その36.柏木         ヒカル 満47

 

7.夕霧のアントワン訪問とル・リヴォ夫人の歌披露

 

 ル・リヴォ城を訪れた後、夕霧はソーミュール城のアントワンを訪ねましたが、柏木の弟たちが大勢揃っていました。「こちらへお入りください」と言われて、夕霧はアントワンの客間へ入り、悲しみを抑えながらアントワンと対面しました。

 いつまでも端麗な大臣の容貌もひどく痩せ衰えていて、ヒゲなども手入れをしていないため伸びに伸び、柏木の死後の供養の時よりも一段と憔悴していました。夕霧は出会った瞬間から堪え切れなくなって、涙を押さえることができませんが、「涙をだらしなくこぼしてしまうのははしたないことだ」と思って、無理にでも涙を隠そうとしました。アントワンも「息子ととりわけ仲良くしてくれた」と涙を隠そうとする夕霧を見ながら、自分自身もただただ涙を落して、止めることができないでいました。

 

 二人は語り尽くせない話を交し合いました。夕霧がル・リヴォ城を訪れた模様を話すと、アントワンはますます、はなはだしく降る春雨かと見える軒の雫に違わないほど、袖を濡らしました。ル・リヴォ夫人が急いでメモ用紙に「柳の芽に」と書いた歌を見せますと、「眼もよく見えないが」と涙を押し拭いながら泣き顔で読みました。その様子はかっての太政大臣の頃のような、気丈できっぱりと誇り高かった面影など跡形もない体裁の悪さでした。ル・リヴォ夫人が詠んだ歌は格別なものとは言えませんが、「玉が貫く」とあるところが「全くその通り」と感じて、胸が乱れてしまって、長くは辛抱できません。

 

「貴殿の母の葵君が亡くなった秋は、これほど悲しいことはない、と思ったものだ。女性は世間との付き合いには限界があるので、出逢う人は少なく、あれこれ目立つこともないから、悲しいことも隠そうとすることができる。柏木はそれほど有能であった、とは言えないものの、王宮から見捨てられることなく何とか一人前になって、官位を昇っていくにつれ、協力し合ってくれる人たちも自然と多くなっていったから、息子の死に驚き、残念がる人たちもそれなりに少なくはないだろう。

 しかし私の深い悲しみは、そういった世間一般の評判とか、官位といったものとは違っている。ただ父親として素地のままの人間を失ったことが堪え難く、恋しいのだ。何をもってして、この思いから離れることができるだろうか」と語って、空を仰いでため息を漏らしました。

 

 夕暮の空は雲がどんより霞んでいて、花が散り出している梢をアントワンはじっと見つめました。歌を詠んで、ル・リヴォ夫人のメモ用紙に書きました。

(歌)子を失った悲しみの涙に濡れて 逆様に親が子のために 喪服を着ている春である

(歌)親に先立ってしまい 父親に喪服を着ていただこうとは 

      亡くなった人も思わなかったことでしょう

と夕霧が続いて詠むと、今度はロランが詠みました。

(歌)喪服を誰に着てもらおうというつもりで 春をも待たずに 花は散ったのでしょう 

      恨めしいことだ

 ミサなども並々ならない厳粛さで行われました。夕霧夫人の雲井雁は言うまでもなく、夕霧も格別にしみじみと深い心をこめて、祈祷なども加えました。

 

 

8.夕霧のル・リヴォ城訪問と落葉上への恋情

 

 夕霧は落葉上への見舞いと称して、頻繁にル・リヴォ城を訪れるようになりました。四月の空はどことなく心地よく、新緑一色に染まった四方の樹々の梢も興趣深く見渡せるのですが、これから先のことを心配している館では、何事につけてもひっそりと心細く暮らしている中、夕霧が訪ねて来ました。

 庭の芝生もようやく一面に青く伸び広がってきて、白砂利が薄くなっているあちらこちらの物陰では蓬や雑草が得意顔で生え出しています。故人が丹精込めて手入れをした前庭も勝手放題に茂り合って、(歌)君が植えた一叢のススキも 雀の声がしきりにざわめく 野辺になってしまった といった歌のように思う存分伸び広がっていますが、もの悲しさが伴う秋を思いやって、夕霧は涙ぐみながら前庭に分け入りました。

 

 喪中を示すドゥローム(Drôme)産の簾がかけ渡され、カーテン越しに見栄えが良い童女の濃い鈍色の下着の端や頭付きなどがちらっと見えますが、喪中の色合いが目を引き付けました。

 夕霧は今日は戸外のバルコニーに座ろうとしたので、中から敷物が差し出されました。「いくら何でも軽々しい扱いではありませんか」と侍女がル・リヴォ夫人に忠告しましたが、夫人は「このところ気分がすぐれない」とソファに臥したままでした。代わりに侍女たちが夕霧のお相手をして紛らわせますが、目の前の木立が何の屈託もなさそうに茂っている気色を見て、夕霧はしんみりしていました。

 

 樹々の中で柏木とカエデが他の木よりも一段と若々しい色を見せ、枝を差し交し合っているのを見つけた夕霧は、「何かの縁があって、柏木とカエデが絡み合っているのは心強いことだ」と言いながら、そっとカーテンに近づいて詠みました。

(歌)同じことなら 故人の許しがあったものと思って あの絡み合った枝のように 

      故人と睦まじく交わっていた私と 親しくなってください

「カーテンで隔てて私を戸外にほったらかしにされるのは恨めしいことです」と言いながら夕霧は石壁に寄り掛かっていますが、侍女たちは「ものやわらかにくだけたお姿は、なんてまあ、しとやかなお方でしょう」とつつき合っていました。

 落葉上は接待役を務めている少将の君を介して、返歌を伝えました。

(歌)この城の 柏木の樹を守る神はもうおりませんが 

      みだりに人を近づけてしまう梢ではありません

「あまりにぶしつけなお言葉なので、いい加減なお方だとお見受けします」と書いてあるので、夕霧は「確かにもっともなことだ」と軽く苦笑しました。

 

 ル・リヴォ夫人が近寄って来る気配がしたので、夕霧はそっと居ずまいを直しました。

「悲しい世の中を歎きながら、塞ぎ込んでしまう日々が積もってしまったせいか、妙に気分がすぐれないまま、ぼんやりと過ごしております。こうやって度々訪ねてお見舞いくださいますことは、誠にかたじけないことで、元気が出てまいります」と話しますが、なるほどしんどそうな気配でした。

「故人を偲んでお歎きになるのは当然なことですが、そう一途に落ち込まれてしまうのも、いかがなものでしょうか。やはり限りがある世の中ですから、何事もしかるべき宿命があるものです」と夕霧は夫人を慰めました。

 

 落葉上の返歌を読んだ夕霧は「話に聞いていたよりも、落葉上は心が奥深いようだ。可哀想なことに夫に先立たれたことに加えて、どんなにか人に笑われてしまうのか、と外聞を気にされている」と思うと、ただならない気持ちになったので、落葉上の近況や暮らしぶりを熱っぽく夫人に尋ねました。

「器量は十分には整ってはいないようだが、ひどく見苦しくもなく見てもいられないほどでもないのであれば、どうして見目形の外見だけで相手を嫌ったり、あるいはまた、あってはならない恋に心を惑わせてしまうのだろう。そんなことはみっともないことだし、ただ気立ての良さこそを尊重することが特に大切なのだ」と思いながら、落葉上への恋情に火がついてしまったようです。

「今はもう、私を故人のように見なして、よそよそしくなさらないでください」などとことさらに色男ぶることはしませんが、懇意そうに意味ありげにル・リヴォ夫人に話しました。鮮やかな上着を着て、背丈も高く堂々とそびえ立つように見えます。

「亡くなった柏木様は何をされても人なつっこくなまめかしさがあった上に、上品で愛らしさがあることでは並ぶ者はいませんでした。これに対して夕霧様は男らしくきっぱりとされていて、第一印象で『ああ美男子だ』と見える点ではずば抜けていますね」と侍女たちはひそひそと話しながら、「いっそのこと、こんな風に出入りをされるようになってくれたら」などと言い合っていました。

 

 夕霧は「サヴォワ公国への攻撃で戦死した将軍の墓に 雑草が初めて生え出して青くなった」といった、流行りの歌を口ずさみました。この歌は二月に亡くなったばかりの人物を歌ったものですが、遠い昔でも近い過去でも、人の死に対して世の中の人は、身分の高い者にも低いに者も様々に惜しみ残念がらない者はおりません。柏木はしかつめらしい学問や音楽の分野はもちろんのこと、不思議と人情を重んじた人でしたから、そうした情に鈍感な公人や老いた侍女たちですら、「柏木が恋しい」、「死が悲しい」と話していました。それ以上に安梨王は管絃などの遊宴を催す折りごとに、真っ先に柏木を思い出して偲んでいました。何につけても、「ああ、あの衛門の督が」と口癖のような言わない人はいないほどでした。

 

 

9.相次ぐ死と時代の変化、ヒカルの業への思い

 

 日が経つにつれ、ヒカルは亡き柏木を「気の毒な男だった」と追憶することが多くなって行きました。若君を見ると心中では「柏木の形見」と見なすものの、他の人には思いも寄らないことですから、何の張り合いもありません。

 ヒカルは若君を抱きながら、「それにしてもあの時、紫上たちを伴ってモン・サン・ミシェルを参詣しておいてよかった」と、ここ二年の間に起きた出来事を述懐してみました。

 

「モン・サン・ミシェルから戻った直後にプロテスタント急進派による檄文事件が起きてから、世の中が暗転し始めたような気がする。年が明けて朱雀院の若菜の賀の準備が始まったものの、紫上の重病、その隙を突かれての柏木と山桜上の密事と発覚、メイヤン夫人の物の怪の再来、柏木の重態と続き、今年に入って若君が誕生したものの、母親となった山桜上が修道女となった上に二月に柏木が他界してしまった」。

 

 五月に入ると、とんでもない知らせがイングランドから伝えられました。三年前にヘンリー八世と結婚してイングランド王国の王妃となり、王女エリザベス一世を産んで幸福な日々を送っていると見られていた虹バラは、一月に男児を流産してから運命が逆転してしまいました。ヘンリー八世はすでに虹バラに飽きてしまって、侍女ジェーン・シーモアに心変わりをしてしまっていたようですが、虹バラは突然、反逆・姦通・魔術の罪に問われた後、五月十九日に斬首されてしまい、その十日後にヘンリー八世はさっさとシーモアと再婚して内外の者を唖然とさせました。

 年齢がほぼ同じで虹バラを姉妹のように愛しんでいた秋好后は「虹バラは野心家でもふしだらな女性でもありません。きっと政敵にはめられ、濡れ衣を着せられただけです」と憤慨するものの、なすすべはありません。ヘンリー八世と数回出逢っているヒカルは「明晰なユマニストであり、有能な政治家であることに間違いはないが、何をしでかすか、ここまで予想もつかないことにするようになるとまでは思いも寄らなかった。あくまで神聖ローマ帝国とフランス王国と肩を並べる大国にする目標を掲げて、ローマ教皇とカトリック教会との反目、ウエールズの吸収やアイルランド、スコットランドへの領土拡大など、なりふり構わずに猪突邁進をしているのだろう」と煮え切れない思いでいました。

 

 白菊とヒカルが主体となって結ばれたカンブレイ平和条約の後、七年間ほど平穏が保たれて来た神聖ローマ帝国との関係も雲行きが怪しくなって来ました。きっかけは二月にフランス軍がサヴォワ公国を占領し、サヴォワ公国に加えてミラノ公国の領有も主張したことにありました。三月に入ってフランス軍はアルプス北西部のピエモンテを占領し、トリノ共和国が降伏するまでに至ったものの、オスマン・トルコに対抗して地中海戦略に力を注いでいたカール五世が四月に北アフリカのチュニジアから帰還してから、形勢が逆転しました。

 六月に第三次戦役が宣告された後、帝国軍は南フランスのプロヴァンスに侵攻、ニースを占領してからプロヴァンス地方を荒らしまわり、八月にはマルセイユに本陣を置いてしまいました。フランス北西部でも帝国軍は自領のアルトワからフランス領のピカルディ―に攻め入りました。ヒカルにとって嬉しかったことは、息子の夕霧大将が政治的手腕を開花させて、帝国軍への反撃で重要な役割を果たしたことでした。結局、ローマ教皇の仲裁により、九月十一日に帝国軍はプロヴァンスから撤退して、ことなきを得ました。

 

 檄文事件に連座してフランスから離れたジャン・カルヴァンは、ツイングリ時代からプロテスタント急進派の拠点となっているスイスのバーゼルで、二十六歳の気鋭活動家として「キリスト教綱要」を発刊して、西ヨーロッパ諸国の急進派へ強い刺激を与えました。

「もはや人道的ユマニズムは過去のものになってしまったようだ。ブリソネ、トーマス・モアも世を去り、ユマニズムの象徴的な人物として畏敬されてきたロッテルダムの尊師も七月に亡くなり、この十月にはフランスのユマニズムを牽引して来たデタプル先生も世を去った。もはやアントワンや私の時代ではなくなったのだ」とヒカルは実感しました。

 

 秋に入ってから若君が這い這いを始めたのが、言いようもなく可愛いく、ヒカルは人前だけでなく、真底愛しく思って常に抱き遊びながら、「この児が今の私の歳になる約半世紀後のフランスは、どのように変貌しているのだろうか」と思いをはせましたが、無常で血なまぐさい時代が到来するとは思いも寄らないことでした。

 

 

          著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata