その12.サン・マロ (ヒカル 25歳~26歳)
1.ヒカルのロワール離京決意と、愛着のきずな
世の中がひどく煩わしく、不愉快なことばかりが増えていきますので、できるだけ知らん顔を装うにしても、今よりももっとひどいことが起きていくだろう」とヒカルは予期するようになっていきます。
ブルターニュ地方のサン・マロ(Saint-Malo)は紫陽花皇太后の父公が治めていた頃は、ブルターニュ公国の玄関港として栄えていたが、道化戦争で公国が敗れてからはすっかり衰退してしまい、船乗りの家すら稀になってしまった、という話を聞きます。
「人の往来が多く、賑やかな辺りに住むのは本意ではない。そうかと言ってロワールから遠く離れてしまうと、ロワールの動向が気に掛かってしまうだろう」と。人には言えませんがあれこれ迷いながら、サン・マロに下ることを決めました。
これまでのあらゆること、過去・未来のことを考え続けていくと、悲しい事が様々に思い浮かんできます。「憂い事が多すぎる」と思い捨てようとするロワールですが、「いよいよ住み離れてしまうのか」と思うと、さすがに捨て難い事が多くあります。
とりわけ紫の君が明け暮れ、思い歎いている様子が心苦しく、何にもまして悲しく痛ましいのです。「一旦は別れることになったとしても、必ず再会はできる」と分っていても、いまだに一日か二日、別々になってしまうと、「どうしているだろう」と不安に駆られてしまい、女君も同じように心細がります。「幾年間」と期間が定まった別離でもなく、再会を期して離れていくものの、定めがない世の中ですから、「やがて、そのまま永遠の別れの旅立ちになってしまうのではないだろうか」と悲しく思うこともあります。
「いっそのこと、こっそり一緒に連れて行こうか」と考えることもありますが、そういった物寂しい海辺で波風より他に訪れる人もいない上に、イングランド軍が沖合いから急襲してくる恐れもありましたから「こんなにいじらしい女君を連れていくのは不都合でもあるし、自分としてもかえって気苦労の種になってしまうだろう」などと考え直ししたりします。十八歳になった女君は「たとえどんな過酷な場所であっても、一緒に行くことができれば」と漏らしつつ、恨めしそうに感じていました。
リヨンの花散里の三の君も、ヒカルが通って来るのは稀なことなのですが、心細く頼りない境遇をヒカルの庇護に縋って暮しができていますので、ヒカルがロワールから離れていくことをひどく歎いている気配は至極当然なことです。
なおざりであっても、ヒカルがふとした契りを結んで、通ったことがある所々の女性たちも、人知れず心を痛めている者も多くいました。
修道女の藤壺の宮からも、「世間の人がまた、どのように取り沙汰をしてしまうのか」と自分の身のためを用心しつつ、内々で便りが始終ありました。「こうしたように思いを寄せてくれる熱情を、昔、見せてくれていたなら」とヒカルは思い起こしながら、「この御方とは、まったくもってあれこれと尽きない物思いをしなければならない宿縁なのだ」とたまらない思いをします。
2.ヒカル、左大臣邸へ暇乞の訪問
出発が近付いてきた頃、夜陰に紛れてアンジェの左大臣邸へ向いました。上官としては貧弱な略式の馬車に女性が乗っているように装って、隠れるようにアンジェ城に入るのがとても悲しく、夢のようとしか思えません。
亡き葵君の館はひどく寂しげで、荒れてしまった心地がします。若君の乳母コレットと娘、その昔から仕えていた侍女たちの中で今も残っている人たちが、こうしてお越しになったのを珍しがって、各自の部屋から集まって来て挨拶をしますが、不遇の身となったヒカルを見て、格別、人生の悲哀を認識していない年若の侍女たちでさえ、世の中の無常を感じ取って涙にくれています。
四歳になった若君はとても可愛げで、はしゃぎ廻っています。「長い間、逢うことができなかったのに、父を忘れていませんでしたね。愛しい子だ」と膝に乗せている様子は悲しみで堪え難いように見えます。
左大臣もこちらの館に来てヒカルと対面します。
「所在なく籠もっておられると聞いて、何と言うほどのこともない昔物語でも話してみたくて、お訪ねしようと思っておりましたが、病が重くなってブロワ王宮へ参上もできず、左大臣の位も返上しておきながら、『私用でははめをはずして』などと意地悪いことも言われてしまうでしょう。今はもう、世の中を遠慮しなければならない身ではありませんが、こんなことでも手厳しく言われてしまう世の中になってしまって、恐ろしいことです。
官位剥奪までになってしまった貴殿の悲運を見るにつけても、長生きをするのは辛いことだと思いますが、世も末の時代になったのでしょうか。天地をさかさまにしても思いも寄らなかった貴方の不遇を拝見しますと、万事がすべて味気なくなってしまいます」と語りながら、左大臣はしょんぼりしています。
「こうした事があるのも、過去の罪の報いと言いますから、煎じ詰めると、自ら招いた宿運と言えましょう。たとえ官位を剥奪されるほどのことはなく、軽い咎を受けただけの者でも、王命で謹慎の処分を受けると、普通人と交わって生活するのは、他国においても咎めは重いことになっているようです。私の場合は遠地への流刑となる可能性もあるようですから、このままロワールに留まっていると、さらなる処罰を受けることも予想されます。自分にはやましいことがないから、と言って平気面をしてロワールに居続けるのも憚りが多く、これ以上の大きな辱めに遭遇してしまう前にロワールから離れていこうと思い至りまして」などとヒカルは細々と左大臣に話します。
左大臣は昔の物語、桐壺院のこと、院が遺言した趣旨などを語りながら、涙を抑えようと上着の袖から自分の顔を引き放すことができないほどなので、ヒカルも気丈に振舞うこともできません。若君が無邪気に戯れて、祖父と父に甘えようとしているのを見ると、たまらない気持ちになってしまいます。
「亡くなった娘をいつまで経っても忘れることができず、いまだに悲しんでおりますが、もし娘が存命していましたなら今回の出来事をどんなに思い歎いたことでしょう。『運がよいことに短命であったから、こうした悪夢を見ずに済んだのだ』と考えて自分を慰めています。まだ幼く頑是ない児が、こんな年寄りたちの中に置いてきぼりにされ、父親に甘える機会もなく、月日が立って行くのか、と思いますのが、何にもまして悲しいことです。昔の時代には、本当に罪を犯しましても、官位を剥奪されてしまう程の罰は受けなかったものです。やはり冤罪をこうむってしまったのでしょう」などと左大臣は数多くの話を続けます。
三位中将アントワンもやって来て、ワインなどを交わしているうちに、夜が更けていきましたので、こちらに泊ることにしました。
侍女たちを伺候させて四方山話をさせます。他の侍女たちと違って、ヒカルがひそかに情をかけている中納言ナデージュが他人には言えない悲しみに沈んでいる様子を見て、ヒカルは可哀想に感じます。皆が寝静まった時分にナデージュと格別に睦言を交わしましたが、泊った理由はそれが本来の目的だったからでしょう。
翌朝は、人に目撃されないようにまだ明けきっていない暗いうちに帰るつもりでしたが、空に残っている有明の月がとても美しく、段々と盛りを過ぎた早春の花木がわずかに花を残している木陰が、淡い霧がかかって白ずんだ庭にぼうっと霞んでいるのが、秋の夜の物悲しさよりも多分に勝っています。ヒカルは隅の欄干に寄りかかって庭を眺めています。ナデージュはヒカルを見やりながら、見送りをしようと扉を押し開けています。
「またいつ再会ができるかを考えると、難しい気がする。こういう世の中になるとは知らずに、いつでも逢うことができた頃に、のんびりと構えていたのが残念だ」などと言いますと、ナデージュは物も言えずに泣いています。
若君の乳母コレットを使いにして、大宮から言付けがありました。
「じかにお会いして話をしたかったのですが、貴方とお会い出来なくなってしまうと思うと、悲しくて取り乱してしまい、躊躇してしまいました。まだ夜が深いうちにお発ちになるというのは、以前とはすっかり様子が変わってしまった心地がします。せめて、いたいけな幼児が眼を覚ますまで、もう少しお待ちになってくださいましたら」と伝えますと、ヒカルは涙で目をにじませます。
(歌)フォントヴロー(Fontevraud)に埋葬された 亡き妻の魂が 海辺に漂っているのではないかと思って
サン・マロの浦を見に参ります
大宮への返信というわけでもなく、歌を口ずさんで、「暁の別れというものは、これほど悲しいものなのか。この気持ちを分かり合ってくれる人がいるだろうか」と呟きますと、「どんな時でも『別れ』という言葉は嫌なものですが、今朝はとりわけ較べようがない心地がいたします」などとコレットは鼻をつまらせながら、心底悲しんでいるようです。
「お話ししたいことは返す返すありますが、ただもう胸の内が堪え難いほどであることをお察しください。まだ眠っている幼児に逢ってしまうと、中々憂いごとが多いロワールを去り難くなってしまうと思いますので、心を鬼にして急いで発つことにいたします」とヒカルは大宮への伝言をコレットに託しました。
去って行こうとしているのを侍女たちが覗き見るようにして見送ります。沈んでいく月が一段と明るくなった中を清艶な容姿で、何かを案じながら発っていく有様はライオンや狼ですら泣かずにはいられないでしょう。まして少年の頃からヒカルを見守ってきた侍女たちは、たとえようもない今の境遇を悲しく感じます。
(返歌)亡き娘の魂を捜しに ブルターニュのサン・マロへ行かれるということですが 亡き娘が眠るロワールの空から
遠く隔たってしまいますね
大宮からの返歌も含め、城内の悲しみが尽きることはありません。ヒカルが去った後も、人々はむせび泣き合っています。
3.紫上の悲愁と惜別、花散里に告別
シュノンソーに戻ると、こちらの人々も夜も寝ずに歎き明かした様子で、所々に寄り集まって世の中の変動を懸念しているようです。職員の詰め所では、日頃から親しく仕えている者だけは、サン・マロへお供として付いていく腹積もりでしたので、各自、私的な別れを惜しもうと出掛けているのでしょう、人影が見えません。それ以外の者は、やって来るだけでも重い咎めがあったり、煩わしい事が多く起きたりしますので、これまで門前に所狭しと集まっていた馬や馬車があとかたもなくなって寂しくなり、「世の中とはこんなに世知辛いものだったのか」と痛感します。
食堂の大きな食卓なども、大方は塵が積もっていて、カーペット類も所々は巻かれて寄せ掛けています。現に見るだけでもこんなになってしまうのだから、自分が離れていくと、どんなに荒れ果ててしまうのだろうかと暗澹とします。
西館に行きますと、紫上はよろい戸も閉めずに、夜通し案じ明かしていたようです。室内の隅など所々に臥していた童女たちが慌てて起き出して騒いでいます。夜着の姿のままで出入りしているのを眺めていると、この先が思いやられます。
「歳月が経っていくにつれ、こうした者たちも最後まで奉公することはなく、散り散りに辞めていくのだろう」などと、そんな何でもない事まで気になってしまいます。
「昨夜まで、こうした事情でアンジェへ出掛けていました。いつものように『心外な事』と邪推されていましたか。こうしてロワールにいられる間だけは、お側を離れまいと思ってはいるものの、ロワールから離れていくとなると、訪ねて行かねばならない所が自然と多く出てきますので、そうそう引き籠ってばかりにはいられないのです。無常な世の中で人から『薄情者』と思わせたままになってしまうの辛いことですから」などと弁解します。
紫上は「貴方がこんな運命に遭遇してしまう外に『心外な事』などありますでしょうか」とだけ答えて、沈み込んでいる様子が人一倍、痛々しく見えるのは、もっともなことです。
紫上は父の兵部卿とはひどく疎遠な間柄でした。元々深い愛情を持ってはおらず、まして太政大臣一派が幅をきかしている現状を煩わしがって、紫上に便りを送ることも、ヒカルへの見舞いに訪れることもありません。紫上は人の手前も恥かしく、「これなら、親王の娘であると知られなかった方がよかった」と悔んだりします。継母である父宮の正妻などが「急に幸せになったと思ったら、すぐにその幸せが消えてしまうとは慌しいことですね。やはりあの児は母、祖母、良人という順で別れるようになっていた人なのですね」と皮肉っているのを、事情通の者から漏れ伝わってくるのを聞くと、とても情けなくなって、こちらからも父親王への便りを絶ってしまっています。父を除くと頼りにできる人はおらず、本当に気の毒な身の上です。
「それでも、王宮からの赦免がないまま、年月が経過していくようなら、岩窟の中といえどもお迎えしますよ。ただ、今の状況では世間の聞こえがよくありません。王宮から咎めを蒙った者は明るい日月の下に出ることは許されず、妻を迎えて安穏に振舞うというのは非常に罪が重いと聞いています。私に過失はありませんが、こういう状況におちいってしまったのは、何らかの因果があったから、と思います。この状況下で愛しく思う人を連れて行く、というのは先例もないことですし、世の中が一気に気が狂ったようになってしまいましたから、これ以上の災難もありえます」などと説明します。
日が高くなるまで、愛妻と寝室に籠もっていました。すると弟の帥の宮や三位中将アントワン等が訪ねて来ました。面会をするべく上着に着替えますが、「官位を剥奪された人間になったのだから」と言って、無地の平服を着ます。それがかえって親しみを増し、少しやつれた風になっているのも、中々見ごたえがあります。
髪を整えようと鏡台に向いましたが、面痩せになった面影が我ながら気高く清らかに見えます。「こんなに痩せこけてしまったのか。鏡に映る面影は情けない程痩せている」と歎きますと、女君は涙をいっぱい浮べて、とても堪え難いように見やっています。
(歌)私がこうやって さすらいの旅に出ても 貴女の側の鏡に映る 私の面影は 離れることはありませんよ
とヒカルが詠みますと、
(返歌)お別れをしましても 面影だけでも 本当に鏡に留まってくれるなら 鏡を見て慰めることができるでしょうに
誰に言うとでもなく、こう詠みながら柱の陰に隠れるようにして、涙をごまかしている様子は、「やはり関わりを持っている女性たちの中でも類ない人であると思い知れる優美さだ」と認めます。
帥の宮とアントワンはしんみりした話をして、陽が暮れる頃に帰りました。
リヨンの花散里の三の君が心細く思ってか、始終、便りを寄こすのも無理からぬことです。「あの方にも、もう一度逢っておかなければ、『辛すぎる』と落胆してしまうだろう」と感じて、無理をしてリヨンに向いました。道中は長く、ひどく億劫になりましたが、夜が大層更けてから花散里に到着しました。
クレマチスの上が「このように数の内に入れてくださり、わざわざお越しいただきまして」と喜んだ様子は、くだくだと記すまでもありません。本当に侘しく心細い暮らしぶりで、ただただヒカルの厚意にすがって、この年月を送ってきていますので、「これからは邸内はますます荒れて行くだろう」と思いやられる程、邸内に不安が漂っています。朧な月が射し出して来て、サオヌ(Saône)川から水を引いた広い池やこんもり繁った山木がうら寂しげに見えて、これから移り住むサン・マロの岩窟の中を想像してしまいます。
西側の部屋にいる三の君は、「もう訪れはないだろう」と塞ぎ込んでいました。一人、心に沁みる月の光りを眺めていると、なまめかしくしめやかに漂って来る衣服の香りが、ヒカル以外に似る物がありません。ヒカルが静かに入って来ると、自分の方から寄り添って、そのまま二人は並んで朧な月を眺めます。
しっとりと言葉を交わしているうちに、明け方近くになりました。
「短い夜でしたね。こんなにあっけない出逢いですら、二度とできないかもしれないと思うと、何事もなしに過してきてしまった年月が悔しくなります。過去・未来の語り草になってしまうような身の上になってしまいましたが、何気なく貴女とゆっくりくつろぐ時間もありませんでしたね」と過ぎてしまった昔のことを話します。
雄鶏がしばしば啼きますので、世間の眼が気になって急いで去っていこうとするのを見て、三の君は、例のように月が沈んでいくのと重ね合わせてしまい、悲しい気持ちになります。三の君の濃い目のドレスに月光が射して、「何度かの出会いの後で 物思いに沈む涙の袖に 映る月さえ 濡れた顔をしている」という、よく知られた歌のような情景でした。
(歌)月の光りが映っている 私の袖は狭いですが 見飽きることのない ヒカル様の光りを 留めておきたいものです
とやるせなさそうにしているのがいたわしいので、ヒカルはそっと慰めてあげます。
(返歌)月光は沈んでいっても また上って来て澄み渡ります しばらくの間 曇っているからと言って
悲観しながら 空を眺めることはありませんよ
「考えて見ると、人生とははかないものですね。「貴方がどこへ行ってしまうか分かりません ただ今は 目の前にいる貴方に 涙を落とすしかありません」という古歌を思い出してばかりいると、心が暗くなってしまうだけですよ」と諭した後、夜が明け暮れないうちに花散里を去って行きました。
帰邸した後、出発の用意を始めて、何やかやを整理していきます。ヒカルに親しく仕えてきて、今の権勢になびくことがない信頼できる人たちに不在中の事務を行わせるべく、上下の役割を決めました。またお供に随行する人たちも選出しました。田舎住まいに必要な調度の類は日常に必要な物だけ、それも質素な物に限り、またしかるべき書籍類や詩集を入れた箱、楽器はハープを一つだけ持っていくことにしました。大袈裟な調度品や華奢な工芸品などは何一つ持っていかず、質朴な田舎人のような仕度をします。
仕えている人々を始めとして、すべての事を皆、紫上に任せることにしました。私領の荘園や牧場から始めて、しかるべき所々の所有証文などもすべて、紫上の手許に置いていきます。それ以外の幾つかの倉庫や収納所などについては乳母セリーヌが頼りになるしっかり者と見込んで、気心が知れた事務職員たちを配置下に置いて、管理を託しました。
自分に仕える侍女で愛人でもあった中務アメリーや中将サラといった女性たちは、あまり相手にされないつれなさに不満を抱きながらも、お側に置いていただけるだけでも慰みになっていましたので、「これからはどうしたらよいのか」と不安にかられていました。
「運よく命を永らえることが出来て、再びロワールに戻って来ることもあろうから、『それまで待ち受けていよう』と思っている人は、西館の女君に仕えていなさい」と告げて、上下の侍女たちを皆、西館に移しました。そして形見となる品々をそれぞれの身分に応じて、去る人も含めて全員に分け与えます。
アンジェの若君の乳母コレットたちや、リヨンの花散里二姉妹にも華美な品々だけでなく、気を使って実用品までも揃えて贈ってあげます。
女官長の朧月夜へも無理を承知で便りを送ります。
「そちらからお見舞いがないのはもっともなことと思いますが、「今は最後と、いよいよロワールを去っていくとなると、憂いも辛さも類ないほどの思いがします。
(歌)貴女に逢えずに 涙の川に沈んでいたことが 私の流浪のきっかけになったのでしょうか
そうと思いますが、貴女との出逢いは逃れることのできない罪だったのでしょうか。
手紙が朧月夜に届く途中で盗み見をされてしまう恐れもありますので、詳しく細かには書けません。手紙を受け取った朧月夜は、我慢をしているものの、涙を拭く袖から涙が零れてしまうほどでした。
(返歌)涙の川に浮ぶ水泡は 貴方との逢瀬へ流れ着くのを待たずに 消えてしまうでしょう
と返歌を書きましたが、泣く泣く乱れ心で書いた筆跡が非常に見事でした。
「今一度、朧月夜と対面してみなくては」と思うと口惜しくなりますが、考え直してみると、朧月夜の周辺にはヒカルを貶めようとしている紫陽花王太后や太政大臣一家が大勢いて、当人はヒカルとの出会いをじっと慎まなければいけない立場ですので、無理をしてそれ以上の便りを送ることを控えました。
4.藤壺と王太子に暇乞
出発が間近に迫った頃、人目を避けて、暁に月が出る時分にオルレアンの藤壺邸を訪れました。居間の内カーテンのすぐ前にヒカルの席を設けて、藤壺自身が直接、応対をします。すでに冷泉王太子を排斥しようとする動きを感知しているのか、王太子の先行きがことのほか気掛かりな様子で話しかけてきます。
お互いに心に深い遺恨がある者同士の会話は、色々と胸に迫ることが多かったことでしょう。藤壺の慕わしく愛すべき気配は以前と変わらないままなので、長年の冷やかな対応ぶりを恨みたくなりますが、「修道女になられた今、今さら恨み言を言っても疎まれてしまうだけだ」と思ったことでしょう。自分の藤壺への恋心を再燃させたところで、一層思い乱れてしまうだけだと思い直してじっと堪えながら、「まったく、こうした思いもかけなかった官位剥奪という罪を受けてしまいますと、あの夜の密事のことだけが気掛かりになって、罪の深さが空恐ろしくなります。惜しくもない我が身は亡き者になったとしましても、王太子が無事に即位できますなら」とだけ話すのも道理と言えます。
藤壺もすべて承知している一件ですから、心が揺れ動くだけで、何の返事もありません。ヒカル大将は万感の思いが一挙にこみ上がってきて、涙を流す様子がとても上品で優雅なのです。
「サン・マロに向う前に、サンドニ大教会堂の桐壺王の墓に詣でようと思いますが、何か言伝はありますでしょうか」と尋ねますが、藤壺は特に話すことはなく、何となくためらっている様子です。
(歌)院は亡くなり 元気でおられる方は 罪をうけてしまうという 悲しい世の末になってしまい
私は世を捨てたものの 泣きながら暮らしています
藤壺はひどく心が惑い乱れているのか、積もっている思いを上手く詠みこむことができません。
(歌)院が亡くなって 悲しいことは尽きたはずなのに またしても この世の憂いごとに 遭遇してしまいました
夜が明けきった頃にオルレアンを出て、ブロワに着いてから王宮にいる王太子へ旅立ちの挨拶状を遣ります。藤壺は自分の代りに付き人ブランシュを王太子に付き添わせていますので、ブランシュの部屋に手紙を届けさせます。
「今日にでもロワールを離れて行きます。もう一度お目にかかることができず、数々の憂いにも増す悲しみと感じています。万事、ご推察いただいて啓上してください。
(歌)いつ再び 春の都の花を見ることが出来ましょう 時流を失した 里人になってしまいましたので
手紙は桜の花がほとんど散った枝に付けてありました。ブランシュは「こんなお手紙が」と王太子に見せますと、まだ七歳の幼さながらも真剣な眼差しで読んでいます。
「返事は何と書きましょう」とブランシュが尋ねますと、「『しばらく会えないだけでも恋しいのに、遠くへ行ってしまったら、ましてどんなにか』と書いておやり」と答えます。まだ幼いというものの、「あまりにそっけない返答だこと」とブランシュはいじらしい気持ちで王太子を見つめ直します。
藤壺との密事という、どうにもならない恋に夢中になっていた昔のヒカルのこと、折々の二人の密会の有様を思い起こしていくと、「藤壺様もヒカル様も何の苦労もせずに世の中を送ることができたのに、二人が永遠に思い歎かざるをえない火種が生じてしまったことが悔しい。それもこれも、私の一存から起きてしまったことなのだ」とブランシュは苦しくなります。
「何とも申し上げようがありません。王太子には確かに取り次ぎました。心細そうに思っておられる気配がいたわしいほどです」とブランシュはヒカルへの返信を書きましたが、とりとめもなく書かれていたのは心が動揺していたからでしょう。
(歌)花が咲いたと思ったら すぐに散ってしまうのは 悲しいことですが 春が過ぎて 再び都に戻って来られたら
花の都を堪能されてください
「その時が参りましたら」とブランシュは記しましたが、王太子が住む小館の人たちは、名残惜しい悲しい話をしながら、忍び泣きをし合います。
今のヒカルを一目でも見た者は、この頃の弱気になった有様を歎き惜しまない人はいません。まして常にヒカルが出入りしていた所々では、ヒカルが知らない下女や便所掃除人までがヒカルの有り難い恩恵を受けていましたので、「しばしの間であっても、お眼にかかれないとは」と思い歎いていました。世間の大半の人も、今回のヒカルに対する処罰を快く思ってはいません。満六歳を過ぎた頃から昼も夜もずっと父王の側にいて、ヒカルが奏上することが聞き届けられなかったことはなかったので、そのお蔭を蒙らなかった人はなく、ヒカルの人徳を喜ばない者がいたでしょうか。高貴な上官や官位四位の役人などの中にもお蔭を受けた人が多くいました。官位がそれ以下の者だと、数も分からないほどです。そうした人たちはヒカルへの恩を忘れた訳ではありませんが、当面の容赦がない厳しい時勢を憚って、見舞いにすらも寄り付こうとする者はいません。
世間がこぞってヒカルを惜しみ、陰では王宮をそしったり恨んだりしていますが、「身を捨ててまでお見舞いに上がって、何の利点があるのか」と思っているのでしょう。こうした状況下では知らぬふりを決め込む恨めしい人が多く、「世の中は味気ないものだ」と実感します。
5.ブルターニュヘの旅立ち
四月十四日過ぎにロワールを離れていきます。人には「今日」と知らせずに、ただお側近くに親しく仕え慣れた家来七、八人ばかりをお供にして、ごく目立たないようにして出立することにしました。しかるべき人たちには別れの挨拶文だけを送り、さりげない忍び通いをしていた女性たちには「悲しいことに」とヒカルを偲んでくれるように書き尽くしましたので、見所がある手紙もあったことでしょうが、その折りの慌しさに紛れて聞き忘れてしまいました。
その日は女君と終日、静かに語り合って過し、慣例になったように夜が深くなってから出発します。狩猟服などを着て、旅装も質素なものにしました。
「月が出て来ています。もう少し端近くに出て来て、見送ってください。サン・マロへ行ったら、もっと話したかったことが沢山たまっていたのに、と後悔してしまうでしょうから。たまたま一日、二日だけでも隔たってしまっても、不思議に気が晴れない心地がしますのに」と言って、居間の内カーテンを巻き上げて紫上を端近に誘います。泣き沈んでいた女君が外の方に出て来ますと、月の光りの下、非常に美しく見えます。
「自分の身がこれっきりとなって死に別れてしまったら、女君はどんな風にさすらっていくことになるのだろう」と不安になって悲しくなりますが、そんなことを思い起こさせると一層悲しませそうなので、
(歌)生きている間に 別離というものがあるとは知らず 命のある限りは一緒にと 約束していましたが
人生ははかないものですね」などと意識してさりげなく話しますと、
(返歌)惜しくはない私の命を 縮めても構いませんから 眼の前のお別れを 少しでも引き留めてみたいものです
「そう思うのも、確かにもっともだ」と女君を見捨て難くなりますが、夜が明けてしまってから邸から出て行くのは人目についてしまいますので、急いで出発します。
モントリシャール(Montrichart)から裏街道を進みます。道中も女君の面影が寄り添っていて、胸が塞がる思いをしながら、ジャルゴー(Jargeau)でロワール川を渡り、ピティヴィエール(Pithiviers)経由でラルシャン(Larchant)に着きました。夕暮れ時、サン・マチュラン(Saint Mathurin)教会の修道士の案内で父王と母を縁結びした聖マチュランの泉に向いました。
泉へ向う山道は草が生茂っていて、分け入って行くと露がますます服を濡らします。月は雲に隠れて、松、ナラやブナの大木が深く鬱蒼としています。帰る方角も分からない心地がしながら、泉から湧き出る聖水を汲んでいると、ありし日の桐壺王の面影がまざまざと浮んできて、父王に寄り添う母の姿もうっすらと見える気がします。幻であると分かりつつも、鳥肌が立つ思いです。
(歌)亡き父王は どうご覧になっていることだろう 父の面影に寄せて眺めていた月も 雲に隠れてしまった
その夜は二年前に北部イタリア戦線の最中、ラヴェンナ(Ravenna)で戦死した幼なじみヌムール(Nemours)公ガストンの城に泊り、翌朝、ヌムール教会で弔いのミサをした後、川船に乗ってロワン(Loingt)川を下って行きます。水車小屋が集積するモレ(Moret sur Loing)の皮をなめす光景に見惚れながら、セーヌ川と合流するサン・マメス(Saint- Mammès)の港で大型の船に乗り換えてセーヌ川本流を下っていきます。
ヒカルはゆっくりと下って行く船から眺める風景を楽しむ余裕がありましたが、お供の皆は言うまでもなく、これまでのヒカルの外歩きとは全く様子が違い、ロワールも遠のいて行くのをとても悲しく感じています。八年前のあのパリへの行幸の際に臨時の随行役を勤めた蔵人所と近衛府を兼任する官位六位のステファンは、当然与えられるはずの昇進を得ることができなかった上に、王宮の姓名を記した小札も掲示板から外され、官位も剥奪されて面目を失ってこともあって、お供に加わっていました。
マルヌ(Marne)川がセーヌ川と合流するアルフォールヴィル(Alfortville)を過ぎて船がパリ市街に近づいて来ると、昨今の面倒くさい政争の現実に戻ったのか、ヒカルは船室に閉じこもってしまいました。ノートルダム大聖堂が眼前に見渡せる地点にさしかかると、ステファンはふと行幸の日を思い出して、船室に閉じこもったヒカルに向けて歌を詠みました。
(歌)お供をして 水仙の花を頭に挿した 行幸の日を思い出すと 辛くなってしまいます パリの守護聖人よ
ヒカルは「この青年は今、どんなに悲しんでいるのだろう。あの当時は同輩よりも秀でて、羽振りがよい若者だったのだから」と考えると気の毒になります。ヒカルは船室から出て、ラ・シャペル(La Chapelle)宮の方を拝んで、聖ルイ王に暇乞いをしました。
(歌)辛い世の中を 今離れて行きます 後に残る私の名の是非は 聖人たちの御裁断に任せることにして
とヒカルが詠む様子を、ステファンは感激しやすい多感な青年でしたから、しみじみと感じ入りながら見つめています。
サン・ドニ(Saint-Denis)港に着いて、歴代の王様が眠る大教会堂へ急ぎました。父王の墓棺は真新しさですぐに見分けることが出来ました。真っ先に聖マチュランの泉の聖水を石棺に振り注ぎました。父王の在世中のあれこれの事を眼前にあるように思い起こします。フランスを発展の道に導いた名君であっても、世を去った人になってしまったのは、言いようもなく無念なことです。様々なことを泣く泣く石棺に訴えますが、返事をはっきりと受け取ることはできません。
「父王があれ程、自分のために話された様々な遺言はどこに消え失せてしまったのでしょうか」と墓棺に語りかけても何の甲斐もありません。
ルーアン(Rouen)手前のオーブヴォワ(Aubevoye)で船を停め、セーヌ川から二キロメートルほど奥まった高台に建つガイヨン(Gaillon)城を訪れました。ガイヨン城はルーアンの大司教の夏季の滞在地でしたが、メイヤン夫人の叔父の枢機卿がロワールやルーアンに移り住んだイタリアの建築家や造形師たちを招いて一新しました。伝統のフランボワン・ゴシックの上にイタリア・ルネサンスを重ね合わせたフランス・ルネサンス様式の先駆けとして、ロワールでも評判になっていました。四層からなる正面は王宮と見紛うほどの威風ぶりでしたが、中に入ると僧院のような静寂な佇まいでした。
ヒカルは完成して間もないガイヨン城の秀麗さに感嘆しながら、セーヌ渓谷を見晴らす回廊に佇んで、遠のいてしまったロワール渓谷に思いを馳せます。ロワール渓谷と違って、丘の斜面にブドウ畑が見当たらず、新緑の森が帯のように続いています。
夜が更けた頃、枢機卿が密かにヒカルを尋ねて来ました。枢機卿は桐壺王の外務担当役も務め、桐壺王のイタリア遠征にも同伴し、ミラノ公国の吸収後もローマ教皇や神聖ローマ帝国との交渉で手腕を発揮しました。桐壺院が崩御した後、右大臣一派とはそりが合わず、ヒカルと同様に王宮から疎まれる状態に陥ってしまい、枢機卿の座も危なくなっていました。
ヒカルは宿を提供してもらった礼を述べ、ガイヨン城の素晴らしさを称えると、まんざらでもない笑顔を返します。あれこれと話したそうで、自慢の回廊にヒカルを誘いましたが、急に小声になって太政大臣一派の無能ぶりを歎きます。「ミラノ公国の奪還も含めたイタリア戦線には、やはり経験豊かな左大臣一派の復活が必要でしょう」と囁きます。
桐壺王時代のことなど思い出話に花が咲きましたが、「ところでランスに下って行った姪をどうなされるお積りでしょうか」とふいに問うてきました。メイヤン夫人へのヒカルの冷淡さを人伝てに聞いて、心配しているようですが、葵君に取りついた物怪(生霊)のことを話すわけにもいきません。何と答えてよいものか、話を濁しているうちに夜が明けていきました。
セーヌ川河口のオンフルール(Honfleur)で船を乗り換え、ノルマンディーの海岸線沿いに進み、シェルブール(Cherbourg)経由でコタンタン半島を廻って、海に浮ぶモン・サン・ミシェル修道院を詣で、イタリア戦争での巻き返しとロワールに残してきた人々の無事を聖ミシェルに祈りました。
6.サン・マロ籠居の生活状況
日が長くなってきて、追風すら加勢しましたので、午後四時頃にはサン・マロ港に着きました。その場限りの外出でも、こうした長旅をしたことがない心地がして、心細いものの、物珍しさに包まれます。ラ・シテ(La Cité)と呼ばれる所はひどく荒れ果てていて、松だけが目印になっていました。
(歌)古代ローマに名を残した ポンペイウスも シーザーに追われて エジプトに逃れたが 私も行方も分からない
流浪の生活を送っていくのだろうか
渚に寄せる波が寄せては返るのを眺めながら、「日が立つに連れ 遠く離れて行くロワールが恋しくて 寄せては帰る 波が羨ましい」と古歌を口ずさんでいるのを、お供の人たちは珍しいように聞いて、悲しみがこみ上がってきます。後を振り返ると、山々が遠く霞んでいて、まさに「ローマから遠く離れた 流浪の旅の 独り寝」の詩のような心地がしますし、あるいは
「私の上に 露が降りかかってきた この露は 銀河の渡し場で 舟を漕ぐ櫂のしずくであろうか」という名歌の心境もして、堪え難い思いをします。
(歌)山々の霞が 故郷を隔てているが 自分が眺めている空は ロワールの空と同じだろうか
と、あらゆることが辛くなります。
住まいとなる所は道化戦争時代に捕虜の身となってしまった詩人が「万が一 私の様子を尋ねる人がいたら サン・マロの浦で 塩田の塩山から 垂れ落ちるしずくのように 涙を落としながら 侘しく暮らしていると 答えてください」と歌った場所の近くでした。海岸から少し内側に入り込んだ、港と城壁に囲まれた中心街を見張らせる高台の、鬱蒼として寂しげな森の端にありました。廻らせた垣根を始めとして物珍しさを覚えます。茅葺きの木柱をむき出しにしたハーフティンバー(Colombage)の家で、料理場などとを結ぶ葦葺きの回廊のような建物などが風流にしつらえてあります。いかにも場所柄にふさわしい住まいで、住み慣れた石造りの館と違っているのが、こうした折りではなく、単なる旅行者として来たなら、興趣深く感じたことであろう」と昔の奔放な忍び歩きの頃を思い出します。
ブルターニュ公国は八世紀末から九世紀にかけてイングランドに来襲したデンマークのアングロ・サクソン族に追われて移住して来たケルト系の人たちを主体に成立した公国でしたから、同じカトリックと言っても若干の違いがあり、街道の岐路に建てられた石の路傍十字架(Calvaire)はロワールには見かけません。婦人が被る帽子もレースで編まれた独特な山高の縁なしボンネットでした。ヒカルが「ロワールよりも北の国に来たのだ」と痛感したのは、ブルターニュ半島ではワイン用のブドウが育たず、住民はリンゴ酒(Cidre)を常飲している、ということでした。
サン・マロからさほど遠くない所々の荘園の管理人を呼び出して、修繕を命じます。地元出身のオリヴィエが身分が劣る者がする雑用係になって奔走するのも悲しいことです。わずかの間に結構、見所がある山荘になりました。庭に遣り水を深く引き入れ、植木も植えたりして、「ひとまず落ち着いた」と一息ついたものの、まだまだ夢の中にいるような気がします。
オリヴィエの父の県知事も以前からヒカルの家来筋の者でしたから、表面的には目立たないようにお世話をしますが、紫陽花王太后のお膝元の地でしたから、ヒカルの動静を逐一、王宮に報告している恐れもありますので油断はなりません。邸の改装工事もあって、人の出入りが騒がしく、もはや旅の仮宿ではないのですが、じっくりと語り合える人はいませんので、見知らぬ国に来た心地がして、晴れ晴れとした気分にはなれず、「この先、どうやって年月を過したらよいのだろう」と先が思いやられます。
ようやく身の回りが片付いて行く頃になると、初夏の雷雨の季節になっていました。ロワールのあれこれに思いをはせていますと、恋しい人が多く、紫上が思い歎いている様子、王太子のこと、アンジェの若君が無邪気にはしゃぎ廻っている姿などを始めとして、あちらこちらの人が思い浮かんで来ましたので、近況を書いて使用人を立ててロワールに持たせました。その中でも、シュノンソーの女君とオルレアンの修道女の宮宛てに書いた時は、筆は思うように進まず、しばらくの間、書き渋ってしまいます。
藤壺宮へは次の歌を詠んで送りました。
(歌)オルレアンの修道女の邸はいかがでしょうか 私はサン・マロの浦で 塩山から垂れ落ちるしずくのように
涙で泣き濡れております
「いつものことですが、とりわけ近頃は昔のことも、この先のこともひときわ自分の世界が真っ暗闇になった気がします」。
女官長の上の朧月夜へは、例の中納言ヴェロニクへの私信のようにして、その中に朧月夜への手紙を入れました。
サン・マロで所在なく暮らしていますが、過ぎ去ったことを思い出すにつけましても
(歌)懲りもせず お目にかかりたく存じますが サン・マロの船乗りになりはてた私を どう思われましょう
と様々に書き尽くす言葉を想像できます。
アンジェの左大臣にも手紙を書き、若君の乳母コレットには、若君のお世話をくれぐれも頼みます。その他にも、ロワールでヒカルからの手紙を受け取って心を痛める人々が数多くおりました。
7.紫上の落胆と、僧都の祈祷
シュノンソーの女君はヒカルからの手紙を読んだ後、起き上がることもできず、尽きぬ悲しみでヒカルを思い焦がれますので、お側に仕える人々も宥めかねて心細い思いをしています。
ヒカルが使い馴らしていた調度類、弾き馴らしていたハープを見たり、脱ぎ置きにしていった衣服の香りを嗅いだりすると、もうこの世にいない人のようにばかり思っているようです。不吉な予感がした少納言セリーヌは不安にかられて、ル・ピュイ・アン・ヴレイ(Le Puy en Velay)に住む女君の祖母の兄の司教に紫上とヒカルの二人への祈祷を依頼します。司教は肉親の女君に向けては「思い歎く心を静めて安らかになるように」、ヒカルに向けては「元通り、ロワールに戻って来れるように」といたわりの気持ちをこめて祈祷をしました。
紫上は旅先の夜着や夜具を誂えます。無位無官の者が着る白地で無紋のプルポワンとタイツの上下が仕立てられていくのを見ていると、様変わりしてしまった心地がして悲しくなります。ヒカルが別れ際に「貴女の側にある鏡に残る」と言った面影は確かに身に寄り添っている思いはするものの、現実ではないので何の甲斐もありません。
いつも出入りしていた部屋、寄りかかっていた柱などを見ると、胸が悲しみで塞がってしまいます。世の中の波風に揉まれて、ものの分別がつくようになった年長の人でも辛く感じる場面ですが、まして誰よりも睦まじく暮し、父や母になり代わって世話を焼き、育て上げてくれた御方ですから、急に引き離されてヒカルを恋しく思うのはもっともなことです。本当に亡くなってしまったのなら、歎いていても次第に「忘れ草」も生えてくるでしょう。ロワールと程近い所にいながら、いつまでと期限が決まっている別れではないのだ、と思うとたまらないほど辛くなります。
修道女の宮にとっても、王太子の先行きの事がありますので、ヒカルの不在を思い歎いているのは申すまでもありません。それに加えて、これまでのヒカルとの宿縁を考えますと、二人の間柄はどう見ても浅いものとは思われません。ここしばらくはただ世間の風聞が気になって、「ヒカル君に対して少しでも情がある気配を見せると、そこを突いて咎めごとを言い出す人も出て来るだろう」とだけ思って、ヒカルへの思いはじっと耐え忍び、自分に対するヒカルの熱い思いもさほど感じていないようにわざとそっけない態度を取り続けていました。
「これほど辛らつな世間の人の口端にも、これまで噂に上がらずに済んでこれたのは、ヒカル殿があながち心が狂うままに振舞わず、人目につかないように上手く隠し通してきたからだ」と今になって藤壺はヒカルのことを悲しくも恋しくも思い出します。
藤壺からの返信も、以前よりも少し情愛細やかに書かれていて、「この頃はましてや」と歌を添えていました。
(歌)塩山から垂れ落ちるしずくのように 涙で泣き濡れておられる様子ですが お帰りを待ちながら
歳月を送っている修道女も 嘆きを重ねています
朧月夜からの返信には
(歌)サン・マロの港の船乗りですら 包み隠さねばならない恋ですから 胸中でくすぶる煙は 晴らしようがありません
これ以上、申し上げることは略します」とだけ、あっさりした返信が中納言ヴェロニクの手紙の中にありました。ヴェロニクの手紙には、朧月夜が思い歎いている様子などが詳しく書いてありました。「身に沁みてしまう」とヒカルが感じ入る節々もありますので、ヒカルは溜息を漏らしてしまいます。
紫上からの手紙は、特別に心をこめてヒカルが細やかに書いた手紙の返信でしたから、しみじみと胸を打つ言葉が多く書かれていました。
(歌)塩山から垂れ落ちるしずくのように 涙で袖を濡らしておられるとのことですが 波路を隔てたロワールで
涙で濡れる私の夜着とを較べてみてください
手紙と一緒に送られてきた心尽くしの衣類や品々に洗練された気遣いが見えます。
何事につけても優れた資質を見せますので、「順調に進んでいたのなら、今頃は心慌しくなってしまう女性たちとの関わりをなくして、かねてから望んでいたように、二人で落ち着いて暮らしていけたものを」と思うとひどく残念になって、夜も昼も面影を偲んでは堪え難く思い出します。
「やはり女君を内証でサン・マロに迎えよう」と思うものの、「いやいや。こうした世の中だから、せめて自分の罪障だけでも消滅させなければ」と考え直して、引き続き精進をして、明け暮れ勤業に励みます。
左大臣からの返信には、若君の様子なども書かれていて、とても悲しくなります。
「そのうち自然に再会できるだろう。あの児の側には頼もしい方々が付いているのだから、心配するに及ばない」と思いはするものの、
(歌)人の親の心は 夜の闇とは違うのに 子を思う道は真っ暗闇で 途方にくれてしまう
とあれこれ惑うこともありましょう。
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