巻1 藤と紫

 

その9.葵   (ヒカル 21歳~22歳)

 

1.カンブレイ同盟と譲位

 

 「花の宴」で桐壺王が譲位を宣言したニュースが直ちに周辺国に伝えられた頃、ローマの教皇(法王)は、強敵だった前教皇の息子で教皇軍司令官としてイタリア統一の野望を抱いていたチェーザレ・ボルジアの排斥に成功したものの、教皇管轄下にある半島北中部のロマーニャ地方にヴェネツィア共和国が侵食を進めていることが頭痛の種でした。そこで法王はオーストリアの国王であり神聖ローマ帝国皇帝でもあるマクシミリアン皇帝に援けを求めました。

 

 マクシミリアン皇帝の子供はブルゴーニュ・フランドル公后マリーが残したフィリップと白菊の一男一女の二人だけでした。白菊はわずか一歳半でフランス王国に略奪とも言える手段で引き取られ、十三歳に故郷のフランドルに戻って来るまで、父と顔を合わすことが出来ませんでした。十数年ぶりに、まもなく成人を迎える白菊と再会した父は、白菊が母マリーにまさる劣らぬ知性と美貌を兼ねそろえていることに感涙しました。

 白菊の帰還から二か月後にマクシミリアン皇太子は父王の死でオーストリア国王となり、一年後には神聖ローマ皇帝に選出されました。その二年後にフィリップ王太子と白菊皇女は、アラゴン王とカスティーラ女王である夫妻が共同統治するスペイン王国との間に二重結婚が成立しました。これにより、オーストリア王国、ドイツ諸国とネーデルランドを支配する神聖ローマ帝国と念願の国内統合を達成した上に新大陸の発見で領土と財力を増大させているスペイン王国との連携が強まっていきます。

 アラゴン王女ファナがフィリップ王太子に輿入れした後、白菊はファン王子との結婚でスペインに旅立ちました。まもなく白菊は妊娠しましたが、妊娠中に良人が病死した上にお腹の子が死産となる不幸が重なりました。フランドルに戻った白菊は父親の意向でサヴォワ公国の公爵に嫁ぎ、幸せな時を過しましたが、不幸にも夫君は生水にあたって急死してしまいました。

 兄のフィリップは子宝に恵まれ、一男三女を授かった後、カスティーラ女王の死で妻のファナが後を継ぐとなったことから、妻と共にカスティーラ王国に移りました。夫妻はさらに二児をもうけましたが、三年後、フィリップが急死し、すでに気がふれる兆候を見せていたファナは発狂してしまいます。

 二人の子供の不幸に心を痛めながら、皇帝は白菊が三度目の結婚をする意思がないことから、フランドル生れのフィリップの四人の遺児の養育を任せ、合わせてブルゴーニュ・フランドル公国を神聖ローマ帝国に組み入れて発足したネーデルランドの総督を託しました。旧フランドル公国の住人は亡きマリー公后の愛児である白菊の就任に狂喜し、治安が安定していきます。

 

 ネーデルランドを白菊に任せて余裕ができたマクシミリアン皇帝は教皇の要請を受けてヴェネツィア軍に挑みましたが、不覚にも敗れてしまいました。そこで寝業師と揶揄される教皇はフランスにも援けを求めることにして、花の宴が開催された年の年末に、教皇国、フランス王国、神聖ローマ帝国にスペイン王国が加わった、反ヴェネツィア共和国の「カンブレイ(Cambrai)同盟」を成立させました。

 翌年五月、フランス軍はヴェネツィア軍に勝利をおさめてカンブレイ同盟の筆頭格となり、この勝利を花道にして、桐壺王は朱雀王太子に王位を譲って桐壺院となり、王さまが常住する王宮はアンボワーズ城からブロワ城に移りました。

 

 同じ年、イングランド王国ではヘンリー七世が崩御し、次男のヘンリー王子がヘンリー八世として即位し、亡くなった兄アーサーの后であったアラゴン王女カザリンと結婚しました。ヘンリー七世はバラ戦争で分裂したイングランドの再統合に腐心しましたが、血気盛んな若いヘンリー八世はフランス、神聖ローマ帝国、スペインの三強と競合しうる大国化の野望を抱いていました。

 

 教皇は次第にイタリア北部の利権をめぐってフランスと対立していきます。フランス王国がさらに強勢化していくことを恐れた教皇はヴェネツィア側に寝返り、フランス軍がヴェネツィア軍を破った翌年七月にヴェネツィア共和国と同盟を結んでしまいます。

 

 

2.新斎宮の決定

 

 イタリアでの諸国間の抗争が続く中で、フランス王国は平和を享受していましたが、世の中が朱雀王の時代に変わってから、ヒカルは何事も物煩わしくなり、宰相に加えて大将も兼任するようになって窮屈さが増したことから、軽々しい忍び歩きを慎むようになりました。どこもかしこにもいる女性たちを落胆させた報いなのでしょうか、ヒカルは今なお自分に無情な藤壺中宮の心を歎いてばかりします。

 

 ショーモン(Chaumont sur Loire)城に住まいを移した桐壺院は普通人のような自由を満喫し、絶えず藤壺と一緒にいます。紫陽花皇太后はそれを面白からず思いながら、朱雀王の即位から王宮となったブロワ城にばかりいますので、 ショーモン城の二人は気にする人もいず、気楽でした。

 折節につけて桐壺院は好みとしている管弦の遊びなどを世間の評判になるほど催して、幸福そのものでした。藤壺はただ、朱雀王と共にブロワ城に暮す息子の冷泉王太子を恋しく気遣います。王太子に後見人がいないことを心配して、万事においてヒカル大将に頼んできますので、ヒカルはやりきれない思いにかられながらも、嬉しく感じます。

 

 そう言えば、メイヤン夫人と亡き元王太子の娘である姫君が、歴代王の即位式の場であるランス(Reims)大聖堂の斎宮に決まりました。メイヤン夫人は自分に対するヒカルの気持ちが一向にあてにならない上に、姫君もまだ十三歳と幼いことから、自分も一緒にランスへ下って行こうと思うようになりました。

 それを耳に入れた桐壺院は「メイヤン夫人は弟の故宮がとても貴い人と尊重して、寵愛していた御方だ。並みの女のように軽々しくさほどでもないように扱っているようなのが、気の毒でならない。姫君は自分の娘たちと同列に思っている。いずれにしても、疎略にするのはよくない。心のおもむくままに好き放題に振舞っていると、世間の批判を浴びてしまうぞ」などと機嫌が悪いのです。自分自身の気持ちでも「確かに」と思い到る点がありますので、ただただ恐縮するばかりです。

「相手に恥をかかせず、どの人も穏便に扱って、女の恨みを負わないように」と桐壺院は重ねて忠告しますので、「もし藤壺中宮との禁じられた秘め事を院が気付いてしまったら」と空恐ろしくなって、早々と ショーモン城を去りました。

 

 メイヤン夫人との仲が桐壺院にも聞き及んでいますので、相手の名誉のためにも、自分のためにも、好色がましく見られるのは気の毒でもあるので、メイヤン夫人をもっと尊重すべきであると心苦しい思いはするものの、いまだに表立って夫人格として扱うことはありません。メイヤン夫人の方も、ヒカルより八歳ほど年上で、不釣合いなことを恥かしく思って、強いて胸の内を明かさない気配を見せていますので、ヒカルはそれをよいことにして、何もせずにいました。メイヤン夫人は二人の仲が桐壺院にも知られてしまい、世間の人も知らない者はいない状態になりながらも、さほど深そうでもないヒカルの心の内をつれないことと歎いています。

 

 朝顔の姫君は義理の叔母として幼い頃から可愛がってくれたメイヤン夫人のそんな嘆きを聞くにつけても、「自分だけは二の舞は演じまい」と深く念じていますので、ヒカルから便りがあっても、

大してさしさわりがない返事ですら、今はほとんどしません。とは言うものの、つっけんどんに無愛想に対応する、という風でもないので、ヒカルはいつも「普通の女とは違う、別格な人だ」と惹かれてしまっています。

 

 

3.アンジェの夫人とメイヤン夫人の車争い

 

 アンジェの夫人は、ヒカルのこういった移り気な心構えを「困ったこと」と苦慮しながらも、ヒカルがあまりにもあっけらかんとしていて隠す様子もないので、文句を言う甲斐もないと、深く怨じることはありません。

 どうやら夫人は妊娠した兆候が見え、気分が悪く悩ましく心細そうにしています。ヒカルは珍しく愛しく感じて心配します。アンジェ邸の誰もが夫人の妊娠を喜びながら、不安にも感じて様々の祈祷などをさせます。そうなるとヒカルも心を休める余裕がとてもなくなって、思い怠るわけではありませんが、訪れがとだえがちになる女性が多くありました。

 

 王さまが替わると、ランス大聖堂の斎宮とトゥールのサン・ガティアン大聖堂の斎院が交代となるしきたりですが、トゥールの斎院には紫陽花皇太后が生んだ王女が選定されました。桐壺院も皇太后も王女をとても寵愛していましたので、斎院にさせることを苦しく思ったのですが、王族の中で他にしかるべき姫宮が見つかりませんでした。斎院就任の儀式などは、規定の祭事ではありましたが、例年行われる葵祭の前に、とても盛大に行います。定まった行事や規定に色々な趣向を付加えて、見所がある見物にしました。これも両親が気にかけている人柄によるものでした。

 

 就任式に行う行列のお供をする上官の数は十二人と各人につくお供たちと定められていますが、声望が高く、容姿も見栄えがある者を選んで、祭服の色や胸当ての紋様、乗る馬の鞍まで、すべて新調します。さらに今回は桐壺院の特別な指示で、大将の君ヒカルもお供に加えられました。

 

 行列はプレッシス(Plessis-les-Tours)城を出発し、大市場通り、コルベール通りを経てサン・ガティアン大聖堂に至る道でした。斎院の就任行列は上官とお供の豪華な衣裳だけでなく、見物に来る貴女の物見車からドレスの袖口や裾をちらりと見せるのを比較し合うのも楽しみの一つで、一種のファッション・ショーの場となっていました。まして今回はカンブレイ同盟の主力国として世相が高揚している上に、院と皇太后が並々ならぬ力の入れよう、との噂が広まって、沿道はすでに見物人と物見車で埋まり、物凄い賑わいでした。所々に設けられた桟敷席には、思い思いの趣向で着飾った貴婦人や侍女たちも見かけられ、彩りを添えていました。

 

 アンジェの夫人はこうした外出をめったにしない上に、妊娠で気分がすぐれず、見物に出掛けるつもりはなかったのですが、若い侍女たちが「さあ、どうしたものでしょう。自分たちがこっそりと見物に出掛けるのでは張り合いがありません」、「今回はことにヒカル大将も行列に加わることが話題となっておりまして、賎しい田舎者ですら行列を一目見ようと、遠地からも妻子を引き連れて見物に来るようです」、「ヒカル様の晴れ姿をご覧にならないのはあんまりです」とこぞって言い張ります。それを聞いた大宮は「このところ、気分がよいようですし、お付きの人たちも見物を騒いでいることですから」と勧めますので、急遽、馬車を準備させます。日が高くなってから、あまり仰々しくないいでたちで車列はアンジェ城を発ちました。

 

 一行はソーミュール(Saumur)城に一泊して、翌日、トゥールに入りましたが、行列が進む大路はすでに隙間もないほど、物見車や見物人が立ち混んでいましたので、花やかな装いをこらしたアンジェの車列は立ち往生してしまいます。貴女用の馬車も多いのですが、馬を引き離した後、馬車が少なめの場所を見定めて、邪魔になる見物人を払いのけていきますが、少し使い馴れた物見車で、車窓のカーテンの趣味がよく、目立たないように奥の方に引っ込んでいるドレスの袖口や裾、童女の上着の色合いがとても清らかなのに、わざとやつしたような気配が見て取れる馬車二台は譲ろうとしません。

「この車はそんな簡単に押しのけられてしまうものではない」と強情に言い張って、手を触らさせようとしません。双方とも酒に酔いすぎた若い衆たちがいて、大喧嘩となって騒ぎたて、手におえなくなります。年嵩の人たちが「まあ、まあ」と宥めようとしますが、制止しきれません。

 

 二台の馬車は新斎宮の母であるメイヤン夫人が「物思いで乱れた心を慰めよう」とこっそりと見物に来ていた車でした。左大臣の従者たちはメイヤン夫人の一行だと気がつかないふりをしているのですが、夫人が乗った馬車であることを承知していました。ヒカルをめぐるメイヤンとアンジェの夫人たちの対抗意識は双方の若い衆にまで浸透していました。

 左大臣家の従者が「その程度の車で偉そうなことを言うな」、「大将ヒカル殿との仲を笠に着ているつもりなのか」などと罵声を浴びせます。従者の中にはシュノンソーの使用人も混じっていて、メイヤン夫人一行を「お気の毒に」と見ながらもかかわってしまうのが面倒なので、知らんふりをしています。

 若い従者たちは、とうとう二台の馬車に車列を押し込んでいきますので、メイヤン夫人の馬車はアンジェの侍女たちが乗った副車に押されて、奥の方に押し込まれてしまい、視界が遮られてしまいます。メイヤン夫人は無念なことはともかくとしても、こんな忍び姿の自分を知られてしまったことが、ひどくいまいましくてなりません。梶棒(轅ながえ)を支える台なども皆押し折られて、梶棒は他の車の車軸筒に支えられて何とか均衡を保っていますので、またとなく体裁が悪く、口惜しくなって「いったい何のためにやって来たのだろう」と悲しくなるものの、どうしようもありません。

 

「見物をやめて帰ろう」ともしましたが、アンジェの馬車に塞がれて大路に抜け出せずに戸惑っていますと、「行列のお通りだ」との声が起こりました。恨めしい人ですが、さすがにヒカルの姿を一目でも見てみたい心の弱さです。それでもここは「葦が生える川辺に馬をとめて水を飲ませる場所」ではありません。馬にまたがったヒカルがそっけなく通り過ぎて行きますので、物思いがさらにつのるばかりです。

 

 行列の中にいるヒカルは通常より思いのままに趣向をこらした車から、我も我もと袖や裾を見せ合う光景にそ知らぬ風を装いつつ、気が惹かれるものには尻目で見やります。左大臣邸の一行の車列はそれとはっきり分かりますので、きわめて生真面目な顔つきをして通ります。ヒカルに従うお供の人たちは車列に向けてうやうやしく敬意を表しながら通過します。

 ちらっとしか見ることができなかったメイヤン夫人はアンジェの一行に侮辱されてしまった屈辱を痛感しました。

(歌)斎院の行列で ただ遠くから見ることしかできなかった御方の つれなさを思うと 

   我が身の不幸をますます思い知ってしまう

と思わず涙がこぼれるのを侍女や従者たちに見られてしまうのもきまりが悪いのですが、「馬上の抜きん出た晴れ姿をちらっとでも見る事ができた」と気を取り直します。

 

 行列に加わった方々は、分相応に衣裳や飾り物を美しく整えています。ことに上官のものは格別なのですが、ヒカルが放つ光りの前では押し消されてしまいます。

 大将格に付く臨時の随身を官位六位の丞などが務めることは通常にはなく、特別の行幸などの折りにだけ許されるのですが、今回はパリへの行幸にもお供をした、空蝉の義理息子にあたる右近蔵人の丞ジェロームが務めています。それ以外の随身もまばゆいほど容姿を整えていて、こうした方々にかしづかれているヒカルの有様は、草木がなびかない者はいない程でした。

 

 沿道には帽子の下の薄いレースで素顔を隠した相当な身分の女たちや世を捨てた修道女の姿なども見かけられ、群衆にもまれよろめきながら見物しています。普段はあまり表立って出歩くことはありませんが、今日だけは無理もないように感じられます。歯が抜けて窪んだ口元をして、白髪混じりの長髪を上着の下に押し込んで背中をふくらませている、賎しい老婆が手を合わせて額にあてながら拝んでいるのはみっともありません。みすぼらしい貧しい男は相好が崩れた自分の顔も知らずに気色満面です。ヒカルがさして眼を止めるはずのない、成り上がりの地方官の娘などが精一杯飾り立てた馬車に乗り、わざとらしく見せびらかしているのも面白い見世物となっています。ましてヒカルがお忍びで通う、ここかしこの女性たちの中には「自分は数にも入らない身だ」と人知れず歎く者も多くありました。

 

 朝顔の父の式部卿宮は桟敷席で見物していましたが、「なんとまあ、成長するにつれて、ますます眩しさを増して行く形相を持っている。神なども魅入られてしまうことだろう」とヒカルの姿に不吉すら感じるほどでした。同席している朝顔は「ずっと以前から言い寄ってくるヒカル君の心ばえは並みの男にはない誠実さが感じられるので、まんざら嫌な気はしない。ましてこれほどの美貌の持主なのだから」とさすがに心にとまります。それでも「これ以上に近付いて親しくしよう」とまでは思い至りませんが、お付きの若い侍女たちは聞き苦しいほどヒカルを褒め称えます。

 

 

4.祭の日、ヒカルと副女官長(典侍ないしのすけ)ニナのやり取り

 

 就任行列の日のアンジェの夫人とメイヤン夫人の従者たちの車騒動について、ヒカル大将に報告する者がいましたので、「誠に気の毒だ。困ったことだ」とヒカルは心配して、「アンジェの御方は貴婦人としての重々しさをお持ちだが、情味に欠ける性格で気が強すぎるところがあるから、本人はそうとは思わずに、そんな騒動になってしまったのだろう。こうした場合はもっと思いやりを示すべきであるが、そこまで思い至らず、日頃からメイヤン夫人側をこころよく思っていない若い衆がしでかしたに違いない。メイヤン夫人は心遣いが奥床しく、見識がある御方だ。どんなに傷ついたことだろう」といとおしくなって、すぐにメイヤン邸を訪れましたが、斎宮となった娘がまだ邸内にいるのに、母親が情人と出逢うのは神さまに対して憚りになる、という口実で、気安く面会しようとはしません。「それはもっともなことだ」と理解しながらも、「何もこれほど、よそよそしくしなくともよいものを」と愚痴をこぼします。

 

 夏の訪れを告げる、毎年恒例の葵祭には左大臣邸の人々は見物に出掛けません。ヒカルはその日はアンジェ城ではなくシュノンソーにいて、祭りの見物に出掛けます。西館へ行って、コンスタンに馬車の用意を命じました。

「侍女たちも見物に行きますか」と語りながら、若紫がとても美しげに着飾っていく様子を微笑みながら眺めています。

「さあ、貴女もいらっしゃい。一緒に見物しましょう」と言いながら、普段より清らかに見える栗色の髪を掻きなでながら、「久しい間、髪を切っていませんね。今日は髪を切るのに吉の日だろうか」と占星術の識者を呼んで吉凶の時刻を調べさせている間に、「まず侍女たちが先に出掛けなさい」と綺麗に装った女童たちの姿を点検します。大層愛らしげな長髪の裾が花やかに切り揃えられていて、模様を浮き上がらせて織ったスカートにふりかかっているのが鮮明に見えます。

 

「姫君の髪は私が切りましょう」と申し出ましたが、「うっとうしいまでの髪の多さですね。今に、どんな風に伸びて行くのだろう」と切り辛そうにしています。

「髪が長い人でも、前髪は少し短めがよいのだが、少しも後れ毛がないのは、かえって風情がないだろう」と言いながら、何とか切り終えて「愛が末広がりに深く」と成人の女となった証しの髪切りを婚約者として祝いました。それを見ながらセリーヌは「まことにかたじけない」と感激していました。

(歌)測り知れないほど深い 海の底に生える海草のように 豊かに伸びて行く栗毛の髪は

   私だけが見届けましょう 

と語りかけますと、

(返歌)海が測り知れないほど深いと どうして分かりましょう 貴方のお心は 潮の満ち干のように 

    定めがありませんから 

と紙に書き付ける様子は才が長けていて、しかもまだ初々しく美しいので、ヒカルは満足感を覚えました。

 

 行列が通過する界隈は今日もごった返していました。駐馬場の辺りで見物しようとしたのですが、すでに上官たちの車が多くて、「面倒になりそうな辺りだな」とためらっていますと、相当の身分の女性たちが乗りあふれている女車から扇を差し出して、お供の人を招き寄せて、「こちらにいらっしゃい。場所をお譲りしましょう」と伝言する女がいました。

「どういう物好きな女なのだろうといぶかりながら、実際に見物によい場所ですから、そこに馬車を引き入れさせます。「どうしてこんなに良い場所を確保できたのです。羨ましいことです」とお供を介して礼を言いますと、品の良い扇の端を折って、歌を書きつけてお供に渡しました。

(歌)神が許す 葵祭の日に 貴方との出逢いを お待ちしていたのに 残念なことに 葵の花をかざす 

   他の女性とご一緒とは

「神域の中の出逢いではありますが」と書いてある筆跡はあの副女官長ニナのものでした。

「浅ましいことだ。いつまで若ぶっているのだろうと憎らしくなって、そっけない返歌をしました。

(返歌)神にゆかりがあると言って 葵の花をかざす貴女の心こそ あてになりません どうせ私だけでなく 

    あまたの愛人に出逢うつもりでしょうに

 

 ヒカルの歌を読んだニナはさすがに恥かしい思いをします。

(歌)葵は出逢いの花というのは名ばかりで 人を空頼みにさせる 草葉にすぎなかったのですね

   出逢いを信じて 葵の花をかざしたのが口惜しい

と返信しました。

 

 見物人の中にはヒカルが女性を乗せて、車窓のカーテンすら開けないことを妬ましく思う人も多くいました。「先日の就任式には麗しい姿で行進をされたのに、今日は女性とくつろいでのご見物だ」、「同乗している女はどなたなのだろう。並みの女ではないだろう」と当て推量をし合っています。

 

「相手にするほどでもない人と歌のやり取りをしてしまった」とヒカルは物足りない気がしますが、ニナのように、さほど厚かましくない女性なら、どこかの女性が相乗りしているのを考慮して、気安く話しかけることを控えてしまうものです。

 

 

5.葵夫人の物怪(悪霊)と出産、急死と葬送

 

 メイヤン夫人は、物事を煩悶して思い乱れてしまうことが、以前よりも頻繁になっていました。ヒカル殿は「頼りにならない御方だ」と結論づけて、「もう、これ限り」とヒカルへの思いを振り切って、ランスへ下っていくのは「とても心細く、世間の人たちからも、ヒカルに捨てられた女として、物笑いになってしまうだろう」と考えたりします。そうかと言ってロワールに踏みとどまっても、あの車争いの時のように、皆から侮られてしまうだけであろう、と不安にかられたりもします。

(歌)漁をするノルマンディーの漁師の 浮き玉のように 広い水面をあちらに流れ 

   こちらに流れ 自分の意思を 定めかねている

と古歌が詠むように、寝ても覚めても思い煩っていると、心が身体から浮き上がり離れていくような気分がして悩んでしまいます。

 

 ヒカル大将はランスへ下って行くことを「不賛成だ」とは言い切らず、「とんでもないことだ」などと止めようともしません。「私のような数にも入らない男を嫌になって捨てていかれるのももっともですが、甲斐性もない男であっても、浅からぬ縁があるのですから、今となっても添い遂げていただけたら」と、持って回った風にしか語りません。

 どうしようかと決めかねている思いを慰めようと、斎院行列の見物に出掛けたものの、アンジェの夫人の若い衆から手荒い仕打ちをされてしまって、ますます何事も物憂く思い込んでしまうようになっています。

 

 左大臣邸では葵夫人に物怪(悪霊)がついてしまったのか、ひどく患っています。誰も誰もが心配していますので、ヒカルも外歩きをするのが具合悪くなって、シュノンソーにも時たま戻るだけになっていました。何と言っても身分が高い上に、正夫人として尊重すべき御方であり、まして妊娠中での病気でしたから、さすがにヒカルもひどく心配して、左大臣家とは別個に自室で加持祈祷や何やらをさせました。

 すると死霊とか生きている人の生霊(いきりょう)とかいった物怪がたくさん出て来て、悪霊を引き寄せる憑人(よりまし)の口を通して様々の名乗りをします。その中に、憑人(よりまし)にどうしても乗り移らず、ただじっと病人に取り憑いて、激しく悩ませることはないのですが、片時も病人から離れない悪霊が一つだけありました。優れたエクソシスト(祓魔師)の威力にも調伏されず、執念深く取り付いている様子が並大抵のものでないように見えます。

 

 ヒカル大将が通う場所を邸の人たちがあれこれ見当をつけていくと、「メイヤン夫人とシュノンソーの姫君こそが思召しの強い二人となり、お二人の恨み心が深いのではないか」と囁きあって、占いなどをさせますが、これと言った確証を得ることはできません。その他の物怪と言っても、取り立てて深い怨念を抱いている悪霊は見えません。故人となった葵夫人の乳母だった人や、あるいはアンジュー公家を代々祟り続けている悪霊が弱みにつけ込んでちらちらと出て来る場合もありましたが、さほど重いものではありません。

 葵夫人はたださめざめと声を出して泣きながら、時折り胸をせき上げ、ひどく堪え難そうに悶えますので、誰もが「どうしたらよいだろうか。どうなることやら」と悲しんで狼狽します。桐壺院からも始終、お見舞いがあり、加持祈祷のことまで助言をするのがかたじけないほどで、万一のことがなければと誰もが夫人の身を案じます。

 

 世間の人たちもこぞって惜しみ歎いていることを聞くにつけ、メイヤン夫人はただならぬ思いをします。葵夫人に対する対抗意識はここ数年はそれほどでもなかったのですが、斎院行列でのふとしたはずみの車騒動以来、恨みの念を抱くようになってしまっていました。左大臣邸ではそこまで思いもよりませんが、メイヤン夫人はこうした物思いの乱れ方は尋常ではないように感じますので、神聖な斎宮となった娘に迷惑をかけたくないため、他の場所に移って加持祈祷をさせてみます。

 

 それを聞いたヒカル大将は「どんな気持ちでいるのだろうか」といたわりたい思いが湧いてきて、逢いに出掛けてみました。いつもと違う仮り宿なので、人目を避けて二人は出逢いました。ヒカルは誠意を持って長い間のご無沙汰を許してくれるよう説明をし続け、病に臥す葵夫人の状況も不安げに話しました。

「私はさほど心配してはいませんが、妻の両親が大変心配して思い惑っているのが心苦しく、こうした時は見過ごしてはいけないと考えています。そんなことも考慮されて、寛大に見ていただけるなら、とても嬉しく存じます」などと説明します。メイヤン夫人が普段よりも心苦しそうに弱々しく見えますので、ヒカルは哀れに感じます。

 

 お互いの気持ちが打ち解けないまま、明け方にヒカルは帰っていきます。ヒカルの優美な後姿を見つめていると、ヒカルを振り切って別れてしまおうという決意が緩んでしまいます。

「正夫人である葵夫人に可愛い児が誕生すると、ヒカルの思いは葵夫人の方に傾いていくだろうし、これまでのように訪れを待ちながら暮らしていくのは気苦労が増すだけだろう。それなのに再会してしまうとヒカルへの思いが再燃してしまう」と煩悶していると、日が暮れる頃、ヒカルから手紙が届きました。

「このところ、少し持ち直してきたように見えていた容態が、急にひどく苦しみ出しましたので、放置しておくわけにはいきません」と書いてありました。

 

「いつもの言い逃れ」と感じつつ返歌をしました。

(歌)涙で袖を濡らす 恋の路とは知りながら クレソンの湿田に入って身を濡らす 農婦のような自分が情けありませ

 「古い歌にもああ悔しい 愛する人の思いは 山に湧く井戸のように浅いので 濡れるのは袖だけだとありますが」と書いてありました。

 

 ヒカルはその筆跡を「さすがに付き合っている女性たちの中でも抜きん出た字を書かれる」と感心しつつ読みながら、「それにしても、何と言ったらよい世の中なのだろう。気立ても容貌も、それぞれの長所があって、捨て切ってしまうことも、この女性一人だけと思い定めることもできない」と苦しい思います。

 返信は非常に遅れてしまいましたが、「『濡れるのは袖だけ』ということはどういう意味でしょうか。貴女のお心ざしが深くはないからでしょうか。

〔歌)袖ばかりが濡れると言うのは 浅い所に立っておられるからでしょう 私の方は 全身がずぶ濡れになるほど 

   深い恋路に はまっています

病人の加減が大したものでなかったなら、自分の口からこの返信を申すのですが」 などと書いてありました。

 

 左大臣邸では悪霊が盛んに現れて、葵夫人の容態はますますひどくなります。

「これはメイヤン夫人の生霊だ、あれは夫人の亡き父ミラノ総督の死霊だ」などと言いふらす者もいる」と聞くにつけて、あれこれ思い続けてみます。「自分自身の薄命を歎くことはあっても、『悪くなれ』と人様を呪う心はないのだが、それでも物思いがつのると、魂が身体から離れてしまうこともあるのだろうか」と思い当たるふしもあります。これまで、数々の辛苦を思い残すことがないほど味わってきましたが、今回の噂ほど心が砕けたことはありませんでした。

 

「つまらぬ車争いで若い衆にないがしろにされ、物の数でもないような仕打ちを受けた、斎院の就任行列の後、屈辱感から燃え上がった恨みを静めることができなくなったのだろうか」と感じることもあります。少しうたたねをしている際に見る夢でも「あの夫人と思える人がとても清浄な姿をしている所へ行って、乱暴に引っ張り回したり、うつつの時には似ても似ない、猛々しく激しいひたむきな心が出て来て、打ちのめしてしまう」などといった光景が度重なります。

 

「なんて情けないことか。私の魂が身体を捨てて行ったのであろうか」と正気を失ったように感じる折々もありましたが、「さほどでないことでも、他人に対して良い方向では言ってくれない世間ですから、ましてこんな話は恰好の話題を提供してしまう種になることだろう」と思って、噂に立ってしまうことを心配します。

「まったく、この世からいなくなった後に、怨念を残すのは普通のことだ。それですら、他人事として聞くなら罪が深く悲しむべきこと なのに、まだ生きている我が身がそうした疎ましい評判を言いふらされてしまう宿命が辛い。もう、どんなことがあっても、あの薄情な御方にどうして心をかけましょうか」と思い返すのですが、それも「一時の思い込み」でしかないのです。

 

 斎宮は昨年内に王宮の身を清める禁中の部屋に入る予定でしたが、様々な差障りがあって、ようやくこの秋に王宮に入りました。十月になるとサン・ジャック街道の一つであるルモヴィサンシス道(Via Lemovicensis)、リモージュ(Limoge)近くのサン・レオナール・ドゥ・ノブラ(Saint-Léonard-de-Noblat)教会に移る予定になっています。この教会はランスでフランス王として初めてキリスト教の洗礼を受けたクローヴィス(Clovis)王が、名付け親になった聖人レオナールを祀る教会で、新斎宮はこの地で再度、身を清めた後ランスに向う慣例となっています。リモージュへの移動準備で邸内の人々は忙殺されますが、メイヤン夫人は妙に怪しげにぼんやりしながら、ベッドに臥して悩んでいますので、周りの人たちは一大事と感じて、祈祷など様々な対応をさせます。重病といった様子ではなく、ふらふらと患いながら月日が過ぎていきます。ヒカル大将も頻繁に見舞いの手紙を送りますが、もっと大事な葵夫人の方が重く患っていますので、メイヤン夫人を訪問する余裕はありません。

 

 葵夫人の出産の時期はまだだろう、と人々が油断していると、にわかに出産の兆候が出て来て、悶え苦しみだしました。病気治癒に加えて安産など数限りの祈祷をするのですが、例の執念深い一つの物怪だけは夫人から離れません。高名なエクソシストたちも「こんなことは珍しいことだ」と持て余してしまいます。

 物怪はさすがに、厳しく調伏されて苦しそうに泣き声を上げます。「調伏を少し緩めてください。ヒカル大将に申し上げねばならないことがあります」と葵夫人の口を通して告げます。「やはり、何か訳があるのだろう」と夫人が臥すカーテンの内にヒカルを入れました。「もう、死期が近付いて、遺言か何か言い置きたいことがあるのだろう」と両親の左大臣と大宮はしばらく席をはずしました。祈祷をする僧たちは声を静めて、マルコによる福音書の「悪霊に取り憑かれた人」の節を詠んでいるのが、この上なく尊く聞えます。

 

 カーテンの垂れ幕を引き上げてヒカルが夫人を見てみると、とても美しい姿をしていて、お腹だけがとても膨れて臥している様子は、他人が見たとしても気が動転してしまいます。まして自分の妻ですから、惜しく悲しく思うのは道理です。病人用の白い衣服を着ていて、顔色は病熱で赤く花やかになっていて、非常に長い髪を中途で束ねて枕の横に添えています。病身ですが、可愛らしさとなまめかしさが添えられて、魅惑的にすら見えます。

 夫人の手をとって、「とても悲しいことです。私にこんな苦しい思いをさせるなんて」と、多くは語らずに涙を浮べていますと、普段はとても気難しく、気が引けて近付き難い眼差しをとてもだるそうにしながらヒカルを見つめて、はらはらと涙をこぼす様子は哀れさの度合いが浅いはずはありません。あまりにもひどく泣き続けますので、「悲嘆にくれる両親のことを思いやったり、眼前にいる私を見るにつけても、この世を去るのを残念に思っているのだろう」と察します。

 

「何にしても、そう思い詰めてはいけません。さほど、ひどくはありません。万が一のことがあっても、夫婦は必ず出逢うようになると言いますから、あの世で再び逢うことがありましょう。左大臣や大宮など、深い契りがある間柄なら、どこへ行っても縁が絶えることはなく、再会できると思いなさい」と慰め続けますと、「いえ、そういうことではありません。この身がひどく苦しくなっていますので、調伏をしばらく休めてくださいと言いたくて、お呼びしたのです。こうやって迷い出て来ようとは、さらさらも思っていなかったのですが、物思いをする人の魂はこんな具合に身体から離れていくものなのですね」となつかしげに語ります。

(歌)歎き苦しんで 身体から抜け出して 空中に漂う私の魂を ドレスの裾端に 結び留めてください 

と話す声や気配は葵夫人のものではなく、別人のものでした。

 

「何とも不思議なことだ」と思い巡らしてみると、全くあのメイヤン夫人そのものです。先日から浅ましいほど人がとやかく噂をしていましたが、悪意を抱く者たちが言い騒いでいるだけだ」と聞き辛く思って、無視していましたが、実際に目の前で見てしまうと「世の中にはこういうこともあったのか」と気味が悪くなってしまいます。

「何とも心憂いことだ」と嫌になって、「そんなことをおっしゃいますが、どなたであるかを知りません。はっきりと名乗ってください」と問いますと、様子がメイヤン夫人そっくりになりますので、「浅ましい」どころの騒ぎではありません。侍女たちが近くに寄ってきますので、見咎められてしまったら、と気が気ではありません。

 

 夫人の声が少し静まりましたので、「少しは楽になったでしょうか」と大宮が薬湯を持ってカーテンの中に入ってきましたので、侍女が抱き起こしますと、ほどなくして赤児が生まれてきました。

 人々は限りなく「嬉しい」と喜び合うのですが、憑人に乗り移した物怪たちが妬んでうろたえ惑う気配が騒がしくなって、後産がとても心配になります。限りないほどの願文などをたてた効果が出たのか、滞りなく後産が済みましたので、フォントヴロー(Fontevraud)僧院の院長やどこかしこの高僧たちはは誇らしげな顔で、汗を拭きながら急いで帰っていきました。

 

 心を尽くして看護してきた多くの人たちも少しほっとして、「もう危機は去った」と安心します。祈祷などを再度、始めさせたのですが、まず差しあたっては誕生したばかりの乳児の世話で皆、幸福感に浸っています。桐壺院を始めとして、親王や高官たちが残る人なく出産祝いの品々を贈り、珍しく立派な品々を毎夜のように拝見して騒ぎ立てます。生まれた児は男子ですらありましたから、それにふさわしい儀式が賑やかに華やかに行われました。

 

 メイヤン夫人はそうしたアンジェ城の有様を聞き及ぶと、胸中は穏やかではありません。「かねてから危ないと聞いていたけれど、無事に出産されたのか」と戸惑いを覚えたりします。不思議なことに、我にもあらぬようにさまよい出た心地の後を振り返ってみると、着ている衣服にも僧侶が焚いた香炉の匂いが沁み込んでいました。奇妙なことと思って、髪を洗ったり衣服を着替えたりしても、なおも匂いが消えませんので、我が身のことでありながら忌まわしく思います。まして世間の人が生霊のことを言い騒いでいますので、香炉の香りのことなどは他人に話すべきことではありません。心を一つに収めて思い歎いていると、ますます気が変になっていきます。

 

 ヒカル大将は気分が幾らか落ち着いていくと、あの浅ましい生霊が問わず語りに話したことを不快に思い出します。メイヤン夫人と長い間、逢わずにいるのも心苦しくなるものの、身近に出逢ってしまうと、どうしても嫌気を感じて、夫人のためにもならないだろう、とあれこれ気配りをして、手紙を送るだけに留めています。

 

 出産の前に重態となった葵夫人の病後は恐れが多く油断できないと、誰もが気にかけていますので、「それも当然なこと」とヒカルも承知して外出をしません。夫人は今もなお、苦しそうにしていますので、平常に戻って同じ部屋で過すことはまだありません。赤児が恐ろしいほど美しく見えますので、今のうちから、とても大事そうに寵愛する様子は一通りではありません。

 左大臣も念願がかなった心地がして、「とても嬉しく、結構なことだ」と喜んでいますが、ただ葵夫人の容態がすっかり回復しないことを不安に感じていました。「でもあれほどの重病の後であるから、これも普通のことであろう」とさほどには案じることはありません。

 

 赤児の目元の美しさなどが冷泉王太子と非常によく似ているのを見つめていると、王太子を急に恋しく思い出し、堪えきれずになってブロワの王宮へ上がる気になりました。

「王宮などに、あまり久しい間、参上しないのも心もとないので、今日にでも初外出をしようと考えますが、出掛ける前に、もう少しお側近くで話をしたいものです。あまり他人行儀にしていると、心が隔たっていくばかりです」と無理を言いますと、仲介する侍女も「確かに。夫婦の間柄というのは体裁だけを気にするばかりではありません。ひどく衰弱されておられると言いますものの、物を隔ててお逢いする間柄でもないでしょう」と忠言します。臥しているベッドの近くに座を設けましたので、ヒカルはカーテンの内に入って話をします。

 

 葵夫人は時々、返答をするものの、ひどく弱々しそうです。それでも「一時はもう助からない」と諦めた時を思い出しますと、夢のような心地がします。不安に堪えられなかった頃のことなどを話して聞かせているうちに、ふっつりと息もたえだえになっていた夫人が、にわかにぶつぶつと話し出した時のことを思い出して不愉快な気分になります。

「まあまあ、話したいことは沢山ありますが、まだ大儀そうに見えますから」と言いながら、「薬湯をお飲みなさい」など、かいがいしく世話を焼きますので、「こうしたことをいつ習得されたのだろう」と周囲の人たちはしみじみと感心し合います。

 

