7.侍従とレアの王宮仕え。カオルと侍女シャンタルのやりとり
穏やかに体裁よく暮らしているカオルですら、こうした恋愛ごとについては、身が苦しくなることを自然と味わうのですが、ましてニオイ卿は自分の心を紛らわせることも出来ず、浮舟の形見として、名残惜しい悲しみを聞いてくれる人もいません。マドレーヌだけは「可哀想に」と言ったものの、馴染み深くはない軽めの親睦に過ぎなかったので、どうして深い同情を抱くでしょうか。
ニオイ卿はまた、「恋しいとか悲しい」などと思いのままにマドレーヌに話すのは気が引けるので、コンフランにいた侍従を例によって呼び寄せました。コンフランでは侍女達は皆、散り散りに去っていて、乳母とジゼル。侍従の二人を浮舟が特に親しみを持っていたことから、三人だけは浮舟を忘れ難く、残っていました。
侍従は元からの奉公人ではなかったのですが、結局ジゼルの話し相手をしながら、(歌)祈りながら 期待し続けるセーヌ川 もしかしたら嬉しいことに巡り合えるかも を頼みに心を慰めていたのですが、次第に辛く薄気味悪く感じるようになったので、この頃はパリの粗末な宿に移っていました。
ニオイ卿はそんな侍従を捜し出して、「それなら私の邸で仕えてみたら」と提案したのですが、「そのお気持ちは有難いのですが、姉のマドレーヌ様のおられる邸で、侍女達がニオイ卿と姫君の関係について聞き憎いこともあるだろう」と考えて、ニオイ卿の申し入れを受けませんでした。
「サン・ブリュー大后の許なら仕えても構いません」と希望すると、「とても良い思いつきだ。それなら私が蔭で仕えるようにしよう」とニオイ卿は納得しました。侍従は「寄る辺もない、心細い身も気が紛れることだろう」と伝手を捜して奉公に上がりました。王宮は「見苦しくもなく妥当な下級侍女だ」と認めて、侍女達も悪くは言いません。カオル大将もいつも大后の所に出入りしていますが、それを見る度に、侍従は浮舟を思い出して悲しくなりました。大后には貴い身分の姫君だけが召し使われると聞いていたので、段々と目を留めて彼女達を見やりますが、「亡き姫君に似た人はいない」と思い続けました。
春先に亡くなった蜻蛉卿の姫君レア(Léa)を、継母はとかく、そりが合わないと感じていて、実の兄の官馬管理長官が人柄も格別なことはないのに、レアに心を寄せているので、「継母は可哀そうだなどと思いも寄らず、兄と縁を結ばせる約束をした」という話が広がって、それを聞いた大后は「気の毒なことだ。父卿が大切にしていた姫君をつまらない男の妻にしてしまうのは」などと話したので、それを知ったレアはとても心細く思い嘆いていました。その有様を見たレアの実兄も「せっかく大后が親しみを込めておっしゃっているから」と言ったりしたので、近頃、王宮に迎えられました。
第三王女マルグリットの話し相手として、身分的にもまたとない人なので、他の侍女達と違って、特別な待遇を受けました。それでも仕える身として限りがあるので、「卿の君」と呼ばれながら、侍女が主君の前で着用する美麗な服は着ないで、普通の服のままでいるのはとても愛おしいのです。
「この卿の君こそ、亡き恋人への思いを寄せられる様子をしているに違いない。父卿同士が兄弟なのだから」などと、ニオイ卿は例の多情な心から、浮舟を恋し偲ぶにつけても、好奇心を抱く癖は止まず、「いつかは」とレアに注目していました。
カオル大将は「面倒なことになってしまった。つい最近まで、蜻蛉卿はマルク王太子の許にと考えていたし、自分にも嫁がせようとする気配を見せていた。そんな人があっけなく、仕える身に落ちぶれて行くのを見るくらいなら、レアが水の底に身を沈めても非難することは出来ない」などと、他の侍女達よりもレアに心を寄せていました。
大后はモンソー城に滞在していますが、王宮よりも広く面白く、住みやすいので、通常は仕えていない侍女達も皆、くつろいでいて、遠くまで続いている幾棟にも、人々が廊下にも回廊にまであふれています。夕霧左大臣はヒカルが在世中のヴィランドリー城にも劣らないように、限りなく整備をしていました。盛大な一族になっていることから、かってのロワールのヴィンランドリー城よりも、華やかな点では勝っているように見えました。
ニオイ卿はいつもの心持ちでいるなら、この幾月の間に集まった女性達とどんな間違いをしでかしたか分かりませんが、すっかりおとなしくなっているので、人目には「少しはまと;もになったのか」と見えますが、このところ、再び本性が現れて、レアに付きまとっていました。
「涼しくなって来たからと言って、大后は「ルーブル宮に戻ろう」としますが、「秋の盛りを待って、木々の葉の色変わりを見ないでは」など、若い侍女達は口惜しがって、皆、実家には戻らず、モンソー城に集まっていました。
遊宴も絶えず、いつもより目新しいものでしたが、ニオイ卿はこうしたことにこの上もなく興じています。朝夕見馴れていても、やはりニオイ卿は今咲き初めた花のような感じです。これに対し、カオルはこうしたことにさして立ち入ることがないので、侍女達は気が引けて緊張してしまう人物と思っていました。
カトリック派とプロテスタント派の争いが一息ついたこともあって、サン・ブリュー大后はルーブル宮に戻りましたが、例のカオルとニオイ卿が大后を尋ねたのを、あの侍従が物陰から見ていました。「姫君がお二人のどちらかに縁付いていたなら、素晴らしい運勢で生きていたことだろうに。嘆かわしい入水という、はかなく情けない思い込みをしてしまって」などと、その辺りの経緯については人には夢にも知った顔で話すことも出来ず、一心に物足りない思いで胸を痛めていました。
ニオイ卿は両派の争いを含めて、現状を細かく報告しているので、カオルは席を立ちましたが、侍従は「見つけられないようにしなければ。姫君の一年の忌みも明けずに王宮に奉公に上がったのは、思慮が浅いと見られては」と思って隠れました。
東の回廊の開いた戸口に侍女達が大勢集まって、ひそひそ話をしているので、カオルは近くに寄って、「侍女達は私を『親しい人』と思うべきだね。こうやって安心して話せるのは女以上の私だから。何と言っても、君達が聞いていないことまで教えてあげることが出来るのだから。段々と私のことを見知ってくれると、とても嬉しいのだが」と話すと、侍女達は答え難そうにもじもじしていました。
すると物馴れた年増のオノリン(Honorine)が「そもそもあなた様を親しいと思うほどのつながりがない者が、無遠慮に話すものでしょうか。世間というものはそういったものです。必ずしもその繋がりを確かめてから、打ち解けて話すわけでもありませんが、私のようにこんなに厚かましい癖がついている身でも、それ相当の返答をするのは気恥ずかしいものです」と話しました。
「私は遠慮されるほどの者ではないと決め込んでいるから、口惜しい話だね」と言いながらオノリンを見やると、主君の前で着る美麗な服を脱いで、くつろいで何かを書いていたのでしょう。待ち遠しかった草花を短く摘んで、インク壺の上に置いてもてあそんでいたように見えます。その一方では、ある者は衝立の後に隠れていたり、カオルに背を向けていたり、開いた戸の方に隠れるようにしていましたが、それぞれの頭の髪の恰好が美しいとカオルは見渡しました。
インク壺を引き寄せて詠みました。
(歌)黄色のパステル(大青)のような美しい女性たちが乱れる 野原に混じったとしても ほんの少しの浮気を私にさせることが出来るだろうか
「どうして気安く思ってくれないのだろうか」と、仕切りに背を向けている人に詠んだ紙を見せると、その人は身動きもしないで、落ち着いてさっと返歌を詠みました。
(返歌)浮気っぽいパステルですが すべての露に濡れて乱れることはありません
詠んだ歌を書いた筆跡はちょっと見ただけで気品ありげで、総じて見苦しくもないので、「誰なのだろう」とカオルが見やると、今にも大后の前に参ろうとしている道をカオルに塞がれて、ためらっている人のようでした。
するとオノリンが「ひどくはっきりと年寄り臭いことを言われるのは憎らしいですね」と言って詠みました。
(歌)あなたは真面目な男と言いますが やはり旅寝をして試みて下さい パステルの盛りの色に 心が移るか移らないかを
「その上であなたが浮気っぽいのかないのかを決めましょう」と言います。
(返歌)あなたが宿を貸してくれたなら 一夜くらいは寝ることにしよう 大概は花に心が引かれない私だが
とカオルが詠むと、「どうして私に恥をかかせるのですか。大概の野原の女性たちにおせっかいを焼いただけですよ」と返しました。こうした何でもないようなことをカオルが少し話したりすると、侍女達は残りを聞かせて欲しいと思っていました。
「うっかりしていたが、道を空けましょう。とりわけ恥ずかしがって身を隠しているのは、きっと仔細があるのだろうから」とカオルは立って行きますが、「誰もがオノリンのように慎みがないのだ、と思い込まれてしまったら、情けないことです」と思っている人もいました。
カオルは東側の手すりにもたれて、夕日が暮れて行くままに、咲きそめる花々の植え込みを見渡していました。身に染むような感慨になって、「四季の中でも悲しみに堪えられなくなる秋の空」と小声で誦していると、先刻、とっさに歌を詠んだ侍女が衣擦れの音がはっきりした気配をさせながら、本館の仕切りを通って、あちら側に入って行きました。
するとニオイ卿が歩み寄って、「今、ここからあちら側に入って行ったのは誰なのか」と近くの侍女に問うと、「マルグリット様に仕えるシャンタル(Chantal)の君です」と答えました。その様子を見たカオルは「さてもさても、ニオイ卿は怪しからぬことをする。冗談だとしても『誰であろう』と好奇心を抱く男が無造作に名前を名乗らせてしまうとは」とその侍女が気の毒になりますが、逆に侍女達が皆、ニオイ卿を見馴れて打ち解けているのを口惜しく感じました。
「ニオイ卿は身を入れて強引に振る舞うので、女も本当に負けてしまうのだろう。口惜しいことに、私は彼との関りで、いまいましく情けない目に遭わされている。どうにかして、例のように心を寄せて騒いでいる、この辺りの美しい人を口説いて、自分が浮舟のことで苦しんだように、『心外なことだ』と思わせたいものだ。実際に聡明な人であるなら、私の方に靡くはずだ。
けれども、そういった心持ちを持っている女はめったにいないものだ、と思うにつけても、マドレーヌがニオイ卿のそうした振る舞いを王子としてふさわしくないものと考えて、都合は悪いものの、私に親しみを抱くようになったが、世間からの批判が『『苦しい』と思いつつ、なおも私を遠ざけることは難しいと自覚しているのは有難いことでもあるし、悲しいことだ。マドレーヌのような心遣いがある人は、この辺りの侍女達の中にいるだろうか。寝つかれない慰めに、私も少しは好色の道を習わなければ」と思うものの、やはり自分には似合わないと感じました。
それにしても、例の西の回廊の方に、先刻のようにわざわざ来てしまったのは、奇妙なことです。第三王女マルグリットは、夜は大后の間に移っていたので、侍女達は月を眺めようとこの回廊に集まって、打ち解けて話をしていました。誰かがチェンバロをとても親しげに弾く指音が風情よく聞えて来ます。カオルは侍女達が思いも寄らないように近寄って、「どうして、こうやって妬まし顔で弾き鳴らしているのだろう」と尋ねると、皆、驚いてしまいましたが、少し巻き上げたカーテンを下ろすこともなく起き上がって、「マルグリット様に似ている兄のニオイ卿がおられるからでしょうか」と答える声は、先刻のシャンタルとかいった人でした。
「私こそ、第三王女の母方の叔父に当たるのだ」と他愛のないことをカオルは言って、「いつものように第三王女は大后の間に行かれたのだろう。モンソー城におられた時は、どんなことをされて暮らしていたのだろう」などと味気ないことを問いました。
「どこにおられても、これといった変ったことはなさいません。ただ、いつもこうしたように過ごされています」と言うので、「結構なご身分のことだ」と何とはなしに溜息が出てしまいます。「怪しいといぶかる人もいるかも知れない」と、それを紛らわせようと、侍女が差し出したフランス式ハープを調整もせずに掻き鳴らしました。
音調が高い調べは不思議と「秋の季節に合う」と言われるので、聞き憎いはずはないのですが、最後まで弾かずに止めてしまったので、熱心に聞き入っていた人たちは残り惜しい思いがしました。
「私の母上もマルグリットに劣った身分ではない。もちろん母上は后腹である違いはあるが、それぞれの父王が大切に可愛がったことは同じである。それでもマルグリットには非常に格別なところがあるのが不思議だ。大后が生まれ育ったサン・ブリューの浦は心が引かれる場所なのだろうか」と思い続けているうちに、「第二王女ジョセフィンを戴いた自分の運勢は尊ぶべきものなのだ。まして並んでマルグリットを戴いたら」とまで思うものの、無理なことは分かっていますが、ふと「冷泉院が私に託したセザールはマルグリットと年齢が近いはずだ。セザールとマルグリットとの縁組も想定出来るだろう」との思いも浮かんで来ました。
蜻蛉卿の娘レアはマルグリットの住む建物の西側に自室がありました。若い侍女達が大勢集まっている気配がして、月夜を楽しんでいました。
「何て気の毒なことだ。レアとマルグリットは桐壺王の同じ孫なのに」と思い出して、「いつぞや蜻蛉卿が娘のレアを私にと言われたこともあったな」と言い聞かせて、レアの室に行きました。愛らしい宿直姿の女童が二三人歩いていていましたが、カオルを見て、恥ずかしがって奥に隠れてしまいました。
「これが普通のことで、珍しいことでもない」と思いながら、南面の隅の間に寄って咳払いをすると、少し大人びた侍女が出て来ました。
「『人知れず、レア殿に好意を持っている』などと言うと、何だか多くの人が使い古した台詞を初心者が真似したようになってしまうが、ただ私は真面目にお役に立つことはないかを知りたいのです」と言うと、侍女はレアに取次ぎもしないで、出しゃばって話し出しました。
「レア様は考えてもいなかった王宮仕えの身になってしまったことにつけても、亡き蜻蛉卿が『娘をあなた様に』と思って話されたことを思い出してなりません。こうした具合に、レア様への批判であったとしても、折々、レア様の噂を話されていることをレア様も喜んでおります」と話しました。
「何だか、普通の人かのように扱っている」と物足りないので、「元々、レア様とはいとこ同士なので、思い捨てることなどありはしない。まして今はそんなことよりも、何かにつけて私を頼りにしてくれたなら嬉しいことだ。よそよそしく取次ぎを通してだけで済まそうとするのは物足りない」とカオルが言うと、「確かに」と侍女は思い慌てて、レアを引き揺すりました。
{(歌)誰が一体、親しい友と分かるのだろうか。長寿で知られる松の木も 昔からの友人なのに と思いながら寂しく暮らしている中、『元々、いとこ同士だから』と言って下さるのは、本当に頼もしく感じます}と取次ぎに話すまでもなく言っている声は、とても若々しく愛敬づいて、優しいところも添っていました。
「これがただ普通の王宮仕えの人で、こういった所に住んでいると思うと、興味を持ってしまうが、これほどの身分の人が、今でははばかることもなく、人に大きな声で聞かせるのが平気になってしまったのか」と、この先が気になってしまいました。
「器量もきっとなまめかしいのだろう」とレアを見てみたい気もしますが、「この人はまた例のニオイ卿の心を乱す種になることだろう」と思うとおかしくなって、「そうは言っても、これだと言える人は、世の中にはめったにいないものだ」との思いになりました。
「レアは限りなく尊い蜻蛉卿が大切に育てた姫君だが、しかしそれだけなら、他に多くの人がいるだろう。不思議なのは第八卿のような聖人ぶった人の下で、山里で育ったジュヌヴィエーヴやマドレーヌが不充分ではなかったことだ。その上、あっけない軽々しい死に方をしたと思われる人も、ちょっと見た様子はたとえようもなく、心が引かれるものだった」と何事につけても、ただ第八卿一家とのつながりを思い出しています。
妙に辛い結果に終わってしまったことどもを、つくづく思い続けて物思いに沈んでいる夕暮れ、朝に生まれて夕に死ぬと言われる蜻蛉が飛び交っていました。
(歌)ジュヌヴィエーヴとマドレーヌは眼の前にいたのに 手に入れることは出来ずにしまった 手に入れた浮舟も蜻蛉のように消えてしまった
「悲しいとか辛いとか言わずに、いるのかいないのか、蜻蛉は消えていく」と、例のように独り言を漏らしていました。