その15.蓬生    (ヒカル 27歳~28歳) 

  

1.末摘花邸の荒廃と困窮生活

 

 涙で眼を湿らせながらヒカルがサン・マロとサン・ブリューで侘しく暮らしていた頃、ロワールでもあれこれ思い嘆く人が多くいました。それでも自分の身の拠り所がある人はただ一筋の恋しさに思い苦しむだけで、シュノンソーの紫上なども悠然と構えて、ヒカルの配所先もはっきり分からない訳でもないので、手紙の遣り取りをしながら、無官になったヒカルの衣裳を季節の節目ごとに送るなどして自分を慰めることができました。なまじっかヒカルの愛人と世間にも知られず、ヒカルがブルターニュに旅立った様子すら、よそ事のように聞いて想像するしかできない女性たちの中には、胸の内を痛めてしまう者も多くおりました。

 

 ムーランの末摘花は父親のコンピエーニュ卿が他界した後は、他に誰もお世話をする人もいない身の上になって、ひどく心細くしていましたが、思い掛けない事が起きてヒカルが通って来るようになってから、ずっと物質的な補助を受けていました。勢いがあるヒカルからすれば「たいしたことでもなく、ちょっとした情けをかけただけ」といった程度の積もりでしかなかったのですが、待ち受ける側の貧しい境遇では、大空の星の光をタライの水に映したような幸せな心地で過していました。ところがヒカルの身にあのような騒動が起きてしまって、世の中の一切のことが悲しくいとわしく思い乱れてしまい、特に深くはない女性たちへの思いはすっかり忘れてしまったようで、遠地へ旅立った後は、わざわざ手紙を送ることはありませんでした。

 

 末摘花はしばらくの間は、しばしば泣く思いで過していましたが、歳月が経つうちに悲しく貧しい身の上になって行きます。古くから仕える侍女たちは「いやはや、まことに口惜しい運勢をお持ちだ。思いがけず聖人かキリスト様が現れてくれたような親切な御方が現れて、『こんな幸運に恵まれる人もおられるのだなあ』と有り難く存じ上げていたのに、『世間ではありがちなこと』と申すものの、他に頼れる御方もおられない有様というのは悲しいことです」とぶつぶつ嘆いています。当人も昔は貧しい生活や言いようもない寂しさにも物馴れて過していましたのに、ここ七年ほどは少しは世間並みの暮しを覚えてしまったため、かえって堪え難い思いがして歎いています。

 少しはそれ相応の侍女たちも自然と寄り集まっていたのですが、皆、次々と職を辞して離散していきます。老衰などで亡くなる侍女もいましたから、月日が経つうちに上級や下級の侍女や職員の数も少なくなっていきました。

 

 

2.末摘花、自邸の売却を拒否

 

 元から荒廃していた邸内はますます狐の棲みかのようになって、無気味なほど大きくなった木立ちに啼くフクロウの声を朝も夕刻も耳にするのに馴れてしまっています。人気があった頃は、そうした物も阻まれて姿を隠していたのですが、人の声に答える木の聖霊などという怪しい物も次第に住みつくようになってしまい、やりきれないことが色々と起こってきますので、たまたま残って仕えている人々はもうたまりません。

 

 ムーラン公がイタリア戦争の最後の戦となった「マリニャンの戦い」で元帥として戦勝の立役者の一人となったことから、家臣たちも報酬をたんまりせしめたので、ムーランの街は戦勝特需で賑やかさを増していました。成金となった武将たちは豪奢な邸造りを競い合いますが、そのうちの一人が末摘花邸の木立ちに目をつけて、伝を通して「邸を丸ごと譲って欲しい」と申し入れてきます。

「そのようになされて、こんな物恐ろしい所ではない場所に住まいを移しましょう。踏みとどまっている私どもも堪え難い思いをしていますし」などと侍女たちも勧めますが、「そんなことはできません。王族の宮家としての世間体もあります。私が生きている間は、どうして親の形見に未練がないようなことができましょう。こんなに恐ろしいほど荒れ果ててしまいましたが、両親の面影が残っている心地がする懐かしい住みかであることを考えると、慰められるのですから」と泣くばかりで、邸を売却するなどは思いもしません。

 

 調度類なども大層古臭くなっていますが、昔風に立派な造りですので、なまじっか物識りぶって古物を入手したがっている人が「某かの名人にわざわざ造らせた品」と聞きつけて案内を乞うて来ますが、「こんなに貧しい暮しをしているのか」と見くびって買値を低くしたりします。例のように侍女たちは「世間でもよくあるこですから」とうまく取り計らって、目前の生活苦を乗り切ろうとする時もありますが、末摘花はそれをひどくいましめて、「私がいつも眺めておけるようにと思って、残してくれた物です。そんな物をどうして賎しい身分の家の飾り物にさせましょう。亡くなった父卿の遺志に背いてしまうのは悲しいことです」と言って、そんなことすらさせることはありません。

