その27.篝火              (ヒカル35歳)

 

1.ヒカルの内大臣性格評、玉鬘がヒカルに接近

 

 この頃、世間の人たちの話題の種は内大臣の新しい姫君に関してで、何かにつけて言い触らしているのをヒカルは聞きつけて、「とにもかくにも、人目につかない所に籠もっていた女子を適当な口実があるにせよ、大層ものものしく迎え入れて、ああやって人前に出して、話の種にされているのは理解できないことだ。アントワンは大層物事にけじめをつけ過ぎる性格だから、異国育ちの娘を深く調べもせずに引き取ったものの、気に入らなかったので、そっけない扱いをしているのだろう。すべて物事はやり方一つで、穏便にすむものだからね」とヒヤシンスに同情していました。

 

 そんなヒカルの話を聞くにつけても、玉鬘は「確かに内大臣に引き取られなくてよかったのだ。実の父と言いながら、日頃から馴れ親しんでいるわけでもないから、恥ずかしい思いをしてしまうこともあったことだろう」と今になって思い知りました。それに気付いたミモザも太政大臣の情愛をよく申し聞かせました。

 太政大臣は確かに嫌悪すべき好色心があるというものの、気持ちがおもむくままに我を張り通すこともなく、ますます深い愛情ばかりが増していきますので、玉鬘もようやく不安なしに打ち解けていくようになっています。

 

 

2.神聖ローマ帝国軍がマルセイユを占領

 

 ローヌ川をめざしてプロヴァンス地方を西下していた、シャルル・ブルボン元帥が率いる神聖ローマ帝国軍は八月十九日、ついにマルセイユを占領しました。帝国軍はマルセイユを拠点に中央山塊部のオーヴェルニュ地方経由でブルボン元帥が失ったブルボン公国奪還をめずすことが予測されますが、対抗策の準備が遅れているフランス軍は、しばらくの間は傍観せざるをえない状況にありました。

 帝国軍はイタリア人に加えて、スイス傭兵、ドイツ諸国やネーデルランドの兵士たちから形成されていましたが、幸いなことにブルボン元帥や元帥に追従して帝国側に寝返ったフランス人将校の統率がしっかりしているせいか、占領につきものの掠奪や破壊行為などはあまりないようでした。

 

 ヒカルが思い描いている筋書きは、今年十七歳になる冷泉王をフランス軍の総大将につかせ、帝国軍を追い払いながら北イタリアに再進入してミラノを奪還し、凱旋帰国した冷泉王を自立させ、自分は煩雑な政務から一歩身を引いて、勤業に励んでいく、というものでしたか、まだ誰にも打ち明けずにいました。

 

 

3.ヒカル、玉鬘とヴィエルを枕に臥し、恋歌を贈答

 

 秋の訪れを告げる初風が涼しく吹き出しました。王宮では南仏で攻勢を続ける帝国軍への反撃策会議が繰り返されますが、これといった妙案が浮ばずに陰鬱な空気が漂っています。

 

私の愛する人の 服の裾に吹き 裏返しをさせて はっとさせる 秋の初風といった歌のように、もの寂しい心地がしますので、ヒカルは堪えかねて頻繁に玉鬘の許を訪れて、一日をそこで送りながらヴィエル(ハーディガーディ)などを教えたりしました。新月から五日か六日目の夕月夜が早く沈んで、少し雲がかかった空景色の中、水辺の荻の葉音が次第にしみじみと鳴り騒ぐ頃になっています。

 

 ヒカルはヴィエルを枕元に置いて、玉鬘と一緒に横になっています。

「こういった奇妙な関係もあるのだな」と溜息をつきながら、夜更けになりましたが、やはり侍女たちから咎められてしまう事が気になりました。南の町に戻ることを決めましたが、前庭の篝火が少し消えかけていましたので、お供の官位五位の右近大夫を呼んで追火をさせました。

 大層涼しそうな鑓水のほとりに、風情ありげに横広がりに枝を伸ばしているネズ(杜松。Genévrier)の側に松明をあまり目立たないように置かせて、遠火のように灯させると、室内から見るととても涼しそうな、ほどよい光りになって、玉鬘の美しさが浮き出ました。髪の毛の具合が非常にひんやりと気品がある心地がして、打ち解けないように気恥ずかしそうにしている気配がとても可愛いらしいので、帰りづらくためらってしまいました。

 

「ずっと人が付いていて、火をたやさないようにしなさい。夏の月のない時分は、庭に灯りがないと、ひどく気味が悪く、頼りげがない気分になってしまう」と言葉を添えました。

(歌)篝火と一緒に立ち昇る 私の胸の思いの煙こそは いつになっても消えることがない

と詠んで、「いつまでこの奇妙な関係が続くのだろうか。くすぶっているだけの、苦しいだけの下燃えというものです」と庭から話しかけました。

 玉鬘も「奇妙な仲」を承知していますので、

(返歌篝火と一緒に立ち昇る 恋の煙なのなら 行方も分からない空に 消えてください

「人が怪しく思うでしょうに」と当惑していますので、ヒカルは「まあ、それでは」と離れていきました。すると東の対の方から、笛の音に吹き合わせるバグパイプの音色が聞えて来ました。いつものように息子の中将にまとわりついている若者たちの合奏でした。

「笛を吹いているのはアンジェの頭中将に違いない。吹く音色が格別だ」と立ち止まって聞き入りました。

 

 

4.二人の中将たちがヒカルと合奏、アンジェの中将の玉鬘恋慕

 

「涼しげな篝火に引き止められて、こちらに来ていますよ」との伝言を伝えさせますと、二人の中将とロランの三人がうち連れてやって来たので、ヒカルは三人を連れて玉鬘の住まいに戻りました。

 

秋が来たと はっきり目には見えないけれども 風の音で 秋の到来にはっと驚いたと吹き出した笛の音に、ヒカルは「我慢できなくなった」とヴィエルを取り出して、なつかしげに弾きました。

 息子の中将は十二音の一つを主音にして笛をとても面白く吹きました。アンジェの中将は玉鬘を意識してなのか、歌いにくそうにしています。「遅いね」とヒカルに言われたので、弟のロランが低い声で歌い出しましたが、秋の虫の声のようでした。二度繰り返して歌わせた後、ヒカルはヴィエルをアンジェの中将に譲りましたが、父の内大臣に少しも劣らずに、花やかに面白く弾きました。

 

「室内にヴィエルの音を聞き分ける人がおられますよ。今宵は私は酒杯を控え目にします。盛りを過ぎてしまった者は、酔い泣きをしてしまうついでに、思いもしないことを口走ってしまうからね」とヒカルが話すのを、玉鬘も「本当にせつないことだ」と聞いています。

 玉鬘は「切ることができない血縁でつながっているのだから、いい加減にはできない」と人知れずアンジェの若者たちに気を配っていますが、当人たちには全く思いもよらないことでした。ことにアンジェの中将は心のありったけを尽くして玉鬘に思いを寄せていますから、こうした機会でも、押さえきれない気持ちをしながらも、体よくつくろいながら、ほとんど心を開いて弾くことはありません。

 

 

                  著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata