その34.若菜 上          ヒカル 38

 

1.朱雀院の第三王女先行き不安

 

朱雀院は冷泉王のヴィランドリー城への行幸に出席した時分から、心身ともに平常ではない状態が続きました。元々病気がちな身でしたが、今回は非常に心細く、この先が思いやられました。

「かねてから信仰生活に入りたい願望が強くあったのだが、母の紫陽花王太后の存命中は、何かと遠慮をしてしまって今に至るまで見合わせていた。しかし神も急き立てているのだろうか、この先は長くはない心地がする」と言いながら、信仰生活に入る用意をさせていました。

 

子供たちは安梨王太子を除くと、王女が四人いました。朱雀院の貴婦人たちのうち、桐壷王の父の弟親王の娘で臣籍に降下した藤壺と呼ばれた女性がいました。朱雀院がまだ王太子だった時に貴婦人として上がり、いずれは女王の地位につく可能性もありましたが、これと言った後見役がおらず、実の母も身分が低い貴婦人の娘にすぎなかったことから頼りがいがなく、王宮でのお付き合いでは肩身が狭い思いをしていました。まして紫陽花王太后が後押しする朧月夜が女官長として王宮に入った後、他に競争相手がいないほどの寵愛を受けたことから、藤壺は気押されてしまいました。朱雀王は心中では「愛おしい女性だが」と感じながらも、若くして譲位してしまったので、「貴婦人としての甲斐もない残念な人生だった」と我が身の不運を恨みながら亡くなってしまいました。

 

朱雀院は藤壺が生んだ第三王女を、四人の王女たちの中でとりわけ愛しい者に思って、大切に育てていました。年齢はその時分で満十二か十三歳でした。

「いよいよ世を捨てて僧院に籠ることにするが、後に残される第三姫君は誰を頼りにして生きていけばよいのだろう」と朱雀院は、ただこのことだけが不安でした。    

パリ北東のロヨーモン(Royaumon)修道院に造らせていたシャペル(礼拝堂)が完成したので、スリー城から引越しする準備を進めるかたわら、第三姫君に成人儀式の「裳着」を思い立って支度を急がせました。スリー城内に秘蔵している宝物や調度品などは言うに及ばず、ちょっとした遊び道具や楽器類まで、少しでも由緒がある品々は「まず三宮へ」と譲り、残りの品々を他の子供たちに分配しました。

 

安梨王太子は「ああした持病に加えて、遁世の気持ちを強めている」などを聞き知ったので父の朱雀院を尋ねましたが、実母のアヤメ貴婦人も付き添いました。アヤメ貴婦人はさほどの寵愛を受けてはいなかったものの、王太子が誕生してからは、限りない幸せを持った運命になっていましたから、昨今の話題を朱雀院と細やかに取り交わしました。

朱雀院は王太子にもあれこれ、世を治める時の気構えなどを教唆しました。満十二歳の王太子は年齢よりも大人びていましたし、後見役も黒ヒゲ大将など身分が軽々しくはない人たちがあちこちに控えていましたので、朱雀院も先行きを安心しながら話していました。

「もはやこの世に恨みを残すことはない。スリー城に女官たちが大勢残ってしまうのが気になる。(歌)歳を取ると避けられない別れもあると言うから ますます逢っていたい貴女です といった歌のように、世を捨てる足かせになってしまう。これまで人の運命を見聞して来たが、女というものは自分の意志とは違って、軽薄な男に貶められたりする宿命であることが、誠に口惜しく悲しい。王さまになって自分の思うようにできる時代になったら、何かにつけ姉妹に留意して、眼をかけて欲しい。姉妹の中で、しっかりした後見人がいる者はその人に任せておいても良いが、母を亡くした第三王女はまだあどけなさが残っている年齢でもあるし、私一人だけを頼りにして来た。その私が世を捨てて修道院に入った後、途方にくれてしまうことがたまらなく気がかりで、悲しく思っている」と眼を押しぬぐいながら、王太子に後を託しました。

アヤメ貴婦人にも、温かい気持ちで第三王女に接してくれるように頼みましたが、第三王女の母が他の貴婦人たちより寵愛されて時めいていた際中は、皆が競い合って親密な仲ではなかったことから、その影響がまだ残っていました。もちろん今は第三王女に対して憎いという気持ちはありませんが、「本当に心をこめて後見をしてあげよう」とまで思ってはいなかったことは想像できます。

 

朱雀院は朝な夕なに、第三姫君のこれからを心配していました。年が暮れていくにつれ、病は本当に重くなって行き、寝室から出ることもなくなりました。時々、物の怪に悩まされることもありましたが、こんな風にここまで長引き、止む時もなく苦しむので、「やはり今回が最期だ」と思い切りました。

今は王位を下りていますが、在位時代に恩寵を受けた人たちは今もなお、朱雀院の優しく寛容な人柄を心の慰め所としてスリー城を訪れて御用を務めていますから、病の重さに胸を痛め惜しみ、悲しんでいました。ヴィランドリー城からも頻繁に見舞いがありましたが、ヒカルが直々に訪ねて来る由を聞いて、朱雀院はひどく喜びました。 

 

まず息子の夕霧中納言が見舞いに来ましたので、朱雀院は寝室に招き入れて、親しげに話をしました。

「故桐壷院が臨終の間際に、多くの遺言をされた中で、とりわけヴィランドリー城の主と現王のことについて言い残された。王位を継いで公けの身分になってしまうと制限があって、心の中での親近感は変わらないものの、ちょっとした事の行き違いから父上の恨みを受けることもあったと思う。それでも貴殿の父上は長い間、その当時のことを恨んでいる気配を漏らしたことはなかった。

賢人といえども、自分の身の上のことになると、事変わって動揺してしまい、必ず報復しようと、道を踏み外した行為をしようとするのは、昔ですら多くあったのだが。世間の人も『何かの折りに、そうした報復心が露見するだろう』と思い疑っていたが、とうとうここまで辛抱し通されて、王太子などにも好意を寄せてくれている。その上、サン・ブリュー姫が王太子の貴婦人として上がったので、またとない姻戚関係となって睦びあってくれるのを、内心ではこの上なく嬉しいことと思っている。王太子については、生来の自分が愚かであることに加えて、我が子を思う道の闇に迷い込み、見苦しい振る舞いをしてしまうのもどうか、と考えているので、よそ事として見て見ぬようにしている。

現王について言うと、桐壷院の遺言に違えずに王位を譲り、今見るように末世の時代の聡明な明君として、私の代の不面目を取り戻してくれているので、我が意を得たと、とても嬉しく思っている。貴殿の父上とは、先日のヴィランドリー城への秋の行幸でお会いした後も、昔の話も含めてなつかしくも、もどかしくも感じている。お逢いして申し上げたいこともあるので、是非ともご本人がお越しになるように、貴殿からも勧めて欲しい」などと、涙ぐみながら告げました。

 

「遠い昔に過ぎ去ったことについては、私は何とも分かりかねます。成人して王宮に仕えるようになって、世の中の出来事を見聞するようになりましたが、大小の公事についてや内輪の話の際にでも、貴方さまと遠い昔に憂うべきことがあったことなど、ほのめかしたことはありませんでした。

 父上はただ、『こうやって現王の後見役を辞退して、静かな遁世の望みを叶えようと、すっかりこの城に引き籠ってからは、どのような事も関係がないようにして、故桐壷院の遺言を守ろうともしていない。朱雀院が王位におられた頃は、私もまだ歳が若かったし、人としての器も出来ていなかった。朱雀王の周りには、賢明な上位の人たちが多かったから、私の思いを充分にご覧いただく機会もなかった。今はああして王位を下りて、静かに暮らしておられるので、思いのまま心おきなく語り合ってみたいのだが、いかんせん准太上王の称号を賜って、何となく窮屈な身分になったので、ついついそのまま月日が過ぎて行く』というようなことだけを時折こぼしております」などと夕霧は返答しました。

 

まだ二十歳にも満たない年齢でしたが、すべてがうまく整っていて、顔立ちも今が盛りの色つやに満たされ、非常に清らかな様子をじっと見つめながら、処置に悩んでいる第三王女の後見役に「こうした男がなってくれたら」などと、人知れず思いやっていました。

「貴殿は身を固めて、今は太政大臣の邸に落ち着いた、という話を耳にした。長い間、『独り身でいるのが不可解だ』という話を聞いていたが、それで安心した反面、残念に思うこともある」と意味ありげに話すので、夕霧は「何のことを話そうとしているのか」と奇妙に感じて思いをめぐらせました。

「そうか、朱雀院は第三王女の処遇を扱いかねて、『しかるべき人物がいるなら、その人に預けたら安心して世俗から離れることができると、周りにいる人に話されている』という話を自然に漏れ聞いている。その件の筋で話しているのだろう」と思いつきましたが、それを理解した顔をして返事をすることはできません。ただ、「何の頼りにもならない身ですから、中々、格好な縁を見つけかねております」とだけ答えて、会話をやめました。

 

 侍女たちは覗き見しながら、二人の話を聞いていました。

「大層有難いお方のように見えます。顔かたちや仕草も」、「おめでたいお方ですこと」などと寄り集まって話しています。年配の侍女は「さあどうでしょう。そうは申しても、あのお方の父上が同じ歳ごろだった頃の様子を知っていたら、較べようはありません。本当にまばゆいほどの立派さでした」などと言い合っています。

侍女たちの話を聞きつけた朱雀院は「確かにヒカル殿は並みの人とは違っていた。今はまた熟成されて、『光る人』というのはこういうことを言うのかと見える雰囲気がさらに加わっている。公的な舞台ではきちんとして頼りがいがあり、大層鮮やかに事を進めるので、目も眩い気持ちがする。また一方で、くだけて冗談を言ったりふざけ合う遊びとなると、この方面では似る者がいないほど愛敬があり親しみがもて、その優美さはこの世で並ぶ者がいないほどの有難さだ。何事につけてもこれまでの善行が思いやられる、稀な様子を持った人物である。

父上は王城の中で育てられ、桐壷王が限りなく愛しい子として、あんなにも溺愛され、わが身以上に大切にされたが、本人は心驕りもせずに自重して、二十歳になるまでは官位四位の中納言にもならずにおられた。確か二十一歳で宰相と官位三位の大将を兼任された、と思う。それを考慮すると、息子の中納言がえらく出世をしているのは、段々と一門が盛んになって来たからだろう。実際、学問の素養や心構えなどはおさおさ父上に劣っていそうでもなく、ひょっとすると父親が及ばないほど勝っている感じがするのも、誠に奇特なことだ」と誉めそやしました。

第三姫君がとても可愛いらしげで、まだ幼く無心な様子を見るにつけ、「この姫を可愛がってくれ、まだ未熟な部分も大目に見てくれて、教え込んでくれる人に預けることができたなら安心なのだが」とも話しました。

 

朱雀院は乳母ヴィヴィアンなど主だった人たちを呼んで、裳着の式について話をするついでに、「ヴイランドリー城の主が式部卿の娘を育て上げたように、第三姫君を引き取って育て上げてくれる人がいないものだろうか。そんな人物は並みの人の中にはいそうもない。現王に引き取ってもらったとしても秋好王妃がおられるし、他の貴婦人たちも高貴な家柄の方々ばかりが揃っておられるから、しっかりした後見がいないと貴婦人がたに交わっていくのは並大抵のことではない。今日訪れて来た権中納言が独り身でいた間に仄めかしてみるべきだった。夕霧はまだ若いが際立って立派であるし、将来も有望な人物に思えるし」とも話しました。

すると古くから仕える侍女が「そうはおっしゃいますが、中納言さまは元々生真面目なお方で、長い間、太政大臣の娘さんに思いを寄せて、他の女性に思いを移すことはありませんでした。その願いを叶えられたのですから、他の女性に心を動かすことはありえません。むしろヴイランドリー城の主こそ、何と申しましても、いかなる場合でも女性を床しく思われるお気持ちは今でも絶えておりません。そうした中でも、ご執心が深かった前斎院の朝顔さまを今でも忘れがたく思っておいでに聞いております」と口をはさみました。

「確かにそういった相変わらずの浮気心はかなり心配ものだね」と朱雀院は答えたものの、「確かに大勢の婦人たちの中に入って、不愉快な思いをすることだろうが、やはりここは親代わりと考えてもらって譲ってあげる形にしたら」との考えに至ったようです。

 

「本当に、結婚をさせて少しでも世間並みの生き方をさせたい、と願う娘を持っていると、同じことならあの人の側に添わせてあげたいと思うものだ。どうせ長くもないこの世に生きている間は、ああした兄のように心ゆく限り、楽しんで過ごしてみたいものだ。私が女であったなら、同じ兄妹とは言っても、間違いなく睦び合っていたことだろうと、私が若い頃などには、よくそう思ったものだ。だから女が誘惑されてしまうのも、至極もっともなことだ」と語りながら、心中ではヒカルに惚れてしまった元女官長の朧月夜のことを思い起こしているようでした。

 

 

2.朱雀院の熟考、第三王女とヒカルの結婚の打診

 

第三王女のお世話をする人たちの中でも地位が重い乳母ヴィヴィアンの官位五位の兄はヒカルと親しい人物でしたが、長年、朱雀院に仕えていました。妹を通じて三宮にも好意を抱いていましたが、スリー城にやって来た際に妹と雑談をしているうちに、「ご主人さまがヴィランドリー城の主にしかじかのご意向をお持ちです。折りがあればヒカルさまにそっと漏らしてください。王女が独身のままでいることも通例ですが、何かにつけて好意を寄せてくれ、何事にも後見をしてくださる人がいると心丈夫です。残念ながらご主人さまを除くと、親身になって第三姫君をお世話する人もありません。私どもがお仕えするとしてもどれほどのお役に立てましょうか。

お側に仕えているのは私一人だけでなく、多くの者が仕えていますから、自然と思いも寄らないことも起きてしまい、浮いた噂が立ってしまったなら、どんなにか煩わしいことになってしまいましょう。ご主人さまがお元気なうちに、ともかく第三王女の身が定まってくれたなら、私たちも仕えやすくなりましょう。尊貴な身分とはいうものの、女というものは本当に運命が定めがたい存在ですから、色々と心配なことがあります。四人おられる王女のうち、ご主人さまはとりわけ第三王女を愛しんでおりますから、人の嫉みもありましょう。何とか些細な傷すらつかないようにしたいのです」と妹が兄に相談をもちかけると、兄は返答しました。

 

「どうしたわけなのか分からないが、ヒカルさまは不思議なほど気の長い御方です。仮にせよ、見初めた女性は心を留めた人だけでなく、それほど深い関係に入らなかった人も、その人なりに迎え入れて、邸の中に大勢の婦人を集めています。とは言っても、大切に思われておられる婦人はお一人に限られていますので、そちらに押されて甲斐もない暮らしをされている婦人たちも多くいます。第三王女とご縁があって、万が一、ヒカルさまが引き取るようになったとしたら、その大切に思われているお方でも、身分的には三宮さまと肩を並べることはできないだろうと推察できるものの、必ずしもそうはならないと案じられる節もある。

ヒカルさまは『この歳になって身に余る栄華を得て、心残りになることはないが、ただ一つ、女性に関しては人から非難もされ、自分自身も不如意に感じる点がある』と内輪の冗談話の際にいつも話されておられるし、確かに私から見ていてもそうと思われる。お世話をされている婦人たちは皆、身分が低い方々ではないが、王女格の女性に較べると身分が落ちるし、准太上天皇にまでなられた今のヒカルさまに相応できる婦人はおられない、とも考えられる。そうなると、同じことなら王女格の女性とご縁ができたら、確かに今の身分に似つかわしい組み合わせになるだろう」。

 

 その後、ヴィヴィアンは何かの折りに朱雀院に詳しく話しました。

「例のあの件を某の人物にほのめかしたところ、『ヒカルさまは必ず引き受けてくれるだろうし、年来のご希望が叶った、とお思いになるに違いない。そちらがお許しになるなら、取次をしましょう』と申しておりますが、どういたしましょう。ヒカルさまは身分や分際に相応した区別をわきまえつつ、有難いお気持ちを示しておられます。普通人であるものの、自分と同じように可愛がられている人たちが立ち並んでいるのは姫君にとっては面白くなく、不快な思いをされることもありえます。第三姫君の後見を望んでいる人たちは大勢おりますから、よく熟考されて決められた方が良いのでは。

尊貴な御方と申しましても、今の時代の風潮としては、皆、わだかまりがない気持ちで自分の方向を定め、自分の意のままに暮らそうとしているようです。でも姫君はまだ他愛もなく、しっかりされているわけでもありませんから、心もとない感じがします。姫君付きの者どもが仕えるのも限界があります。やはりご主人さまの意向に従ってこそ、こざかしい下級の使用人もきちんと働きます。取り立てた後見者が存在しないのは、やはり心細いことでございます」。

 

「そうだね。私もあれこれ思案はしている。王女たちが結婚して世間づれをしてしまうのはひどく軽薄なように見えるし、また身分が高いと言っても、女というものは男と結婚してこそ、悔しいことも癪に障る思いも自然と入り混じってくるものである、などとそんなことを心苦しく思いながら決めかねている。また親たちに先立たれて頼りにする木陰がなくなった後、独り身を決意して世の中を渡って行くことも、昔なら人情が穏やかで、男も女も世間から許されない行為にまで思いが及ばぬものだった。しかし今の世の中は、浮気っぽく好色めいた行為を、折に触れ聞くことがある。

  昨日まで高貴な家の中であがめられ、かしずかれていた女性が、今日になるとつまらない格下の色好みな男どもに騙されて、亡き親の名を汚したり、あの世の人に恥をかかせたりする類の話を幾らでも聞く。煎じ詰めれば、いずれの場合でもすべて、身を滅ぼす点では同じことになる。どんな身分の者でも運命などというものは予知できないものであるから、どんな形にせよ、不安は尽きない。良くも悪くもすべて親兄弟が決めた結婚をして、世の中を過ごして行くなら、その女性の宿命次第となり、たとえ後になって落ちぶれたとしても、自分の過失とはならない。

 恋愛結婚をした後、長じてこの上ない幸せにありつけたり、見苦しくない状況になった場合は、『恋愛結婚も悪くはなかった』と見えるものの、恋愛沙汰がたちまちのうちに世間の噂になって広まってしまうと、親は認めず、しかるべき人も許さないことになる。自分勝手な内緒ごとをしでかしてしまうのは、女の身としてそれ以上の疵はない、と思っている。

恋愛沙汰は普通の家の娘であっても、軽率で気に食わないことにされている。自分の本心から離れてするべきではないのに、思ってもみなかった男に出逢って、運命を定められてしまう、というのは非常に軽々しい行為であって、その人物の心掛けや様子が窺い知れる。第三姫君は妙に頼りなさそうな性格に見えるので、その点を心配している。周りの者が勝手に恋愛ごとを取り次いではならない。そんな噂が世に漏れてしまうのは、とても憂うることなのだ」などと朱雀院は、自分が世を捨てた後を不安げに話しますので、乳母たちはますます責任の重さを感じ合いました。

 

「第三姫君がもう少し分別がつくまで、様子を見ておこうと、長年辛抱して来たのだが、そうこうしているうちに世を捨てる深い本懐が果たせなくなる心地がして来たので、心が急き立てられてならない。ヴィランドリー城の主は、何と言っても本当に物事をわきまえており、心配がないという点では抜きんでている。面倒を見ている婦人たちがあちこちにいるが、気にすることはあるまい。つまるところは本人の気の持ちようである。ヒカル殿はゆったりと落ち着かれているし、世の模範として尊重されてもいるのだから、安心して任せられる人物として並ぶ者はいない。

 適当な結婚相手として、他に誰がいるであろうか。蛍兵部卿は人柄が見苦しくないし、同じ王族であるから他人事のように悪口は言えないが、あまりに軟弱で風流めいた趣味事ばかりに重きを置きすぎていて、少々軽薄な印象をもたせてしまうし、そういった人物は頼りがいがあるとは言えない。

 また官位三位の藤大納言が自分のものにしようと考えてなのか、第三姫君の管理役を希望しているのは、それなりに誠実なことであろうが、やはり評判がよくない点が気になってしまう。昔も、こうした王女の婿選びでは、何につけても人とは異なる声望がある者に落ち着いたものだ。ただ一途に役に立ち、都合が良い点だけを取柄にして決めてしまうのは、はなはだ遺憾であるし、物足りない。

 官位四位の右衛門の督である柏木が第三姫君を内々で慕っている由を元女官長の朧月夜から聞いている。人柄から見て、官位がもう少し上がったなら王女の婿として何の不足もない、とも思うが、まだまだ年齢が若いし、あまりに重みに欠ける印象を与える。高貴な女性をという望みが強くて、いまだに独り住みで過ごしている。大層沈着で向上心もある側面もあり、人を抜け出た学識もある。最終的に天下の柱石となりうる人物なので、将来は期待できるものの、それだからと言って三宮の婿と決めてしまうには不十分である」と朱雀院はあれこれ思い迷っていました。

 

 第三王女のようには心配をしていない姉妹たちに思いを寄せる男たちは少しもいません。第三王女の行く末について、朱雀院が不思議なほど内輪で内緒話をしていることは、ごく自然と世間に漏れ広がっていきますので、第三王女との婚姻を申し入れる人が多くいました。

太政大臣アントワンも「長男の衛門督は二十歳を過ぎた今でも独身でいて、『王女でなければ結婚はしない』と考えているようだから、そうしたお話が正式に出された折りは縁組を申し入れて、婿に選ばれたとしたら、わが身としても面目が立ち嬉しいことだ」と思い立って、朧月夜の姉である正妻を介して、朧月夜に伝えました。さらにあらん限りの言葉を尽くして朱雀院に奏上させて、反応を窺っていました。

 蛍兵部卿はヒゲ黒大将の正妻におさまった玉鬘を取り逃してしまったので、「対抗上、つまらない相手では」と選り好みをしていましたから、どうして第三王女に心を動かさずにいられるでしょうか。しきりに思いを寄せています。

 藤大納言は長年、朱雀院の管理長として親しく仕え馴れていましたから、朱雀院が修道院に籠った後は拠り所とする所がなくなってしまうことが心細いこともあって、第三王女の後見を口実にして、地位の保全をしようと、婚姻の許しを窺っていました。

 

 権中納言の夕霧はそうしたことを聞いていると、「人づてではなく、朱雀院がそうした趣旨を直々に話された際の様子を見ていたのだから、自分の方から頼りになる者を介してそっと縁組を漏らしてもらったなら、よもや知らぬふりはなさらないだろう」と心をときめかせたりしました。とは言うものの、雲井雁が「もうすっかり大丈夫だ」と心から頼みにしていることを思い浮かべました。

「長い年月、辛い仕打ちを言い触らされても、他の女性に心を移す気もなく過ごしたのに、無分別にも今さら立ち戻って、(歌)かねてから 私に辛さを習得させることもなしに 物思いをさせるとは といった歌のように、格別に高貴な女性に関わってしまうと、何事も思い通りにならなくなって、左からも右からも不満に思われ、自分自身も苦しくなってしまう」などと、元々浮気性な性格でもないので、そうした思いは沈めて表には出しません。それでも他の人に決まったなら、どんな思いをするであろう、と耳だけは研ぎすましていました。

 

安梨王太子も婿選びの話を聞いて、「差し当たって言えることは、目前のことよりも後の世の事例ともなるように、思案をよくめぐらされることです。人柄が良いと申しても普通人では限りがあります。どうしても縁組を、と思い立っておられるなら、あのヴィランドリー城の主こそ、親代わりということにして託されたらいかがでしょうか」と表立った意見ではないものの、使者を通じてそんな考えを父の朱雀院に伝えました。王太子の意見を聞くにつけ、「確かにもっともなことだ。非常によく考えてくれた」と朱雀院はついに決心を固めました。

まず乳母ヴィヴィアンの兄を通じて、とりあえずの趣旨をヒカルに伝えさせました。ヒカルも朱雀院が第三王女の身の振り方で思い悩んでいる様子を詳しく聞いていたので、「判断が難しい案件と言える。『朱雀院の余命は残り少ない』とは言うものの、私は院より三歳ほど年長なのだから、どれだけ後まで生き残れるかを考えると、後見役を引き受けることができるだろうか。確かに事が順当に進み、今しばらくの間でも長生きできるとするなら、大雑把に言うと王女四人のいずれをもほっておくことはできない。朱雀院が取り分け第三王女について話されているとするなら、特に留意して後見をさせていただこうと思ったりもするが、何と言っても定めがない世の中だから、私もどうなってしまうことやら」とヴィヴィアンの兄に返答しました。

 

「それにもまして、『何とか』と頼まれて睦び合うようになったとしても、いずれ朱雀院を追って世を去るようになってしまった折りには、心苦しい思いをさせてしまうし、私本人にとっても浅くはない足かせとなってしまう。むしろ息子の中納言などはまだ歳が若く、身分としては貫禄不足のようではあるが、生い先は長いし、人柄から見ても最後は王室の後見役にもなりうる将来があるので、息子との縁組を考えてみた方が良いのではないだろうか。しかし息子は至極生真面目な性格だし、すでに思いを寄せていた女性と所帯を持っているので、その点で朱雀院は遠慮されたのだろう」とヒカルは続けて、自分との縁組は思いも寄らない、といった様子でした。

 

朱雀院の決断は漠然としたものではないのに、ヒカルがそんな風に答えたので、乳母の兄は院が気の毒にも、残念なこととも感じました。朱雀院が内々で決意した様子などを詳しく話しますと、さすがにヒカルは微笑んで「よほど愛しんで可愛がっておられる姫君なのだね。これまでの過去や先行きがどうなるのか、それほどまで深く案じておられるとは。それならいっそのこと、冷泉王に差し上げたらどうだろうか。れっきとした高貴な貴婦人がたがおられるから、と言って躊躇されることはないし、そんなことを差し障りとすることもない。古参者がいるから、と言って新参者を粗末に扱うわけでもない。亡くなった桐壷王の時代に、朱雀院の母の紫陽花王太后が貴婦人がたの筆頭として勢いを誇っていたが、最後に上がった冷泉王の母宮にあっさり圧倒されてしまった。 

そう言えば、第三王女の母君は冷泉王の母宮の妹ではないか。顔立ちも姉宮に次いで美人だと言われた人なのだから、第三王女は父方か母方のどちらから見ても、並大抵な顔立ちではないだろう」と、第三王女が忘れることができない女性の姪であることに気付いたのか、少しは関心を抱いたようでした。

 

 

                   著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata