その14.澪標(みおつくし。航路標識)  (ヒカル 27歳~28歳) 

 

4.サン・ブリュー上の姫君と消息で紫上嫉妬

 

 サン・ブリュー上の出産については、紫上には口ではそうはっきりとは伝えなかったのですが、「他から聞いてしまうこともあるかもしれない」と思って、「実はこういうことがあります。世の中というのは妙にねぢけているものですね。子供を生んで欲しいと願っている人には、それらしい気配がなくて、思い掛けない人から子供が生まれるというのも残念なことです。女の子ということなので、それほど楽しみではありません。ほっておいても良いのですが、そうにも行きません。そのうちロワールに呼び寄せますので、貴女にもお見せしましょう。憎んではいけませんよ」といいますと、紫上は顔を紅潮させながら、「変にいつもそんな風に注意を受けてしまう性分なのかと、自分ながら嫌になってしまいます。誰のせいで憎みやすい性格をいつ、身につけてしまったのでしょう」と怨じますので、「そう。その癖ですよ。こちらの思いを理解しようとはしてくれない。私の心にもないことを邪推されて嫉妬されるのか、と思うと悲しくなります」と話しているうちに、しまいには涙ぐんでしまいます。

 およそ二年半に及ぶ別離の間、「恋しくてたまらない」と思い詰めていた心中を、折々に書き交わした手紙のやり取りを思い出すと、「他の人との関わり合いは一時の慰み事でしかなかったのだろう」と紫上は考え直したりします。

 

「サン・ブリューの人をこうまで案じて、使いを遣ったりしているのは特別な思惑を持っているからです。今のうちからそれを話してしまうと、貴女が誤解してしまうことになるかもしれないので」とそれ以上は続けず、「あの人の人柄が良いように見えたのも、場所柄のせいで珍しい存在と感じたからでしょう」などと言い足します。

 別れの日、海藻を焼くしみじみとした煙、女が語ったこと、はっきりとではないが、その夜にほのかに見た顔形、スピネットの艶めいた調べなど、心にとまったあらゆることをヒカルが語り出しますので、紫上は「自分はロワールにいて、この上なく悲嘆にくれていたのに、一時の気まぐれであったにせよ、別の女性に情を分けていたのだ」とただならぬ思いが募って、「そういうことなら、私は私なりに」とそっぽを向きながら、「何て悲しい世の中なのでしょう」と独り言のように溜め息をついています。

 

(歌)思いあっている二人の煙が 同じ方向になびいているのとは違いますから 

   私は先に土に埋れてしまいましょう

「とんでもないことをおっしゃいますね。情けないことです。

(返歌)一体 誰のために この辛い世の中の海山を流浪して 絶えることにない涙で 

   浮き沈みをしてきたのでしょうか

さあ、何としてでも私の本心のほどをお見せしますよ。寿命だけは思い通りに進まないものですが、つまらないことで人から恨みを受けないように、と思っているのは、ただただ貴女と一人一緒にいたいからですよ」と言って、スピネットを近くに寄せて、音の調子を試した後、弾かせようとしたのですが、サン・ブリューの人が上手に弾くと聞いて癪になったのか、手に触れようとはしません。普段はとても美しくしとやかな心の持ち主なのですが、さすがに執念深いところができて、焼餅を焼くのが中々愛敬があって、珍しく腹をたてている様子を「可愛らしくて、相手にしがいがある」と思います。

 

「五月の聖霊降臨祭(Pentecôte)は生後五十日に当たるはずだ」と人知れずに日数を数えて、なつかしく恋しく思いを馳せます。

「ロワールにいたのなら、どんなことでもとてもやりがいがあって、嬉しかったことだろう。残念なことだ。あんな土地で、父親もいずに生まれたのが気の毒だ」と思います。男の子だったら、こうまで気掛かりにはならなかったのでしょうが、かたじけなく愛おしい。自分が不遇な目にあって、ブルターニュまで流れていったのは、王妃になるかもしれないこの児が生まれるためだったのか」と思ったりもします。

 

 五十日の祝いに使者を遣ります。「必ず聖霊降臨祭の日曜日に遅れないように到着せよ」と命じましたが、ぴったりその日に行き着きました。心づけの品々も有り難いほど結構なもので、日常の実用品の贈り物もありました。

(歌)海草も いつも変化がない蔭にいたのでは 聖霊降臨祭にあたる 五十日の祝いも 

   どうやって過されるのでしょう

飛んで行きたいほど心が落ち着きません。やはりこのままでいるわけには行かないので、思い立ってロワールに上がって来なさい。何があっても、不安になることはありませんよ」と書いてありました。

 

 在俗僧は例のように感涙しています。こうした際に、生きていた甲斐があると泣きべそをかいてしまうのも無理はありません。自邸でも万事、所狭しと用意を整えていましたが、もしこの使いが遣られてこなかったなら、まるで闇夜のように暮れていってしまったことでしょう。

 乳母となったマリアンヌも、サン・ブリュー上が優しく、望んでいた通りの人柄なので、良い話し相手になって、田舎暮らしの憂さを慰めています。侍女たちの中には、マリアンヌに劣らない人たちも縁故を通じて雇われていましたが、ロワールの王宮仕えに疲れきり、落ちぶれて下って来た者たちでした。そんな中にあって、マリアンヌはまだまだ初々しく、自意識も高いのでした。聞き応えがある都ロワールの話などをしたり、ヒカル大臣の有様、世間でもてはやされる評判の高さなど、女心の興が向くままに際限なく話したりしますので、ヒカル殿が思い出してくれるような児をこの世に誕生させた我が身も大した者なのだと、段々と思うようになりました。

 

 マリアンヌはヒカルからの手紙も一緒に読ませてもらいながら、心中では「ああ、せつない。こうやって思いもよらぬ幸運をつかむ人もおられるのだ。それに引き換え、惨めな我が身であることよ」

と悲しくなりますが、「乳母はどうしていますか」などと細やかに案じてくれているのがかたじけなくて、何事も慰められます。

 返信には、  

(歌)人の数に入らない この身の蔭に隠れて啼く鶴のような我が子を 生後五十日を祝して 

   訪れて来る人もおりません

「万につけて気を揉んでいる有様ですが、こうやって、たまさかの慰めのお便りをあてにしている私の命もはかないものでございます。仰せの通りに、本当に安心できるようなお計らいをいただけますなら」と誠実に答えています。

 

 ヒカルはサン・ブリュー上からの返信を何度も読み返しながら、「哀れ深いことだ」と長々と声をもらしながら独り言をついているのを、紫上は尻目に見ながら、

(歌)ル・アーブルの港から 遠くに向って船出した船のように 貴方は私から遠く離れてしまいました

と小声で独り言のようにそらんじて、物思わしげにしています。

「そこまで邪推することはないでしょうに。『哀れ深い』と言ってもさほどのことでもありません。サン・ブリューの様子などを思い出すと、時々、その折りのことを忘れ難くなって、つい独り言が出てしまうのですが、それすら聞き流してくれないとは」などとヒカルは恨みごとを言いながら、手紙の上包みに書かれた文字だけを夫人に見せてみます。手つきなどが由緒ありげで、高貴な人でも引け目を感じるほどの出来映えなので、「やはり、これほどなのだから」と紫上は思います。

 

 

5.ヒカルの花散里訪問と、舞姫モニクの煩悶

 

 こんな具合に紫上のご機嫌取りに追われて、花散里のことをほったらかしにしていたのは厭わしいことです。公務も多忙で、重責の身になったことを考慮して控えていたこともありましたが、それに加えてさして気をかけるほどの知らせもないことから、思い留まってもいたのでしょう。

 ようやく公務も私事も落ち着いた頃、花散里姉妹を思い起こして、リヨンへ出掛けました。遠く離れていながらも、何かにつけてヒカルがあれこれと配慮をして、面倒をみてくれるのを頼みにしながら暮らしている姉妹でしたから、今時の若い娘のように気を持たせようとすねたり恨んだりすることはありませんので、気が楽でした。

 

 何年かの間に邸内は荒れ勝って、不気味なほどでした。まず姉のクレマチス上と語らった後、夜が更けてから、西側のドアを叩いて妹の部屋に立ち寄ります。月の光りが朧ろに射し込む中、ヒカルの振る舞いが限りなく艶っぽく見えます。妹は大層慎ましげに、端近くで月を打ち眺めていましたが、その様子がゆったりとしていて感じがよいのです。

 クイナ(水鶏)がすぐ間近で啼きました。

(歌)クイナが戸を叩くように啼いてくれなかったら 月の光りのような貴方を 

   どうしてこんなあばら家に お迎えできたでしょうか

と花散里がとても懐かしそうに言いかけて、恨み言を途中で止めたのを見て、「女性はそれぞれに捨て難いところがある。それだから自分も苦労をしてしまうのだ」と感じ入ります。

(返歌)どんな家でも 戸を叩くように啼く クイナの声に合わせて 戸を開けてしまうなら 

   とんでもない月が入り込んで来るでしょうに

気になりますねえ」とことさら皮肉っぽく答えはしますが、浮気っぽい疑いを持たせる気性の女性ではないことは承知の上でした。この年月、ヒカルの帰還と訪れをじっと持ち続けていた気持ちをおろそかには思ってはいません。

 

 ブルターニュに発つ前にヒカルが「月光は沈んで行っても、また上ってきます。悲観しながら空を眺めることはありませんよ」と頼もしげに詠んだ時のことを妹は話し出して。「なぜあの折り、『こんな悲しみはまたとないほどです』と悲観して思い沈んでしまったのでしょう。私のような辛いことが多い身では、今も同じ歎きしかありません」とこぼすのも素直で可愛いげがあります。いつものことですが、どこからこうした言葉が出て来るのでしょうか、際限もなく言葉をかけて慰めます。

 

 こうした間でも、あの舞姫モニクのことを忘れることはなく、「また出逢ってみたいのだが」と心にかけているのですが、気軽には動けない身では中々実行できません。モニクの方はヒカルへの恋心を断ち切ることができず、親達があれこれと勧める縁談話もありますが、すっぱりと断念しています。

「心が安らぐような邸を造って、モニクのような女性を集めて、希望通りに養育してみたい娘ができたら、その児の世話役にしてみたら」と考えたりもします。改修中のシセイ城は中々見所が多く、当世風の設計でした。趣向が高い知事などを選んで、各々に分担させて作業をさせます。

 

 ヒカルは朱雀王の寵愛を受けながら、王さまに直に仕える女官長のままでいた朧月夜を諦めてはおらず、懲りもせずによりを戻したい気持ちがあるのですが、女の方は騒動を起こして辛い思いをしたことに懲り懲りしていて、昔のように相手になろうとはしません。地位が高くなって、世の中がひどく窮屈になってしまって、ヒカルは物足りない思いをします。

 

 朱雀院はスリー・シュル・ロワール(Sully sur Loire)城に引き込んで、気楽になった心境に浸りながら、時々面白い催しをしながら楽しそうに暮らしています。大后となった紫陽花前王太后もショーモン城を藤壺宮に譲り、スリー城に移って来ました。王さま時代の貴婦人たちもスリー城に付き従って来ました。安梨(あんり)王太子の母であるアヤメ貴婦人だけはフランスの文化や言葉に不馴れなこともあってか、とりたてて時めくこともなくて、朧月夜への寵愛に押し消されていましたが、息子が王太子となってからは、うって変わって幸運に恵まれ、スリー城には移らず、王太子に付き添う形でアンボワーズ王城に住んでいます。王城でのヒカルの宿直所は昔と同様に桐壺の間でした。王太子は近くの梨壺の間に住んでいますので、お隣さんのよしみで、何かにつけて交流があり、自然とヒカルが王太子の後見役のようになっていきます。

 

 藤壺修道女は王太后の地位を得ながらも、在俗出家をした身ですので王太后の位に改めるべきではなく、王位を譲った王さまに準じる形で封地をもらい、管理する職員も任命され、これまでと違って大事に遇されています。本人は勤行に専念して、功徳を積んでいくことを日常の仕事としています。この数年来、世間をはばかって王城への出入りも遠慮して、我が子に逢えないことを歎きながら、気が晴れない思いをして来ましたのに、今は思いのままに王城に出入りが出来るようになって、とても楽しそうにしています。それを聞いた紫陽花大后は「憂いごとが多い世の中になってしまった」と歎息しています。ヒカルは大臣の一人として、折に触れて前王太后が恥じ入るほどの仕え方を示して敬意を表しているのですが、世間の人は「前王太后にとってはかえって気詰まりなことだろう」と不安げに噂しています。

 

 紫夫人の父である兵部卿は、ヒカルの不遇時代に思いのほか冷淡な態度を見せて、ただ世間の風向きだけを気にするだけでしたので、ヒカル大臣は不愉快に感じて、昔のように親しくはしていません。総じて一般の人には漏れなく有り難みがある気持ちを示すのですが、兵部卿一家には情がない素振りを混ぜ合わせますので、実妹の修道女の宮は困惑して「不本意なことだ」と心配しています。

 今は世の中の政治はアンジェの太政大臣とヒカル大臣の二人が二分しています。権中納言アントワンの娘は今年八月に冷泉王の貴婦人として王宮に上がりました。祖父の太政大臣が率先して儀式などを立派に行います。

 兵部卿も「二番目の娘を貴婦人として王宮に上げたい」と大事に育てているという評判が知れ渡っていますが、ヒカル大臣は「他の人よりそれほど勝っている」と考えては上げません。ヒカル大臣はどんな思惑を抱いているのでしょうか。

 

 

6.ヒカルの住吉詣と、サン・ブリュー上の上京話

 

 その年の秋、ヒカルはモン・サン・ミシェルに参詣します。祈願成就のお礼参りですが、盛大な行列となって、世間でも大騒ぎとなり、上官や王宮人も我も我もとお供に加わります。

 

 ちょうどその時、あのサン・ブリュー上も毎年、恒例にしている参詣が、去年と今年は差障りができて参詣を控えていたので、そのお詫びも兼ねての参詣を思い立ちました。サン・ブリューから舟でモン・サン・ミシェルに詣でましたが、島の対岸の船着場に近付きますと、声高に言い騒ぎながら詣でる人々の気配が渚に満ち溢れ、荘重な奉納品を運ぶ列が続いています。楽隊や十列の舞い人なども衣裳をこらして、姿形のよい者を選りすぐっています。

「どなたが参詣なされるのですか」と船頭が尋ねますと、「内大臣殿の祈願成就のお礼参りだよ。知らない人もいるとは」と取るに足らない下級の従者が得意そうに笑います。

「何て情けないことでしょう。月日は無数にあるというのに、たまたま居合わせてしまった。こんなご立派な様子をはるかに拝ましていただくと、身分が低い自分の身の程が口惜しくなってしまう。さすがに縁がかけ離れてはいない宿命だ、と感じるものの、私のようなつまらない身分のものでも、何の心配もなげに仕えているのを名誉なことと思って、罪障が深い身ながらに何かにつけてヒカル殿のことを心から案じているくせに、どうして参詣の噂も知らずに出て来てしまったのだろう」などと思い続けるとひどく悲しくなって、人知れず涙をこぼしてしまいます。

 

 松原の深緑の中に、花や紅葉を撒き散らしたように見えるのは、行列の者が着る上衣で、濃いのや薄いのや数が分からないほどです。官位六位の者たちの中で、蔵人が着る青色が目立ちます。セーヌ川を下る船上からパリの守護聖人を恨んだステファンは今は近衛府の親衛隊に入って、ものものしい随身たちを従えた官位六位の財務担当官になっています。オリヴィエも同じ近衛府の官位五位の佐(すけ)になって、誰よりも思い悩みのない表情で、けばけばしい赤色の上衣を小奇麗に着ています。

 サン・ブリューで見かけた、すべての人たちがサン・ブリューにいた頃とは変わって、花やかな姿で、何の屈託もなさげに散らばっています。若やかな上官や王宮人が我も我もと競い合って、馬や鞍などまで飾りを整え、磨きたてているのは、地元の人たちには素晴らしい見物でした。船上からヒカルが乗った馬車をはるかに見やるサン・ブリュー上は、何となく不愉快に感じて、恋しい姿を拝む気にもなりません。

 

 桐壺王の祖父王の時代の大臣の例に倣って、行列には童随身も随行していました。童随身もいかにも愛らしく装っています。二つに分けた髪を裾に向けて濃くしていく紫の細紐で束ねているのが優美で、背丈も容姿も揃って美しいのが十人ばかり、とりわけ当世風に目新しく見えます。葵夫人の若君もおびただしい人数にかしづかれていて、馬添いの童子も皆、そろいの衣裳で様子を変えて、他の列と区別しています。その立派な光景を遠く離れて見るにつけても、サン・ブリュー上は「同じヒカル殿の児でありながら、自分の児は物の数に入らない存在にすぎないのだ」と悲しく感じて、ますますモン・サン・ミシェル島の方を向いて拝みます。

 地元の県知事が参上して饗応をしますが、通常の大臣の参詣とは比較にならないほどの接待ぶりです。サン・ブリュー上はとても気分が落ち着かず、「数にも入らない身で、これほどの行列に紛れ込んで、ささやかな捧げ物をしたところで、聖ミシェルのお目にとまることはない。サン・ブリューに戻るのも中途半端だし、アヴランシュ(Avranches)に舟を留めて祈祷をしよう」と舟を向けました。

 

 ヒカルは夢にもそんなことがあったことを知らずに、夜通し色々な催しをさせました。聖ミシェルが喜びそうな儀式を真底し尽くして、これまでの祈願の成就に添えて、有り難いほどの音楽や舞いを夜が明けるまで繰り広げました。コンスタンのような、ブルターニュで辛苦を共にした人たちは、心の内でしみじみと聖人の徳を感謝していました。

 コンスタンはヒカルがちょっと席を立った時を見計らって、ヒカルにそっと耳打ちをします。

(歌)モン・サン・ミシェルの松を見るにつけ 昔のことを思い出すので 感慨無量になってしまいます

「本当にそうであるな」とヒカルも思い出します。

(歌)サン・マロの浦で 大嵐が荒れ狂った時の 聖ミシェルの御徳を どうして忘れることができようか

確かに霊験があったのだから」と言うのも喜ばしいことです。

 

 コンスタンがあのサン・ブリュー上の舟が行列の騒動にけおされてしまって、去っていってしまったことも伝えますと、「それは知らなかった」と気の毒に思います。聖ミシェルの導きで二人の出会いがあったことを思い浮べて、おろそかにはできないので、「せめてちょっとした手紙だけでも送って、慰めてあげねば。こんな所で行き違って、かえって辛い思いをしていることだろう」と思いやります。

 

 モン・サン・ミシェルでの参詣を終えて、一行は海沿いの風光を逍遥しながらアヴランシュに入り、ノートルダム教会で厳粛なミサを行いました。

 ラ・セー(La Sée)川の渡しを眺めながら「これほど思い悩んでしまったのだから 今はどうなっても構わない 水中に挿してある澪標(みをつくし。航路標識)のように 身を尽くして逢ってみたいものだと、よく知られた歌を無意識のうちに口ずさんでいるのを、馬車の側にいるコンスタンが聞きつけたのでしょう。「こんな時の用意に」と、いつものように懐に入れている柄の短いペンなどを、馬車が停まった際に手渡しました。

「気がきくやつだ」と感心して、ヒカルはメモ用紙に、

(歌)身を尽くして恋い慕う澪標に ここでも出逢うとは 縁は深いものだね

とヒカルは書いて、コンスタンに渡しました。コンスタンは事情を知っている下人にサン・ブリュー上のもとに届けさせました。

 

 一行が馬を並べて通り過ぎて行くのは拝しながら、サン・ブリュー上は心が動揺してしまうものの、メモ用紙に書かれた歌だけでも、便りをいただけたのが嬉しくて、思わず泣いてしまいます。

(返歌)数にも入らない身の上で 甲斐性もない者なのに なぜ澪標のように 身を尽くしてしまうほど

    思い初めてしまったのでしょう

と、サン・ブリュー上はモン・サン・ミシェルの島を見晴らすグルーアン岬(Pointe du Grouin du Sud)で祈祷をした際に頭にかぶった白いレース地のヴェールをつけて返信を差し上げました。

 

 日暮れになっていくにつれて、夕方の潮が満ちて来て、入江の渡りの鶴も声を惜しまずに啼いている中、しんみりとしてしまったヒカルは人目を憚らずに、サン・ブリュー上に逢いに行きたい衝動にかられます。

(歌)旅の衣は 海浜を流浪した時と同じように 涙で濡れている グルーアン岬のヴェールでも 

   隠すことはできない

 行列はアヴランシュの市内を道なりに奏楽の旅に興じていますが、なおもサン・ブリュー上のことが気掛かりで、思いにふけっています。一行を見ようと遊女たちも集まって来ると、上官と呼ばれる人たちの中でも、まだ若気があって色事が好きな者は目を奪われてしまいます。それを見ると「面白いことも、ものの哀れというものも、人によるものだ。『恋』と言いながら、いい加減で少しでも軽薄寄りになってしまうのは、心を留める値打ちもない」とヒカルは苦々しくなって、得意がって媚を売る遊女たちを疎ましく感じます。

 

 サン・ブリュー上は一行がアヴランシュを立った翌日、吉日でもあったので、モン・サン・ミシェルに参詣して奉納品を献上します。とりあえず、身分相応の祈願成就のお礼も果たしました。それにつけても、物思いがますます増して、サン・ブリューに戻ってからも、明け暮れ、身分が低い身であることを歎いています。

「今頃はロワールに戻られた頃だろう」とサン・ブリュー上が思ってから日数が経たないうちに、ヒカルからの使いがサン・ブリューにやって来ました。

「近いうちにロワールに迎えたい」という趣旨の手紙でした。大層頼りがいがあるように、愛人の中に入れてくれているのですが、「そうは言うものの、この浦を船出したとしても中途半端になって、心細い思いをしてしまうのではないか」と案じてしまいます。在俗僧としても「そうと言われて娘をロワールに手放してしまうのは後ろめたい気がするし、そうかと言ってサン・ブリューに埋れさせてしまうのを考慮すると」とこれまで以上に気が揉めてしまいます。

 サン・ブリュー上は「何かにつけ、ロワールへの出発は気後れがして、決心がつけにくい」旨の返信をしました。

 

 

 

                 著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata