その22.玉鬘  

     

1.夕顔の若姫、乳母とモンペリエに漂泊

 

 歳月がどれほど経過しても、ヒカルは諦めきれないまま。飽きもせず夕顔を忘れ去ることができません。性格が異なる女性たちの様子を知ることが重なっても、「あの人が生きていたなら」と悲しく残念な思いをしていました。

 ミモザはさして取り立てるほどの身分の者ではありませんが、今でも夕顔の形見として不憫な者として目をかけていますので、古参の侍女の数のうちの一人として仕えています。ヒカルがサン・マロに流浪していった際に、仕えていた侍女は皆、紫上に託したので、それ以来、ミモザは紫上に仕えています。紫上も気立てがよい控え目な者と思っていましたが、ミモザは心中では「夕顔の君が存命していたなら、サン・ブリュー上が受けている寵愛に劣らない扱いを受けていたことだろう。ご主人はさして深い愛情を抱かなかった女性でもお見捨てにすることはせず、きちんとした面倒をみられる気長な心をお持ちだから、身分が高い女性の列には入れないとしても、このヴィランドリー城に移り住んだ方々の数の中に入っておられたことだろう」と、飽かず悲しんでいました。

 

 乳母のロゼット(Rosette)と一緒にパリに残っていた夕顔の落とし児の行方は分かりません。ミモザはひたすら外聞になることを恐れていましたし、ご主人も「もう、仕方がないことだし、私の名を漏らしてはならない」と口止めをしていたことを尊重して、強いて落とし児の安否を尋ねることはしませんでした。

 その間に、ロゼット(Rosette)の夫が南フランスのオクシタニー(Occitanie)地方庁の官位五位の少弐となって、モンペリエに赴任して行くことになりました。落とし児が四歳になった年のことです。それまでロゼットは「母君の行方を知ろう」と神やあまたの聖人に願掛けをして、夜昼となく恋焦がれて、ブリサック城の夕顔の叔母など心当たりの所々に尋ねてみましたが、何の成果も得られません。

 

「さて、どうしよう。せめてこの若姫だけでも夕顔様の形見としてお世話していこう。それでも身分が低い私どもと一緒に遠地にお連れするのはおいたわしいことでもある。やはり父君のアントワン殿にそれとなくお伝えしてみよう」と考えてもみましたが、しかるべき伝はありません。

「その上、母君の居場所も不明なので、居場所を尋ねられたら、どう答えたらよいものか」、「あまり馴染んでいない父君に託していくのは後ろめたい気もするし」、「内大臣も自分の子と分かったなら、モンペリエに一緒に連れていくことを許すはずはないだろう」と思い思いに相談し合いました。

 

 若姫はとても可愛らしく、もう今のうちから気品があり清らかな容姿でしたが、格別なしつらえもない舟に乗せてリヨンからローヌ川を漕ぎ下り出した時は、言いようもなく悲しい思いでした。若姫は幼な心なりに母君を忘れず、折々につけ「お母様のいるエクス・アン・プロヴァンスヘ行くの」と問いますので、涙が絶えることはありません。同道している娘たちも夕顔を恋焦がれていますが、「船中で嘆くのは縁起がよくありません」と親が諌めます。ローヌ川を下りながら、所々の風光明媚を見るにつけ、「好奇心が旺盛だった夕顔様にこんな道中をお見せしたかった」、「夕顔さまがおられたら、私たちがモンペリエまで下って行くことはなかったことでしょうに」などと言いながら、ロワールの方ばかりを思いやっています。

 

日が立つにつれ 遠く離れて行く都が恋しい折りに 寄せては返す波が 返ることがない自分にはうらましいという歌のように、返す波が羨ましくて心細くなる上に、船乗りが「うら悲しくもこんな遠くまで来てしまった」と荒々しい声で歌っているのを聞いて、二人の娘は向き合って泣きあいます。

(歌)船乗りたちも 誰か恋しい人がいるのでしょうか アルルの町を通り過ぎる中 うら悲しく歌う声が聞える

(歌)来た方角も これから進む方角も分からない海に出て どちらを向いて 夕顔の君を恋い求めたらよいのだろう

遠い田舎で 心身ともに衰弱し 漁師の綱縄を引っ張るようになるとも 考えてもみなかった、といった歌もありますね」などと二人は思い思いの気持ちを詠み合いました。

 

 河口のサン・ルイ港(Port Saint-Louis du Rhône)を過ぎて、「私は忘れない」と歌われるサント・マリー(Saintes-Marie-de-la-Mer)を話題にしているうちに目的地に着きました。ここまでのはるかな道のりを思いやって、都を恋い慕い泣きながら、若姫を大切に世話しつつモンペリエでの生活が始まりました。

 ごくたまさかに夢などに夕顔が現れる時もありましたが、いつも同じ姿をした妖怪らしき女性が付き添っているように見え、夢から覚めた後は気分が悪く、病に悩むこともありますので、「やはりお亡くなりになったのだろう」と思うと恐ろしくなります

 

 

2.乳母の夫の病死と遺言、太夫監サミュエルの求婚、乳母ロゼットの苦悩

 

 乳母の夫の少弐は五年の任期を終えて、都へ戻ろうとしましたが、ロワールは遠く、戻ったところで格別な勢いもない人なので、思いきることができないうちに重い病気を患って死を覚悟しました。

「若姫は十歳になられたが、不吉なまでに可愛く美しい様子を見ると、私までが見捨ててしまうと、どんな風に流浪されてしまうことだろう。こんな辺境の地で成長なさるのを申し訳なく存じているが、いつかはロワールに戻っていただき、しかるべく父君にお知らせして、幸せな運命になるようにお任せしよう。都は広い所だから心配もないだろう、と思いつつ気だけが急いていたが、こんな所で命を絶ってしまうとは」と後ろめたい思いでいます。息子が三人いましたが、「何とか、この姫君を都へお連れすることを考えてくれ。私の供養などは考える必要はないから」と言い残しました。

「どなたの子供」とは自邸の使用人にも全く教えず、ひたすら「孫であるが、大事にする理由がある」とだけ言いつくろっていました。外部の者には見せずに大切に育てているうちに、急に亡くなってしまい、妻のロゼットたちは、とにかくロワールへの帰還の準備を始めましたが、少弐と仲が悪かった地元の人も多く、あれやこれやと気遣っているうちに心ならずも歳月が流れていきました。

 

 姫君が段々と大人になっていくにつれて、母の夕顔を勝る美貌になって、父の内大臣の血筋が加わったせいか、上品で美しい。気立てもおっとりしていて申し分ありません。噂を聞きつけて、女好きの地元の男たちが思いを寄せて、手紙を送りたがっている者が非常に多くいました。「とんでもないこと、目にあまる」と困惑しますが、言い寄る誰もが聞き入れません。

「器量などは十人並みと言えますが、残念なことに身体に不自由なところがあるので、結婚をさせないまま修道女にさせて、私が存命中は手許に置いておきます」と言い触らしました。

「なくなった少弐の孫は身体に不自由なところがあるそうだ、惜しいことに」という話を聞くと、「縁起でもない」と気にはなりますが、「何としても都にお連れして、父上の内大臣にお知らせしよう。ごく幼かった時分に『大層可愛い子だ』と喜んでおられたのだから、よもやおろそかに扱われることはあるまい」などとロゼットは言い立てます。神や聖人に願を立てて祈りもしますが、娘や息子たちは地元の者と縁組をして現地に住み着いていました。ロゼット一人だけが焦ったりしますが、都へ帰る話しはますます遠のいていきました。

 

 姫君は分別がついていくにつれて、自分の運命をはかなんで、年三度の長精進をします。二十歳になると容姿はすっかり整って、もったいないほどの立派さです。住んでいる場所はエロー(Hérault)県のモンペリエと言います。

 その界隈で少しでも由緒ある人なら、まずこの少弐の孫娘の有様を伝え聞いて、今でも絶えず訪ねて来ますので、とても騒々しいほどです。中でもオード(Aude)県のナルボンヌ(Narbonne)土着の豪族の一人で、現地では名声があり武力も強大で官位六位の監から五位下の大夫監に昇進したサミュエル(Samuel男がいました。秘かにスペイン王国に接近している、という噂も巷では流れていました。

