その4総角(あげまき)      カオル 二十二歳

 

1.第八卿一周忌の準備、カオルのジュヌヴィエーヴ思慕

 

 長年耳馴れているセーヌ川の風も、今年の秋は中途半端に物悲しく吹く中、姉妹は昨年九月十二日に他界した父卿の一周忌の準備を急ぎました。大体の用意はカオル中納言やモウブイソン修道院の導師などが手配しました。姉妹は僧たちの法服、聖典の飾りや細々とした用意を、侍女たちの助言に従って行いますが、頼りなげにいじらしい様子なので、「カオルなど他人の世話役がいなかったら、どうしていたことだろう」と見えました。

 カオルも自ら山荘を訪れて、一周忌が過ぎた「今は」と喪服を脱ぎ捨てるにつけて、ねんごろに見舞いました。導師もやって来ました。姉妹は名香を包んだ紙を五色の糸で玉に組み結ぶ総角(あげまき)の作業をしながら、(歌)恋しい人に忘れ去られて 辛いと悩んでいるものの 命は消え失せるものではないので こうやって生き長らえている などと語り合っています。

 

 カオルは糸を組み結ぶ道具が、内カーテンの端の垂れ布がほころんだ箇所から見えたので、総角作りをしていることを察して、(歌)私が流す涙を撚り合わせた糸を 総角の玉に通してください といった歌を口ずさみしました。アレクサンダー大王が急逝した後の愛后ロクサネの悲しみも、こうした風だったのだろう」とカオルは興味を抱きましたが、内カーテンの姉妹は知ったかぶりをして返答するのはきまりが悪く、(歌)糸として撚ったものでもないのに 別れの道は心細く思えるものだ と詠んだかっての高名な詩人も、この世ながらの別れさえ、心細い方向に引きかけて詠んでいるのではないか、なるほど昔の歌は人の心を述べるには便利なものだ、と思っていました。

 キリストや聖人への願文書き、聖典やキリストを供養すべき心映えなどを書きつづる作業のついでに客人が詠みました。

(歌)総角の玉作りでは 貴女と私の長い契りを結びこむように 同じ箇所に通して 

      幾度も出逢えるようにして欲しい

その歌を書いてジュヌヴィエーブに見せると、「またしてもそんなことを」と迷惑そうにしながら、返歌を書きました。

(返歌)長生きも出来ない脆い私の涙の糸玉に 貴方の糸など通すことも出来ないのに 

        どうして長い契りを結ぶことが出来るのでしょう

とあるので、カオルは(歌)糸で紐を編むように あちらこちらに気持ちを 動かしてみても 貴女に逢えないとなるなら 私は何を命として 生きていくのでしょうか といった歌を思い浮かべながら、恨めしそうに姉の返歌を読みました。

 

ジュヌヴィエーブが自分の恋心を何となくはぐらかして、恥ずかしそうにしているので、カオルはきっぱりと言い寄ることができないまま、話を切り替えて真面目にニオイ卿のマドレーヌへの恋心を話しました。

「ニオイ卿は恋愛ごとについては、さして深く思っていなくとも一途に突き進んでしまう性格なので、言い出した以上は負けん気を出しているだけではないのかと、あれこれ様子を窺っていますが、今度ばかりは真剣になっているようです。それなのに無闇に疎まれているだけなのでしょうか。世の中の有り様などは理解されておられると存じますが、あまりによそよそしいあしらいをされています。私がこれほどまで隠し立てもせずにお頼みしている気持ちを無にされているのは恨めしいことです。ともかくニオイ卿と妹さんの関係をどう思われているのか、はっきりとお聞きしたいのです」とカオルは生真面目に問いかけました。

 

「貴方様のお気持ちは無にはしない、との思いがあればこそ、こうまで世間からおかしなことと思われている有様でも、分け隔てのない応対をさせていただいております。それをお分かりいただけないと言うのは、貴方に不純で浅はかな気持ちが混ざっている印象を持ちます。確かにこんな貧相な住まいで、寄る辺のない生活をしておりますから、普通の人なら物思いをすることなどありえないことです。私は何事においても稚拙ですが、おっしゃられた話などは、かって父卿が先々を案じて『こうした話があるならとか、そういうことになるのなら』と行く末の筋道を言い残された言葉にはありません。父卿はやはり『私が今の状態のままでいて、世間並みの生活は諦めた方が良い』とお考えになっていたに違いないと思われます。ともかく貴方様との恋愛についてはお答えできません。それでも妹は私より齢も少し若く、先行きもありますので、こうした山蔭住まいをさせておくのは心苦しい限りです。妹の身の上だけは何とか朽木にはさせてしまいたくない、と人知れず世話をしたいと思っておりますが、妹にどういったご縁があることでしょうか」と嘆きながら思い乱れている気配を、カオルはとても愛おしく感じていました。

 

「自分たちのことを手際よく、大人ぶった賢明さで話すことが出来ないのだろう」と感じたカオルは、いつものように老いたベネディクトを呼んで相談しました。

「この邸には、初めの頃は第八卿に後の世について承ろうとの思いで、自ら進んで伺った。第八卿がどことなく心細く感じられるようになった晩年になって、私の思いにそって『姉妹の行く末を世話して欲しい』と話されたので、私は引き受けました。ところが二人は父卿が望んだこととは違って、心映えが厳格で強情なところがある。何か異なった思い込みがあるのでは、と疑ってもいる。あなた自身、聞き及んでいるだろうが、私はひどく奇妙な性分を持っていて、執着心など持ち合わせてはいないと言いながら、こんなにまでジュヌヴィエーブと親しく話すようになり、世間の人も段々と私との仲を噂するようになっている。同じことなら、亡くなった卿の意志に背かずに、私も相手も世間並みの夫婦として打ち解け合いたいと思い寄るのは、分が過ぎた望みであるとしても、ジュヌヴィエーブはそうした事例も抱いていないようだ」と語った後、さらに続けました。

「ニオイ卿のことでも、あれこれ説明しているのに、『不安することではない』と気を許しそうにもないのは、内々で他の心積もりがあるからなのか。一体、どういうことなのだろう」と物思わしそうに話しました。

 

 こんな時、普通によくいる小賢しい侍女などは差し出がましいことで言いまぜっかえしながら、調子を合わせたりするものですが、ベネディクトはそんな類の女性ではなく、心中ではカオルとジュヌヴィエーブ様は願ってもない良縁だと思っていました。

「ジュヌヴィエーブ様は元々、人とは違った宿命のせいなのでしょうか、何としましても世間並みのことを何やかやと思い寄るような性格はお持ちではありません。ご承知のように長年奉公している私どもにとっては、第八卿のご在世中ですら、何かの頼りになりそうな木陰もありませんでした。我が身を犠牲にはしたくないと思っている侍女たちは、それぞれ相応な縁故を頼って退出して行きました。ずっと古くから仕えていた者たちも、大概は見限って去って行きました。まして第八卿が物故された今は、しばらくでも残っていることを愚痴にし合っております。第八卿が在世されていた間こそ、『王族という身分の束縛があり、不釣り合いな縁組は気の毒だ』と昔気質の律儀な性格からためらっておられましたが、今はご覧のように二人とも頼む人もいない身の上になりました。どのようにも成り行きに靡いてしまうのを、とやかく悪く言う人は、かえって物の道理を知らない、言う甲斐もない愚か者でしょう。

 このような有様で、どんな人が生き続けていけるでしょうか。『松の葉を食べて勤行する修行者ですら、生きていく身が捨てがたいからこそ、キリスト様の教えにすら、自分に都合の良い流儀を立てて修行をしていくのだ』などと、良からぬことを忠告する者もいますので、まだお若いジュヌヴィエーブ様も随分と迷われておられることでしょう。それでもご自分の信念を曲げようとはしないで、ただ妹だけは何とか一人前にして上げたいと考えておられるようです。こうやって遠路をはるばると訪ねて来られるご親切は、長年に渡って十分お分かりになっており、カオル様を他人のようには思っておりませんし、今では何やかやと細々とした相談事も打ち明けられるようになっています。そうした中で、『カオル様が妹の方を望んでくれたなら』と考えておられるようです。ニオイ卿からは手紙などを頂戴しておりますが、『どうせ真剣でもない、一時の戯れ事』と思っておられるようです」とベネディクトは長い話を結びました。

 

「第八卿のしみじみとした遺言を承ったからは、この露のような世に生きている限りは、姉妹と昵懇にさせてもらう気持ちを持っているので、どちらかと結婚をするというのは同じことだ。ジュヌヴィエーブがそこまで私の事を心配してくれていることは大変嬉しいことだが、このように浮世を諦めている私にとっては、ある一人に心が惹かれたことを止めるわけにはいかないし、妹の方に思いを変えるというのは出来ないことだ。

 ジュヌヴィエーブへの思いは世間によくあるような浮ついたものではない。ただこんな風に物を隔てて語り合うというのではなく、差し向かいで何やかやととりとめのない世間話を何の隔てもなく語り合って、心残りなく相手をして欲しいのだ。私には兄弟姉妹がおらず、睦まじく話してくれる人がいないのがとても寂しい。世の中で感じている悲しみ、楽しみ、憂いをじっと胸に籠めて過ごしている身なので、さすがに頼りに出来る人がいない思いがしていて、ジュヌヴィエーブと親身に付き合ってみたいわけなのだ。

 頼りにする人として、サン・ブリュー王妃や私の母の山桜上がいるが、王妃は馴れ馴れしく、そういったどこということもない思いのままといったことで、煩わせてしまうわけには行かない。山桜上は母親とは思われない若々しさはあるが、王女という身分もあって、気軽に腹を割って話すことも出来ない。その他の女性となると、皆、ひどく近寄りがたく、恐い感じがするので、自分が心を寄せる人もおらず、心細い限りだ。いい加減な気まぐれで色恋沙汰をするのは、眩しすぎる思いがして手にはつけれない、といった中途半端な無骨者だ。まして心中で慕っている女性にそうした心細い思いを打ち明けることは難しい。こんなに恨めしくもやるせなくも感じているのに、そうした気配すら相手に見せることが出来ない、というのは我ながら限りなく偏屈な男なのだろう。

 ニオイ卿について言うと、いくら何でも一時の戯れ事だと悪いようには思っていないので、私に任せておいて欲しい」とカオルは言い続けました。

 

 老いたベネディクトとしても「こんなに心細そうにしている姉妹にとって、望ましい良縁を是非とも実現させたい」と思っていますが、二人とも気恥ずかしくしている有様なので、自分の思っているままに話すことが出来ずにいました。

 カオルは今夜は邸に泊まることにして、ジュヌヴィエーブとゆっくりと話をしたいと願いながら、何となく時を過ごしています。カオルがまわりくどく恨みがちに話す気配が、段々と堪え難く煩わしくなっているので、ジュヌヴィエーブは気を許して話すのがいよいよ気詰まりになっていました。それでも普通に考えてみると、有難いほど情の厚さを見せる人なので、そう不愛想な扱いも出来ず、渋々面会することにしました。

 

 ジュヌヴィエーブはキリスト像を配置している部屋と客間の間の戸を開けさせて、灯火を明るく照らさせながら、内カーテンと衝立を挟んで対面しました。カオルがいる場所にも灯火を置かせましたが、「少し疲れて気分が悪く、失敬な格好をしているから」と灯火を消させて横になりました。

さりげなくカオルに菓子類を差し出し、カオルのお供たちにも嗜み深い肴とワインをふるまいました。侍女たちは廊下めいた場所に集まって、人気がないように注意している中、二人はしっとりと話をしました。打ち解けて、というほどではありませんが、ジュヌヴィエーブが親しげに愛想よく話す様子に、カオルが並々ならぬ恋心を高めてしまうのは空しいことです。

「間近にある衝立を障害物と見なして、ぼんやりと思い過している自分の心弱さはあまりに愚かなことだ」ともどかしさを感じながら、性格的に思うにまかせずにいます。四方山の世間話や哀れなこと、おかしなことなど、カオルは多くのことを話し続けました。

 

 内カーテンの中にいるジュヌヴィエーブは侍女たちに「近くにいるように」と指示していましたが、「お二人だけにそってしておいた方が」と侍女たちは考えたらしく、特にお側に付き添うことはせずに、皆退いてベッドに入ってしまったので、キリスト像を祀る灯火を掻き立てる者もいません。何となく不安になったジュヌヴィエーブは、こっそり侍女を呼びましたが、起き上がる者もいません。

「どうやら気分が乱れて苦しくなってしまいましたので、少し休ませていただいて、明け方にでも又、お話しをいたしましょう」と奥へ引き込もうとする気配を見せました。

「遠路を分け入ってやって来た者はましてや貴女以上に非常に苦しかったので、こうやって話し相手になってもらうことが慰みになります。私を見捨てて引っ込んでしまうと心細くなってしまう」と踏ん切りをつけたカオルはやおら衝立を押し開けて、内カーテンの中に入りました。気味が悪くなったジュヌヴィエーブは奥に半身踏み込んでいたのに、引き止められてしまったのがひどく悔しく情なくなりました。

「隔てを置かないようにします、と以前話されたのは、こんなことを指すのでしょうか。案外な仕方をされますね」とたしなめる仕草を、カオルはいよいよ魅力的に感じました。

 

「隔てもない心持を一向にお分かりにならないので、それを分かってもらいたい、ということです。『案外な仕方をされる』と言われるのは、私が何をしでかすのかと不安がってているからでしょうが、キリスト像の前で誓いを立てましょう。何もそんなに怖気づくことはありません。貴女の気持ちを損なうような行為はしない、と深く決めていますから、世間は二人の仲をあれこれ推量することでしょうが、私は普通とは違った愚か者ですから、このままの状態で過ごして行きますよ」と告げながら、心憎げな火影にこぼれかかっているジュヌヴィエーブの髪を自分の手で掻きやりながら見つめてみると、その様子は申し分なく、想像していたような器量でした。

「こうした心細く、想像も出来ない住まいだったら、女好きの男にとっては、邪魔なものは何もないでしょう。私以外でこの住まいを尋ねて来る人がいたら、貴女を見逃すことはないだろうし、そうなってしまったなら、どんなに口惜しいことか」と、カオルはこれまで悠長にしていた優柔不断さを反省しました。「言いようもなく情ない」と感じて涙を流しているジュヌヴィエーブの様子があまりにも愛おしいので、「こんな風に荒っぽいことをしなくとも、自然と相手の心が緩んで来る時があるだろう」とカオルは思い直しました。これ以上、強引に迫っていくのがし辛くなってしまい、体裁よくその場をつくろいました。

 

 ジュヌヴィエーブの方は「こんな料簡をカオル様がなさるとは思いも寄らず、不思議なほど親しくさせてもらったのに、こんなはしたない喪中の姿までまじまじと見られてしまったのは浅はかなことです。私自身の不甲斐なさまで思い知って、何やかやと自分を慰めることも出来ません」と恨みました。図らずもやつれた喪服姿が灯火に浮かび出されてしまったのが「きまり悪く、残念なことだ」と困惑していました。

「そこまで困惑されてしまうと、返す言葉もありません。喪服の袖の色を口実にされるのはもっともなことですが、長年に渡ってご覧になっていた私の誠意からすれば、そんな忌中の憚りなど事新たに気にかけても、と考えるべきです。そんな生半可な分別は水臭いというものです」とカオルは諭して、数年前のあの楽器の音色を聞いた「有明の月影」での思いから始めて、折々の胸の思いが我慢し辛くなっていく模様を細々と語りました。

「そうした気恥ずかしいあれこれがあったのか」とジュヌヴィエーブは堪え難く、「そんな恋心を抱きながらも、何食わぬ顔で真面目ぶっておられたのか」とあれこれ感じ入ることが多くありました。ジュヌヴィエーブは側にあった短めの衝立でキリスト像との隔てを作って、横になって仮寝を始めました。

 名香が香ばしく漂い、キリスト像に供えた菊もとても花やかに薫る部屋でもあることから、人一倍の求道心の妨げになったのか、「まだ黒染めの喪服を着ている最中なのだから、もう我慢がしきれないように軽率な行動をしてしまったら、当初考えていたことと違ったことになってしまう。忌中がすっかり終わったら、いくら何でも私への気持ちを和らげてくれることだろう」とジュヌヴィエーブを抱きしめたい、はやる思いを無理に落ち着かせました。

 

 秋の夜の気配は、ここのような侘しい所でなくても、自然と身に染みることが多いのですが、まして丘陵から吹き付ける風も、庭に鳴く虫の声も心細いばかりに聞えます。人の世の無常をカオルが話していると、ジュヌヴィエーブが時々受け答えする様子は大層見所が多く、感じが良いものでした。

 眠たそうにしていた侍女たちは「いよいよ一緒になられた」と気配を感じ取って、奥に入って行きました。ジュヌヴィエーブは父卿が訓戒した様子を思い出して、「なるほど、生き長らえていると、思いもかけずにこうしたとんでもない事も見てしまうのだ」と一途に悲しくなって、セーヌ川の水音に涙が誘われる心地がしました。

 そうこうしているうちに明け方になりました。お供の人々が起き出して出発を促す声を出し、馬のいななく声も話に聞く旅路の馬屋にいるような思いがして、興を覚えました。カオルは明るくなって来る側の窓を引き開けて、身に染みる秋の空を一緒に眺めようとしました。カオルに促されるようにジュヌヴィエーブも窓際に寄って来ました。手狭な邸なので軒下が近く、軒下に生える草の露が次第に光りを増して行きます。二人ともとても優美な容姿で、似合いの夫婦のように見えました。

 

「お互いに何とはなしに、ただこうしたように月や花だのを同じ心持ちで賞美しながら、はかない人生の有り様を語り合って過ごして行きたいものだね」と親しげに話す仕草に、ジュヌヴィエーブはようやく恐さから解放されて、「こうやって体裁が悪い思いもしないで、物を隔てて対話が出来るなら、本当に心の隔てなどは存在しなくなりますのに」と返答しました。

 外が明るくなって行くにつれ、鳥の群れが飛び交う羽音も間近に聞えてきます。まだ夜の深い、早朝の教会の鐘がかすかに響いて来ました。「こんな早朝に二人が窓際に立っているのは、とても見苦しいことです」とジュヌヴィエーブは言いようもなく恥ずかしそうにしていましたが、「と言っても、いかにも何かがあったように朝霧を分けて帰るわけには出来ない。そんなことをしたら、人々がどんな邪推をしてしまうことか。これまで通り、私を穏やかに迎えてくれたら良いのです。ただ世間の普通の夫婦とは違って、今までのような間柄をしてくれたら良いのです。決して貴女に後ろめたいふしだらなことをする料簡は持ってはいない、と思っていて下さい。ただこうまでひたむきな私の胸中を理解してくれないのが不甲斐です」と言いながら、カオルは帰ろうとする様子がありません。

 

「何て浅ましく、みっともないことを」とジュヌヴィエーブは「それなら、これから先はおっしゃる通りにいたします。でも今朝だけは私の言うことに従ってください」とこぼしながら、「どうしたらよいのやら」と困り切っています。

「私も苦しいのですよ。(歌)まだ経験のない 暁の別れだから 迷ってしまいそうだ

といったように、今帰って行くと道に迷ってしまうことになる」と嘆きがちにしています。どこからともなく雄鶏の鳴く声が遠くから聞えて来るので、カオルは戻って行くパリを思い出しました。

(歌)山里の情趣を思い知らせる 鳥の声々に 色々の感慨が一度に集まって来る 明け方です

(返歌)ここは鳥の声も聞こえてこない山里と思っていたのに 私に世の中の辛さを知らせに 

        尋ねて来たのでしょうか

 

 カオルはジュヌヴィエーブの居間の入り口まで見送ってから、昨夜入った戸口から客間に行って横に臥しましたが、まどろむことが出来ません。これほど名残惜しく、ずっと以前から思い詰めていたのなら、これまでのようにのんびりと対面するだけで済ますことはなかっただろうに」と帰宅するのが億劫に感じていました。

 ジュヌヴィエーブは「侍女たちが何と思っているだろうか」と気が引けて、すぐにはベッドに臥すことも出来ないでいました。「頼みとする親達がいずに、世の中を生きていくことは辛いことであるし、周囲にいる人たちがつまらない縁談を何やかやと、次から次と取り次いで来ると、思いも寄らぬことが起きてしまう世の中である」と思案していました。

「カオル中納言の気配や様子に疎ましい点はなく、亡くなった父卿も『カオル中納言にそんな望みがあるならば』と時々話し、そうした意向があったように思われる。けれど私自身はやはりこのまま独身を通して行こう。私よりも若く、姿・形も盛りなのに、こうした境遇のままでは惜しい妹に人並みな結婚をさせて上げられたら嬉しいことだ。妹を縁付けることが出来たなら、力の及ぶ限りの後見役を果たしていこう。自分が結婚するとなると、一体誰が面倒を見てくれるのだろうか。カオル様が並なありふれた人物であったなら、長い間馴れ親しんだ好意を受ける証しとして、我が身を託す気持ちも出て来るだろう。ところがカオル様は立派すぎて近寄りがたい気配をお持ちなので、どうしても気おくれがしてしまう。それだからこそ、自分は一生独身を貫いていこう」と改めて思いながら涙がちに夜を明かしますが、気分が悪くなってきたので、妹が寝ている奥の方に移りました。

 マドレーヌは「いつになく、侍女たちがひそひそ囁き合っている様子が変だ」と感じながら寝入っていましたが、姉が入って来たのが嬉しく、姉に夜着を掛けてあげようとしました。すると姉が放つ移り香は、紛れもなくあの当直人が持て余して困っていたカオルの匂いと同じことに気付きました。「侍女たちの噂は本当だったのだ」と姉が愛おしくなって、寝たふりをしながら話しかけずにいました。

 客人のカオルはベネディクトを呼び出して、細々と頼み込んだ後、そっけない伝言をジュヌヴィエーブに残して邸を出ました。

 

 姉は妹と総角作りをしながら(歌)あげまき作り とうとう両手を広げた長さにまで出来上がった 賑やかに作って来た と流行り歌を歌っていましたが、「結局のところ、隔てはしていたものの、カオル様と対面したことを妹も感じ取ったのだろう」とひどく恥ずかしく、「気分がすぐれないから」と言って、一日中ベッドから離れずにいました。侍女たちは「一周忌の儀式の日まで残り少なくなって来たのに、きちんとした支度を仕切る人もおらず、その上、生憎なことに気分が悪くなった、と言われるのはねえ」とこぼしていました。

 マドレーヌが名香の包みにかける組糸作りを終えてから、「飾り花などはどういう風に作ったら良いのでしょうか。私にはとても考えが及びません」と聞いて来るので、姉は日が暮れた時分の暗がりに紛れて起き上がり、一緒になって糸を結びました。

 カオルから手紙が届きましたが、「今朝から加減がひどく悪くなったので」と告げて、返信を代筆させました。「見苦しいほど、まだ未熟な若い女性のような振る舞いですね」と侍女たちがぶつぶつ話していました。

 

 

2.ジュヌヴィエーヴが妹マドレーヌをカオルにと配慮。カオル、マドレーヌと仮寝。

 

 一周忌が過ぎて、喪服を脱ぎ捨てになるにつけても、「父卿に遅れてしまうように生き残ってしまうとは、片時も考えてはいなかったのに、あっけなく一年が過ぎてしまった月日を思うと、思いの外、とんでもなく生き長らえている身が悲しい」と涙に泣き沈んでいる様子はとても痛々しいものでした。一年間、黒い喪服を着馴れていた姿が薄い鈍色に変わったのが大層艶めかしく見えます。

 わけてもマドレーヌは本当に若い盛りで、可憐な感じが姉より勝っていました。姉が髪などを洗わせて身なりを整えた妹を見てみると、日頃の苦労も忘れる思いがするほどめでたい器量をしています。「自分が内心考えて来たように、あの方に逢せたら、よもや近くで見て幻滅したと感じることはないだろう」と頼もしく嬉しくなりました。今はもう親など妹を世話する人もいず、自分が親身になって面倒を見なければ、と妹を見やっていました。

 

 何かと遠慮がちにしていた喪中の黒服も薄めの色に改めた頃であろうと、カオルははやる心でコンフランを訪れました。「いつものように話をしたい」とのカオルの申し入れを侍女が伝えると、ジュヌヴィエーブは「気分がすぐれず、うっとうしい感じがしているので」とあれこれ言い渋って対面しようとはしません。「思いの外、つれない人だ。侍女たちがどう思っていることか」とカオルはメモを書いて伝えました。するとジュヌヴィエーブが返信しました。「今日を限りと喪服を脱ぎ捨ててみると、かえって悲しくなって塞ぎこんでしまっているので、お会いすることは出来ません」とありました。

 さすがに恨めしくなったカオルは例のベネディクトを呼んで、あれこれと愚痴りました。侍女たちは、これから先が分からない心細さの慰みとして、カオル一人を頼みの綱にしていたので、自分たちの願いが叶ってカオルとジュヌヴィエーブが結婚して、世間並みの住まいに移ってくれたなら、「これほど結構なことはありません」と話し合って、「何とかカオル様を姉妹の部屋に案内しよう」と手筈をしめし合わせていました。

 

 ジュヌヴィエーブは侍女たちの気配を深くは知らないものの、「ああやってベネディクトを特別に取り立てて手名付けているのだから、一緒になって何かよろしくないことを計画しているのかもしれない。昔の物語を見ても、女性側の方から手引きをする場合がある。それだから侍女たちに気を許してはいけない」と思い至っていました。

「私を深く恨むようなら、せめて代わりに妹を押し立てることにしよう。私より見劣りする女性であったとしても、一度見初めたならいい加減な扱いをするようなお方ではない。まして妹をほのかにでも見初めたなら、きっと慰めになるに違いない。そんなことをすぐさま感じ取った人でもすぐに口に出すことはないだろうが、カオル様が『妹との結婚は本意ではない』と承知する様子がない理由の一つは『つまらない浅はかな男だったのだ』と他人から思われてしまうことを憚っているからであろう」と心中で思案していました。

 それでも妹にそんな思惑を知らせないでいるのは「罪作りなことになる」と身がつまされるので、妹がいじらしくなって色々と話しだしました。

「亡き父卿が言い残された意向でも、『このように心細い暮らしをして一生を終えるとしても、何かと人様のもの笑いになってしまうような考えは起こさないで欲しい』などとおっしゃっていました。ご在世中は私たち二人が足手まといになって、勤行の邪魔をしてしまったのは大層辛いことです。ご臨終の際にあれほどおっしゃったお言葉だけは背くまいと私は思っていますので、こうした心細い生活など別段、寂しいとも感じておりませんが、ここにいる侍女たちが奇妙な強情者として私を見ているのはたまらないことです。そんな中、貴女が私のような者と過ごしていても、月日が経っていくだけでもったいないことだ、と始終心苦しく気の毒なことだ、と思ってなりません。せめて貴女だけでも世間並みの身の上になってもらい、そういう様子を見るなら私も晴れがましい気持ちになって、どんなに慰められることか」と話しました。

「どういった積りでそんなことを話すのか」と心配になったマドレーヌは、「父卿はお姉さまだけ世の中に埋もれて果てなさい、とは申しませんでした。むしろぼんやりしている私の方が心配事が多くなると思われていました。お姉さまの心細さを慰めるのは、こうやって朝夕、一緒に暮らしていくよりほかにありません」と恨めしそうに答えたので、心底愛おしくなりました。「と言うのはね、侍女たちがあれこれ私がひどくひねくれた者のように言っていると思えるので、私も混乱しているからです」と言いかけて続きを話すのを止めてしまいました。

 

 日が暮れて行きますが、客人は帰ろうとはしないでいます。「困ったことだ」とジュヌヴィエーブは思っていました。ベネディクトがやって来てカオルの伝言を伝えました。「カオル様が恨まれるのはもっともなことです」といった趣旨をくどくどと話しますが、ジュヌヴィエーブは返答もしないで溜息をつきながら、「自分はどうしたら良いのだろう。父か母のどちらか一人がいてくれたなら、どうなるにせよ、しかるべき人に縁付いていたのだろう。それも宿命だ、と言うものであろうし、(歌)否だとも承諾するとも言い切ることは出来ない 本当に辛いことは 我が身を心のままに出来ないことだ といったように、すべて世間の通例のようになって、人に笑われるような間違いがあっても隠すことが出来る。この邸にいる侍女たちは齢をとっているので分別があるように各自思い込んでいて、得意げに似つかわしい縁談を取り次いだりするが、浅はかな考えを持っているに過ぎない。並の人間でもない心持ちで、勝手なことを言っているにすぎない」と感じているので、侍女たちが何とかジュヌヴィエーブを引き動かそうとばかりに話すのは、ひどく気分が悪く疎ましくて動じることはありません。

 同じ気持ちで何事も語り合い相談して来た妹は、こうした恋愛とか結婚といった方面は今少し理解が出来ず、大らかすぎるので、話し相手にもなれません。「何とも不思議なめぐり合わせの身なのだろう」とジュヌヴィエーブは妹がいる奥の方を向いて座っていました。

「普段の色の服に変えてみましたら」などと侍女たちが勧めますが、「今夜こそ、二人が結ばれるのだ」と皆が期待している様子を浅ましいことと呆れるものの、何の防ぎようもありません。こんな手狭な住まいでは、(歌)世の中が辛いと言っても どこに身を隠したら良いのだろう そんな山などないもの といったように、仕方もないほど身を隠す場所はありません。

 

 客人は「こんな具合に、誰彼の仲介も入れずに、ひそやかに恋がいつ始まったのか、すら分からないように成立してこそ」といった強い思い込みがあったので、「本人が容認しなければ、いつまでも今の状態のままで待つことにする」との思いを話しています。ベネディクトと老侍女たちは思い思いに語り合い、人目を憚らずに囁き合っていました。そうは言っても老侍女たちは思慮が深くもないので、ジュヌヴィエーブが可哀そうに見えました。

 そういった陰口が煩わしいので、ベネディクトが近寄って来た時にジュヌヴィエーブが告げました。「カオル様については、前々から『他人とは似てもいない心掛けをお持ちだ』と父卿から聞いていました。今になっては何から何まで頼みにして、不思議なほど親身にさせていただいております。ところが私が思っているのとは違うようなお気持ちが混じるようになって来て、私を恨むようになっているのに困っています。私としても人並みな人生を送りたいのなら、ああまでおっしゃって下さるのを何で断りましょう。ところが私は以前から、現世を諦めている心情なので、とても迷惑しています。ただ、妹がこのような心細い生活を送りながら、盛りが過ぎていくのが口惜しいことです。確かにこんな住まいは、妹のことを思うと狭くて不都合です。カオル様に父卿が存命していた頃を思い出すお気持ちをお持ちでしたら、妹も私も同じと考えていただきたいのです。身体は妹と私の二つに分かれていますが、私の気持ちとしては妹にすべてを譲って、二人の行く末を見守りたい、というものです。どうか、この点をカオル様にうまく伝えて下さい」と恥じらいながらも胸中にあることを告白し続けるのを、ベネディクトはとても悲しげに聞いていました。

 

「そういったお考えは先々から伺っておりますので、カオル様にもそのようによく説明しています。しかしカオル様は『自分の思いをそのように改めることは出来ない。マドレーヌと結婚したなら、ニオイ兵部卿の恨みが深まるだけだ。やはり妹はニオイ卿に任せて、私は良い後見役を果たすのだ』とおっしゃっております。それも願ったり叶ったりのことではありませんか。両親がお二人とも健在で、特別に愛情を尽くして育て上げたとしても、この世の中でとても有難いことが二人続いてあるものではありません。失礼ながら、頼りとする人もいない、このような有様を拝見していますと、これから先、どうなるのかが心配で、胸を痛めております。遠い先の行く末のことまでは分かりませんが、姉妹お二人がおめでたい運勢となって幸せになりましょう」とベネディクトは何はともあれと話しました。

ベネディクトは続けて、「亡き第八卿の遺言に背かないようにしたい、と思われるのはもっともなことですが、卿は『それ相当な相手がおらず、身分が劣った相手に縁付いてしまうのではないか』と懸念されて誡めた、ということです。『あのカオル殿にそういったお積もりがあって、どちらかの娘を娶ってくれたなら、その縁故でもう一人についても安心できるから、嬉しいことだ』とも、時々話されていたではありませんか。どんなに貴い女性でも、親に死に別れてしまったなら、身分の高い者でも低い者でも、心に適わない結婚をして落ちぶれていく、という類の話は多くあります。しかもそういったことも、すべてよくある話ですから、悪口を叩く人もいないでしょう。ましてこれほどまでに求め願ったりのお方が愛情深く有難い結婚を望んでおられるのですから、無闇に突き放してしまうなんて。かねてからお決めになっているように、修道女になって勤行の本意を遂げようとされても、だからと言って、雲や霞を食べていけるでしょうか」と長々と話し続けると、ジュヌヴィエーブは「憎々しいことを言うので腹が立つ」とベッドにうつ臥してしまいました。マドレーヌもベッドに入った姉を見て、「生憎にも気の毒な様子だ」と同情して、いつものように並べたベッドに横になりました。

「もしカオル様が忍び込んできたら、どういった対処をしようか」と姉の方は気になって不安でしたが、どこといって逃げ込んで隠れるような物陰もない住まいですから、柔らかで綺麗な夜着を妹の上に掛け、まだ暑さが残る時分でもあったので、自分のベッドを少し離した所に移して、横になりました。

 

 ベネディクトはジュヌヴィエーブが話したことをカオルに伝えました。「どうしてそんなにまで世俗の世界から離れようとしているのか。聖僧めいていた父卿の側で育ったがために、無常の観念を自然に悟ったのだろうか」と考えてみると、「自分の内心と通い合うものがある」とジュヌヴィエーブの小生意気な態度も憎くは感じません。

「ということは物越しでの対話も、今日はありえないと思っている、ということだね。そういうことなら、今夜だけでも寝室に忍びさせて欲しい」とカオルがせがむので、ベネディクトは意を決して、若い侍女たちを早く寝かせて、事情を知っている者と手筈を決めました。

 宵が少し過ぎた頃から、風が荒々しく吹き出して、建付けが悪い板戸などががたがたと音を立て始めたので、「これなら忍び込んでも気付かれはしないだろう」とベネディクトはこっそりとカオルを寝室に案内しました。寝室に姉妹が寝ているのが気になりますが、いつものことなので、「別々におやすみ下さい」と言うわけには行きません。「カオル様は姉妹の違った気配を見知っておられるから」とベネディクトは判断していました。

 

 ところがジュヌヴィエーブは物思いで寝付けないでいたので、ふと物音に気付いてベッドから起き上がりました。かなり素早く物陰に逃げ隠れましたが、妹が無心で寝入っているのが、とても不憫でなりません。「どうしたら良いのだろう」と胸をどきどきさせながら、「一緒に隠れて欲しいのに」と思うものの、そうと言って引き返すわけにもいきません。震えながら、妹の方を見ていると、ほのかな火影の中に中着姿で、とても馴れ馴れしそうに内カーテンの垂れ布を引き上げて、カオルが入って来ました。いよいよ妹が気の毒になって、「妹はどんな思いになっているのだろう」と気にかかりながら、貧相な壁面に添って立ててある屏風のむさ苦しい隙間に隠れました。

「妹との縁組をちょっとほのめかしただけでも、嫌がっているようだったので、まして私がこんなことを計らったようになってしまったら、心苦しいことだ。それもこれも、すべては親などしっかりした後見役を失っても、生き残っていた者の悲しみなのだ」と父卿が「これが最期」と告げて、修道院に向かった夕暮の様子がたった今のように感じて、父卿が言いようもなく恋しく、悲しい思いがしました。

 

 カオル中納言は一人だけ寝ているのを見て、「そのつもりでいてくれたのだ」と嬉しくなって、心がときめきました。ところが次第に本人ではないことに気付きました。「姉よりももう少し美しく可愛いげな感じが勝っている」と思いました。マドレーヌが浅ましい出来事のように呆れて、途方に暮れているので、「当人は何も知らずにいたのだ」と思うと、ひどく気の毒でもあり、ジュヌヴィエーブがそれとなく、妹との縁組を匂わせていたことを思い出しました。逆に隠れてしまったつれなさが、たまらなく腹立たしく恨めしくなりました。

「妹の方も他の男に渡したくない」との思いはするものの、やはり当初からの本意を翻してしまうのは悔しく、「軽率な浅い出来心に過ぎなかった」とも思われたくもない。「今宵は何もないようにおとなしくやり過ごして、どうしても逃れられない宿縁があったなら、その時はこの妹と連れ添うようになったとしても、それこそ姉とはまったくの他人でもないのだから」と自分を納得させて、いつものように楽しそうに親しげにマドレーヌと語り明かしました。

 

 老侍女たちは「してやったり」と喜びながら、「マドレーヌ様はどこに行かれたのでしょうか。不思議ですね」とあちこちを捜しています。「それにしても、何か仔細がありそうですね」と言う者もいました。「カオル様はいつ拝見しても、皺が伸びる心地がするような、ご立派な姿と様子をされているのに、どうして避けるようにされているのでしょう」。「何かこれは世間の人が言う、結婚を妨害する恐ろしい魔物が憑いているからでしょうよ」と歯が抜けた口で不愛想に言い放つ老女もいました。「まあ、縁起でもないことを。そんなものが憑くはずはありません。ただ世間離れをしてお育ちになったので、夫婦のあり方について上手に説明する人もいなくて、男性との恋愛は不似合いだ、と思われているのですよ。そのうち見馴れていけば、自然と情愛も湧いて来るでしょう」などと語らいあって、「早くお二人が打ち解けて、仲睦まじくなれば良いですね」と言いながら寝入ってしまい、いびきをかきだすはた迷惑な者もいました。

 

 カオルは(歌)秋の夜が長いと決めつけることは出来ない 昔から逢う人によって 長いとも短いとも感じられるのが 秋の夜なのだ といった歌のような秋の夜になったものの、姉妹がいずれをいずれとも言えない艶っぽい気配を見せているので、こんな夜になってしまったのは、誰のせいでもなく自分のせいであろうが、妹と別れるのが飽き足らない気分もしました。

「私のことを忘れずにいて下さい。但し、ひどくつれない姉の仕打ちを見習ってはなりませんよ」と後の出逢いを約束して寝室を出ました。我ながら不思議な夢を見たように感じますが、「やはり今一度、つれない姉の気持ちを見届けねば」との方向で心を落ち着かせて、いつもの客間に戻って臥しました。

 ベネディクトが姉妹の寝室に入って来て、「妙なことがあるものですね。マドレーヌ様はどこにおられるのでしょう」と呟くので、マドレーヌは非常に恥ずかしく、思いも寄らなかった心地で「一体どうしたことだったのだろう」と思いながら横になっているうちに

昨日姉が話したことを思い出して、「ひどいことをなさる」と思っていました。

 あたりが白んで来たので、姉は壁の中の虫のようにして、屏風の裏から這い出て来ました。妹がどう思っているのか、とても気の毒でいながら、お互いにものも言いません。

「妹が寝姿を見られてしまったのは申し訳ないことだ。これから後も、油断が出来なくなった」とジュヌヴィエーブは思い乱れていました。

 

 ベネディクトは客間に行って、カオルから昨夜の姉の浅ましい強情ぶりを聞いて、「あまりの不愛想さはひどすぎます」とカオルが気の毒で、呆れてしまいました。

「今まではジュヌヴィエーブの冷たい扱いがあっても、まだ幾分かは望みがあるように感じていたので、あれこれ慰めようもあったが、昨夜は誠に恥ずかしく、セーヌ川に身を投げたい心地がした。それでも、姉妹を見捨てがたい思いで、この世に踏みとどまった第八卿の胸中の苦しみを推量すると、やけくそになって身を投げて死んでしまうわけにもいかない。もう今後はどちらに対しても、好色がましい気持ちは抱かないことにする。ジュヌヴィエーブに対する悲しみも辛さも、あれこれ忘れることはない。ニオイ卿などは誰にでも臆することなく言い寄るから、『同じことなら、私よりもああいった貴いお方に』と特別に眼をつけていることも納得した。それももっともなことだと我が身が恥ずかしくなった。もはや再び訪れて、あなた方に出会うのもいまいましくなってしまった。と言っても、こんなみっともない男のことを世間に漏らしてはならないよ」と嫌味を言ってから、いつもより足早に邸を出ました。

 

 老侍女たちは「どなたにとっても困ったことになってしまいましたね」と囁きあっていました。ジュヌヴィエーブも「一体どうなったのだろうか。ひょっとしたら妹を気に入らなかったのではないか」と胸が締め付けられて、カオルが早々に帰宅したことを案じました。「これもすべて、侍女たちのおせっかいのせいだ」と憎らしい思いでいました。

 姉があれこれ思案をしていると、カオルから手紙がありました。「いつもより嬉しい」と感じるのもおかしなことです。秋の気配も知らず顔の楓の枝が一方はまだ青く、もう一方は色濃く紅葉していました。

(歌)同じ枝を 青と赤に分けて染めた 山里の姉妹のどちらが 深い色なのかを問いましょう

 あれほど恨んでいた様子もなく、言葉少なに簡略に書いて感情を押し包んでいるので、「結局のところ、はっきりとした理由もなくはぐらかして止めてしまうのではないか」と気がもめていると、侍女たちが口やかましく「早くご返事を」とせかします。「貴女がお書きなさい」と妹に譲るのもどうしたものか、と思うものの、さすがに書き辛くて呻吟してしまいます。

(返歌)山里の女神が 枝を染め分けた心は分かりかねますが 色を変えた方が 

    深い思いを寄せているのでしょう

 何事もなかったように美しい筆跡で書いていますが、やはりカオルはジュヌヴィエーブを恨み通すことは出来そうもないように思われます。

 

「自分の半身を分けたような存在だから」と姉は妹に譲ろうとする気配を度々見せてはいたが、こちらが承諾しなかったがために、ああいった行動をしたのだろう。しかしその試みはうまく行かずに、私が妹につれなくしたのが気の毒になって、私を情のない男だと考えるようになってしまうと、当初からの姉への思いはいよいよ叶い難くなってしまう。あれこれと仲立ちをしてくれて来たベネディクトも、私が妹の方に思いを移したら、軽薄な男だったと見なすだろう。結局のところ、ジュヌヴィエーブに執心したことが悔しいし、「こんな世の中を思い捨てようという気持ちを持ちながら、果すことも出来なかったのだ」といった外聞の悪さも思い知れる。まして世間一般の好色男の真似をして、同じ女性に幾度も幾度も漕ぎ返して行くと、(歌)粗末な小舟で 堀江を漕ぎ続けながら 同じ女性を恋続ける といったように、人に笑われてしまうだけだ」などと夜もすがら考え明かしていくうちに、妙案を思いつきました。

カオルは月が残っている風情ある空の下、ニオイ卿の邸を訪ねました。

 

 

          著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata