その16.関屋(検問所)    (ヒカル 28歳) 

  

1.ヒカルのポワチエ参詣と、空蝉の傷心

 

 ミラノ副公使を務めた空蝉の良人は、故桐壺院が崩御した翌年に、トゥールーズ(Toulouse)知事になって下って行きましたので、「遠くから見るとあるように見え、近くで見ると形が見えない」とヒカルと「箒木の歌」を交わした、あの空蝉も一緒に伴って行きました。ヒカルがサン・マロへ流浪していったことも、はるか遠いトゥールーズで聞いて、人知れずお偲びを申し上げないこともなかったのですが、その気持ちを伝える手立てもなく、ピレネー山脈を吹き越して来る風に便りを託すのも浮ついた心地がして、全く何の音信もないままに歳月が流れて行きました。

 

 何年と期限が決まっていない流浪の後にヒカルがロワールに帰還した翌年の秋、 トゥールーズ知事は任務を終えてロワールに戻って来ました。サン・ジャック街道のヴィア・チュロナンシス道(Via Turonensis)の聖地を巡りながら、丁度ロワール地方に入る検問所を通過しようとする日に、ヒカルはモン・サン・ミシェル詣でに引き続いて、ポワチエ(Poitiers)のノートルダム・ラ・グランド教会へ祈願成就のお礼参詣しました。

 知事一行の出迎えで合流していた、あのトロワ知事などと言った子ども達や人々が「ヒカル殿がポワチエに参詣に来られる」と告げましたので、「さぞかし街道が混雑することだろう」とポワチエの宿を明け方に発ったのですが、女性たちが乗る馬車が多くて思うように進まないまま、日が高く上って来ました。サン・ジョルジュ・レ・バイヤルジョ(Saint Georges Les Baillargeaux)を通過する頃に、「ヒカル殿はシャテルロー(Châtellereaux)を過ぎられた」と触れながら、前駆の人々が道を避けきれないほど大勢入り込んで来ましたので、検問所の辺りで皆馬車から降りてここかしこのプラタナスの木陰に馬車を引き入れて、ヒカル一行が通過するのを待つことにしました。

 

 馬車の一部は後から来させ、一部は先にやったりなどしましたが、それでもなお一行の列はかなり多いようです。女性たちが乗る馬車は十輌ばかりがあって、女たちの袖口や衣裳の色合いが馬車からこぼれ出て見えるのが、田舎臭くなく奥床しい風情があって、斎宮のランス下りなどのような際の見物車が思い出されます。ヒカルが復活して、こうして世に時めくようになったことはめったにないことなので、無数とも言える前駆のお供たちがはせ参じていますが皆、女たちが乗る馬車に眼を留めています。

 

 十月末の頃でしたので、野山の紅葉や黄葉は濃淡が入り混じり、霜枯れの草があちこちに群がっているのが面白く見渡されます。検問所からさっと現れて来る、お供たちの旅姿のマントの裏地には、それぞれに見合った縫い模様や絞り染めがされていて、それ相応に風雅に見えます。

 すれ違う行列が トゥールーズ知事のものと知ったヒカルは車窓を開けて、今は官位五位の衛門府の佐となっている空蝉の実弟ジュリアンを呼んで、「今日、私が検問所までお迎えに上がったことは、お前の姉さんも無視できないだろうな」などと告げました。若かった頃の空蝉との出会いをしみじみと思い出すことは多かったのですが、通り一遍の伝言しかできませんから、何の甲斐もありません。

 女の方も人知れず、昔のことを忘れずにいますので、当時のことを思い出して、何となく胸が一杯になります。

(歌)往く人と来る人が行き違う検問所で 堰が止めがたいほど流れ出る私の涙を 湧き水が絶えない 

   検問所の泉だと 人は見ることでしょう

「こんな私の気持ちを知ることはないだろう」と空蝉は思うものの、何の甲斐もありません。

 

 

2.ヒカル、空蝉に消息

 

 ヒカルが参詣を終えてポワチエを出る際に、ジュリアンが出迎えに来て、「先日はポワチエまでお供もせずに、姉たちとロワールへ向ってしまった」ことなどをお詫びします。その昔、ジュリアンがまだ童児だった頃、とても親しくして可愛がり、位階を受けるようにするなどのお蔭を受けたのに、予想だにしなかった騒動がヒカルに降りかかった際、ジュリアンは世間の噂をはばかって、姉に付いてトゥールーズへ下って行きましたので、ここ数年は少し根に持っていました。それでもヒカルは顔色には出さず、昔ほどではありませんが、今でも親しい一門の内に数えていました。

 

 トロワ知事だった空蝉の義理息子は今はカルヴァドス(Calvados)知事になっていましたが、弟のステファンが官位を剥奪されてヒカルのお供としてブルターニュに下って行って、今は格別に引き立てられていますので、今になってカルヴァドス知事もジュリアンも含めた誰もが、「どうしてちょっとでも世間の風評におもねる気持ちになってしまったのだろう」と後悔していました。

 

 ヒカルはジュリアンを呼び寄せて、姉への手紙を言付けました。ジュリアンは「今となっては思い忘れてもよいはずなのに、ずっと長い間、同じ思いでおられるのか」と思ったりします。

「先日は偶然すれ違いましたが、前々からの約束があったからだ、と思い知りました。

(歌)たまたまポワチエの検問所ですれ違いましたが お目にかかることができなかったのは 甲斐ないことです 

   やはり淡水と塩っぽい海水との違いがあるからでしょうか

貴女の検問所の主であるご主人がどんなに羨ましく、眼が覚めてしまうほど妬ましいことか」と書いてありました。

 

「お前の姉さんとは長い間、交信が途絶えていたので気恥ずかしい気もするが、私の胸の内はいつも変りはなく、今もまるで昔と同じ気持ちでいる。婀娜めいたことを言うと、憎まれてしまうかもしれないが」と言いながら手紙を手渡しましたので、ジュリアンは感謝の念で恐縮しながら、姉の許に持参します。

「是非とも返信されなさい。私のことを昔ほどには思いをかけてくださらないだろうと、覚悟していましたが、有り難いことに昔どおりに親しげに応対してくれました。こんな色恋沙汰の取次ぎはもう無用なことだと感じはしましたが、どうにもお断りできませんでした。女の身なのですから、情愛に負けて返信する程度なら、罪も許されますよ」などと言い張ります。

 

 姉は「今さらながら」とひどく恥かしく、何かにつけ面はゆい心地がしますが、珍しいお便りに堪えることができません。

(返歌)ポワチエの検問所は 一体どういう関なのでしょうか こんなに深い嘆きを起こさせながら 

     人の仲を分けてしまうとは

夢のようでございます」と空蝉は返信しました。

「悲しみも辛さも忘れえぬ人」とヒカルにとっては女性遍歴を始めた若い頃に心に留めた人でしたから、その後も折々、手紙を送って空蝉の心を揺さぶりました。

 

 

3.夫の死、空蝉は修道女に

 

 そうこうするうちにトゥールーズ知事は老齢のせいでしょうか、病気がちになって何かと心細く、息子たちにまだ先が長い後妻のことだけを言い残します。「何事でも好きなようにさせて、私の在世中と変わらずに仕えてくれ」とだけ、明け暮れ繰り返していました。

「薄幸な運命の下に生まれて、良人にさえ死に別れてしまったなら、どのように落ちぶれて途方に暮れていくことだろう」と歳の離れた妻が思い嘆いているのを見ていると、「命というものは限りがあるものだから、残り惜しいと踏み留まっている手立てもない。どうにかしてこの人のために、魂だけはこの世に残しておきたい。我が子といっても、息子たちの内心など分からないものだから」と後ろめたい気持ちで悲しんでいたのですが、思い通りにならないまま亡くなってしまいました。

 

 息子たちは当座の間は「父があれほど頼んでいったのだから」などと情けがあるように振舞っていましたが、それも上辺だけのことで、辛いことが多く降りかかってきます。「そんなことも世の中に常にあることだから、我が身一つの不運」と諦めて、歎き明かしながら暮らしています。

 ただ長男のカルヴァドス知事だけは昔から恋心があるので、親切心を見せます。

「父がしみじみと貴女のことを遺言されていかれたのですから、至らない者ではありますが、遠い存在とは思わずに、何なりと申し付けてください」などと言い寄って来ますが、非常に浅ましい下心が見え透いていますので、「薄幸な運命を持った身なのだから、こんな風に生き残っていると、とどのつまりは見たことも聞いたこともない嫌なことを耳にすることになってしまうだけだろう」と人知れず悟って、人にはそれとは知らせずに修道女になってしまいました。周りの人たちは「言う甲斐もないこと」と思い嘆きます。

 カルヴァドス知事もひどく辛がって、「私のことを嫌ってしまったのだろう。まだ先が長い年齢なのに、どうやって暮らしていくのだろう」などと余計なおせっかいごとを言ったりしていましたが、後年になって、ヒカルは修道女の空蝉をシセイ城に引き取りました。

 

 

 

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