神の木    (ヒカル 22歳~24歳)

 

4.ジュアール籠もり

 

 四月半ばに入って、北部イタリアの戦線で幼馴染みのヌムール(Nemours)公ガストン戦死の急報が入り、ヒカルは愕然としました。ガストンはヒカルと同じ二十三歳の若さでしたが、攻撃力を増してきた神聖同盟軍に対する、前年のミラノ公国防衛で頭角を現わし、ボローニュ市への再入城に当たっては遠征軍総司令官に大抜擢されました。ガストン軍はボローニュ市の後、さらに東進して、教皇軍の最後の砦となっていたアドリア海に面するラヴェンナ(Ravenna)で勝利をおさめたものの、ガストンが不慮の死を遂げてしまいました。

 

 ガストンの悲報に心を痛めながらも、ヒカル大将は中宮をとても恋しく思い続けます。「自分に対するつれない気持ちを時々でもよいから思い知って、私を顧みて欲しい」と念じながら、じっと自邸に引き籠っていました。それでも、籠もり続けるのは人聞きが悪いようでもあるし、退屈にも感じますので、秋の野の見物がてら、マルヌ川を見下ろすジュアール(Jouarre)の僧院に詣でることにしました。

 亡き母の兄の高僧が籠もっている宿坊に厄介になって、聖書を読みながら修行をしようと考えながら、二、三日逗留しているうちに興趣を催すことが多く出て来ました。丘から見下ろすマルヌ川のポプラ並木が黄色く色づき渡り、秋の野の非常に艶めいた風景を眺めているうちに、ロワールの我が家のことを忘れてしまうほどになりましたので、逗留を引き伸ばすことにしました。

 

 聖職者の中でも学識の豊かな者を選んで、議論をさせます。その中に近くのモー(Meaux)在住のユマニスト(人間主義者。ヒューマニスト)も混じっていて、ロッテルダムの尊師の新著「痴愚神礼賛」の紹介を含め、スコラ神学に固執して来た宗教界にも新しい風が噴出していることを学び、ギリシャ語やヘブライ語にも関心を持つようにもなりました。

 

 ジュアールはメロヴィング王朝以来の聖地であるだけに、一塩、世の中の無常を思い沁みますが、いまなお藤壺を「恨めしい人」と思い起こしている明け方の月光の下、僧侶たちが聖水を供えようと、花皿をからからと鳴らしながら、菊の花や濃い色合いや薄めの紅葉蔦を散らしています。ささいなことですが、僧職にはこうした仕事もあるから、この世にいても退屈することがなく、後の世にも希望が持てるのだろう、と感心します。「これに較べると、自分は味気ない身を持て余しているだけなのだろうか」と自問自答してしまいます。

 叔父がとても尊い声で密唱しながら勤業を務めているのがとても羨ましくなって、「どうして自分も出家をしないのだろうか」と思いはするものの、真っ先に紫君のことが心に浮んで思い出してしまうのは、求道心がさほどにはない、ということでしょう。

 

 紫君と長い間、逢わずにいることをふっと思い出して、手紙だけは頻繁に送るようにしました。「果たして現世を離れることができるかどうかを試みてみようと、ジュアールにやって来たのですが、無聊を慰めることができず、心細さが募っています。聖職者たちから教えてもらうことがまだありますので、もうしばらく滞在しますが、どうお過ごしでしょうか」などと、厚手の白い高級紙にさりげなく書いた筆跡が見事です。

(歌)茅原を濡らす露のような はかない家にあなたを置き去りにしてきましたが 四方の風を聞きながら 

   気掛かりでなりません

などと、細やかな情がこもった手紙に、女君は思わず涙を流しました。返信を白い色紙に書きました。

(返歌)風が吹くと 真っ先に乱れて色変わりをしてしまう 移り気の茅原の露に糸をかけて 

    それを頼りに生きている蜘蛛のような私です

「字がますます上手になっていく」と独り言を言いながら、手紙を見ては「可愛い」と微笑んでいます。二人は始終、手紙のやり取りをしていますので、段々、紫君の字はヒカルの字によく似てきていますが、ヒカルの字にもう少しなよやかで女性らしさが加わっています。「何事につけても、ふつつかな所がないように育て上げてみたい」との思いを強めます。

 

 吹きかう風を聞いているうちに、斎院の朝顔を思い出して、便りを送りました。侍女の中将リリアン宛に「こうして旅路の空を見つめながら、思い焦がれていますが、どなたになのかをお察しになってもくれないでしょうね」と恨んだ調子で書きます。

 当の朝顔には

(歌)今は聖布の襷(たすき)をつけられた御方に 申し上げるのは畏れ多いことですが 

   あの頃の秋をなつかしく思い出します

「昔のことを今に、と思っても仕方はありませんが、取り戻すことができるように」とイタリア産の浅緑の紙に親しげに書いて、神聖らしさを装うように十字模様の布をつけたモミの枝を添えて送りました。

 リリアンからの返信は「気が紛れることもなく退屈で、過ぎ去った日々のことを思い出していますと、ヒカル様を思い浮かべることも多くありますが、今となっては何の甲斐もないことです」と少しは気配りをしつつ、あれこれと書いてあります。

 朝顔からの返信はの片端に

(返歌)あの頃 貴方と私とで 何があったと言うのでしょうか 心をかけて昔を偲ばれるということですが 

    今はもう 聖域にいる身です

とそっけなく書かれていました。字に繊細さはありませんが、優美で崩し文字などは前よりも上手になっています。「文字と同様に朝顔自身もさぞかし成熟して美しくなっていることだろう」と思いやると情念が湧いてきて、神罰が下るのが恐いほどです。

 

 ジュアールは斎宮母子が滞在するランスに近いこともあって、メイヤン夫人の顔も思い浮かびました。「リモージュでの悲しい別れは去年の今頃だったな」と思い出して、「メイヤン夫人と言い、斎院と言い、聖域に入ってしまったのは奇妙なめぐり合わせだ」と神を恨めしく感じてしまう癖は見苦しいことです。それほど朝顔を恋しく思うのなら、しかるべき年頃に漫然とやり過ごしてしまったことを今になって悔しく思ってしまうのが不思議な気持ちです。朝顔もヒカルのこうした一通りではない心映えをよく知っていますので、返信などはたまさかには欠かさないようにしています。聖域に仕える者としては少し謹慎さが足りないと言えますが。

 

 ヒカルはラテン語で書かれている、評判の「痴愚神礼賛」を一気に読み上げて、不明な箇所は有識者に解説をさせたりしているのを、「聖職者たちの善行により、有り難い光りが現れた。ジュアールの名誉になる」と下級の僧まで喜び合っています。 

 心を静めて世の中のことを思い続けていると、煩わしくなっているロワールに戻るのが億劫になったりしますが、ただ一人、愛妻の紫君のことが気にかかって長くは逗留も出来かねます。帰る前に僧院での誦経を盛んに行わせます。ジュアールにいる上下の聖職者や近辺の住民にまで物を施し、尊い事のありたけを尽くして出発しました。「お見送りを」と言って、あちらこちらから賎しい清掃人やシワの寄った老人たちも集まって来て、涙を落としながら見物しています。

 まだ故桐壺院の服喪中でしたから、藤色の服を着て黒い馬車に乗ったヒカルはやつれた顔をしています。特にどうということはありませんが、ほのかに見える姿は世に類ないように思えます。

 

 十六歳になった紫君はしばらくの間に、一段と綺麗になった心地がします。とても落ち着いていますが、「この先、ヒカル様とのご縁がどうなるのだろうか」と案じている気配が心苦しく、可哀想になります。歳はまだ若いものの、ヒカルが道ならぬ恋にあれこれと苦労しているのを察しているのでしょう。ジュアールに送ってきた歌に「色変わりをしてしまう」とあったのを可愛らしく思い出して、いつもよりねんごろに語りかけます。

 

 ジュアールから折って帰って来た紅葉蔦を前庭の脇の壁を這うものと較べて見ますと、色合いの濃さが違います。色濃く染めたジュアールの露の情が見過ごし難く、ご無沙汰を続けているのも体裁が悪いように感じましたので、ただの何でもない贈り物として、ブロワ王宮にいる藤壺にジュアールの紅葉蔦を贈ります。

 ブランシュ宛てに「ブロワ王宮に上がっておられるのが珍しい事と感じました。中宮と王太子のお二人にはご無沙汰しています。それが気掛かりに思っておりましたが、ジュアールで修行をしようと思い立ち、日取りも決めていましたので、心ならずもお便りが今になってしまいました。紅葉蔦を一人で見るのは錦を暗い場所に置いておく気がしますので、よい折りにでもご覧ください」などと書いてありました。

 確かに見事な枝でしたので、中宮の眼にも留まりましたが、例のように小さく結んだ文が付いていました。侍女たちもそれに気付きますので、藤壺の顔は蔦の色が映ったかのように赤くなってしまいます。

「いまだにこうしたやましい心を捨て切っていないのが疎ましい。あれだけ思いやりが深い御方であるものの、どうかすると、こうしたことを時々されてしまう。誰だって怪しいと見るだろうに」と不愉快に思って、花瓶に挿させて室外の小屋根の柱の下に押しやらせます。

 

 通常の事や王太子に関することなどに頼りにしている様子を、丁寧に感情を抑えたように書き綴った返信が藤壺から来ましたので、「どこまでも賢明さを保っておられる」とヒカルは恨めしく思います。何事でも後見をするならわしになっていますので、何もせずにいると「怪しい」と人に見咎められてしまうだろう」と考えて、藤壺が王宮を退出する日にブロワ王宮に上がりました。

 

 久しぶりに参上したブロワ王宮は緊迫感に包まれていました。ヌムール公ガストン総司令官のラヴェンナでの戦死の後、名将を失ったフランス軍は神聖同盟軍にスイス軍が本格的に加担するようになったことも重なって、北部イタリアでの戦いに負け続け、虎の子のミラノ公国も放棄せざるをえない苦境におちいっていました。傭兵を増やす意図もあって、スコットランド王国と友好条約を結ぶなど、それなりの対策を打ち、表面的には強がりを見せていますが、焦りの色を隠す通すことはできません。

 まず朱雀王に挨拶に伺いますと、政局の動向からつんぼさじきにされているせいか、暇をもてあましていたようで、ヒカルと昔や今の話を色々とします。容貌は桐壺院にとてもよく似ていて、もう少し優美さが加わっていて、人懐っこく柔和な人柄でした。お互いに、それぞれの寂しさを慰めあう感じになりました。

 

 朱雀王はヒカルが女官長と今でも仲が切れていないことを聞いていて、それらしい様子を見せる折りもありましたが、「二人の中は今に始まったことではないし、仕方がない。以前からあったことなのだから、お互いに心を通わせ合うのも不似合いのことでもないし、やむをえない」と考えて、あえて咎めることもしません。四方山話からユマニストの動向の疑問点などを尋ねたり、さらには艶っぽい恋歌なども交し合ったりしているついでに、朱雀王は「あの斎宮がランスに下って行く日の容貌が美麗であった」と話します。ヒカルも気を許して、リモージュのサン・レオナール・ドュ・ノブラでの曙の身に沁みた様子まで残らす話します。十一月下旬の月がようやく射し出して来て、夜の風情が面白くなって来ましたので、「こういう時には管弦の遊びなどをしたいものだね」と王が続けました。

 

「中宮が今宵、退出されますので、そのお世話に参ろうと思います。故院の遺言もあり、また私の他には後見役をする者はいないようです。王太子の腹違いの兄でもありますから、愛おしく思っております」と王に申し上げます。

 王宮の一部ではヒカルが朱雀王を廃して、冷泉王太子を王に立てる野心を抱いている、という噂が流れていました。朱雀王はその噂を聞いてはいませんでしたが、冷泉王太子に替えて、故院の別の王子を王太子に据えようとしている動きをそれとなく感づいていました。

「故院は王太子を自分の養子と考えて愛しんでくれ、との遺言を残されたので、とりわけてどの兄弟よりも大事に思っているが、特別に区別して扱うのもどうかな、とも思っている。歳のわりには、もう字なども賢そうに書いている。自分は何事においてもぱっとしないから、王太子の時代になったら面目をほどこしてもらおうと頼りにしている」と語ります。

「総じて何をさせても、非常に聡く、大人びている様にしていますが、まだまだ年端がいかない年代ですから」などとヒカルは普段の王太子の有様を報告します。

 

 王室を退出した時、右大臣の長男、官位五位の大納言モーリスの息子、官位五位のフレデリックとすれ違いました。右大臣一族の隆盛を背に得意満面の若者で屈託がありません。朱雀王の貴婦人となっている妹の貴婦人レジーヌの間に行こうとして、ヒカルの前を歩いていましたが、ふっと立ち止まって「白紅が太陽を貫き、刺客が怖気づいた」と、嫌味たらしくゆっくりと誦(そらん)じます。

 さすがにヒカル大将は「不愉快」に聞きますが、咎めることもできません。王太后の機嫌が恐ろしいほど悪く、ヒカルについても煩わしい存在のように話している、と聞いていますので、王太后に親しい人々も虚勢を張って、穏やかでない事なども言ったりしています。ヒカルは面倒くさく思いますが、努めて平静を装っています。

 

 藤壺がいる室に入って、「今まで朱雀王と面談をしておりまして、夜も更けてしまいました」と説明します。月が花やかに射して「昔はこうした折りは管弦の遊びを催して、自分を大事にもてなしてくれた」などと思い出しながら、同じ王宮とは言いながら、変わってしまったことが多くて悲しくなります。藤壺も同じ思いなのか、ブランシュを通して歌を伝えます。

(歌)王宮にできてしまった 幾つもの霧に隔てられて 見えなくなってしまった 雲の上の桐壺王の時代の月を 

   はるかに懐かしんでいます

 藤壺は程近い内カーテンの中にいて、ほのかにですが気配を感じますので、懐かしさで辛さも忘れて、まず涙が落ちてきます。

(返歌)月光は昔の秋と変わりはありませんが 貴女との間を隔てる霧が 辛くて仕方ありません

「『山桜を見に行く道を 霞が隔ててしまうのは 霞も人の心だから』という昔の歌にもありますが」とヒカルが返答します。

 中宮は王太子との別れが名残惜しく、あれこれと教え諭すのですが、当の王太子はさほど深くは心に留めていないのをとても不安に感じます。それでも、いつもは早く就寝する王太子も「今夜は母宮が退出するまでは起きていよう」と考えています。見送りの際には残念に感じているようですが、さすがに引き止めようとまでしないので、母親として「とてもいじらしい」と見やります。

 

 ヒカルは王宮でフレデリックがそらんじた句を思い起こすと、何となく気が咎めて、世の中が煩わしく思うので、朧月夜にもしばらく、手紙を書かないでいました。

 いつの間にか冬の訪れを知らせる初時雨が降り出した頃、どう思ったのか、朧月夜の方から便りがありました、

(歌)木枯らしが吹くたびに 訪れをお待ちしているうちに 月日が立っていき 堪えられなくなっています

 時節柄、物が身に染む折りでしたから、どんなに人目を避けてこっそりと書いたであろう気持ちが憎くはないので、便りを持って来た使いを待たせて、イタリア産の紙などを入れてある置き棚を開けて、並々ならない紙を抜き出し、筆も念入りに選んで書き出した様子が婀娜っぽく見えますので、側に仕える人々は「一体、どなたに宛ててのだろう」とつつき合っています。

「便りを送っても返信がないので、送る甲斐もないとすっかり滅入っていました。我が身が物憂く覚える時節となりました。

(歌)逢うことができずに 忍び泣きで流す涙も ありふれた晩秋の 時雨にすぎないとお思いでしょうか

お互いの心が通っているなら、眺める空がどんなに侘しくても、お互いを忘れることができましょうか」などと細やかに書かれています。

 朧月夜からの手紙のように、情熱がこもった類の手紙を多く受け取るのですが、ヒカルは無愛想にならない程度の返信に留めて、心に深く留めることはありません。

 

 

5.藤壺中宮の聖書八書講と出家、右大臣一統の権勢

 

 藤壺中宮は故桐壺院の一周忌の営みとそれに引き続く聖書八書講会の準備を色々と気遣いをしながら進めます。十二月九日過ぎの国主催の一周忌の日は雪がひどく降りましたが、ヒカル大将から中宮に便りがありました。 

(歌)故院とお別れをした日が 廻って来ましたが あの世で故人と行き逢えるのは いつの頃かと

   思いを馳せております

 その日は誰もが物悲しく感じる時でしたので、藤壺から返信がありました。

(返歌)故院とお別れした後 生きながらえているこの身は辛いことですが 国忌の日の今日は

    故院の在世中の時代に 出逢った気がします

 格別、取り繕ってもいない文体でしたが、上品で気高いものに見えるのもヒカルの思い入れからでしょう。特徴がある当世風の手筋ではありませんが、人よりは秀でた書き方でした。今日だけは藤壺への思いも忘れて、哀れげな雪の雫に濡れながら、故院追善の勤業をします。

 

 年明けの一月十六日過ぎに、歴代の王様が眠るパリ近郊のサンドニ僧院から僧院長を招いて中宮主催の聖書八書講会が非常に厳かに行われました。五日間、日毎に供養される聖典の巻物は、軸が宝玉、表紙は羅(うすもの)の羊皮紙で、巻物を巻くも世に類ないように飾りつけがされていましたが、日常の些細な事でもきちんとする御方でしたから、それも当り前のことです。キリスト像の飾りつけ、花模様の脚を持った供え机の覆いなどまで、本当の天国を彷彿できるようでした。

 

 第一日目は藤壺の父宮のため、二日目は母のため、三日目は桐壺院の供養を行います。その日は「五書目の講義の日」でしたから、高官たちも王宮内の警戒する眼を憚らずに大勢が出席しました。その日の講師には特に優れた僧侶が選ばれました。「ヨハネの黙示録」詩句から始まりましたが、同じ唱文でもとても尊く感じます。

 王族の親王たちも様々の捧物を捧げながら参列しますが、ヒカル大将が用意した捧物は他に似たものがないほどです。筆者はいつも同じようにヒカルを誉めそやしすぎている、との批判もあるでしょうが、その姿を見る度に素晴らしさを感じさせるのですから、仕方ありません。

 

 最終の日は中宮自身の修行の結びとして、修道女になる意向を宣言しましたので、誰もが驚きました。実兄の兵部卿宮もヒカルも動揺して茫然としています。兵部卿は儀式の半ばに立ち上がって内幕の中に入りました。

 

 藤壺は修道女になる覚悟を兄に告げ、会が終るとサンドニ僧院の僧院長を呼んで、修道女になる修道請願の儀式を申し入れました。藤壺の叔父であるルーアンの司祭長が内幕の中に入って、藤壺の髪を短く切る際には室内はどよめいて、はなはだしい泣き声で満ちました。大したこともない老人ですら、いよいよ世を捨てて出家するとなると、妙に感慨深いものですが、ましてこれまでは出家の気配をおくびにも見せていませんでしたから、兵部卿宮もしきりに涙を流します。儀式に参列していた人々も、中宮が今置かれている情況とその結末に悲しく感じ入って、皆、袖を濡らしながら帰途につきました。故院の息子たちも、院の中宮への寵愛ぶりを思い出すと、とても哀れに悲しく思って、皆、お見舞いの言葉をかけます。

 

 息子たちの中でヒカル大将だけは室内に残りましたが、何と話しかけたらよいのか、途方にくれています。騒ぎ立ててしまうと「どうして、そんなにまで」と周囲の者が怪しく思うだろう、と自重して、兵部卿などが退出した後に、内幕の前に行きました。室内はようやく静かになって、侍女たちは鼻をかみながら、所々に寄り集まっています。

 

 月が明るく射し、雪が月光を照り返す庭の様子を眺めていると、藤壺と夜を過した昔のことが目に浮かんで来て、とても堪え難くなります。それをじっと押さえて「どのように思い立たれて、こんな風に突然、出家をされたのでしょうか」と尋ねます。

「今、初めて修道女になろうと思い立ったわけではありません。院の崩御の後、すぐに出家をしますと大騒動になりましょうし、私自身の決意も揺らいでしまうのではないか、と考えまして」などとブランシュを仲介にして返答をします。内幕の中の気配や、内幕の内外に集まり仕えている侍女たちの衣擦れの音に混じって聞えてくる、藤壺のしめやかな振る舞いから、身じろぎながら慰め難い悲しみが漏れて聞えてきますので、「確かにもっともだ」とヒカルも納得します。

 

 吹雪を風が激しくかき乱し、藤壺がいる内幕の中の匂いは非常にしっとりと調合された薫物が沁み込んでいて、名香の煙がほのかに混じっています。これにヒカル大将の衣服の香りが混じりあって、あの世の様子が思いやられる夜の風情でした。

 

 冷泉王太子の使者もやって来ました。王宮での別れの際に王太子が語った様子を思い出しますと、藤壺は心強くいようとしながらも堪え難くなって、返礼を述べることもできないほどになってしまいましたので、ヒカルが言葉を添えます。回りにいる誰も誰もの心が静まらない折りですから、ヒカルは胸中にある思いを発することができずにいます。

 

(歌)月のように 心を澄ませた出家の境地を お慕いしますが この世の煩悩に なおも惑わっておられるのでしょう

と「私には思えますが、甲斐ないことです。それでも出家を思い立ちになったことは、限りなく羨ましいことです」とだけ言います。侍女たちが近くに控えていますので、あれこれと思い乱れる心中を素直に言い表わすことができないのがじれったい。

(返歌世間の煩わしさを憂えて 俗世界から離れましたが 息子のことを思うと いつになったら 

    この世から離れることができましょう

「煩悩を断ち切れず、心も濁ってしまいましょう」などの返答は王太子の使者にあてた気持でもあったことでしょう。

 

 悲しみが尽きることがなく胸が苦しくなりましたので、ヒカルは藤壺邸を去りました。シュノンソーに戻ると、自室に独りうち臥せって、目を閉じることもなく、世の中が厭わしく思って、いっそのこと自分も出家しようと考えもしますが、王太子のことが気掛かりになってしまいます。

「故院は『母宮をせめて表向きには王太子の後見に』と思い定めていたが、世の中の辛らつさに堪えられずに出家をされてしまったのだから、もはや中宮の位に留まることはできないだろう。自分までが王太子を見捨てて出家してしまったなら」と際限もなく考え明かします。

 

「今は修道女としての調度品が必要であろう」と思い起こして「すぐにでも」と急ぎます。お供をしてブランシュも修道女になりましたので、ねんごろに必要な物を贈りました。詳しく紹介すると仰々しくなりますので、書き漏らしたこともあるでしょう。本来ですと、こうした折りの興趣深い歌なども詠まれたことでしょうが、惜しいことに見当たりません。

 藤壺が修道女になってからは、ヒカルの藤壺邸への訪れに気兼ねは薄らいで、藤壺自らヒカルに話す時もあるようになりました。心に固く思い詰め込んでいる藤壺への執心は離れることはありませんが、出家した今となっては、あってはならない事です。

 

 北部イタリアでの戦局ははかばかしくなく、ついにフランス軍は全面撤退を余儀なくされました。十三年間、フランスの支配下にあったミラノ公国も陥落し、元来のミラノ公家が復帰しました。右大臣たちはイタリアへの再進出の準備を始め、巻き返しの景気づけをしようとブロワ王宮では内々の宴会や男女が入り乱れての舞踏会を花やかに催しています。

 そんな噂を耳にしながらも、藤壺は物寂しさを感じつつ、勤行をしめやかに行いながら後世のことだけを願っていると、末頼もしい力が湧いてきて、世の中の難しい事どもが遠のいていく思いがします。すでにある祈祷室は言うまでもなく、西館から少し離れた南側に特別に建てた礼拝堂に渡って格別な勤業をします。

 

 するとヒカル大将が陰暦新年の挨拶にやってきました。新年とは言うものの、藤壺邸への来訪者はめっきり減って、邸内は人目もまれで閑散としています。中宮付きの役人たちも顔見知りの者だけになって、寂しげに事務を執っています。新年恒例の白馬だけが中宮邸にも引かれて来て、侍女たちが見学しています。かっては集って挨拶にやって来た高官たちは、中宮邸を避けながらオルレアンを抜けて、ジアンの太政大臣の城に集まっています。当然と言えば当然のことですが、さすがに藤壺は寂しく感じます。

 

 そうした折りに千人の訪問客にも匹敵するような風格で、志も深くヒカルが訪ねてきましたのを見て、藤壺も侍女たちもわけもなく涙ぐみました。客人のヒカルもひっそりとした空気に包まれた邸内を見渡して、しばらくの間、物も言えません。今はもうすっかり修道女の住まいに様変わりしていて、内カーテンもその縁取りも青鈍色になっていました。隙間、隙間からちらちらと見える侍女たちの薄鈍色や赤黄色のブラウスの袖口が中々、なまめかしく奥床しく見えるほどです。

 

「溶け出している池の薄氷や、岸に生える柳が芽を吹き始める光景だけは時節を忘れずにいますね」などと、ヒカルはあれやこれやを眺めながら、「話に聞く 尼僧の島というのを 初めて眺めました 大層な心をお持ちの 修道女が住んでいると言われると言う古歌を口ずさんでいる姿がまたとなく優美でした。

(歌)この邸は 尼僧の住処と見てみると 物思いに沈む島のように思えます

とヒカルが詠みますと、さほど奥深くもない部屋の大半をキリストに譲って、端近になった藤壺の座が客座と少し近くなった気がします。

(返歌)往時の名残りすらなくなってしまった この尼僧の島に 立ち寄ってくれる波は 珍しいことです

と返歌をする藤壺の声がほのかに聞えて来ますので、堪えていても涙が静かにこぼれ出てしまいます。

 

 今は世を捨てた修道女たちに涙を見られてしまうのが恥かしくなって、言葉少なで退出しました。

「お歳を召すほどにますますご立派になっていきます」、「何の不自由なこともなくて、世を謳歌しておられた頃は天下第一の御方でしたから、何事につけても世の中の機微を思い知っておられるのか、といぶかっていましたが、今はすっかり落ち着きが出て来られて、ちょっとした事にでも物哀れな様子が添うようになりました。でも何だかお気の毒のようにも思えます」と年老いた侍女たちは声をあげて泣きながら褒めそやします。中宮も思い出す事が多くありました。

 

 春期の官吏の昇任に際しては、中宮付きの役人には賜れるはずの官職が得られず、通常の慣例なら中宮から賜れるはずの加階すらもありませんでしたので、不運を嘆く者が多くいました。これまでは、このように出家をしてすぐに中宮の位を去ったとしても、俸禄などが止んでしまったことはないのですが、王宮では藤壺が修道女になったことにかこつけて、しきたりを変えてしまったことが多くありました。そうしたことも予測して浮世を捨てた身ですが、自分に仕えている役人たちが頼みとする拠り所がなくなって、悲嘆している様子を見ると、胸が締めつけられる折々があります。

 

「自分の身はないものになったとしまっても、王太子が滞りなく無事に王位についてくれるなら」とだけを願いながら、勤業に専念しています。

 人知れず、ヒカルと犯した罪に対する恐れと不安を思い続けていますので、「自分の信心に免じて、罪を軽くするように、神よ、お許しください」と祈願して自らを慰めています。密事の相手であるヒカル大将もその心情を理解して、「もっともなことだ」と感じています。シュノンソーに勤める役人たちも、藤壺邸と同じように王宮から辛い扱いを受けていますので、ヒカルは不面目な思いで自室に引き籠っています。

 

 左大臣も公人としても私人としても、打って変ってしまった世の中の情勢を悲観して、辞任を申し入れましたが、朱雀王は故院が左大臣を「イタリアへの進出など、国際戦略でとりわけて重要な後見役である」と見なして、「末長く国家の柱石」とするように言い残した遺言を思い起こして、「疎かにはできない人物」と考え、「申し入れは無効である」と度々の嘆願を拒みましたが、左大臣は押し返してアンジェ城に籠もってしまいました。 

 

 今では太政大臣に登り詰めた右大臣の一族だけが、この上もないほど栄華を極めていました。国家の重鎮を担ってきた左大臣がこうして引き籠ってしまって、太政大臣と紫陽花王太后の意のままにされている王さまは心細い思いをします。世間の人たちの中で良識のある者も左大臣の引退を歎いています。左大臣の息子たちは、いずれも人柄が良く、官吏・軍人として順調に出世して、得意気に暮らしていましたが、この頃はすっかりおとなしくしています。

 

 左大臣の長男である三位中将アントワンは世の中の現実に気を滅入らせていました。アントワンは正妻である、太政大臣の四番目の姫君の所へは途絶えがちに通いはしていましたが、心外な扱いをしていましたから、先方では気を許した婿の数には入れていませんでした。これまでの不義理を「思い知れ」ということなのか、今回の春の官位昇進にも漏れてしまいましたが、当人は格別気にはしていません。

「ヒカル大将ですら、ああやって引き籠ってひっそりとしている。世の中はどうせはかないものであるし、自分にとっても当然なこと」と達観しています。もっぱらヒカル邸に通って、学問も遊びもヒカルと一緒にしています。かっては気違いじみたほど二人で張り合ったことを思い出して、今でも些細なことにでも互いに競い合っています。

 

 ヒカルは春と秋の聖書読書会は申すまでもなく、臨時でも宗教に関する会を色々と開きます。新しい動きであるネオプラトニズムや福音主義、ラテン語・ギリシャ語・ヘブライ語の聖書原典の比較などに関する学習会もありました。また太政大臣一派とそりが合わず、暇を持て余していそうな文人や博士たちを招いて、作文会や押韻の詩作りなどの慰み事で憂さ晴らしをしてブロワ王宮へはほとんど出仕せずに、心のおもむくままに悠々と過していました。こうしたヒカルの生活は「既成の体制を打ち壊そうとする、不穏な動きだ」と面倒なことを言い出す者も、おいおい出現してくることでしょう。

 

 早春の雨が静かに降って所在なげにしていると、アントワン中将が適当な詩集などを多く携えてシュノンソーにやって来ました。ヒカルも書庫を開かせて、まだ開けたことがない置き棚の中から珍しい古い詩集の由緒ありげなものを少し選び出します。

 目立たないように、その道に通じた人々を大勢呼び集めました。宮廷人も大学の人々もとても多く集まり、一人置きに左方と右方に分けました。類ないほど立派な物を賭けの賞品にして、左右を競わせます。名高い古詩の韻字を隠して左方と右方が言い当てて行きますが、難しい韻の文字が多く、高名な博士たちなどでも戸惑ってしまう箇所をヒカルが時々、言い当てたりして学殖ぶりを示します。

「どうして、こうも何もかも優秀なのだろう」、「やはりそうなる運命で、万事が人より勝れるように生まれたのだろう」と人々が称賛します。

 

 ついに右方の負けとなりました。二日ばかりして、右方だったアントワン中将が負け方の饗応をしました。派手派手しくはせずに、雅趣がある籐かごに入れた料理や勝ち方に渡す賞品も様々ありました。ヒカルは今日も常連の人々を多数呼び集めて、詩作をさせます。

 階下のバラがほんのわずかに花を咲かせ始めていて、春や秋の花盛りにはない、しめやかな趣がある中で和やかな詩作会が続きました。

 

 アントワンが連れて来た息子で、今年初めて王宮に上がって侍童となる、八か九歳くらいの童子で、美声の持ち主で、バグパイプなどを吹いたりしますのをヒカルは可愛がって相手をします。この童子は太政大臣の四の姫君が産んだ次男でした。後盾が立派でしたから、世の人も重く扱っていました。性格も才気があって容貌も美しく、酒が入って宴席が少し乱れて行く頃に「初恋の花」を声高に歌うのがとても愛らしく、ヒカル大将は上衣を脱いで褒美に与えます。ほろ酔いで、いつもよりうち乱れたヒカルの顔の色艶はたとえようもないほど美しく見えます。薄手の上着と中着の下に透いて見える肌付きが非常に美しく見えるのを、年老いた博士たちなどは遠くから見やりながら、感嘆の涙を流しています。

 

 童子が「逢いたい物よ 小百合の花」と流行歌「高砂」の一節「初恋の花」を歌い終えるとアントワンがヒカルに杯を勧めます。

(歌)それを見たいと思っていた 小百合の初花に 劣らない君の美しさを見ています

 ヒカルは微笑みながら、アントワンの杯を受け取ります。

(返歌)時節に合わず 今朝咲いた小百合の花は 春雨にうたれて 美しく咲く間もなく 萎れてしまいました

「私ももう萎れてしまいましたよ」と冗談をたたきながら、ヒカルは酔ったふりをしてすぐに飲もうとしないのをアントワンが咎めて、無理に飲ませます。

 

 宴席になっても多くの詩歌が詠まれましたが、酒が入ったこうした折りの真面目でない戯れ事をぐだぐだと書き連ねるのは「良心に欠ける仕業」とかマロ(Marot)派の詩人が誡めていますので、書かずにおきます。皆はヒカルを賛美する詩をフランス語やラテン語で作り続けました。ヒカル自身も気分がよく、ひどく得意気に「私はクロヴィス(Clovis)の息子、クロタール(Chlothar)の兄」と口ずさみました。自分をメロヴィング王朝の系譜になぞっているようです。「キルペリク(Chilperic)の叔父」と続けたいのでしょうが、記憶が心もとないようです。

 腹違いの弟、帥の宮も頻繁に訪れて来ます。音楽などにも嗜みが深い親王でしたから、優雅な付き合いをする間柄でした。

 

 

6.ヒカル、朧月夜に忍び、雷鳴の暁露見

 

 その頃、女官長の朧月夜が実家のジアン城に下がってきました。長い間、 熱病に悩まされていて、「王宮ではできない気楽な呪い療法をされたら良いのでは」という理由からでした。祈祷などを試して回復しましたので、誰も誰もが喜んでいます。

 例のように「めったにない好機だ」とヒカルと朧月夜は互いに示し合せて、無理な首尾をして夜な夜な密会を重ねます。朧月夜は二十歳に近い年頃になって、今が盛りの花やいだ容貌をしていましたが、病いのせいで少し痩せたのがかえって魅力を増しています。

 

 たまたま紫陽花王太后もジアン城に滞在中でした。太政大臣の正妻である叔母の見舞いを名目にしていますが、皇太后が保有するブルターニュ公国の継承権をいつ頃、朱雀王に譲るかの相談が主な目的でした。二人はフランス王国とブルターニュ公国の合併で合意していましたが、公国内では合併化に反対する者も根強くおりましたから、慎重に進めねばならない懸案でした。

 

 ジアン城内はぴりぴりした雰囲気で、気が許せない状況ですが、そんなことがあると、なおさら意固地になってしまう癖がありましたから、ヒカルは忍び通いを度重ねます。その気配を察知する人々もいましたが、表沙汰にすると面倒なことになるので、王太后に告げ口をする者は誰もいません。

 無論のこと、太政大臣も思いも寄らないことでした。雨が急に大降りになって、雷が激しく鳴り騒ぐ夜明け、邸内の公子女たちや王太后付きの役人などが大騒ぎをして、あちらかちらへうろつき回り、侍女たちも怖気惑って朧月夜の寝室の近くに寄り集まって来ましたので、ヒカルはのこのこと閨から出て行くわけにもいかずに夜が明けていきます。朧月夜を心配して、閨の周りにも侍女たちが大勢並んで来ましたので、どうしたらよいか当惑してしまいます。事情を知っている二人ほどの侍女だけがどうしたらよいか困りきっています。

 

 雷が鳴り止んで、雨も少し小降りになった頃、太政大臣が本館を出て、王太后や朧月夜がいる別館に様子を見にやって来ました。

 まず王太后の室を訪ねましたが、朧月夜もヒカルも急な強め目の雨音に紛れて気がつきません。するとふいに大臣は朧月夜の室に入って来て、朧月夜がいる閨のカーテンを引き上げました。

「どうでした。雷が鳴ってとても恐い夜でしたから心配していましたが、様子を見にすぐには参ることが出来なかった。中将ミレイユや宮の介パトリシアなどがちゃんとお側に仕えておりましたか」とせっかちに早口で話します。こんな際どい状況に遭遇してしまっても、ヒカル大将は太政大臣と左大臣の双方の性格をふと思い較べて、言いようもなくおかしくなってしまいます。どうせなら閨の中に入ってから話した方が良かったでしょうに。

 

 女官長の君はひどく困惑しながら閨からいざり出て来ましたが、上気して顔が非常に赤くなっているのを見て、「まだ全快していないようですね」と心配します。「まだ血色がいつもと違いますね。物怪などというものはしつこいですからね。祈祷をもう少しさせるべきだったね」と言っていますと、男物の渋い青紫色の帯が朧月夜の夜着に絡まって出ているのに気付きました。「どういうことだ」と怪訝な面持ちでカーテンを見てみると、その下に手習いをした懐紙が落ちていました。

「これは一体、何事です」と心底驚いて、「誰が書いたものですか。私によこしなさい。どなたが書いたのか確認しますから」と言い張りますので、女君は振り返って懐紙に気付きました。もはや誤魔化すこともできませんので、なんと答えたら良いのかも分かりません。

 

 放心状態になってしまった娘を見て、これ程身分が高い人なら「我が子ではあるが、さぞ恥かしく思っているだろう」と気遣うのが当然ですが、日頃からせっかちで、落ち着きに欠ける大臣ですから、そんな思いやりもしません。懐紙を拾い上げながら、閨の中を覗いてみると、しなやかな恰好で臆面もなくベットに添い臥している男がいました。今頃になって、ようやく顔を夜着の中に隠して紛らわせようとしています。

 呆れ返った太政大臣は腹が立って無礼だと思いますが、さすがに面と向って暴き立て、大事にすることはできません。目が眩んでしまう心地のまま、懐紙を持ったまま本館に戻りました。

 女官長の君は気を失って死んでしまいそうな気がします。ヒカル大将も朧月夜が愛おしいものの、「とうとう、節操がない振る舞いが積り積もって、世間から非難を受けることになってしまった」と観念しつつ、心苦しくなっている様子の女君を何とか慰めます。

 

 大臣は思っていることを我慢して胸に収めておくことができない性分の上に、老いの僻みもありましたから、ためらっていることはとてもできません。別館に戻って遠慮もせずに、娘と情人との密会を見てしまった悲しみを王太后に訴えてしまいました。

「しかじか、こうこうの事がございました。この懐紙の書き手はヒカル大将でございます。以前にも娘はヒカル大将に心を許してしまって愛人関係になってしまいましたが、大将の人品の良さに敬意を表して不義の罪を許して『婿として迎えよう』とも申しました。ところが大将はその折りには心にも留めずに失敬な態度を取りましたので、心外に思いました。『これも何かの約束事だったのか』と諦めはしましたが、幸いなことに朱雀王が『身を汚してしまった女である』と思い捨てにならないことを頼みにして、当初の思惑通りに王宮に上げました。それでも引け目がありますから、晴れ晴れしい貴婦人にしていただくわけにもいかず、始終口惜しく思っておりました。

 それなのに今度もまた、こんなことをしでかしてしまいまして、何とも情けないことです。男の習性とは申しながら、大将は誠にけしからぬ料簡をお持ちです。聖域に入った斎院にも手を出そうとしていて、こっそりと手紙をやり取りしている事なども世間の人が話しています。こんなことは国家のために良いことではなく、私にとってもよろしからぬ事です。当代の有識者として世の中をなびかしている御方であると特別に考え、『よもやこんな無節操はことをなさるはずはない』と大将の心持ちを疑ってはいませんでしたのに」などと思いのままを王太后にまくし立てました。

 

 王太后はただでさえヒカルを憎んでいましたから、非常に立腹した顔色になって、「今は王さまになりましたが、かっての王太子の頃、息子は皆から軽んじられておりました。辞任を申し出た左大臣も、とても大事にしていた一人娘を王太子に差し上げようとはせずに、こちらの思惑を無視して臣籍に下った腹違いの兄が成人式をあげた際の添臥にあてがってしまいました。

 今回の女官長の君も『王宮に上げて、いずれは王さまの后に』とのつもりでおりましたが、あんなおこがましい事になってしまいましたのに、誰もが皆、『不都合だ』と言い出しもしませんでした。貴方も『婿にしてもよい』とまで妥協されました。それなのに皆の本意とは違う方向に進んでしまって、王宮には衣裳係としてしか上げざるをえなくなりました。何とも不憫なので『どうにか貴婦人たちにひけをとらないようにしてあげよう。そうなれば『憎いヒカル大将を見返すことができるだろう』と思っておりました。ところが当の本人は自分が好む方にまたまたなびいてしまったわけです。

 斎院に関しての事も、なる程、有り得ることです。何事につけても、我が子である朱雀王にとって 穏やかでないことをするように見えます。冷泉王太子の時代になれ、と野心を抱いているほどの人物ですから、当然のことです」と、ずけずけ辛らつな言葉を続けました。

 

 さすがに太政大臣はヒカルが気の毒になって「なぜ、王太后に二人の事を打ち明けてしまったのだろう」と悔んでしまうほどでした。

「仕方ありません、しばらくの間は、この件が外に漏れないようにいたしましょう。王さまにも伝えないで下さい。娘はこんな罪を犯しても『王さまは思い捨てにはならないだろう』と甘えているのでしょう。内々に娘に注意されても、聞き入れないようなら、その責任は私が負いましょう」などと取り直しますが、王太后のご機嫌は直りません。

「このように自分も同じ場所にいて、隙がないはずなのに、不謹慎極まりなく大胆に忍び込んで来るということは、私を軽んじてなぶっているのだ」と考えると、ヒカルへの怒りがさらに激しくなります。

「このついでに、ヒカルを排斥してしまうようにうまく仕込んだら、都合よく行くであろう」と何かしらを企てているようです。

 

 

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