 大層美しい人がひどく衰弱して、あるかなきかの有様で打ち臥している姿はいじらしくもあり、痛々しくもあります。髪は一筋の乱れもなく、さらさらと枕にかかる風情は類がない程に見えますので、「長い間、何で飽き足らない気持ちで見ていたのだろう」と不思議なほど長く夫人を見つめます。

「桐壺院などに上がってから、直に戻ってきます。こんな風に何の気兼ねもなく逢うことができれば、とても嬉しいのですが、大宮が付きっ切りでお世話をされているので、『お邪魔をしては』と遠慮をしているのも辛いことです。とにかく心を強く持って元気になられて、いつもの部屋に戻ってください。母上に甘えてばかりでいると、いつまでもこのままでいてしまいますよ」などと話して、とても清らかに着衣をして出掛けていくのを、いつもより目を凝らしてじっと見ながら臥しています。

 

 この週は秋の官吏昇進の評議が行われますので、左大臣も王宮に参上します。息子たちもめいめいの望みがありますから、このところ父大臣の側を離れようとはせずに、皆、大臣に付いてアンジェ城を発ちました。邸内は人が少なくなって、ひっそりとした時分に、葵夫人は急に胸をせき上げて、ひどく苦しんで悶えます。左大臣一行に急を告げる使いを送って間もなく、息が絶えてしましました。

 大臣一行もヒカルも誰もだれもが大慌てで戻って来ました。翌日は官吏任命式となっていましたが、左大臣家の不幸を知った王宮は仕切り直しをして、任命式を延期しました。

 

 皆、わめき騒ぎますが、すでに夜半でしたから、フォントヴロー僧院の院長やここかしこの僧たちを招くのに時間がかかります。「もう大丈夫だろう」と油断をしてしまったことが悔まれて、邸内の人たちはぼう然としています。早くも方々から弔いの使者たちが詰め掛けて来ますが、とても取次ぎができず、上を下への大騒ぎをするだけで、近親の人たちの歎きぶりは恐ろしいほどに見えます。

 これまでも物怪が度々、夫人に取り付いて仮死状態になったことを考慮して、枕や寝具などをそのままにして、二、三日、様子を見ていたのですが、次第に顔や身体が変わっていきますので「もうこれまでだ」と諦めざるをえなくなって、誰も誰も並々の悲しみではありません。

 

 ヒカル大将は夫人を失った悲しみに添えて、世の中がとても厭わしいものと思い沁み、並々ならぬ方々からの弔問にも、「うっとおしい」と感じるだけでした。桐壺院も悲しみ歎いて、弔いの使者を寄こしましたので、左大臣は光栄に嬉しく思う気持ちと愛娘を亡くした悲しさが入り混じって、涙が乾く暇がありません。

 人の助言に従って、遺骸が段々と変わっていくのを見ながらも、「息を吹き返すかもしれない」と厳しすぎる蘇生の術を様々に余すところなく行いますが、何の甲斐もなくて日が経って行きます。「もう仕方ない」とフォントヴロー僧院に葬送せざるをえなくなりますが、傷心することが多いのです。

 

 こなたかなたから来る弔問の人たち、賛美歌のために召集されたあちこちの教会の僧たちなどが広い僧院を埋め尽くします。桐壺院は申すまでもなく、皇太后や王太子などからの使者、さほどでもない人たちも入り交じって、限りないほどの忌詞が読み上げられていきます。左大臣は立ち上がることもできません。「こんな歳になってから、若い盛りの娘に先立たれて悲嘆にくれてしまうとは」と恥じ入りながら泣く左大臣を多くの人が悲しみの眼で見つめています。夜通し続く大葬儀となりましたが、はかなくなった遺骸を惜しみながら、参列者は皆、早暁に帰途につきました。

 

 死は常にあることですが、ヒカルは愛する女性を失った経験はこれまで夕顔の一人しかなかったので、亡き妻をこの上もなく思い焦がれます。九月二十三日過ぎの有明の朝で、空の景色も悲しみに深く包まれています。子を思うあまりに思慮分別がつかなくなった左大臣の悲嘆を見るにつけ、「それも道理である」と見るに忍びなく、ヒカルは空ばかりを見つめています。

(歌)霊魂が石棺から立ち昇り 雲の中に包まれていく それがどの雲かは分からないが 

   空全体がしみじみ哀れに感じてしまう

 

 アンジェ城に戻ってきても、露ほどもまどろむことができません。葵夫人とのこれまでの夫婦生活を思い出して、「どうして自分は『最後には自然と理解してくれるだろう』とのんきに構えて、なおざりな浮気ごとで辛くさせてしまったのだろう。結局のところ、私のことを疎ましく恥ずべき男と思ったまま、この世を去ってしまった」など悔まれることを次々と思い出さずにいられませんが、もはや何の甲斐もありません。

 

 服喪期間の鈍色の衣服を着るのも夢のような心地がして、「もし私が先立っていたなら、葵君はもっと濃く染めたものを着たのだろう」と思うと悲しみがさらに増して行きます。

(歌)きまりがあるので 薄い色の喪服を着ているが 涙で袖は 深い淵のようになってしまった 

詠む様子は一塩、なまめかしさが勝っています。聖書を小声で読みながら、「アヴェ・マリア」を唱える姿は行い馴れた僧よりも尊く思えます。

 赤児を見ると、

(歌)亡き妻とを結んでくれる 形見の子がいなかったら 心の憂いを忘れさせてくれる 

   忘れ草を摘むことになっただろう

と涙がちになってしまうのですが、「せめて、こうした形見を残していってくれたから」と自分を慰めます。

 

 大宮は意気消沈したまま、起き上がることもしませんので、命が危なくなっていると邸の人々は恐れて騒ぎ立て、祈祷をさせています。

 

 

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