 無骨な軍人でしたが、いささか風流を好む気質があって、みめよい女性たちを集めてみたい望みを持っていました。サミュエルは姫君のことを聞きつけて、「おかしな部分もあるようだが、それには目をつぶってお世話をしたい」と熱心に言い寄って来ました。ロゼットは非常に恐ろしく感じて、「どうしてそんな申し入れを受け入れましょうか。いずれ修道女になりますのに」と仲介者に言わせますと、ひどく気を揉んだサミュエルは無理を押してモンペリエに押しかけてきました。

 

 サミュエルは息子たちを呼び出して話しをもちかけました。「いずれこの界隈はスペイン王国に占領されて、わしが総督になるはずだ。わしの望むようになるなら、仲間に入れて権勢を持つことができるぞ」などと語りますと、弟二人はサミュエルになびいてしまいました。

「始めのうちはサミュエルは姫君には不似合いで可哀想だ、と思っていましたが、よく考えてみると、自分たちの後盾とするのに頼りになる人物です。あの人に悪く思われると、この辺りでは暮らしていけませんよ」、「姫君は高貴な人物の血筋と申しますが、父親の方は子供たちの一人に数えておらず、世間にも周知されてもいませんから、何の甲斐もありません。あのお方がこうやってねんごろに求婚をされておられるのこそ、今の状況としては幸せなことです。こうなる縁があったから、この地に来られたのでしょう」、「逃げ隠れしようとしても、何のよいこともありません。負けん気が強いサミュエルを怒らせると、何をしでかすことか」などと、母親たちを脅しますので、老いた乳母は「とてもひどいことだ」と聞いています。

 

 長兄のベルナール(Bernard)だけは「そうなってしまうのはもってのほかであるし、残念なことだ。亡き父が言い残した遺言もある。何とか都合をつけて、姫君を都へお連れしよう」と切り出しました。娘二人もべそをかきながら、「情けないことに母親がどこかに消えて、行方知らずになってしまいましたが、せめて姫君には人並みな縁組をさせてあげよう、と思っていますのに、あんな男たちの中に混じって落ちぶれていくなんて」と思い嘆きます。

 

 そんなこととは知らずに、「自分はとても人望が高い身である」と自負しているサミュエルは恋文を書いて送ってきます。筆跡は拙くもなく、綺麗なイタリア製の色紙に芳しい香を染ませて、うまく書いたと思い込んでいる文はオック語の方言も入り交じったひどいものでした。

 サミュエルは次男を説き伏せて、次男と連れ立って訪ねて来ました。歳は三十歳あたりで、背が高く堂々とした小太りで、見苦しくはありませんが、思いなしか嫌みくさく振舞いも荒々しく、見るからに恐そうに思えます。血色がよく快活ですが、ひどいしわがれ声のオック語でしゃべりまくります。

 思いを寄せる男が夜に忍んで来るのを「夜這い」といいますが、それとは趣が違う夕暮れでした。まだ秋には入っていませんが、

(歌)いつといって 恋しくない時はないけれど 特に秋の夕暮れというのは 不思議に人恋しいものである

といった歌を粋人ぶって思い浮かべているように見えました。

 

「機嫌をそこねてしまったら」とロゼットが応対しました。

「亡くなった少弐殿は情深く、威厳もありました。どうにかしてお逢いできないものか、と思いながらも、当方の心持ちをお見せできないうちに、悲しいかな、お隠れになってしまいました。その代わり、後に残されたお方に大切に仕えたいと、かねてからの思いを奮い立たせて、本日、意を決して伺いました。こちらにおられる姫君は貴い血筋の御方と聞いておりますが、誠にもったいないことです。ただただ拙者の『主君』と思いながら、頭の上に押し頂いて参る所存であります。祖母殿もこの縁組を渋っておられるようなのは、当方がさほどでもない女性たちを抱えている、と聞いて嫌がっておられるからでしょう。いくら何でも、そうした女どもと同等の扱いはいたしますまい。私の主君として、妃の地位にも負けないくらいに遇します」と上手い調子で話し続けます。

「何とまあ、そのようにおっしゃっていただいて、孫は幸せ者と存じます。ですが薄幸の宿命を持った者と申しましょうか、差し障ることがございまして、どうしても人様にはお見せできない、などと人知れず嘆いております。可哀想でも私どもの力ではどうしようもありません」と返答します。

「いやいや、そんなことはご心配に及びません。どんなに目が潰れ、足が折れておられようとも、小生がお世話申して治して見せます。この国におられる神も聖人も我が輩になびいてくれておりますから」とサミュエルは誇らしげに言い立てます。

「この日あたりにお迎えに参ります」とまでサミュエルが言い出しましたが、「その頃は季節の終わりにあたりますから」と田舎めいた口実で言い逃れました。

 

 去り際にサミュエルは歌を詠みたくなったのでしょう、しばらく思案して詠みあげました。

(歌)姫君に対して もし心変わりをしてしまうなら 神罰を受けましょうと 

   モンペリエの守護神の聖ロック(Saint Roch)に誓います

「この歌は相当の出来と、確信しております」と笑い飛ばしますが、世間並みの初心者の出来栄えにすぎません。

 ロゼットは啞然として、返歌をする気にもなりません。娘たちに返歌を促しますが「私たちも、どう詠んだらよいか分かりません」と困惑しています。「あまり待たせてしまうのも」とロゼットは思いつくままに返歌を詠みました。

(返歌)長年の間 姫君の幸運を祈ってまいりましたが その祈りが結果が違ってしまったなら 

     聖ロックを恨むことになりましょう

と声を震わせながら詠みますと、「いやはや、何と申す」と不用意に詰め寄ってくるサミュエルの気配にロゼットは怯えて、顔色を失ってしまいます。

 

 娘たちはさすがに気丈に愛想笑いをしながら、「姫君が普通の人とは様子が違いますので、『思い違いをされておられるなら、後で辛い思いをされるでしょう』という意味合いを、何せもうろくしておりますので、聖人の名を出す詠み損ないをしただけでございます」と釈明します。

「ああ、そういうことか」とサミュエルは肯いて、「面白い技法ですな。我が輩は田舎者と呼ばれはしますが、下層民ではござらぬ。都の人と申しても、さほどのものではないことは万事、承知しております。見下してはなりませんよ」と言いながら、再度、歌を詠んでみようと考えたのでしょうが、うまく思い浮かばなかったのか、そのまま去っていきました。

 

 ロゼットは次男がサミュエルに丸め込まれてしまったことを見て、大層恐ろしく情けなくなって、長男のベルナールをせっつきます。

「どうしたら良いものか。相談できる者はいないし、身内の兄弟もサミュエルに同調しない、と言って仲違いとなってしまった。あのサミュエルに睨まれてしまったなら、この界隈ではちょっとした動きをしても気詰まりになってしまう。どんな目に遭ってしまうことか」とベルナールは考えあぐみます。姫君が何も言わずに思い悩んでいる様子を見るのが痛々しく、「いっそのこと、死んでしまおう」とまで思い沈んでおられるのも道理と思うので、ベルナールは腹をくくってロワールに出立することにしました。

 

 

3.ロゼット達、都に向けて夜逃げし、サンセールの旧知に寄寓

 

 二人の妹も長年連れ添って来た配偶者を捨てて、一緒にロワールへ上がることにしました。子供の頃カティ(Katy)と呼ばれた下の妹は、今はカトリーヌ(Catherine)と呼ばれていましたが、母や長兄たちに付き添って夜逃げして船に乗ることにしました。ナルボンヌに帰ったサミュエルは九月二十日頃の吉日を選んで姫君を迎えに来る予定でいましたので、その前に逃げ出すわけです。姉の方は子沢山なので同行ができなくなりました。互いに別れを惜しんで、再会の難しさを思いながらも、妹のカトリーヌにとっては長年住み慣れた土地だからと言って、格別捨て難い未練もありません。ただ聖ロック教会を見晴らす海岸風景と姉君と分かれることだけは、後ろ髪を引かれる思いで悲しいのです。

 

(歌)浮き島のように思っていたこの地を 漕ぎ離れていくが どこに落ち着くかが分からない

とカトリーヌが詠みました。

(歌)行く先も見えない海上に 舟を漕ぎ出して 風まかせの身が漂っている

と姫君も詠みながら、行方が分からない心細さでうつぶせに臥しています。

「こうやって逃げ出したことは自然とサミュエルにも伝わるだろう。負けず嫌いな男だから、追いかけて来るだろう」と思うと気が気ではありません。早舟という特別に仕立てた舟を使い、その上、追風も吹いてくれて危ないくらい舟が走り、ボードュク(Beauduc)湾を平穏無事に過ぎました。陸から眺めている者の中には「海賊船だろうか。小さい舟が飛ぶように走っている」と驚いている者もいました。

 

「向こう見ずな海賊よりも、あの鬼のような男が追いかけて来たなら」とベルナールは緊張しています。

(歌)心配ごとで 胸がどきどきしていたせいか 難所と言われる ボードュク湾も どうということはなかった

 船乗りたちは神聖ローマ帝国軍の船団がマルセイユに攻撃してくる、との噂を聞きつけていたのでびくついていました。

「ローヌ川の河口が近づいて来た」との船頭の声で、皆は少しは生き返った心地がします。「モンペリエの港からローヌ川の河口に無事に着いた」と船乗りが歌う無骨な声も身に沁みます。

 

「愛する妻子も忘れて来てしまった」とベルナールはしんみりした調子で口ずさんでいました。「考えてみれば、すべてを捨てて来てしまったが、残された者たちはどうなることだろう。有能で力になってくれそうな家来は皆、連れて来てしまった。サミュエルは私を憎んで残された者たちを追い回してどんな目に遭わせることか。それを思うと、浅はかにも後先を考えずに飛び出して来てしまった」と、少し気持ちが落ち着くと、悪いことばかりを想像してしまい、気弱になって涙を流しました。

「現地の妻子をむざむざと捨てて来てしまった」と誦していると、それを聞いた妹のカトリーヌも「本当に不思議なことですね。長年連れ添った夫に背いて、急に飛び出してしまいましたが、何と思っていることでしょう」とあれこれ思い続けています。

 ロワールへ戻ったとしても、住むべき居場所もありません。知人として頼っていける人もいません。ただ姫君一人のために、長い年月住み慣れた土地を離れて、波風に浮び漂ってしまったものの、この先、どうしたら良いのかも分かりません。

「姫君にどうやって差し上げたらよいのだろうか」と自分でも呆れてしまいますが、「今さら言っても仕方がないこと」とロワールへ急ぎました。

 

 ロワールの端のサンセール(Sancerre)に昔の知人が残っていたのを捜し出して、知人の邸に厄介になりました。ロワールの中とは言え、頼りになりそうな人が住んでいる所でもありません。市場で働く怪しげな女性や白ワインの扱い業者に混じって、うっとうしい世の中を思いながら秋が過ぎて行きますが、これまでのこと、これから先のことを考えると、悲しいことが多いのでした。

 頼りとするベルナールは、ただただ水鳥が陸へ上がって戸惑っている心地がして、何の仕事も新鮮な海の幸もなく、馴れない暮らしの頼りなさに困惑しています。モンペリエへ戻っていくのも中途半端で、思慮が足りないまま旅立ってしまった、と悔いています。付いて来た従者たちも縁故を頼って逃げ去ってしまったり、国許へ帰っていったりします。

 

 ロワールに落ち着いて住み着ける様子もなく、母のロゼットは明け暮れ嘆きつつ、息子を気の毒に思いますが、ベルナールは「なあに、私のことなど何ともありません。私の命は姫君ただ一人に差し上げたのですから、どこへなりとも行方知らずになろうとも、咎める者はありません。サミュエルの勢力下に入って権勢を得たとしても、大事な姫君をあんなひどい奴らの中に放り出してしまったなら、どんな心地がするでしょう」と母を慰めます。

「神か聖人がしかるべき方向に導いてくれるでしょう。近くにある教会は、いつも祈って来た聖ロックを祀っている、とのことです。モンペリエを離れる際に聖ロックには多くの願を立てました。今はロワールに無事に戻ってこれたのですから、『このようにお加護のお蔭でロワールへ上がってこれました』とすぐにでもお礼を申し上げなさい」と姫君をその教会へ参詣させました。その教会の様子に詳しい人に聞いて、その教会付きの僧で、その昔、父の少弐が懇意にしていた高僧が残っていることを知って案内を乞いました。

 

 

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