その36.柏木     ヒカル 満47

 

3.朱雀院の見舞いと山桜上の出家。物の怪の出現

 

 朱雀院は「山桜上の初産が無事に済んだ」と聞いて、しみじみ会ってみたいと思いますが、加減がよくないといった知らせだけが届くので、「どうなっているのか」と勤業も乱れがちに心配していました。すっかり衰弱していた山桜上は幾日も物を食べずにいたので、いやが上にも頼りなさそうになってしまって、「長いこと会っていない日々よりもさらに一層父院が恋しくなって、ひょっとしたらもうお目にかかれないのでは」とひどく泣いていました。

 ヒカルはしかるべき人を通じて、山桜上の状態を伝えました。朱雀院は「とても我慢できず、悲しいことだ」と心配して、してはいけない行動だと承知しながらも、夜陰に紛れて、急遽ヴィランドリー城に向かいました。

 

 事前の通知なしに朱雀院が突然訪ねて来たので、ヒカルは驚くと同時に恐縮してしまいました。

「もう世俗のことは顧みないことに決めていたのだが、いまだに煩悩を捨てきれずにいるのは(歌)人の親の心は 闇というわけではないが 子を思う道では 分別をなくしてしまう といった心境で、勤行も怠ってのあるべき筋道でないものの、万が一、後に留まるべき者が先立って死に別れをしてしまったなら、『このまま会わずに終わってしまう恨みはそのまま遺恨となって残ってしまう』といった味気ない気持ちになってしまったので、世間の謗りもいとわずに、こうして訪ねて来てしまった」と心境を説明しました。

 修道僧の姿ですが優雅で親しみが持て、目立たないように質素な身なりをしていました。美麗な正式の祭服ではなく、黒く染めた服を着た姿はその場に似つかわしく、清らかに見えるので、ヒカルは羨ましくなりました。

 ヒカルは例のように真っ先に涙を落としてから、「容態は特にどうといったわけではありませんが、ただここ数か月の衰弱に加えて、物をしっかり食べないようになってしまい、重くなってしまいました」などと説明しました。

 

「気恥ずかしい席でありますが」とヒカルは内カーテンの前に座席を設けて、朱雀院を招き入れました。侍女たちが何やかやと身なりを整えてから、山桜上をベッドから下ろして、内カーテンの前に座らせました。

 朱雀院は内カーテンを少し開けて、「夜勤の僧のような気がするが、まだ効験を具現するほどの修行を積んでいないのが生憎なことです。ただ私のことが気掛かりで、逢いたがっている様子を聞いたので、私の姿をじっくり見つめてご覧なさい」と言って目を拭いました。

 山桜上も大層弱々しく涙を流して、「もう命が助かるとは思えません。こうしてお越しになられたついでに、私を修道女となる教戒を授けてください」と願い出ました。

「そういった志があるのは誠に尊いことです。とは言っても人の寿命は分からないものであるし、先行きが長い若い人なら修道女になったことに中途で迷いが生じて、世間の人の非難を受けてしまうことにもなりかねない。それだから差し控えていた方が良いだろう」と返答したものの、「いつぞや、やはり何か不都合なことがあったのではないか」といった予感が頭をよぎったことを思い出して、何となく事情が飲み込めました。

 

 朱雀院は側にいるヒカルに「まあ、本人がこう進んで言っているのだし、本当に助かりそうもない様子なら、しばらくの間でも修道女にさせて天の助けがあるようにしたら、と思うのだが」と告げました。

「このところ、そのようなことを話しておりますが、物の怪などが人の心を惑わして、そういった考えを起こすように仕向けているのではないか、と感じて聞き入れないようにしています」とヒカルが応答しました。

「たとえ物の怪の勧めであるとして、それに負けたといって悪い方向になってしまうなら、止めなければならないが、衰弱した者がこれが最期と感じて願い出ていることを聞き過ごしてしまうと、後になって後悔して心苦しくなってしまう」と朱雀院は言い返しました。内心では「すっかり安心して任せられると考えて、私の大事な王女を引き取ってもらったものの、そんなにも愛情が深くはなく、私が期待したようには扱ってはいない気配を何かにつけて噂に聞きながら、どうしたことかと思いあぐねていた。そんなことを顔色に出して恨んでみるべきではないが、世間の人が感じ取って噂していることが口惜しい」と思っていました。

「こういった機会に修道女になったとしても、何も物笑いになることも、世を恨んでのことといった気配にも見えることはないだろうから、それで不都合があるだろうか。ヒカル殿は今後も一通りの面倒はしてくれる意向を見せているし、ただ単に王女を預けているのだ、とみなして、憎み合って別居したという風にではなく、亡き母の紫陽花太后が遺産として残してくれた、広くて興趣もある城がパリ南西のランブイエ(Rambouillet)にあるので、そこを手入れして住まわせることにしよう。自分が生きている間は、修道女だとしても不安になることはないだろうし、またヒカル殿が何やかや言ったとしても冷淡に見捨てることもないだろうし、その態度を見届けることもできる」と思い立って、「それなら、折角この城にやって来た機会に、教戒を受けさせて、神との結縁をさせよう」と言い切りました。

 

 ヒカルは山桜上の過失を恨めしく思うことも忘れて、「一体どういうことになったのだ」と悲しく残念にもなって堪えることができません。内カーテンの中に入り、「先が長くもないこの年寄りを振り捨てて、なぜこんなことを思いついたのですか。まあ、今しばらくは心をよく静めて、薬湯を飲んでしっかり物を食べなさい。修道女になるのは尊いことだと言っても、身体が弱くては勤行もよくできませんよ。ともかく養生をしっかりされて回復することです」と話しますが、山桜上は頭を振って「今になってとても辛いことを言われても」と思っていました。

「さては表面ではさりげなく振る舞いながら、心中では私のことを恨めしいと思っていたのか」とヒカルは感じ取って、さすがに山桜上がいとおしく不憫になりました。

 

 あれやこれやとヒカルが説得するので、山桜上の決心がつきかねているうちに夜明けになってしまいました。

「修道院へ戻るのに昼間だと目立って不体裁であるから」と朱雀院は教戒を急がせたので、祈祷のために待機している僧の中から、位が高く有徳な者を呼んで、髪を短く切ることを命じました。まだ若い盛りのふさふさと清らかな髪を切り、教戒を受ける光景は悲しく残念なので、ヒカルは堪えることができずに、しみじみと涙を流しました。朱雀院としても、元から山桜上をとりわけ格別な存在に思って、誰よりも幸せにしてあげたいと望んでいたのに、現実の世の中では叶えることが出来なくなってしまったので、言いようもなく悲しく、涙ぐんでいました。

「こうやって心静かな境地に入っても、同じことなら祈りだけはしっかり勤めなさい」と話した後、朱雀院は日が明けきらないうちに急いで立ち去ります。山桜上はなおも弱々しげに息も消え入るようにしていて、父院をきちんと見送ることも、別れの挨拶もできずにいました。

「夢のように過ぎてしまった思いがして、気が転倒してしまいました。なつかしいお顔を拝見できた今回のご来訪のお礼を言えないままの非礼は、改めて伺ってお詫びを申し上げます」とヒカルは話して、修道院までへのお供に多くの人をつけました。

 

「私の寿命も今日か明日かのように思えます。第三王女が他に面倒を見る人がなく、世間の荒波にもまれてしまうことがいじらしく、ほっておけないように思ったので、貴殿の本意ではなかったでしょうが、お世話をお願いしてずっと安心していました。もし王女の命が助かったとするなら、もう姿を変えた修道女になったのですから、人が大勢出入りする場所は不似合いです。そうと言っても人里離れた適当な場所に住むのも、さすがに心細いことだろう。その時の状況に応じて、今後もどうか王女を見放さないようにお頼みします」と朱雀院はヒカルに告げました。

「そこまで重ね重ね話されると、かえってこちらが恥じ入ってしまいます。あれこれと思い乱れてしまい、まだ心が落ち着いていませんので、判断をつきかねています」とヒカルは本当に堪え難い思いで返答しました。

 

 夜半過ぎの祈祷の時に、物の怪が現れました。

「あの人を修道女にしたのは私の怨念からです。貴方がもう一人の女性を取り返した気になっているのが癪に障ったので、さりげなくこちらの女性に取り憑いたのです。今これから離れていきますよ」と笑いましたが、まことに浅ましいことです。

「それではあのメイヤン夫人の物の怪が山桜上にまで取り憑いてしまったのか」と思うと、山桜上が気の毒で口惜しくもなりました。

 山桜上は少しは生き返った様子でしたが、まだ弱々しく頼りなさそうにしていました。お付きの侍女たちも「修道女になられても、その甲斐もなかった」と感じながらも、「とにかくお元気になってくれたら」と祈りながら、修法を延長して間断なく行わせたり、何やかやと手を尽くしました。

 

 

4.夕霧の見舞い、柏木の遺言と他界

 

 病床の柏木は男児の誕生と山桜上が修道女になったことを聞いて、いよいよ消え入るような気分になって、気力も衰えていきました。妻の落葉上をしみじみ思いやりもしました。「今さらこの城に来てもらうのは、軽々しいように思われるであろうし、父も母もぴったりと付き添って看病していて、親近者にもうっかり見られてしまう恐れもあるから、困ったことになってしまうだろうし」と柏木は考えて、「とにかくル・リヴォ城へ今一度戻りたい」と切望するものの、両親は許しません。

 柏木は誰に向けても「落葉上のことを宜しく頼みます」と告げました。ル・リヴォ夫人は初めから落葉上との縁組にあまり気乗りがしていなかったのですが、柏木の父大臣自身が熱心に奔走したので、夫人もその熱意に根負けしてしまい、朱雀院にも「どういたしましょうか」と相談して、結婚が許された経緯がありました。その朱雀院が「ヒカル殿の山桜上への扱いが芳しくない」といった話を聞いて案じた際に、「第二王女の方は誠実な伴侶を得たので、行く末まで安心できる」と話したことを柏木は思い出して、「今になってかたじけないことだった」と身に沁みました。

 

「このまま落葉上を見捨ててしまうのか」と思うにつけても、様々に愛しく感じるのですが、思う通りには行かない命ですから、さぞかし落葉上は添い遂げられなかった夫婦の縁を恨めしく思い嘆くことであろうと、心苦しく感じていました。

「どうか誠意を持って、落葉上をお世話してください」と柏木は母上に頼みますが、「まあ、何て縁起が悪いことを。貴方に先立たれてしまったら、この先、何年生きられるか分からない身ですから、先々のことを頼まれても」と泣きじゃくりますので、それ以上は話すことができません。そこで柏木はすぐ下の弟ロランに一通りの事を詳しく頼みました。

 

 柏木は性格が穏やかで、よく出来た人物でしたので、弟たち、ことにまだ若い弟たちは皆、親のように慕っていました。そんな柏木がこのように心細げに話すので、「悲しい」と思わない人はおらず、ソーミュール城で仕える者たちも嘆き、安梨王も残念に思っていました。「いよいよ危なくなった」との知らせを受けた王宮は、柏木を中納言から大納言に昇格させました。「この吉報に気を取り戻して、今一度、王宮に上るようになるだろう」との安梨王の言葉もありましたが、苦しい中にも柏木は王さまに丁重にお礼を申し上げました。父アントワンはこうした王さまの信任の厚さを見るにつけても、ますます悲しく、惜しいことだと諦めきれずに嘆いていました。

 

 夕霧大将は常にひどく心配しているので、見舞いにやって来て、真っ先に今回の昇進の喜びを告げました。病室の向かいの屋敷あたりからこちら側の門には、見舞いを兼ねた昇格祝いで駆け付けた馬車や人が騒ぎ立てていました。

 病人は今年に入ってから起き上がることもめったにないので、取り乱したままで夕霧のような身分が重い人物と対面するわけにもいかず、「気になりながらも、会えないまま弱り果てていくのか」と思うと残念なので、「病床ですが、やはりこちらに入って下さい。乱雑な病室でお目にかかってしまう無礼も自然と許されることでしょう」と言って、臥している枕もとの近くにいる僧などをしばらく外に出して、夕霧大将を病室に招き入れました。柏木は夕霧より四、五歳年長でしたが、幼少の頃から従兄弟同士として、大した隔たりもなく親しくし合った仲でしたから、別れてしまうことが悲しく、柏木を恋しがる嘆きは柏木の親・兄弟の思いに劣りません。

 

「今日は昇進の喜びで、さぞかし気分が良いことだろう」といった期待をしていましたが、大変口惜しく甲斐もないことになってしまいました。

「どうしてこんなに悪くなってしまったのです。今日は昇進の喜びで少しは気分が宜しいのでは、と思っていたのに」と夕霧は話しながら、内カーテンの端を上げて、病床を覗いてみると、「とても残念ながら、もう本来の私のようではなくなってしまった」と乱れた髪を帽子に押し込んで、少し起き上がろうとしましたが、とても苦しそうでした。しなやかで懐かしみがある白い服を幾枚も重ね着して、夜着を引きかけて臥していました。

 ベッドの辺りはこざっぱりとしていて気配も香ばしく、奥床しい過ごし方をしていました。くつろいだ中にも心遣いがあるように見えました。重病人は髪もヒゲも生えるにまかせたまま乱れて、むさ苦しい印象を与えるものですが、柏木はますます痩せ細っているものの、かえってますます白く上品な感じがして、枕にもたれながら話そうとしています。それでもその様子は大層弱々しそうで、息も絶え絶えなのが気の毒でした。

「長らく患っておられる割には、ひどく窶れてもおりませんね。いつもの容貌よりもかえって美男に見えますよ」といたわいながらも、涙を拭いました。「死ぬ時は一緒に、とまで約束しましたのに、辛いことになってしまいました。今回の病気は何が原因でこれほど重くなったのか、私には分かりかねますが、これだけ親しい間柄なので、気掛かりです」とも話しました。

 

「自分としては、いつから重くなったかも分かりません。どこが苦しい、といったこともないのに、こうまで急に悪化するとは思ってもいないうちに、幾らも立たないうちに衰弱してしまって、今は正気も失せてしまったような有様です。惜しくもない身でありながら、あれこれと引きとどめようとする祈祷や願掛けなどの力で、何とか生き永らえているものの、かえって苦しいものですから、自分から進んで早く死出の道へ旅立ちたい心地もします。

 そうは言うものの、この世から立ち去り難い事が数多くあります。親への孝行も中途でしかないのに、今になって心配をかけてしまっています。王さまに仕えることも道半ばでしかありませんし、我が身を顧みても大したこともない恨みを残してしまうようになってしまいました。大概の嘆きはそれはそれとして、それに加えて心中を煩悶させていることが存在します。

 こういった臨終の際になって、それが何かを口に出すべきではないと思いますが、それでも一人だけで黙ってもいられないので、誰に打ち明けたらよいのでしょう。身内の者はあれこれ大勢いますが、何かと差し障りがあって、それとなくほのめかしてしまうのは都合が悪い。

実を言うと、ヒカル様とちょっとした不都合なことがあって、ここのところ心中ひそかに申し訳ないと思っている次第です。まことに不本意なことから、世の中を生きて行くのが心細く感じるようになって、病に臥せるようになったのだと思われます。朱雀院の若菜の賀に向けた試楽の日に招かれて、ヒカル様にお目にかかったのですが、やはりまだ私のことを許してはいない気持ちを持っておられるような眼差しを拝見してしまいました。それ以来、この世に生き永らえていくことに差し障りが多くあると思うようになって、味気なくなってしまい、胸騒ぎが止まらないまま、とうとうここまで衰弱してしまいました。私のような者を人数に入れておられたか否かは分かりませんが、まだ幼い頃からヒカル様の深い力添えを頼みにしておりましたのに、私のことで何かの中傷を告げた者がいたのだろうか、と考えたりもします。このことがこの世での憂いとして残ってしまい、間違いなくあの世での妨げになってしまう、と感じています。

 何かの機会があったら、ヒカル様にこのことを伝えて、弁明の労をとってください。死んだ後でも、ヒカル様のお咎めが解けたなら感謝にたえません」などと話しているうちに、苦しさがますます増していくようなので、夕霧は悲しくなりました。心中では、「若菜の賀の準備期間に、父上との間にきっと何かの事情があるに違いない。ひょっとしたら山桜上の住まいに忍び込んでしまったのではないか」と思い浮かんだことを思い出して、それと思い合わせる気持ちも起こりましたが、不確かな断定はできません。

 

「そんなことは何かの邪推にすぎません。父からはそうした気配など見えません。むしろ重態の由を聞いて驚き嘆いて、限りなく遺憾がっています。でもなぜ、そんな懸念を分け隔てなく、私に打ち明けて下さらなかったのですか。二人の間に立って仲裁が出来たのに、今となってはどうしようもないことです」と夕霧は過去を今に取り戻せないことが悲しくなりました。

「確かに、病が少しでも浅かった時分に相談すべきでした。けれどもまさかこう急に今日、明日に迫った命とは、我ながら思いも寄らず、迂闊にも悠長にしておりました。但しこの件については内密にして、誰にも漏らさないでください。しかるべき機会があったら、ヒカル様に釈明して欲しいと願ってお話ししただけです。いずれにせよ、ル・リヴォ城の落葉上を、何かの折りに見舞って上げて下さい。朱雀院などが窮状を聞いて心配されるでしょうから、心添えをしてあげて下さい」などと話し続けました。

 

 言いたいことは沢山ありそうですが、気力が尽きてしまったのか、柏木は手真似で「もう席をはずしてください」という仕草をしたので、夕霧は泣く泣く病室から出ました。祈祷をする僧たちが近くへ寄って来て、両親たちも寝室に集まり、侍女たちも立ち騒ぎだしたので、夕霧は泣く泣くソーミュール城を去りました。

 柏木の姉で冷泉院の貴婦人であるアンジェリクは言うまでもなく、妹で夕霧夫人の雲井雁などもひどく嘆いていました。柏木は常々、アントワンの長男として誰に対してもやさしく接していたので、右大臣の正妻となった玉鬘なども柏木だけは親しい人と思っていたので、様々に心配して祈祷などを特別にさせたりしましたが、(歌)私は逢うことができない人を 恋する病にかかっている 逢える日という薬はないので 治ることはない といったように、祈祷などは不死の薬ではないので、何の効果もありません。

 

 柏木は落葉上にとうとう対面できないままで、泡が消え入るようにして亡くなってしまいました。それまで柏木は落葉上を真底から、真心こめて深く愛することはなかったのですが、表面的にはまことに申し分なく大事に世話をして、親しみが持てる気配りで敬意を失わずに過ごしていたので、落葉上にとっては辛い点は特にはありませんでした。ただ「このように短命の宿命だったから、世の中のすべてのことを不思議なほど興覚めに思っていたのだろう」と思い出しながら塞ぎ込んでいる様子はとても辛そうでした。

 母のル・リヴォ夫人も「未亡人に早くもなってしまったことを人から笑われてしまうのが口惜しい」と限りなく悲しんでいました。まして柏木の両親は何とも言いようもなく悲しんで、「自分こそ、先に死ぬべきだった。あまりにも道理からはずれた辛い死だった」と泣き焦がれていましたが、何にもなりません。

 

 修道女となった山桜上は、柏木の大それた恋心からの不埒な行動をいまだに不快に思っていて、「長生きをして欲しい」と願ってはいなかったのですが、「このようにお亡くなりになりました」と聞くと、さすがに可哀想な気がしました。

「柏木が生まれて来た子は、まさしく自分の子であると思っていたのも、なるほどこうなるはずの運命であったから、あんな思いも寄らぬ歎かわしい大胆な行動を起こしたのだろう」と考えてみると、あれこれ心細くなって、思わず涙を流してしまいました。

       

 

 

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