巻1 藤と紫

 

その7.紅葉賀     (ヒカル 17歳~18歳)

     

1.紅葉賀の試楽(リハーサル)と青海波

 

 パリへの行幸は十二月初旬のことでした。パリで実施される饗宴は並々ならぬ力の入れ方で、面白さの度合いも高いので、パリへは行けない貴婦人方は見物できないことを口惜しがります。王さまは藤壺も見物できないことを物足りなく思って、十一月末に試楽(リハーサル)をアンボワーズの王宮で催すことにしました。

 

 試楽では、中将の君ヒカルがイタリアのミラノ共和国から紹介された「青海波」の舞と歌を披露しました。海神ポセイドンが御者が数頭の馬を曳く馬車に乗って、地中海の青原を進んでいく光景を演じるものです。

 二人舞いの相方を務めた頭中将アントワンは器量や心遣いも人より優れていましたが、ヒカルと立ち並んでみると、花を引き立てる深山の木といった感じです。夕入りの陽射しが鮮やかに射す中で、管弦楽器の音が高まり、一段と興趣が面白くなっていく中で、二人は同じ舞いを踊りながらも、ヒカルの足の踏み方、面使いなどは世に類がない、と見える有様です。舞いながら歌う声は、「オリンポスに棲む鳥の美声ではないか」と皆が聞き惚れます。ヒカルの舞いと歌が面白い上に心深いので、王さまは涙を拭い、高官や親王たちも感涙します。

 歌い終えて、さらに舞いを続けようと袖を打ち直しますと、それを待ち受けていた奏楽の音が賑やかに起こって、顔色が一層晴れやかに名前どおりの「光る君」に見えます。

 

 朱雀王太子の母である紫陽花王妃はヒカルがこのように立派に見えるのを面白からず思って、「ゼウスなどがオリンポスから眺めて魅入ってしまい、何かをしでかすかもしれません。不吉ですね」と陰口を叩きますのを、若い女官たちは「あんまりな」と聞いていました。

 藤壺は「自分にやましい心がなかったなら、ヒカルの舞いが一塩美しく見えたことだろうに」と思うにつけても夢見心地でいました。

 

 藤壺はそのまま王宮に留まり、王さまと夜を共に過しました。

「今日の試楽は何と言っても『青海波』に尽きるね。どう思われましたか」と王さまが尋ねますと、何とも答え辛くて、「誠に格別でした」とだけ答えることしかできません。

「相手役のアントワンも悪くはなかったように見えた。矢張り、舞いの仕方や手捌きなど、良家の子弟は違っている。世間で名声を得ている舞いの名手たちも確かに上手に演じるけれども、おおらかであでやかな艶っぽさを感じさせはしない。試楽の日に、これだけ演じつくしてしまうと、行幸の日の『紅葉の宴』は薄らんでしまうのが心配だが、貴女にお見せするつもりで試楽の用意をさせたのです」と仰せになります。

 

 翌日、ヒカルは藤壺の宮に手紙を送りました。

「昨日の私の舞いをどうご覧になりましたか。何とも言えない乱れた心地のままで踊ったのですが」

(歌)物思いの乱れた気持ちで 立派に舞うことができそうもなかった私が 袖を振りながら 舞った心の内を 

   お分りいただけましたでしょうか 畏れ多いことですが

 あの、目を奪われてしまう程の様子と姿を無視することができなかったからでしょうか、珍しく藤壺から返歌がありました。

(返歌)青海波という イタリアの舞曲は 詳しくは知りませんが その立ち舞う姿を しみじみと拝見しました

「一観衆として見させてもらいました」とありました。

 

 藤壺からの返信をヒカルは限りなく珍重なものと感激しました。「藤壺がこうした方面にも疎くはなく、他国の歴史のことまで思いをよせて歌を詠まれたことは、すでに王妃たる見識をそなえておられる」と微笑んで、藤壺の手紙を聖典のように広げて見入ります。

 王さまは、紫陽花王妃がもらした「不吉な予感」を耳にはさんだこともあってか、試楽が行われた夕刻の美しすぎたヒカルの姿を空恐ろしく案じられて、祈祷などをあちこちでさせます。それを聞きつけた人は「もっともなこと」と肯きますが、紫陽花王妃は「あんまりな」と憎んでしまいます。

 

 

2.パリの行幸と催事

 

 パリでの行幸には親王たちを始め、名立たる人たちが余すところなくお供に加わり、朱雀王太子に付き添う形で紫陽花王妃も同行しました。

 

 まずラ・シャペル(La Chapelle)宮の礼拝堂でのミサから始まりました。聖ルイ王が後世に残した、旧約聖書の物語とキリスト受難を順に語り描いていく荘重なステンドガラスに朝日が射し込み、枠ごとに描かれた光景の色合いが燦然と浮かび上がります。聖遺物箱と祭壇を背に語る枢機卿の説教に耳を傾けつつ、桐壺王はまだ捨てきれないでいるジェノヴァ、ナポリを基点とした十字軍の復活を遂げる夢を思い描いていました。

 

 ミサの後はセーヌ川に船を浮べての金管楽器八重奏と舞踊でした。一般市民にも特別に公開されましたので、川岸は鈴なりの人垣で埋まっていました。セーヌ川を漕ぎめぐりながら、イタリアやフランドルの舞いや楽曲を含めて、種類も多く、楽器の音や太鼓の音が四方に響き渡ります。

 船上での舞楽の間に王さまはパリ市議会の代表者たちと最後の交渉を行い、希望通りの成果を得ることができました。

 

 行幸を締めくくる「紅葉の宴」はラ・シャペル宮の庭園で開かれました。楽人や舞い人には王宮の高官から下級役人まで優れた技量を持つと世間の評価が高い人たちが選別されていました。それぞれが世に秀でた師匠について、家に閉じ籠って稽古をつんできました。官位四位の参議の宰相二人、同じく四位の左衛門と右衛門の督二人が左右の楽隊を取り仕切ります。

 石壁一面に広がった紅葉蔦を背に、四十人の楽隊がたとえようもなく吹き立てる管弦の音に調べを合わせるようにセーヌ川の風が「本当の深山下ろし」のように吹き迷い、すでに半分は散っていた紅葉蔦の残りの葉がはらはらと舞い散っていきます。

 「青海波」がきらびやかに舞い出た光景はとても恐ろしいほどに見えます。「紅葉の宴」を象徴すべく、冠に挿した紅葉蔦の葉も風に吹かれて散っていき、冠が照り映える顔の美しさに蹴落とされてしまう印象を与えましたので、左大将が庭園の早咲きの水仙を折って冠に挿し換えました。空までが感涙したのか、日が暮れる時分にほんの少し時雨(しぐ)れました。空の景色すら、舞い手に心を動かされたようです。舞い手の妙なる姿に早春の訪れを告げる水仙の白と黄の色がうまく絡み合います。今日は試楽の日以上に念入りに秘術を尽くし、一旦退場してから引き返して再び舞うと、この世のものとは思えず、見ている側がぞうっと寒気をもよおすほどでした。物の価値など分かりもしない下人など、木陰、壁際や人垣に埋れるように見物していたような者ですら、少し物の心を知った者は涙を落としました。

 

 紫陽花王妃、藤壺に次いで重きを置かれている貴婦人ラベンダー愛后が産んだ桐壺王の第四男はまだ童子でしたが、「秋風の楽」を舞ったのが「青海波」に次ぐ見物でした。この二つの舞いで面白さが尽きてしまったほどで、その他はもう眼をひかず、かえって興ざめのようになってしましました。「秋風の楽」は戦車に乗ったポセイドンが秋風に乗ってパレスチナがある東方に向っている姿を表現したものでした。「青海波」と連動させて、十字軍再興の野望を匂わせるべく王さまが選んだ選択でしたが、その意図を理解したのはごく限られた者だけでした。

 

 夜になって宴が終わりに近付いた時、ヒカルの官位は正四位下から正三位に、アントワンは正四位の下に昇進しました。他の高官たちも皆、それ相応の昇進を遂げて喜び合いましたが、王さまにとってはヒカルの昇進と釣り合いをとらせるための意味合いでしかありませんでした。とは言うものの、ヒカルが舞と歌で人の目を驚かし、心をも喜ばせるのは、前世によほどの善行があったからなのでしょう。

 行幸の後、アントワンも含めたジェノヴァ遠征軍が出立して行きました。王さまは遠征を率いる意向もあったのですが、ジェノヴァの反乱は王さま自ら出動するほどもないことを他国に印象づけることと、ミラノ遠征の際に痛めた脚の古傷が時折うずくようになり、胸の痛みも感じ出しているため、遠征を断念することにしました。ヒカルも遠征を願い出たのですが、王さまは万が一のことを考えて願いを却下しました。

 

 藤壺はその頃、出産にそなえてオルレアンの里へ退っていました。ヒカルは例のように「もしかしたら」と隙をうかがってばかりいますので、アンジェの人たちは訪問がないのを気にかけています。その上、あの若草を引き取ったことを「シュノンソーでは、ある女性をお迎えしたようです」と告げ口する者もいましたので、アンジェの姫君は「まことに気に食わない」と立腹しています。詳しい内情を知りませんので、そう思ってしまうのももっともなことですが、「普通の人のように正直にはっきりと恨み言を言うのなら、自分も腹蔵なく打ち明けて慰めたりするものを、思いもしない方向にばかり邪推してしまう性根なので、起こさなくともよい浮気ごともしてしまうことになる」と独り言を呟きます。

 アンジェの姫君の振る舞いには、どこと言って不充分だと感じさせる欠点はありません。誰よりも先に縁ができた御方でしたから、「愛おしく大切に尊重しているのだが、その気持ちが分からない間は仕方ない。最後には思い直してくれるだろう」と、穏やかな性格で、軽はずみな行為をしでかすこともないことを自然と頼みにしていたのですが、どうやらそれとは違うようです。

 

 幼い人は馴れてくるに従って、性質も器量も非常によく、無邪気にヒカルにまとわりついています。

「当分の間は、邸内の人たちにも『何者』とは教えまい」と決めて、今もなお、本館から離れた西館に住まわせています。西館のしつらえを充分にほどこして、自分も明け暮れ出入りして、あらゆることを教えて上げます。手本を書いて習わせていますと、何となく他所で育った自分の娘を迎え入れたように思います。西館にも事務扱い所を置き、庶務係も新たに任じて、何不足ない世話をさせますが、コンスタンを除く他の人たちは奇妙に感じています。若姫の父宮も聞き知ることはありませんでした。

 姫君は今でも時々、祖母の尼君を思い出して恋い慕うことが多くありましたが、ヒカルが西館にいる間は気が紛れていました。ヒカルは時々は夜、西館に泊ることがありましたが、ここかしこへの忍び歩きで暇がなく、日が暮れると外出しますので、姫君がヒカルを慕っている折りのことを聞くと、とても可愛く感じます。二、三日、王宮に伺候した後、アンジェに行ったりする際は、ひどく塞ぎ込んでしまうのがいじらしくて、母親がいない子を持ったような心地がして、忍び歩きも落ち着かなくなってしまいます。

 ル・ピュイ(Le Puy en Velay)の司教もヒカルが大事にしている様子を伝え聞いて、いぶかしく思いながらも「嬉しい」と感じます。ヒカルは修道女の法事などの際にも立派な供物を届けて弔います。

 

 

3.ヒカル、藤壺の里を訪問、紫上の幸運

 

 藤壺の様子を知りたくてオルレアンの邸を訪ねてみますと、付き人のブランシュと侍女のヴァレリー、バーバラなどの人たちがお相手をします。

「何とも他人行儀な扱いである」と不満に感じましたが、気持ちを落ち着けて四方山話をしていますと、藤壺の実兄の兵部卿宮が訪ねて来ました。「ヒカル君がおられる」と聞いて対面します。

 兵部卿宮は大層奥床しく、色っぽい風流な男に見えますので「女性として見たら面白いだろう」と人には気付かれないようにご覧になっていると、中々親しみを感じるようになって、細々と話をします。兵部卿宮も、いつになくヒカルが親しげに打ち解けているのを「とてもめでたいことだ」と感じながら、まさか「娘の婿」だとは思いもよらず、「女として見てみたら」と色めいた気持ちでヒカルを見つめています。

 

 日が暮れると兵部卿は藤壺の寝室へ入っていきますので、それが羨ましく、昔は王さまに付いて人を介さずに、すぐ間近で藤壺と話すことができたのに、今ではひどく出会いを疎んでいるのを辛く覚える、というのも理不尽なことです。

「これからもしばしばお伺いいたしますが、これぞと言うこともない時は自然と怠ってしまいましょう。何か必要なことがありましたら、仰せ事をいただけましたら、嬉しく存じます」などと、堅苦しい挨拶をして邸を去りました。

 ブランシュは手引きをしようにも何もできません。藤壺の気色も以前よりさらにヒカルとのことを浅ましく思って許せない様子なので、仲介を申し出るのは恥かしく厭わしくもありますので、何の兆候もなくて、時が過ぎていきます。藤壺にしてもヒカルにしても「はかない恋だ」との思い乱れが尽きません。

 

 シュノンソーに落ち着いた少納言の乳母セリーヌは「思いもしなかった楽しい浮世を見ることになった。これも故尼君が孫娘のことを案じられて、朝夕のお勤めで祈願された神さまからのご利益なのでしょう」と思うものの、左大臣の城にはしっかりした御方がおられるし、ここかしこに関わりを持った女性達も多いので、「姫君が実際に成人された時には面倒なことも起きることだろう」と心配します。けれども、今のところは、こんなに特別と思えるほどご寵愛をされていますので、心強いことです。尼君が亡くなってから着せていた喪服も、陰暦の正月を過ぎてから平服に替えさせましたが、実母なしに祖母が育てた経緯もありますので、あまり派手な色合いのものは着せず、紅・紫・黄色の落ち着いた服などを着ている様子は、かえって今風で趣があります。

 

 男君は王宮の朝の会合に出掛ける前に姫君の部屋を覗きました。

「少しは大人っぽくなりましたか」と微笑んでいる顔は大変麗しく、愛嬌を浮べています。姫君はいつの間にやら人形を並べて夢中で遊んでいました。 高さ一メートルほどの人形館に様々の品々を据え置いて、小さい家を作り集めて揃えてあげたのを所狭しと広げて遊んでいます。「『悪魔払いをする』と言って、イレーヌが壊してしまったので、修繕しています」と「非常な重大事」と思っています。

「それはひどいことをしますね。すぐに修繕をさせましょう。今日は縁起を祝う日ですから、泣いてはいけませんよ」と言って出掛ける装いが立派で、人々が玄関先に出て見送ります。姫君も見送りに加わりましたが、その後、人形の中のヒカル君を綺麗に飾りつけて、王宮へ参内させたりして遊んでいます。

 

「今年こそは、もう少し大人びて下さいな。十歳を過ぎると、人形遊びなどはよろしくないと世間でも申します。もう良人がおられる身なのですから、それらしく、しとやかに振舞いなさい。髪の手入れですら辛気臭いと面倒がるのですから」などとセリーヌが諌めます。あまりに人形遊びだけに夢中になっているのは「恥ずべきこと」と自覚させたくてのセリーヌの苦言なのですが、姫君は心の内で「私は良人を持ったのだ。周りの人たちの良人は醜い顔をしているが、私は良人としてあんなに美しく若い人を持ったのだ」とようやく今になって思い到るようになりました。

 そうした自覚は、年が改まって少しは大人に近付いたからなのでしょうか。それでも今なお、何かにつけて子供っぽい気配が目に付きますので、邸内に仕える人々も「何とも怪しい」と思いますが、「まさか、こんなにも世間離れをした夫婦関係にある」とは誰も思いはしませんでした。

 

 王宮からアンジェの左大臣邸へ行きますと、姫君はいつものように麗しいけれどもよそよそしい様子で、優しい気配りもなく堅苦しいのです。「せめて今年からは世間の人並に態度を改められるお気持ちを窺えたら、どんなにか嬉しいことでしょう」などと話しかけるのですが、「シュノンソーにわざわざ女性を迎えてかしづいている」と耳にして以来は「その女性を正夫人として公表するのでは」ということだけを気にかけていますので、ますます疎ましく気詰まりに感じています。それでもそれに関しては何も知らない風をよそおって、ヒカルが冗談を言いかけますと、強いて拒むこともなく返事をするところなどは、やはり他の女性とは異なる気品がありました。ヒカルより四歳ほど年上なのが気まずいのか恥かしそうにしていますが、女盛りの整った美しさが見られます。

「一体、この御方のどこに不足した点があるだろう。自分にあまりにもけしからぬ浮気心があるものだから、恨みたくもなるのだ」とヒカルは自分自身を顧みます。

 

 父の左大臣は同じ大臣と言われる中でも世間の信望が高い上に、王さまの実姉を母にして大切に育てられたせいか、葵君の気位はとても強く、少しでも疎略にされると機嫌を損ねてしまいます。ヒカルは「どうしてそこまで」とそれに反発してしまいますので、二人に心の隔てができてしまいます。

 左大臣もこのようなヒカルの頼りがいがない心を「辛い」と思い歎きながら、実際に出会うと恨めしさを忘れて、何かを世話を焼きます。

 翌朝、ヒカルが出掛けようとして着衣をしていると、左大臣が顔を覗かせて、持参した宝玉を埋め込んだ名高い皮バンドを自分の手で締めるなど、手取り足取り面倒をみるのが気の毒なほどです。

「こんな大切な物は、内宴の時にでも使わせていただくものですから、こんな折りには」などと恐縮しますが、「その際にはもっと選ったものを用意しましょう。これはただちょっと珍しいだけの品ですから」と言いながら、ヒカルの身体に合わせようと皮バンドを締め直してみます。このように万事につけてヒカルの面倒を見て上げるのが左大臣の生き甲斐でもありました。「たまさかであったにしても。このような御方を婿として世話をするのに、それ以上の喜びがあるだろうか」と言いたいように見えます。

 

 ヒカルは「新年の参賀に」と言っても、訪問する場所は多くはありません。王宮に次いで王太子と紫陽花王妃が住むブロワ城に挨拶をして、桐壺王の父王にゆかりがあり、あの夕顔の五十日祭も行ったクレリー・サンタンドル大教会堂(Basilique Cléry Saint-André)のミサに参列した後、オルレアンの藤壺邸を訪ねました。

「今日はいつもに増して、格別美男子に見えますね」、「年が増して行くにつれて、ますますご立派に美男子になっていかれますね」と侍女たちが誉め合っているいるのを聞きながら、藤壺は内カーテンの隙間からヒカルをほのかに見ながら、胸中で様々な思いが交錯します。

 

 

                  著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata