その4総角(あげまき、みずら)      カオル  二十二歳

 

3.カオル、ニオイ卿をコンフランに案内。

 

 ランブイエ城が焼けた後、カオルはアルフォールヴィルにある第八卿の旧邸の近くの仮住まいに移っていました。ニオイ卿が住むヴァンセンヌ城の邸が近いことから、頻繁にカオルが訪れるようになっていたので、ニオイ卿も満足していました。

 城を見上げる、気が紛れそうな住まいの前庭は、他とは違って、同じ花の姿も草木がなびく様子も格別のように見え、小池の水面に映る月影さえ、絵に描いたようでした。カオルが予期していたように、目を覚ましていたニオイ卿は、風が吹くとカオルが着ている服の薫りがはっきりと匂って行くので、それにふっと気が付いて、上着に着替えて面会しました。

カオルがベランダの階段を上りきらずに中段で膝間づいて挨拶すると、ニオイ卿は「もっと上に寄って」とも言わずに、自分も欄干に身を寄せて雑談を交わしました。何かのついでに、あのコンフランのことを思い出して、仲介者であるカオルに、あれこれ恨み言を言い出しました。

「随分と自分勝手なことを言うものだ。自分の恋すら叶え難いのに」と思いながらも、「ニオイ卿の望みを実現させて上げたら、ジュヌヴィエーブも自然と自分に靡くようになるだろう」との思いに至ったので、いつもより丁寧にマドレーヌの様子など、しかるべきことを伝えました。

 

 まだ明けきっていない空は生憎なことに霧が立ち込め、冷え冷えとした気配でした。月は霧にさえぎられていて、ヴァンセンヌの木々の下は薄暗く、何となく優美な印象を与えます。ニオイ卿はしんみりとしたコンフランの有り様を思い出して、「近いうちに私を置き去りにしないで、案内して欲しい」と話すと、カオルは迷惑そうな顔をしました。

(歌)パステル(細葉大青。おみなえし)の黄色い花が咲き乱れる 広い野に入れさせまいと どうして心が狭くも 

   縄を張り巡らすのだろう 

と、ニオイ卿が冗談めいた歌を詠むと、カオルが返歌をしました。

(返歌)霧深い朝の野原に咲く 黄色いパステルには 真心で言い寄る人だけが逢えるのです

「そう簡単には逢うことは出来ませんよ」とカオルがじらすと、「何てもったいぶった言い方をするのだ」とニオイ卿は腹を立ててしまいました。

 

「ニオイ卿は久しい間、マドレーヌとの出逢いをせがんでいるが、実際に出逢ったらどうなるのだろうか、と気がかりになっていた。器量などが見劣りしない風であっても、間近で話してみると、予期していた性格が良くなかったなどと、危なっかしく思っていた。しかし一晩、一緒に過ごしてすべての点で申し分ないように感じた。姉が内心、思い描いていた筋書きと違うようになってしまったのは思いやりがないようではあるが、そうかと言って、姉への思いを翻すことは出来ない。妹はニオイ卿に譲って、姉とニオイ卿のどちらからも恨みをかわないようにしよう」と腹の中で決めていましたが、ニオイ卿はそんなことも知らずに、度量が狭い邪推をしているのがおかしいのです。

「いつもの軽薄な浮気心を出してはいけませんよ」とカオルは親代わりになってくぎを刺しました。

「まあ、見ていなさい。今回ほど思い詰めたことは、まだ一度たりともない」とニオイ卿が真面目に答えるので、「あちらは素直に納得して靡くような様子には見えない。私にとってはお仕えしにくいご奉公になりますね」と言いながら、カオルはコンフランに行く手筈などを、事細かに知らせました。

 

 墓参りをする十一月一日の「諸聖人の日」が過ぎた吉日、人知れず注意を払いながら、カオルは大層こっそりとコンフランに案内しました。サン・ブリュー王妃などの耳に入ってしまうと、こうした恋の忍び歩きは厳しくたしなめられるので、カオルにとってはひどく煩わしいことですが、ニオイ卿のたっての要望なので、人目につかないように注意しながらも、無理やりにというわけでもありません。

 アンドレジー(Andresy)にある夕霧左大臣の別荘を借りて、舟で姉妹の邸に渡って行くと目立ったりするので、大袈裟な宿は避けて、コンフランに近いカオルの荘園にある家に、こっそりとニオイ卿を馬車から降ろして、カオル一人で邸に入りました。カオルを見咎めるような人はいないものの、当直人がそこいらをうろつくこともあるので、ニオイ卿の存在を気付かれないように、との配慮からでした。

侍女たちはいつものように、「カオル中納言がお越しになった」と慌てふためいていました。姉妹は何となく煩わしい思いでいましたが、姉の方は「先夜は自分は引っ込んで、とりわけ妹との婚姻を匂わせたのだから安心していられる」と思っていました。妹の方は「やはりカオル様が思っているのは、姉のようであるから、自分を目当てに来られたわけではない」と考えていました。あの情なかった夜の後は、以前のようには姉を信用出来なくなってしまい、姉を用心するようになっていました。カオルは侍女を仲介してジュヌヴィエーブに何やかやと伝えるのですが、返答するだけなので、侍女たちは「どういうお積もりなのでしょう」といぶかしんでいました。

 

 日が暮れた時分に荘園に使いを出して、闇に紛れて馬に乗せたニオイ卿を迎え入れました。ベネディクトを呼び出して、「姉の方にただ一言話したいことがある。私の恋心を取り合ってくれないことは、先夜の様子で分かってしまったので、ひどくきまりが悪いのだが、このままで引っ込んでいるわけにはいかない。妹の方にはもう少し夜が更けてから、先夜のように寝室へ手引きしてくれないか」とカオルは率直に頼みました。

「こうなってしまうと、姉でも妹でも同じことだ」と腹をくくったベネディクトは奥に入って、姉にその旨を伝えました。「やはりカオル様は妹に心を移してくれたのだ」とジュヌヴィエーブは嬉しくなって、気分も落ち着いたことから、寝室に進む廊下ではない廂の間に二つの衝立をしっかりと締めて、対面しました。

「一言申し上げたいことがあるのですが、侍女たちに聞えてしまうように大声を立てて話すのもおかしなものです。わずかでも衝立を開けて下さい。何とも気が晴れない」と口説くのですが、「こうしていても良く聞えますから」と言って開けようとはしないでいます。「それでも今はカオル様の気持ちは妹に移ったので、それを告げようとしているだけかもしれない。それなら対面を拒むこともない。夜が更けていかないうちに、不愛想にならない程度で応対しておこう」と衝立の前に少し近づいてみると、カオルは素早く衝立の間をこじ開けて、ジュヌヴィエーブのドレスの袖をつかんで、ひどく恨み言を言い立てました。

「まあ、何て不愉快なことをされるのだ。何でこうした応対をする気になってしまったのだろう」と悔しく、困り果ててしまいました。「何とか宥めすかして、この場から立ち去ってもらおう」と、自分の分身である妹に思いを寄せて欲しい旨をそれとなく話し続けるジュヌヴィエーブの心映えに、ますますカオルは愛しくなりました。

 

 ニオイ卿はカオルから教わった通りに、先夜の戸口に近寄って、扇を打ち鳴らすと、ベネディクトが出て来て、寝室に案内しました。「カオルはこうやって手引きされるのに馴れているのだろう」とおかしく思いながら寝室に入りました。

 そんなことを知らない姉は「何とかカオル様を誘導して、妹がいる寝室に入ってもらおう」と考えていました。カオルはその仕草がおかしくも気の毒にも感じて、後になって「なぜ内々に知らせてくれなかったのですか」と恨まれて、弁解の余地のないことになってしまうのが気になったので、「ニオイ卿がしきりにせがむので、断り切れずにお連れしました。音も立てずに寝室に忍び込んだようです。おそらく、あの賢ぶったベネディクトを仲間に引き込んだのでしょう。中途半端になってしまった私は人から笑われてしまうことになってしまいましたよ」と告げました。

 まったく思いも寄らなかったことを聞いて、ジュヌヴィエーブは眼がくらむほど驚いてしまいました。「そのように、あれこれけしからぬ企みをする人とは知らずに、不甲斐なくも思慮の浅さを見せてしまった私を、さぞかし軽蔑していることだろう」と何とも言いようがない、口惜しい思いをしました。

 

「今はどう言われても仕方ありません。私が言い訳を繰り返したとしても、度が過ぎた仕業だと怒っているなら、抓るなり捻るなりして下さい。妹さんは私よりもっと高貴な人を希望しているのです。宿命などと言うものは決して自分の思い通りにはいかないものです。妹さんの思いは別の人にあったので、それを気の毒に感じた次第です。自分の恋が叶わないでいる私は身の置き所もなく、情ない思いでいます。もう仕方がないと思って、私に身をまかせて欲しい。いくら衝立で厳重に閉め切ったところで、何事もなかったように解釈する者はいないでしょうに。私に案内役を頼んだニオイ卿も、私がこんなに胸が塞がったままで夜を明かしていようとは、思ってもいないでしょう」と、衝立を壊しかねない血相ぶりでした。

 何とも言いようもない嫌悪感にかられながら、「何とか宥めすかして、この場から立ち去ってもらおう」と姉は心を落ち着かせて、「おっしゃられた宿命というものは、目には見えないものですから、何としましても納得出来ません。(歌)行く先が分からない悲しみで ただ涙が目の前に落ちるだけです といったように、目の前は霧で塞がっている心境です。一体、このようにされて、どうなさるお積もりなのか、悪夢のように浅ましいことです。これから後の話の種として引用する人もいるでしょうし、昔の物語などに書かれている愚かな女の見本のようにもなってしまいます。こんな企みをなさる心持ちをニオイ卿はどのように解釈されたのでしょうか。何としても、これほどひどく私たちを困惑させて搔き乱さないでください。私が思っている以上に長生きするなら、少しは気持ちを落ち着かせてお相手をいたしましょう。今は気分がとても悪く、胸も苦しいので、しばらく休ませていただきます。私を放して下さい」と辛そうに懇願するので、カオルはきまり悪くも労わってもあげたい気持ちにもなりました。

「まあ、貴女の意向に従うように努めていると、こんなにまで見苦しいこともしてしまうのです。言いようもなく憎い男だ、と思い込まれてしまうと、何とも言いようがありませんが、ますますこの世に留まっていたい気持ちになりました」と伝えた後、「それでは、衝立を隔てながらも話を続けましょう。意地になって私を見限ってはいけませんよ」と譲歩すると、奥に引き込もうとしたものの、さすがにためらっているのを、カオルはとても愛しい人に感じました。

「こうして間近にいる気配を慰みとして、夜を明かして行きましょう。これ以上のことは決して求めはしません」と話して、まんじりともしないでいました。ますます激しくなる川の音に眼も冴えて、夜半の嵐に惑う山鳥の心地がしながら、夜を明かしかねていました。

 

いつものように夜が明けていく気配になって、教会の鐘の音も聞こえて来ました。「ニオイ卿はぐっすり寝込んでしまったのか、起き出した様子がしない」と面白くないので、わざとらしく咳払いをしてしまうのも、何とも奇妙ななりいきでした。

(歌)道案内をした私の方が 思いを叶えることが出来ずに 満ち足りない気持ちで 

   明け方の暗い道を迷いながら 帰って行くのだろうか

「こんな例が世の中にあるものだろうか」とカオルが詠むと、ジュヌヴィエーブが怪訝そうに詠みました。

(返歌)あれこれと案じている 私の心を思いやって下さい 自分勝手に 道に迷っていると言うのなら

と、ほのかに口にするのを聞いて、カオルは道足りない気分になりました。「何と言っても、これほど衝立で隔てられていたので、ひどく辛い思いをした」としきりに恨み言を言っているうちに、ほのぼのと夜が明けて行きました。

 ニオイ卿が昨夜の戸口から出て来ました。非常に婀娜っぽい振る舞いから匂う、艶っぽい気配は言いようもなくみやびやかでした。老いた侍女たちは何とも奇妙で、合点がいかずに戸惑いながら、「いくら何でもカオル様が悪いようにはされるはずはない」と自分たちを納得させていました。

 

 二人は明るくならないうちに、と急いでパリに戻りました。道中がひどく遠いように感じて、ニオイ卿は「そう気軽にコンフランに通うことは苦しいことになるだろう」と、(歌)新妻の手枕に巻き染められたのに 憎くもないのに 夜を隔てることになってしまう といったように案じているようです。まだ人が騒ぎ出さない昼前にヴァンセンヌの邸に着きました。回廊に馬車を寄せて降りました。女性用のような風変りな馬車でしたが、隠れるようにして奥に入りました。二人は笑いながら、カオルは「いい加減ではないご奉公をした、と確信していますよ」と告げたものの、案内役の自分の方はみじめな目にあったことがいまいましく、それについては話す気にもなりません。

 

 

4.ニオイ卿の初夜の翌日の手紙と三日目の夜の祝いパン。マドレーヌの悲嘆

 

 ニオイ卿は早速、手紙を書いて送りました。コンフランでは姉妹のどちらとも、現実に起きてしまった心地もしないで、思い乱れていました。「姉はあれこれ企んでいながら、顔色にも出さなかった」とマドレーヌは疎ましく恨めしく姉を思って、目を合わせようとはしないでいました。姉の方は自分も知らずにいた理由をはっきりと弁明することも出来ず、「妹が恨むのも当然なことだ」と心苦しい思いでいました。侍女たちも「一体どういったことが起きたのでしょうか」と探りを入れますが、頼りとなる姉が呆然とした状態なので、「不思議なこともありますね」と顔を見合わせていました。

 届いた手紙を姉が開けて妹に見せますが、マドレーヌはベッドから起き上がろうともしないでいたので、「ひどく時間が立つ」と使いの者たちはしびれを切らしていました。

(歌)霧が深い丘のシダ原を 踏み分けて来た私の志を 貴女は平凡な恋と同じと思われているのでしょうか

 書き馴れた筆付きで、一際しっとりと美しいニオイ卿の手紙を、他人事のように読んでいた自分にとっては、ただ立派だと思っていたのに、こうした事態になってしまうと、これから先を案じながらも自分が出しゃばったかのように代筆するのは気が引けます。「誠実に書くように」と無理強いしてマドレーヌに返信を書かせました。

 心付けとして、薄紫色の細長ドレスと三枚重ねのスカートを差し出しましたが、使いは困ったようにするので、包んで付き添いの者に渡しました。使いは大袈裟な者ではなく、いつもコンフランに寄越している王宮仕えの童児でした。

 

 心付けの品を見たニオイ卿は「とりわけ人に気付かれないようにと考えていたのに、こんなことをするのは、昨夜の賢ぶった老侍女の仕業であろう」と不愉快になりました。ニオイ卿はその夜も案内役のカオルを誘いましたが、「冷泉院との面会でフォンテーヌブローに行かねばならないから」と断って来ました。「相変わらず、何かと言うと世の中を拗ねたような態度をする」と憎く思いました。

 コンフランの方では「どうしましょう。こちら側の本意ではなかったにせよ、いい加減には出来ない」と気弱な思いのまま、祝い事など釣り合わない邸ながらも、飾りつけなどをそれなりに風雅に美しく整えて、初夜の翌日の来訪を待ち受けていました。ニオイ卿は遠い道のりを馬で急ぎますが、嬉しさで気がはやるのは、我ながら不思議でした。

 当のマドレーヌは、我にもあらぬ有様のまま、侍女たちに着飾られながら、濃い紅の祝いの服の袖をひどく濡らしています。しっかり者の姉も涙を流しながら、「私はこの世を長くは生きられそうにないと感じながら、明け暮れ物思いをしていますが、ただ貴女の行く末の事だけには、胸を痛めて来ました。侍女たちは『とても良縁ですからね』と聞き苦しいほど言い立てています。経験を積んでいる者たちなので、いくら何でも間違いはないでしょう。世間の事情を知らない私は自分の意地を押し通して独り身でいますが、妹だけは独身のままでいて欲しくはない、との思いに至っていました。でもこんな急に予期もせずに、恥ずかしい事態が起きてしまい、心を乱してしまうようになるとは、全く思ってもいませんでした。これこそ人がよく言っている『逃れ難い約束事』だったのでしょう。私も心底苦しんでいます。少し気持ちが和んで来たら、昨夜のことは私も何も知らなかったということを分かって下さい。私のことが憎いと思い込んだままだと罪を作ることになってしまいますよ」と妹の髪を撫でながら話しました。

 マドレーヌは返答はしないものの、さすがに「そこまで言うのだから、悪い方向に進めようとは考えてもいないだろう。ただニオイ卿に見捨てられて物笑いをされるようになってしまい、姉に面倒をかけてしまうことになったら、どうしよう」と様々な思いをしていました。

 

 ニオイ卿は、予期もしない闖入者に驚き呆れていたマドレーヌの気配ですら、並々ならぬ美しさを感じたのに、まして今夜は化粧をして少しは普通に物柔らかにしているので、愛おしさが増しました。そう簡単には通うことが出来ない遠路を胸が痛くまで感じて、心をこめて話しながら、これから先のことを約束しますが、マドレーヌは相手の言葉に感動もせず、愛とはどういったものなのかも分からないでいました。

 言い尽くせないほど大事に育てられた女性の中でも、多少とも人の出入りがあり、親や兄などがいて異性の様子を見馴れているなら、羞恥心もそれほどのことではありません。マドレーヌは自分を大切に世話してくれる家人もおらず、こんな山里に住んで世間からは引っ込んでいるので、思いもかけなかった出来事に陥ってしまったことに気が引けて恥ずかしく、「何事によらず、世間の人と違って、ひどく田舎じみているのではないか」とちょっとした返答でも言葉に詰まってしまって、遠慮がちにしていました。とはいうものの、利発で才気もあふれている点では姉よりも勝っていました。

「初夜の三日目にあたる夜は、祝いパンを召し上がるものです」と侍女たちが助言するので、「是非ともお祝いをして上げねば」とことさらに考えて、姉は侍女たちに準備をさせましたが、勝手が分からないのに、いっぱしの識者ぶって采配をしているのを人に見られてしまうのに気が引けて、顔を赤らめている様子には気品がありました。姉としての穏やかな気高さの中にしみじみとした情愛がこもっていました。

 

カオル中納言から届いた手紙には、「昨夜、そちらに伺おうと考えておりましたが、こちらが幾ら骨折りをしても、何の効果もない世の中だと恨めしく感じております。今夜は雑用にでも訪れようと考えていましたが、先夜の中途半端な扱いに心が乱れて、いまだに気分がすぐれないままぐずぐずしています」と厚手の白い上質紙二枚に細々と書いてありました。三日目の祝いに必要な品々、まだ仕立てていない色々な布地を巻いたものを衣装櫃に入れて、「皆さんへの必要品として」とベネディクト宛てに贈りました。修復中のランブイエ城に滞在して、ありあわせの物をそう多くもなく取り集めたのでしょう。ただの絹や綾の布を下に隠し入れて、姉妹用と思われる二枚重ねのドレスを美しく整えて上に置き、ドレスの袖には古風に書かれた歌が添えてありました。

(歌)貴女は夜衣を着て 私と枕を交わしたとはおっしゃらないでしょうが 言い掛かりくらいは 

   つけないでもありません

と戯れの脅しめいた歌が詠まれていました。姉妹にとっては言われたくない内容なので、ジュヌヴィエーブは一塩恥ずかしくなって、返信はどう書いたらよいのだろう」と思い煩っているうちに、使いの者たちは待ちくたびれて帰ろうとしていたので、一行の最後にいた下級の者を引き留めて、返歌を渡しました。

(返歌)心だけは 隔てなく通い合っていますが 袖を交わし合って馴れ親しんだ 仲ではないと思います

 ひどく心が搔き乱されてしまった名残の中で詠んだ歌なので、月並みなものでしたが、返信を待ち受けていたカオルは「偽わらない思いのまま詠んだのだ」とただ愛おしい思いをしました。

 

 ニオイ卿は夕刻、ルーブル王宮に行きましたが、うまく退出できそうにもないので、人知れずやきもきしていました。サン・ブリュー王妃が「こうした風にいまだに独り身でいて、浮ついた噂が世間から色々と聞えてきます。やはり大変良くないことです。安梨王も『何事においても、自分が好んでいることを押し通し、それが慣れっこになってしまっている』とこぼしていますよ」とヴァンセンヌに引き込みがちなことを戒めるので、当直室へ行って、マドレーヌ宛ての手紙を書きました。

 手紙を送った後もぼんやり打ち沈んでいると、カオルが当直室に現れました。

「コンフラン側についてくれている味方だ」と思うと、いつもより嬉しくなって、「三日目の夜なのに、どうしたら良いのだろう。こんなに暗くなって行くのだが、気が気でない」と嘆かわしい思いでいました。「マドレーヌへの思いがどの程度なのかを試してみよう」と考えたカオルは、「こうやって久しぶりに王宮にあがったのに、今夜の宿直もしないで、すぐに退出してしまうと、王妃も『好ましくない』と思われるでしょう。食事処で耳にした話では、『内密で厄介な恋の取り持ちをした罰で私もきついお叱りを受けるだろう』とのことなので、青ざめてしまいましたよ」と言ってみました。

「本当に王妃は聞き辛いほど叱って来る。大方は周りにいる者共が告げ口をしているからだ。世間から咎められるようなことは、何もしてはいない。窮屈な身分となると、中々面倒なことが多い」とニオイ卿は心底厭わしい思いでいました。

 

 カオルもさすがに気の毒になって、「どうせ同じように騒がれてしまうのなら、今晩の貴殿の罪は私が被って、我が身を捨てましょう。セーヌ川を越えてからの丘陵は馬で駆け抜けて下さい。それなら世間の噂や邪魔なものもないでしょう」とカオルが勧めるので、時刻がすっかり過ぎて、夜更け近くになってから、ニオイ卿は意を決して馬で出かけました。

「私はむしろお供をしない方が良いでしょう。王宮に残って後始末しますよ」と王宮に留まったカオルが王妃の間に伺うと、「ニオイ卿は王宮から出掛けて行ってしまったのですね、見苦しく、困った振る舞いです。世間の人はどのように見ているのでしょうか。王様が聞いてしまうと、『私がきちんと諫めなかったからだ』と思い込んで叱るのが辛いことです」と王妃がこぼしました。

 沢山いる王子や王女が成人していますが、王妃はますます若さと美しい気配が増していました。

「第一王女エリザベトもこんな美女に違いない。どういった折りにというわけでもなく、ただ近くで声だけでも聞きたいものだ」とカオルはしみじみ思いました。「好色な男がけしからぬ料簡を起こしてはならない恋心を抱いてしまうのは、エリザベト王女との間柄のように、さほど遠く離れているわけでもないのに、思い通りに出来ない場合の時なのだろう。自分の性分のように、色好みでもないひねくれた類の者は、変わり者と言えるだろうが、それでもその女性を恋し始めたら、思い切ることは出来ないだろう」などと思っていました。

 王妃に仕えている侍女は皆、器量も気立ても劣っている者はおらず、とりどりに感じが良く美しい中にあって、気品が勝っている者に目が留まる者もいますが、「決して乱れた浮気はしてはならない」との心持ちで、非常に生真面目に振舞っていました。そうしたカオルに対して、わざとらしく注意を引こうとする者もいました。大部分の侍女たちは恥ずかしげに物静かに振舞っていましたが、各々が思い思いに生きている世の中ですから、色気たっぷりに見せようとする下心が漏れて見える者もいたりするので、「侍女たちには様々面白い者もいれば愛おしい者もいるのだ」と見るにつけても、「人生は無常である」といった想いを続けています。

 

 コンフランでは、三日目の夜に向けてカオル中納言が仰々しい贈り物と手紙を送って来たのに、肝心のニオイ卿は夜が更けるまでやって来ません。そうした中で本人からの手紙が届いたので、「やっぱり」と姉妹は胸が潰れる思いでいました。

 夜半近くになって、荒々しい風が吹きつける中、何とも言えない匂いを漂わせながら、艶っぽく美しい当人がやって来たので、どうしておろそかに出来ましょう。当のマドレーヌも少しは如才なく応対したのは、ニオイ卿の本心を感じ取ったからでしょう。今がとても美しい盛りの時に見えて、身なりを整えた様子は、まさに「類のない女性だ」とニオイ卿には思えました。日頃から見眼麗しい女性を多く見馴れているニオイ卿の眼にも「まあ悪くはない。顔形を始めとして、多くの点で近くで見た方が勝っている」と満足していました。

 山荘の老いた侍女たちは、歯が抜けた醜い口元で笑いながら、「こんなにもったいないお姿なんて」、「ありふれた身分の人が婿になっていたら、どんなにか口惜しいことだったことか」、「願ったようなご縁です」と言いつつ、姉の方が変にひねくれた応対をカオルにしていることを批判して口を尖らせていました。自分たちは盛りを過ぎた身であることを承知の上で、カオルが贈った鮮やかな花の布地を仕立てて着てはいるものの、どこかしっくりとはしないまま取り澄ましている侍女たちの中に、見栄えがする者が一人もいないのを見渡しながら、ジュヌヴィエーブは「私もそろそろ盛りが過ぎた身になっている。鏡を見ていると日に日に痩せ細って行く。侍女たちも各自それぞれ『自分は醜い』と感じているのだろうか。後ろ姿は気付かずに、額髪を撫でつけたり、顔を化粧でごまかして、得意げに振舞っている。私の身は『まだそれほどでもなく、目も鼻もまともだ』と感じているのは、単なる思い込みに過ぎないのではないか」と気になりながら、外を見やりつつベッドに臥していました。「カオル様のような、自分が気おくれするような立派な男性に逢うのはきまり悪いし、あと一年か二年すれば、衰えてしまうだろう。本当にはかない身の上の自分なのだ」と、ほっそりとか弱く痛々しい手を袖から出して見つめながら、人生の悲哀を思い続けていました。

 

 ニオイ卿は母である王妃の許しが下りず、王宮を抜け出すことが難しかったことに思いをめぐらすと、「これから先、気軽に通うことはもっと厳しいものになるだろう」と胸が塞がる思いでいました。王妃が告げたことをマドレーヌに打ち明けて、「それに加えて、イングランドのメアリー女王の病が重くなっているようで、王宮の緊張が高まっているので、気にかかりながらも、訪れが途絶えてしまうこともあるだろうが、心配することはない。貴女のことは夢にでもおろそかにしていないからこそ、こうまで無理をしてやって来た。とは言っても、こうしたようにいつも自由に出歩くわけにはいかない。何とかして、私の邸の近くに移ってもらいます」と真心をこめて話しましたが、マドレーヌは「今から訪問が途絶えそうなことを告げるのは、噂に聞く浮気な性格が明白だ、ということではないか」と気が揉めて、こんな住まいに住む有様も思い合わせて、何やかやと悲しくなりました。

 ニオイ卿は窓の戸を開けて、夜が明けて行く空を一緒に見ようと、マドレーヌを誘いました。霧が立ち込めている様子は場所柄の情緒もあって、しんみりとした感じがします。いつもの柴を摘んだ舟が物寂しく行きかいます。(歌)世の中を何に例えようか 夜明けに漕ぐ小舟の後に立つ白波のように はかないものなのか といった歌を思い起こしながら、「見馴れない住まいの景観だ」とニオイ卿は風流心が湧いて興味がそそられました。

 

 丘陵の端から段々と日の光が射して来て、十分に美しいマドレーヌの容姿を眺めながら、「この上なく大切にされている王女たちも、この女性以上のことはない。自分の姉妹である、という気のせいで、威厳があるように見えるだけにすぎない。細やかな美しさなどをもっとじっくりと見てみたい」と物足りない気持ちがしました。

物騒がしい川の水音には親しみが持てずに、ひどく古びた橋を見渡しているうちに、霧が晴れて行くと、岸辺がとても荒涼としています。「こんな所で、どうやって長い年月を過ごせてこられたのだろう」とニオイ卿が涙ぐんで話すのを、マドレーヌは「何とも恥ずかしい」と聞いていました。ニオイ卿の様子が言いようもなく優雅で清らかな上に、「この世だけでなく、先の世まで」とまで約束するので、「こんなことになるとは思いも寄らなかった」と思いをめぐらせていました。

「今となっては、以前から見知っていたカオル中納言の堅苦しさよりは」と感じながら、「カオル様は一風変わった性質で、ひどく澄ましこんでいる様子が取りつきにくく、気詰まりな思いをしてしまう。これに対して、ニオイ卿はカオル様よりはるかに近づきにくいと噂に聞いていたので、ほんの短い手紙への返信を書くのさえ、気が引けてしまっていた。ところが、『今後は久しく訪れが途絶えそうだ』との話を聞くと心細くなってしまう、というのは、我ながらおかしなことだ」と思っていました。

 

 お供の人たちがしきりに帰宅を促します。「パリに戻るのが昼過ぎになって、都合が悪いことになってしまったら」と気がせいてそわそわしながら、心ならずもしばらくは通って来れないことを返す返す釈明しました。

(歌)二人の仲が絶えることはありえないが コンフランの橋姫が 私の訪れを待ちながら 夜半の独り寝で 

   袖を濡らしてしまうだろう

とニオイ卿は立ち去りにくそうにためらっていました。

(返歌)二人の仲は絶えない との言葉を頼みにして コンフランの長い橋のような 末長い契りを待ち続けましょう

口には出さないものの、物悲しそうな気配にニオイ卿は限りなくいじらしさを感じました。

 若い女性なら心に染みてしまう、較べようもないニオイ卿の朝ぼらけの姿を見送った後も、名残惜しい移り香などに人知れず恋しさを覚えてしまうのは、マドレーヌも婀娜っぽい心境になっていたからでしょうか。その朝は物の見分けも付く明るさだったので、侍女たちは二人の別れの光景を物陰から覗いていました。「カオル様は親しみがあり、恥じらいのあるような気品が伴っていますが、ニオイ卿は身分が一段上であるので、気のせいか、ご様子がとても格別ですね」などと、褒めそやしていました。

 

 ニオイ卿はパリに戻る道すがらも、マドレーヌの滅入った様子を思い出して引き返したくなり、体裁が悪いほど恋しがりましたが、世間の眼を気にしてパリに戻りました。その後は軽々しく人目を盗んで出掛けることも出来なくなりましたが、手紙だけは夜が明ける度に幾通も送りました。

 ジュヌヴィエーブは「妹をおろそかに扱うことはないだろう」と思いつつも、はっきりとしない日々が重なっていくので、「こういった気を揉んでしまうことは、見たくないようにしたいと願っていたのに、自分のこと以上に妹が可哀そうになる」と歎いていました。マドレーヌがひどく思い沈んでいるのを気にはしていない風に装いながら、「自分としては、やはりカオル様とこうした憂き目は合わないようにしなければ」と堅い決心をしていました。     

 

 

       著作権© 広畠輝治Teruji Hirohata