その17.絵合(えあわせ)      (ヒカル 30歳) 

 

1.ローマ教会批判の動きと神聖ローマ帝国マキシミリアン皇帝の死

 

 年が開けてからもヒカルは弟の朱雀院の面子を潰してしまうわけにも行かず、前斎宮を早く王宮に上がらせたい藤壺女院と朱雀院の間に板ばさみになったまま、前斎宮をシュノンソーに移らせずにいました。

 

 ローマ教会の贖宥状(免罪符)販売に対してドイツのヴィテンベルグから燃え上がった、「霊魂の罪の償いはカネで買えるものでない」と批判する「ルターの95条」はたちまちのうちに支持者を増やして行きました。原文は主に聖職者に向けてラテン語で書かれていましたが、ドイツ語に翻訳されて、ニュルンベルグ、アウグスブルグやバーゼルの印刷所が競うように出版しましたので、ドイツ国内はもとより北欧など他国でも飛ぶように拡散していきました。贖宥状の売れ行きに打撃を与え始めたこともあって、ローマ教皇は公的に95条を批判するようになって行きます。

 

 フランスでは、デタプル先生の教えも受けたユマニストで、政治外交ではルーアン枢機卿の薫陶を受けたブリソネがローマ大使の任務を終えて、パリ東部のモー(Meaux)の教会司教として定住を始めてから、ローマ教会内部の刷新化を本格化させていきます。ブリソネはローマに赴く以前からパリのサン・ジェルマン・デプレ僧院ですでに刷新化を試みていましたが、モーには次第にデタプル門下のユマニストたちが集まって来ました。その中にはヒカルが六年前にジュアールに滞在していた時に知り合った者もおり、幼少の頃からブリソネと面識があったこともあって、ブリソネ集団を蔭ながら応援していきます。

 

 フランスは神聖ローマ帝国とはカンブレイ条約を結んだ後、平穏な関係が続いています。五年前の八月にカレーを拠点にフランス北西部に侵攻したイングランド軍は依然としてアルトワ地方などに居座っていましたが、イングランド王ヘンリー八世はフランスとスコットランド王国の友好関係に釘を打ちたいを目的もあって、1014日にロンドン条約を結び、フランドル地方のトゥルネイ(Tournai)をフランスに返還することに同意しましたが、その見返りとして莫大な賠償金を得ました。

 

 神聖ローマ帝国に続いてイングランドとも平和を取り戻すことができそうな気配が漂う中、翌年に入った一月、マクシミリアン皇帝が崩御しました。皇帝は生前、神聖ローマ帝国の継承者として孫のスペイン王カルロス一世を言い残していたことから、カルロス一世が新皇帝選挙に立候補して、ドイツ国内の諸侯と競うことになりました。カルロス一世が新皇帝に選ばれると、スペイン王と神聖ローマ帝国皇帝を兼任することになり、フランスは東はオーストリア・ドイツ、北はネーデルランド、南西はスペイン、南東はイタリア半島南部のナポリ王国に挟み撃ちになってしまいます。一矢を放たねばならないフランスは冷泉王を皇帝選挙に立候補させました。カルロス一世の背後には叔母の白菊ネーデルランド総督が控えているのは明白で、ヒカル対白菊の一騎打ちの形になったことを、「サン・マロの流浪時代に白菊が予告したことはこのことを指していたのか」とヒカルは驚きました。

 

 

2.前斎宮入内と朱雀院の哀慕

 

 自分の身体が弱ってきていることを自覚する藤壺女院は、自分の代りとして前斎宮が冷泉王の貴婦人として王宮に上がることを熱心に催促します。

「確かに細かいところまで面倒を見て上げるような後見役がいなければ」とヒカルは理解を示すものの、前斎宮を所望する朱雀院に遠慮して、前斎宮をシュノンソーへ移す予定もずっと思い留めたまま、何も知らない素振りをしながら、王宮へ上げる大まかな準備を取り仕切って父親のように振舞っています。

 