 

 ちょっとした用件でも邸を訪ねてくる人もない身の上になっていましたが、ただ南フランスのアルビ(Albi)の僧院に住む兄の尊師だけは、まれにロワールに上がって来た際に顔を覗かせます。世にない程古風な人で、同じ僧侶と言っても処世術を知らない、世間離れした聖でしたから、繁った雑草や蓬を「せめて刈りはらったら」とすら思いつきません。

 こうしたことから、庭は雑草が生茂って表面も見えず、蓬は軒の高さに達するほどです。つる草は西門と東門を閉じ固めてしまって、用心がよくなったようでもありますが、崩れかけた石塀から入り込んで来る馬や牛が踏みならした通り路が出来ていて、春から夏にかけては短髪を二つに分けた牧童が不埒にも放し飼いをして眼に余るほどです。

 秋の嵐が吹き荒れた年に、回廊なども倒れてしまい、召使い用のハーフティンバーの粗末な家も柱や梁だけが残されていて、居残っている者はおりません。調理場の煙も絶えてしまって、哀れでみじめな事が多くありました。盗人などという向こう見ずな連中も外見するだけで貧しそうに感じますので、この邸は無用と判断して寄り付きもしません。こうした野生めいた藪邸になってしまいましたが、さすがに本館の内部だけは昔のままの飾りつけがしてあるものの、ぴかぴかに掃除をしようとする者もいません。

 

 塵が積もり積もっていますが、本人にとってはれっきとした麗しい住居ですので、ずっと明かし暮らしています。たわいもない古い詩集や流行のイタリアのコミック叙事詩などのような楽しみごとで無聊を紛らわせたなら、こうした住まいのやるせなさも思い慰めることが出来るでしょうが、そうした方面にも疎遠でした。さほど好ましいことではありませんが、自然と暇をもてあそんでいる時は、気の合う者同士で手紙のやり取りなどをしてこそ、若い女性たちは木や草の移り変わりを愛でながら心を慰め合うことができるのですが、昔気質の親が養育した心構えのままに、「世の中はつつましくしておくもの」と思いこんで、たまには便りを送らなければならない辺りにもさっぱり親しもうとはしません。古ぼけた書棚を開けて、アーサー王、シャルマーニュや「エイモンの四人の息子(Les Quatre Fils Aymonといった中世の物語に細密画(ミニアチュア)が描かれた羊皮紙本などを時々の暇つぶしの遊び物にしていました。

 古い詩歌と言っても、興味を引きそうな作品を選び出して、題名や作り手を把握してから鑑賞することに味わいがあります。厚ぼったい儀式用の紙や羊皮紙に書かれた、ありふれた詩歌などは興ざめでしかありませんが、末摘花は物思いが募る折々はそうした類のものを広げて眺めています。デ・タルプ先生の「聖パウロ書簡の校訂」など、当節のユマニストたちが校訂する聖書を読みながら勤行をする、といったことは大層気恥ずかしく感じている上に、そうしたことを指導して上げる人もいませんし、数珠なども持ったこともありません。あくまで中世の騎士道物語に登場するヒロインと自分を重ね合わせていました。

 

 

3.叔母、末摘花を召し使いにと企つ

 

 侍従と呼ばれる乳母の娘スザンヌは長年の間、離れていこうとはせずに仕えていましたが、掛け持ちで勤めていた元斎院が亡くなってしまい、収入源が減ったこともあって 心細くしていました。

 末摘花の母の妹で身を持ち崩して、格下の県知事の妻になった者がおりました。娘たちを大切に養育していて、若くて見苦しくない侍女を求めていましたので、「全く知らない所よりも、自分の母も奉公したことがあるのだから」とスザンヌは考えて、その邸に時々通うようになりました。末摘花は人見知りをする性癖もあって、母方の叔母と睦ましく交際することはありません。

 その叔母は「姉夫妻は私を軽蔑して、一族の面汚しとみなしていましたので、姪が困窮しているのは承知していますが、見舞いには伺いませんよ」などとスザンヌに憎まれ口を言いながら、時々、末摘花宛の手紙をスザンヌに持たせました。生まれつき並みの身分の人なら、何かと高貴な人の真似をすることを心掛けて、上品ぶる人も多いのですが、高貴な身分の出自でありながら、下の身分に落ち込んでしまう宿命があったからなのでしょうか、心に少し賎しい癖がある叔母君なのでした

「私はこのように身分を低めてしまった、と見下されてしまったのだから、その仕返しに姪を自分の娘たちの奉公人にさせてみたい。性格などに時代遅れの古風な点はあるが、それなりに安心できる世話役をしてくれるだろう」と考えて、「姪も時々、こちらにお越しになってくださったら。ハープの音色を聞かせていただきたい娘もおりますから」と話しています。その旨をスザンヌにも伝えて催促しているのですが、特に意地を張っている、というのではなく、とにかく度を越した引っ込み思案でしたから、それほど親しくしようとしないのを、叔母は憎らしく感じていました。

 

 そうこうしているうちに、叔母君の夫がボルドーのアキテーヌ州知事に昇進しましたので、娘たちを縁付かせてから、ボルドーに下向する積もりでいました。

「この際、何とかして姪をボルドーへ誘い出してみよう」と深謀を廻らせて、「遠地へ行くことになりましたが、貴女の心細い様子が気になります。頻繁に伺うことはありませんでしたが、近くに住んでいるよしみがありました。離れてしまうのがとても悲しく、後ろめたい思いです」などと言葉巧みに言いながら、ボルドーへの同行を誘うのですが、末摘花は同意しようとはしません。

「なんて憎らしい。自分一人で思い上っていても、こんな藪屋敷に幾年も住んでいる者を、ヒカル大将殿が大事に扱うことなどありもしないのに」などとののしります。

 

 それからしばらくして、「とうとう、ヒカル大将は赦免されて、ロワールへ戻って来られる」と世間の人は「慶事だ」と大騒ぎになりました。「自分もどうにかして人より先に、ヒカル殿へ深い誠意があったことを認めていただこう」とばかりに、身分の高い低いにかかわらず思い競い合う身勝手さを見ながら、ヒカルはこうした慌しさのうちに、末摘花のことなど思い出す気配もないまま、月日が経っていきます。

「ああ、もう何の希望もなくなってしまった。長い間、不遇な境遇に落ちられた有様が『悲しく可哀想でならない』との思いをしながら、『再び萌え始める春を迎えて欲しい』と念じていたのに、賎しい階級の人ですら喜び合う状況になって、官位も復活して昇進までされたのに、他人事のように聞くだけだ。都落ちをされていた悲しい時期の憂いは『私自分一人が背負えばよい』とまで覚悟していたのに、その甲斐もなかった仲だった」と末摘花は心が砕け散り、辛く悲しくなって、人知れず声を上げて泣くばかりです。

 

 州知事夫人となった叔母は「それ見たことか。あんな風に頼りとなる人もいず、みっともない有様の者を相手にする人などいるものか。キリスト様も聖人も罪が軽い者ほどお導きくださるのだ。あんな有様なのにいまだに勢いが盛んだと思い込んで、父卿や母上がおられた頃のままの流儀を貫こうとする高慢さは困ったものだ」と大層出すぎた思いをしながら、「きっぱりと決心をしなさい世の中を憂えている時は「愛しい人にほだされて 世の中の憂き目を見ないで済む 山路に入る決心がつかないといった歌がありますので、『田舎なんて難儀な所』と心配されるかもしれませんが、決してそれ程悪いもてなしは致しませんよ」などと言葉巧みに言いますので、すっかり気を滅入らせている侍女たちは「なぜ、そうなさらないのでしょう。素晴らしいことが起こりそうもない身なのに、何と考えてこんなに意地を張っているのでしょう」とぶつぶつ非難しています。

 

 スザンヌも新州知事の甥か何かに当たる男と夫婦の契を結んで、男の方がスザンヌをロワールに残しておく気配もないので、思いもしなかった旅立ちになってしまい、「ロワールに残して行ってしまうのは心苦しいので」と女君もボルドーに同道することを促すのですが、末摘花は今なお、かけ離れてしまってから久しくなったヒカルに頼みをかけていました。

 末摘花は内心、「そうと言っても、丸三年ほどの空白がありはしたものの、いつかは思い出してくれる折りがあるだろう。あれ程、しんみり心をこめた約束をしてくださったのだから。自分は運が悪くて、こんな風に忘れられているだけなのだ。風の便りにでも、私のこんな惨めな様子を聞きつけてくれたら、必ず訪ねて来てくださるだろう」と長い年月、信じ続けています。

 

 邸全体が一頃よりもさらに荒廃していますが、自分一人、気を張って、ちょっとした調度品なども流失させずに、心を強く持ちながら昔どおりに辛抱しながら過しています。涙を流しながら、ひどく落ち込んでいる姿は、ただただ「木こりが赤い木の実一つを顔の真ん中にくっつけて、放すまい」としているように見えます。その横顔は通り一遍の人なら我慢できるものではありません。でも、そんなことを詳しく語ってしまうのは気の毒ですし、口さがないようですから省略します。

 

       

4.ヒカルの聖書八書講、叔母はセザンヌとボルドーへ下向

 

 冬に向って行くままに、末摘花は頼りにする者もなく、一塩、悲しそうにぼんやりと暮らしています。ヒカルの邸では、故桐壺院の追善の聖書八書講を世間でも大騒ぎとなるほど催しました。とりわけ僧侶などは平凡な者は呼ばず、学識が優れ、修行の徳も積んで尊敬されている者に絞って選びましたが、末摘花の兄であるアルビの尊師も招聘されました。

 尊師は帰りがけに妹の所へ立ち寄りました。「これこれということで、ヒカル権大納言殿の聖書八書講に出席して来ました。この世の天国の様相と劣らないほど、とてももったいなく盛大に興趣の限りを尽くしておりました。あの御方はキリストや聖人の化身なのでしょう。こんな『腐敗・思い乱れ・短命・煩悩・無気力』という『五つの濁り』が深い世の中に、どうしてお生れになったのだろう」と言って、長居もせずにアルビへ戻っていきました。尊師はヒカルが末摘花の許に通っていたことも知っていたのでしょうが、普通の人とは違って言葉をかわすことも少ない兄妹なので、無意味な世間話などをすることはありません。

「それにしても、こうまで不運な身の上になっている有様を『可哀想に』と相手もしてくれずに打ち捨ててしまっておられるというのは、非情なキリストや聖人がいたものだ」と末摘花は辛い思いをしながら、「やはり私は見限られてしまったのだ」とようやく諦めがついていると、突然、ボルドー州知事夫人が訪ねて来ました。

 

 いつもはそれほど親しくはしていないのですが、ボルドーへ誘い出そうという魂胆から、差し上げようとする衣裳を取り揃えて、しゃれた馬車に乗って、顔つきや身振りも得意そうに、何の屈託もない様子で予告なしに押しかけて来て、正門を開けさせようしますが、辺りの見苦しい殺伐さは言いようもありません。ところが正門の左扉も右扉もすべて傾きかかって倒れていましたので、お供の男たちが手助けをして大騒ぎしながら、ようやく開くことができました。

「こんな寂しい邸でも、どこかに必ず馬車が踏み分けた轍(わだち)の跡を残す小道が三つくらいはあるはずだ」と辿って行きますと、ようやく戸の半分上が開いている南向きの部屋に行き着いて、馬車を寄せました。

「そんな場所に馬車を寄せるとは、何て失礼な」と末摘花はむっとしましたが、煤けた布製の衝立から出て来たスザンヌが応対します。容貌などは衰えていました。この数年でひどく痩せ細ってしまったようですが、まだまだ垢抜けて、品がある様子ですから、恐れ多くも女君と取り替えてみたいほどです。

 

「これからボルドーへ旅立って行きます。お気の毒なご様子を見捨て難く思いながらも、本日はスザンヌを迎えに参りました。私のことを敬遠なされて、ご自分はちょっとでもお越しになろうとはされませんので、せめてこの人だけでも、ボルドーへ行くのをお許しください。それにしても、こんな可哀そうな有様は」と、普通なら哀れみの涙を流すところですが、夫人は良人の栄転の先行きに希望であふれて気分がよさそうです。

「コンピエーニュ卿がおられた時分は、私のことを『一族の顔を汚した』と切り捨てになさいましたので、疎遠となっていましたが、長年、貴女のことを疎略には思っておりませんでした。それでも貴女は格上のように思い上っておられ、大将殿がお通いになるご幸運にも恵まれましたので、お側にはとても寄り付けないと思い、親しくお付き合いをするのを遠慮することが多くありました。でも世の中というものは定めがないものです。私のような身分が低い方がかえって気が楽というものです。以前は及びもつかない有様でしたのに、今は非常に悲しそうで、辛そうなご様子になられてしまって、近くにいる間は疎遠と言っても、いざとなったら頼りにされるだろうと考えていましたが、この度は遠方へ旅立っていきますので、気掛かりで悲しくてなりません」などと語りかけますが、末摘花は心を許して答えることもありません。

 

 ようやく口を開いて、「お志はとても嬉しいのですが、私のような世の中の変り者がどこかに行ったとしても何になりましょう。このまま朽ちて死んでいくだけ、と考えております」とだけ答えます。

「なる程、そう思われますのはごもっともですが、せっかくの生きた身を埋れ捨てて、こんな気味悪い所に暮らすといった例はありえましょうか。こんなに荒れ果てた邸でも、大将殿が手入れをしてくださったなら『見違えるような美しい立派な御殿にもなるだろう』と心頼みにしているのでしょうが、当の大将殿は目下のところ、兵部卿の娘さんより他には心をお分けになっている方はおられないようですよ。殿は昔から浮気っぽい性分でおられて、ほどほどにお通いになる所は多くありましたが、今はもう皆、心が離れてしまっています。まして、こんな頼りない様子で薮原に過している人を『操を立てて、私をずっと待っていてくれたのだね』と感心して訪ねて来ることなど、ありえないことですよ」などと言いたしたりしますが、「確かににその通りだ」と思って末摘花はさめざめと泣いてしまいます。

 

 それでもボルドー行きを決意する様子がないので、夫人もすっかり持て余してしまって、「それではスザンヌだけでも」と日が暮れていくままに急がせます。スザンヌは気がせく思いをしながら、泣く泣く「あれだけおっしゃいますので、今日のところは見送りだけにでも行って参ります。あちら様がおっしゃることも一理ありますし、あれこれお悩みになるのもお道理ですから、間に挟まれた私は心苦しいばかりです」とそっと耳打ちしました。

「この人までが私を見捨てて行こうとするのか」と恨めしくも悲しくも思いますが、引き止めるべきすべもなくて、ますます声をあげて泣いてしまいます。

 

 形見として貴重な衣服でも譲りたい気持ちがするものの、着古した衣服も垢じみていますので、長年の労苦に報いるべき物などありません。仕方なく、唯一自慢している自分のブロンドの髪の抜け落ちたものを取り集めて、身の丈ほどの鬘(かつら)にしたのが大層見事で美しいのを趣がある箱に入れ、それに加えてとても香ばしい衣裳用の香料を入れたリモージュ産の七宝焼きの壺を贈りました。

(歌)絶えるはずがない間柄だと信じていたのに 思いも寄らず 遠くへ行ってしまうのですね

「亡くなった乳母が言い残したこともありますから、娘の貴女なら『たとえ不甲斐ない身となっても見離すことはないだろう』と信じておりました。私を打ち捨ててしまうのももっともなことでしょうが、『貴女の代わりを誰に託したらよいのか』を考えると恨めしくなります」と激しく泣きじゃくります。

 

 スザンヌも胸がせまって物を言うこともできません。「私の母の遺言は申すまでもありません。長い年月、忍び難い生活に耐えて過して来ましたのに、こうした思いもしなかった旅に誘われて、はるか遠くに行くことになろうとは」と言いながら

(歌)いただいたブロンドの鬘が擦り切れてしまっても お見捨てすることは決してありません 

   道中の「路傍の十字架(Croix de Chemins)」に固く誓いましょう

命のある限りは見守りますから」などと続けますが、「何をしています。暗くなってしまいますよ」と夫人からぶつぶつ呟かれますので、気もそぞらに馬車に乗って、後ろを振り返りながら去っていきました。

 

 久しい間、侘しい思いをしながらも離れることがなかった人が、こうして別れていくことをひどく心細く思う上に、もうお払い箱になってしまうような老いた侍女でさえ、「いやはや、無理もないことです。どうしてこんな所に踏み留まることができましょう。私どもですら、どうにも我慢ができません」と、自分自身の身の振り方を考えて、手蔓を頼りに去っていこうと話しているのを、末摘花は気まずい気持ちで聞いています。

 十一月下旬に入りますと、雪や霙(みぞれ)がちになります。他所の邸では消える間がありますが、この邸では朝日や夕日を遮る蓬や蔓草の蔭に雪が深く積もって、まるでアルプスの高峰を思い起こさせるような光景です。出入りする下級職員もいず、手持ち無沙汰のまま、しょんぼりと庭を眺めています。他愛のない話をして慰め、泣いたり笑ったりして気を紛らせてくれる人すらいなくなって、夜も塵のつまった内カーテンの中で、ただ一人、寂しく悲しく過しています。

 

 シュノンソーの方では、ヒカルの帰還で久々に大騒ぎになっている状態で、さほど大切だと思っていない所々にわざわざ訪れることはしません。まして末摘花のことなどは「まだ達者で暮らしているだろうか」というくらいは思い出す折りもありましたが、訪ねてあげる気持ちも湧いてくるものの、急ぐことはあるまいと考えているうちに、年が暮れて行きます。

 

 

 

 

                 著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata