その50巻 東屋    (カオル 二十五歳)

 

5.ニオイ卿の姫君発見、乳母等の懊悩、マドレーヌの当惑

 ニオイ卿は夕方まで皆と一緒に遊んでから、マドレーヌの部屋に戻ってみると、マドレーヌは髪を洗っていました。侍女たちはめいめいに休んでいて、マドレーヌの近くには誰もいません。ニオイ卿は小さい女童に「折悪く洗髪をしているとは生憎なことだ。張り合いがない」と取次ぎをさせました。

「確かにいつもはお留守中の合間を見て、洗髪をするのですが、このところ妙に億劫がられておられます。九月と十月は洗髪を忌む月となり、今月はこの日が過ぎると吉日がありませんので」と副侍女長は気の毒そうに釈明しました。

 侍女たちは就寝中の若君トマス(Thomas)の所に行ってしまって、ニオイ卿があちらこちらをぶらぶら歩いていると、母屋の西側の北に見馴れぬ女童の姿が見えたので、「新参の者がいるのか」と部屋を覗いてみました。中ほどにある仕切りが細目に開いている箇所から見てみると、仕切りから三十センチメートルほど離れて屏風が立っていて、その端に間仕切りが添えられていました。下着を打ちかけている間仕切りの隙間から、花やかな薄紫色の袖に黄色いノゲシ色の袖が重なった袖口が差し出ていました。屏風の一片が畳まれていたので、気付かないでいる本人が見えました。

「最近仕え始めた、残念とは思えない侍女なのだろう」とニオイ卿は間仕切りをそっと引き開いて、こっそりと媛君に歩み寄って行こうとしましたが、誰も気が付かないでいます。姫君の先に中庭が見えて、色々な草花が咲き乱れています。引き水が流れる辺りの大きな石に風情があるのを、端近くに置かれたソファに横になって眺めていました。

 細目に開いた仕切りをもう少し引き開けて、屏風の端から覗き込みました。姫君はニオイ卿だとは思いも寄らず、「いつも出入りしている侍女なのだろう」と思って、ソファから起き上がる容姿にニオイ卿は見入ってしまいました。例の如く、女好きの本性を抑えることが出来ず、姫君のドレスの裾をつかんで、間仕切りを締め切って屏風の内側に座り込んでしまいました。

「何か怪しい」と感じた媛君が扇で顔を隠しながら見返す様子に心が引かれてしまいました。ニオイ卿は扇を持っている姫君の手を取って、「誰なのだ。名前を名乗りなさい」と言うので、姫君は気味悪くなりました。ニオイ卿が屏風の方を向いて、顔を見られないように我慢をしていると、「このただならない様子は私への懸想をほのめかしたカオル大将なのだろう。香ばしい匂いの気配からすると」との思いに至ると、姫君はとても恥ずかしく、どうして良いか分からずにいました。

 すると、ただならぬ人の気配を奇妙に感じた乳母が、向かい側の屏風を押し開けて入って来ました。「これはどうしたことでしょう。けしからない行為をされて」と乳母が注意するものの、ニオイ卿は遠慮することもありません。こうした具合に軽率な振舞いをするものの、生まれつき口が達者な性格なので、何やかやと媛君に話しているうちに、日が暮れてしまいましたが、「どなたであるかを聞かないうちは許さないからね」と馴れ馴れし姫君の横に臥してしまったので、「さてはニオイ卿なのだ」と気付いた乳母は何とも言いようもなく呆れてしまいました。

 

 邸内のランプが灯されて、侍女たちが「ただ今、マドレーヌ様がお入りになります」と言っています。マドレーヌの部屋を除く各部屋の鎧戸が閉められていきますが、姫君がいる部屋は離れ部屋になっていて、高い置き棚が一揃いだけ置いてあり、所々に袋に入れた屏風が寄せかけてあるだけなので、何だか乱雑に散らかっていました。「今は客人が泊まっているから」と母屋に通じる廊下の仕切り戸は広く開いていました。

 奉公をしている副侍女長の娘ジゼル(Gisèle)が鎧戸を閉めながら、姫君の部屋に近寄って来ました。「何て暗いこと。まだ明かりが灯ってはいなかったのだ。苦しい思いをしながら急いで鎧戸を閉めたのに、真っ暗で戸惑ってしまう」と鎧戸を引き開けたのを、ニオイ卿は「小憎らしいことを」と聞いていました。

 乳母は「またまた苦々しいことになってしまった」と思って、無遠慮でせっかちで勝気な人なので、「お聞き下さい。ここでとても怪しいことが起きているので、どうしてよいのか困ってしまって、身動きが出来ないでいます」と言ったので、ジゼルが「何事か」と探り寄ってみると、普段着姿の男が、とても香ばしい匂いを放ちながら、姫君に添い寝をしているので、「例のけしからんお振舞いだ」とジゼルは合点が行きました。

「姫君は心を通わせてはいない」と推察したジゼルは、「本当に見苦しいことだ。自分はニオイ卿にどう申し上げたら良いのだろう。今すぐにマドレーヌ様にこっそり話さなければ」と立ち去って行くのを、「そこまでしなくとも」と誰もが感じたものの、ニオイ卿は物怖じをしないでいます。

「呆れてしまうほど上品で愛らしい人だ。一体どういった人なのだろう。ジゼルの口ぶりから察すると、ただの普通の新参の侍女ではないだろう」と理解し難く思いながら、ああだこうだと口説きます。姫君は不愉快そうな態度で応対してはいないものの、ただたまらく死にそうにしていますが、それが愛おしくなったニオイ卿は思いやり深く慰めました。

 

 マドレーヌの部屋に入ったジゼルは、「これこれと言った始末です。姫君はどんなに当惑されておられるでしょう」と話すので、「またいつもの情けないことをされて。姫君の母上も『どんなに軽薄で、あってはならないことだ』と思われることでしょう。『安心してお任せします』と返す返す言い置いて帰っていったのに」と不憫に思いながら、「ニオイ卿に何と話したら良いのだろう。仕えている侍女たちの中で、少し若くて小綺麗な者は見捨てることはしない、おかしな癖はあるのだが、どうやって姫君に言い寄ったのだろう」とマドレーヌは情けなくなって、物も言わずにいました。

「今日は上官たちが大勢お越しになる日で、こうした時はニオイ卿も一緒に遊び戯れて、こちらには遅くなってから来られるので、侍女たちは皆、休息しています。ですから、どうしたら良いのでしょうか」とマドレーヌの侍女の少将が話すと、ジゼルは「姫君の乳母は勝気な人です。姫君のお側にずっと寄り添っているので、ニオイ卿を強引に引き離してしまうことも考えられます」と答えて、少将と二人して気を揉んでいると、王宮の使いが来て、「大后がこの夕暮れから胸の痛みに悩んでおられましたが、急にひどく重くなってて苦しみ出しておられます」とマドレーヌに伝えました。

「ニオイ卿にとってはあいにくな折りのご病気ですね。すぐにニオイ卿にお知らせしましょう」とジゼルが席を立ちましたが、「さあ、どうでしょう。今お知らせしたところで、その甲斐があるものですか。みっともなく、あまり脅かすように伝えても」と少将が言うと、「いいえ。今なら問題はありません」と、二人はひそひそと囁き合っています。その様子を見ながら、「本当に外聞が悪い本性をニオイ卿はしている。少しでも心ある人なら、本人は勿論のこと、私あたりにまで遠ざかってしまうだろう」とマドレーヌは思っていました。

 

 ジゼルはニオイ卿の側に近寄って、使いが話したよりもう少し気ぜわしいように伝えましたが、ニオイ卿には動揺した様子が見えません。「使いには誰が来たのか。例のように大袈裟に驚かせているのだろう」と言うので、「大后のお守り役をされているアミアンの某と名乗っております」とジゼルが答えました。

 ここから出て行くのを無闇やたらと口惜しくなったニオイ卿が人目も無視しているので、ジゼルはその場を立って使いを連れて来て、直接話しをさせると、取次ぎをした人も寄って来て、「モンソー卿も王宮に上がりました。大后付きの長官もただ今来られます。こちらに来る道で馬車を引き出しているところを目撃しました」と言うので、「大后は確かに時々、急に苦しんでしまうことがある」と思い起こして、「参上しないと、人がどう思ってしまうだろうか」と中途半端な気持ちになったので、姫君に何やかやと恨んだり、約束をしたりして、部屋から出て行くことにしました。

 姫君は恐ろしい夢が覚めた心地がして、汗をびっしょりとかきながら臥していました。乳母は姫君を扇であおぎながら、「こうした住まいにいると、何につけても気兼ねをして都合が悪い。こうやってニオイ卿が見つけ出して執着してしまったら、どうせ良いことは起きない。この上もなく高貴なお方だ、と聞いてはいたが、面白くもないご様子はとても味気ないものだ。離れた場所におられるマドレーヌ様に良いとも悪いとも思われたとしても、人に聞かれてしまうのは苦々しいことだ」と思って、剣幕顔でニオイ卿をきっと睨みつけると、「ひどく無骨な下品な女だ」と思って、乳母の手をひどく抓ったので、「普通の身分の人と変わりはないのだ」と乳母はとてもおかしくなりました。

 

 あの知事の邸では、今日も知事と母君が激しく言い合いをしていました。

「あなたはただ一人、姫君の面倒を見て、私の子供たちのことを考えてもいない。客人の婿殿が滞在しているのに、余所に泊まりに行っているのは見苦しいことだ」と荒々しく怒鳴るので、下人までがそれを聞いて、母君に同情していました。

「これもすべて、あの左近少将のせいだ」と母君は敬愛することもなく恨んでいました。「左近少将の心変わりがなかったなら、内々には不安で難しいことがあったとしても、大した波風もなく、長年のように過ごすことが出来たのに」と泣きながら話していました。

 姫君はただ今は、何も思いをめぐらすことも出来ず、ただひどく情けなく、予期もしなかった目に遭ってしまった上に、「マドレーヌ様が何と思われるだろうか」と考えると侘しくなって、ただうつぶしに臥して泣いていました。

「何ていたわしいこと」と乳母が面倒をみます。「なぜ、そんなに悲観されるのです。母親がいない人こそ、頼る所がないと悲しがるのです。父親がいない人は世間からは軽く見られてしまいますが、意地の悪い継母に憎まれてしまうよりはずっと気楽です。何はさておき、母君がどのようにでもして下さいます。そんなに塞ぎ込むことはありません。それはそれとして、救いの手を差し伸べてくれるシャルトルの神様が『可哀想に』と思し召して下さるでしょう。旅に不馴れな身で、度々詣でられたのですから。あなたを侮る風に思い話していた人が『こんなことがあるのだと驚くほどの幸せがありますように』と祈願したのですから。姫君が人に笑われておしまいになることがありましょうか」と乳母は安心させるように話しました。

 ニオイ卿は急いで王宮に上がりました。王宮に近いせいでしょうか、姫君のいる西側の門から出て行ったので、ニオイ卿が何かを話している声が聞こえます。とても品が良く、限りもなく響く声で、趣がある古い詩などを誦しながら過ぎて行くのを、姫君は何となく煩わしい思いで聞いていました。乗り換え用の馬を引き出して、宿直をしていた十余人ばかりの人を連れて、王宮に向かって行きました。

 

 

6.マドレーヌ、姫君を見て亡き姉との酷似に驚き、往時を追憶

 マドレーヌは姫君が気の毒で、「情けない思いでいることだろう」と、事情を知らない顔をして、「大后が病んでおられると言って、ニオイ卿は王宮に上がったので、今夜は戻って来られないでしょう。洗髪の後で気分が悩ましく横になっているので、こちらに遊びに来て下さい。退屈されているでしょうから」と伝えました。

 姫君は「気分がすぐれず、とても苦しいのでためらっております」と乳母を介して返答しました。「どんな心地なのですか」と折り返しマドレーヌが尋ねると、「どういった心地とも分からず、ただひどく苦しくて」と答えて来たので、侍女の少将とジゼルは目配せをして、「マドレーヌ様は苦々しく思っておられるのでしょうね」と言い合うものの、普通の時以上に、姫君が愛おしくなっています。

「とても口惜しいことにニオイ卿は姫君にとても気の毒なことをしてしまった。カオル大将は姫君に関心を抱いているように話していたが、今回の件を知ったら、何て軽薄なことを、と姫君を見下してしまうだろう。ニオイ卿のように、これほどまで女性に対して分別がない人は、聞き苦しく真心がないことをくねりだしてみたり、また実際に少し予想外なことがあったところで、そうと言いつつ見過ごしてしまうことがある。

 あのカオル大将は口には出さずに、『心苦しい』と思ったことをとても恥ずかしそうに示す心深さがあるが、姫君を不快に思ってしまうことが起きてしまった。長年の間、見ず知らずの人だったけれど、心映えや姿形を見ると捨て難く、いたわってあげたくなってしまうのが心苦しいのだが、世の中は生きにくく難しいものだ。今の自分の有り様は、不満なことが多い心地はするものの、自分も何となく頼りない目に遭っても仕方がない身であったのに、そうはならずに落ちぶれることがなかったのは、確かに運が良いことだった。

 今はただ、自分に対して憎らしい心情を増しているカオル大将が穏やかに思いを諦めてくれたなら、改めて何の心配もなくなるのだが」とマドレーヌは思いました。

 髪の毛が非常に多くて、すぐには乾かないので、起きているのが難儀なようです。白い衣を一枚だけ着て、ほっそりとした愛らしさをしています。

 

 姫君は本当に気分が悪くなっていましたが、「お逢いしないのはいけません。マドレーヌ様はいかにも何かがあったのではないか、と思われてしまいます。ただおっとりとしながら、お目にかかれば良いのです。ジゼルなどにはこの次第を始めから話しておきますから」と何とか姫君をせき立てました。マドレーヌの部屋の仕切り戸で「ジゼル様にお話がありまして」と言うと、ジゼルが出て来ました。

「とても奇妙な目にあってしまった影響で、熱を出してしまって、姫君は本当に苦しそうにしていますので、マドレーヌ様に慰めていただけたら。自分が過失を犯したわけでもないのに、とても遠慮がちにニオイ卿のことを思って、困惑しております。少しでも男女の仲を知っている人ならともかく、『一体、どうしたことが起きたのか』と悩んでしまうのは当然なことで、姫君が可哀そうに見えますので」と、乳母は姫君を引き立てて、マドレーヌの部屋に入れました。

 上の空の姫君はマドレーヌ達がどう思っているのか恥ずかしいのですが、とてもおとなしく、おっとりとした性分のまま、マドレーヌの前に押し出されて座りました。額の髪などが涙で大層濡れているのを隠しながら、灯火を背にしている様子はマドレーヌを比類のない女性と見なしている侍女達にとっても、劣っているとは見えず、上品で可愛げでした。

「ニオイ卿が姫君に気付いたら、容易ならないことが起きてしまいますね」、「それほどでもない人でも、珍しい新しい女性には心を引かれてしまいますからね」と侍女の少将とジゼルの二人は、マドレーヌの前でじっとしている姫君を見やっていました。

 マドレーヌは親しみ深く話しかけました。

「ここを住み馴れない、気兼ねしてしまう所などとは思わないで下さい。姉のジュヌヴィエーヴが亡くなった後も、姉を忘れることが出来ず悲しくて、後に残された我が身が恨めしく、比べようもない不運を嘆きながら過ごして来ましたが、姉と重ね合わせられる様子を見ると、慰められる気持ちになって、なつかしくなります。頼りと思う人もいない身なので、姉と同じ心持ちで思ってくれると、嬉しくなります」と話しますが、姫君はとても遠慮してしまっている上に、田舎臭さも抜けていないので、何と答えたら分かりません。「長い間、ずっと遠くからお聞きしていましたが、こうやってお目にかかれたので、何もかも慰められる気持ちがします」とだけ、とても若々しい声で答えました。

 

 マドレーヌは絵物語などを取り出させて、ジゼルにセリフを読ませながら一緒に見ようとするので、差し向かいになった姫君ははにかんでもいられません。灯影の中で真剣に絵物語に見入る姿は、改めて欠点に見える所はなく、細やかで美しいのです。額つきや目つきは匂うような感じがして、とてもおっとりとした気品は、ただただ「姉とそっくりだ」と姉を思い出させます。マドレーヌは特に絵物語に眼も留めずに「とてもなつかしい人の姿なのだろう。どうしてこんなにも姉に似ているのだろう。亡き父卿にもとてもよく似ている。古くからいる侍女達は『亡くなった姉君は父卿の方に、自分は母上に似ている』と話していた。本当に似ている人がいるとは、並大抵のことではない」と、姉と姫君を思い比べていると、涙ぐんでしまいました。

「姉は限りなく上品で気高くいながら、親しみがもてる柔和さがあり、みっともないと思われるほどなよなよとした柔らか味があった。この姫君はまだ振る舞いが初々しく、何につけても遠慮がちにばかりしようと思っているせいか、なまめかしさでは劣っている。これに奥ゆかしい気品を身につけたら、カオル大将に逢っても決して不似合いではない」などと、姉らしい思いやりになって接しました。

 あれこれと話をしているうちに明け方になって、就寝しました。姫君を横に寝かせて、亡き父卿のこと、長年、父卿や姉と住んだコンフランでの有様など、十分ではないものの話をしました。実の父である第八卿について知りたかった姫君は、存命中に逢えなかったことを「とても口惜しく悲しい」と思いながら聞いていました。

 昨夜のニオイ卿との経緯を知っている侍女達が、「どうなったのでしょうね。あんなに可愛らしい様子をしているのに、マドレーヌ様が情けないと思われても、何の甲斐もありませんね。姫君が気の毒です」と言うと、ジゼルが「そうではありません。姫君の乳母が私を引き留めて、予期もしなかった事態を話し嘆いた様子でも、男女の関係までには至らなかったように言っていました。ニオイ卿も『逢っても逢わなかった心境だ』と空とぼけて口ずさんでいました。それともわざと、そういった風に誦したのか、そこまでは分かりませんが、昨夜、マドレーヌ様と絵物語を見られていた時もおっとりしていて、ニオイ卿と何かあったような顔には見えませんでした」とひそひそと反論しながら、姫君に同情していました。

 

 

7.メアリー・スチュアートの帰国とポワシー会談

 サン・ブリュー大后の見舞いに参上したニオイ卿は、大后の病への心配よりも、八月二十日にフィリップ前王の王妃だったメアリー・スチュアートが母国のスコットランドに帰国した後の、カトリック派とプロテスタント派の対立の行方に関心を抱いている者が多いことに面食らいました。

 姪のメアリー・スチュアートの外戚として、フィリップ前王への影響が強かったこともあって、ロラン大納言が前王時代には政局運営に重きをなしていたことから、カトリック派が有利な状況でした。しかし前王を継いだマルク王の即位後は、夕霧左大臣が実権を握り、大后と歩調を合わせて、カトリック派とプロテスタント派の均衡路線を強めたことから、ロラン大納言は阻害された存在になっていました。

 メアリー・スチュアートの帰国はロラン大納言などカトリック派にとっては、巻き返しをする絶好の機会でした。メアリー・スチュアートはスコットランド国王の地位が約束されている上に、エリザベス一世がヘンリー八世の庶子に過ぎないのに対し、ヘンリー八世の実姉の孫に当るため、血縁的にはイングランド王国の王位継承者として優位な立場にあるからです。ロラン大納言たちはスコットランドのカトリック派と結託して、メアリー・スチュアートがイングランド王国の正当な後継者であるとの主張を始め、これにエリザベス一世に恨みを抱くスペイン王国のフェリペ二世も加勢しました。

「万が一、メアリー・スチュアートがイングランド王国の後継者となったとしたなら、フランス王国は北と南からカトリック派に挟まれてしまい、カトリック対プロテスタントの均衡が崩れてしまうことになる」と、ニオイ卿が「昨今の大后の度重なる病はそうしたことへの心痛が原因だったのだ」と気付いていると、夕霧左大臣の部下が寄って来て、「左大臣が別室でお待ちしております」と耳打ちしました。

 左大臣がいる部屋に案内されると、夕霧に加えて、プロテスタント派のリーダー役と認知されている、蛍兵部卿の息子コンデもいて驚きました。左大臣は部屋の内外に聞き耳を立てている者が誰もいないことを確認した後、ゆっくりと話し始めました。

「大后とマルク王と相談を重ねた結果、九月に入ってからポワシー(Poissy)の修道院でカトリック派とプロテスタント派の和解と均衡を目指して、両派の代表者を招いた会談を行うことにした。これに向けて、コンデには過激に行き過ぎているカルヴァン派への説得、ニオイ卿にはスペイン王国に嫁いだ姉エリザベト王妃経由で、フェリペ二世王にフランスへの介入に手を緩めてもらうように説得して欲しい」と時間をかけて頼んで来るので、「しばらくはヴァンセンヌ邸には戻れないな」とニオイ卿は観念しました。

 


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