 そうした動きを感じ取った朱雀院は大層口惜しく思ったのですが、外聞が悪いことなので、手紙なども絶っていました。前斎宮がアンボワーズ王城へ上がる当日になって、結構な衣服類、櫛箱、装身具箱や、並みならぬ種々の薫り物、衣服にたきしめる香は三十メートルほど遠くでも匂うようにまたとないほど心をこめて調合されています。「ヒカル内大臣もご覧になるだろうから」と、かねてから用意をしていたのでしょうか、何となくわざとらしい感じがしないでもありません。

 たまたまヒカルがメイヤン城に来ていた時でしたので、「これこれの次第で」と女官長がお見せします。櫛箱の片端をちょっと見しただけで、言いようもないほど精巧に細工をした、奥床しく例がないほどの一物と分かります。髪飾りを入れる箱の上につけた造花に歌が書かれていました。

(歌)貴女がランスに下向する別れ際に 小櫛を贈りましたが 二人は遠く離れてしまう仲だと 神が定めたのでしょうか

 

 内大臣は品々をご覧になりながら、あれこれ思い巡らせていくうちに、とても気の毒でいとおしくなって、恋愛ごとに関しては心の赴くままに我を通してしまう我が身と照らし合わせてしまいます。

「前斎宮がランスへ下って行く王宮での儀式の際に心に思い留まれ、幾年かを過ぎてロワールに戻って来てから、自分の許に引き取りたい願望を遂げようとされていたのに、こんな成り行きになってしまったことをどう思われていることだろう。王位を去って物静かに暮らされながら、世の中を恨めしく感じていることだろう。自分だったら動揺してしまうところだが」と思い続けると気の毒になります。

「どうして、こんな無理勝手なことを思いついて、朱雀院を心苦しく思い悩ませてしまったのだろう。朱雀院を恨んだ時もあったが、元々は優しい情愛がある人だから」と煩悶して、しばらくの間、考え込んでしまいます。

 

「この返歌はどのようにされますか。また朱雀院からの手紙はどんなものでしたか」などとヒカルは女官長に尋ねますが、「具合が悪い事になってしまうかもしれない」と察して手紙は見せません。

 前斎宮は何となく気が塞いで、返信するのを大儀そうにしていました。「返信されないのは情愛がないようで恐れ多いことですから」と侍女たちがしつこくせき立てている気配をヒカルは耳にして、「返信されないのはありえませんよ。形ばかりでもされないと」と口添えしますので、前斎宮はさらに恥じ入ってしまいます。それでも王宮での儀式の時を思い出して、朱雀王がとても優雅で清らかで、別れを惜しんで涙を流す有様を乙女心なりに何と言うわけでもなく、しみじみと感じたことがつい先日のように眼に浮んできて、それにつれて母君のことなども思い出すとせつなくなって、ただこんな具合に詠んだようです。

(返歌)王宮での別れの際に言われた一言を ロワールに戻った今も 悲しく感じております

 

 ヒカルは朱雀院の使いの者どもに、身分に応じた俸禄や品々を与えました。前斎宮が書いた返信をとても知りたく思ったのですが、さすがにそこまでは口に出せません。朱雀院の容姿は女性に見まがうほど美男であるし、前斎宮の気配も不釣合いではないので、非常に良い間柄になりそうです。これに対して冷泉王はまだ幼少なので、こんな具合に事を進めたことを「前斎宮も人知れず、不愉快に思っているかも」などと、憎まれてしまいそうな事すら思いやると胸が潰れそうになりますが、今日に至って中止してしまうことはできません。しかるべきことをすべて言い上げて、信頼が厚く親しくしている総務担当の官位四位の宰相兼参議に委細を処理するように命じてから、王宮に上がりました。

 

 王宮では朱雀院の気持ちを思いやって「いっぱしの父親ぶって振舞っていると見られないように」と冷泉王に仕える者たちには、ただ単に挨拶に伺っただけのように見せかけます。

 ヒカルは前斎宮に用意された部屋を覗いてみます。メイヤン城には昔から優れた侍女たちが多い上に、実家に引き込みがちになっていた者たちも戻って来ましたので、前斎宮の王宮仕えは万全です。用意されている部屋にちなんで「梅壺の貴婦人」と呼ばれることになりました。

「それにしても哀しいかな、メイヤン夫人が存命していたなら、どんなにやりがいがあると世話を焼かれたことだろう」と故人の人柄を思い出します。

「恋人関係であったことを抜きにしても、惜しくもったいないほどの有様をしていた。中々あそこまでは出来ないというところががあって、ことに風雅な方面ではやはり優れていた」と何かの折りがあると思い出しています。

 

 藤壺女院も王宮に上がっていました。満十二歳の冷泉王は「新しい貴婦人が上がって来る」と聞いて、大層いじらしく緊張しています。歳よりはませて大人びていました。母院も「こちらが気が引けてしまうような立派なお方が上がって来るのですから、気をつけてお相手しなさい」と諭していました。

 冷泉王は梅壺が九歳年上と知って、心中では「年長の女性は気が引ける」と不安げです。夜がとっぷり更けてから、梅壺は王さまの間に入りました。大層慎み深くおっとりしていて、小柄で華奢な気配を感じて、王さまは親しみを持ちました。もう一人の貴婦人アンジェリカは先に上がっていて、同年齢でもあるので馴染みやすく睦まじく、気兼ねもいらない者に思っていました。これに対して梅壺は人柄が物静かで恥かしそうにしている上に、ヒカル大臣の態度も丁重で重々しいので、近づきにくさを感じました。夜のお仕えは半々づつ対等に遇するものの、打ち解けた遊びなどで昼間に貴婦人の部屋を訪れる場合はアンジェリクの場合が多いようです。

 権中納言アントワンは娘を女王にさせたい願望があって、父太政大臣の押しもあって王宮に上げたのに、前斎宮がこうして上がって来て、娘と競う形で侍るようになったのを、何やかやと不安に思っています。

 

 朱雀院は装身具箱を飾る造花に書いた歌への梅壺からの返信を読むにつけても諦め難くなっています。そうした頃に、ヒカル大臣がスリー城を尋ねて来て、細々と話をします。朱雀院は何かのついでに、梅壺がランスへ下って行った時の事に触れましたが、以前にも話したことがあるのに気付いたのか、途中で止めて「こんな気持ちがあった」などとは打ち明けません。ヒカル大臣もそんな気があったことなど知らない顔をしながら、ただ「本心はどうなのか」を知りたくて、何かと梅壺のことを口出しますと、梅壺を失った悲しみが浅くはないことが窺えますので、ひどく気の毒に思ったりします。

 

 梅壺をまだじかに見たことがないヒカルは、朱雀院がその美貌に惚れこんだ器量はどんな可愛らしさなのか」と見てみたいのですが、女官長たちはメイヤン夫人が気にかけていたように、女性好きで知られるヒカルを警戒してなのか、逢わせようとしないのを妬ましく思います。梅壺は深窓にいる高貴な女性の重々しい面を持っていますので、夢であっても子供じみた振る舞いをして、ほのかにでも自然に姿を見せてしまうことはありません。王宮に上がってからは奥床しい様子をますます深めていますので、そんな有様を見ながらヒカルは「王様の貴婦人として望ましいことだ」と納得しています。

 こうした具合に、二貴婦人が隙間なく侍っていますので、娘を王宮に上げたがっている兵部卿宮、はそう早急に上げようとは考えていません。「王さまが成人になられたら、妹の姪でもあることだし、思い捨てになることはないだろう」と時期到来を待つことにしています。そうした中、二人は思い思いに寵愛を競っています。

 

 

3.アンジェリクと梅壺の絵集め

 

 ミラノ大画伯の指導でめきめきと腕を上げている冷泉王は、何事にも増して絵を興味あるものと思っています。格別に好んでいるためか、この上なく絵に堪能でした。梅壺も絵を描くのが非常に上手でしたので、王さまは梅壺に心が移って、梅壺の部屋に通って一緒に描くようになりました。フランスではまだあまり一般化していない、ミラノ大画伯から学んだ油絵の技法を年上の貴婦人に教えることに夢中になりました。

 冷泉王は普段から王宮にいる若い廷臣の中で絵画を学ぶ者に眼をかけて、お気に入りに数えていましたから、まして愛らしい御方が嗜みが深そうに、気分にまかせてざっと描いた後、優美にソファーにもたれて、一息ついて考え込んでいる有様の可愛らしさに心が惹かれて、頻繁に梅壺の部屋に通い、以前よりも一層梅壺への思いを増していきます。

 

 その様子をアントワンは聞いて、どこまでも負けず嫌いで、現代風を好んでいますから、「負けはしないぞ」と奮い立って、フランドル地方やイタリアからパリやロワールに移り住んで来た者の中から勝れた名手たちを召し呼び集めて、あれこれきつい注文をつけて、二つとないほどの絵を描かせます。

「王さまはまだ幼少なのだから、名作と知られる物語や叙事詩を題材にしたミニアチュール(細密画)こそ、趣向があって見所があるものだ」とアントワンは考えて、筋が面白そうで趣がある場面ばかりを選択して絵に描かせます。百年ほど前にドゥ・ランブール(De Limbourg)兄弟が描いた「ベリー公爵の一年十二か月」を参考にした一年十二季の絵に月並みではない詞書を添えて王さまにご覧に入れます。

 

 特別に興味を抱かせるように描かせたものですから、王さまがアンジェリクの部屋に出向いた際も、安々とはお見せしません。とてももったいぶって、王さまが梅壺にも見せようと持って行こうとするのを侍女たちが惜しんで拒みます。それを聞いたヒカル大臣は「アントワンの大人げなさは相変わらずで改めようがないのだな」と笑ってしまいます。

「アントワンは無闇に隠して、素直にお見せしようともせずに王さまを困らせてしまっている。まことにけしからんことだ。私の方にも古いミニアチュールがあれこれとあるので、ご覧にいれよう」とヒカルは冷泉王に奏上して、自邸にある、古いものや新しい絵が入っている書棚を開かせて、紫上と一緒に当世向きのものを選り分けて整理していきます。

 

「ギリシャ悲劇のようなものを題材にした絵は面白く、感銘も深いが、縁起が悪いものは今回は省くことにしよう」と見合わせます。サン・マロやサン・ブリューで描き溜めたデッサンや水彩画の絵日記を入れた箱も取り出して、そのついでに女君にも見せしました。事情をよく知らずに、今初めて見るとしても、多少でも物を理解する人なら、涙を惜しむことができないほど、しみじみとした出来栄えでした。まして当時のことを忘れがたく、あの頃の哀しい夢を覚えている二人は、改めて悲しく思い出しますが、「どうして今まで見せてくれなかったのでしょう」と紫上は恨み言を言ったりします。

(歌)一人ロワールに残って 嘆いているよりも 一緒に下っていって 漁師の暮らしぶりでも 

   描いて描いていた方がよかったのに

「不安も慰められたことでしょうに」と愚痴ります。

 女君を不憫に感じて、ヒカルが詠みました。

(歌)辛い思いをした当時よりも 今日はまた 昔を思い出して 一層涙を流してしまいますね

 

「この絵日記は藤壺女院にだけはお目にかけねば」と不出来ではないようなものを一つずつ、とりわけ浦々の有様が鮮やかに描かれたものを選り出していると、あのサン・ブリューの住まいが頭に浮かんで来て、まず「今頃、どうしていることだろう」と思いやらない時が途切れません。

 

「ヒカル殿がそうやって、絵を選んでおられる」と聞いたアントワンは物語絵を集め、あらん限りの精魂を傾けて表紙、背表紙や紐飾りの意匠を凝らして、立派な製本を作らせました。四月九日の頃なので、空もうららかで、人々の心ものびのびとして、興を催す時節でした。王宮辺りでも重要な公事がなく暇のある時でしたから、どちらの方々もこうしたことで過していました。

「同じことならご覧になる機会をもっと増やしてあげよう」とヒカルは思い立って、特別に意識して絵を集めてご覧にいれます。王室には「こちらから、あちらから」と様々な絵が多く集まって来ました。小説を題材にしたミニアチュールは細やかに馴染みやすく描かれている点で勝っています。梅壺側は古典の中でも名高く由緒がある小説や叙事詩を題材にしています。アンジェリカ側はその頃、もの珍しく面白いと人気が高いイタリアのコミックや恋愛ものを題材にしており、ちら見した目でも今風の花やかさがこの上なく、勝れていました。王付きの女官や侍女たちの中で絵に嗜みがある者は皆、批評し合うことを近頃の仕事にしていました。

 

 

 

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