その14.澪標(みおつくし。航路標識)  (ヒカル 27歳~28歳) 

  

1.ヒカル帰京後の聖書八書講、朱雀王と朧月夜

 

 サン・マロでの大嵐の夜、夢にありありと現れた桐壺院のことが気にかかって、「在位中に気付かずに犯して沈んでいる罪業からお救いしなければ」とサン・ブリューに滞在中から胸を痛めていましたので、ロワールに戻ってから追善供養の実施を急いで、十月末に聖書八書講を執り行いました。世間の人たちも、ヒカルの復活後、一転してヒカル側になびいてきましたので、八書講には昔のように多くの人が参列しました。

 

 紫陽花王太后の病は引き続き重いままですが、「ついにヒカル殿を退けることができなかった」と不快な気持ちをこぼしています。朱雀王は「私の在世中と変わりなく、ヒカルを相談相手と考えなさい」との桐壺院の遺言を思い起こしながら、「ヒカル殿を不遇にさせてしまった報いを受けるに違いないと覚悟していたが、悔い改めてからは気分がすっきりして来た。時々、ひどく苦しんだ眼病も鎮まってきた。とはいうものの、先行きは長くないように感じて心細い」と長命ではないことを感じながら、始終ヒカルを王宮に呼び出します。内政や外政に関する事柄でも分け隔てなく相談して、ヒカルの意見を尊重しますので、その様子を伝え聞く世間の人たちも「誠に嬉しいことだ」と喜んでいます。

 

 ルーアンの枢機卿を中心とした外交陣による周辺国との和平交渉も順調に進んでいます。スペイン王国とローマ教皇に次いで、スイス連合との永久平和条約も結ばれました。唯一、神聖ローマ帝国のマクシミリアン皇帝だけはミラノ奪還の意思が固く、ロンバルディ地方に攻め込んだものの、フランス軍が撃退して十二月に入って帝国との間で和平交渉が始まりました。

「和平交渉がまとまれば、前王時代からの懸念事項であるイタリア戦争に終止符をうつことが出来て、私の引き際に花を添えてくれる」と朱雀王は近いうちに王位をしりぞく意向を固めていきます。王さまの様子を間近に見ていて、退位が間近いことに気付いた朧月夜は心細げに今後のことを心配します。

「太政大臣が亡くなり、王太后も頼みにできないほど重病になった上に、自分の命も残り少ない心地がする。気の毒だが、私が死んでしまったら、貴女は支えを失ってしまいます。以前から、貴女は私をヒカル殿より下に見くびっているが、私の愛情は他の誰よりも貴女に注がれているのですから、気になってなりません。私より勝っていると貴女が思っている方が貴女のお世話をすることになると予想するとしても、『私の馬鹿げたほどの貴女への思いは較べものにはならない』と考えると心苦しくなります」と涙を流してしまいます。

 

 朧月夜は恥かしさで顔を赤く染めながら、こぼれるばかりの愛敬で王さまに寄り添い、涙までこぼしますので、王さまは一切の罪を忘れて「しみじみと可愛い」と朧月夜を見つめています。

「なぜ貴女に子供ができないのだろう。残念なことだ。『宿縁が深い人とだったら、すぐにでも子供ができるだろう』と思うと口惜しくなります。ただあの人は王族を離れていますから、あの人の子となると王族ではなく、民間になってしまいますが」などとこれから先のことにも触れますので、朧月夜はとても恥かしくも悲しくも感じます。

 王さまの容貌などは優しく清らかで、年月に添うように限りない愛情が増して、大事に扱ってくれます。一方のヒカルは立派な方ではあるものの、きちんとした縁組もしないまま、それほどの思いをかけてくれない様子や気持ちが段々と分かって来ましたので、「どうして自分は若気の無分別さにまかせて、あんな騒動を引き起こし、自分の名を傷つけただけでなく、あの方にも迷惑をかけてしまったのだろう」などと思い至ると、肩身が狭い思いをします。

 

 

2.冷泉王太子の即位と、ヒカル一門の繁栄

 

 翌年二月になって、冷泉王太子の成人式が行われました。満十歳になりましたが、年齢の割には大人びて美しく本当にヒカル大納言と瓜二つのように見えます。二人ともとても眩しいほど光り輝いていますので、世間の人は「結構なことだ」と口にしていますが、実の父はヒカルであることを気にしている、母親の藤壺宮は心底いたたまれない気持ちで無性に心を痛めています。

 朱雀王も王太子を「愛らしい者」と見やりながら、王位を譲ることなどを優しく話して聞かせます。王太子はミラノ大画伯になついて絵画を学び始めて、めきめきと技量を上げています。まだあどけない声で「私が王位についたなら、大画伯といつでもお会いできるように王宮はアンボワーズ城に移すことにします」と他愛なげに話しています。

 

 神聖ローマ帝国との話し合いは進捗が難航していましたが、オスマン・トルコのセリム一世がカイロまで攻め入り、マメルク王朝を滅ぼしてエジプトを占領したニュースが入ってから、帝国側が歩み寄り、三月十一日にフランスの国境に近いネーデルランドのカンブレイ(Cambrai)で条約が結ばれました。オスマン・トルコはアフリカ大陸側を含めた地中海東部の大脅威となっただけでなく、イタリア半島への侵攻を念願としていますから、帝国にとってはミラノ奪還どころの騒ぎではありません。オスマン・トルコに対抗して帝国とスペイン王国、フランス王国が一致協力して新十字軍を派遣すべき、という話し合いももたれました。

 

 桐壺王のイタリア侵攻から二十二年間続いたイタリア戦争は終結となりましたが、カンブレイの会議には白菊ネーデルランド総督も出席したことをヒカルは後になって知り、自分も会議に参加すべきだったと後悔しました。父が帝国の皇帝で、実質的な育ての親である甥がスペイン王となったことから、オーストリアのウイーンとスペインをつなぐ白菊総督の役割が増し、今回の条約締結でも要役として活躍したことは間違いありません。甥が成人した後、スペイン王になるまで白菊は総督の座を甥に譲っていましたが、その頃、イングランドの名高いユマニストの一人で、ヘンリー八世に気に入られて高官に大出世したトーマス・モアが外交使節としてネーデルランドに駐在して、評判作「ユートピア」を着想・執筆した、ということです。白菊が総督として、地元のフランドル・ブルゴーニュ文化だけでなく、幼少時代に送ったフランス、父皇帝のオーストリア・ドイツ、婚家として滞在したスペインとサヴォアの各文化を巧みに調合させた世界が、モアにとっては「あるべき国のように見えたのだろう」とヒカルは想像します。当然、白菊はトーマス・モアと出逢ったことでしょうし、「その時の模様を聞いてみたい」と思いながら、サン・マロ滞在中に受け取った手紙への返礼も兼ねて、ロワールに無事に帰還した旨の手紙を白菊総督に送りました。

 

 カンブレイ条約の締結を花道として、三月十二日過ぎに、とうとう譲位が執行されましたので、王太后は狼狽してしまいます。「不甲斐ないと思われるかもしれませんが、これからは気楽にお世話ができると考えております。あくまで安梨(あんり)王子が成人するまでのつなぎですから」と院となった朱雀王が慰めます。実際、その言葉通りにアヤメ貴婦人が生んだ王子が王太子となりましたので、王太后は自分の孫である安梨王太子にブルターニュ公国の継承権を譲ることを告げました。

 

 王さまが替わって、王宮もブロワ城からアンボワーズ城に移りました。イタリア戦争が自国の勝利の形で終結し、スペイン王国に伍して新大陸への進出を目的にセーヌ川河口のル・アーブル(Le Havre)に港を開く構想も具体化して、世間も新時代の始まりに期待を高めていきます。ヒカルは大納言から官位二位の内大臣に昇格しました。内大臣は員外の大臣ですが、すでに左右の大臣が埋まっていたからです。次第にヒカルが摂政役を担うことになりますが、「そんな繁忙な職に堪えることはできません」と引退していたアンジェの大殿に摂政の任務を受けてもらうように願いでました。

「病気で官位を返上した身ですし、もう老域に入ってしまったので、そうした重責はどうにもできかねる」と大殿は摂政役を引き受けようとはしません。

「しかし古代ギリシャでも政情が変わって不安定な時は、深山に入って隠者となった者でも、白髪を恥じずに政界に復帰して治世を担っていくのが本当の賢者である、としてますよ。病気を理由に官位を返上したのに、世の中が変わって、また復帰することに何の不都合があろうか、と公人も私人も意見が一致しています」と説得され、フランスでも前例があることから断わりきれずに、大殿は太政大臣の職を受けることにしました。年齢は六十三歳なっていました。一時は故太政大臣一派の勢力がすさまじくて、蟄居の身となっていましたが、再び表舞台に復帰して花やいでいきますので、それに伴うように不遇に沈んでいたように見えていた息子たちも皆、再浮上します。とりわけ長子のアントワンは宰相の中将から官位三位の定員外の中納言に昇格しました。

 

 アントワンは正妻である故太政大臣の四の君が生んだ満十一歳になった娘を新王に嫁がせようと、大事に育てています。ヒカルが不遇の身に沈んだ頃にアントワンがシュノンソーに連れて来て、「初恋の花」を歌った次男も成人式をあげて官位を受けさせるなど、思いのままに進めています。あちこちにいる愛人も数多くの子供を次々に生んでいて、賑やかにしている様子を内大臣となったヒカルは羨んでいます。

 故葵夫人が生み、アンジェ城で育てられたヒカルの若君は七歳になって、誰よりも美しく成長して、アンボワーズ王宮の殿上童になりました。娘の葵夫人を失って嘆き続けていた大殿夫妻は改めて夫人の死を思い嘆いていました。けれども葵夫人亡き後も、行き来が続いているヒカルが威光を取り戻して、万事をうまくまとめていきますので、何年か沈みきっていたアンジェ城の一族は栄えていきます。

 

 ヒカルは今も昔の心ばえを変えずに、何かにつけてアンジェ城を訪れます。若君の乳母たちや葵夫人の死後もアンジェ城から去らずにずっと奉公していた他の者たちに対しても皆、それ相応に便宜をはかってあげますので、幸せ者が多くなったことでしょう。シュノンソー城でも同じようにヒカルの帰還を待ち望んでいた人たちに対してもいじらしい者と見なして、「不在中の胸のうちを晴らしてくれたら」と思いやります。当然、中将サラ・中務アメリーのように愛人にしていた女性たちには身分相応に情けをかけますから、暇がなくなって外歩きもしません。

 ショノンソーの東にあるシセイ(Chissay)城は桐壺院の遺産としてヒカルの所有になっていましたが、他に較べようがないほどの改修をさせます。リヨンの花散里などのような、頼りなげにしている気の毒な愛人たちを住まわせよう」と思い至って、改修工事を始めさせたわけです。

 

 

3.サン・ブリュー上の姫君誕生と、乳母の派

 

「そう言えば、あのサン・ブリューの娘は妊娠で辛そうにしていたが、どんな風だろう」と忘れる折りはないのですが、公私ともに多忙に紛れて、思い通りにサン・ブリューへ訪ねてあげることができません。

 三月下旬になってから、「もうそろそろ出産する頃だろう」と思いやると、人知れず心配になって、使いを遣りました。しばらくして戻って来た使いは「復活祭(Pâques)の日に女の子が無事に誕生しました」と報告しました。予期していなかった女の子だと知って大喜びしました。

 

「どうしてロワールに呼んで、お産をさせなかったのだろう」と口惜しく思います。かって占星術師が「子供は三人お出来になります。その中から王と王妃が並び立っていきましょう。残りの一人は身分は王や王妃より劣るものの、太政大臣となって民間人としての最高位を極めましょう」と予言したことがありました。「お生みになった方々の中で最も身分が低い御方が女の子を産みましょう」とも予言していたことがぴったり合います。大雑把に言うと、ヒカルが最上位に上り、世の中の政治を執るようになる、ということは、それなりに賢い観相見たちが語っていたことですが、ここ数年は煩わしい逆境にいたので、占い師の見立てなどはすべて打ち消していました。とにかく冷泉王太子が王位について「願い事が叶って嬉しい」と感慨も一塩です。

 それでも自分自身が王位につくという、かけ離れた筋道は、「あってはならないこと」と考えています。多くがいる桐壺王の王子たちの中でも、ヒカルは格別に優れて、可愛い者として寵愛したものの、臣籍に下して民間人とした配慮を考えると、王位は遠い存在です。それでも実の息子が王位についたことは、おおっぴらに人に知られてはならないが、占い師の見立ては虚言ではなかった」と心中、秘かに感じています。

 

 占い師の予言をサン・ブリュー上が生んだ娘に当てはめていくと、「聖ミシェルのお導きに間違いはない。本当にあの人もまたとない運命を持っているから、あの偏屈な父親が及びも出来ない願望を抱いたのかもしれない。そうなると、王妃となるべき子があんな田舎で生まれたのはもったいなく、可哀想でもある。すぐにでもロワールに迎えねばならない」と考えて、シセイ城の改装を急がせます。

「あんな場所では気の利いた者はいないだろう」と案じて、「故院に伺候していた王付きの女官の娘で、宮内卿の官位四位の宰相だった者を父に持つ女が母などにも死に別れ、男にも捨てられて寂しく気の毒な状態で子供を生んだ」という噂を耳にはさんだので、女の事情を知っていて、何かのはずみにその話を伝えた者を呼び出して、サン・ブリューへ乳母として行けないか、との依頼をするように頼みました。

 

 マリアンヌという名の女はまだ若くて無邪気な性格で、訪れる人もまれなあばら家で明け暮れぼんやり心細く暮らしていましたので、深くは考えずにヒカル殿にご縁がある辺りで働くことができるのを結構なことと思って、我が子も連れてサン・ブリューへ行く旨を承諾しました。ヒカルはサン・ブリューまで下ってくれるマリアンヌを不憫に感じて、出立の用意を色々として上げます。

 ある日、何かのついでにヒカルはごく内密にシノン(Chinon)のマリアンヌの家を訪ねてみました。マリアンヌは「ああ答えたものの、どうしようか」と思いあぐねていましたが、唐突の訪問がかたじけなく、気持ちが固まって、ただ「仰せのままに参ります」とだけ答えます。

 吉日が間近でしたので、すぐにサン・ブリューに出発させることにしました。

「何だか思いやりがないようだが、特別に考えていることがあるのだ。自分自身が思いがけもなく住んで、所在ない月日を送った場所であることも例えに思い浮かべて、しばらくの間辛抱して欲しい」など、サン・ブリューや在俗僧一家のことなどを詳しく説明します。

 

 マリアンヌは王さまの付き人である母に付いて王宮に出入りしていましたので、顔に見覚えがありましたが、ひどくやつれていました。家の内の様子も言いようもない程荒れ果てていて、さすがに名家だったことが偲ばれる広い敷地に繁っている木々が薄気味悪く、「こんな荒んだ所でよく生活してこれたな」と驚いて見ています。それでもマリアンヌの様子が若やかで、愛らしいので目を離さずにいます。

 あれこれ冗談を言いながら、「田舎へ派遣するのを撤回したくなった。シュノンソーの自邸で奉公してもらってもよいのだが」と誘ったりもしますので、マリアンヌも「本当にお側で仕えることができたら、不幸せな私も慰められることだろう」とヒカルを見つめます。

(歌)かねてからの 親しい間柄ではないものの 別れが惜しい気になった

サン・ブリューまで後を追い駆けて行こうか」とまで言いますと、、マリアンヌは一笑にふしました。

(返歌)とってつけての 惜別の歌にかこつけて 本音は思いの御方を慕って行かれたいだけでしょうに

物馴れた口調で冷やかしの返歌をしますので、「中々の者だ」と感心します。

 

 マリアンヌは馬車でシノンの町を離れて行きます。ヒカルは側近の親しい者を従者に付けて、「夢にも世間には洩れることはないように」と口固めをさせて送り出しました。お守りの十字架を始めとして、必要な品々も所狭しと馬車に詰められて、思い至らないところは何もありません。乳母となるマリアンヌにも有り難いほど細やかな情をかけて、心づけも十分にしました。在家僧が初孫を大事がっている様子を想像すると自然と微笑みが浮んできます。サン・ブリュー上を愛しく、心苦しく思うのはもちろんですが、ただ女の子のことが気になってしまうことが浅いはずはありません。サン・ブリュー上への手紙にも「赤児を粗略にしてはいけませんよ」と繰り返し繰り返し誡めています。

(歌)渓谷に棲むニンフ(ニュンペー)が 幾千万年も岩を愛で撫で続けるように 生い先が長い女の児を 

   いつになったら手許に引き取って 袖を打ちかけて 愛撫できるだろう

 

 ソーミュールからナントは川舟で下り、ナントから馬車を使ってサン・ブリューへ急ぎました。乳母の到着を待ち受けていた修道僧の喜びようは一塩で、一行の歓迎に限りがありません。ロワールの方を向いて伏し拝みながら、ヒカルの有り難い心遣いを感謝して、ますます初孫を恐ろしいほど大切なものに思います。

 乳児が恐れ多いほど美しいのは類がないほどです。マリアンヌは「確かにヒカル様が真剣な気持ちで、この児を大切に育てようと考えておられるのも無理はない」と見つめながら、ブルターニュまで辛苦して旅立って来て、夢のような心地がした悲しみも忘れてしまいます。何とも美しく可愛いく感じながら、赤児の世話を始めました。

 

 赤子の母となった君はこのところ物思いにばかり沈み込んで気弱になって、「生きていく心地がしない」と思い詰めていましたが、ヒカルが示した心構えに少しは物思いも慰められて元気になっていきます。一家は心をこめて一行をもてなします。

 サン・ブリューまで付き添って来た従者たちは「こちらの様子を知りたがっていますので、すぐにロワールに戻らねば」と帰りを急ぎますので、サン・ブリュー上は思いのままを少しだけ書きました。

(歌)私一人で幼な児を愛で撫で続けるには 私の袖では狭すぎます 貴方の広い袖で愛撫してくださるのを 

   お待ちしています

 従者たちからサン・ブリューの様子を聞き、サン・ブリュー上からの手紙を受け取ったヒカルは不思議なくらい赤児のかことが気にかかって、早く逢いたくなります。

 

 

 

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