはなく、他の楽器の音色とうまく響き合っているので、「上達ぶりを見せるハープの音色だ」と夕霧は聴いていました。

 夕霧は拍子を取りながら歌い出しました。ヒカルも時々、扇を打ち鳴らしながら、夕霧に加わって歌いましたが、昔よりもはるかに興趣が出ていて、少し声が太く重々しさが加わったように聞こえます。夕霧大将も声が非常にすぐれている人でしたから、夜が静かに更けて行くにつれて、言いようもなく思い出に心が残る、夜の女楽の遊びとなりました。

 

 月の出が遅く、待ち遠しい頃なので、あちらこちらに燈籠が掛けられ、明かりがほどよい加減で灯っていました。ヒカルが山桜上を覗いてみると、他の誰よりも目立って小さく可愛げで、ただ衣服だけがあるような印象を与えます。花やかな美しさは乏しいのですが、ただとても気品高い美しさがあって、二月の二十日頃の青い柳がわずかに枝垂れだした感じがあり、黒歌鳥の羽風にも乱れてしまいそうなくらい華奢に見えます。桜色の細長のドレスを着て、髪は左右にこぼれて柳の葉糸のようです。

「これこそ王族の高貴な女性のありようなのだ」と見えます。これに対し、サン・ブリュー王妃は同じような優美な姿でしたが、今少し生彩さが加わっていて、態度や雰囲気も心憎く、由緒ありげな様子で、見事に咲きこぼれる藤の花が初夏に入って、他に並ぶ花もない朝ぼらけの印象を与えています。

 あいにく妊娠しているため、腹部がふっくらとして、気分が悪くなったのか、チェンバロから離れて、ソファにもたれかかっています。小柄な女性がなよなよと寄り掛かっているソファは、普通の大きさなので、背伸びをしている恰好になってしまっていて、特別に小ぶりのソファを作ってあげたいように感じさせるいじらしさでした。紅梅の衣装に髪がさらさらと清らかに垂れた火影の姿は、世にはない美しさでした。

 紫上は、薄紫色の葡萄染めでしょうか、色の濃い上着の下に薄く紫がかった赤色の細長ドレスを着て、床に届くばかりの長髪がたっぷりとゆらゆらしています。背丈などもほどよく、容姿も申し分ありません。辺り一面に匂いを放つ印象を与え、花なら桜にたとえられますが、実際は桜よりも勝っている気配は格別でした。

 

 三人の王家出自の三婦人に交じるサン・ブリュー上は、三人に圧倒されてしまうようですが、そうでもなく、物腰など恥らいを見せながら、内心の奥深さがうかがわれて、何と言うこともなく上品で艶っぽく見えます。柳色の織物の細長ドレスに、黄色がかった薄緑色のような上着を着て、身分の低さを示す薄織りの目立たないスカートを着て、ことさらに卑下しているように見えますが、その気配も心構えも侮りがたいものでした。フランドル製の青地の錦で縁取りしたクッションにまともには座らず、リュートをちょっと抱いて、ほんの少し弾きかけて、しなやかに使いこなす指の使い方は、音色を聴く以上に、比類のない情緒があります。(歌)五月を待つ オレンジの香をかぐと 昔の人の袖の 香りがする といったように、オレンジを花も実も一緒に折り取った薫りを思わせます。

 

 内カーテンの中にいる四人の婦人方のどなたも、気を張りつめている様子を感じ取る夕霧大将は、実際に内カーテンの中を覗いてみたい思いがしました。あの大嵐の際に目撃した頃よりも、一層円熟されたに違いない紫上の様子を知りたくて、心が落ち着きません。

「第三王女の山桜上は、もう少し縁があったら、我が物にしてお世話をすることができた。自分の気持ちがゆったりすぎたことが悔しい。朱雀院も度々、そうした意向を見せて、陰でそんなことを言われていた」と自分を恨めしく思います。それでも、少し隙がありそうに見える気配を軽んじる、というわけではありませんが、さほど心を動かすことはありません。むしろ義理の母にあたる紫上とは、何事につけても手の届くすべがない高嶺の花の状態で、長い年月が過ぎていますので、「何とかして、何の底意もなく、ただ好意を寄せている様子だけでも知って欲しい」といったことだけが残念で、嘆かわしいことでした。もちろん、道を外したあるまじき心などは持ち合わせてはおらず、その点はきちんと抑制していました。

 

 

(ヒカルと夕霧の音楽談議)

 夜が更けてゆく様子は冷え冷えとしています。十九日目の臥待の月が、わずかに顔を出して来ました。

「春の朧月夜ははっきりしない。しみじみとした秋だと、こういった楽器の音色に木々の音がうまく合わさって意味ありげで、何とも言えずに響いてくれる心地がする」とヒカルが話しました。

 これを受けて夕霧は「秋の夜の澄み切った月の下では、あらゆる物がくっきりと見え、ハープや笛の音もすっきりと澄み渡る心地は確かにします。けれど、ことさらに作り合わせたような空の気色、草花の露も目移りがしてしまうので、興趣に限りがあります。春の空のはっきりしない霞の間から射す朧な月光と、静かに笛を吹き合わせていく、というのは秋の夜に較べていかがでしょうか。秋の夜は笛の音も艶やかに澄み切っていきますが、『女は陽気な春に惑わされて、男を思う』と古人も言っているのは、まさにもっともなことです。物の調べがしっくり調和するのに、春の夕暮れこそ、格別なものです」と言い返しました。

 

「確かに春秋の優劣については、古くから判断しかねていることだから、後代に生きる者が論じあっても決着はつかないだろう。楽器の調べや曲目では、春の長調の次に、秋の寂しく暗い感じがする短調が置かれているのだから、君にも一理ある」とヒカルが応答しました。

「どういうわけか、今の時代で有能だと評判の高い誰や彼などが、王さまの面前で度々、演奏させられるが、優れた奏者は数少なくなっているようだ。彼ら以上という顔をしている名人たちにしても、大して修行を積み重ねていないようだから、今夜の女楽のほんの一握りの女性たちに混ぜて弾かせたとしても、抜きん出ているとは思えない。とは言っても、久しく引き籠って暮らしているので、耳が少し弱って鑑賞力が落ちた、ということなら口惜しいことだが。それにしても、この城にいる婦人たちは妙に才気があり、光栄なことに上達が速い点で勝っている。王さまの遊宴に選ばれる一流どころと、ここの婦人たちと、どちらが上であろうか」とヒカルは続けました。

「実は私もその点を話してみたい、と思いましたが、音楽についてはあまり明るくないので、『偉そうに言ってしまうのも』と考えていました。昔の時代のことは聞き及んでいませんが、近頃では衛門督の柏木のフランス型ハープ、兵部卿のリュートなどこそ、珍しく優れた例に挙げています。この城の婦人方は並びない腕前だ、と聞いてはおりましたが、今宵聴かせていただいた音色は皆等しく、我が耳を驚かせました。実を言うと、今夜の女楽は特別とは言えない遊宴と、たかをくっていたせいか、不意を突かれて自分自身驚いてしまい、楽器に合わせて歌うのがやり辛くなってしまいました。

 

 フランス型ハープに関しては、柏木の父である太政大臣こそ、その時々に応じた、工夫を凝らした音色を臨機応変に掻き立てられるのが、非常に格別なものでした。太政大臣を抜きん出る者はめったにおりませんが、紫上はフランス型ハープをとても立派に調べておられました」と夕顔が褒めたたえました。

「いやいや、それほど大したものでもなかったが、気を使って、『立派だった』と褒めてくれるのか」とヒカルは得意顔で微笑みました。

「なるほど皆、悪くはなかった。私は良い生徒たちを持ったものだ。但しサン・ブリュー上のリュートだけは口をはさむことは出来ない。そうは言っても、彼女の演奏は別格であろう。思いがけない場所で初めて聴いた時は、『珍しい音色だ』と感心したが、その頃より格段に上達した」と強引に自分の手柄であるかのようにこじつけてしまったので、仕えている侍女たちなどは、そっと肩や膝をつつき合って笑っていました。

 

「どんな芸事も、それぞれの道を習う場合、才芸というものが、いずれも際限がないもののように思いながら、自分自身が納得するまで習得していくことは非常に難しいことだが、どうであろうか。今の時代では、そこまで深くたどり着く人がめったに存在しないが、片端だけでも無難に習得できた人なら、それを一つの取り得として満足しても良いだろう。

 ところがハープだけは面倒なものだから、手に触れにくい物である。このハープという芸は、古法の形式のままに習得した昔の人は、天地を揺れ動かし、鬼神の心をやわらげ、あらゆる楽器がハープの音に従って、悲しみの深い者も喜びに変っていく。これがため、賤しく貧しかった奏者も、高い身分に改められ、財宝を得て世の中に認められていく例が多くあった。ハープが我が国に正式に伝わる初期の頃まで、ハープを深く修得したい人は、多くの年を見知らぬ国で過ごし、自分の命を投げ打って、『この道を会得しよう』と惑いながらも、習得するのは困難なことだった。明らかに空の月や星を動かし、時節でない霜や雪を降らせたり、雲や雷を騒がした例は、確かに遠い昔にはあった。

 そういったように、ハープは限りもなく高尚なものだから、その伝法どおりに習得した人は貴重であったが、今の時代になってしまうと、どこにその古法の一部分だけでも残っているのか、という状況になってしまっている。けれど依然としてハープは鬼神の耳に止まり、聴き入ってしまう楽器であるから、中途半端に学んで思いが叶わなかった類のこともあったので、『ハープを弾く人には禍いが来る』といった難癖をつけ、嫌みを言うようになり、今ではほとんど弾き伝える人がいなくなった、とも言われている。非常に残念なことだ。

 ハープの音を除くと、何を基準として音律を調整することができるであろうか。確かにあらゆるものは、衰え出すとその速度は増していく世の中であるが、志を立ててイタリアやフランドルを一人で渡り歩いて、親や妻子を顧みない者は、世の中の偏屈者と見られてしまう。まあ、そこまでしないまでも、少なくともハープの道を一通りは知っておく糸口くらいは承知していたいものだ。曲の一つを充分に弾きこなすだけでも、際限がないものだ。まして、多くの調べや煩わしい曲目が多くある中で、熱中して習得に励んだ最盛期には、世の中に存在し、我が国に伝わった楽譜のあらん限りを集めて見較べた結果、しまいには師匠とすべき人もなくなってしまった。自分はハープの道は独学で習得した、ということだが、それでも古人に及ぶべくもない。ましてこれから後というと、伝える者すらいない、というのは誠に寂しいことだ」などと語りましたが、夕霧は父の博識ぶりに頭が下がりました。

 

(女楽の後半)

「サン・ブリュー王妃が生む子供たちの中で、私が期待するように音楽に才覚がある者が出てきたら、仮にそれまで私が生きながらえているなら、いかほどのことではないが、自分が習得している手くらいは伝えてみたい。二番目の子には今から才覚があるように見える」などとヒカルが話すと、サン・ブリュー上は光栄に感じながら、涙ぐみながら聞き入っていました。

 サン・ブリュー王妃はチェンバロを紫上に譲って、ソファに寄り臥しました。そこでフランス型ハープがヒカルに渡されて、これまでよりくつろいだ遊宴になりました。

 流行り歌「アミアン(Amiens)」が演奏されました。明るく面白いものとなりました。ヒカルが繰り返して歌う声はたとえようもなく情愛がこもっていて、楽しいものでした。段々と月が上がって来るにつれ、花の色も香りも鮮やかになって、本当にとても心憎い夜になりました。

 サン・ブリュー王妃が弾くチェンバロ筝の音色はとても可憐でなつかしげで、実母の奏法も加わって、左手で弾く音色が深く、見事に澄んで聞こえますが、これに対し、紫上の奏法はまた様子が変わって、緩やかな面白さがあり、聴く人を何となく浮き浮きさせるような愛嬌があり、輪の手の手法など、すべて一段と才気がある音色になっていました。調子が長調から短調に変わりましたが、短調での掻き合わせは優しげに当世風なものになりました。

山桜上はハープの五種の調べに多くの手がある中で、注意すべき弾き方をしなければならない五弦と六弦のはじき方を大変面白く鮮やかにこなしました。少しも危なげがなく、非常によく澄んで聞こえました。春や秋、どの季節にも通用する調子を使いこなしながら、弾いていきました。ずっと教えて来た心遣いを、間違えずにすっかり会得した、とても美しい音色でしたので、ヒカルは晴れがましく思いながら聴き入っていました。

 

 内カーテンの側にいる童子たちが、とても可愛らしく笛を吹き立て、一生懸命に心をこめているのを、ヒカルはいじらしく感じました。

「さぞかし眠たくなっていることだろう。今宵の遊宴は長くしないで、早めに切り上げる積りでいたが、奏でられる音色が際限もなく、どの音が勝っているのかを聴き分けるには、耳が鈍感なせいか、見極めがつかないうちに、ひどく夜が更けてしまった。童子たちには気の毒なことをした」とヒカルは言って、バグパイプを吹いた玉鬘の息子には、杯を差し出した後、服を脱いで授けました。横笛を吹いた夕霧の長男には、紫上から織物のドレスやスカートなどが、仰々しくならない程度に形式的に贈られました。

夕霧大将には、山桜上から酒杯が差し出され、山桜上の衣装一揃いが授けられましたが、それを見たヒカルは「妙なことだな。まずハープの師匠にこそ、褒美を出すべきだろうに。情けないことだな」と冗談ぽく言いますと、山桜上が内カーテンの脇から笛を差し出しました。笑いながらヒカルは笛を取りましたが、見事なフランドル笛でした。皆は退出する途中でしたが、ヒカルが笛を吹き鳴らし出すと、夕霧が立ち止まって息子が持っている横笛を取って、とても面白く吹き立てましたが、きわめて美しく聴こえました。

紫上、山桜上や夕霧など、誰も誰もが皆、ヒカルが手ずから伝授した人たちで、それぞれが揃って類ない上手になりましたので、ヒカルは教え手としての才覚に満足しました。

 

 夕霧大将は子供たちを馬車に乗せて、澄んだ月光の下を帰宅して行きました。アゼイ・ル・リドー城への道すがら、紫上が弾いたチェンバロは人と違った素晴らしい音色だったことが耳から離れず、恋しく思い出しました。自分の正妻の雲井雁は亡くなった祖母の大宮から教えを受けたのですが、本格的に習う前に先立たれてしまったので、ゆっくりした稽古をすることがありませんでした。これがため、夫の夕霧の前では恥ずかしがって、決して弾くことはありません。何事にもただあっさりとゆっくりした物腰で、次々に誕生する子供たちの世話で忙しくしているので、夕霧は面白みがない思いでいました。それでも、機嫌を悪くして嫉妬をするところは愛嬌があって、愛らしい人柄でもありました。

 

 

                著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata