その14.澪標(みおつくし。航路標識)  (ヒカル 27歳~28歳) 

 

7.メイヤン夫人の帰京と前斎宮の将来

 

 そう言えば、王さまが変わって、ランスの斎宮も交代となりましたので、メイヤン親子はロワールに六年ぶりに戻って来ました。

 ヒカルは以前と同じように何かにつけてお見舞いをして、有り難いほどの好意を尽くしますが、メイヤン夫人は「昔でもあんなにつれない心を持った御方なのだから、なまじ出逢って心残りになるようなことはしまい」ときっぱり思い絶っていましたので、ヒカルがメイヤン城を訪れることはありません。

「無理に相手の心を動かして、よりを戻したとしても、自分の気持ちがこの先、どう変わっていくのかが分からないし、とにかく関わり合いを持つような忍び歩きをするには窮屈な身分になっているのだから」と強いて訪ねていこうとはしません。ただ、ロワールを去った時は十四歳だった前斎宮が二十歳くらいになっているので、「どういう風に大人びたのだろう」と見てみたい気はします。

 

 メイヤン夫人は古びてしまった城を大層良く修繕して、優雅な様子で暮らしています。洗練された派手好みな点は相変わらずです。みめ麗しい侍女たちも多いことから、好き者たちが寄り集まって来る場所となって、物寂しい気持ちながらも気晴らしは出来ている様子でしたが、急に重い病にかかってしまい、非常に心細くなってしまいます。幾年かを過したランスに滞在していた頃から罪の重さにひどくさい悩まされるようになっていたこともあって、在俗の修道女になってしまいました。

 内大臣はその知らせを聞いて、色恋といった方面ではなく、何かの折りの話相手になってくれるだろう、と考えていたのに、修道女になってしまったことが口惜しく、驚きつつメイヤン城を訪れました。

 

 ヒカルは飽きることなく、真心が籠もった見舞いの言葉を語り続けます。内カーテンを挟んで、病床の近くにヒカルの座を設けさせて、メイヤン夫人は肘がけにもたれながら、話を交わします。大層衰弱している気配なので、「絶えることがない私の志のほどをお見せすることもできません」と口惜しくなって、ひどく泣いてしまいます。そんなヒカルを「こんなにまで思いをかけてくれていたのか」とメイヤン夫人はあれこれ悲しみに包まれながら、娘の先行きのことを頼みました。

 

「私が天に召されてしまうと、娘は心細い身の上になってしまいます。何かの折には必ず家族の一人と思って面倒を見てください。他に世話をお願いできる人もなく、この上もなく寂しい身の上なのです。何の力もない身ながらに、もうしばらく世の中のことを落ち着いてあれこれ分別できるようになるまでは見てあげたいと思っていたのですが」と話ながら、消え入るように泣いています。

「そんなお言葉がなくとも、見捨ててしまうようなことはありません。ましてや心が及ぶ限り、何事でも後見をしようと思っていますから、先行きを不安になることはありませんよ」などと答えます。

「そうしていただけるのは有りえないことと思うほど有り難いことです。本当に頼りになる父親がいて、その人に引き受けてもうらうとしても、女親と死に別れてしまうのは非常に不憫なものです。万が一、娘を愛人の一人のようにされてしまうと、愛人たちの中には苦々しい人も混じっているでしょうから、気兼ねをしてしまうようになってしまいます。嫌気な取り越し苦労でしょうが、そのような世間によく見るような色恋は決して考えないでください。辛いことが積み重なった我が身からすると、女というものは思いも寄らなかったことで、気苦労が増えてしまうものです。どうか、そうしたこととは疎遠にして、後見をしていただけたら、と願っております」などと話します。

「随分と不愉快なことを言うものだ」とヒカルはむっとして近頃はその辺に関しては思慮深くなっているのに、昔の色好みの名残りがある、というような顔つきでおっしゃるのは不本意です。まあ、自然とお分かりになるでしょうが」と言い返します。

 

 外は暗くなって、室内はロウソクがほのかに揺らぐ中、内カーテンの隙間が透いて見えますので、「もしかしたら」と思って、そうっと内カーテンに近付いて、隙間から中を覗いてみると、ぼんやりした火影の下に短く切った髪がとても美しく花やかで、絵に描いたような様子がひどく胸をうちます。

 夫人の天蓋つきのベットの東寄りの場所で添い臥しているのは、娘の前斎宮なのでしょう。内カーテンがしどけなく乱れているのに眼がとまって、目を凝らしてみると頬杖をついて、大層物悲しそうにしています。わずかしか見えませんが、「非常に美しいようだ」と見受けられます。髪のこぼれ具合、頭の恰好や気配は上品で気高い感じで、親しみやすい愛嬌があるような感じがみずみずしく見えますので、気に掛かってもっと見たくなりますが、「母親がああまで言っているのだから」と思い止まります。

 

「ひどく気分が苦しくなってまいりました。恐れ多いことですが、もうお引取りください」と言いながら、侍女にかき抱かれて横になります。

「お側近くに伺った甲斐があって、気分がよくなったら嬉しかったのですが、残念なことです。どんな塩梅でしょう」とヒカルが病床を覗こうとしますので、「とても弱ってしまいました。病がすぐれず、『これ限り』という間際にお越しくださったのは、確かに浅からぬご縁があったからでしょう。心に思っていることを少しはお話しいたしましたので、『まさか娘をお見捨てになることはあるまい』と頼もしく思っております」などと侍女に伝えさせます。

「こういう遺言を承る者の中に私を入れてくれるのは嬉しいですが、一層悲しくなってしまいます。故桐壺院の子供は大勢おりますが、親しく思ってくれる人はあまりおりません。故院は前斎宮を自分の子供の中に数えておられたのですから、兄妹として睦まじくさせてもらいます。私は三十歳が近づいて、親として相応しい歳になりましたものの、面倒を見る子供が少なくて物足りなく思っていたところです」などと話した後、メイヤン城を去りました。

 

 それからは毎日のように度々、見舞いの使いを行かせたものの、七日か八日ほど過ぎてから、メイヤン夫人は亡くなってしまいました。どうにもならないことであると思うにつけ、世の中がとてもはかなく、何かと心細い思いがつのって、王宮へも参上せずに、あれこれと葬儀のことなどを指図します。ヒカル以外、他に頼りになるような人は特にいませんでした。

 以前、前斎宮付きの職員として仕え馴れていた者などが数人ばかりやって来て、葬儀の準備に奔走します。自分自身もメイヤン城に出掛けて、前斎宮に忌詞を取り次がせますと、前斎宮は「どうしたらよいものか、何も分からずにおります」と女官長を通して返答して来ました。

「亡くなられた母上が遺言として私に言い残したこともありますので、今は私を親族と思ってくだると嬉しく存じます」とヒカルは伝えた後、城内に仕える人々を呼び集めて、あれこれなすべきことを命じます。非常に頼もしげな態度でしたから、人々はかってのヒカルの冷淡な仕打ちが償われたような気持ちがします。

 

 葬儀はシュノンソーの人々が数え切れないほど派遣されて、厳粛に執り行われました。ヒカルは葬儀には参列せずに、自邸で哀切に沈みながら精進をして、カーテンを深々と下ろして勤業を行いました。

 ところが葬儀には「借金取りが大勢押しかけて難儀をしてしまいました」との報告を受けて、驚愕してしまいます。早速、詳細を調べさせますと、メイヤン夫人は豪奢で派手な生活を維持していくために、ランスに下って行く以前から、ロワールやパリの実業家や豪商から借金を重ねていたことが判明しました。その額はさすがのヒカルでも負担できかねないほどの莫大なものでした。ヒカルは仕方なく、メイヤン夫人の叔父であるルーアンの枢機卿に相談しました。枢機卿は姪の借金について薄々気付いていたようで、枢機卿が借金を肩代わりする代償にメイヤン城の所有者となることで話がつきました。前斎宮に残された所有物はシェール川がロワール本流に合流する地点にあるヴィランドリー(Villandry)の山荘と倉庫群だけとなりました。

 

 その騒動の間も、ヒカルは始終、前斎宮に見舞いの手紙を送ります。前斎宮は母の死に加えて、実家のメイヤン城も失ったことで、動揺がひどかったのですが、ようやく心が落ち着くようになってからは、自分自身で返信を書くようになりました。気恥ずかしい思いもしたのですが、母親代りになった乳母たちが「失礼にあたりますから」と自筆で返答することを勧めたからでした。

 雪や霙(みぞれ)が吹き乱れて、荒れ模様の日、「さぞかし物寂しさに沈んでいることだろう」と思いやって、使いを遣りました。

「この空模様をどのようにご覧になっているのでしょう。

(歌)雪や霙(みぞれ)が降り乱れる この空に 亡き母上の霊魂が まだメイヤン城を離れ難くて 頭上の空を 

   翔けていると思うと 悲しくなります

雲っているような空色の紙に書いてありました。「若い人の目に留まるように」と丹精こめて書いたような文字がまばゆいほど見事でした。

 

 前斎宮は返事が書きにくい面持ちでしたが、「代筆は感心できません」と周りが責めますので、喪中に使う濃いねずみ色の、芳しい香りを染み込ませた優美な紙に、インクの濃淡を交えながら書きました。

(歌)まだ消え失せないまま 日を送っている身に 雪や霙が降るのは悲しいことです この暗い空模様のように 

   我が身が我が身と思えない世の中です

 遠慮がちな書きぶりでしたが、非常におっとりとした書風で、筆跡は優れているわけではありませんが、可愛らしく上品な手筋に見えます。

 

 ヒカルは前斎宮がランスに下った頃から、ずっと興味を抱いていたのですが、「聖域を離れた今なら、恋愛の対象として言い寄ることもできるのだ」と思うものの、さすがにその気持ちを切り替えて「それも気の毒なことになる。メイヤン夫人はそうした恋愛沙汰をひどく不安げに案じていたのも道理であるし、世間の人も同じような想像をしないでもないのだから、やはりここは心を清くして対応しよう。冷泉王がもう少し物の分別ができる年頃になったら、前斎宮を王宮住みの貴婦人として上げて、子供が少ない物足りなさを補うことにしよう」と考えます。とてもまめまめしく親切にしてあげて、しかるべき折々にはメイヤン城を訪れます。

「もったいなくも、母君とご縁があった者と思われて、遠慮なくお付き合いしてくださると本望です」などと内カーテンの中の前斎宮に語りかけるのですが、明るい性格ながらも無闇に人見知りをしてしまう、引っ込み思案の一面もありましたので、「ほのかにでも声を聞かせてしまうのはふさわしいことではないし、めったにしてはならないこと」と思っているようなので、お付きの者たちも困ってしまって、「どうしてこんな性分なのだろう」と案じています。

 お付きには女官長や側仕えの女官などという人たち、あるいは縁続きの王族出自の人たちなど、気配りができる人々が多くいるはずだから、「自分がひそかに考えているように、王宮に上げたとしても、人付き合いでひけを取ることはないだろう。それにしても、顔・形を一度ははっきりと見てみたいものだ」と思うのは、やはり心を許すことができる親心を持ってはいないからでしょう。実際、自分でも自分の心がどう揺れ動いてしまうのか判断しにくいので、「王宮に上げよう」と考えていることを他人に漏らすことはありません。ただただ、故人追善の供養をねんごろに行わせますので、メイヤン城の人々は喜び合っています。

 

 月日がはかなく過ぎていくにつれて、メイヤン城は一塩淋しく、心細いことだけが増して、使用人は「ここいら辺で」とお暇を申し出る者が多くなっていきます。ブルジュよりもかなり離れた場所で、人家も少なく、夕暮れ時の教会の鐘の音を聞くと、声をあげて泣き出したい思いで暮らしています。同じ親子の間柄と言っても、片時も別れ離れにならずに親しみあい、斎宮に母親も付き添ってランスに下っていくことは、これまで例がなかったことなのに、強いて同伴してくれました。それでも死出の旅路となると同道することはできないので、涙が乾く暇もないほど思い嘆いています。

 仕える侍女たちを仲介して、思いをかけてくる男どもは身分が高い者でも低い者でも数多くいます。けれどもヒカル内大臣が「母親代わりをする乳母たちでも、自分勝手なことをして問題を起こしてはならない」などと父親ぶって釘を刺しますので、「気が引けるほどのご立派な志に対して、けしからぬことをお聞かせしてはいけない」と諌め合いますので、あてにならない仲介をする者は誰もおりません。

 

 朱雀院は前斎宮がランスに下っていくあの日、謁見の間のいかめしく荘重な儀式で、恐ろしいまでに感じた美貌を忘れがたく思っていましたので、「スリー城に移り住んで、前斎院など私の姉妹たちと同じように暮らしてみたら」とメイヤン夫人に申し入れていました。けれども夫人は「すでにれっきとした貴婦人たちがおられるのに、こちらは微力な後見者すらいないのだから」と躊躇して、「王さまが病気がちであるのも心配だし、気苦労が増すだけであろう」と遠慮を願っていましたし、侍女たちも「後見役をしてくれるどなたなど、今はまして存在するでしょうか」と感じていました。それでも朱雀院は本気でスリー城住みを申し入れて来ます。

 

 内大臣はそれを聞いて「朱雀院の所望を裏切って横取りしてしまうのは恐れ多い」と思いながらも、前斎宮の様子がこの上もなく可愛く、このままスリー城へ手放してしまうことが口惜しいので、藤壺宮に相談します。

「しかじか、こういったことを考えあぐねています。母のメイヤン夫人は非常に重々しい人柄で、思慮深い御方でしたが、当方のつまらない好き心に身を任されて、あるまじき浮き名を流してしまい、私を恨めしい者と思い詰めてしまったことを困ったことと思っておりました。存命中は夫人の恨み心が解けないまま過ぎてしまいましたが、いまわの際になって娘の前斎宮のことを頼んできました。私としましても、『遺言を聞いた以上は、必ず肝に銘じて実行してくれるだろう、とさすがに見込んでくれての依頼である』と思うと堪え難くなります。世間一般でも、気の毒な身の上を聞くと、見過ごすことが出来ないのが通常です。何とかして亡き蔭となった方が過去の恨みを忘れ去って欲しいものだ、と願っています。王さまは満十歳を過ぎて、成人式をあげられる年齢になったものの、王さまとしてはまだ幼年ですから、『少しは物事の分別ができる方が側に侍っていた方が良いのでは』と思われます。どうしたらよいのか、ご判断をしていただけますなら」などと胸中を詳しく語りました。

 

「誠に良いことを思いついてくれました。朱雀院がそれほど熱心に前斎宮に思いを寄せておられるのはかたじけなく、気の毒でもありますが、『母親の遺言であるから』という理由にされ、何も知らないふりをされて、王宮に貴婦人として上げたらよいでしょう。朱雀院は『最近はそうした女性事には淡白になられて、勤行に専念しがちになられている』と聞いておりますから、それほど深くお咎めになることはないと察します」と修道女が答えます。

「それでは『そういうご意向を貴女が下された」ということにして、私は前斎宮に口添えをするだけにいたします。あれやこれや、朱雀院の遺恨を残さないように、こんなにまで気を配っておりますが、世間の人がどのように取り沙汰するのか、気にはなります」などとヒカルは応じて、「後日、何も知らない風にして、シュノンソーに引き取ってから、王宮に上げよう」と考えました。

 

 紫上にも「このように考えています。歳が近いことでもあるし、良い話し相手になるのにちょうど良い者同士になるでしょう」と伝えますと、紫上は嬉しいことに思って、シュノンソーに迎え入れる準備を急ぎます。

 藤壺修道女は兄の兵部卿宮が二番目の娘を「いつかは貴婦人として王宮に上げよう」と大事に養育しているのに、内大臣とは不仲になっているので、「どうする積もりだろう」と心苦しい思いをしています。

 すでに王宮に上がっている権中納言アントワンの娘は「アンジェリク貴婦人」と呼ばれるようになりました。祖父の太政大臣の養女という形になって、大層花やかに立派にかしづかれています。冷泉王は年齢がほぼ同じことから、夜の営みなどはまだないままに、良い遊び相手のように思っています。

 

 母の藤壺宮は「兵部卿の次女も王さまと年齢が同じくらいだから、三人が揃ってしまうと、ますます人形遊びをしている気分になってしまうだろう。やはり後見役を務めてくれる大人びた貴婦人が付いているのが喜ばしい」と、その思いを仕えている者に話して、メイヤン城に伝えさせます。

 内大臣が口が裂いても実の父と名乗ることはできないものの、あらゆることに気をつかって、政治上の後見は言うまでもなく、明け暮れ、細かいことまで面倒を見てくれて、父親らしくしているのをしみじみ頼もしく感じています。自分は病がちで弱っているので、王宮へ上がってもゆっくりとお世話をするのは難しいことから、自分の代わりをしてくれる、少し大人びた人の付き添いが必要でした。

 

 二十二年間に及んだイタリア戦争が終結して、フランスだけでなく近隣する諸国も平穏となっていましたが、思いもよらぬ炎が、ハンブルグとベルリンの間に位置するドイツ中部のヴィテンベルグ(Wittenberg)から燃え上がりました。

 その原因はイタリア戦争が終った後、メディチ家出身の教皇が先々代の頃から計画が持ち上がっているサン・ピエトロ大聖堂の改築を本格的に再開したことにありました。文化奨励の志向が強く、派手好みでもある教皇は、大掛かりな工事の費用を確保しようと、贖宥状(しょくゆうじょう。免罪符)の販売を奨励しました。それに呼応してドイツの大司教の筆頭格だったマインツ(Mainz)大司教は教皇の心証をよくしようと、アウグスブルグ(Augusburg)の大財閥フッガー家と組んで、贖宥状の販売に力を注いでいき、後押しを受けた説教僧たちは「贖宥状の購入で罪障が軽減する、許される」と各地を巡廻していきました。

 これに対して「霊魂の罪の償いはカネで買えるものなのか」と疑問を投げかけたのがヴィテンベルグ大学で教鞭をとっていた修道僧マルティン・ルターで、ヴィテンベルグ城教会の扉に「九十五か条の論題」を貼りだしました。この神学論争は聖職者を対象にしてラテン語で書かれていましたが、教会の刷新化を求めるユマニストの一部から注目されたこともあって、すぐにドイツ語に翻訳され、贖宥状購入に辟易したいた人々から熱い支持を受けます。教皇や教会への批判の炎はドイツ国内だけでなく、周辺国へも飛び火していきました。

 

 

 

                   著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata