その29.行幸           (ヒカル35歳)

 

1.フランス軍の反撃と北部イタリアへの進撃

 

 神聖ローマ帝国軍にプロヴァンス地方を蹂躙され、八月十九日にはマルセイユまで占拠されたフランス側は、汚名挽回を期すボニヴェ総帥を中心に帝国軍とシャルル・ブルボン元帥の戦術と弱点の分析を続け、九月に入ってから反撃に出ました。それに呼応してマルセイユだけでなくプロヴァンスの主要都市の住民も抵抗を強めたことから、九月二十九日についに帝国軍のマルセイユからの追い出しに成功しました。

 

 勢いに乗ったフランス軍は次々とプロヴァンスの失地を取り戻し、イタリアへの退却を始めた帝国軍を追跡する形で北部イタリアに進攻し、一か月後の十月二十八日に、帝国の後盾で復帰したスフォツア家が治めるミラノ公国の首都ミラノを包囲するまでにいたりました。あいにくミラノ市内にはペストが発生している、との情報もあったことから、ミラノ包囲を継続しながら、ミラノの南に位置するパヴィア(Pavia)に本陣を置きました。

 

 

2.ヒカルが玉鬘に煩悶、玉鬘の行幸見物と感想

 

 ロワールでは相変わらずヒカルの玉鬘に対する思いやりに行き届かないところはなく、「何とか良いことをして上げよう」と思い扱っています。

(歌)とにかく 人目を堰き止められないまま 下に流れていく 音もしない滝」といった気持ちがますます高まっていますが、南の町の紫上の推察通りに軽々しい名を流しそうです。

 さすがに「玉鬘の父親である内大臣アントワンは、何事につけてもはっきりさせ、曖昧に済ますようなことは少しも我慢できない性格だから、玉鬘が自分の娘と知り、私を玉鬘の婿としてはっきり扱うようになってしまうと、みっともないことになってしまう。どうすべきだろう」とヒカルは思い返したりします。

 

 そんな矢先、フランス軍がパヴィアに本陣を据え、ミラノ公国を奪還する可能性が濃厚になった朗報が届いたことから、ヒカルは「冷泉王を総大将として北部イタリアに遣り、ミラノを征した後に凱旋帰国をさせ、王さまとして自立させてみたら」との思いが募りましたが、ヒカルが切り出す前に、冷泉王自らイタリア遠征を決断していました。重臣たちも「イタリア遠征を成し遂げた父の桐壺王の事例に倣った好判断だ」ともろ手を挙げて賛同しました。

 好都合なことにミラノの大先生の意思を継ぐ形で冷泉王が着手したシャンボール城の第一期工事が完成していたので、その落成式を花道にしてイタリア遠征に向うことになりました。冷泉王のシャンボール城への行幸が公表されると、世間の人々は「行列を見なければ」とこぞって騒ぎ立てましたが、ヴィランドリー城の婦人たちも馬車を引き連ねて見物することになりました。

 

 行列は午前六時頃にアンボワーズ王宮を発ち、ロワール川右岸沿いにブロワまで進み、ブロワでロワール川を渡ってシャンボール城に向いましたが、沿道は物見車や人垣でぎっしりと埋まっていました。行幸といっても、必ずしもいつもこれほどではないのですが、今日は親王も高官たちも特別に気を使って、皆、馬と鞍を整え、随身や馬に添う人の器量や背丈を揃え、衣裳を飾り立ているので珍しいほどの素晴らしさです。太政大臣は不在でしたが、言うまでもなく左右の大臣、内大臣、副大臣以下、一人残らず行幸に加わっていました。高官から官位五位や六位の者まで青色の上等な衣裳、ブドウ色の長衣を着ていました。

 

 雪がほんの少しちらちらと散り、道中の空すら優美な趣を添えています。王族や高官たちの中で王さまと共に遠征する者は物珍しいきらびやかな軍服で着飾っていますが、その中には内大臣の次男ロラン少将も混じっていました。シャンボール森で鷹狩りを行う警護庁の担当者たちは、白地に草花汁で文様を絞り染めにした、見馴れない服を着て得意気でした。

 めったに見れない珍しい見世物ですから、誰彼となく見物に出ています。それほどの身分でない者が貧弱な馬車の車輪を押し潰されて、困っている光景も見かけます。ロワール川を舟で繋げた仮橋のほとりが恰好の見物場所になっていて、女性たちを乗せた洒落た物見車が多くいました。

 

 西の対の玉鬘も見物に出ていました。ひどく張り合って精一杯着飾っている行列の人たちの容姿や様子を見やりますが、赤色の衣を着た冷泉王の端麗で身じろぎしない横顔を見ると、王さまと比肩できる者などはおりません。

 玉鬘はこっそりと自分の父親である内大臣に目を止めましたが、派手できらびやかな姿をした男盛りと感じたものの、物見車の中からでは限りがあるせいか、せいぜい諸人よりも勝った家臣に見えるだけで、王さまより他に目移りすることはありません。まして「容貌が良い」、「美男ですね」と同乗する若い侍女たちがはやし立てている中将・少将や某の役人とかの連中は物の数にも入らずに無視してしまったのは、玉鬘が冷泉王を類ない人物と認めたからでした。冷泉王の顔立ちはヒカルのそれとそっくりでした。思いなしか、王さまの方が今少し威厳があり、恐れ多い立派さでしたが、二人の顔立ちが確かにそっくりといった類のことはめったにないことでした。

 

 ヒカルや夕霧中将の様子を見馴れていた玉鬘は「貴人の男性は皆、もの清げで気配も常人とは異なっている」とだけ思い込んでいましたが、通過していく男たちは不完全で、王さまやヒカルと同じ目鼻立ちには見えず、残念ながら見劣りがします。

 行列の中には蛍兵部卿もいました。メディチの右大将ヒゲ黒は普段はひどく重々しく取り澄ましていますが、今日のいでたちは非常に花やかな武人姿で、背に矢立てを負い、色黒でヒゲが濃い姿は玉鬘の気を引くことはありません。男の顔立ちを化粧した女の顔立ちと比較するのは元から無理な話ですが、まだ若い玉鬘は黒ヒゲ大将を軽視してしまいました。

 ヒカルは玉鬘の王宮勤めを思い立って、このところその話をしていましたが、当の本人は「どうしたらよいものか。王宮勤めは本意ではないし、見苦しい目にあったりしたら」と気おくれをしていました。ところが今日の行幸で王さまを見てからは、「王さまのお側というのでなく、普通のお仕えということなら、それも楽しいのではないか」と考え直すようになりました。

 

 

3.冷泉王、ヒカルと贈答。玉鬘の感想と王宮仕えの勧誘

 

 初めて見る者はその壮大さにあっと驚く、真っ白な石灰岩が異彩を放つシャンボール城に到着した一行は、冷泉王が玉座についた後、上官たちは城の前に張られたテント群で食事をしたり、イタリアに出軍する者は旅の装いに着替えました。

 ヴィランドリー城から祝い酒やご馳走が献上されました。ヒカルからの「本日は王さまから供奉せよとの仰せがありましたが、生憎、心身を清めねばならない謹慎日にあたりますので」との奏上もありましたので、王さまは財務官六位の者を使いにして、シャンボール森で鷹が狩ったキジのつがいをつけた枝をヒカルに贈りました。王さまからヒカルへの仰せごともあったようですが、そのまま伝えるのは煩わしいので省きます。

 

(歌)雪が深く積もった シャンボールの森を飛び立つキジのように 古い故事に従って 

   今日来てくればよかったものを

と王さまが詠んだのは、野外への行幸に太政大臣が供奉する先例があったからでしょう。

 ヒカルは王さまの使いを恐縮してもてなしました。

(返歌)深い雪が積もった シャンボールの松林で 今日ほどの盛儀は例がないことでしょう

とヒカルが返信しました。その頃に聞いたことはところどころしか思い出さないので、誤りもあるましょう。

 

 明くる日、ヒカルは玉鬘に「昨日、冷泉王を拝見されましたか。王宮仕えの件はその気になりましたか」との手紙を遣りました。白い色紙にとても親しげに書かれた手紙は恋文でもなく、細々と書いてあるのを玉鬘は「普段とは不似合いなこと」と一笑しながら、「王さまに対する私の心境の変化をよく見抜かれた」と感じました。

(歌)雪が散らつく どんよりした朝曇りでしたから 日の光りははっきりと見えませんでした

まだはっきり気持ちが固まったわけではありません」との玉鬘の返信を紫上も一緒に見ていました。

 

「実は玉鬘に王宮勤めを勧めてみたのだが、王宮には秋好王妃がああしておられるので、貴婦人として上げるのは都合が悪い。内大臣に真実を打ち明けて、内大臣の娘として王宮に上がったとしても、すでにアンジェリクが貴婦人としてお側にいるのだし、とあれこれ思い悩んでいる。若い女性で王さまの近くで仕える資格がある者なら、王さまをちらとでも拝んだら、王さまの愛を受ける気にならない者はいないだろうし」と心境を紫上にこぼすと、「まあ、なんて嫌な御考えを。王様を美男子と拝見したとしても、王宮仕えをして自分から進んで身を任せる、というのは行き過ぎたお考えですよ」と紫上が笑います。

「いやいや、そこのところですが、貴女だって王さまを拝まれたなら、その気になりますよ」とヒカルが切り返しました。

(返歌)日の光りは 曇りなく輝いていたのに どうして雪を理由に 眼を曇らせたのでしょう

 

「やはり王宮仕えを決心なさい」と返歌を詠んで、その後も玉鬘にしきりに勧めました。

「いずれにしても、一人前の成人としての『正装の儀式』こそ、させておかねば」とヒカルは考えて、式に必要な調度品を精巧で結構なものも新たに加えて、準備を始めました。何くれといった儀式などは、本人が大したことと思っていなくとも、自然と仰々しく立派なものになってしまいますが、まして「この機会に内大臣に真実を告げよう」という腹積もりがありましたから、調度品はきわめて華美に所狭しと用意されました。

 

 

4.ヒカル、大宮と懇談

 

 年が改まりましたが、ヒカルは正装の儀式は冷泉王が凱旋帰還する前、二月に済ませておこうと考えました。

「女というものは評判が高く、名を隠すことができない身分の者でも、人の娘として実家に籠っているうちは必ずしも一族の守護聖人への参詣などを表立ってせずに、歳月の経過を曖昧にしてやり過ごすこともできるが、自分が望んでいるように、もし王宮勤めをすることになると、玉鬘が属すアンジェ公家の守護聖人の心に背いてしまうことになるし、結局は隠し通すこともできない。味気ないわざとらしい小細工をした、と後々までひどいことを言われてしまうことになる。平凡な身分の人なら、今時の流行りのように気軽に姓を変えることもできるのだが」などと思いをめぐらせましたが、「やはり親子の縁は切っても切れないものだ。どうせなら、私が率先して事実を打ち明けよう」と決心しました。

 

「儀式の介添え役は内大臣に依頼しよう」と手紙を送りましたが、まだ事実を知らない内大臣から「実母の大宮が昨年の冬頃から病を患って、一向に回復しない。この状況では都合が悪い」旨の返信がありました。息子の夕霧中将も一日中、アンジェ城でつきっきりで看病をして心の余裕もないようなので、確かに時期が悪く、「どうしたら良いものか」と思案しました。

「世の中というものはまことにに定めがないものである。大宮が亡くなると、孫にあたる玉鬘も服喪の義務が出て来る。それを知らぬ顔でやり過ごしてしまうのは罪深いことになる。この際、大宮の存命中に事実を公けにしよう」と考えて、見舞いを兼ねてアンジェ城に行くことにしました。

 

 太政大臣である今は、お忍びで外出しようとしても、王さまの行幸に劣らない厳しさになって、ますます威光が増しています。この世のものとも思えない立派な容姿をしたヒカルの珍しい訪問に、大宮は病苦が払いのけられた心地がして、ベットから起き上がり、肘掛けにもたれ弱々しそうながらも、饒舌に話しました。

「そうお悪くはないようですね。息子の中将が気を動転させ、大袈裟に心配して騒ぎますので、どこまでお悪いのかと案じておりました。最近は特別なことがない限りは王宮に出仕することはなく、公人として仕える身でもないようになって、ヴィランドリー城に引きこもっておりますので、何事も勝手が分からぬようになって、大儀に思っております。私よりずっと歳が上の人が腰が折れそうになるまで曲げながら立ち働いている例は、昔も今もございますが、私は妙にぼんやりした性格を持った物臭者なのでしょう」などと語りました。

 

「もう老いの病の辛さだと思いながら、幾月か経ちました。今年に入ってから、先行きは長くないように思うようになり、今一度貴方にお逢いできることもないのか、と心細く存じておりました。こうやって今日こそお逢いできて、少しは命が延びた心地がします。今は死が惜しいほどではありません。親しい人たちよりも死に遅れ、世の末まで生き残っているというのは、他人事だとしてもひどく見苦しいことと感じておりますので、早くあの世へ旅立ちたい思いです。それでも孫の中将がとても悲しがって、不思議なほど気をつかってくれて心配しているのを見ますと、あれこれ引き止められる形になって、今まで生き延びております」とひたすら泣きに泣いて、声をわななき震えさせているのは大袈裟なようですが、それも無理もないことなので、大層哀れ深いことです。

 

 二人は昔や今の話をあれこれとしましたが、頃合いを見てヒカルは「内大臣は日を置かずに、始終来られているでしょうから、そのついでに対面ができましたら、どんなに嬉しいことでしょう。是非ともお話ししたいことがあるのですが、そうした機会がなく対面できずにいるので、気になっております」と切り出しました。

「いえ、公務が多いせいか、私への情愛が深くはないのか、さして見舞いに来てはくれません。お話しされたいことはどのようなことでしょうか。夕霧中将が以前、内大臣のことを恨めしく思っていたこともありましたね。初めの経緯は知りませんが、内大臣は今さらのように夕霧に冷淡な態度をとっていますので、『一度立った噂は取り返せるものではないし、かえって世間の人から馬鹿げているように言い触らされますよ』などと忠告しましたが、息子は昔から一度言い出したら、一歩も後ろへ引かない性分なので、不本意なことだと感じております」と、ヒカルの話は夕霧の件だと思い込んだ返事をしました。

 

 ヒカルは苦笑しながら、「『今さら言っても仕方のないことだ』と内大臣のお許しが出るかもしれないと聞いて、私までがそれとなく許しを請おうとしたものの、内大臣は当人を厳しく叱りつけた、との話を聞いて、『何も余計な口出しをしなければ良かった』ときまり悪くなって悔いたことがありました。何事においても『洗い清め』ということがありますので、夕霧と雲井雁との噂を消し去ろうと洗い流してしまうことだろう、と思っておりました。とは言うものの、世の中というものは一度濁った水が後に洗い清められて、深く澄んだ水になる、ということはありえません。何事につけても、後になるほど悪い方向に落ちていきやすいものなので、残念なことです」などと説明しました。

 

 一息ついた後、ヒカルが切り出しました。

「実を申しますと、あの内大臣がお世話をすべき人を、思い違いがあって、思いがけなく手許に引き取りました。当初は筋違いであることを打ち明けてもくれず、当方も強いて事の真相を調べることもなく、ただ子宝が少ないので、『これも何かの縁であろう』という気がしながら、あまり面倒を見ることもなく年月が過ぎました。

 ところが、どうやって聞き及んだのか、冷泉王から『王宮の女官長を勤めてくれる者がいないと、祭事にしまりがなくなり、部下の女官たちも公務の務めが混乱してしまう。目下のところ、私に直接仕えている古参の副女官長二人やしかるべき者たちが、ああだこうだと女官長の座を申し出ているが、選考するとなると適した者は見当たらない。やはり家柄が高く、世間からも軽んじられず、自分の家の世話を見る必要がない者が古くから女官長に任命されている。そうした例を除くと、女官の仕事を堅実に利発に勤め上げた者を、その年功に報いる形で女官長に任じる場合もある。しかしそれにも適った者がいないとなれば、世間でも人望が高い者を選ぶことになる』とのお話しが内々にありましたが、私が預かっている人は女官長としてふさわしくないとは言えない、と思い至りました。

 王宮勤めというものは、上級でも下級でも、そうなるのが運命だと思い立って出仕していくのが、志しが高いことになります。一般職として女官所を管理し、祭事をまとめていく仕事は大したことでもなく、つまらない仕事のように思えますが、そうとは限りません。ただ何事も本人の資質によって決まることだ、と思いましたので、そのついでに改めてその女性の年齢などを詳しく調べてみますと、内大臣が捜しているに違いない娘であることが判明しました。

 そこで、どうしたら良いものか、内大臣と相談してはっきりさせたいのですが、その機会がなく対面できずにいます。『しかじかこうしたことが』との説明をどうすべきか手立てを考えて、対面を手紙で申し込みましたが、貴女様の病いを口実にして、気が進まないのか返信がなく、私もそれ以上は差し控えておりました。本日こちらに伺って、ご病状がよろしいようなので、やはり、こう思ったついでに、何とか対面したいと思います。そのようにお伝え願いませんか」と話しました。

 

「まあ、それは一体どうしたことでしょう。内大臣の許に『娘だ』と称して、あれこれ名乗り出てくる者を、厭いもせずに拾ってあげているようですが、その女性は何を間違えて、そちらに名乗り出たのでしょう。かねがね、何らかの事情を聞いていたのですか」と大宮が尋ねました。

「それには込み入った仔細がございます。詳しいことは、あの大臣も自然とお分かりになることでしょう。凡俗の者の中なら、よくありそうな話ですが、公けにしてしまうとごたごたした噂話になってしまいます。息子の中将にもまだ詳細は知らせていませんので、他言は控えて下さい」とヒカルは大宮に口止めを申し入れました。

 

 ソーミュール城の内大臣も、このようにアンジェ城にヒカルが訪れた由を聞きました。

「何とも寂しげになっているアンジェ城に勢いが盛んな一行を迎えて、さぞ困っていることだろう。隋人たちの接待やてきぱきと客座を用意する者もいないし、夕霧中将もお供として来ていることだろう」と驚いて、息子たちや懇意な役人たちをアンジェ城に差し向けることにしました。

「菓子類や酒類など、しかるべくもてなしなさい。私も行くべきであろうが、かえって大騒ぎになってしまうから」と言っている矢先、大宮から手紙が届きました。

「ヴィランドリーから太政大臣が見舞いに来られたのですが、あまりに物寂しく、人手も足りずに失礼をしております。仰々しい風にせずにお越しくださいませんか。お逢いして聞いていただきたい話もあるようです」といった内容でした。

 

「何事だろうか。娘の雲井雁のことで、夕霧中将の嘆きぶりを伝えるためであろうか」と考えめぐらしますが、「大宮も長くはなさそうだし、太政大臣が二人のことを切に願い、一言でも穏やかに口に出して懇望して来るならば、こちらとしても反対することもできないだろう。それにせよ、当の中将がそ知らぬ風をして、あまり思い入れがないように見えるのは感心しない。それでも適当な機会があれば、相手の言葉に促されたようにして許してやろうか」とも思ったりしました。

「大宮とヒカルが示し合せて言っているのだろうと考えると、二人の仲を拒むことができない」が、その一方では「何、そう易々と進めさせはしない」と躊躇してしまうのは、随分とけしからぬ意地の悪さでした。

「それでも母上がこう伝えて来て、太政大臣も対面をしたく待ちわびているのだから、行かないと失礼になる。アンジェ城に着いて、その場の雰囲気で判断しよう」などと考え直しました。衣服には格別に気を使い、前駆などもあまり仰々しくせずにアンジェ城に向いました。

 

 息子たちを大勢引き連れて到着した内大臣は堂々としていて、頼もしげに見えました。背が高い上に肉付きもそれ相応によくて威厳があり、顔立ちや歩きぶりも大臣として不足するところはありません。ブドウ色染めの半ズボン・タイツの上に桜色の長衣を長々と曳いて、ゆったりとことさらめいた態度は「なんときらきら輝いておられるのか」と見えます。ヒカルは桜色のイタリア風の模様を浮かせ織りした薄手の上着に短衣を重ねた、くつろいだ王族の大君姿で、それなりに何ともたとえようもないほどでした。生まれつき備わっている輝きはヒカルの方が勝っていますが、気を入れて着飾ったアントワンの晴れ姿と肩を並べるほどではありません。

 内大臣に付いて来た息子たちも皆、美しく立派ないでたちで集っていました。次席大臣や王太子付き一等官などと呼ばれるようになっている、アントワンの異母弟たちも皆揃っていて、特に呼ばれてもなかったものの、世に尊重されている官位四位や五位の王宮人、財務官、近衛庁の中将や少将、太政官など、人柄が花やかな人たちも十人あまり追従していますので、一行のいかめしさが増しています。加えて下級の人たちも付き従っていました。

 酒杯が飛び交い、皆酔いながら大宮の幸福ぶりや人より優れている有様を褒め称えました。

 

 

 

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